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第20話 リゼの事情①

 リゼは寝袋の中で目を開けた。「薄く、軽く、ベッドの上にいるかのような極上の睡眠をあなたに」という宣伝文句の寝袋だったが、寝間着ではなくいつものロングコートを着て、ブーツを履いたままでは休まるものも休まらない。体がギシギシとこわばり、疲れが取れた気がしなかった。フル装備のまま寝るのは山城の指示だ。なにか起きてもすぐ逃げられるように、とのことだった。


 HBで時間を確認すると、朝の五時過ぎだった。


 彼女は広葉樹の森の中にある空き地のようなスペースにいた。数十年前はキャンプ場だったようで、朽ちたトイレ小屋と壊れた水場、サビだらけの鉄くずになってしまったバーベキューコンロが草木の間に見える。リゼたちはテントは使わず、小さな焚き火のまわりに寝袋を敷いていた。


「起きたか」


 阿含が言った。自分の寝袋の上に座り、焚き火をじっと見ている。


「おはようございます」


 山の夜は早い。阿含と山城のガスマスクには暗視装置が付いているし、リゼにはHBがあるため夜間の移動も可能ではあるが、バッテリーを消費するし、日中と比べれば危険は段違いだ。イノシシや野生化した犬の他、賊などに襲われることもあるため、農協では日が落ちた後は原則として移動を行わず、人通りのある国道や県道を離れて森の中でキャンプすることになっているという。


 昨夜は前半の見張りを山城が、後半の見張りを阿含が行った。


 山城はいびきをたてて寝ている。


「お湯湧いてるけど、お茶かコーヒーどっちにする?」


 阿含が言った。


 湧き水に浄水タブレットを入れて作った水はお世辞にも美味しいとはいえないが、味をつければいくらかマシにはなる。かつての豊かな水源は、地震による化学工場の崩壊や放射能の汚染により今では見る影もない。


「紅茶あります?」


 寝ぼけた顔でリゼが言った。


「ないな。イギリスから持ってこなかったのか?」


「持ってきましたけど、ホテルに置いてきました」


 阿含からジップロックに入った緑茶パウダーを受け取り水筒のコップに入れると、焚き火にかけられた銅製の鍋からお湯を注いだ。


 茶葉で入れるお茶と比べて味も風味も数段落ちるが、とりあえず緑茶の味はする。


 ゆっくりと一日が始まっていくのを感じながら、リゼは自分の母親のことを考えていた。


 


 日本で厄災が起きたとき、リゼの母親はイギリスに留学していた。厄災直後は世界中が動揺しており、イギリスもその例外ではなかった。一億人の日本人が難民として来るぞ、と言われて在英邦人への攻撃や日本大使館へのデモや投石、放火が毎日のように行われていた。


 母国と連絡がつかず、家族という後ろ盾を亡くした無力な女子大生にとっては恐ろしい状況だっただろう。そんな時、彼女に寄り添い心の支えになったものがいた。ハサン・ジャウハリー。エジプトからイギリスに留学していた裕福な男だ。二人は恋に落ち、ハサンはプロポーズをし、母は受け入れた。妾としての立場を。


 悪名高い日本特別措置法には日本人の国境を超えた移動の禁止も含まれており、母は日本に帰ることはおろか、国へ帰ったハサンとともにエジプトへ渡ることもできなかった。


 ハサンは非常に紳士的だった。彼がエジプトに帰ったあともロンドンの端に小さなアパートを借り、リゼの母親を住まわせ、高額ではないが送金もしていた。仕事のために年に一、二度イギリスに行くときは必ずそのアパートに数日滞在した。だが、母は……


 母は、憎んでいた。あなたを助けると言ったのにめったに会いに来ない父を。パスポートを失効させ、国から出られなくした上で執拗に差別を続けるイギリス人を。勝手に滅び、自分を孤立させた日本を。父の介入もあって、イギリスのパスポートを取ることが出来、明るい未来を持った自分の娘を。彼女は、何もかもを憎んでいた。




