いきなりの訪問はご勘弁
「ごめんなさいね。私なんかのために歓迎会までしてもらっちゃって」
「いやいや。俺たちがやりたくてやったことだからさ。謝ることはないよ、ラビィーさん」
「ねむい……」
ある程度身だしなみを整え、俺とシャロちゃん、それに昨日知り合ったラビィーさんとでタカマガハラの館内を歩く。
時刻は昼前。セキュリティとして働かなければいけない時間帯ではないが、念のため客が残っていないか、誰か侵入してきてはいないかなど確認している。
この時間はほとんど娼婦も館内にはおらず、またボーイもまばらにしか見かけない。清掃が始まるのは大体昼過ぎから夕方にかけてだし、この館内で仕事をしているのは、よほど生真面目な奴くらいだ。
「にしても、昨日は驚いた。ラビィーさんってお酒強いんだな」
「あははは。そうね、そうみたい。お父様やお母様は飲ませてくれなかったから、ここに来て初めて知ったわ」
「へぇ~、意外とご両親は堅物なのか。俺なんかよく家で飲まされたけど……って、あれは?」
会話に花を咲かせながら巡回していると、ある人物が俺の目に留まる。
営業時間外ということで私服を着ているのだろう。いつもの制服ではなく、だぼっと着こなしたズボン。見るからに高そうな黒ジャケ。普段のオールバックとは違い、乱雑に降ろされた粟色の前髪。
屈強な体で胸を張り、肩で風を切るその男は、何を隠そうシャロちゃんのサンドバックこと――カネカス君であった。
「よ〜、カネカス〜。昨日から非番じゃなかったっけ、どした?」
「何が『よ〜、カネカス〜』だ! 呑気にしやがって! ビッグマウスてめー、状況分かってんのか!?」
「はぁ? なんだよ、開口一番。挨拶もできんのかね、君は」
「……コロス」
「え、え、えぇ? なに、どういう状況!?」
俺が軽く手をあげて挨拶をしたのに、カネカスときたらいきなり胸倉を掴み上げてきた。
おかげで隣にいるシャロちゃんの目から、ハイライトが消えている。というか、大剣に手を掛けている。
ラビィーさんに至っては、状況がうまく呑み込めないらしく、あたふたと取り乱ししていた。
間違いない。このままだと流血沙汰になる。主にシャロちゃんのせいで。
この場を収めるためにも、まず、この不機嫌なカネカスを引きはがすのが先決だな。
「とりあえず落ち着けよ。いきなり掴みかかられても、俺にはさっぱり分からんからさ」
「……本気で言ってるのか?」
「本気も本気。超本気。なにかしたっけ? あ、もしかして休憩室奪ったの、まだ根に持ってるとか?」
「テメェらが頭おかしいのは十分知ってるから、それはもういいんだよ!」
冗談めかして言ってみるが、カネカスの顔がさらに歪む。
もういいってことは、休憩室を奪ったことで怒っているわけじゃないということか……だったら、何かカネカスを怒らせるようなことしたっけ? 全然、心当たりがないんだけど。
「ボス、こいつ、ばらす」
「待て待て。何か大事な要件だと思うんだ。シャロちゃん悪いけど、一旦大剣は納めてくれ。ラビィーさん、念のためにシャロちゃん抑えてて」
「わ、分かったわ!」
「…………チっ」
ラビィーさんがシャロちゃんの前に躍り出ると、彼女は渋々と言った様子で背中に大剣をしまった。
聞き分けは良いのだが、如何せんボーイや悪い客層には直ぐ手が出そうになるのが、彼女の難点だな。これに関しては、俺がカネカスを斬らせたのが原因っぽいし、ゆっくり向き合っていくとしよう。
今はそれよりカネカスだ。
「で、マジで何があった」
「……来るんだよ」
「来るって、誰が?」
「あの人だよ。忘れてねぇだろ」
あの人か……あの人、あの人ねぇ。
いや誰だよ。全然思い当たる人物がいないのだが。
俺が小首をかしげていたせいか、カネカスが「まじか、お前」と呟いて、頭を抱えだした。悪いけど、心当たりが誰一人としていない。俺の知り合いはタカマガハラに来るわけないし、ましてやスイちゃんが来たって、この反応はおかしいだろう。
