当て馬令息はすがらない
[ご注意]
こちらのお話は怪我や暴力などの描写がございます。
[お知らせ]
【短編の後書きとか解説とか 】というタイトルで、この小説の解説とかしていますので、興味のある方は遊びに来てくださいな。
公爵令嬢ヴィクトリア・グラントは一人娘だ。両親に非常に可愛がられて育った。それ故に、欲しい物はなんでも手に入ると思っていたし、手に入れてきた。
そんなヴィクトリアがどうしても欲しかったもの。それはマリウス・へンダーソン侯爵令息。整った顔立ちに輝くような金髪、そして淡いグリーンの瞳。
出会った時はお互い12歳。マリウスは美しい少年だった。ヴィクトリアはすぐさま父にマリウスと結婚する旨を伝えるが、なんと!まさか!難しいなどというではないか。ありえない。ヴィクトリアが結婚したいと言っているのだ。それが叶えられないなど世界が許さない。
父は言う。マリウスはヘンダーソン家の跡取り息子だ。対してヴィクトリアも跡取り娘。それぞれ、嫁取り、婿取りが必要だという。
ヴィクトリアは泣いた。とにかく泣いた。泣きまくったら父が折れた。ヘンダーソン家に頼み込み、権力をちらつかせ、圧力をかけて、あの手この手でマリウスとの婚約をもぎ取った。
かくしてマリウスはグラント家に婿に入ることになる。婿入りと言っても、爵位を継ぐのはヴィクトリアだ。マリウスは女公爵となるヴィクトリアを支えるための教育を受ける名目で、グラント家に滞在することとなる。
しかしヴィクトリアは嫉妬深かった、マリウスが自分以外の女と話をすることも許さなかったし、視線を向けることも許さなかった。マリウスが自分以外を見ればヴィクトリアはキレ散らかし、怒鳴り散らした。
マリウスの容姿は飛び抜けてはいたが、中身は普通の少年だった。そんな窮屈な生活の中、笑顔は減り、ヴィクトリアに対して義務的な態度になってゆく。それがまたヴィクトリアを苛立たせた。
何故笑わない!?
何故楽しそうにしない!?
私が隣にいるのよ!?
こんな幸せなことはないでしょう!?
そして、とうとう事件は起きた。パーティーに出席した際、一瞬だけヴィクトリアが離れた時。マリウスの伯母が声を掛けてきた。当然親戚なのだから会話を交わす。しかし、ヴィクトリアが戻ってきた時、伯母の背中しか見えず、マリウスが楽しそうに女性と過ごす様子しか見えなかった。
「浮気者ーーっ!」
ヴィクトリアは雄叫びを上げてマリウスに突進。憤怒の婚約者に体当たりされたマリウス少年は階段を転げ落ちた。
そして何故か、そのショックで前世の記憶を取り戻したヴィクトリアは悟る。
自分を大切にしてくれない婚約者なんている?
いらないわ、私を大切にしてくれない婚約者なんて!
こうしてマリウスは返品された。
全治12ケ月以上。
その後もリハビリが必要な状態で。
場合によっては後遺症が残るとのこと。
なんで無傷のヴィクトリアに前世の記憶が蘇るんだよ?
