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AIがあるから私はいらない? 別にいいですけど、職場に恋愛脳を持ち込まないでくれませんか

作者: 近藤久乃
掲載日:2026/02/23

職業描写はふわふわです。

「高井先生、今月の試算表ですが、ここの経費計上が……」

「ああ、それは工藤さんの判断で正解です。

 事前の稟議書と照らし合わせても、研究開発費として処理するのが適切ですね」


 関東にある中堅メーカー、株式会社ゴンダの応接室。


 税理士である私、高井詩織はこの会社と顧問契約を結んでいる。

 今日は経理課長の工藤信也さんと月次監査を行っていた。

 工藤さんはこの会社で唯一と言っていいほど話の通じる人物だ。

 実直で、数字に対して誠実。


 そして、私の仕事をプロとして尊重してくれている。


「さすが高井先生だ。判断が早くて助かります」

「工藤さんの資料が完璧だからですよ」


 穏やかに微笑み合う私たちの間に、突然、ヒールの音が乱入してきた。


「ちょっと工藤さん! またその外部の人とコソコソやってるんですかぁ?」


 派手なネイルをした指先で書類を弾いたのは、社長秘書兼経理担当の佐々木エリカだった。


 彼女は私のことを目の敵にしている。

 工藤さんが私に信頼を置いているのが気に入らないらしい。


 完全な私情。


 まるで中学生か高校生のような。


 社会人なら、職場では仕事をすればいいのに。


 どうして恋愛ごっこを持ち込むのだろう。


「佐々木くん、コソコソではない。これは大事な監査だ」

「だーかーら、それが無駄だって言ってるんですよぉ。社長もそう言ってます!」


 彼女の後ろから、権田社長が腹を揺らして現れた。


「その通りだ。高井くん、君との顧問契約は今月で打ち切らせてもらうよ」


 あまりに唐突な通告。だが、私は眉一つ動かさずに手元のペンを置いた。


「……理由をお伺いしても?」


「コストカットだよ、コストカット!

 エリカくんが教えてくれたんだがね、今はAIとかいうのがあって、チャチャッと入力すればタダで計算してくれるんだろう?

 月何万円も払って君に茶を飲みに来てもらう必要はないってことだ」


 社長は勝ち誇った顔で言った。


 エリカも「今の時代、クラウドですよ、クラウド!」と、意味もわからず横文字を叫んでいる。


 私は小さく息を吐いた。

 この会社は、消費税の計算方式も複雑で、在庫評価の特例も使っている。

 素人がAIに入力しただけで終わるような単純な経理ではない。


「社長、クラウド会計は魔法の杖ではありません。

 正しい知識を持って入力しなければ、とんでもない間違いが起きますよ。

 特に御社の場合――」


「はんっ! そうやって危機感を煽って契約を続けさせるのが手口なんだろう?」


 社長が鼻で笑った。

 工藤さんが「社長! それは無礼です!」と立ち上がったが、私はそれを手で制した。


「いえ、結構です工藤さん」


 私は鞄を手に取り、立ち上がった。


「経営判断に口を出すつもりはありません。

 解約の件、承りました。

 引継ぎ資料は後ほど送付します」


「そんなものはいらん、AIがやってくれるからな!

