第10話王族とのお茶会1
「ね、このドレスで大丈夫でした?」
ルチアは馬上にいた。真っ黒のひときわ大きな馬はノイアーの愛馬で、いつもとは違う二人乗りの鞍をつけられ、前にはドレス姿で横乗りしたルチアを、その後ろには軍服を着たノイアーを乗せて、王城までの道を悠然と歩いている。
時刻はお昼過ぎ。プラタニアの第二王子とルチアの初顔合わせの為、ルチア達は王室のお茶会に招待されており、ノイアーはルチアを迎えにわざわざ屋敷まで戻って来ていた。
通常、仕事に行く時にノイアーは馬を使う。馬車よりも気楽に移動できるし、有事に備えて愛馬と常に行動を共にする必要もあった。愛馬に乗って一時帰宅したノイアーは、最初はもちろんルチアの為に馬車を用意していた。しかし、馬に乗るノイアーを見て、ルチアも乗馬をしてみたいと言ったのだ。
乗馬未経験のルチアに、王城でのお茶会の時間が迫っている中、乗馬を教えている時間もなく、ノイアーは折衷案として二人乗りを提案した。ノイアーと二人乗りをするくらいならば馬車に乗る……と返事をされると期待して言ったのだが、ルチアは嬉々として二人乗りを選んだ。
濃紺のドレスを着て、雷靂将軍と同じ馬に乗る少女。夕方の新聞には、きっとルチアが一面に載ることだろう。
ルチアを見ようと、窓から乗り出して落ちそうになる少年や、ルチアの噂話に夢中の母親、そのせいで迷子になって泣き出す幼児などなど、王城までの道はルチアフィーバーが起きていた。畏怖の対象であるノイアーが、妖精のように愛らしい少女を連れているというだけでも一大事なのに、その少女は恐怖で泣き叫んだり失神したりすることなく、楽しそうな笑顔をノイアーに向け、馬に二人乗りをしているのだから、そりゃ大騒ぎにもなるというものだ。
「何も問題ない」
「本当?ノイアーと並ぶなら、もう少し大人っぽい方がいいんだけど。こんなにスカートが広がっていたら、子供っぽく見えないかしら?」
「ドレスのことはわからない」
十六は十分に子供だろうと思うが、ルチアが膨れることがわかっているので、ノイアーは口を閉じておく。
あの晩から、ルチアはちょいちょい夜中にノイアーの部屋を突撃していた。夜這い……ではなくて、純粋にお喋りの為だ。お酒しかなかったノイアーの部屋には果実水が常備されるようになり、ノイアーが食べないお菓子の類まで、テーブルに置かれるようになった。
大抵は楽しくお喋りするルチアだが、ノイアーがルチアを子供扱いする時だけ、プーッと膨れてしばらく話さなくなるのだ。「怒ったのか?」と聞くと「怒ってない!」とだけは返事がくるが、明らかに不機嫌になる。
ルチアからしたら、子供扱いされると、ノイアーとの距離を感じるから嫌なのだ。けれど、そんなことを言うのも子供っぽく感じ、とりあえずクールダウンしているつもりなのだが、頬に出てしまうのだ。プクッと。
「色はいいんじゃないか」
「色?……うふふ、いい色ですよね」
ルチアの眉がピクッと動き、そしてプクッとしていた頬が萎み、エクボが浮かぶ。
ルチア的には、わざわざノイアーの瞳の色に合わせたドレスを選んで、あなた色に染まってますアピールをしていた。それに気がついてくれたのかと思ってご機嫌が戻ったのだが、ノイアーからしたら、ただ単に貴族子女達が着るキラキラした色合いが苦手だっただけだ。多分、黒でも茶色でもなんでも、落ち着いた色味であれば色を褒めたに違いない。
「ねえ、ノイアー。凄く良い匂いがするんですけど」
お昼ご飯はしっかりと食べてきたルチアであったが、街に漂う色んな屋台の香りに、ツンと尖った愛らしい鼻をひくつかせた。
「ああ、屋台が出ているからな。もう昼飯の時間は終わったが、これから夕飯の買い出しに来る客の為に、調理を始めているんだろう」
「へぇ……」
顔に「食べてみたい!」と書いてあったに違いない。ノイアーは一軒の屋台の前で馬を停めた。屋台の店主が椅子から転がり落ち、青褪めた顔で後退る。
「店主、串を一本。肉は外して食べやすくしてくれ」
「すみません、すみません、すみません。きちんと営業許可は申請しております。悪いことは一切しておりません!命ばかりは……」
店主はいきなり現れたノイアーに怯え、パニックに陥ってしまったようだ。
「ノイアー、串焼きを買ってくれるんですか?」
「ドレスを汚さずに食えるのならな」
「まあ!この色なら多少タレがついてもわからないわ。おじさん、串焼きをくださいな。ノイアー、串のまま食べたら駄目?」
「馬上は揺れる。串が刺さったら危ないだろ。それと、串で顔が汚れる」
子供扱い……と思わなくもないが、ノイアーの言うこともわかるので、ルチアは店主に肉は串から外してもらうように頼んだ。店主も、話しかけて来たのがルチアだとなると、青褪めた顔はそのままに、言われるままに串焼きの肉を袋に詰めてルチアに差し出した。
「代金はエムナール伯爵邸に取りに来てくれ」
「と……とんでもないです。それは差し上げます」
「おじさん、また買いに来たいからちゃんと請求してください。次は違うのも食べたいし」
買い食いする貴族令嬢なんかいないのだろう、ルチアの言葉に店主は目を丸くさせていたが、慌てて貝の串焼きを袋に詰めると馬上のルチアに差し出した。
「では、こちらはサービスで。肉串のお代は取りに伺います」