そう、重傷を負ったマリウスにも前世の記憶とやらが蘇った。
マリウスの前世は男性だったか、女性だったか、正直どちらか思い出せない。しかし、これがネットで読んだ誰かの創作の世界と酷似している事は思い出した。
マリウスは事故後、自らの状況を悲観し、まともにリハビリや勉学をせず、家族や使用人に当たり散らす。
体も不自由で能力も低い。ヘンダーソン侯爵は出戻りマリウスではなく、弟君のクリスを後継者とした。将来、家を追い出されることになったマリウスはヴィクトリアに付きまとうのだが、自分を顧みないマリウスなどヴィクトリアは相手にしない。前世の記憶を取り戻し、我儘令嬢ではなくなったヴィクトリアにイケメン達が愛を捧げるとかなんとか……
なんだかもう。
勝手にしてくれ。
マリウスの立場になってみたら、元々の跡取りの立場を奪われて、公爵家に強制婿入りとなり、しかも公爵を継ぎ、女公爵となるのはヴィクトリアだ。ヴィクトリアを支えるべく、公爵家では勉強漬けの毎日。一日十三時間だ。今だから気付いたが、ヴィクトリアは勉強していなかった。恐らくは我儘なヴィクトリアには何もさせず、マリウスに実務を押し付ける気だったのだろう。それに休憩ともなればヴィクトリアが突撃してきて、自分をチヤホヤしろと捲し立て、挙げ句の果てに、親戚のおばちゃんと話したら浮気者だと階段から突き落とされる。
不貞腐れたくもなるわ。
だが、恐らくは前世の自分は成熟した大人だったのだろう。人生は理不尽で不公平なのは当然だと分かっている。にも関わらず、こうして実家に戻ることが出来たのは幸運だと思えた。
身体は動かないが休む事は出来る。疲労が回復したらリハビリに専念し、将来は体が不自由でも、自分一人養っていけるだけの知識や技術を身に付けよう。出戻り息子だが、父もリハビリや学習の支援くらいはしてくれるはずだ。
「幸せだな……」
マリウスの呟きをそばに控えていた侍従は聞いていた。
その夜、侍従はマリウスの父であるヘンダーソン侯爵に呼び出された。
「マリウスの様子は」
侯爵は寡黙な男だが、冷たい人間ではない。大怪我を負って戻ってきた息子を気に掛けている。
「特にお変わりはありません。ただ……」
侍従は侯爵に伝えるべきか少々迷った。何故なら、侯爵はグラントに息子を渡したことを悔やむかもしれないからだ。
「何だ?」
しかし侍従は言わずにはいられなかった。
「“幸せだな”と仰っていました」
侯爵は訝しむ。こんな大怪我を負った状況で「幸せ」だと?まして、婿入り先から追い出されて戻ってきたのだ。一体それのどこが幸せだと言うのだ。
「お医者様は怪我以外にも過労と睡眠不足と仰っていました。お怪我を負っているとはいえ顔色も非常に悪く、ヘンダーソン家を出る前よりも、かなりお痩せになっています。ご苦労なさったのではないでしょうか」
「……もう良い。下がれ」
その夜、ヘンダーソン侯爵はマリウスの部屋に現れた。ベッドに横たわるのは、包帯だらけの体、げっそりと痩せこけ、青白い顔。侯爵の知っていたマリウスは溌剌とした少年だった。グラント公爵は我儘娘の言われるがまま、権力をちらつかせ跡取り息子を奪ったというのに、この仕打ちか!
「……父上?」
マリウスは自分の気配で目覚めてしまったようだ。
「体はどうだ?」
「ご心配かけて、申し訳ありません。慰謝料は私の個人財産からお支払い下さい。足りなければ、成人した後、働いてお返しますので……」
「こちらが謝罪する謂れはない。お前は治療の事だけ考えれば良い」
表情の読み取りにくい父はそう言って部屋を出て行った。
あのヴィクトリアの親の事だから、娘の言い分通り、浮気や精神的負担の慰謝料など要求してくるかと思っていたが、想像とは違い、父は、かなりの慰謝料をもぎ取ってきたらしい。
確かに伯母と話しているだけで浮気とは言い難い。グラント家に滞在していた期間は1年半だが、その間にかなり常識が捻じ曲がっていたようだ。また、父はその莫大な慰謝料はマリウスの個人財産としてくれた。おかげで、贅沢をしなければ、生涯食べるのには困らないだろう。
その後、寝たきりとなったマリウスの元に小さな客人がやってきた。5歳になる弟だ。
「にいさま?」
「クリスか?悪いが兄様は起き上がれないんだ。ベッドまで来てくれるか?」
そう言うと弟はそばまで来て、ひょこりと自分の顔を覗き込んだ。マリウスと同じ金髪とグリーンの瞳の可愛らしい少年だ。
「いたい?」
彼なりに兄を心配してきてくれたらしい。小説のマリウスはこんな可愛い子供に当たり散らしていたのか。だが、小説のマリウスは理不尽に大怪我をさせられた13歳の子供だ。今の自分はどちらの気持ちも理解できる。
「実を言うとめちゃくちゃ痛い」
そう答えるとクリスはビクリと体を震わせた。
「だけどクリスの顔を見たら気分が良くなったよ、見舞いに来てくれてありがとう」
「へへへ」
嬉しそうに笑うとクリスは「また来てあげるから!」と言って部屋を出て行った。とても和む。前世の自分は子持ちだったのかもしれない。いや、もしかしたら孫持ち?
