一話『一人のインタビュー』
「お嬢様ー!」
走る。
広大な庭をまるで犬のように駆けていく。
「お嬢様ー! お嬢様ー!」
自分のものとは思えないような短い手足をばたつかせて、庭を縦横無尽に走っている。
何かに突き動かされるかのように、彼女は走るのをやめない。動きやすいシンプルながらも高級そうな服を着て、全力で足を前後に振る。
そんな時、ふと彼女は思い出した。
「あっ」
意思と体の接続が乱れて足が一瞬止まる。
今まで加えていた運動エネルギーをその小さな足では支えきれなく、体が前へと飛ぶ。顔から地面に一直線。
「お、お嬢様あああああ!?」
だが、持ち前の運動神経が働き、片手を上手く地面に付き、体操の選手みたく上手く回転することで勢いを殺して、パタンと仰向けに転がった。
空が見える。
見上げた空は――あの事故に会った日とは違う空。
駆け寄ってくる見覚えのある執事の姿、違和感のある違和感のない光景。
「お嬢様! だから言ったではありませんか!? お怪我はございませんか! もうこんな砂だらけになられて」
年齢にしては体格のいい執事がキレイなハンカチで汗などで汚れた顔を拭う。
「……思い出したわ」
「なにをでしょう」
ふぅと心底疲れたように執事はため息を吐いて、自分のズレた眼鏡の位置を戻す。
「貴女様が由緒ある伯爵家であるゼブル家の一人娘であり、こんなに汗だくになるほどの運動はすることは恥ずべきことということでしょうか。それとも私がもう五十近くで運動には不釣り合いな年齢だというのに、お嬢様に付き合わされ日頃筋肉痛を患っているということでしょうか」
そのせいでこんなに筋肉がついてきましたよという執事の皮肉に、良いことじゃないと彼女は本気で返す。
「私のような年配の執事なんてお嬢様の日傘を差すだけの力があればいいのですよ。……お嬢様擦り傷があるではありませんか! 今薬を持ってきますので、用意しているミルクティーとスコーンをそちらでお召し上がりながらお待ちください。くれぐれもこれ以上私が朝起きて床に足をつけた時に悲鳴を上げないでいいように、大人しく頼みますよ」
「爺や。私もいい歳なんだからジッと待つぐらいはできるわ」
「何をおっしゃいます。貴族でないならお嬢様の年齢ではこう元気に外で遊ぶことも……いえ、平民のお子様でもここまで走り回りませんね」
言葉を途中で路線変更した執事は、自分の言葉に頷きながら薬を探しに行った。普段からの苦労が見えるようである。
残された彼女はというと、日傘がついたテーブルにとてとてと移動する。
美味しそうな間食が目に入らないように、その細い瞳を驚きでぱちくりさせる。
まるで記憶喪失者が、突然記憶を取り戻したように。
彼女、エイリーは思い出したのである。
「もしかして私」
少女は自分の手足を見る。
事故のあった時とはまるで違う頼りのないぷにぷにとした肢体。小学生になりたてといった幼い成長具合。
それとは不釣り合いにある十八年の記憶。
「――この体の前の記憶がある?」
おかしいなーとかつては三程友華であった少女は、首を傾げるのであった。
ちょこんと庭に置かれた椅子に座っている。
照りつける太陽は大きな日傘で遮られ、テーブルの上には冷たいミルクティーが置かれている。他にもオシャレなお菓子がいくつも並べられていた。至れり尽くせりでまるでお姫様のような立場である。
お姫様の暮らしぶりをしている少女とはいうと、わかりやすく混乱していた。
「私はエイリーで、私は友華。友華でエイリー。貴女は誰? 私はエイリー友華。どういうこと?」
頭をギュッと両手で押さえつけたエイリーは、お菓子を一口で食べる。
「わっかんないなー。わっかんないな。わからないけど、わからないなりに理解するために頑張ろ。自分でいうのもなんだけど、私そんなに頭いい方じゃないんだから冷静にしないと余計わかんない」
そのお菓子が置かれていた容器をまるでマイクでも使うかのように持った。
コホンとわざとらしい咳をしてから、一人インタビューを始める。
「あーあー、マイクテスト中。それでは今の体の自己紹介をよろしいでしょうか」
「エイリー・ニコール・ゼブル八歳です。好きなものは運動。苦手なものは勉強と雷とバナナ」
声を少し変えて返答する。
冷静を通り越して遊んでるような行動だが、本人としては大真面目のようである。
「ありがとうございます。前の体の自己紹介もよろしいでしょうか」
「三程友華十八歳。好きなものは運動とバナナ。苦手なものは勉強と雷」
「おや。好きなものであるバナナが嫌いなものにへと移動してますね」
「もちろんですよ! なんせバナナに殺されたようなものですから! バナナあのバナナめ! 黄色くなっちゃって! 持ち運び便利栄養豊富とくれば所詮はスポーツ者のお手軽携帯食料として食べられるしかできないくせに!」
容器を強く握りしめて恨み言をつらつらと述べる。あまり恨みを持つ方ではないが、殺されたとなっては話が別だ。一度生まれ変わっても憎んでいる。それとは別に体育会系としてバナナの有効性には嘘を吐けない。
「その気持ち十分におわかりします。打倒バナナですね」
「いつか青くしてやりますよ!」
「はい、昔友華。現エイリーの強い意気込みを感じ取れる言葉でしたね。では、バナナが死因ということですが、もしや死を経験済みということですか?」
