第14話遠征からの帰還
ノイアーが死の砂漠へ遠征に出てから十ヶ月、真夏の砂漠はさぞかし灼熱地獄に違いないと思いながら、ルチアはアイスクリームを頬張っていた。
もちろん、ノイアーの無事を毎日祈っていたし、屋敷に電報が届けば、ノイアーに何かあったんじゃないかとドキドキした。でも、前世の通りならば、プラタニア王国の勝利は間違いないし、ゴールドフロントの王太子妃として戦後会ったノイアーに怪我をした様子はなかったから、今回だって絶対に無事な筈だと、毎日自分に言い聞かせていた。
十ヶ月前のノイアー帰還時、すでに砂漠の民エネルの主要戦力は叩いており、エネルの首領を捕まえるだけになっていた。しかし、土地を知り尽くした彼らは、プラタニア軍に奇襲をかけつつ逃げ回り、ジリジリとプラタニア軍の戦力を削り、こんなに長い時間かかってしまっていた。
それでももうすぐ終戦する筈なんだけど……と思っていた頃、屋敷に王城から使いがやって来た。
「お嬢様、お呼び出しです」
プラタニア王家の蝋封をされた封筒を持ったアンが、アイスクリームを口に頬張った直後のルチアのところに小走りでやってきた。
「はんて(なんて)?」
「開けますよ」
ペーパーナイフで封を切ると、アンは中に入っていた手紙をルチアに差し出した。
手紙を読むと、ルチアは持っていたスプーンを投げ出していきなり部屋着を脱ぎだした。
「はあ!?今日ですって?」
「お嬢様、何を」
「支度して。王城へ出かけるわ。ノイアーが帰って来るの!」
手紙は、戦争の勝利を知らせると同時に、兵達の帰還式典、祝賀パーティーの招待状でもあった。
しかも、戦争に勝ったのは一週間も前で、兵達は凱旋パレードをしながら各街々で慰労を受けながら帰還していた為に、王都につくのに時間がかかり、彼らが王都につくのは今日であると記されていたのだ。
バタバタと支度をし、王城へ馬車を走らせた。王城につくと、すでに兵士達は王城入りしていたようで、彼らは王城前広場にズラリと並んでいた。その後ろには、帰還を喜ぶ兵士達の家族がいて、ルチアもそこに案内された。
ノイアーを探したが、目の前の兵士達が大き過ぎて、前の方まで見えない。背伸びをしても見えなくて、右に左に前を覗ける隙間がないか身体を揺らす。
しばらくすると、楽団の演奏と共に王城バルコニーに王と王妃、王太子や王族達が現れた。そして最後にノイアーが国王に手招きされ、王と王妃の間に立った。帰還式典とやらが始まったのだ。
久し振りに見たノイアーは、日焼けした浅黒い肌に白い儀礼用の軍服が映え、男らしさがさらに増していた。歩いて出て来た様子を見る限り、大きな怪我がなさそうで、ルチアはホッと安堵する。しかし、少し痩せただろうか?より精悍になった顔つきに、ルチアはときめきながらも心配になった。
国王夫妻が現れたからか、ノイアーが現れたからか、さっきまで騒がしかった庭園が静まり返り、楽団の音色が響き渡った。
音楽が止まり、国王が朗々と戦の勝利を語り出す。
「勇敢なプラタニア軍の兵士達、また大切な家族や恋人を戦に送り出したプラタニア国民よ、宿願だった死の砂漠制覇は達成された。ここにいる兵士達の働きに感謝し、……中略……、また、この戦の最大なる功労者であるノイアー・エムナール伯爵に褒賞として望む物を与えよう。もちろん、褒賞金とは別にだ。爵位か?領地か?さらには王女でも良いぞ」
(王女?いやいや、ノイアーは私と婚約するんだし!)
ちょっと待った!と叫びたい気持ちを抑えて、やきもきしながらバルコニーを見上げた。
「恐れながら申し上げます。私が求める物は何もございません。私が賜る褒賞は、全て兵士やその家族に還元ください」
ノイアーが国王の前に跪き、声をはった訳でもないのに、ノイアーの声が庭園に響いた。
「ふむ、なんとも欲がないな。ではやはり名誉として……」
「お待ち下さい、父上」
サミュエル第二王子が一歩前に進み出た。
「サミュエル、どうした」
「実は、エムナール伯爵から遠征前に預かっていた書類がありまして、この遠征が終わったら受理することになっていました」
サミュエルが国王に一枚の書類を差し出すと、国王はそれを受け取って渋い顔になる。
「しかしだな……、これは今となってはなんの価値も……」
「ノイアー、これを受理するんでいいんだよね」
「無論だ」
バルコニーまで遠くて、サミュエルが何かをヒラヒラ持っているのはわかったが、それが何かはわからなかった。しかし、話の内容から察するにあれは……。
「ここにノイアー・エムナール伯爵と、ルチア・シンドルフ嬢の婚約を正式に受理する」
サミュエルが宣言し、兵士達からどよめきが起こる。
そんな中、こんなに大勢の兵士や民衆がいる中で、ノイアーと視線が合った気がした。いや、確実に合ってるよね?