 ほら、さっさと出ていけ! 詐欺師め!」


「……今までありがとうございました。では、失礼します」


 内心は穏やかではなかったが、ぐっと堪えてその場を去る。


「ああ、やっとすっきりしましたぁ! あの人、いつも工藤さんに色目使ってて気持ち悪かったんですよねぇ~」


 色目を使っている張本人が何か言っている。


 まあ、私にはもう関係ない。


 沈みゆく船から降りるのに、未練を持つ必要はないのだから。


 * *


 それから三ヶ月が経った。

 私の事務所は繁忙を極めていた。


 実はちょっとだけ経営が危うかったのだが、ゴンダとの契約がなくなったことで空いたリソースには、すぐに別の優良クライアントが入り込んだ。


 理不尽な要求や突発的な呼び出しがなくなった分、業務効率は劇的に向上している。


 おかげで経営も上向き、すべてが順調だ。


「先生、最近肌ツヤいいですね」

「そう? ストレスの原因が一つ減ったからかもね」


 アシスタントとそんな軽口を叩きながら、私は優雅にコーヒーを飲んでいた。


 一方で、風の噂は嫌でも耳に入ってくる。

 地元の商工会の集まりで、顔見知りの銀行員が声を潜めて教えてくれた。


「ゴンダさん、ヤバいらしいですよ。

 融資の審査に必要な試算表が、三ヶ月も出てこないんです」


「おや、AIがチャチャッと作ってくれるはずでは?」


「それが、出てきた数字がめちゃくちゃで……。

 売上が二倍になっているのに、現金がマイナスになっていたり。

 AIに変なデータを食わせたんでしょうね」


 容易に想像がついた。


 エリカが「とりあえず入れればいいんでしょ?」と、領収書や請求書を無分別にスキャンし、勘定科目も適当に登録したのだろう。


 AIは入力されたデータが正しいかどうかまでは判断しない。

 ゴミを入れれば、ゴミが出てくる。それだけの話だ。


 さらに深刻なのは、税務署が動き出したという情報だった。

 過去の申告内容との乖離が大きすぎて、調査の対象リストに入ったらしい。


「工藤さんはどうしているのかしら……」


 ふと、あの真面目な経理課長の顔が浮かんだ。

 彼のことだから社長とエリカが作り出したカオスの中で、必死に堤防を築こうとしているに違いない。


「大丈夫かしら」


 心配ではあるが、すでに去った身だ。

 声をかけるのは、かえって工藤さんの迷惑になるかもしれない。


 * *


 その日の午後、事務所のインターホンが乱暴に鳴らされた。

 アポイントはない。


 モニターを確認すると、汗だくの権田社長と、化粧の崩れたエリカが映っていた。


「高井くん! いるのはわかってるんだ! 開けてくれ!」


 私はため息を一つついて、ドアロックを解除した。

 応接室に通すと、社長はドカッとソファに座り込み、エリカは隅の方で爪を噛んでいた。


「……何のご用でしょうか。

 アポイントのない訪問はご遠慮いただいているのですが」


「水臭いこと言うなよ! 元顧問税理士じゃないか」


 社長はハンカチで額の汗を拭いながら、尊大な態度を崩さずに言った。


「実はな、ちょっと経理の方で手違いがあってね。

 税務署がうるさいんだよ。

 だから、特別に君と再契約してやろうと思ってな」


「再契約、ですか」


「ああ。報酬は以前と同じ……いや、わざわざ再契約してやるんだから半額でいいだろう。

 さあ、すぐに来て溜まってる書類を片付けてくれ。

 今月末の申告に間に合わせなきゃならんからな」


 私は耳を疑った。


 自分たちで勝手に契約を切っておいて、トラブルが起きたら「戻ってもいい」とは。


 しかも、半額?


 プロを舐めるのもいい加減にしてほしい。


「お断りします」


「……あ?」


「現在、私の事務所は新規の顧問契約を受け付けておりません。

 既存のクライアント様の業務でスケジュールはすべて埋まっております」


 事実だった。

 それに、仮に空いていたとしても、こんな泥舟に乗るつもりはない。


「な、なんだと!?

 君、自分の立場がわかってるのか!

 ウチみたいな太客を逃したら、君だって困るだろう!」


「半額の時点で相場を下回っています。

 太客どころか細客ですよ。客ですらない」


 私は即答した。


「そもそも、すでに条件の良いご契約を複数いただいております。

 御社の代わりは、いくらでもいます」


 社長の顔が赤黒く変色していく。言葉が出ないようだった。

 その時、隅にいたエリカが叫び声を上げた。


「嘘よ! 強がってるだけじゃない!」


 彼女は私のデスクに詰め寄り、ダン! と机を叩いた。


「どうせ工藤さんに未練があるんでしょ!?

 だから冷たくして、気を引こうとしてるんでしょ!

 知ってるんだから!

 あの人が『高井先生がいればこんなことには……』って、毎日毎日あなたの名前ばっかり呼んでるのよ!」


 ああ、なるほど。


 AIだのコストカットだのは建前で、本音はそれか。


 私は呆れて物が言えなかった。


 恋愛脳。


 会社の経営危機という状況で、まだ惚れた腫れたで頭がいっぱいなのか。


「佐々木さん。公私混同もそこまでにしてください」


 私は冷ややか視線で彼女を射抜いた。


「私が工藤さんと築いていたのは、プロ同士の信頼関係です。

 あなたのような感情論で仕事をしている人間には、一生理解できないでしょうね」


「なっ、なんですってぇ!?」


「それに、嫉妬で会社の経理をめちゃくちゃにした責任、どう取るおつもりですか?

