第25話拉致
(なんでこんなことに……)
ルチアは、アレキサンダーに拉致され、どこに向かっているかもわからない馬車の床に転がされていた。
「ふむむむ……」
両手を後ろ手に縛られ、口には口枷をつけられているから喋る事も出来なかった。
ある意味、口枷があって良かったかもしれない。それぐらい、ルチアは口汚くアレキサンダーを罵っていたからだ。
ことは数時間前、ルチアはアレキサンダーを連れてゴールドフロント王と謁見していた。ノイアーはプラタニアの将軍としてではなく、ルチアの婚約者として、二人の後ろに控えていたし、護衛としてついてきたプラタニアの兵士達も、王城入りして与えられた部屋で待機していた。
ルチアは、国書をゴールドフロント王に差し出し、王が読み終わるのを待った。
「これは……」
ゴールドフロント王は、その国書に素早く目を通すと、頭を押さえて呻いた。
「私は何を読まされているんだ」
そう言いたくなる気持ちはわかる。息子のアレやコレやなんか知りたくなかっただろう。
「父上、未遂です!それに、大人同士、責任はお互いにあると思います。もし問題になるとしたら、ライザ王女と婚姻を結んでしまえば、国同士に繋がりもできて……」
「黙れ!」
ゴールドフロント王はアレキサンダーを一喝した。その肩は震え、顔は怒りで土気色になっている。
「あれだけ問題はおこすなと言い聞かせたものを……。プラタニアの王太子と親交を深めろとは言ったが、王女に手を出せなど言っとらん!」
「でも父上……」
「うるさい!おまえは黙っておれ。エムナール将軍、ゴールドフロント国王として深く陳謝する」
頭を下げるゴールドフロント王に、ノイアーは厳しい視線を送る。王はその視線に唇を震わせながらも、あえて視線をそらさずに言葉を続けた。
「この条約……、了承しよう」
王は、この条約を突っぱねればどうなるか、先の先まで読んで苦渋の選択をした。プラタニアは、アレキサンダーを許すつもりはなく、戦争を起こすきっかけとしてこの無茶な条約を持ちかけてきたのだろうと、その真意を読み取った。
条約には、アレキサンダーが言っていたような婚姻による責任をとるというようなことは一言も書いておらず、問題を起こしたアレキサンダーの廃嫡、損害賠償として塩の製造方法並びに専売権の譲渡、あと細かい要求が事細かに書いてあった。
「条約って?」
ゴールドフロント王がテーブルに置いた国書を、アレキサンダーは覗き込んだ。
「なんで僕が廃嫡されなければならないんだ!」
(そういうとこだよ。国を思うなら、自分の廃嫡よりも塩関係の条約の方が問題があるよね)
「おまえは下がっていろ!衛兵、アレキサンダーを部屋に連れて行け」
王の言葉に逆らう兵はおらず、ギャーギャー喚くアレキサンダーは、力尽くで部屋から退出させられてしまった。
「馬鹿な子ほど可愛いというのは、よく言ったものだ。一人息子だからというのもあるが、私はあの子が生きやすいようにレールを敷いてやりたかっただけなのに……」
ゴールドフロント王はがっくりと肩を下げ、ノイアーと条約のことについて話を掘り下げだした。王は全てプラタニアの意向をのむ代わりに、アレキサンダーの処分は王太子位の剥奪のみとし、廃嫡後は公爵位を与えること、また、その子供には王位継承権を与えることを条件にした。つまり、民の豊かな生活を切り捨て、息子の命と直系の継承を望んだのだ。
そのおかげで、回避不可能に思えた戦争は回避できたようではあるが、これから先、塩の専売を失った民が困窮していくだろうと思うと、なんともやるせない思いがした。ルチアは、ノイアーに先に部屋に戻ることを告げ、王城内に用意された客室へ一人戻った。
(なるようにしかならないよな)