カネカスだけが知っている奴……というのも無くはないけど、それなら俺が怒られる理由もない。
一体誰のことを指してるんだ、こいつは。
「パタスさんだよ! パ・タ・ス・さ・ん!」
「パスタ?」
「マジで伝わってなかったのか……タカマガハラでボーイ部門を取り仕切っている男だ、ボケ」
「あぁ~、パタスね。はいはい、今思い出した」
俺が得心の行った様子で手を打ち付けると、カネカスは呆れた様子で髪を掻き上げた。
ボーイ部門を取り仕切るパタスとやらはきちんと覚えている。スイちゃんからボーイ部門の全権を移譲してもらっていて、実質、タカマガハラの1/3を手中に置いている男。容姿やどのような悪さをしているかまでは聞いていないが、この主要都市を縄張りにして活動しているらしい。
気になって、最初だけ娼婦や他のボーイからも情報を集めたっけ。でも出てきたのは、耳を疑いたくなるような曖昧な情報だけ。
手下が1000人いるとか。彼に喧嘩を売った者はみんな殺されたとか。根城として使っているのが、魔物の作ったダンジョンだとか。
探れば探るほど正気を疑いたくなる噂ばっかり耳に入る。おかげ俺はパタスについて調べるのをやめてしまったくらいだ。だって怖い話しか出てこないし。
唯一、本当だと言える情報は彼の異名だ。
<猿魔王>。王国直轄騎士団ですら手出しできない超大物というのは事実らしかった。
「あれ? でも、タカマガハラには簡単に来れないじゃなかった? ほら利権とかの影響で」
「ああ、俺もそう思ってた。けど、お前らがここ数日でボーイを締めすぎたから、売り上げが落ちたって怒り心頭らしい。しかも、今はいつも目を光らせているチビオーナーが王都に行ってるから、絶好の機会なんだとさ」
「……………………やばくね?」
「やばいに決まってんだろ、このダボが! セキュリティなんだから、テメェなんとかしろ! このままじゃ、勝手にパタスの元を去った俺まで制裁されるかもしれねぇ!」
怒声を浴びせられるが、良い案なんてそう都合よく思いつかない。
状況を今一度整理してみよう。
パタスはめちゃくちゃ恐れられている裏社会の人。そいつが憤怒にかられタカマガハラにくる。
フッ……終わったな。
もう皆で仲良く逃げた方が早い気がしてきた。
「ボス」
「セキュリティさん……」
なんて考えていると、シャロちゃんとラビィーさんがこちらを見上げてくる。
いや分かっていますよ。ここで逃げたらどうなるかくらい容易に想像できてしまう。
怒りの向け場を失ったパタスは、まず間違いなくセキュリティを頼った娼婦を八つ裂きにする。最悪の場合、俺を雇い入れたという事でスイちゃんも危険な目にあうかもしれない。
それを回避するためには、俺が避雷針の役目をする必要がある。
というか、俺がボーイをボコったのが始まりなのだし、尻拭いは自分でしろと言う話だ。例え、腕を砕かれようが、首をもがれようが、足を切断されようが、パタスの怒りを一身に受ける必要がある。
たった一週間弱とはいえ、このタカマガハラには俺も愛着があるのだ。体を張って守りたいと、心から思えるほどの愛着が。
ラビィーさんにも、昨日俺が守ってやるって言ったしな。あの言葉に嘘や誇張はないつもりでいる。
だからこそ、俺は大きく嘆息した。
「はぁ、分かってる。なんとかしてみるさ」
俺は今も剣呑な雰囲気のカネカスを見る。
「で、いつ来るんだ? 裏社会の大物さんは」
「さっき、大通りを歩いてきてるって聞いたから、もう来るはずだ。分かってると思うが、変に刺激するなよ! 斬るとか絶対駄目だからな!」
「しないよ。俺たちのことなんだと思ってんだ」
「お前らは黙って人を切り捨てるじゃねぇーか!」
えぇ、そんなことしないよぉー。
ははは、と俺が乾いた笑みを浮かべれば、またカネカスが胸ぐらを掴んでくる。それを見たシャロちゃんは、慣れた手付きでカネカスの尻穴へ大剣をねじ込んだ。
もちろん無言で。
うん、切りはしない。
Qおまえは何をしていたんだ
Aなにも、、、なかった、、、!
ドンッ!
ということで第一章の終わりが見えてきた