世間知らずな男
俺はシャロちゃんとラビィーさんの会話を盗み聞きした後、タカマガハラ館内に戻ってきた。
壊れたカウンターテーブルを撤去しているフロントを抜け、上の階へ昇っていく。道中、何人かのボーイが下卑た笑みを浮かべ近寄ってきたが、俺の顔を見て、すぐに目を逸らし離れていった。
目的の場所に着くころには、人気が一切なくなっていた。わずかな呼吸音すら聞こえてこない。
重厚な扉をゆったりと開け、そこにいるだろうカネカスに声を掛ける。
「なぁ、カネカス」
「び、びびビッグマウス!? は、早いじゃねーか! どうしたんだよ、娼館たちは!?」
金庫を頑張って開けようとしていたカネカスが、びくりと肩を大きく跳ね上げ俺へと振り返る。
まあ予想はついていたけどさ。ガチで金庫荒らしていやがったよ、コイツ。
おおかた自分だけ金を持って、逃亡しようとしていたんだろう。もしくはパタスへの上納金を見繕おうとしていたか。
いや、金にがめついコイツに限ってそれは無いな。
「お前がスイちゃんの金庫を荒らしてるのは置いておくとして、少し聞きたいんだけど」
「え、あえっ、これは違……」
「パタスの根城の場所と行き方を教えてくれ」
「はあ?」
まさか俺がそんなことを聞くとは、夢にも思わなかったらしい。カネカスは困惑した表情を見せる。
「いきなりどうしたんだよ、ビッグマウス。パタスさんのところなんか行って、夜逃げ作戦はどうするつもりだ?」
「ちょっと野暮用が出来たから、夜逃げ作戦は保留かな」
「保留って、テメェなぁ……」
カネカスは呆れ返ったのか、金庫を開けようとしていた手を止めて俺を見る。
目を合わせること数秒。先に折れたのはカネカスだった。
「はぁ、わーたっよ。行き方までは教えれねーが、根城にしている場所なら貰った契約書に書いてあんだろ。アバストさんはそういうの細かいから」
投げやりにカネカスはそう言えば、彼はまた金庫の解錠作業へと戻った。
どれだけ頑張ったとしても、あれが開くことはないだろう。荒くれ者共を束ねているスイちゃんが、容易二開く金庫を置いているわけがない。
俺はアバストから渡されたくしゃくしゃの契約書を見て、パタスの根城を確認する。
書かれていた住所はどうやらあまり遠くはないらしい。都市を出て南へ行ったところ。サーザール森林と呼ばれる地点がパタスのいる場所だった。
「なぁ、最後にもう一つだけ聞きたいんだが、パタスやアバストはどのくらい悪い奴らなんだ」
「? まぁ、裏社会で名を馳せてくるからな。ここのボーイ部門経営とか、めちゃくちゃ健全な方だろ。ただのチンピラやならず者もどきが働いているだけだし、このタカマガハラは治外法権みたいなところあるからな。犯罪行為っていうなら、普段は露天商のふりした密造ポーションの販売、違法賭場の管理とかか?」
俺が黙っていると、カネカスはさらに続けてくれた。
「……中でも俺が悪い事してんなぁと思ったのは、詐欺だぜ。地方の金持ち女をだまくらかして、どっかで働かせてるって聞いたことがある。しっかも、ひでぇのがその女の身の安全を保証するのと引き換えに、実家からも金や利権を毟り取ってやがんの」
「……」
「まぁ騙される女も女だけどな。地方の箱入り娘はみーんな世間知らずで、ちょっと英雄かぶれの冒険者のふりしてりゃイチコロだって、アバストさんが言ってるら――」
そこまでだ。カネカスの話は途中だったが、俺は金庫室を後にした。あれ以上聞くのは、精神的によろしくない。自分は短気ではなかったと思っていたが、ここまで怒りに溺れてしまいそうになるとは思いもしなかった。
俺は心の何処かでパタスやアバストを――裏社会を嘗めていたんだと思う。あいつらは悪客を助長しているだけで、根幹的に娼婦へ被害を出していないと、勝手に信頼していたのだ。部下にチップを貰わせ変態客に加担する。その程度の悪さかと思い込んでいた。
それも当然か。何せ田舎に裏社会の人間なんていないかったし、人の悪意に晒される機会も無かった。小さなコミュニティでしか生きてこなかった俺にとって、清濁合わせ呑んだ大きなコミュニティは未知の領域だ。考えが及ぶはずもない。この主要都市でジャイアンと出会い、冒険者として経験を積んでく過程で、俺は多種多様な人間の在り方を学んだに過ぎなかった。
世間知らずな青臭いガキ。
人の悪意を測るには、あまりに無知な男。
楽観的で道楽を好み、温室育ちと言っても差し支えのない平穏な環境で幼少期を過ごしてきた。
それが俺だ。
