三話『新しい君にこんにちわ』
「おもしれー。おもしれーよ。とてもおもしれー女」
巨大な鏡の前にニカッと気持ちよく笑う自分に語り掛けるのは、舞台前のお笑い芸人というわけではない。
エイリーが自分の外見を確認しているだけである。
褒め言葉のボキャブラリーが激しくおかしいだけだ。この鏡も自分の姿を確認するように用意されたが、専ら使い方としては武道の型が正しいかを確かめるようにしか使っていなかった。
今日ここがゲームの世界だと思うまでは。
「私も空手と剣道で二冠した時は新聞で現代の巴御前だなんて持て囃されたものだけど、これだとおもしれー女とバナナの差ね」
自分の前世の姿を思い出しながら、鏡の中で朗らかに笑うエイリーに白旗をあげる。言うだけあって文句なしの美少女である。
「こんな可愛い子が悪役令嬢だなんて勘違い。ゲームの世界だなんて妄想。全然悪いことしそうに見えないんだから。だからこうして記憶の中にある彼女っぽい表情をしても――しても……」
相手を小馬鹿にした笑みに変えるだけで、受け取る印象がすべて変わった。
鮮血より赤い髪は血を欲している。闇が深そうな黒い瞳は人の苦しみを見たがっている。吊り上がった眉毛は誰かを傷つけるまで下がることはない。
「……なんという悪役令嬢映えする顔立ち」
思わず自分でも惚れ惚れする悪役令嬢満点の顔。
これはもう主人公を虐めます。
崩れ落ちた主人公を見下ろすスチルがお似合いです。
「じゃない! 虐めないし! 人なんか虐めないから! ……うわでも、これ記憶にある悪役令嬢の幼い頃って感じそのままだ。なんか見れて得した気分」
隠されたスチルを発見したようなゲーマー特有の感情が沸き上がるが、確証が取れたにも等しい行為に浸ってはいられない。
「絶対ゲーム世界じゃん。もしくはそれに近しい世界。転生自体がおかしなことだからもうなんでもありって感じ。でもでも、そういう世界に転生したってことは――むしろアドバンテージ?」
ゲーム世界に入り込んでいるかもしれないことについては、特にショックを受けた様子ではない。
「なーんにも知らない世界よりかは情報ありな方が過ごしやすい! うはっ、エイリーかしこ」
一気にテンションが上がってガッツポーズをする。なんとも幸せな性格をしていた。
「こういうときは初動が大事。ラノベでこんな状況あったら最初にすることは……そう! 情報の書き出し! 今が一番記憶が残っている状態だもんね。読んでもわからないように日本語で覚えている限りの情報を描く。……ちょっと今日のエイリー賢すぎやしないか?」
溢れんばかりの自画自賛をして、机に向かう。
新品のノートを開けて鉛筆を握りしめて力強く書き出す。
「主人公は……女性。名前と顔はわからない。攻略対象は四人……五人。いや四人かな。一人目は王子。ナナ……バナナなんとかんとかペンドラゴン。黄色の人。なんか光る! バナナとは仲良く出来ないわね。二人目はケセなんとかリン。外に出ない人。三人目はアリ……アリ……アリストテレス? 違うこれ前世の有名な人だ! 多分アクションスターとかそういう人! イメージは黒い。黒っぽい人。そして四人目は我が弟フラム……フラムフラム――ちょっと大丈夫なの私。これさっき聞いたことだよ! けどさ、横文字名前一回で覚えるなんて無理! フラムしか頭に残ってないわ!」
覚えている限りの主要キャラの情報と似顔絵をノートに描いていく。
はっきりいって絵はド下手くそだった。なんとか人らしき絵が笑っていると判別ができる程度である。全員笑っていてなんだか怖い。ゲームでホラー要素として使われるような絵のタイプである。
主要人物のことは思い出せないので仕方なく、優先順位が低いキャラも頭の中からノートに移す。
「……それで攻略対象以外は親友のクリスティア・ビナ・カッシーニ。情報通で家柄は良し。仲間には超優しいが、敵と思った人には厳しい面もある。バッサリと肩で切られた灰色の髪がチャーミング。エイリー・ニコール・ゼブル。尊大な態度と傲慢な性格。いつも人馬鹿にしたような笑みをする。色々あるけど割愛。私だしね。主人公の父親。ヨッド・アリスタル。早くに妻をなくすも愛情を持って娘を育てた偉い人。準男爵の爵位を持っているが、小さな村の村長程度の土地しかない。笑顔は穏やかで、子供好き。村の子供たちと仕事の合間によく遊んでる。茶色の髪で、童顔を気にしてヒゲを伸ばしてるけど、子供達によく引っ張られるから剃ろうか真剣に悩んでいる」
口に出しながらズラーと書いていって、その上のスカスカな紹介文と下のみっちりと書かれた紹介文を見て叫んだ。
「情報量が違いすぎる! 私ってばサブキャラのが好きなタイプだったっけ!?」
頭を抱える。
メインキャラは名前すら怪しいのに、サブキャラはというと朝の献立さえ羅列できそうな勢いである。
「ち、調子が悪いだけ! こんな机に向かっていても思い出せるものも思い出せないわ」
完ぺきな勉強の体勢をしながらそうじゃないと立ち上がって拳を握る。
「ふぅー。ハッ!」
そのままぶんと拳を突き出したかと思えば、部屋の中央に移動して礼をする。そして、空手の息吹。体内に残った空気を吐き出してから、幼い頃に祖父に教えてもらった型をなぞる。
