第8話 出会い3
「……お嬢様、お嬢様」
ルチアは肩を揺さぶられ、ハッとしたように目を覚ました。
「アン……私、寝ちゃったのね」
フカフカのベッドから起き上がり、ルチアは大きく伸びをした。ドレスはそのままだったので、かなり皺が寄ってしまった。
「もしお夕食を食べれるようなら、伯爵様とご一緒にとのことですが、どうなさいますか?疲れているようならば、軽食をこちらに運んでも大丈夫だそうです」
食事と聞いて、ルチアのお腹がグーッと鳴る。細くて小さいルチアであるが、驚くほど食欲旺盛だ。良く眠ったおかげでお腹はペコペコで、軽食で朝までもつ気がしなかった。もちろん、ルチアと長年の付き合いであるアンもそのことをわかっているから、ルチアが起きないようならば起きた時に食べれるような軽食を用意すると言われ、ルチアならば眠かろうが起きて夕食を食べるだろうと起こしに来たのだ。
「もちろん食堂へ行くわ」
「ですよね。では身支度をお手伝いしますので、ベッドから降りてください」
「アンがベッドに運んでくれたの?私、ソファーで寝ちゃってたでしょ?」
「いえ、私がお部屋に来た時には、ベッドでお休みでしたよ」
自分で歩いてベッドに来た記憶がないから、誰かが運んでくれたんだろうけれど、まさかセバスチャン?いくら背筋がピンとしていても、ご老人にそんな無理をさせてしまったんだろうか?それとも侍女達か。
「多分、伯爵様かと」
「伯爵様……」
この屋敷の伯爵様と言えば一人の筈で……。
「二時間程前に、エムナール伯爵がお戻りになりましたので」
「ウソ!もしかして、二時間もお待たせしているの!?」
ルチアはベッドから飛び降りて、ドレスをたくし上げてスポンと頭から脱ぎ捨てた。
「アン!新しいドレス。やばい、涎の跡がついてない?顔を洗った方がいいかしら」
「大丈夫ですよ。ドレスは紺色にしますか?それとも淡い色味の方がいいですか?」
「紺色で!」
パステル調のドレスの方が、ルチアには似合うのだが、ここは紺色一択しかない。なぜって、エムナール大将の瞳の色が夜空のような紺色だったからだ。一見、黒髪黒目のように思われがちのエムナール大将だが、覗き込んでよく見ると、その瞳は濃紺をしていた。
なんでそんなことを知っているのかって?二回も彼には斬り殺されているんだもの、ルチアを睨みつけたその瞳を忘れる訳がない。
アンに手渡されたドレスを着て、背中のボタンをアンに留めてもらう。鏡台の前に座り、アンが髪の毛を整えてくれている間に、化粧は薄めに色味は抑えて自分で施す。所要時間わずか十分。
「エムナール……いや、ノイアー様と一緒にお食事できるのよね?」
「そうですね、お嬢様をお待ちになっているようですよ」
「ひーっ!走る?走る?」
「お嬢様、さすがに淑女は廊下を走るべきじゃないんじゃないでしょうか」
「だよね。でも、できるだけ急ぎましょう!」
走るギリギリ手前の速度で廊下を歩き、階段を一段飛ばししたいのを我慢して降りる。最後の段は跳んでしまったことは内緒だ。
「お待たせしました!」
本当だったら、上品にカテーシーでもしながら、「はじめまして」と挨拶したかった。(初対面の印象って大事だし、殺されない為にも好印象を与えておきたいじゃない?少しでも好きになってもらえれば、剣を振り下ろす時に、絶対に躊躇するでしょう?)
食堂のドアを開けると、一人の男性が大きなテーブルの上座に座ってコーヒーを飲んでいた。
「起きたのか?」
鋭い眼光を向けられてルチアは一瞬怯むが、その瞳を見つめて、殺される直前に溢れ出た、気迫だけで気絶しそうになるくらいのあの殺気じゃなければ怖くないと、ルチアは一呼吸してから笑顔を浮かべた。
そう、ルチアには耐性があったのだ。しかも、人を斬り殺す寸前に放つノイアーの殺気を二度も体感していた為、ちょっと覇気が漏れるくらいなんてことはなかった。
そんなルチアの笑顔を見て、給仕していたスーザンは目を丸くして驚いたが、誰よりも驚いたのはノイアーかもしれない。
令嬢に目を合わされたことなんて記憶にある限りなかったし、意識のある状態で笑顔を向けられることなど、想像もしていなかったから。
「はい、申し訳ありません。お部屋についたらつい眠くなってしまって……。あの、私をベッドに運んでくださったのって」
「俺だ。……花を、出迎えられなかったので、花を渡しに行ったんだ。勝手に部屋に入りすまない」
「いえ、とんでもございません。全く問題なしです。お花、ありがとうございます」
花?慌てて支度したからよく見てなかったけれど、そういえばテーブルに何か生けてあったような……と、薄ぼんやりと花瓶と花の存在を記憶の中から探る。
(もっとしっかり覚えていれば、感想を言ったりして話を膨らませられるのに!)
「旦那様、ルチア様にお席を勧めてください」
立ちっぱなしのルチアを見て、スーザンが咎めるようにノイアーに言うと、ノイアーは椅子を倒す勢いで立ち上がり、大股でルチアの前まで歩いてきた。
(デカッ!)
見上げる程の高さとその迫力に圧倒されたルチアの目の前に、ゴツゴツとした大きな手が差し出された。
(え?握手?)
悩むこと十秒、ルチアは目の前に出された大きな手をつかんで握った。
そのままさらに十秒。
(あれ?)
