第15話戦勝祝賀パーティー
「これが私?」
(……なんて思わないよ。腐っても侯爵令嬢だったし、着飾ることも多かったからね。ただ、ここまできちんとお化粧をして、ドレスアップした姿をノイアーに見せたことはないから、彼がどんな反応をするか楽しみではある。まぁ、ノイアーも綺麗に着飾った令嬢なんて見飽きるくらい見ているだろうから、きっと反応らしい反応なんてないんだろうな)
ルチアは鏡に自分の姿を映して、真っ正面から見てニッコリ笑ってみたり、斜めを向いておすまししてみたり、一周回って後ろ姿を確認したりしてみた。
好きな人に良く見られたい女心だ。前世で結婚していたアレキサンダーには一度も感じたことのない感情である。
(ボレロを脱いでみたら、少しは女らしく……いや、止めとこ。貧相さが前面に出ちゃう)
ボレロを肩から落としてみて、あまりの残念さ(どこがとは言いたくない!)に、ルチアは自分の身体のある部分(お胸よ!お胸!悪かったわね、平たくて)から目をそらす。
扉がノックされ、ルチアが「どうぞ」と返事をすると、扉が開いて礼装用の軍服を着たノイアーが現れた。そのあまりのカッコ良さに、ルチアはポーッとなってノイアーを見つめてしまった。
いつもは洗いざらしの黒髪は後ろに撫でつけられ、形の良いおでこが見えていた。右頬にある傷痕さえ男らしさを上げており、濃紺色の瞳はさらに深く煌めいている。この瞳を直視できるのは自分だけと思うと、ゾクゾクとした喜びがこみ上げてくる。
逞しい体格と高い身長は軍服を完璧に着こなし、沢山つけられた勲章はノイアーが貰った勲章のほんの一部に違いない。
(控え目に言って、私の婚約者最高で最強!)
ルチアがノイアーに見惚れていたその時、ノイアーもまた着飾ったルチアを見て息をするのも忘れるくらい目を奪われていた。
まず、結い上げられたその美しいプラチナブロンドの髪と、後れ毛がかかる細い首元から華奢な肩のラインに目が惹きつけられた。さらに、振り向いたルチアの大きな目は一層大きく見えて目の周りがキラキラ光り、淡いピンク色の頬は上気したように艶っぽく、濡れたように輝く唇はノイアーの視線を釘付けにした。そして、はだけられたボレロから覗く胸元は……。
ノイアーは慌てて視線をそらし、ルチアの側に大股で歩み寄ると、肩から落とされたボレロをルチアに着せて、しっかりとボタンを上まで留めた。
「そこまで留めたら、可愛さ半減だわ」
「大丈夫だ。ルチアは十分可愛いから」
ノイアーに口説いている自覚はなく、ただ正直に思ったことを口にしただけなのだが、それを聞いたルチアは嬉しさと恥ずかしさで身体がカッと熱くなる。
見た目と中身にギャップのあるルチアは、儚げな見た目から勝手にイメージが先行して褒めそやされることが多かった。大袈裟な言い回しで容姿を褒められたり、それ誰のこと?というくらいお淑やかな令嬢扱いされたり。一応にこやかに「そんなことありませんわ、おほほほほ」などと返す外面は持ち合わせていたが、「この人、私の何を見てるんだろう。目、腐ってるんじゃないの」と、内心では悪態をついていたりした。
そんなルチアだったから、つい素直に出てしまったというような褒め言葉に、心を撃ち抜かれてしまったのだ。
「ノイアーも凄く格好良い。いつもの軍服もいいけど、礼装バージョンも素敵だわ」
「そうか。なんか、頭も弄られて落ち着かないがな」
「その髪型もいいと思う。顔がすっきりと見えてて、私は好きだな」
ルチアは手を伸ばしてノイアーの髪を触ろうとし、全然届かずに背伸びをした。そんなルチアを見て、ノイアーは腰を屈めて頭を差し出してくれる。
「あ、パリパリ。固めてるんだ」
ノイアーの顔が近くまで来て、ルチアは思わずチュッとその頬にキスをした。
(お帰りなさいの挨拶がまだだったからね。……って、頬に口紅ついちゃった)
