四話『初めての世界法』
「ねぇねぇ。好きなものってなに?」
「好きなものは……数学です」
「なんと。好きなものが勉強? すっご」
大げさに手を挙げて驚いたみたいな表情をする。
「じゃあ、嫌いなものってなに?」
「嫌いなものは……地学です」
「なんと。嫌いなものが勉強? すっご、くはないか。それ私もだ!」
その気持ちはわかると頷く。
「嫌いなものというより苦手なものだけど。私思うんだ。めちゃくちゃ賢かったら勉強好きになってたんじゃないかって」
真面目な顔でアホなことを言う。
開けた窓に尻を乗っけて足をぷらぷらさせている彼女は、ほぼ毎日通っている弟の部屋でくつろいでいた。
「ちがーう。そういうの聞きたいわけじゃないの」
「どういうことが聞きたいのですか?」
「それはね。ま、いってしまえば、フラムのやりたいことを聞きたいわけよ」
今は彼女の作戦を実行している最中である。
本来のルートでは環境からして臆病にならざるを得なかった彼を素直で物怖じしない子に成長させ、ルートの大幅短縮を狙っているというわけである。ハッピーエンドの道のりに向かってエイリーは燃えていた。いつの間にか君付けもなくなっている。
「僕のしたいことですか」
降ってわいたような姉の無駄な絡みにもイラっとすることもなく、丁寧に受け答えする彼は出会った日とは違って姉の視線を受け止めた。
「僕なんかがこうしていい部屋に住まわせてもらって、家庭教師に教えてもらえている。でも僕は返せるものが何もないので、せめて教えてもらっている勉強はできるようになりたいです」
「え、え……えらーい!」
「エイリー様!?」
一瞬で移動したエイリーは彼の頭を思わず抱きしめる。
「私の弟偉すぎる。もう絶対ハッピーエンドにするからね」
灰色の頭をくしゃくしゃにする。
ただでさえやる気があるのに、もうやる気が天井突破していた。
「こうしちゃいられない私行くわ!」
しすぎていつの間にか移動した彼女は開けた窓に足をかけている。彼女の背中越しに木が見える。ここは二階だ。大人でも大怪我をする可能性のある高さである。
「なにをしに。じゃなくてそこ窓なんですが!?」
振り返ったエイリーはキラッと歯を光らせながら足に力を入れた。
「もちろん。やりたいことのために力をつけに!」
「嘘ですよね!?!? う――って、嘘……」
ぴょんと窓からジャンプした彼女は軽々と木に手をかけて猿さながらに降りていく。
その姿を目撃する彼は、自分の目が信じらずゴシゴシと瞼を拭うのであった。
「うそぉ……」
力をつける。
そう言い残し、執事にも見つからない場所に移動した彼女はいつものように体を鍛えるわけではない。
「魔法を身に着けようのコーナーよ! って静かに静かに」
意気揚々と握り拳を突き上げたエイリーはその手で自分の口を塞ぐ。
伯爵家の中でも有数の歴史と財産を持っている彼女の庭は広い。そこを年がら年中走り回っているエイリーは誰にも見つからないスポットをいくつか確保している。なので、普通にしていれば見つからないだろうが、大声をあげてとなるとひょっとすることもある。
今からすることは、間違いなく悪いことだ。
万が一にも見つかるわけにはいかない。
「魔法か。魔法を使えるのか。魔法使っちゃうのかー」
うっきうきである。
初めてのことに隠し切れない高揚感が噴出していた。
「これぞまさにゲームの世界の醍醐味ってやつよね。名前としては魔法じゃなくて世界法とかいうらしいけど。こういうのはオリジナル性を出さずに魔法でいいと思うのよね。覚えにくいし」
この世界において魔法とは魔物が使うもの。
人が使うのは世界法。
一度思わず魔法と言ってしまって結構ガチ目に怒られたエイリーとしては、どっちも同じ言葉でいいじゃんと考えてしまうのだった。
「さて、世界法を学ぶにあたって必要になるがこれね!」
彼女はノートを取り出す。
パラパラッとめくると下手な絵や日本語が描かれているのが見える。前世の記憶を取り戻してから書き始めた彼女なりの攻略書である。
彼女が開けたページには、タイトルとして魔法と書かれていて、それがバツされて矢印で世界法と修正されている。
次の欄には世界法を学ぶのは十歳かららしいので、年齢が届くまで無理と書かれていた。
エイリーの年齢は八歳だ。後二年間は我慢しなければならない。
「そう、普通の十歳ならね。ふふふ」
怪しげに笑うのは悪の幹部気取りの外見年齢は二桁にもなっていない少女。
「成長するまで体に負担がかかるとかならもちろん駄目だけど、なんか意識的なものらしいし、えっと――世界法とは意識による操作で発動する。そのため、幼い頃から世界法を発動しているとそれを当然という感覚が身についてしまい、考えるだけで発動するようになって危険である。よって、十歳までは世界法を使わず、なってからは声や道具をスイッチとして使うようにする。……教科書そのまま写したけど、要は幼い頃、世界法を使っていると、蛇口がゆるゆるになってあぶなーいということよね!」
大きく頷き、自分の意見に賛成する。
「なんせ私は十八歳。世界法を使わないのが普通なおもしれーと呼ばれることに憧れる一般女性!」
例えばの話と念を押して家庭教師にも聞いてみたところ、子供のもしも話だと微笑みながら確かにそれなら問題ないですねと言われたから自分の説に強い自信を持っている。
この世界の人間はイメージによって世界法が発動してしまう。ということは不意に発動する危険性があるということだ。なので使うときの条件を自ら課すことで、突発的な事故をなくそうとしている。世界法の属性である火や風といった言葉も日常使いせず、色に置き換えて会話しないといけないのだから、エイリーとしてはこのシステムに不便さしか感じていなかった。
何度もこう思った。
――製作者出てこい!
