第2話 縁談
「ルチア、本当にお断りするのかい?」
シンドルフ侯爵は、オドオドしながらルチアを上目遣いで見る。一応これでも侯爵であり父親なのだが、威厳のイの字も感じられない。普通の貴族ならば、縁談について娘にお伺いを立てるなんてことはしないし、王家から婚約の打診があれば一も二もなく即承諾するものだろう。
「はい、お断りしてください。私、他に結婚したい相手がいるんです」
「え!?ルチア、それは初耳だよ」
驚愕の表情のシンドルフ侯爵に、さもありなんとルチアは頷く。
「えぇ、私も初めて口にしましたから」
「そ……それで、結婚したい相手はどこの誰なんだい?」
シンドルフ侯爵はゴクリと唾を飲み込み、ルチアが口を開くのを待つ。
(昨日までの私、つまりは十五歳までの私は結婚なんか一度も考えたことないもの。三回も死に戻った私だからこそ、アレクとの婚約は二度とあり得ないし、かと言ってこのまま戦争を待って避難しても死んでしまう。ならばどうすれば……)
そして閃いた。
「隣国プラタニアのノイアー・エムナール。雷靂将軍様です!」
毎回エムナール大将に殺されるのならば、そのエムナール大将に嫁いでしまえば、まさか嫁は殺さないだろう……と考えたのだ。
(記憶の中にあるエムナール大将は、多分二十後半か三十くらい。年の差は十歳ちょい?このくらいの年の差ならば求婚してもおかしくないよね!)
もちろん、彼の年齢ならばすでに結婚しているかもしれない。でも、王侯貴族ならば三人までは妻を娶っても良いことになっているし、もしすでに三人の枠が埋まっているなら、愛人としてでもかまわない。死ぬよりはマシだ。それに見た目だけならば顔の造形は整っている。眼光が鋭く、常に殺気を撒き散らかしているから誰もそのことには気がついていないようだけれど。
「雷靂……」
シンドルフ侯爵は口をポカンと開けて呆けた顔をしていたかと思えば、すぐにワナワナと震えだした。怒りではない、恐怖でだ。
「はい、雷靂将軍様です」
「ああ……、なんてことだ。よりによって、プラタニア王国の軍人なんて。プラタニアとは、いつ戦争になるかわからないって、知らない訳じゃないな?」
「もちろんです。でも、私は彼じゃなきゃ駄目なんです」
シンドルフ侯爵はルチアの顔を穴が開くほど見つめ、ガックリと肩を落とす。自分の娘だからわかる。ぶれない視線とその輝く瞳の中には、絶対に我を通す時の意思の強さが現れていたから。
「ちなみに聞くが、雷靂将軍とは面識があるとか、婚約の約束をしているとか……は?」
「全くありません!」
「だよね。そうじゃなきゃおかしいよね。いくらうちの領地がプラタニアと近いからと言って、交流はないもの。それで、ルチアは会ったこともない雷靂将軍と結婚したい……と」
シンドルフ侯爵は頭を抱えてしまう。
王族からの縁談も断らなければならないうえに、ほぼ敵国とも言える隣国の軍人に縁談をもちかけないといけないのだから、そりゃ頭痛もするだろう。なんなら、ストレスで吐き気も止まらないくらいだ。
そんなシンドルフ侯爵の悩みを解決するべく、ルチアはニッコリと笑って口を開いた。
「お父様、とりあえず熟考中として、返事をなるべく延ばしてください。それくらいならば問題はないですよね?」
「それはまぁ、もちろん。しかし、半年以上とか延ばすのは無理だよ?頑張ってニヶ月……ニヶ月半くらいだ」
「はい。とりあえず、ノイアー・エムナール様に早急に釣書を送ってくださいませ。あちらが乗り気になってさえくだされば、国王様は丸め込んでみせますから」
「丸め込むって、おまえ……。第一、釣書を送るのはいいが、ルチアが選ばれるとは限らないだろう。いや、おまえほど美しい娘はいないとお父様は思っているよ。しかし、人には好みというものがあるからね」
「大丈夫です。釣書には、王太子の婚約者候補と記載してください。婚約の打診はあったのですから、間違いではないですよね」
「おまえ、そんなことを書いたら……」
「それで大丈夫です。いけます!」
ルチアは、前回までの記憶を思い返していた。
ゴールドフロントは土地は痩せて農作物の育成には向いていなかったが、海に開けていた為、貿易路としての港を保有し、また塩の製造工程の特許と専売権を持っていた為、かなり裕福な国といって良かった。片やプラタニアは、後方を険しい山脈と死の砂漠に閉ざされ、国に必要な食糧の半数、特に塩は十割、主食の小麦は八割方をゴールドフロント経由の輸入に頼っていた。軍事力に優れていたプラタニアが、ゴールドフロントに戦争を仕掛けられなかったのは、命の綱と言える食糧を押さえられていたからだ。
