恋せよ兎
「改めまして。私はウサギ谷出身のツキノで、タカマガハラではラビィーと名乗らせていただいております。どうぞお見知りおきを」
俺とシャロちゃんは、一旦セキュリティ用休憩室へと戻り、ラビィーさんを招き入れることにした。
丁寧にお辞儀をする姿は、どこか気品を感じさせる。礼節がしっかりと備えられた女の獣人、というのがしっくりくるイメージだ。タカマガハラの娼婦にしては珍しいタイプである。
大体は派手な衣服を身に纏い、綺羅びやかな性格をしている娘が多いのだが……ラビィーさんはなんというか、清楚だよなぁ。
「それにしても、本当に偶然ね! まさかシャロルちゃんと、こんなところで再会するなんて! って、ここではシャロちゃんって名前なんだっけ?」
「うん。私も、びっくり」
そう言ってシャロルちゃん――もといシャロちゃんが、相変わらずの薄い表情で返す。
本当に吃驚しているんだろうかねぇ。表情筋がかなり機能していないように見えますけど。
ラビィーさんは、シャロちゃんの淡白な表情を気にしていないのか、そのまま続ける。
「大丈夫だったの? その、ご両親が亡くなってから、シャロちゃん村で見なくなって……」
「平気。今はボスと、働いてる」
「ボス……? オーナーさんじゃなくて?」
「これ」
「上司をこれって貴方……」
とりあえず紹介されたので、流れのまま俺はけらりと笑っておいた。
それにしてもまさか、シャロちゃんのお友達がタカマガハラで娼婦やっているとはなぁ……タカマガハラは規模も大きいし、仮に一緒に働いていたとしてもフロア毎で分かれるから、出会う確率はかなり低い。
今回の再開は運命とも呼ぶべき偶然だ。素直に驚くわ。
「折角だし、メシ食べて行く? 積もる話もあるだろ」
「え、いいんですか!?」
「セキュリティの休憩室はキッチンついてるからね。スイちゃんさんからは、自由に使っていいと言われてる」
「窯ある。だからパンも焼ける」
シャロちゃんは自慢げにパン窯が備えられたキッチンサイトを指さした。
このセキュリティの休憩室は、昔、娼婦の娯楽室兼配膳部屋だったらしい。今では、別棟が宿舎代わりになっているため、娼婦は誰も使わなくなっていたのだとか。ここ最近たむろしていたのは、カネカスら含むボーイ連中である。彼らが溜まり場として使用していたが、そこは俺と彼の仲。気持ちの良い交渉によって、今は俺たちが占有させてもらっているわけだ。
決して、シャロちゃんが大剣で脅したわけじゃない。
双方納得のいく形だった。カネカスは泣いていたけど。
少し前のことを思い出していると、気が付けばテーブルを共に囲むラビィーさんが暗い顔をしていた。
「私、最近オートミールばかりで……いいえ、オートミールも美味しいのは美味しいのだけど、ちょっと飽きてきたというか……」
「わかる……タカマガハラの賄い、オーツ麦ばかり」
まぁ、タカマガハラは男と酒飲むことも多いから、パンより水分を多く取れるオートミールが多いんだろう。
二日酔いに効くかどうかは別として、スイちゃんなりの気遣いと思えば、文句も言いづらいところである。
このままではシャロちゃんもラビィーさんも、ずるずるとメンタルが落ち込んでいきそうなので、俺は話題転換させることにした。
「で、2人はどういう間柄なんだ?」
シャロちゃんは、少し顎先を逸らし頭を悩ませた後、うんと頷く。
「同郷の顔見知り。でも、あまり遊んだことない」
おいおい顔見知りって……それはあんまりにあんまりな説明じゃないかね、シャロちゃん…………ラビィーさんなんて、グールみたく口をあんぐり開けたまま固まってるし。
「えぇ、酷い! シャロちゃんとは、3回は遊んだのに! もう私たち親友でしょ?」
「いや、少ねーよっ! 親友と名乗るには微妙な回数だわ!」
「少ない……のかしら? 私それ以上の回数を遊んだ相手いないのだけど」
「えぇ……」
いや、冷静に考えろ俺。
眼の前にいる、この親友ラインが低すぎるラビィーさんは問題かもしれんが、それ以上に拗らせているのが、我らがハナである。
あいつ俺以外と遊ぶことねーもんな。外に出たときも、かなりの頻度で俺の袖かベルト握ってくるような奴だし。
そのせいで、まだ他人の中では話す方な白磁の巨腕メンバーを『家族』とか言ってた。お前、その家族と目を合わせて会話できてないけどな。
なーんだ。ハナと比較したら、この世の全生物がまともじゃないか。ははは。
「でも、なんでお嬢、ここに?」
「んあ、俺もそれちょっと聞きたかった。なんか雰囲気違うよね、ここと」
シャロちゃんと俺がそう聞くと、ラビィーさんは僅かに顔を伏せた。目線の先は、彼女の腕に嵌められた銀色に光るブレスレット。客から貰ったものだろうか。
数秒して意を決したのか、彼女はおもむろに顔を上げる。
「私ね、その……今、婚約している殿方がいるの」
「え、それって」
「すごい」
シャロちゃんは純粋に驚いたのか、目を一瞬だけ見開いて感嘆した。
けど、俺は俺でどう反応していいのか分からない。タカマガハラのことを、まだ完全に把握できていないからかもしれないが、娼婦にとって婚約者がいるかどうかは、かなり大きいのではないだろうか。
なんと言っても、娼婦は男に夢を与える仕事だ。
客として来た男を、旦那として、もしくはそれ以上の存在として扱わないといけない。とてつもない覚悟と努力が必要だ。
ラビィーさんは照れるように言っているが、それを分かっているのだろうか……?
