揉め事の予感
瞳孔の散大と対光反射の損失を確認しました。心音と呼吸音も聞こえません。心臓の停止も確認できます。
×月▲日15時34分、死亡を確認しました。
俺はゆっくりと頭を下げる。
それを見たシャロちゃんも、真似るように横たわるボーイの遺体へと頭を下げた。ちゃんとできて偉いね。とりあえず、お供物は床を拭いていた雑巾でいいだろう。
「…………」
「待って、ボス……これ息ある」
「え、まじ!? 腹裂かれてんのに生きてんの!?」
確かによく見てみれば、ボーイの胸が少し上下していた。てっきり、現実逃避からくる幻聴かと思ったが、ボーイは半ば上下に分断されかけてなお、生命の灯火を点けているらしい。
人間として死んどけよ、なんて酷い言葉は吐かない。
とにかく、生きていることが喜ばしい。ありがとう、生きててくれて!
「トドメさす」
「イヤイヤ、早まるなシャロちゃん! それ以上はダメだから本当に勘弁して! 確かに『殺して』とは言ったけど、あれは脅しみたいなもので!」
「おど、死?」
「そんな死因はこの世にありませんっ」
俺は大剣を振り上げるシャロちゃんを背後から抑える。
だけどやっべー。思ったよりシャロちゃんの力が強い。獣人ってやっぱり肉体構造からして別格みたいだ。脇下に腕を入れて固めても、完全に拘束できない。
と、そんな絶望的なタイミングで。部屋の外から声を掛けられる魔法具が突然鳴り響いた。
『おーい、カネカス。掃除に入ってから随分時間かかってるが、大丈夫か?』
聞こえてきたのは男の声だった。多分、このカネカスと呼ばれたボーイの同僚か何かだろう。カネカスの戻りが遅いためか、心配になって部屋の外から声を掛けてきたらしい。
大丈夫かって?
そんなの俺が聞きてぇーよ!
大丈夫なの、これ? 一瞬でも力抜いたらシャロちゃんはトドメさすよ、これ? 絶対絶命の危機だよ、これ?
最悪という言葉を軽く2段階は飛びあがってしまってる。
『昨日の貴族は随分派手だったからな。汚れが落ちにくいのは分かるが、早くしねーと酒会所で定例はじまんぞ。次、遅刻したらパタンさんに何て言われるか……って、おい聞いてんのか? 返事しろ、おい』
残念なことに、いくら声かけてもらっても、そのカネカスさんの意識はフェードアウェイしているんです。なんなら、多分あの世まで羽ばたきかけてしまっているんです。薄らと魂のようなものが、天上へ羽ばたこうとしているのが見えてるんです。
こうなったら仕方ねぇ……一か八か、シャロちゃんの口を押さえて俺が成りすましで喋るしか!
「ボ――うぐっ」
「しゅ、しゅまんー! 血が落ちにくくてぬぁ!」
『あぁ……? なんでしゃくれた時みたいな声?』
「そりゃありぇだよ、ありぇ…………ありぇなんだよ! ふひ、気にしゅんなって、ふひひひ!」
『相変わらず、気持ちの悪い笑い方だなぁ……まぁ、どうでもいいけどよ、定例には遅れんなよ』
それだけを告げられると、がちゃんと魔法具から音が聞こえた。相手が切断した音だ。
ふぅー……どうやら誤魔化せはしたらしい。抑えていたシャロちゃんの口元から手を外し、俺は一気に脱力した。シャロちゃんは不思議そうな目で、俺を見上げてきた。
「……さっきの。知らない声だった」
「シャロちゃんの知らないボーイさんってこと?」
「多分そう……フロア担当違う」
まぁ、さっきの声の主がなんだろうと、今はどうでもいいか。シャロちゃんは新米娼婦だったって言ってたし、知らない従業員なんて、ザラに居るだろう。
それよりも、こっちの死体(仮)どうにかしなくては。
「良かった、胴体は一応くっついているな……これならなんとか」
シャロちゃんが切り捨ててしまった死体もどきを見て、俺はそう呟く。
見た感じ、腸が見え隠れするくらいの傷の深さようだ。これならハナじゃなくても、ある程度まで治療は可能だな。流石に完治させるには、俺の魔法技術が足りないけど。
触診していた俺の側にシャロちゃんは近づいてくると、冷静になったのか申し訳なさそうに目尻を下げた。
「ごめん……ボス。頭血上ってて……」
「あー、気にしない気にしない。誰だって勘違いやミスはあるよ。うん、俺の方こそ言葉足らずでごめんね」
そう言って撫でてあげると、シャロちゃんは気持ちよさそうに目を細める。
彼女からしたら、このカネカスは殴ってきた客を斡旋してきた男だ。つい感情が先走って、必要以上に暴力を加えてしまったのは仕方ないことだろう。それを考慮してやれなかったのは、俺の落ち度としか言いようがない。
さて、治せるということは分かったが、これからどうしたもんかね。
別に俺はこいつを殺したい訳じゃない。なんなら、別に痛めつけたいわけでもなかった。シャロちゃんみたいに客から必要以上の暴行を受ける。そんな娼婦を減らすため、ボーイたちの意識改革をしたかっただけだ。
その第一歩として、昨日顔を合わせたカネカスを脅しにやって来たのだが、自体はこの有様。
流石にやりすぎた感があるし、このクズにチクられたらオーナーであるスイちゃんに怒られそう。
でも、このまま治さないとコイツ死ぬしなぁ……しかも、何やら定例会に行かないといけないらしいし。
「でも、怒られるの嫌だなぁ」
「別に怒らへんよ」
「え~、嘘だー。絶対怒られるよ。手足縛られて、腹すかせた魔獣の群れとかに放り込まれそう」
「うちそんな鬼畜に見える?」
「え?」
「ん?」
なんだかデジャブを覚え、顔を横に向けてみると、そこにはヘソ出し姿のスイちゃんがいた。
というか近い。息遣いすら聞こえてくるような距離で、いっつもこの魔女は接近してくるな。なんなの、俺のこと好きなの? 恋しちゃっていいの?