 税務署は、あなたの泣き落としなんて通じませんよ」


 エリカは言葉を詰まらせ、わっと泣き崩れた。


 社長がおろおろと彼女をなだめようとする。


 見苦しい。


 これ以上、私の神聖なオフィスを汚されたくない。


「お引き取りください。次は警察を呼びます」


 私はドアを開け放った。


 社長は「お、覚えてろよ!」と捨て台詞を吐き、泣きじゃくるエリカを引きずって出て行った。


 パタン、とドアが閉まる。

 静寂が戻ったオフィスで、私は深く息を吸い込んだ。


「……コーヒーでも飲もうかしら」


 今は気分を変えたかった。


 * *


 その日の夜、私のスマートフォンが鳴った。

 ディスプレイに表示された名前を見て、私は少しだけ表情を緩めた。


『工藤』の二文字。


「はい、高井です」


『夜分にすみません、工藤です。

 聞いたよ。社長たちが迷惑をかけたみたいで』


 受話器の向こうの声は、疲れ切っていたが、どこか憑き物が落ちたような響きがあった。


「いえ、警察を呼ばずに済んだので大丈夫です。

 工藤さんこそ大丈夫ですか?」


『もう無理だね。

 社長から税務署対策に隠蔽工作を指示されたよ。

 もちろん断ったけど』


 工藤さんは乾いた笑い声を漏らした。


『ついでに、辞めてきた』


「えっ?」


『今日、辞表を出してきたんだ。

 あんな泥舟につきあって、自分のキャリアまで汚す必要はないと思ってね。

 ……君が三ヶ月前に見せた、あの潔い去り際を見て、ずっと考えていたんだ」


「ありがとうございます。これからどうするおつもりですか?」


『独立するよ。

 これまでの人脈を使って、コンサルティング会社を立ち上げる。

 もうクライアントのアテもあるんだ』


「それは……すごいですね。工藤さんなら、きっと成功します」


『それで、だ。高井先生』


 彼の声色が、少しだけ熱を帯びた。


「顧問契約をお願いしたいんだ。ゴンダにいたころと同額、いや、2倍でいい。それだけ君の能力を評価しているんだ」


「ありがとうございます。嬉しいです」


 それは本音だった。

 半額などと寝ぼけたことを言われたあとだから、なおさらに嬉しく感じる。


「ですが、それは受けられません」

「どうして」


 愕然とした声で工藤さんが問いかける。


「僕になにか落ち度があったのか。

 言ってくれ、直すから」


「違います。相場の適正価格でならお受けする、ということです。

 立ち上げたばかりの会社ですし、ゴンダにいたころより安くなりますね」


「それは申し訳ないような……」


「でしたら、大きな会社に育ててください。

 そうしたらたくさん支払えますよ。

 ……なんだか変な会話ですね」


「ははっ、確かに

 けど、君の言うこともっともだ。

 たくさん顧問料を支払えるように、世界一の会社にしてみせるよ」


 * *


 それから半年後。


 都内の落ち着いたレストランで、私は工藤さんと向かい合っていた。


 テーブルには、彼が立ち上げたコンサルティング会社の、見事な右肩上がりの試算表が置かれている。


「素晴らしい数字ですね。

 初年度からこれなら、来期は私の顧問料、少しは上げてもらえそうです」


「お手柔らかにお願いするよ。

 高井先生の厳しいチェックのおかげで、無駄な経費を使わずに済んでいるからね」


 ワイングラスを傾けながら、工藤さんは穏やかに笑った。

 ゴンダにいた頃の疲労感は完全に消え、経営者としての頼もしさが備わっている。


「そういえば」


 工藤さんがふと思い出したように口を開いた。


「ゴンダ、破産手続きに入ったらしいよ。

 経理だけじゃなくて、いろいろなところにAIを入れた時にうっかり情報を流出させて、賠償の支払いに追われていたんだ。」

「……そうですか」


 私は、運ばれてきた前菜にフォークを伸ばしながら淡々と応じた。


 何の感慨も湧かなかった。


 哀れみも、ざまぁみろという喜びもない。


 AIは優秀かもしれない。


 けれど使う人間が無能なら、意味がない。


 サルにパソコンを与えたところで壊すだけ。


 そういう話だ。


「あの時、高井さんは泥舟から降りて正解だった」


「ええ。おかげで、こうして優良なクライアント様と美味しい食事ができていますから」


 私が微笑むと、工藤さんはグラスを置き、少しだけ真剣な眼差しになった。


「高井さん」


「はい」


「会社の方は、君のおかげで無事に軌道に乗った。

 だから……これからは、仕事の枠を少しだけ超えてみないか」


「仕事の枠、ですか?」


「うん。例えば、次の週末。

 試算表の報告会としてじゃなく、ただの工藤という一個人として、君を映画と食事に誘いたい」


 まっすぐな視線だった。


 ゴンダ時代からずっと感じていた、私への敬意。


 そこに、少しだけ温度の高い好意が混じっている。

 

 それが静かに、けれど確かに伝わってくる。


 私は少しだけ目を瞬かせ、それから、手元のワイングラスを見つめた。


 冷徹に数字だけを追ってきた私の日常に、計算式では弾き出せない不確定要素が入り込もうとしている。


「……顧問契約外の業務になりますね」


「高くつくかな」


「ええ、とても。相場より厳しいかもしれませんよ」


「望むところだ。たくさん支払えるように、もっと会社を大きくするって約束したからね」


 私たちが顔を見合わせて笑い合った時、グラスの中で琥珀色の液体が小さく揺れた。


 これから始まる新しい関係が、どんな利益を生み出すのか。


 その正確な数字が出るのは、もう少し先のことになりそうだ。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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