第11話 帰還と宿
「アーシュ君、って臭っ!」
「ミキナさん、先にこれを……」
無言で鼻をつまんであっちあっちと指差す。
カウンターに置こうと思うと待て待てと止められて数枚の布の上に置かれ、すぐに奥へと運ばれていった。ようやく悪臭の元は無くなったが、ギルド内に濃厚なゴブリン臭が……
「ちょ、ちょっとまっててください」
アーシュは荷物から香草を取り出して普段料理に使う皿の上で香草に火種を落とす。パチパチと香草が焼けるのと同時に爽やかな香りが広がっていく……消臭作用とそれ自体にいい香りがするアロマというやつだ。
「あら、凄い、ゴブリンの匂いってなかなか消えないのに……それ、売れるわよ」
「あの袋の中にも入れてたんだが、本当に強烈な匂いだな」
「なんにせよおかえりなさい、結構時間がかかったのね」
「実はゴブリンがすでに巣食っていて……詳しくは報告書に」
村人からの詳細とアーシュ自身の所見を添えた報告書を提出する。
「アーシュ君に依頼すると本当に助かるのよね……みんなこうしてくれればいいのに」
普通ならこれらの作業はギルド職員が書類を作る羽目になりがちだ。読み書きを完ぺきにできない冒険者も少なくないし、こんなに丁寧な報告書を作るのは難しい。
紙やインクは安物だが、それでも出費を嫌がる冒険者も多い。
「かんっぺき! 手直すところはないわ、ていうか、私の報告書よりもしっかりしてる……本当にアーシュ君って人生何周かしてるんじゃない?」
「ははは、とりあえず依頼達成でいいですね」
「あとはさっきのと合わせて明日には結果が出ていると思うわ、お疲れ様!」
「お疲れさまでした」
アーシュはミキナと会話を終えギルドを去ろうとする。
「おい、酒が不味くなったぞどうしてくれんだよアーシュ」
そんなアーシュに絡んできたのは冒険者のフライ、うだつの上がらない下級冒険者だが、それでも階級はアーシュよりも上、実力、能力で勝てないことはわかっているそれでも階級だけを傘にアーシュによくうざ絡みをしてくるありがたい先輩だ。
「申し訳ない、これでもう一杯飲んで欲しい」
アーシュは銀貨を1枚テーブルに置く。
「さすがは新進気鋭のアーシュ様! 銀貨程度はへでもねぇってか」
「さすがに今回の討伐はつかれたので、宿で死んだように眠りますよ」
「クカカカカ、ゴブリン相手にご苦労なこった。今度は一杯奢ってやるよ、俺の経験も聞かせてやらないとな」
「その時は勉強させてもらう」
「ちっ……行けよ!」
「失礼する」
あまりにもアーシュが大人な対応をするのでフライもバツが悪い。アーシュに絡む冒険者は多かったが、こうしてまだ16の若者があまりにも大人な対応をするために自分の惨めさが際立ってしまいだんだんと絡む人間が減っている。彼は頑張っている方だった。
アーシュの疲労は事実で、いくら緩やかに帰ってきたとはいえ、気を張り続ける外での睡眠と宿での睡眠は別世界だ。
宿に戻ると宿の主人もアーシュの帰還に笑顔になる。
「すみません、もう、限界で、眠らせてもらいます。明日の朝食、少し多めでお願いします」
冒険者でありながら礼儀もしっかりしており、そして何より金払いがいい。アーシュはこの宿にとって非常に良い客なのだ。
「すぐ湯と布を持ってくからな、お疲れさんメーサお湯と布をあとでアーシュの部屋に」
「アーシュ! 帰ってきたんだ! わかったすぐ準備するね!」
宿の一階は食堂になっていて、酒場としても機能する。そこで働くメーサは看板娘。誰にでも好かれる明るく活発な可愛らしい女性だ。年はアーシュより上の18歳。12にもなれば自分の食い扶持を稼ぎ始めるこの社会において、16から酒場で働き始めているメーサはベテランだ。そしてこの世界で女性は14~20歳くらいで嫁に行くことが多い、彼女も少し焦り始める年齢だった。
この世界における人間の平均寿命は50歳程度、死因は多岐にわたるが栄養不足、病気、そして魔物などの外敵に人間による殺害だ。
栄養不足や病気は特に深刻で医者や教会による治療は非常に高額な金がかかる。
薬草の知識などがあってもその薬草を手に入れるために危険な壁の外へ行くこと自体がリスクになる。そして薬草を買おうとすればまたお金がかかる。
特に子どもは簡単に死んでしまう。赤子は半数以上が赤子の内になくなってしまう。結果として男女ともに若い内に世帯を持ってたくさんの子を産まざるを得ないのだった。子は労働力となり家族を豊かにする。経済的に成功できれば上位の階級に上がれる可能性を上げる。多くの下民達は、なんとかして下位市民になるために、下位市民は中位市民になるために、この世界に生きる人々の生きる目的は、一つでも階位を上げることなのだ。
「入るよアーシュ……って着替え中か」
メーサは持ってきた湯と布を床に置くと甲斐甲斐しくアーシュの着替えを手伝う。
下民であるメーサにとって初級冒険者、しかも実力も評判もいいアーシュは絶好の狙い目なのだ。
「メーサ、何度もいうがそんなことしなくてもいいんだぞ?」
「いいんだよ、好きでやってるんだし……それに、アーシュは優しいから……」
「だが、俺はメーサを嫁に取ることはできない」
「わかってる。今は気が向いたときにこうしてくれればいいから」
メーサはアーシュの唇を奪ってくる。そのままアーシュの体を固く絞った布で拭いていく、ベッドに寝かせると自身も身につける服を脱いでいく。
「ほんと、すごい身体……」
「メーサ……」
そのままメーサはアーシュに奉仕をしていく。
宿ではこういったことも行われる。夜は酒場で気に入った女性が居れば金銭を払い部屋に連れ込む、そういう役割もある。
アーシュは粗暴な客とは違いメーサを優しく扱うし、そして金払いもしっかりしていた。メーサは現状、そんなアーシュを客にできて大変に満足していた。
アーシュも若い男である。人並み、いや、彼は、凄かった。
「おやすみアーシュ!」
「ああ、おやすみ」
メーサは身も心も満足し、部屋を出ていくのであった。その手には彼女の3日分の稼ぎが握られていた。