「おはよ、旦那はん。初出勤前に人斬りって精が出てはるみたいやねぇ」
この血濡れた惨状を見て、どう考えれば精が出ていると思うのか。タカマガハラは確かに精を出すところだけどよ。
いつの間にか居たスイちゃんは、まるでシャワーを浴び終えた爽やかさで、シャロちゃんにも「おはよ」と告げていた。全然、おはようとかいう時間じゃないと思いますけどね。
「えーと、本当に怒んないんですか、スイちゃんさん」
「ウンウン……」
知られたものは仕方ない。
血の池をパシャパシャと歩くスイちゃんに開き直って聞けば、彼女は可愛らしく微笑んだ。
「怒らへんよ。ソレにはうち興味ないもん。ボーイはみーんな、パタスから貸してもろうてるから」
「パタス?」
そう言えば、さっき部屋に魔法具で繋いできた男も、そんな名前を出していたな。
誰のことなんだろう、そのパタスって。
小首を傾げていると、答えはあっさりスイちゃんから教えてもらうことができた。
「この都市を縄張りとしてる裏社会の男やね」
スイちゃんはボーイの切り裂かれた腸をまじまじと見つめながら、さらに続ける。
「タカマガハラにもいくつか部門分けがあってなぁ。娼婦、ボーイ、フロントって役割を分けさせてるんよ。うち、退屈なこと嫌いなもんやさかい、ボーイの部門はぜーんぶ、外部のパタスに委譲させてしもた。やから、ボーイはみんなパタスの手下ばっかり」
「えぇ、じゃあ俺がボーイを教育する計画って……」
「さぁ? 外におるパタスをどうにかせな、あんま意味ないんとちゃう?」
飄々と言ってのけるスイちゃんに、俺は思わず嘆息してしまった。
なーんか、スイちゃんとの会話は絶妙に噛み合わない気がするんだよなぁ。ジャイアンの時に感じていた齟齬とは、また違う違和感だ。
「あ、あの。オーナーさん」
「ん? なに、シャロちゃん?」
と、俺が頭を悩ませていると、背後に潜んでいたシャロちゃんが珍しく自発的に声をだした。
「コレ、わたしが斬った……だから、ボスわるく、ない」
「ふふ、別に怒らへん言うとるのに、シャロちゃんは健気やなぁ。余程気に入られているようやね、旦那はんって」
「そうですかね?」
んまぁ、昨日よりかはビビられないし、心を許してはくれていると思う。何気に同じベッドで寝たりもしたし、嫌われてはいないと断言もできる。だが、どれくらい好かれているかって聞かれると、正直あんまり言語化できないんだよな。さっき俺が後ろから大剣を振り下ろすの止めても、力緩めてくれなかったし。
なんとなしにシャロちゃんを見てみれば、彼女も俺のことを見上げていた。緩いウェーブのかかった金髪が、彼女の肩付近で小さく揺れる。
「でも、うちはええけど、パタスは怒るんとちゃう? なんせ自分の駒がヤられたんやさかい」
「ヤられたって、まだ死んでないですけどねぇ……あんまり裏社会の人に目を付けられたくは無いんですけど、なんか事故とか適当に誤魔化せないです?」
「無理無理。あの猿は、オーナーであるうちを見下してるさかい、なに言うても聞かへんよ」
さぞかし楽しそうな声音を奏でながら、目尻を下げニッコリとスイちゃんは笑う。口角は半月のような弧を描いており、御伽噺に出てくるような魔族らしい笑みだった。
スイちゃんはシルクのように透き通った白い指で、俺の胸を優しくなぞる。
「あ〜あ、旦那はんのせいでココも反感買ってしまうかも。いつ押し入ってくるか、分かったもんやあらへんなぁ。きっと娼婦のみーんな、パタスに滅茶苦茶にされるんやろうなぁ」
「…………」
「でも、問題ないかぁ。なーんせココには、元<白磁の巨腕>メンバーである、凄腕の用心棒がおるんやもん。期待……させてもらうわぁ〜」
言いたいことを全て言えたのか、スイちゃんは満足そうにして姿を消した。
またもや、残される俺とシャロちゃん。
昨日と同様、再び顔を突き合わせて俺は、渇ききった口を開く。
「都会って、死体処理してくれる仕事あるんだっけ?」
うそだどんどこどぉぉぉぉん!