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第1話 出会い

 カビ臭い、大木の根本、自然が作り出した小部屋にその男は静かに座っていた。その体はミイラと化しており、部屋の風景と同じように動くことはない。

 ミイラは木製の椅子に腰掛け俯いた姿勢で眼の前にある机を見つめている。その机には一冊の本が置いてある。年季の入った、しかし、丁寧な作りで普通の物ではないと人目にわかる。

 煤けているが黒とわかる表紙を捲ると眼の前に激しいなぐり書きが飛び込んでくる。


────世界を壊せ!! 神を殺せ!!


 アーシュはゆっくりとページを捲った。

 アーシュ・カレルレンは平民の子どもだ。普通の人間ならば決して近づくことのない外道の森、鬱蒼と茂る木々、魔物、魔獣、危険な動物、そして噂では真っ当な火の元で暮らすことが出来ないような危険人物が潜んでいるという、その最奥部に近い巨木の足元、彼はそこでミイラを発見した。

 彼は小さな村で産まれ両親の愛を受けて普通に育った。ひとつだけ彼が普通の人と異なるのは、彼がこの世界の絶対的なルールを受け入れることが出来なかったということだ。


 人間至上主義。階級社会。


 この世界における不文律。人間以外の生物は全て人間のために存在しており、人間のために消費される《《物》》であるという苛烈な考え方が、この世界の常識だ。 

 さらに人間にも階級が存在する。この階級も人間至上主義と同等に絶対的なルールで覆ることがない。

 上位の人間は下位の人間をどのように扱っても良い。逆は決して許されない。


 アーシュが外道の森へ崖から叩き落されたとしても、落とした人間がアーシュよりも上位の人間であれば罪にもならない。アーシュの両親でさえ上位の人間に逆らった馬鹿な息子が当然の報いを受けた、自分たちにその影響が伸びないことを祈るほどに人々の間に当たり前の事としてはびこった思想、それこそがアーシュが受け入れることが出来なかったこの世界のルールだった。


 そして、その一冊の本の著者、ミイラ男もまたこの世界の絶対的なルールに従うことが出来ず、迫害されこの地へとたどり着き、その本を作り上げた人物であることが本を読み進めていくことで理解できた。

 本を捲る指は乾いた血と土で汚れている。崖から突き落とされ運良く木々によって落下死は免れたものの、全身は傷だらけになっていた。森の中を危険な生物たちに怯えながら何日もさまよい、運良くいくつかの果実などで生きながらえこの地へとたどり着いた。それはまるで運命が導いたかのように同じ思考の者同士を結びつけたような奇跡にも似た出来事、もしくはミイラ男の執念がアーシュを呼んだのかもしれない。


 その本の序盤はこの世界に対する怒りや不満、平気でルールに従う人間への罵詈雑言が並べられており、まともにこの世界のルールに従っている人間であればその段階で気が触れた狂人の書いたなんの意味もない本だと読むのを止めて火に焚べてしまうだろう。

 しかし、アーシュは読み進めた。自分と同じ考えを持つ者、少し言動は過激だが、がいることに安堵感を覚えることが出来たし、本を読んでいる間は現状の絶望的な状況から目をそらすことが出来た。

 日が暮れてくると、内側の壁がぼんやりと光りだした。ヒカリゴケが壁と天井にびっしりと繁茂していた。その淡い光は本を読むのに十分であったし、ここ数日、完全な闇の中で震えていた、恐怖の中で夜を過ごしてきたアーシュにとって何よりも心が安らいだ。

 神秘的な光景にしばし心を奪われていたアーシュは部屋の中の一部が暗くなっている場所が何箇所かあることに気がついた。

 本を机においてその部分を探ってみると瓶や引き出しがある。中を見ると、木の根に刺された管から水が瓶の中に貯められており、僅かな草木の匂いはするがとても清廉な水に見えた。それ以上に喉の乾きは激しく、果実の僅かな水分くらいしか取れていなかったのでアーシュはその水を迷うことなく口に含んだ。


「……旨い……」


 わずかに木々の香りがするが、ある意味それはお茶のような風味を与えていた。

 アーシュは喉の乾きを必死に癒すためにごくごくとその水を飲んだ。

 実はその瓶にはもう一本管が入っていて、サイフォンの原理によって水が循環し常に新鮮な水が溜まっている仕組み成っているのだが、アーシュがそれを知るのはもう少し本を読み進めてからであった。

 棚の方には乾燥された肉や木の実、果実などがしまわれていた。見た瞬間にアーシュの腹は唸りをあげて音を立てた。空腹も限界を超えていた。おそるおそる口にすると、乾燥してはいるが腐敗臭などはなく燻製された香りがして美味しかった。アーシュは水を使いながら必死にそれらの食材を噛みちぎって咀嚼し、身体に糧を取り込んだ。

 一通りの食事を終えると、猛烈な眠気が襲ってきた。

 アーシュはこの森に落とされて久しぶりに恐怖を感じることなく眠りへと落ちていった。同じ地面で寝ていても、この場所の地面はほのかに温かいような気がした……


 アーシュは夢を見ていた。

 崖に落とされるきっかけとなった事件……村長の息子、生まれながらにしてアーシュよりも階級が高いベルゴに歯向かってしまった事件。

 迷い込んだ子犬をおもちゃのように振り回し、石を投げ大笑いをしているベルゴとその取り巻きたちからその子犬をかばった。ただそれだけで彼らの石の標的はアーシュに変わった。可愛そうだったから子犬をかばう、ただそれだけの行為でアーシュの人生は終わったのだ。

 周りの人間、アーシュの両親でさえ自分の子が頭がおかしくなったと救おうともしてくれなかった。


「死ね」


 ベルゴのなんの感情もこもっていない目つきと冷たい言葉が今も脳裏にこびりついている。次の瞬間、まるで石ころを蹴っ飛ばすかのように崖からアーシュは蹴落とされた。激痛で目を覚ましたアーシュが最初に見たものは、彼が守ろうとした子犬の動かなくなった姿だった……


「うわああああああああっ!!」


 悪夢にうなされ叫び声とともにアーシュは目が覚めた。外から陽の光が差し込んでおり、彼は久しぶりに熟睡していたことに気がついた。


「こ、ここは……」


 夢の衝撃が強すぎて今自分がいる状態を見失っていたが、すぐに思い出す。瓶から水をすくい乾いた喉を癒やし、そして久しぶりに身体を水で綺麗にした。傷に染みたが、それでも土汚れを落としさっぱり出来て心地が良かった。

 アーシュが傷をこの水で綺麗にしたことは実は非常に重要だった。大樹から漏れ出た水分には天然の消毒作用があり彼の傷がこれ以上化膿したりすることを防いでくれるのだった。

 アーシュは本を読みたい衝動にかられながらもこの室内を丁寧に散策した。昨日のような発見があるのではないかと考えたからだ、結果としてミイラ男の日常使いしていた様々な道具を発見し、ボロボロだった衣服も少しサイズは大きいが清潔な物へと変えることが出来た。火を使える竈門があることもわかり、調理用の道具や食器等まで存在していた。古さは感じるものの、カビや腐食などが全く無く非常に状態が良かった。実はそれもこの大樹がもたらす効果であることはいずれ本で理解する。


「……美味しい……」


 干し肉と乾燥野菜を水で煮ただけのスープは、涙が出るほどに美味しかった。

 温かい食事というものがこんなにも心を満たしてくれるということを始めてアーシュは知るのだった。




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