2. 蓬莱
そんなある日の事、彭明が自分宛に届けられた木簡を、帰宅した徐福に差し出した。彭鐘の友人が、こっそり彭明に知らせてくれたのだそうだ。
「徐福さま…父が亡くなりました。」
既に流す涙も失ったのか、彭明は泣く事もなく青ざめた表情で立ちつくしていた。そんな彭明を抱きしめると、徐福は自身が泣いていた事に気づいた。しばらくして彭明を見ると、ようやく感情を取り戻したように泣いていた。
しばらくして落ち着いた彭明は、もう一通、木簡を差し出した。こちらは差し出し人が不明で、宛先が徐福という奇妙な便りだった。しかし、そこに書かれていたのは、
「次はお前の番だ。だが、海はお前の味方だ。忘れるな。」
と、短いが意味深な言葉だった。少しでもヒントが欲しい徐福は、彭明に木簡を持って来た者の様子を訊いたが、彭明は説明できず首を傾げるばかりだった。
そこで、徐福は考えた。始皇帝は不老不死の神薬を求めていると聞く。だが、そんな物は存在しないから、我々方士もそれを探求して来たのだ。それなのに、秦の役人どもは、そんな物は存在しない…とは決して始皇帝には言わない。いや、言えない。言えば、自分が処刑される。
それでは、役人どもはどうするのか?例えば、『方士が、神薬を得られると売り込んで来た』と始皇帝に告げるのだ。神薬が得られず始皇帝の不興を買えば、その方士の責任だ。方士が処刑されても、自分達には累が及ばない。
こうして、師は神薬が見つからないという事で殺されたのだろう。そしていずれは、彭鐘の弟子である徐福に白羽の矢が立つだろう。それなら、徐福はどうしたら良いのか?逃げるしか無い。問題は、どうやって始皇帝と役人の魔手から逃げ切るかだ。それも、彭明も一緒に。
その半年後、ついに秦の役人から出頭命令が来た。逃げる事は出来ない。
しかし、臨淄の庁舎に出頭すると、意外に持ち上げられて困惑した。
「これは、徐福先生。先生は、あの彭鐘先生のお弟子さんですよね?」
「そうだが?」
「それでは、不老不死の神薬はご存知ですか?」
「不肖者なので、存じません。」
と答えている間に、徐福の頭脳に閃光が走った。「次はお前の番だ。だが、海はお前の味方だ。忘れるな。」という、木簡の言葉が蘇る。
確かに「私の番」が来た。このままでは、始皇帝の前に引きずり出され、神薬を用意出来ずに殺されるのだろう。でも、「海はお前の味方」とは何だろうか?海に逃げれば良いのか?そうだ、海の果てには、あの伝説の蓬莱があると言う。どうせ殺されるというのなら、一度で良いからこの目で見てみたい。
帰宅した徐福は、彭明にもその考えを告げた。幼いといえども、彭明は彭鐘の娘だ。蓬莱の事も、よく知っていた。もちろん、それが伝説だという事も。それでも、彭明は揺るがなかった。
「徐福さまが行かれると言うのでしたら、神仙界でもお供させて頂きたいです。是非、御一緒させてくださいませ。」
その日から、彭明を連れて蓬莱へ行くことが、徐福の人生の目標になった。
一ヶ月後、徐福は蓮蓬山を巡視する始皇帝の一行に加えられていた。封禅の儀が検討されていたため、方士を加えれば役にたつかもしれないと、役人が加えたのだった。だが、始皇帝の最大の興味は不老不死だった。始皇帝は別な思惑で、徐福を役人から提出された同行者リストから外さなかった。
秋の気配が漂う蓮蓬山を登ると、美しい海が見えた。あの遥か彼方に、伝説の蓬莱があるのだろうか?
そう思っていると、巡視の帰路で始皇帝に呼びつけられて、問われた。
「朕には不老不死の神薬が必要である。方士のお前は、それを得る方法を知っているのだろう?」
やはりこう来たか、と徐福は思った。始皇帝は、普段なら一介の方士でしかない徐福に直に尋ねられないから、巡視の一行に加えたのだろうと徐福は予想していた。この時のために、どう答えれば良いのか、ずっと考えて来たのだ。
「渤海のさらに東の海の果ての島に、仙人が住む蓬莱という山があります。そこになら、神薬の材料があると思います。」
「神薬そのものでは無いのか?」
「御意。普通の薬も薬草や動物に由来するものから作られます。これらを、我々方士が精製し調合して薬になるのです。それが神薬ともなれば、新鮮な材料で、その場で調合しなければなりません。」
「そうすると、材料を探索して神薬を作る集団が必要なのか?」
「御意。善男善女が三百人いれば、私が指導して作らせる事が出来ると思います。」
ここまで、徐福が大言壮語しつつも淀みなく答えると、始皇帝は
「直ぐに始めよ」
と指示し、必要な人や物を集める為の許可証を徐福に渡すように、官僚に伝えた。徐福は許可証を受け取り、近くの海から船を調達すると、脱兎のごとく海に逃げた。もちろん、早速、探索を開始するという名目でのことだ。
淮南衡山列伝によれば、この時に徐福が何処へ行ったのかは、誰も知らないとされている。しかし彼は、その一週間後には臨淄にいた。彭明を迎えに行ったのだ。徐福が帰宅すると、彭明は泣いて喜んだ。
翌日、徐福は次の方策を考えあぐねていた。すると、彭明が、
「徐福さまがご不在の間に、外からこれが投げ込まれていました。」
と言って、また木簡を差し出した。今度は、
「会稽の葛孔を訪ねよ。」
とある。徐福は少し考えたが、彭明の差し出す木簡に未来を予知する力を感じ、会稽に向かう事にした。
会稽もまた海に面した街で、昔は越という国の首都であった。越は、呉との戦いに勝利したものの楚に滅ぼされ、その楚も秦に滅ぼされた。しかし葛の一族は、まだ当時戦火を浴びていなかった斉を通って無事に脱出したと、彭鐘から聞いた事があった。彭鐘の父は、彼らの逃避行にかなり協力したらしいのだ。
その恩もあってか、彭明に彭鐘の刑死を秘密裏に伝えたのは、葛孔の手の者だったらしいと彭明から聞いた。そうすると、謎の木簡も、葛氏の誰かの占いなのだろうか?だが、彭鐘は彭明を葛孔ではなく、細々と生活していた徐福に預けた。彭鐘と葛孔の交誼は、その程度のものなのだろうか?葛孔が信用できる人物なのか、不安が残った。