第28話死に戻らないその後2
「どうぞ、こちらでお待ちください。お飲み物も用意してありますので、そちらをお召し上がりになっていてください」
ノイアーが案内されたのは、軍本部でもサミュエルの私室でもなく、夜会などで用意される休憩室だった。そして、ノイアーの目の前にはショットグラスと年代物のウィスキーが置いてあり、侍従はショットグラスにウィスキーを注ぐと、ノイアーの目の前に置いて部屋を出て行った。
ノイアーがグラスを一杯空けても、サミュエルは現れなかった。至急の話ではなかったのか?と、ノイアーは苛々したように膝に置いた指で膝を叩く。着飾って美しいルチアが一人でいるかと思うと、変な男が寄ってきてないか、前みたいにライザの取り巻きに絡まれてないかと心配になる。
いくらサミュエルの指示でも、これ以上待てないと椅子から立ち上がった途端、ノイアーは目眩に襲われて思わずテーブルに手をついた。ノイアーの体重を受けて、テーブルがミシリと音を鳴らす。
「くっ……」
視界が狭まり、身体が脱力しそうになり、ノイアーは口腔内をギリッと噛み締めた。口の中に血の味が広がり、なんとか意識を留める。しかし、身体は言う事を効かず、テーブルに突っ伏すように身体が傾いだ。
たった一杯のウィスキーで泥酔するほど、ノイアーは酒に弱くない。ウィスキー一本くらいなら、水と変わらず飲み干せるくらいの酒豪だ。そんなノイアーがウィスキー一杯で目眩を起こすということは、明らかに何か盛られたと考えて良いだろう。今までの長い戦争体験から、毒矢で射られたり、毒を塗った剣で斬られたこともあった。そんな時に起こった、頭痛や吐き気、目眩に四肢の痺れなどはないから、毒物を仕込まれたのではなさそうだが、ノイアーも経験したことのない毒物という可能性も捨てきれない。
遅効性のものならばわからないが、今飲んだウィスキーに仕込まれていたと考えるのが、一番しっくりくる。
ノイアーは鉛のように重く感じる手をノロノロと動かし、証拠品となるショットグラスを懐にしまった。本当は、ウィスキーのボトルも押収したかったが、ノイアーに何かを仕込んだ人物が必ず現れると思い、隠し持てるグラスのみにしたのだ。そして、腕を組んでソファーに座り、意識をなくしたふりをした。
しばらくすると扉が開く音がし、人が一人部屋に入ってきた。
「ノイアー……」
この声には聞き覚えがある。薄目を開けて見てみると、真紅のドレスの裾が目に入った。どうやら、ノイアーが思っていた人物で間違いないようで……。
その人物は、ノイアーの近くまで来ると、テーブルの上にあったウイスキーのボトルを手にすると、続き部屋に入って行き、流しに何かを流す音が聞こえてきた。しかも、ボトルを水で洗っているのか、証拠隠滅を計っているようだ。そして窓を開ける音がし、ガシャンとガラスの割れる音がする。
女が戻って来ると、華奢な手がノイアーの肩に伸び、指先で触れようとして、躊躇ったように引っ込み、そして再度ノイアーの肩に触れた。
「ノイアー」
耳元でまた名前を呼び、ノイアーが起きているか確かめているようだった。ノイアーは寝ているふりを貫いて、相手の出方を見る。
真紅のドレスの女……ぶっちゃけライザなのだが、彼女は無謀にも、ノイアーを移動させようとした。
腕を引っ張り、洋服を引っ張り、どうやらノイアーを奥にある寝室に連れて行こうとしているようだった。しかし、身長も体格も一般男性よりも大柄なノイアーを運べる訳もなく、一ミリも動かすこともできずにただライザの息が上がっただけで、次になにをするのかと思ったら、ノイアーの衣服に手をかけ出した。