「ルチア・シンドルフ様でよろしいでしょうか?」
後ろから声をかけられて、ノイアーから視線が外れた。振り向くと侍従が立っており、サミュエル第二王子が呼んでいるので来て欲しいと言われた。これから兵士達への褒賞授与に移るらしいが、そんなものを最後まで見たい訳ではないので、ルチアは侍従の後について行き、庭園を離れた。
★★★
「こちらでお待ち下さい」
ルチアが通されたのは、王城の中のサロンの一つだろう。ゴールドフロントの綺羅びやかなサロンなどに比べれば、質素な内装ではあるが、一つ一つの調度品は厳選されており、丁寧に管理されていることを見てとれた。
ルチアが壁にかけられた絵画を見ていると、扉が開いてサミュエルとノイアーが現れた。
「ノイアー!」
ルチアがノイアーに走り寄り飛びつくと、ノイアーは軽々とルチアを抱き上げた。
「ノイアー、抱きしめるのならばわかるが、その抱き上げ方はどうなんだよ」
サミュエルは苦笑して抱き合うルチア達を見る。確かに子供抱きではあるが、身長差があるのだからしょうがないではないか。
「今日戻って来るなんて知らなかった……というか、一週間も前に勝利してたのすら知らなかったんですけど」
「手紙を出したが」
「手紙?手紙なんか、この十ヶ月、一回ももらってないわよ。私はいっぱい出したけど」
ノイアーはルチアを下ろすと、サミュエルへ鋭い視線を向けた。
「ごめん、悪かったから、そんなに殺気をこめて見ないでくれよ」
「出せ」
「はいはい。ほら、軍の機密とかもあったし、ルチアちゃんへの手紙は渡せなかったんだよ」
「じゃあ、ルチアからの手紙は」
「それもさ、ルチアちゃんからの手紙だけ届けたら、話が噛み合わなくなるだろ。ルチアちゃんに手紙が届いてないってなって、ノイアーに戦線離脱されても困るしさ」
サミュエルは冷や汗をかきながら、小脇に抱えていた封筒をノイアーに手渡す。どうやら、その中に二人の手紙が入っているようだ。
「お詫びにね、今晩の祝賀パーティーに着るルチアちゃんのドレスを用意したから。ほら、二人が婚約者として初めてお披露目になる訳じゃん。ちょっと気張ってみた」
サミュエルが手を叩くと、ドレスを着せたトルソーを侍従達が数人がかりで運んで来た。
「これ、私が着るんですか?」
色味は良いと思う。濃紺はノイアーの瞳の色だし、胸元にはルチアの髪色の白金の刺繍が入り、全体的にブラックダイヤモンドが散りばめられていた。ノイアーとルチアの色を使うことで、二人は婚約者同士だと問題は、それがビスチェタイプのミニワンピースで、肩や胸元が丸出しなのだ。もちろん足も。
ノイアーもそれを見て険しい顔になる。
「サミュエル……」
第二王子を呼び捨てにしたばかりか、その畏眼からだけではなく、全身から溢れ出る殺気で、部屋の温度が氷点下まで下がったかのような寒気に襲われた。さすがのルチアも、ノイアーの殺気に身体がカタカタと震える。
「いや、ノイアー、落ち着いて!ほら、このドレスの上からね、このチュールスカートを履くんだよ。足は少しは透けて見えるけど、これなら足も隠れて可愛いだろ?ルチアちゃんにお似合いだと思わないか?」
「あ、可愛い」
確かに、ただのお色気タップリのミニワンピから、可愛いドレスには変化したけれど、いまだに上半身の露出は多い。
(私が着ると、胸元がスカスカして中身が全部見えちゃいそうだけど)
「さらにはこれ!この半袖ボレロも今ならおまけでつけちゃうよ」
叩き売りの商人かなと思ったら、第二王子だった。
「あ、無茶苦茶可愛い」
ドレスと同じ布地のボレロは襟から裾にかけて白金の糸で刺繍がされており、派手過ぎず上品な上着になっていた。
「何故ワンセットまとめて見せない」
「いやぁ、ノイアーが意外と独占欲強めだってわかって楽しかったよ。パーティードレスなんか、胸元ポロリ、スリット深めで生足披露なんてザラじゃないか」
確かにポロリしそうなくらい胸元が開いたドレスを着ている女性は多いが、実際にポロリしている女性はいない。それに大人の女性はスカート長めがマストだから、スリットを深く入れて足のチラ見えが最近の流行りのようだ。ルチアには似合わないドレスであるが。
「出したいやつは出せばいい。ルチアは駄目だ」
「お父さんかな?」
「うるさい」
「ルチアちゃん、いいの?口うるさい親父が婚約者で。しかも、見た目も恐いし」
サミュエルはノイアーにからみながら、ルチアに「今ならまだ婚約もなしにできるよ」と囁く。
「いや、私も露出多めは苦手なんで。というか似合わないし。それに、ノイアーは親父でもなければ、見た目は誰よりも格好良いじゃないですか」
ノイアーは目を見開き、サミュエルは驚愕して一歩下がった。
(いや、そこまで驚くこと言ったかな?)
「え?本気?ルチアちゃんには、ノイアーが格好良く見えているの?ちなみに僕より?」
「もちろん」
ルチアはサミュエルとノイアーを見比べる。サミュエルは百人中百人が美男子だと言う容姿をしており、細マッチョの身体のせいか全体的なバランスもパーフェクトだった。雰囲気イケメン(ただ細いだけだし、シークレットブーツで足の長さを誤魔化している)アレキサンダーとは雲泥の差だ。しかし、そんなサミュエルさえ、ルチアから見ればノイアーより格好良いとは思えなかった。
多分、それが表情に表れていたのだろう。サミュエルは怒るでもなく面白そうな表情に変わった。
「そっかぁ、やっぱりルチアちゃん面白いなぁ」
サミュエルが指をパチンと鳴らすと、侍女達が部屋にワラワラと入ってきた。
「じゃあ、ルチアちゃんは祝賀パーティーの準備ね。ノイアーは、ちょっと僕と時間潰そうか」
久し振りに会ったノイアーと、再会を喜ぶ間もなく、ルチアはドレスアップの為に侍女に拉致された。




