第2話 本
身綺麗になり腹も膨れたアーシュは再び本を読み始めた。
始めは驚いたミイラも、一切の悪臭もなく静かに座っている姿が、そこにあるべき姿と驚くほどに普通に受け入れていた。
世界や人類への罵詈雑言を読み終えると、そこからは文章の作りも内容もガラッと変化した。
「転生者……」
ミイラ男、彼は別の世界からこの世界に呼び出された転生者であった。
名を榊 京一。
彼の住んでいた地球という世界の日本という場所から36歳の時に交通事故にあい気がつけばこの世界の貴族の息子として生まれ変わっていた。
彼の前世は獣医師という動物を治療する医者というこの世界では信じられない仕事をしていたようで、当然彼はこの世界のルールを知ったときに強い拒否感を覚えた。
貴族という立場のおかげで彼の異端的な考えもある程度は許容されたが、獣人、亜人奴隷への対応が両親の逆鱗に触れ、命を狙われこの地へと逃げ込むことになった。
彼にとってこの地は人間の流刑地ではあったが、心地よかったと書かれていた。
元々郊外で過ごすことを余暇として楽しむ趣味を持っていた京一は森にある様々な者を利用しそれなりに快適な生活を手に入れることに成功した。
そして彼はこの地で獣人を始めとした亜人たちと出会う。
始めは人間である京一に強い敵意を持っていたが、京一のこの世界の人間とかけ離れた対応と、用意していた食料を提供したり前世での知識を活かしての治療を通じて彼はこの世界でようやく耐えられる社会を構成することに成功した。
彼は前世の知識をこの世界の物で実現するために様々な薬草や薬品を研究した。長く穏やかな時間を亜人たちと過ごし、いつの日かこの地は亜人達の楽園と呼ばれ大きな集団へと変わっていった。
しかし、その幸せな時間は長く続かなかった。人間たちにこの場所がバレてしまったのだ。
人間たちはこの地に住まう多くの亜人を奴隷化し、京一からすべてを奪っていった。亜人たちは恩人である京一を命がけで逃がし、京一は森の奥へと逃げることができ、大樹のもとを拠点にして一人孤独に世界への恨み、そして自分の知識を残すことに注力し、人生を終えた。転生者という特別な存在だった彼は、普通の人間と比べて非常に長い時間生きることになり、自分が亜人たちを苦しめたという自責のもとに世界中を巡って様々な知識や過去の歴史、貴重な遺跡などを調べ尽くし、それらの知識を溜め込んでいった。
そこからは前世での医療知識や科学知識、この世界の薬草の使い方など、貴重な知識が大量に記されていた。そしてこの世界で隠された太古の昔の知識など、この世界では禁忌とされている多くの情報が記されていた。非常に難解ではあったが、アーシュは京一の意思を受け継ぎそれらの知識を身に着けていく。同時に、彼からの本当の遺品も受け継ぐことになる。
森で狩りをしたり食料を得ながらの生活は長く続いた。本の知識を元に多くの道具も自作していく、暇があれば本の解析も続けた。森では魔物に出会うこともあり大きな怪我をすることもあった、本の知識を自らの身体で試してギリギリで生き残ることもあった。戦いに関しては京一は前世で趣味にしていた総合格闘技という素手での戦い方や、この森や旅先で得た様々な戦いの方法についても記されていた。厳しい森での生活にアーシュは順応していき、季節が幾度も移り変わった頃、ついにアーシュは本を完全に理解した。
本をすべて読み終え、理解すると、その本に隠された意図を把握できる作りとなっていた。
アーシュは京一のミイラに手を合わせ、その遺体を椅子ごと部屋の隅へと移動させる。そして、椅子のあった場所の床を剥がした。
そこには彼が人生をかけて集めてきた様々な物資を溜め込んだ魔法箱が隠されていた。
魔法箱というのは魔法の力でその小さな箱に収まるはずもないような大量の物資を保管することが可能な魔道具で貴重な出土品だった。今では失われた魔法技術を利用した物で、太古の遺跡などで発見される貴重品。その箱自体にも凄まじい価値があるが、その中身はそれを凌駕する。アーシュは京一のはめていた指輪をそっと外し自分の指につける。
「動物や亜人の生命を尊重し、その健康や福祉、幸せにこの力を使うことをここに誓う」
誓約の言葉を発すると指輪は光を放つ、箱が同様な光を放って指輪に吸い込まれていく。それと同時にアーシュの脳裏に箱の中に収められた大量の物資の内容、それに京一が残した知識と技術が書き込まれた。そして、京一が受けてきた迫害の歴史、無念さ、彼が行おうとしていた平和的な世界の変革が無惨にも踏みにじられた猛烈な怒りや自責の想いがアーシュの脳に刻み込まれていった。鈍い頭の痛みが収まると、アーシュの中に京一の残したものがはっきりと存在していたのだった……
「京一さん、ありがとう。そして、俺はあなたが成し遂げられなかったことを目指して生きます。呪術による人間至上主義を人間が破壊する。亜人達に奪われた魔法を取り戻す……平和的な解決は、無理だった。力には力で対抗するしか無い!」
アーシュは京一を元の位置へと戻し、室内の使えるものはすべて収納し旅立つことにした。
彼の世界への復讐は、この日から始まるのだった。
この時アーシュは16歳、森に突き落とされてから4年の歳月が過ぎていた……
始めは大きかった京一の衣服も、今ではアーシュにピッタリの大きさになった。
森での日々はアーシュを鍛え上げ、幼い子供だったアーシュはすっかり青年へと成長していた。腰まで伸びていた髪をバッサリと切り落とし、強い意志を持った瞳を持つ赤髪の青年が今、大志を持って旅立つのであった……