上着のボタンを外し、シャツのボタンを外す。しかし、ノイアーが腕を組んでいるから、衣服を脱がすことはできない。
ライザの手がノイアーのズボンに伸びそうになり、そこで初めてノイアーは目を開いてライザの手首を掴んだ。
「ひっ……!」
ノイアーに意識があるとは思わなかったのだろう。ライザは目を見開いて息を呑み、思わずノイアーと目を合わせてしまった。その途端、恐怖に駆られたライザは、ガタガタと震えだす。
薬を盛られ、服まで脱がされかけて、被害者はノイアーなのに、もしこの場面を誰かに見られたら、確実にノイアーがライザを襲っているように見えるだろう。
「ライザ王女殿下、おふざけが過ぎる」
「ふ……ふざけてなんかいません」
「じゃあ、これはなんですか」
ノイアーがはだけた自分の胸元に視線を落として言う。
「私……、私は……」
ライザは掴まれていない片手を自分のドレスの胸元にかけ、華奢なレースの飾りを引き裂こうとしたが、ノイアーに睨まれて動くことができなかった。
「あ……」
「それで、その手をどうしようと言うんだ。ゴールドフロントの王子にしたことを繰り返すつもりか」
ライザは力が抜けたように床に座り込み、ボロボロと涙をこぼした。
「ノイアー!」
ノイアーがライザの手を離した時、扉が勢い良く開き、サミュエルが現れた。そして、その後ろからルチアが顔を出す。
ルチアは大きな瞳をまん丸に開き、ノイアーと座り込むライザをまじまじと見ていた。何をそんなに見ているのかと、ノイアーがルチアの視線の先を目で追うと、ルチアの視線ははだけたノイアーの胸元を凝視していた。
しかも、そんなルチアの後ろから、ノイアーを探し回るルチア達を見て興味本位でついてきた野次馬の貴族達が、何事かと部屋を覗き込んでいて……。
「ライザ……さすがにこれは駄目だ」
「お兄様……。実はノイアーと私は」
「ただの主従の関係ですよね」
ルチアがスタスタとノイアーの側まで歩いて行き、背伸びをしてノイアーのボタンを閉める。その時に、上着の内ポケットが固く膨らんでいるのに気が付いた。何が入っているの?と思ったけれど、今はそれどころではなかった。
「もう!ノイアーは過信し過ぎよ。変なもの飲まされた挙げ句に襲われるなんて。ノイアーの素肌を他の女にさらすなんてあり得ないわ」
ルチアはノイアーにしか聞こえないような小声でブチブチ文句を言いながら、引きつった笑顔をライザに向けた。
「ノイアーをここに案内した侍従から話を聞きました。とあるご令嬢が、サミュエル第二王子殿下からの言付けだからと、休憩室を開けておくように言ってきたそうです。そして、ノイアーの好きなお酒だとボトルを渡され、部屋のセッティングが終わったら、ノイアーを部屋に呼んで、酒を飲んで待っているように伝えてくれと言われたそうです」
サミュエルとノイアーを探している時、ノイアーを呼びに来た侍従を見つけたルチアは、その侍従を締め上げて(胸ぐらを掴んだ時点でサミュエルに止められたが)ノイアーの居場所を吐かせたのだ。侍従に悪びれた様子はなく、逆に言われた通りにしただけなのに、第二王子が血相を変えるくらいの出来事に巻き込まれてしまったのかと顔面蒼白になり、積極的にルチア達に協力してくれた。この部屋まで先導してくるまでの間に、誰に何を言われて何をしたか、事細かに話してくれた。そして、それを侍従に指示したのは、ライザのご学友を任命されていた貴族令嬢だとのことだったとか。
「なんのことだか……」
顔色悪く視線をそらすライザに、ルチアは溜め息をつく