「だから静かにって私。見た目は八歳なんだから合法世界法でも違法世界法と見られちゃう。よし、世界法を使うぞー。私の使える属性は、赤色、緑色、水色、青色」
赤色とは火。緑色とは風。水色とは水。青色とは氷のことである。
七色ある内の四色を実践で使えるだけの才能があるわけだが、それだけの色があるのは割と珍しい部類に入る。父親に頼み込んで、一人だけ早くに属性を調べるテストをやったのだが驚かれた。
「使い方はイメージと言葉。できれば馴染みのある道具。詠唱は必要がない。く、詠唱させろっての。風情がないよ風情が。言葉も端的でわかりやすく使う内容と直結させてのもの。真っすぐ飛ばしたいなら直線を省略して直という言葉を入れるなどって――ほっっっっんとにこのゲームの製作者出てこい!」
あまりにも魔法感のない精霊法に十八歳にして地団太を踏む。
できれば格好よく意味の分からないオシャレな詠唱をしてカオスなんちゃらとか言いながらぶっ放したかった。
「直って直って……」
体を直線に寝そべりたくなるほど、やる気を落とす事実である。
実際、知った日は外で遊びもせずベットで横になっていたぐらい意気消沈させた。周囲の人間がまさかうちの風邪とは無縁の野生令嬢が病気かと大慌てしたぐらいである。
「テンション爆下げー。いや、エイリーよく考えなさい。詠唱が難しいと絶対大事なとこで間違う。そう思うと便利じゃない? うん、便利。やっぱ時代は利便性よね」
一瞬にして立ち直った彼女は、そこら辺の地面に落ちている樹の枝を上手いこと立たせて、的を作ってから二十メートルの距離を離した。
精霊法の準備は万端である。
後はどの属性を使うか考えるだけだ。
「赤色は不味いのは私でもわかる。晴れてるし水色や青色は跡を作るし、ここは緑色ね! イメージイメージと」
見えない手が自分の中にあるなにかを掴み出す想像。
それはなくてあるもの。
「ふぅー」
目を閉じて探る。
探る探る引っ張り出す。
武道をするにあたって体の外だけを動かすわけではない。内側の動きをどう意識するかが重要である。内に意識を向けるというのはエイリーにとってはごく自然なこと。
手を突き出す。気分は魔法使いというより映画で見た中国武術の気功を繰り出すカンフーマスター。
「――直風」
力が内から外に。確かに――何かを使った。
風が飛ぶ。彼女の手から放たれた風は木の枝を掠めて飛んで行った。風が地面に当たるパシッという軽い音がどこか遠くの音のように感じられる。
虚脱感と高揚感の混ぜ物。
「ふぅ……ふぅ……」
恐ろしいまでの意思の鋭さが、初回にして世界法の発動を成功させた。
成功させた彼女はというとえらく不満げな顔である。
「失敗だー! ええ、なんで失敗したんだろ?」
初めて使った精霊法のドキドキもなく大失敗だと頭を抱えている。
「難しっ! イメージと全然違う。横向きに丁度枝の真ん中を通るようにしたのに、斜めで位置もずれてたし」
世界法のコントロールは非常に難しい。公式があるわけでもなく、常にアドリブで感覚頼りだ。そのため完全に思い通りに操ることはほぼ不可能だとさえ言われている。隙のない完璧なイメージなどありはしないのだから。イメージすることが上手い人であれほんの少しは何かしら雑念が入る。
完璧にコントロールされた世界法などありえない。
「人いるところでなんてとてもじゃないけど使えない」
その当たり前を知らない人がここにいた。
「威力なんて二の次。うん、大きいの連発するとすぐ疲れてしまうし、ほんのそよ風みたいなのを何度も自分の思い通りに動かせるように練習しよう」
こうしてエイリーは自分の魔法を制御することを第一目的とした。
「宙停風。手の上で留まるようにしたのにすぐ消えちゃった。でもこれいいわね。掌の上で世界法を操る。イメージしやすいし、被害起きにくいし。そういえば、別の属性と一緒に発動することもできたりしないのかな。物凄いコントロールが上手くなったら試してみようっと」
次は手の上で水や氷で試してみる。
彼女は何度も何度も練習する。大きな力を求めるのではなく、自分が操れる力を本当の意味で操れるようになろうと頭の中でイメージを繰り返す。
勉強ではなく武道と同じような感覚が重要視される世界法は、彼女と相性が良かった。
彼女が求める制御のレベルがとんでもなく高いことを自覚しないまま――緻密に精密に精緻に――誰も届かない域へと当たり前のようにエイリー・ニコール・ゼブルは足を進める。