口紅のついてしまったノイアーの頬をゴシゴシ指で擦っていると、ノイアーがルチアを抱きしめた。少し苦しいくらいだったが、それも嬉しくてルチアもノイアーにしがみつく。
「手紙、全部読んだ。この十ヶ月のルチアが知れて良かった」
「あ、私もノイアーからの手紙見たいな」
「ああ、後でまとめて読んでくれ。ルチアの手紙に比べると、大したことは書いていないが」
ノイアーもルチアの額にキスをくれる。
「甘い……甘いな、君達。ノイアー、僕の存在をすっかり忘れているだろ」
開いた扉の向こうから声がし、見ると正装姿のサミュエルが立っていた。どうやら二人でルチアの控え室まで来たようだった。
「サミュエル第二王子殿下、素敵なドレスをありがとうございました」
ルチアはノイアーから離れると、ドレスの裾をつまんで礼をとる。
「いや、君達の恋文を隠匿していたお詫びだから気にしないで」
(恋文……、どちらかというと日記のような内容だった気もするけど、ドレスのプレゼントを気にするなと言うなら、気にしませんとも)
「ちなみに、私からの手紙は検閲されたんですよね?」
「うん、ごめんね。ノイアーが読む前に読んじゃって。君が思っていたよりも食いしんぼだということがよくわかったよ」
クスクス笑うサミュエルに、ルチアはムッとしたようにそっぽを向く。食べ物ネタが多かったことは認めるが、伯爵邸でよくしてもらっていることを伝えたかったのもあったのだ。
「今度、王城のパティシエ渾身のスィーツを届けさせるから、機嫌をなおして欲しいな」
「ノイアーが食べられる、甘さ控えめのスィーツもお願いしますね」
「ノイアーがスィーツ……、了解だ」
サミュエルの中で、ノイアーほどスィーツと対極にある人間はいなかった。ノイアーがケーキにフォークを刺しているところを想像するだけで、笑いが込み上げそうになり、口元に手をやり笑いの発作を堪えた。
ノイアーはそんなサミュエルを横目で睨むと、ルチアの手を自分の腕にかけさせた。
「戦勝祝賀パーティーが始まる。行こうか」
(今夜のパーティーが、ノイアーの婚約者としての初披露だ!)
ルチアは気合いを入れて控え室を出た。
★★★
プラタニア王国とゴールドフロント王国は、砂漠と山脈、海により他国からは隔離された環境にある隣り合う国であった。
しかし、他国との交流のあったゴールドフロントと、鎖国をしていた訳ではないが他国の文化の入りにくかったプラタニアでは、思想や文化に違いがあるのは当たり前といえよう。また、ゴールドフロントは常にプラタニアを格下に見ていた風潮があり、プラタニアはそれを忌々しく思っていた為、お互いに対する感情は友好的とは言い難かった。
それでも、今回の戦の英雄と称されるノイアーと一緒に会場入りすれば、人々は愛想良くルチアにも挨拶をしてきた。
「エムナール伯爵、あなたはプラタニアの英雄ですな」
「全くです!ぜひ、伯爵の戦争での御英姿をお聞かせ願いたい」
「エネルの頭領と決戦をなさったそうですが、さすが雷靂将軍の名前に違わず、一撃で仕留めたそうですな」
ノイアーと懇意になろうとした貴族達は、ノイアーから溢れ出る覇気に顔色を悪くしつつも、周りに集まり戦争の話を聞きたがり、ノイアーは言葉数は少ないが、一人一人と言葉を交わしていた。
「皆様、そんなに周りに集まって質問攻めでは、ノイアーが疲れてしまいましてよ」
ノイアーを囲んでいた貴族達が一斉に道を開け、とある貴婦人が貴族達により出来た花道を悠然と歩いて来た。
「ノイアー、本当に今回の戦はご苦労様でした」
「王妃殿下」
貴族達が礼をとる中、悠然と微笑むのはプラタニア王国のアンブローズ王妃だった。その後ろには、ライザ第一王女と年若い令嬢達が付き従っていた。
「ルチア・シンドルフさんでしたかしら?お話をするのは初めてね」
「ルチア・シンドルフでございます。王妃殿下におかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます」