ルチアは、大きなベッドに横たわり、もしかしたらこれで何度も繰り返されてきた死に戻りの連鎖は絶たれたんじゃないかとボンヤリと考えていた。
ルチアの死の加害者であったノイアーとは、深い繋がりができた。それこそ予想できないようなトラブルが起こったり、不可抗力的な何かが起こらない限り、ノイアーがルチアに危害を加えることはないだろう。そして、不可抗力的な何かが起こるトリガーになり得る戦争が、今回は回避できたということが、ルチアを安堵させる大きな要因となった。
(来年にはノイアーと結婚式を挙げて、子供は三年後くらいに最初は男の子、その二年後くらいに女の子が授かるといいな。なんならもう二人くらいいてもいいかも。で、子供達が大きくなったら、爵位は子供に早く譲って、また二人っきりで新婚さんみたいに過ごすの。小さな家で、使用人は数人。朝ご飯も昼ご飯も夕ご飯も一緒、もちろん寝るまで二人で……)
ルチアは、平凡だけれど幸せな将来を夢見て、いつの間にか深い眠りについていた。その時、扉が開いてノイアー以外の男が部屋に忍び込んで来たことに気がついていなかった。
★★★
「ルチア……俺は全てを失った。おまえまで失う訳にはいかない」
睡眠薬入りの小瓶の蓋を開けると、男は小さな寝息をたてるルチアの鼻先に持って行く。その揮発した液体の匂いを嗅いだルチアは、さらに深い眠りにつき、男はそれを確認すると、ルチアを後ろ手に縛って担ぎ上げ……ようとして挫折した。小さくて軽そうなルチアだったが、意識のない人間は予想以上に重かったのだ。男の筋力がなかったからというせいもあるが。
男は窓を開けると、ベランダに潜んでいた男を部屋に呼び入れた。
「サントス、ルチアを運べ」
「はあ……」
部屋に入って来たのは、アレキサンダーとその側近であるサントスだった。
「(ルチア様、申し訳ありません)」
サントスは心の中で謝って、ルチアを抱え上げ、ルチアの部屋のベランダに仕込んでおいたの荷台にルチアを乗せてシーツをかぶせると、荷台を押して裏庭を抜け、裏門に用意してあった馬車にルチアを運んだ。
馬車が停まり、扉が開いてアレキサンダーの側近のサントスが顔を出した。
「ついたか」
「はい、どうぞお降りください」
眠っていたから、どれくらいの時間馬車で運ばれたのかもわからなかった。王城からどれくらい離れたのか、ここが王都なのかもわからず、馬車から降ろされたルチアは、地形に見覚えはないか、助けを求められる誰かはいないかと周りを見渡した。しかし、辺りは木々が生い茂り、森の中には屋敷しかなく、人なんか見当たらなかった。
「……ふむふむむむむ(これはずしなさいよ)」
「サントス、ルチアの口枷を外してやれ」
「はい」
サントスが後ろに回り、ルチアの口を縛っていた枷を外した。
「あんたね、誘拐とか何考えているのよ」
「あんたって……王太子の僕に対して、なんて口のきき方だ」
恐怖に震えるでもなく、怒り喚くルチアに、アレキサンダーはショックを受けたようによろけて馬車に手をついた。しかし、そんなことは気にせず、ルチアはアレキサンダーを睨みつけた。手が縛られていなかったら、掴みかかって揺さぶっていたかもしれない。
「私を誘拐してどうするつもり!まさかだけど、ノイアーを通してプラタニアに交渉しようとか考えているんじゃないでしょうね」
「違う……けど、その手もあるな」
「は?」
考え込むように顎に手を当てて唸るアレキサンダーに、ルチアは他に自分に利用法があったっけ?と思考を巡らせた。
「殿下、ルチア嬢はまだ婚姻を結んでいる訳ではありませんので、そこまで利用価値はないかと。プラタニア側からしましたら、エムナール伯爵との婚約を破棄すれば良いだけなので」
婚約破棄!?