「そのご令嬢ですけど、シンシア・ロレンソ伯爵令嬢、ルチア第二王女殿下のご学友に選ばれた、王妃様の取り巻き侍女のご息女ですね」
以前戦勝祝賀パーティーの時も、王妃やライザの周りにいた令嬢の一人で、ノイアーとライザがダンスするように話を振ったり、ノイアーとライザがあたかも恋人同士だったみたいな嘘を、声高に吹聴していたのも彼女だった。
「それが?」
「彼女が嘘を言って、ノイアーをこの部屋に呼び出した張本人なんです。誰に言われてそんな嘘をついたんでしょうね」
「わ……私だと言いたいの!?わ、私は、ノイアーが待っているからと言われてここに来ただけよ。そうしたらノイアーが眠っていたから……」
「寝込みを襲おうとしたんですか?眠っていたんじゃなく、眠らされていたんですよね。今はここにないようですが、睡眠薬入りのお酒を飲ませて」
「そ……そんなの知らないわ。お酒なんてこの場にないじゃない。ノイアーは普通に眠っていただけだし、私が襲ったんじゃなく、ノイアーは自分で服を脱いで私に……。もし強力な眠り薬を飲んでいたら、彼が今意識があるのもおかしいでしょ」
「僕はエムナール伯爵に確かにウィスキーをお出ししました。ロレンソ伯爵令嬢から言われた通りに」
後ろに控えていた侍従が、口を挟んだ。
「ああ、俺もそう記憶している。その侍従が注いだウィスキーを飲んだら強い睡魔に襲われたな」
「それは、夢とごっちゃになっているんだわ。私がここに来た時には、テーブルには何もなかったし、私が声をかけたら、私に愛をささやきながら自分から衣服を脱いだではありませんか。ただ、あなたの視線を正面から見つめてしまったせいで、私が泣き崩れてしまい、そこにお兄様達が……」
顔を手で覆い、泣き出してしまうライザを見て、ルチアは心底ゲンナリする。この甘ったれた王女様は、アレキサンダーに体当たり的な復讐がうまくいったものだから、既成事実があるかのように見せかけて、ノイアーに責任を取らせようとしているのが見え見えだった。
「酒を入れたショットグラスは俺が持っている。これを調べれば、薬の有無がわかるだろう」
ノイアーは、懐からショットグラスを取り出し、サミュエルに手渡した。
「ああ、これは僕が預かるよ」
「お兄様!私は何も知らないの。もし、ノイアーが睡眠薬入りのお酒を飲んでいたとしても、それはシンシアが勝手にやったことに違いないわ」
「ライザ様、酷いです!私は、ライザ様に言われた通りにしただけです。お酒は、ライザ様自らご用意したじゃないですか」
ちょうど衛兵に連れて来られたシンシアが、ライザの言ったことを聞き、自分のせいにされたらたまらないとばかりに部屋に飛び込んできた。
「おい、こら」
シンシアを連れて来た衛兵が、慌てて彼女を捕まえようとする。
「エムナール伯爵は国に忠誠心が厚く、自分を犠牲にしてまで忠義を尽くす方だから、心の伴わない婚約にも甘んじて耐えていらっしゃる。そんな伯爵を救いたいと、涙ながらにおっしゃったじゃないですか!自分が心ない誹謗中傷を受けることになっても、エムナール伯爵との関係を大々的に公表したいと」
(どんな関係よ。無関係でしょうが)
ルチアが呆れている中、シンシアはガンガン暴露していく。
「伯爵はライザ様の為を思って、一歩踏み出せないでしょうからと、睡眠薬を盛って眠っていただいている間に、ライザ様が伯爵と既成事実を作り、それを私や数人の令嬢達が目撃して騒ぎたてる手筈でしたでしょ。なぜ、全部私のせいにしているんですか!」
(眠っている間に既成事実って、可能?)