シャロちゃんのように両親は死んでいないし、年上の変態どもに殴られたことはない。ラビィーさんみたいに婚約者に裏切られたことも、騙されたこともない。カネカスのように貧困に喘ぎ、遮二無二になって働いたこともなければ、ジャイアンと違い冒険者パーティを背負ったこともない。
しかし。
しかし、だ。
こんな無知で愚かで社会を嘗めきった俺でも、ひとつだけ悪だと断じることがある。許してはならないと心から思えることがある。
それは――弱者な幼馴染を騙し、喰い物にしていた奴が、今なお心から笑っていることだ。
パタス、そしてアバスト。お前らはアレと同じ只の外道だ。このタカマガハラに縋る変態共と何も変わらない。いや、客として金銭を払っているだけ、まだ変態共のほうが好感を持てる。
『――って、あれ? おーい、ビッグマウス?』
金庫室から聞こえてくるカネカスの声をBGMに、俺が階段を降りようとすれば、いつの間にか彼女が俺の前に立っていた。
肩まで伸び切った金髪。頭部に生えた二つの黒猫耳。その矮躯には似付かないほど大きい大剣。いつも通り表情筋が死んでいるのでは、と思ってしまう顔でシャロちゃんが俺を見上げてくる。
「ボス」
「シャロちゃんか……ごめん。ちょっと野暮用思い出したから、俺外出てくるよ。その間のことは」
「無理」
「えぇ……」
頼もうとした瞬間に断られてしまった。
しかも、何故か俺に近づき鳩尾あたりに頭部を埋めてくる。
「ボス……命令して。お嬢のも、他のも、私は許せない」
「全部聞いてたわけね」
「盗み聞き、お互い様」
それを聞いて俺は苦笑すると、シャロちゃんの髪を撫でてあげた。
「わかった。じゃあ命令だ」
「パタスとアバスト、奴らの部下含め教育する。シャロちゃんはタカマガハラのセキュリティとして、俺に付き従え」
「サー、ボス」
顔を埋めていたシャロちゃんは、少しだけ離れると上目遣いで了承の言葉を吐いた。
やる気が満ち溢れているようで何より。
ただ、今のままだとシャロちゃんがやられてしまう可能性があるし、どうしたもんかねー。魔法戦とか経験したことないだろうし、魔法使いとの戦闘は避けさせてやるべきかな。シャロちゃんって魔法使えないっぽいし。
スイちゃんから「旦那はんは従業員やから、好きにつこうてええよ」と言われてるけど、シャロちゃんがタカマガハラで使っているとこ、一度も見たことないもんな。
となると、シャロちゃんが前衛で俺が後衛か。まぁ、俺はどっちもこなせる半端もんだし、ダブル前衛も悪くない。
ただ忘れてもらっては困るが、俺は「ただ声が大きい人」「ビッグマウス」「喋るだけの無能」の三冠をほしいままにした男。あまり戦闘力に期待しないで欲しいし、俺もあんま自信ない。白磁の巨腕に在籍中、目立った活躍したことなかったしな。それでも、今はやらなければいけないと分かっているけど。
頭の中で雑に戦闘シミュレーションをしていると、シャロちゃんが俺の袖を引っ張ってきた。
「でもボス、あの猿の根城、知ってる?」
「ん、ああ、契約書に書いてあったから其処は問題ない。ただ行き方が特殊だと思うんだよねー。魔物が作った地下迷宮跡地を改修してるって噂だから、変な仕掛けが多そうなのが懸念点」
冒険者していた時は、仲間にレティという斥候最強ガールがいたから、あまり気にしたことないけど。いざ、本職の人がいないとなると、どうやって攻め入るべきか手をこまねいてししまうな。
「せめて罠避けとして機能する、賢い魔獣やら無魔動物やらを飼っていれば良かったんだけど」
腕を組んで俺がうーんうーんと唸っていると、シャロちゃんが廊下の奥を見つめた。
何かいるのか?
そう思い俺も彼女と同じ場所へ視線を投げる。そこには金庫室から出てきたカネカスが、こちらに寄ってきていた。
「お、いたいた! ビッグマウス、結局夜逃げ作戦はどうすんだ? あのチビオーナーが帰ってくるまでにトンズラしねーと、もう逃げる手段なくなるぞ」
ふむ。
俺はカネカスの言葉を聞いて、シャロちゃんを見る。彼女も同じことを考えていたのか、俺を見上げていた。
いつものパターンだな、これ。
「ボス、こいつ罠避けと、道案内役にしよう」
「んだな」
「え?」
こうして即席「タカマガハラパーティー」が結成されたのである。
多分、総合力をランクに換算するとゴールドあたりだな。
……低すぎぃ。
次話で皆が待ち望んでいた幼馴染がくるぞ!
やったな!
タイトルにいるのに、出番がほぼない幼馴染!
やったな!
ということで、ここまでお読みいただき、ありがとうございまする。
ブックマークや評価していただけると、多分、幼馴染の出番が増えます。