貿易路さえ確保できれば……そう考えたプラタニアは、死の砂漠の制圧に乗り出した。その気候と地形の劣悪さはもちろん、死の砂漠を神聖化し多民族の侵入を排除しようとするエネルの民との間に繰り返し戦争が起こった。
その戦争は均衡状態にあり、死の砂漠の制圧は難しいものに思われていた。
そう、ノイアー・エムナールが現れるまでは。
彼の偉業により、最近ではその均衡が崩れ……、そして一年後には死の砂漠が制圧されるのは決定している未来だから。
プラタニアにとって、今は死の砂漠制圧に力を注ぎたい時期。できる限りゴールドフロントには煩わされたくない筈なのだ。
「ゴールドフロント王国王太子の婚約者候補」という付加価値をつけることにより、プラタニア側にルチアが外交を行う上で価値がある存在だと思ってもらえる可能性が高い。それが人質的な意味合い(実際には切り捨てられるだろうけど)だとしても。
それに、ゴールドフロントからしても、プラタニアの死の砂漠への進軍状況が気になって仕方がなく、場合によっては今までの態度を百八十度方向転換し、友好関係を築く必要があると考えているだろう。
前回の人生でも、プラタニアが死の砂漠を制圧したと公表してすぐに、アレキサンダーと共に親善大使としてプラタニアに派遣されたことからも、ゴールドフロントは彼の国の動向に敏感なのがわかる。
まだプラタニアが死の砂漠を制圧していない今だからこそ、ルチアが両国にとって使い勝手の良い駒と思ってもらえる最大のチャンスなのだ。
「わかったよ。すぐに手配しよう」
シンドルフ侯爵は胃に手を当てながら、私の肩を叩いて部屋から出て行った。
ドアが閉まって部屋にルチアだけになると、壁際に控えていたルチアの侍女が前に出て口を開いた。
「お嬢様、いくら王太子殿下と結婚したくないからと言って、雷靂将軍に求婚するふりをするなんて」
彼女はルチアの乳母の娘で、今はルチアの専属侍女をしているが、小さい時に一緒に乳母に育てられたせいか、ルチアにとっては本当の兄弟よりも近しい存在である。
「あらアン、ふりじゃないわよ。本当にお嫁に行きたいの」
「は?冗談では?」
「ないわね」
三回も死に戻っており、毎回雷靂将軍に殺されているから、殺されない為にお嫁に行くんだ……などと言える訳がない。信じてもらえないからではなく、アンならばルチアの話を信じた上で、三回もルチアを守れなかったのかと、自分を責めるだろうからだ。
一回目、二回目の人生において、アンはルチアについて王城に上がることはできなかった。平民の彼女は、いくら侯爵邸で侍女をしていたという前歴があっても、王城勤務は許されなかったからだ。きっとアンがルチアについていれば、アレキサンダーに盾にされるのを防いだことだろう。三回目は、アンはルチアを庇おうとして一緒に弓に射られた。
つまり、一緒に死んだのだ。
ルチアはそのことを思い出し、アンにギュッと抱きついた。
「お嬢様?」
アンは意味もわからなかっただろうが、抱きついてくるルチアの背中をポンポンと叩く。
「あのね、エムナール大将様とは会ったことはないけど、私は彼と絶対に結婚しなきゃいけないの」
「絶対……ですか?」
「うん。絶対!」
「……わからないけどわかりました。いつか、ちゃんと話してくださいね」
見た目儚げで気弱そうなイメージのあるルチアだが、実は頑固で図太い性格をしており、こうと決めたことはへこたれずに努力する頑張り屋な一面があることをアンは知っていた。ルチアが話さないと決めたら話さないだろうし、絶対!と言ったら必ずやり遂げるだろう。アンはルチアを信じ、そしてルチアが嫁入りする時には、一緒にプラタニアに行こうと決意する。
「お嬢様は、雷靂将軍の容姿はご存知ですか?とても恐ろしい方だと聞きますが」
一回目に見た時は、顔を半分隠すような兜をかぶっていた。でも、二回目は素のままだったことを思い出す。どちらも、自分に向かって大剣を振り下ろす殺気溢れる表情だったが。
「そうね……私も噂で聞くくらいよ。頬に雷のような傷があって、瞳は美しい濃紺だったかしら。髪の色は艷やかな黒ね。身長はとても高くて、たくましい身体つきをなさっていた……って聞いたことがあるわ」
以前に見たままを口にしてしまい、ルチアは慌てて「噂よ、噂」と付け加える。
「鬼のように恐ろしい顔をなさっているとか?牙が生えていたとかいう話も聞きましたが。お嬢様は怖くないのですか?」
「アハハ、同じ人間じゃないの。それに、顔立ちだけ言えば整っている方なんじゃないかな。あ、……希望よ、希望。でも、鬼瓦みたいな顔だったとしても、アレキサンダー殿下と結婚するよりはいいわ」
「まぁ、確かにそうかもしれませんね」
見た目は美男子のアレキサンダーだが、彼の評価は驚く程低かった。ちなみに、全ゴールドフロント国民の総評も同じくである。