70.物語 人肉レストランへようこそ
本日もこんばんは。
物語パートになります。タイトルは物騒ですが、内容は穏やかなので安心してください。私は全年齢の味方です。
夜に読んでいる方は例のごとく食べ物の話をしてすみません。でもやめません。
お好きな夜食をお供にぜひどうぞ。
長さ目安:SS 16本分
(改稿しました)
「人肉レストラン? なんですか、それ」
宿のチェックアウトに備え、旅支度を整えていた時のことです。魔王さんは「こんな話を聞いたんですが」と楽しげに話しかけてきました。
「どうやら、この辺りで有名な噂らしいのですが……」
魔王さんは私の耳に顔を近づけささやきます。近い。
「近辺で人肉レストランを見たという人が急増しているそうなんです」
「噂なんですよね? みんなしてそういった情報を広げて楽しんでいるだけでは?」
「それだけじゃありません。人肉レストランで食事をしたという人までいるんですよ」
「はあ……」
噓くさいです。第一、なんですか『人肉レストラン』って。魔なるものが当たり前に存在する世界において、人間を怖がらせようといたずらで広めましたと言わんばかりのネーミングです。もうちょっと他にないんかい。レストラン『レクター』とか。
「で、どうです?」
「どうです? とは」
「ぼくたちも行ってみませんか? 噂の人肉レストランに!」
やけにキラキラした表情で私を誘う魔王さん。今のところ魅力をあまり感じないのですが、どうして魔王さんはこんなに楽しそうなのでしょう。
私は「ちょっと考えます」と言って旅行鞄の中身を確認し始めました。
携帯食糧、水、服……。
魔王さんはこういった噂や都市伝説がお好きなのかもしれません。
火薬、毒薬、睡眠薬……。
単純に噂の真相を確かめたいという好奇心もありそうですが。
槍(分解可)、剣、書物……。
いえ、一番考えられる選択肢を忘れていました。魔王さんは魔王です。つい忘れてしまいますが、魔族と人間の生態や文化は異なります。つまり、つまりです。
「……魔王さん」
「決めました? 人肉レストラン、行ってみ――」
「人肉が恋しいなら言ってくださればよかったのに!」
「……はいー?」
「魔族ですもんね。魔王ですもんね。人肉のひとつやふたつ、そりゃあ食べるに決まってますよね。もしかして、今まで我慢していたんですか! 配慮が足らず申し訳ないです」
魔王さんの肩を掴み、私は頭を下げました。全力の謝罪の意です。
「た、食べませんよ人肉なんて! ぼくは人間のことが好きなんですから!」
「好きだから食べるんじゃないんですか?」
「ぼくはサイコパスじゃありません!」
「私は肉も魚も好きだから食べますよ。魔王さんも甘いものを食べるじゃないですか」
一体なにが違うというのでしょう。
「魚と人間は別ですよう。同族を食べることはしないでしょう?」
「人間と魔族は同族じゃないです」
「そうですけど! そうですけど! 見た目は似ていますし!」
似せているだけにも思います。
必死に否定する魔王さんを見るに、魔族が人肉を食べるというイメージは人間の勝手な思い込みなのかもしれません。
思い込みで判断してはいけませんね。ここはひとつ謝罪を――。
「そりゃまあ、人肉を好む魔族はいますけど」
いるんかい。
やはり魔族。人間を食べ物と思っているようですね。これが弱肉強食の世界ですか。
「ですが、ぼくは食べませんよ。何度も言っているように、人間は好きですから」
「無理して合わせなくていいんですよ」
「無理してませんよう。それに、人肉はおいしくありませんし……」
……ん?