ルチアが淑女の礼をとると、周りのおじさん貴族達から「ほー」と感嘆の息が漏れた。ルチアはあと数カ月で十八歳なのだが、見た目が幼く見えるせいで、小さいのに偉いね的なお父さん目線で見られているようだ。
そんな中、アンブローズ王妃がルチアに近寄り、その手を取って礼を解かせた。
(「この戦争の立役者であるノイアーと王族が近しい存在であると、周りに知らしめないといけないの。侯爵令嬢であるあなたならわかってくれるわね」)
扇子で口を覆ったアンブローズ王妃は、ルチアにだけ聞こえるような小声で囁くと、扇子を閉じてニッコリと微笑んだ。
「まあ!本当に可愛らしい婚約者ね。ノイアー、彼女はまだプラタニアの社交界には馴染みがないでしょう?女性には女性の社交が必要ですからね、私が間を取り持って差し上げましょう。ライザ、ルチアさんを案内している間、あなたがノイアーの相手をしていなさい」
「かしこまりました、お母様」
「ノイアー、しばらくの間、この子を頼みますよ。あなたがいれば護衛もいらないわね。さ、ルチアさん。参りましょう」
まだお願いするとも何も答えていないのに、貴族令嬢達に囲まれたルチアは、ノイアーから離されてしまう。ルチアを引き留めようとしたノイアーも、ライザに腕を取られてしまえば、王女を突き放すこともできないし、護衛まで撤収された状態の王女を放置することもできず、ルチアを追うことはできなかった。
ルチアが連れてこられたのは、パーティーの開かれる大会場でも、貴族夫人達が集まるサロンでもなく、会場から離れた廊下の一角だった。アンブローズ王妃は護衛だけを残し、貴族令嬢達に会場に戻るように指示した。
「さて、ルチアさん。あなたとはゆっくりお話がしたいのだけれど、この大事なパーティーで、王妃である私が長い時間中座もできませんから、要件だけお伝えしますね。あなたには、ゴールドフロントにお帰り願いたいの」
「え?」
「ゴールドフロントはすでにプラタニアの脅威ではありませんし、あなたをノイアーが娶るメリットはございません。ノイアーには王族の広告塔になって欲しいのです。他国を牽制する為にも、プラタニアにはノイアーが必要なんです。それに王女にも、ノイアーは特別な相手のようなので。私の言っている意味、わかりますわね」
(つまり、ライザ第一王女とノイアーを結婚させたいってことよね?)
「私とノイアーの婚約は受理された筈です。先ほどの式典で公表されましたよね」
アンブローズ王妃は、扇子を開いて口元を隠し、冷たい視線をルチアに向けて来た。
「そんなの、なんとでもなります。それに、かたくなに縁談を断っていたライザが、ノイアー相手ならば嫁いでも良いと言っているんです。あの子は気も弱く、他国に嫁がせるのは心配でした。かと言って、降嫁させられる高位貴族で年頃の合う令息もいなかったのです。今のノイアーならば、ライザの降嫁先としても十分ですから」
アンブローズ王妃は、護衛の一人にルチアを会場に案内するように命じると、話は終わったとばかりに背中を向けて歩き出した。
「お待ち下さい。失礼ながら申し上げます。ノイアーが私との婚約破棄を受け入れるとは思いません。それに、気の弱いライザ様が、ノイアーの覇気に耐えて結婚生活を送れるとお思いですか?」
アンブローズ王妃は立ち止まり、振り返ることなく言った。
「ノイアーはプラタニアの貴族で軍人です。彼が国の為にどうするべきかを見誤るような人間ではないと、私は長い付き合いから知ってます。それに、畏眼を直視することがなければ、あの覇気に飲まれることはありません。ノイアーも感情が昂ることさえなければ、覇気をコントロールできるでしょうから、何も問題はありません」
(いやいや、問題ありまくりだから!第一、目を合わせない結婚生活ってなんなのよ)