その後、起きることの出来ないマリウスの元には弟や父母だけでなく、階段から突き落とされる時に話していた伯母や、グラント家に行って以来会うことが許されなかった友人達が見舞いに来てくれた。
伯母は夫と共に来てくれたが、申し訳ないと言っていたので、むしろ、巻き込んでしまって心苦しいと謝罪すると泣かれてしまった。
一年以上も会えなかった友人達は、不義理をしたにも関わらず、グラント家のやりように酷く憤慨してくれた。どうやらマリウスを不誠実な浮気者だと吹聴してるようなのだ。
「マリウスが遊び歩いてる姿を見た奴なんか誰もいないのにさ」
「見たことあるのは、パーティーや茶会でヴィクトリア嬢が怒鳴ってる姿だけだよ」
「しかもマリウスはご令嬢の挨拶に返事をしただけだったり、相槌をうったりしただけだろう」
「おまけに僕らに対しても、マリウスに話しかけると悪い遊びを教えるつもりか!とか、浮気相手を当てがうつもりだろう!って追い払われてしまったんだよ」
知らぬ間に、友人達にまで迷惑を掛けていたとは、本当に申し訳ないな。
「ごめんな。でも、もう誰にも咎められる事はないから、良ければ、また会いに来て欲しい」
なんせ、当分、ベッドから起き上がる事はできないのだ。友人達は「また来る」「任せろ」と言って帰って行った。任せろとは?
後から聞いたのだが、伯母も友人達もマリウスの噂を打ち消すべく動いてくれていたようだ。
友人達はマリウスは他のご令嬢と挨拶や相対程度しか接触していない事や、同性の友人と過ごすことさえ咎められていたと皆に伝えてくれた。
「異性とは挨拶も交わしてはいけない。同性の友人とも関わってはいけないなんて、本当にグラント公爵家は厳格ですね」
伯母も御婦人達の茶会で話してくれた。
「まさか私が甥の浮気相手だと言われるなんて思いませんでしたわ。マリウス令息は息子よりも年下なのですよ」
などなど。
そもそも、マリウスに浮気相手などいないのだから、何をどうしたら不誠実な浮気者にできるのだ。
当のマリウスはというと、毎日のように顔を出してくれる弟と交流を深めていた。クリスは最近バイオリンを習い始めたとかで、寝たきりのマリウスに披露してくれる。なんて穏やかな時だろうか。
そんな可愛い弟に将来迷惑を掛けてはいけないと、起き上がれない中、侍従に頼み、新聞や書籍を朗読してもらい、情報収集や勉強に勤しんだ。
不幸中の幸いか、グラント家の強烈な跡取り補佐教育は失われておらず、先見の明が育っていた。マリウスは新聞や友人達、父や侍従からの情報で個人資産を目ぼしい事業に投資をすると、見る間に資産は増大した。毎日十三時間の勉強という教育虐待に耐えた甲斐があった。
また、少しずつ体が回復すると、リハビリにも精を出す。体を起こし、腕が使えるようになれば、自ら新聞を読み、書籍を読み。父も教育者を手配してくれ、マリウスは熱心に取り組んだ。将来的にクリスの執務の補佐をするのも良いな。
杖を突いて歩けるようになれば、さらに体を動かして体力を付ける。剣術は難しいが体術などは出来ないだろうか。体術に秀でた武道家を招いて、さらに学んだ。前世の記憶でいうと、空手の型や太極拳のような動きを教えてもらい、繰り返し続けていくと、回復も早まり、杖なしでも歩けるようになったし、走る事も乗馬も問題なくこなせるまでになった。
その頃になれば、マリウスは成人前にも関わらず、投資家として名を馳せていた。
最近のクリスはというと、バイオリンだけではなくピアノや作曲に精を出している。そろそろ、後継者教育が必要なのではないかと父に進言すると「ヘンダーソン家の跡取りはお前だ」と言うではないか。当のクリスも「将来は音楽院に入学して、音楽の道に進みたい」と言い出す。