とんでもないことを言い出したサントスに、ルチアはギョッとして目を向ける。ルチアの中で、前世の記憶を思い出してみても、サントスについての記憶は薄かった。自分から前に出るタイプではなく、キラキラしたアレキサンダーの後ろで、影のように地味に控えている姿しか思い出せない。プラタニアにもアレキサンダーの同行をしていた筈だが、その姿を思い出そうとしても、やはり「いたかな?」くらいの認識しかない。
「その利用価値のない私をどうするつもりなんです」
「どうするって……、一緒に海を越えて逃避行するんだ」
「逃避行!?」
「何も心配はいらない!宝石はあるだけかき集めてきたし、僕は色んな国の王族と友人なんだ。匿ってくれる国は沢山ある。君と二人、困難を乗り越えて、愛を育んで行けばそこには……」
意味不明なことを言い出したアレキサンダーは、さらに意味不明なことをベラベラ喋りだした。
要約すると、廃嫡されたらプラタニアに再送還されてしまうだろうから、そうなる前に海を渡って外国に亡命を決めたと。しかも、傍迷惑なことに、その道連れにルチアを選んだと言うのだ。
生まれた時からの地位を捨てるのは辛いだろうが、身から出た錆、逆にアレキサンダー本人はそれくらいですんだと喜ぶべきだ。戦争になっていたら、敗戦して国も属国となり、それこそアレキサンダーが心配しているように、捕まって処刑されることすらあり得たのだから。ゴールドフロント国王の交渉次第だけれど、アレキサンダーは平民に落とされることなく、高位貴族として何不自由ない暮らしを保障されると思うが、なぜ亡命などを考えたのか。多分、アレキサンダーの浅慮からくる思い込みで、今のような状況になってしまったんだろうけれど……。
(何から逃げる必要があるの?しかも、なんで私まで道連れ?というか、側近ならアレキサンダー殿下の暴挙を止めなさいよ!)
悲運の王子を気取って、さも運命の悪戯に翻弄されている感を出して語るアレキサンダーを放置し、ルチアは側近であるサントスを睨みつけた。
「すみません、殿下は言い出したら聞かないもので……」
サントスは申し訳なさそうに視線を落とすが、だからってこんな王子の側近にさせられてあなたも大変ね……とはならない。
「そこを諌めるのがあなたの仕事じゃないの!?」
「いえ。殿下のご機嫌取りが私の一番の仕事ですから」
(それを言い切っちゃう?やっぱり、この主にしてこの側近あり的な感じ?)
多分、ルチアの表情にあまりに残念な感じが出てしまっていたのだろう。サントスはいまだに恍惚と悲運の王子を語るアレキサンダーに聞こえないように、ルチアの横に移動してくると、ルチアにしか聞こえないように耳元で囁いた。
「ご安心ください。ここは王家の森の入り口にある屋敷で、王城からもたいして離れていませんから」
後で聞いた話、サントスはアレキサンダーに言われてルチアとの逃避行を手伝うように命令されたが、さすがにそこまで手助けするつもりもなく、王家の森を無駄に馬車で走り回り、かなり遠くまで来たとアレキサンダーに錯覚させ、実は王城真裏にある王家所有の廃屋敷に連れて来たらしい。アレキサンダーは、すぐに海を渡りたがったらしいが、追手がかかることを理由に、しばらく屋敷に潜伏し、密航の準備をしっかり整えるべきだと進言したとか。
(いやいや、進言の方向が間違っているよね?まずは、馬鹿なことをするなじゃないの?)
それに対してのサントスの発言は、「あの殿下が正しいことを理解して受け入れると思いますか?」だった。
納得……ではなくて、それってただ諌めるのが面倒なだけだったと思うんだけど。
屋敷の中は、壮絶に……汚かった。廃屋敷だから仕方がないのかもしれないが、埃が雪のように積もり、クモの巣だらけ。アレキサンダーは足を一歩踏み入れただけで盛大にくしゃみを連発していた。
「お……おまえ、僕を殺す気か」
「そう言われましても、いきなり言われて屋敷の手配ができただけ上出来だと思ってください。掃除までは手が回りませんでした」
アレキサンダーはハンカチで鼻と口を押さえ、目は涙ぐみ真っ赤になっていた。
「アレルギーですね。とりあえず、簡単に部屋を掃除しますから、殿下は外にいてください」
「外!?こんな暗闇の中外にいろと言うのか!」
「掃除したら埃が舞いますけど、それでもよろしければ中にいらしてください」
「わかった!なるべく早くしろよ」
サントスはアレキサンダーにランタンを持たせると、その背中を押して屋敷の外に出して扉を閉めた。