「げっ、検問だ」


 山城が言った。ちょうど県道と市道が交差する辺り、木の陰の見えにくいところにボロボロになったプラスチックの白いテーブルが置かれ、若い男たちがラジオを聞いていた。


 しくったな。阿含は思った。端末にインストールされた静岡ナビには何の情報もなかった。この辺りを通るものが少ないか、この検問自体が新しいかだ。


「軍の検問なら仕方ない。リゼちゃんにいくらか払ってもらって」


 山城が言いかけて口を閉ざした。たむろする男たちもこちらに気づいたのだ。


 ジャージやスウェットの者、ボサボサの金髪に加え首まで下手くそな入れ墨をしている者もいる。県軍ではなさそうだ。


「おっと、通行人だ」


 スウェットが言った。


「ここらへんは危ねえからな。この先行きたきゃオレたちがエスコートしてやるぜ」


 火の付いたタバコを持った金髪の男が言うと、他の男達がギャハハと下品に笑った。


 全部で四人。テーブルの上には急須と湯呑、瓶に入れられたドブロク、ラジオや花札の他、ドラッグと思われる錠剤が透明なビニールに入れられ無造作に置かれている。


 リゼはコートのフードを被った。


 阿含もさり気なくリゼの前に立つ。山城がニコニコして言う。


「いやー、すみませんね。ここが通れなくなってるって知らなくて。今引き返しますから」


「おっとぉ、そんなに焦るなって。ちょっとお話するだけだから」


 金髪はタバコを投げ捨てると、これみよがしにサブマシンガンの銃口を横に振った。


「おい、見ろよ。女いんじゃん。ってなんだよ外人かよ。しかも黒人」


 他の男が言う。


「俺は外人でもいいぞ。レアじゃん。ほーら、こっち向いてみ」


 何が楽しいのか、大声で笑っている。


 男たちとの距離は数メートル。もっと離れていればいくらでもやりようはあったが、チンピラなりに頭を使った場所に陣取っていた。


 阿含が山城に小声で言った。


「どうする、強引に行っちまう?」


「四人一度には無理だろ。連絡されちまうぞ。この辺りはもう連中のテリトリーだし、銃声が響くのもまずい」


「阿含さん。私が、説得しましょうか、通行料を払うって」


 リゼの声はかすかに震えている。


 阿含が後ろを振り返った。


「リゼ、大丈夫だ。任せておきな」


 金髪がニヤニヤしながら近づいてくる。


「おらあ、ゆっくり銃を下に置け。こっちは四人だ。てめーらなんざイチコロだぞ」


 阿含はSCARを地面に置くと、両手を上げて笑顔を作った。


「いやー、すみません。ちょっと行き違いがあったみたいで」


 ごく自然なふうに金髪に近づく。


「僕たちは、デリバラーですよ」


「ああ?」


「あちらの女性を、あなた方のボスのところにお連れするのが仕事でして」


「は? 何のためにだよ」


「いやあ、理由は知りませんが。僕らは依頼があって来てるだけですので」


「ボスは外人嫌いの女嫌いだぞ」


 おおっとやばいぞ。ギャングのボスがそんなやつだとは想定してなかった。阿含が次の言葉を探していると、別のチンピラが喋った。


「あれじゃね、今ボスのところに外人の客が来てるとかいう。そいつ用の女とかじゃね」


「そう、それです」


 思わず声が大きくなってしまった。いや、大丈夫。自然だ。俺はチンピラにビビってる一般通過モブ。急ぎたいあまりに過敏になってしまっているだけだ。すぐに撃たれる心配がなくなったので手を下ろす。


 山城はリゼの方を振り返り、説明をするかのようにでたらめな言葉をしゃべった。


 阿含が話を続ける。


「今日の午前中までには、と言われてるんで、できればすぐに行きたいんですが」


 金髪が端末を取り出しながら面倒くさそうに言う。


「あー、まあいいや。今電話で確認してみっから」


「えーと、すみません。ちょっといいですか」


 阿含が言った。


「あ? うっせーな、ちょっと黙って──」


 阿含が振りかぶったマチェットが金髪の首に深々と食い込んだ。男の口から血がゴボリとこぼれる。阿含が冷たい声で言った。


「嘘がバレるから電話とかやめてくれよ。真面目か」

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