かくして当て馬マリウスは生家の後継者に指名された。
体が回復してマリウスは、父にどうしてもと頼み込んだ事がある。
「学園には行きません。留学させて下さい」
物語が再始動するのは学園に入学してからだ。マリウスは我儘令嬢ではなくなったヴィクトリアと縒りを戻そうと付き纏い、彼女を愛するイケメン達に社会的に叩きのめされるのだ。
そのイケメン達は騎士を目指す青年や、学園きっての秀才と言われる青年、そして第二王子殿下だ。
ご自由に恋愛してください。
こちらは関わりません。
父の返事はあっさりとしたものだった。
「良かろう」
マリウスは学園には入学せず、隣国の学院に留学し、経営や経済、国際情勢を学ぶことにした。故郷の学園のレベルが低いわけではないが、マリウスにとって素晴らしい経験と学びになった。
隣国の王族とも友人となり、他国からの留学生とも親しくなり広い人脈を形成し帰国する。実を言うと恋人もできた。さらに幸運な事に彼女との婚約も認められた。
そして、無事に留学先の学院を卒業し、帰国する事になる。
その日は王家主催の夜会だった。マリウスが住むこの国の成人は18歳。丁度、学園を卒業した年齢に皆デビュタントとなる。学園に入学した友人達にも会えるだろうかと思いながら、マリウスは王宮に向かった。
「マリウス・ヘンダーソン令息!何と言われようと私は貴方のような不誠実な男性とは再婚約いたしませんわ!」
そして、会場のど真ん中で、ど派手ななりのご令嬢に怒鳴りつけられた。
「失礼。どちら様でしょうか?」
「まあ、しらばっくれて!なんて方なの」
いや、知らんよ。
「ヘンダーソン令息、宜しいだろうか」
ギャーギャー喚く令嬢に困惑していると、一人の令息が声を掛けてきた。自分と同じ年で、学園を首席で卒業した伯爵令息だ。第二王子の側近候補として知られている。
「彼女はヴィクトリア・グラント公爵令嬢だ」
全く見覚えがないと思った令嬢は、なんとヴィクトリアだった。人は嫌な記憶は自らの精神を守るために消してしまうというのは、あながち間違いではないらしい。
そう言えば、この伯爵令息はヴィクトリアに恋をしてる男の一人だと分かった。しかし、あまり彼女に対しての情熱を感じさせないのはどう言う事だろう。
「グラント令嬢は婚約解消後、ずっと君に付き纏われているという事だが」
「有り得ません。五年前、婚約解消となって以来、ご令嬢と一切関わっておりません。話はおろか、個人的に手紙でさえ送った事はありません。もちろん、当主である父は公爵閣下と家同士の関係でやり取りはあったかもしれませんが」
「ほら、彼もそう言っている。君の思い違いだろう」
「口だけなら何とでも言えるわ!」
「私は3年前から隣国の学院に留学していました。帰国したのも3日前です。隣国にいる私がどうやって、こちらのご令嬢に付きまとえると?」
そう言うと、第二王子が護衛騎士を伴って現れた。
「ああ、ヘンダーソン令息がこの三年間我が国にいなかった事は把握している」
確か、この二人もヴィクトリアに好意を持っているはずだったが、彼女に対して、どこか他人行儀だ。
「人を使っていたのかもしれないわ!」
ヴィクトリアは諦めずに叫んだ。
「その方はどなたですか?私の代わりにご令嬢に付き纏っていたと言う方は。私は断じてご令嬢に付き纏っておりません。私の名を騙って迷惑行為を行っているならば、ヘンダーソン家としても対処しなければなりません。その方の特徴をお教え頂けますか?」
「知らないわよ!私に気付かれないよう付き纏っていたのなら、私が気が付く訳ないでしょう!」
このご令嬢は自分の言っている意味が分かっているのだろうか。
