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第13話 山の怪③

 日本の現状の取材、そのことをもう一度思い出しリゼも阿含の後ろをついていった。同時に彼女は左腕の白い腕輪、HBにそっと触れて録音、録画機能をオンにした。


 曲がりくねりがありながらも、獣道は基本的に一本道で、しばらく進むと開けた場所に出た。


「何か、変な臭いがしますね」


 リゼが言った。


 肉が腐ったみたいな淀んだ臭いだな、リゼに頷き返しながら阿含は思った。でも、それだけじゃない。どこかで嗅いだことのある臭いだが……


 少し離れたところで焚き火をしているのだろう、煙が上がっていた。どうやらここがイノシシ窃盗犯の拠点のようだ。


 辺りを警戒しながら歩くと、雑に作ったログハウスのようなボロボロの小屋と、その前でイノシシの血抜きをしている若い男女がいた。彼らは阿含とリゼに気づいたようで、手を止めてこちらを見ている。


「えーっと、こんちわ」


 阿含が締まらない挨拶をした。


「あー、外の人だ!」


 男のほうが言った。どちらも十代後半から二十代くらい。三十歳は超えていないだろう。男はのっぺりした顔つきにだらしなく開いた口元。女の方は表情のない顔で阿含たちを見ている。


「どうも、俺達は農協のもんです。そのイノシシの件で来たんだけど」


「シシ! そう、このシシ。俺がとった」


 男が言う。男はヨレヨレの作業着を着て、右手に大ぶりのナイフを持っていた。この場合何と切り出したものか、と阿含が考えていると、女が阿含の後方を指差した。


「おっとう」


 振り返ると、いつ近づいたのか作務衣を来た小柄な男がそこに立っていた。


「さて、どうされましたかな」


 思わず相手が近くにいたため、阿含はリゼの肩を引いて男から距離を取らせた。


「うわっと」


 リゼが後ろに転びそうになるが、阿含の腕を掴んでこらえた。


 気まずい沈黙が流れた。


 作務衣の男はあごひげに白いものが交じる初老の男性で、ニコニコと二人を見ていた。


「申し訳ない、驚かせてしまったようで」


「い、いえ。こちらこそ。その、大きな声をあげてしまって」


 阿含の腕から手を離してリゼが答えた。


「おや、外国の方ですかな。女性で黒人とは、この辺では珍しい。モンゴロイド以外の女性は久しぶりに見ましたな。それに日本語も達者でいらっしゃる」


「強いて言うならアラブ系です。その、私達は……」


 リゼが阿含を見る。


「俺たちは山に仕掛けた罠の見回りしていて、そこのイノシシがうちの罠に掛かったもんだと思うんだけど」


「おや、そうだったんですか。しかしあのイノシシは……いや、見てもらったほうが早いか。おい、こっちにイノシシを持って来なさい」


 作務衣の男が指示を出すと、血抜きをしていた男女がイノシシを引きずってきた。


 イノシシは、奇形だった。背中のあちこちにボコボコと大きな瘤が出来ており、前足と後ろ足の間に五本目と六本目の短い足が生えていた。大きい牙はねじれており、その横から細かい牙がいくつも伸びている。そして、顔の横にもう一つの小さい顔が出来かけていた。


「放射能の、影響でしょうか」


 リゼが阿含に尋ねる。


「磁気嵐のせいって言われてる。月に何度か強い磁気嵐が来る時があって、それに晒されると病気になったり子供が奇形になったりするって。家畜は大体屋内に入れるんだけど、野生のはそうも行かないからな」


「それで、農協としてはどうされますかな、このイノシシを持って帰りますか?」


 男の問いに阿含は首を振った。


「いや、そこまで奇形がひどいのは誰も食べたがらないから持って帰らない。……あんたらは食べるのか?」


「はい。我々は人里との関わりをできるだけ絶って山で生きています。山に生かされている、ともいえます。ですので、山で穫れるものはすべて、ありがたく頂いておりますよ」


 男は言葉を切ると突っ立っていた若い男に指示を出す。


「おい、大きなシシが手に入るんだ。これを片付けたら仕込みを手伝いなさい」


 ところが、若い男は手に持ったナタをじっと見つめたまま動かない。


「どうした」


「と、父さん。俺、それ、やりたくない。もうシシも食べたくない」


「何てことを! ……いや、いい」


 初老の男は激昂しかけたが、阿含とリゼを見て思いとどまった。


「このイノシシを吊るしたら、他のものに私の仕込みを手伝うよう伝えておきなさい」


「……」


 ナタを持った男は尚も固まったままだったが、若い女に袖を引っ張られてやる気になったようだ。イノシシを引きずって山小屋の裏に消えていった。


「いや、すみませんな。こんな山の中にいると、どうしても言葉がきつくなってしまうんです」


「皆さんここに住まわれているんですか?」


 リゼが男に質問をした。


「ええ。そこのと、まあ、他にも何人か子供がいましてね。家族みんなできりきり働いて、何とかやっていますよ」


「……自給自足で?」


 阿含が聞く。


「え? はい。小さな畑をやってましてね。それにこのあたりの山は食べるものが豊富だ。山菜に動物に、他にも色々と。……いかがです、せっかくいらしたんだ。中でお茶でも飲んでいきませんか。こんなところだと中々お客さんも来ない。どうも人との会話に飢えておりましてね。もちろん、変なものはお出ししませんし」


「どうします、阿含さん。私としては日本の方のご自宅はぜひ取材してみたいのですが」


 阿含はリゼと男、そして周囲をぐるりと見渡した。


「いいんじゃないかな、せっかくだしお邪魔しようか」


 男は祖仁屋豆吉(そにやとうきち)と名乗った。何人子供がいるのか、という阿含の質問には五人だと答えた。


「男手一人ですが、あの大地震の後にも子供を飢えさせなかったことが自慢でして」


 彼の家は外観こそ悪かったが、中は意外にも手入れが行き届いている。建物自体の作りがしっかりしていることから、厄災後に空き家になったペンションを改築して住み着いたのだろうとリゼは推測した。




「この家に中東の方、それも女性を迎えるのは初めてでしてね、お口にあうかどうか」


 古いがしっかりとした造りのテーブルに掛けている阿含とリゼが待っていると、祖仁屋が四角いおぼんにマグカップを載せてキッチンから戻ってきた。後ろ手にキッチンのドアを閉じる。


「後ろから失礼。紅茶じゃなくてよもぎ茶ですがね」


「ありがとうございます」


 リゼがマグカップに手を伸ばしかけた時、唐突に阿含が話を始めた。


「リゼは取材のために日本に来てるって言ってたよな」


「え、はい」


「では一つ、農協のばあさんから聞いた昔話をお話しよう」


 厄災が起きて日本という国がなくなる前の頃、関東で帰らずの山という噂話が流行った。ベテランの山男や少数でハイキングに行った人たちが行方不明になるって話だ。成人の失踪なんて珍しくないし、ましてや山だ。危険なことだってある。そういってみんな真剣に取り合わなかったんだが、ある日大怪我をして山から帰ってきた人間が居た。


 そいつは警察にこう言った。『男に襲われた。一緒にいた奴は身ぐるみを剥がれ、殺されて食われた』


 警察は大規模に山の捜索を行った。そして、使われていない山小屋から調理された跡のある人骨をいくつも見つかった。その後も“男”を探して幾度も捜査が行われたが……


「ついに帰らずの山の人食いは見つからなかったとさ」


 阿含は立ち上がってリゼのマグカップを取ると、中のお茶を床に捨てた。


「何なら俺の分はあんたが飲むか、人食い。何を仕込んだか知らねえがな」

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