ノイアーが連れている令嬢が誰かはわからないが、皆が注目している令嬢が、わざわざ自分の屋台に次も来てくれたら、それだけで宣伝効果大だと店主は頭の中でソロバンを弾いたのだ。
パニックになっていても商魂逞しい店主に、ルチアはニッコリと笑いかけた。
「ありがとう、いただくわ。ノイアー、こんなに貰っちゃった。プラタニアの人はいい人が多いわね」
それから、馬上でご機嫌そうにお肉を頬張るルチアが人々に目撃された。また、そんなルチアが餌付けするようにノイアーの口元にお肉を持っていき、それを食べるノイアーの姿に、皆が我が目を疑って二度見したのだった。
★★★
「ルチアちゃん、可愛いねぇ」
ルチアの目の前には、金髪の麗しい美青年が笑顔を浮かべて座っていた。プラタニアの王族特有の空色の瞳は、ルチアのことを観察するようにジッと見ていて、少し垂れ目の目尻は一見微笑んでいるように見えるが、作られた笑顔であることは明らかだ。そして、その横には青年にそっくりな美女が座っている。ただ、性格はきっと真逆なんだろうなというのが、その笑顔を見てもわかった。
腹に一物どころか二物も三物もありそうな美青年は、プラタニアのサミュエル第二王子で、気の弱そうな笑顔を浮かべているのがライザ第一王女である。
そう、彼女こそゴールドフロントとプラタニアの戦争の引き金(悪いのはアレキサンダーだけれどね)になった王女だ。前に見た時(前々の人生ね)と、全く変わらない。
光り輝く腰まである金髪は男達の注意を惹き、その抜群のプロポーションに男達の視線は釘付けになる。これで気が強く高飛車な性格ならば、男達は憧れを持って見ているだけなんだろうが、オドオドとした気の弱そうな態度に、男達は付け入る隙を見つけてしまうのだ。彼女が王女じゃなければ、簡単に男達の餌食になっていたことだろう。
「サミュエル殿下、そんなにマジマジと見るな」
「いいじゃん。ルチアちゃんだって気にしてなさそうだし」
気にしてなくはない。ただ、それ以上にライザのことが気になっただけだ。
前の記憶だと、ライザは男性が苦手で、うまくあしらえなくていつも縮こまっていたイメージがあったが、今日は多少の緊張は見えても、落ち着いているように見えた。兄であるサミュエルが横にいるという安心感もあるのだろうが、ノイアーのことを他の人ほど怖がってはいないようだ。子供の時からの知り合いであるということもあるのだろうが……。
王城の庭園に面したバルコニーに通されたルチア達は、花々の咲き誇る庭園を眺めながら、最初は当たり障りのない会話をしていた。
「そうだ、ルチアちゃんに庭園を案内しよう」
サミュエルが立ち上がってルチアに腕を差し出して来た。ノイアーを見ると、頷いて了承した為、ルチアは立ち上がってその腕に軽く手を乗せた。
「じゃあお嫁ちゃんを借りるよ」
「まだ嫁じゃないと言っている」
「そっか、婚約もこれからだったね。じゃあ、僕の婚約者にしてもいいのか。なるほどなるほど」
「サミュエル」
「冗談だよ、冗談。さ、ルチアちゃん行こうか」
サミュエルにエスコートされ、ルチアは王城の庭園に下りた。しばらく歩くと薔薇園にたどり着いた。
「凄いですね」
「うちの母の趣味でね。なんなら、後で花束にしてあげるよ」
「あ、大丈夫です(食用だとしても薔薇じゃお腹いっぱいにならないので)」
「そう?」
サミュエルは、薔薇の庭園が見渡せるベンチにルチアを連れて行くと、ベンチにハンカチを敷いてルチアを座らせた。
「ノイアーに聞いたんだけど、ルチアちゃんはゴールドフロントの王太子との縁談を断りたくて、うちのノイアーに婚約を申し込んだって?」
「はい」
「じゃあ、王太子との婚姻を完璧に阻止できるとしたら、その相手はノイアーじゃなくても良いってことかな?」
「え?それは嫌です」
「嫌って?」
ルチアはとっさに出てしまった言葉に、自分の口を手で押さえた。まだ本人に告白もしていないのに、他人に先に言うのもおかしいだろう。
それに、ノイアーのことが好きだからだなどと言っても、信じてもらえる気がしない。自分だってまだ信じられないくらいなのだから。
(何か理由がないか……変に思われない理由って何?)
「そのままです。エムナール邸の生活が気に入ってますから、他の人とは考えたくない……みたいな?」
「それは、ノイアーを含めてで良いのかな?」
「ノイアー……がいてのエムナール邸ですよね?」
(このくらいならばれない?)
「ふーん、君、おもしろいね」
「はい?」
今まで人一人分の距離をあけて座っていたサミュエルが、距離を半分詰めてきて、ルチアとの間のスペースに手を置いて顔を近寄らせてきた。さっきのノイアーとした乗馬の距離よりは遠いが、その距離の近さにルチアは眉根に皺を寄せてしまう。王族にこの表情はよろしくないとわかるが、嫌なものは嫌なのだ。身体を押し返さないだけ良しとして欲しい。
「なるほど、腹芸はできないタイプらしい」
(腹芸?お腹に絵を描いて踊るやつ?あれって、豊かなお腹の持ち主じゃないと無理じゃない?)
ルチアは自分のお腹に目を向けた。サミュエルは、物事をたくらむ意味での腹芸と、隠語として女性が男を誑かす意味での腹芸をかけて言ったのだが、ルチアは芸としての腹芸を想像していた。