「ご令嬢が仰るには、私が隣国に留学している間、私がご令嬢との再婚約を望み、人を使い、貴方に気付かれないよう、復縁を叶えるべく、付き纏い行為を行っていると言う事で宜しいですか?」
「そうよ!」
「貴方が気が付いていない、付き纏い行為とはどのようなものなのでしょう?姿を現すでもない、声を掛ける事もない、手紙や贈り物の類も送られていない、一切接触していない付き纏い行為とはどのようなものですか?」
「気が付いていないんだから、知る訳ないでしょう!」
人はそれを「思い込み」と言う。そして、マリウスがヴィクトリアにされている行為は「言い掛かり」である。
周囲には大勢の招待客がいる。国内の貴族だけではない、周辺国の大使や重鎮達も多い。多数の目撃者のいる前で下位とは言え、侯爵家の令息に言い掛かりを付けているんだぞ。
「では、宣言します。私、マリウス・ヘンダーソンはヴィクトリア・グラント公爵令嬢との再婚約を望んだ事はただの一度も御座いません。また、今後、ご令嬢との個人的な関わりを求める事は一切ないと誓います」
ヴィクトリアはそれを聞いて目を見開き怒鳴る。
「嘘よ!貴方は私と婚約しなければ、路頭に迷う未来しかないのよ!」
「いえ、私はヘンダーソン家の後継として指名されており、先日当主である父から領主代理の権限も渡されております」
「そんな……有り得ないわ」
ヴィクトリアはヨロヨロと後退すると、第二王子の護衛にしなだれかかった。しかし護衛は微動だにせず、正面を見据えている。君、ヴィクトリアに惚れてるんじゃないの?
「マリウスみたいな怠け者の鼻つまみ者が領主代理なんて、有り得ないわ」
「ご令嬢、私の名前を呼ぶのはやめて下さい」
そう言うと、ヴィクトリアはキッとマリウスを睨みつけるが、第二王子が諌めた。
「グラント嬢、もうやめないか」
「だって!」
マリウスは留学前、既に多額の個人財産を保有しており、学業を修めつつ様々な事業を立ち上げ、今や国際的な実業家となっていた。
そのマリウスが元婚約者であるヴィクトリアに再婚約を望み、付き纏っていると、学園時代から第二王子は相談を受けていた。
マリウスと婚約解消後、ヴィクトリアは極端な我儘が鳴りを潜めたので、第二王子との婚約話が持ち上がったが、突拍子もない言動やマリウスへの執着が垣間見られ、婚約の話はなくなった。
しかしヴィクトリアは、それを知ってか知らずか、第二王子やその護衛騎士、側近候補の伯爵令息を「親しい友人」と言って共に行動したがるようになる。
男性を親しい友人とするのは如何なものか。
これまでは公爵令嬢という事で邪険にもできなかったが、第二王子も、その護衛騎士も、側近候補の伯爵令息も、他の令嬢との婚約者話が持ち上がっており、ヴィクトリアとは距離を置かねばならない。
だが夜会でこんな騒動を起こしてしまったからには、彼女にまともな結婚相手は見つからないだろう。
若くして成功したマリウスに対して、グラント家はヴィクトリアの提案の妙な事業が失敗続きだ。娘に甘い公爵はヴィクトリアの始めた商売は全て成功しているとヴィクトリアに話しているようだが、どうするつもりなのか。
そして第二王子に諌められたヴィクトリアは一時的に静かになったが、国王より、マリウス・ヘンダーソンと隣国の第三王女との婚約が発表されると、再びヒステリックに騒ぎ始めたが、気付くとどこかに連れ出されていた。
そういえばとマリウスは思い出した。
小説でヴィクトリアは前世の記憶が蘇り、我儘は鳴りを潜めた。しかし、その前世の性格は「天然でおっちょこちょい、感情豊か」だった。
マリウスはなるほどと思う。
貴族らしくない浮世離れしたご令嬢が性格の歪んだ元婚約者に付き纏われたら、王子や令息達も同情したかもしれない。そして、哀れみから恋に発展したかもしれない。だが、マリウスはヴィクトリアに未練などない。