握手かと思って手を握ったのだが、ノイアーから握手を返されることなく、ただお互いに見つめ合って時間が過ぎる。
「お嬢様、エスコートですよ。歩いてください」
後ろからアンにコソッと囁かれ、握手じゃなかったのか!と顔面がブワッと熱くなる。
私が一歩足を踏み出すと、ノイアーも歩き出して席まで誘導してくれた。食堂は広く、テーブルも十人は座れるくらい大きかった。真横に座るのもおかしいし、かと言って向かい合わせだと多過ぎる。どこに案内されるのかなと思っていたら、ノイアーの座っていた席の斜向かいの椅子を引かれてそこに座った。向かい合っていないからそこまで緊張しないし、かと言って遠過ぎないから会話もしやすい。
「ノイアー・エムナールだ」
「ルチア・シンドルフです。お初にお目にかかります。この度は、婚約の承諾をいただき、光栄に存じます」
「ああ、こちらこそ。ルチア嬢とお呼びしていいか?」
「どうぞお気軽にお喋りください。それに、婚約者になるのですから、ルチアでかまいません」
「ああ、それならルチアも気楽に接して欲しい。俺のこともノイアーでかまわない」
ここで慎ましく控えめなご令嬢ならば、言葉を崩すこともなく、ノイアーのことを名前で呼んでも「様」くらいはつけるのだろうが、慎ましくも控えめでもないルチアは、すんなりとノイアーの言うことを受け入れた。
「わかりました。ノイアー、これからよろしくね」
「……ああ、もちろんだ」
ニッと笑いながら言うと、何故かノイアーの方から視線をそらされてしまう。
(え?言葉通りに受け取ったら駄目なやつ?でも、別に不機嫌そうではないからいいのかな)
それからスーザンが食事を運んでくれ、ディナーが始まった。
(伯爵家の料理最高!味はもちろん、量がね……超多いの)
ルチアの前には、前菜からノイアーと同じ量の料理が並び、メインに至っては肉と魚両方が一人前ずつ置かれた。パンは食べ終われば次が勝手に皿に置かれるし、甘くて美味しい果実水も飲み放題。もちろん全てをたいらげて、さらにはデザートが選び放題だった。
ルチアが美味しそうに食べ始め、皿が綺麗に空になっていくのを、ノイアーは呆気に取られて見ていたが、無理やり食べているのではなく、食べたくて食べているのだとわかると、スーザンに同じペースで食事を持ってくるように目線で指示した。
さっきルチアを抱き上げた時、そのあまりの軽さに心配になったノイアーは、ルチアの食べられる量を見る為にも、自分と同じ量の料理を出すように指示していた。なるべく品数も出して好物を把握し、無理なく食べられる量を増やしていこうと思っていたのだが、心配する必要がないくらいルチアはよく食べた。逆に、食べ過ぎを心配するくらいの量をたいらげていた。
「満足できたか」
「大満足です。食事だけが心配だったんですよね。ほら、普通の貴族子女はお皿にちょこっとしか食べないじゃないですか。だから、家以外で食べる時は、ちょっとしか出してもらえないんですよ」
「だろうな」
それは、ゴールドフロントだろうがプラタニアだろうが同じだ。貴族子女はウエストの細さに命をかけている為、常にコルセットでウエストを締め付けているせいもあってか、食べる量が極めて少ない。その代わりにお茶の時間がちょこちょこあって、軽食やらお菓子やらを回数食べる。
実家ではルチアがよく食べることを知っていたから、毎食しっかりと男性量が食卓に並んでいたが、エムナール邸で女子の量しか出されなかったら……と考え、実は保存食を隠し持ってきていた。
(あの保存食、いらなかったかも。もちろんもったいないから、夜食にいただくけどね!)
「これからも同じ量でいいか?」
「いいんですか!」
(誰だ!この人を悪魔だとか殺人鬼だとか言ったのは!無茶苦茶いい人だよね。……あれ?私この人に三回殺されてるんだったっけ?いや、まだ今回は殺されてないし、二回はアレクのせいだしね。うん!いい人決定)
ルチアが目をキラキラさせてノイアーを見ると、また目をそらされた。
(なんでだ?解せない)
「スーザン、サントスに伝えておけ。明日からもルチアの食事は俺と同じ量を用意するようにと」
「かしこまりました」
夕食のデザートまで食べ終わり(デザートを食べたのは私だけ。ノイアーはコーヒーを飲んでいた)、私は出されたコーヒーを一口飲んで情けない表情になった。
そんなルチアを見て、ノイアーはスーザンに目配せする。
「スーザン、コーヒーではなく紅茶にしてやれ」
「あ、大丈夫、飲めないことはないんです。その、ただ……砂糖を三つとミルクをいっぱい貰えれば」
子供っぽくて恥ずかしいと、ルチアは頬に手を当てる。
「無理はするな」
「でも、せっかくいれてくれたんだもの。ちゃんと飲むわ」
「いい。それは俺がもらう。スーザン、紅茶を」
ノイアーはルチアの前からコーヒーを取り上げ、一口飲んでしまった。ルチアが一度口をつけた物なのだが。
ルチアは出された紅茶をありがたくいただきながら、ノイアーの方をチラチラ見る。薄っすらとルチアの口紅のついたカップにノイアーの口が触れる度に、ドキドキしてしまう。
(間接キスって言うのよね。キャー!)
アレキサンダーと結婚生活を送った記憶もあるルチアだったが、アレキサンダーには感じたことがないドキドキ感に、テンションも上がるのだった。