「調子出てきた出てきた。さらわれヒロイン。通称さらヒロ。さらわれるばかりのヒロインの恋愛シミュレーションゲーム。確か学園物だった」
型が終わると、前蹴り、回し蹴り、裏回し蹴り、中段上段へ巧みに使い分けながらの蹴り技。
「魔法の才能がそれなりにある主人公が、ヒーローと出会い国を救ったり救わなかったりする内容だった。そしてそして私――そのフラムルートでのラスボスだぁ!」
回し蹴りの勢いを使っての逆足での飛び蹴り。後ろに避けた相手の顔面を砕く極悪コンビネーションである。
「う、うそでしょ。私がラスボスの悪役令嬢だなんて」
綺麗に着地した彼女は、もう一度部屋に飾ってある鏡を見る。
「こんな美少女なのに。醜悪を煮詰めたような黒い瞳。人を馬鹿にするのに適した薄い唇。……ちくしょう! 改めてみても悪役令嬢花丸の顔!」
これはもう主人公を虐めます。
崩れ落ちた主人公を見下ろすスチルがお似合いです。
「だから虐めないってば! 人なんか虐めないから。そうだ! 私イジメなんてしたことないからラスボスにはならない。はい、解決! エイリーラスボス問題迅速解決で短すぎるルートに事前に情報調べてたらこのゲーム購入しなかったのにと泣きオチ! 助かっちゃったね! ……でも私以外のルートって困ったものも多いんだよね」
ベッドの横に置いてあった木刀で素振りしながら、少し落ち着いてきたエイリーは記憶にあるゲーム情報を思い出して唇を噛む。
ちなみになぜこんなにハードな運動をしているのかというと、彼女は運動していた方が頭が働くからである。根っからの運動部であった。下の階は空室なので、誰も咎めに来る人はいない。
「まだ細かい内容は全然思い出せないけど、内乱。疫病。引きこもり。イジメ。こんな感じだったよね。一番記憶残ってるのは私が関係しているルート。私ラスボスルートはイジメがメインで、フラムがヒーロー。気が強くて女王様気取りのエイリーは優しい主人公をイジメるんだけど、こっそりとフラムが主人公を助けたりする。エイリーの奴隷みたいな扱いを受けているフラムは、エイリーの命令には逆らえないのに生まれ持った優しさで助けてしまう。いい子だわ、幸せになりなさい。最後の最後でようやくはっきりとエイリーの命令を拒否できたフラム、拒否されたエイリーは事故で死んじゃう。そしてハッピーエンド」
うんうんとやっぱ締めはハッピーエンド。どんなゲームもそうあるべきよね。少ない手持ちのお金を払ったかいがあると頷く。
「やっぱり私ルートが安パイなのかな。私ルートというかフラムルート。引きこもりはともかく内乱とか疫病とか怖いし。なによりフラムも主人公も幸せになるの確定してる」
今日初めて会ったが、どうせなら彼には幸せになってほしいと思う。
一際強く木刀を振る。ブンという音を立てて振り下ろされた一太刀は彼女の決意の表れだ。
やることが決まった。
「これこそ前世の記憶を持つ私ならではの天命。私は攫われやすい主人公のためにもっともっと強くなる。後はフラムルートでは彼が自分の意思を出せなかったから解決まで遠回りしたような覚えがあるし、フラムを自分出しまくりっ子に教育。そうしてイジメの話なのにイジメなしでハッピーエンドにゴーゴゴー!」
おー!と木刀を上に突き出し、気勢を強くする。
ただなにかが引っかかるなとふと思って、その気になることをボソッと口にした。
「あれっ、でも私そのルートだと死なない?」
だらだらと汗が流れる。
運動の汗ではなく、事故で死ぬ自分の姿がくっきりと瞼の裏に浮かんだからだ。
「いや、いやいやいや、大丈夫でしょ。なんといっても私がイジメることなんてないんだから事故に合うこともない。よし、それで解決! そんなことより一刻も早くフラムルート攻略開始ー!」
一人で勝手に盛り上がったエイリーは、木剣を置いて部屋を出た。
目指すはルート攻略に重要な二人の内の片割れの部屋。
たどり着くやノータイムでドンドンドンと扉をノックする。
「フラム君フラム君フラム君や」
「……どうかしましたでしょうか、エイリー様」
扉を開けてちょこんと顔を出すのはまだ背が低い小学生ほどの男の子。
先ほど叫んだ後に別れた本日から弟となった少年である。
初対面の時と同じくはっきりと目を合わせることがない。だからといって失礼ともならない程度の対応である。記憶にある通り、気は強くない。
「ちょっとごめんね」
「え? ……んん!」
グイッと彼の顔を固定して目を合わせる。
彼は反射的に逃げようとするも、それが失礼に当たるのではないかと思ったのか、咄嗟に我慢する。その姿は彼というものがまったくなかった。幼い年齢で養子になっているのだから、この様子も仕方のないことかもしれないが、その立ち振る舞いは少し痛々しく見える。
ジーっとその目を見たエイリーは、その頬にあてた手を外し、彼に無理矢理肩を組んだ。
「よし! 今日から君は新しい君にこんにちわだ! 殻をスルッと脱ぎ捨て身も心もさらけ出していこう!」
一瞬の静寂。
それは彼が意味を理解しようとするのにかかった時間だが、理解できるわけもなく口から出たのは大きな疑問符だった。
「……はい?」
これが彼がこの家に来たのを後悔した二度目の出来事らしかった。