そうなったらヴィクトリアはただの変人女だ。
そう言えば、マリウスが付き纏うという小説のストーリーも知っているようだった。ならば、その物語に固執したのか?今のマリウスには知る由もないが、今後ヴィクトリアに関わる事はないので、もはやどうでも良い事だった。
その後、グラント家に第二王子や、彼の護衛騎士、側近の伯爵令息が婿入りするという話は聞かない。
公爵家の悪評を表立って言うものはいないが、ヴィクトリアと公爵家の評判はよろしくない。
女公爵となるヴィクトリアはまともに後継者教育を受けていないのだ。事業の失敗続きもそのためだ。仮令前世の記憶があろうと、そのアイデアを、この国のこの時代に合ったものに落とし込まなければ失敗するに決まっているだろう。
そんな彼女の夫となる人物はヴィクトリアの尻拭い係として使い潰される。彼女と年齢の釣り合う優秀な子息達は軒並み婚約者がいるし、10歳以上、年齢の幅を広げようが同じだ。
今は歳下の令息のいる家に打診をしているようだが、皆、マリウスの状況を知っている。毎日、十三時間の教育虐待の末、階段から突き落とされ、実家へ返された。それに今のグラント公爵家に目が眩むような金を積むことも難しい。子供を家のための道具と考えるような冷淡な貴族家にでさえ、相手にされていない。
どうやらグラント公爵は王家に優秀な婿との縁を見付けてくれるよう、頼み込んでいるようだが、こんな状況の公爵家と無理矢理縁付かせようとするならば、逆に王家が恨まれてしまうだろう。
公爵家を支えるならば優秀でなければならない。しかし優秀な子息を持つ貴族家に力がない訳がない。本人は優秀だが実家に権力がないなどという、都合の良い子息はいない。
金銭問題と後継者問題の解決出来ないグラント公爵は、遠縁の者が引き継ぐか、最悪、王家に爵位返上となるのではないかと、マリウスは考えている。
もうすぐ、留学先で恋人同士になった姫君がこの国にやってくる。そんな時期になると、何故か、よりによってヴィクトリア・グラントから手紙が届いた。
呪いの手紙だろうか。
父から聞いたが、マリウスと隣国の姫との婚約発表後、何通もの手紙が届いているというではないか。ずっと無視をしていたが、あまりにも諦めが悪いので対処する事になったのだ。
父とマリウス、そして、顧問弁護士と共に開封して中身を確かめると、数十通ある内容はほぼ一緒だった。
曰く。
マリウスは転生者なのだろう。同じ転生者にも関わらず、ヴィクトリアを陥れた事は許されない。しかし、広い心でヴィクトリアはマリウスの行いを許そう。だが同郷ならば、窮地に陥ったヴィクトリアを救うべきだ。第二王子とヴィクトリアの仲を取り持つように。第二王子の護衛騎士か、側近の伯爵令息でも良いが、出来ぬならば、隣国の王女との婚約を破棄し、マリウスが責任を持ってヴィクトリアを幸せにするように。ヴィクトリアはこの世界の主人公であるため、彼女が不幸になれば世界が破滅するかもしれない。
その手紙を読んだ父は言った。
「狂っている」
手紙は全て王家に提出され、ヴィクトリア・グラントは精神病患者として長期入院することとなる。
マリウスと姫君は恋人同士ではあるが、単純な恋愛結婚ではない。隣国との共同事業が絡んでいる。直前になって潰されては王家の立場もなくなる。
後継者がいなくなったグラント公爵家は領地、爵位共に王家預かりとなった。
ヴィクトリアは入院中だが、世界に変化はない。
明日はマリウスと姫君との結婚式だ。
少なくともマリウスの世界は幸せに包まれている。
常識人の前世の記憶が蘇ったら怪我させたこと謝れよ。
そもそも前世も常識なかったんじゃないかなぁ。