「そうなっちゃいますね。多分あの時死んだと思うんですよ。そうじゃないとこんなことになってないでしょうし」
死んだと言ってみたものの、実感はまだない。
「あんなにも……ダサい死に方をするとは。一生の恥。一生終わっちゃったけど!」
まさかバナナに滑って転んで死んだなんて信じたくない。
「助けてもらった運転手や子供はそれを後々知ったらどういう気持ちになったでしょうね」
「やめてー。いたたまれない! いたたまれなさすぎる!」
本当に自分達とは関係のない死に方をしたのでそこまで心を痛めることはないだろうが、なんともいえない気持ちになることは容易く想像できた。あれだけ格好よく救助したお姉さんが自分のバナナで死んだとは、笑えも嘆きもできない。地獄の雰囲気である。
「両親は昔に死んだので大丈夫ですが、ここまで育ててもらった祖父にはどういう気持ちです」
「容赦ないな私!? そこまで言う!?」
インタビューする方の自分に、答えている方の自分は非難する。
だけど、言ってることはごくまともなことではあるのは分かっている。というよりわかっていないと言い出さない。なんせ言っているのは本人である。
「わかってるよ。祖父不幸者でした。でも終わってしまったことは仕方ないし一言」
すぅーと息を吸い込み。
目を閉じて、パチンと手のひらを合わせた。
「爺ちゃんごめん! 先立つ不孝を許して!」
だから唯一家族であった人物に謝罪した。まさか七十歳になる祖父より先に亡くなるとは想像もしてなかったので、手を合わせて全力謝罪である。
「……よし! 切り替えよう。元友華。現エイリー切り替え完了!」
強く手を叩いて、謝罪は程ほどで終わり。
元々人の死を身近に感じていた彼女は、その儀式によって意識をかえることにした。驚異的なメンタルである。モンキーでも同じような出来事に出会ったらもう少し悩むに違いない。
気分を変えた彼女は軽くミルクティーを飲むが、灰色がかった茶色の液体に映るのは、年齢を差し置いても前の顔とは違う顔だった。
それに違和感を覚えるかと言われれば、覚えない。
「……八歳、か。エイリーで暮らしてた記憶もちゃんとあるんだよね。おぎゃーと生まれて……の記憶はないけど、ちょっとふくよかな父親にはよく抱きしめられて、病気がちな母親には奇麗な花をよく見せに行ったり、爺やの誕生日に肩たたきした記憶あるもの」
「普通に暮らしてたら急に前世の記憶が蘇ったみたいな感じでよろしいでしょうか?」
「うーん、でも少しは生まれた頃から影響あったと思う。好きなものが運動なのは……まあ絶対私の影響よね。薄っすらとした記憶は覚えていたのが、覚醒したみたいな? 覚醒って格好いい」
「ゲームの定番ですよね覚醒」
「うん、本当に今起こってることがゲームの展開みたいだよね。死んで転生してって。実体験込みで今ならもっとそういうゲームが楽しめそう」
そして、もうそのようなゲームができないことに内心涙の雨だった。
エイリーの暮らしていた記憶ではゲームなんて一切ない。一切ないのである。他の文明の機器がないのは我慢できるが、それだけは辛い。
「で――エイリーはゲームのような状況で何をするのですか?」
何を、するか。
ゲームの世界での主人公は様々な出来事を達成していた。世界を救うこともあれば、世界を滅ぼすことだって。もしくは選択肢次第では何事も起きないつまらない日常だってあった。
「わかんないよ」
ゲームの世界と違って選択肢もない。
正解があるのかすらわからない。
「けど、やることはあの時からずっと変わらない。強くなる。まあ、私ってそれしかできない女だし。何かあった時のために鍛えてそれがあの自動車事故のように活用できれば最高」
インタビューのマイク代わりにしていたお菓子を食べる。
ひどく甘くてひどく美味しい。
「まあ……ゲームみたいにおもしれー女って言われるようなことあれば嬉しいけど」
面白い女とは、少女漫画や女性向けゲームによく使われる言葉である。
イケメンな俺様系男が変わったことをする女主人公に向かって、お前のこと興味ある的な意思を持っているときに用いられる。要はこれから好きになるねという合図みたいなもので、盛り上がりどころである。
エイリーとしては恋愛したいというより憧れのシーンを体験したいという思いが強い。
彼女のちょっとした夢である。
「……友華の頃は体育家系の方々から強いっすね! とか言われなかったし。貴女の強さに惚れましたってそれもうライオンに告白しとけよ」
などと言いながら椅子から降りてスクワットをし始める伯爵令嬢。
走るのはダメだと言われたので、折衷案としての運動である。
数十回をした後、一先ず休憩にとミルクティーを飲もうとしたところ、改めて今の自分の顔が見える。
「それにしても……なんだか見覚えあるような」
ミルクティーに映った自分の顔を見ながら、エイリーは呟く。
その薄い赤色よりなお紅い髪の毛。前世と同じ黒い瞳はギラギラと輝いており、吊り上がった眉は気性の強さを感じさせる。美少女ではあるが、親しみやすさとは無縁の顔立ちである。
ありていに言えば道を歩いていても話しかけられにくいタイプだ。
「どこだったかしら」
はて、と思い出そうとするも、またスクワットを再開する伯爵令嬢である。
後、数十秒経って走ってやってきた執事が、そういうことではないですと呆れたように嘆くのだった。