「さて、殿下の部屋は入ってすぐのこちらにします。ルチア嬢は申し訳ないのですが、二階の一番奥で。途中、階段と廊下の掃除は致しません。これだけ埃が舞えば、殿下が二階に上がることはないでしょうし、万が一夜這いをかけようとしても、くしゃみがアラートになりましょう」
あれだけ酷いアレルギーならば、夜這いどころではないだろうし、もし部屋に押し入ってきたら、埃まみれのクッションでも投げつけてやろう。
「掃除をしたら、アレキサンダー様には密航の準備を整えると言って屋敷を出て、一度王城に戻るつもりです。まずは陛下の指示を仰ぎませんと」
「私を拉致する前に、国王陛下に報告すれば良かったんじゃないの?」
ルチアが正論を言うと、サントスは溜め息をついた。
「殿下は無駄にフットワークが軽いんですよ。私が報告している間に、ご自分で動かれて、さらに厄介な事態に発展すること間違いなしです。何せ、最初はルチア嬢を身体から籠絡し、一緒に海外に逃避行するんだとか言っていましたし」
「は?」
「媚薬を嗅がせると言っていたのを、軽い睡眠薬に変えさせただけでも大変でした。あのまま突っ走られたら、本当にただの犯罪者ですよ」
サントスは大きめのハンカチを巻いて口を隠しながら、扉からの通り道と、アレキサンダーの部屋にすると言っていた部屋にはたきをかけたり箒で掃いたりと、手早く掃除をしながら、ルチアにアレキサンダーの最初の計画を説明した。それによると、アレキサンダーは媚薬を用いてルチアと関係を持ち、アレキサンダーにメロメロ(?)になったルチアを連れて港に行き、そこに停泊していた商船に密航して海を渡ろうとしていたとか。
いやいや、メロメロってなんだ?まずはそこから計画は破綻しているじゃないか。媚薬を使われたからって、アレキサンダーなんか断固拒否だ。ノイアー以外を受け入れるくらいなら、相手の☓☓☓をちょん切ってでも抵抗するだろう。それに、簡単に密航などできないだろうし、逃げ切れると思っているところも甘い。
「でも、なんで私を連れて逃げようなんて考えたのかしら」
婚約者候補ではあったし、ルチアがアレキサンダーに懸想していると思い込んでいたこともあったようだが、それはプラタニアにいる時に、事実無根の勘違いであることは伝えた筈だ。
「それは、殿下の初恋がルチア嬢だからじゃないですかね」
「は?初恋!?嫌がらせされた記憶しかないわよ」
もちろん、周りに気付かれないようにやり返してはいたが、好意を向けられている態度には思えなかった。
「好きな子の注意をひきたかったんだと思います」
「……迷惑。というか、信じられない」
「でしょうね。しかし、真実なんです。まあ、よそ見をしている方が多かったので、嘘くさく聞こえるかもしれませんが。……ちなみに、このことを聞いて、殿下に対する気持ちに火がついたりは……」
「ないですね」
即答だ。さらにアレキサンダーの人柄が信用できなくなった。初恋の人を振りかざされた剣の前で盾にできるって、どれだけ自分が大事なんだって思うし。
「そうですよね。いや、ルチア嬢もその気になってくれた方が、この件を解決しやすいかと思ったんですが……そうですか、やはりないですよね」
「ないです!」
サントスは驚くほど素早く部屋を整えると、埃舞う階段を登り、ルチアを二階の一番奥の部屋に連れて来た。そして、窓辺にあるカウチソファーだけ簡単に整えた。
「どうぞ、こちらでお待ちください。私が部屋を出ましたら、鍵をかけてくださいね。それと、埃アレルギーの酷い殿下がこの部屋まで来ることができるとは思いませんが、念の為こののし棒をお渡ししておきます」
サントスは、どこで見つけたのかわからないが、パンなどを作る際に生地を伸ばすのに使う木の棒を取り出すと、ルチアの手に握らせた。
「頭を殴るのは駄目ですよ。当たりどころが悪いと大変ですから。こう、下からスウィングするように股間を狙うのがおすすめです。男性ならばまず悶絶して動けなくなるでしょうから」
サントスは自分で言っておきながら、その光景を想像でもしたのか、下腹部を押さえて身震いする。
「わかったわ。こうかしら」
ルチアはのし棒を手に取り、軽く素振りをしてみた。
「そうですね、そんな感じかと」
サントスは、「ご武運を」と言い残して部屋を出た。
「何か起こるフラグみたいなこと言わないで欲しいわ」
ルチアが埃をたてないようにそっと部屋を歩き、鍵を閉めようとして……。
「閉まらないじゃないのよ!」
その後、階段下からルチアを呼ぶ声が止まなかったので、部屋を移動することも叶わなかった。