そんな風に考えていると、ラビィーさんは俺の瞳をまっすぐと見つめ、寂しく微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも、仕方ないわ。私みたいな箱入り娘が働くには、身を切るしかないの」
「……失礼かもだけど、何があったか聞いても?」
「ええ」
ラビィーさんはそう言って、ぽつりぽつりと喋り出した。
「私ね、本当にただの箱入り娘なの。世間なんて何にも知らない獣人の令嬢。シャロルちゃんがお嬢って呼ぶのも、それが原因。親が何個か村を収めてる豪族で、私は村民たちから『お嬢様』ってもてはやされてた。そんなある日、冒険者をしている彼に出会ったの」
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「――へぇ、じゃあその冒険者をしている彼の冒険譚を聞いているうちに、自然と?」
「ええ……でも、私からじゃなくて彼から告白を受けたのよ」
「素敵」
ラビィーさんから婚約者との馴れ初めを聞かせてもらっていると、彼女は照れ臭そうに微笑んだ。ほんのり赤みがかかった頬が、彼女の可愛らしさを際立たさせる。
なるほど。冒険者はそういう出会いのやり方もあったのか。
まさに玉の輿。地方のとはいえ、豪族の令嬢を射止めるなんて、さぞオモテになる男なのだろう。
別に羨ましいとか思ってないけど。
「ボス、もしかして、羨ま?」
「しくないです」
シャロちゃんが俺の気持ちを機敏に察したのか、そう問うてくる。
が、ここで見栄を張りたがるのが男の子という生き物だ。俺は全然気にしていない、という風に腕を組んだ。
「大丈夫、ボスには、私いる」
ゆったりと俺の肩に頭を預けるシャロちゃん。服を挟んで伝わってくる彼女の熱が、自然と俺に癒しを与えてくれる。
うん、俺にはシャロちゃんがいればいいのかもしれない!
一生、この子の上司として頑張るわ。恋愛なんてとっくに諦めたし、諦めたからタカマガハラに来たんだもん。
「でも、なんでラビィーさんが働いてるんだ?」
「それは……この都市に駆け落ちをしてきてすぐの頃、彼が仕事中に大怪我をしちゃって」
「あぁ、冒険者あるある……」
冒険者はかなり危険なリスクを伴う職業だ。
魔物魔獣が作り上げた迷宮を攻略および解体をしたり、お偉いさんを護衛したりすることもある。採取依頼でもない限り、何かしらと戦闘するのは必然だろう。少しでもヘマをやらかせば、致命傷を負って再起不能に至ることもしばしばある。大抵は教会で献金を払い、回復魔法を施してもらって何事もなかったようにするのだが、怪我の具合によっては払えない額に膨れ上がることも。なにより、怪我を負ったことによる精神へのダメージはどんな高等魔法でも中々取れない。
「親の反対を押し切ってまで、この都市に駆け落ちしてきたの。だったら、私も彼のために少しでも働かなきゃって……そう思って仕事を探しているとき、このタカマガハラを知ったのよ」
「ふーむ、事情は大体わかった。素晴らしいことだね」
「そ、そうかしら」
「うん。普通の人はラビィーさんのように行動できん」
いやはや、なんてできた女の子だろうか、と真剣に思う。ハナにも少しは見習ってほしい。どうにか爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
まぁ、自分の家でも机の下に隠れるようなあの幼馴染には、どれだけ少量でも劇薬な気がするけど。比喩表現無しで死んでしまうかもしれん。
「お嬢、その彼は、今なにを?」
「流石に私だけ働かせるのは気が引けるって、露天商の手伝いをしているわ。ポーションを売っているの。毎朝、出勤する前に宿舎へ寄ってくれてる」
「気の利く婚約者だな」
俺が言うと、彼女はまたもや照れたように頬に手を当てた。
お熱いようでなによりです。
「確かラビィーさんのフロアって……」
「えっと、三階のアップエリアよ」
「ということは、ボーイはアイツか」
俺はデスクに置いてあった帳簿を開いて、ボーイが誰かを確認する。ここ数日の間に、いろんなボーイを再教育してきたが、未だに俺から逃げおおせている連中も、まだタカマガハラ内にはいるのだ。
だが、確認してみたところどうやら俺の再教育プログラムを受けている奴らしい。
これなら滅多なことが無い限り、ラビィーさんに危害が及ぶことはないな。
「よし、今後の心配事もなさそうだし、今夜はシャロちゃんとラビィーさんの再開を祝して、ぱーっとやるか」
「え、えぇ!? いいの? 私はただの娼婦なのよ?」
「部下の友達なら、俺の大事な人でもあるんだし、気にしないでいいって。それに俺はこう見えて、かなり身内贔屓しちゃうの」
「ボス、太っ腹」
「だろ?」
俺とシャロちゃんは顔を見合わせて笑った。
身内贔屓が悪いとか言わせねーよ。顔見知りと赤の他人だったら、そらお前、顔見知りのほうを助けるだろうがよ。俺は聖人君子ではありません。知り合いの女の子は助けてあげたいだけの紳士です。
だから彼女の恋を応援しよう。
このタカマガハラに身を寄せた、たった一人の掃かない子ウサギの恋を。
「ラビィーさんは安心してタカマガハラで働いてくれ。あんたらのことは俺たちセキュリティが守るからさ」
「守るから」
「――――っ、ふふ、ありがとう。頼りにしてるわね、二人とも」