「シンシア!……ノイアー、お兄様、違うんです。私は……」
床に座ったままのライザは、蒼白な顔で周りを見渡し、扉から覗く野次馬達の好奇な視線に耐えられなかったのか、ブルリと震えると気絶してしまった。床に倒れ込む前に、一番近くにいたノイアーがライザを支えた。
「ライザ!」
兄であるサミュエルがライザに駆け寄り、意識のないライザを抱え上げた。
★★★
「それで、ライザ王女殿下はどうなったんですか?」
ノイアーの私室で、いつも通り二人っきりの深夜のお茶会を楽しんでいた時、ルチアはふとライザのことが気になって聞いてみた。二人はソファーに並んで座り、その距離はほぼゼロだ。
ライザの誕生日の夜会は、ライザの不調を理由に途中で閉会となった。その後、どんなに箝口令を敷いても、ライザの愚行は貴族達に広まってしまい、アレキサンダーに汚されたから自暴自棄になったんだという者もいれば、実は人見知りでおとなしかったのはフリで、本当のライザは淫乱で男にだらしないんだと言う者もいた。
ライザは王城の自分の部屋にひきこもり、世話係の侍女しか彼女に会えていないらしい。しかしだ!今回の件を、王女だからとなぁなぁにして欲しくない。
(私のノイアーに手を出そうとしたんだから、きっちり、しっかり、オトシマエ付けてもらわないと)
たおやかな見た目とは反することを考えながら、ルチアは用意されたクッキーをつまみながら果実水を飲んだ。
「修道院に行くことになったようだ。他国に嫁ぐか、修道院に入るかの二択で、ライザ王女殿下自ら修道院行きを望んだらしい。ライザ王女殿下が行くのは、家族ですら面会もできないと言う規律厳しい聖アラモ修道院だ」
「聞いたことあるわ。刑務所よりも厳しいって言われている修道院よね。結婚よりそっちを選んだんだ」
外界とは完璧に隔離されており、全てのことを自給自足で賄う修道院だと聞く。そんな修道院に、自分でドレスさえ着れない王女が入って、どうやって暮らして行けると言うのか。
「王女からしたら、知らない男に嫁ぐより、修道院のほうがまだましだったんだろうな」
「そうなんだろうね」
「もしルチアだったらどっちを選ぶ?」
ノイアーはブランデーを口にしながら、ルチアの肩を抱き寄せて聞く。
「それはノイアーを知った今と、知らなかった時だと答えが変わるかも」
「俺と知り合う前なら?」
「うーん、とりあえずは多分知らない男性に嫁ぐ方を選ぶかな。もしかしたら、好きになれるかもしれないし、恋愛にならなくても、パートナーとして良い関係を築けるかもしれないじゃない?」
よっぽど相手の性格が悪いとか、変な趣味があるとかじゃなければ、結婚できると思った。何せ、過去死に戻る前はアレキサンダーと結婚したこともあったくらいだから、なんとかなるって言えばなるかも。
「じゃあ、俺と出会った後なら?まぁ、俺がルチアを手放すことはないから、そんな仮定はあり得ないんだがな」
ノイアーは、ルチアの頭頂部にキスを落とすと、そのプラチナブロンドの髪の毛を指でもて遊ぶ。その甘い雰囲気と、厳ついながら溢れ出る男の色気に、ルチアの胸の鼓動が速くなる。
「修道院かな。だって、相手がどんなに良い人でも、好きになれる訳ないし、何よりもノイアー以外の男の人と夫婦生活を送るとか想像できないもの。修道院なら、いざとなったら逃げ出せるでしょ。で、ノイアーを探す旅に出る。ノイアーが無理やり私と別れさせられているなら、ノイアーを連れて逃げるし」
「ハハハ、俺の婚約者は逞しいな」
ノイアーは楽しそうに笑うと、ルチアに口づけした。ルチアもそれを素直に受け、ノイアーの唇をペロリと舐めた。
「ずいぶんと甘い果実水だな」
「甘いのは嫌?」
「いや、もっと味わいたいな」
ルチアは果実水を口に含み、ノイアーに口づける。口の端から果実水が垂れ、ルチアの首筋から胸元に垂れた。ルチアの口移しで果実水を飲んだノイアーは、果実水の味がなくなるまでルチアと深いキスをする。
トロンと蕩けた表情になったルチアは、ノイアーの太腿を跨ぐように座り、その首に手を回した。
「果実水、垂れちゃった」
ルチアは、ノイアーの瞳をじっと見つめながら、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
普通の人間ならば震え上がるような覇気の漏れるその視線を、正面から受け止めて微笑めるのはルチアくらいなものだろう。ルチアはそれがゾクゾクするくらい嬉しかった。ノイアーを受け入れる為に死に戻ったのかもしれないと思うくらいに。
ノイアーはルチアを抱き上げて立ち上がり、そのまま寝室の扉を開けた。