「人肉、おいしくないんですか」
「人間は雑食ですからね。それがいいと言う魔族もいますが」
「食べたことあるんですか」
「へっ?」
私はじい……っと魔王さんを見つめました。圧をかけています。
「あるんですか?」
「い、今のは聞いた話ですよ?」
「あなたは、どう、なんです、か」
じりじりと迫り、目を泳がせる魔王さんに近づきます。両手でけん制しようとする彼女をあっさりと壁まで押し込むと、私は小さく笑みを浮かべました。
「ぼろが出ましたね」
「ま、魔王顔負けの悪い笑顔ですね……」
「さすがは魔なるものの頂点に君臨する方です。舌も肥えていらっしゃる。今の言い方ですと、一般的な人肉はさしずめスーパーの賞味期限間近の安売り特売品といったところでしょうか」
「そこまでは言っていませんが……」
「たいしておいしくもない人肉を大々的に打ち出すレストランとくれば、扱っている人肉が違うと考えるのは必然です。つまり、人肉レストランではさしずめA5ランクの高級肉を使用しているのでしょう。そうでしょう!」
「えっ、それは、ええと、知らないですけど……?」
魔王さんはほんとうに知らない様子で首を傾げました。
あれれ……? ならばなぜ、魔王さんは乗り気だったのでしょうか。
「噂はいくつかありまして、その中に絶品スイーツの話題があったんです。詳細は不明ですが、食べないと人生の五十八・四パーセントを損しているそうですよ!」
ううん、微妙。でも半分は超えていますね。
ともあれ、なるほど。スイーツですか。甘味に釣られたのなら納得もできます。
魔王さん、甘いものお好きですもんね。
絶品と称されるスイーツならば私も食べたいです。どうせ目的地のない旅ですし、噂の人肉レストランとやらを探すのも悪くありませんね。
「いいですよ。行ってみましょうか」
「わあい!」
私たちは支度を終えチェックアウトを済ますと、外に出ました。
さてさて、一体どこにあるのやら。個人的には場所が明確な方がうれしいですが、一種の宝探しのようなものと考えましょう。
「人肉レストラン~。人肉レストラン~」
物騒な名前をリズミカルに口ずさむ魔王さん。隣にいて欲しくないですね。
若干間をあけながら歩いていると、とある疑問が湧いてきました。
人肉レストラン。もし噂通り、ほんとうに人肉を提供しているのなら、経営しているのは――。
「…………」
いやいや、可能性はいろいろありますから、まだ断定するには早いですよ、私。
……でもなぁ。うーん。
私は考えなければよかったと思いつつ、魔王さんに問いかけます。
「魔王さん。私の知る限り、法と倫理の下では人肉の提供はアウトだと思うのですが」
「それはそうでしょうね。ですが、だいじょうぶですよ。経営者はきっと魔族ですから」
……ああ、やっぱりそう来るか。
となると、どうなるか。
「私は魔族を倒しに行く勇者に見えているのでしょうね……」
「あっ」
魔王さんは足を止めて微妙な笑みを浮かべました。
「ど、どうします? ……行くのやめます?」
〇
とはいっても、目的地もないのでとりあえず行ってみることになりました。魔王さんは情報を集めに行くと言い、私に路地裏で待っているよう指示しました。
「すぐ戻って来ますので! これでも食べて待っていてくださいね」
差し出されたのは二本の棒付きキャンディー。赤色と青色でした。こどもか?
「ひとつはぼくのですから、食べちゃだめですよ」
「遅いと食べます」
「すぐ戻って来ます! すぐ!」
光のごとく駆け出した魔王さんの背中を見送り、私はキャンディーを見つめました。
赤色は魔王さんでしょうね。お好きな色のようですし。
あえて赤色を食べたら魔王さんはどんな反応をするのでしょう。
「…………」
まあ、そんな野暮なことはしません。
魔王さんが私を置いて聞き込みに行ったのは、私のことを想ってでしょう。
人間が嫌い。……人間がこわい。顔を見られることをおそれ、フードを被ってあのひとのうしろにいる私。いても邪魔なだけですよね。
旅をする中で、魔王さんは自然と私の前に出るようになりました。相手から私を隠し、視線を遮る。ごく自然な動作でしたが、私に配慮しているのはわかっています。
いくらふたり旅をしているからといえ、あまり迷惑はかけたくないのですが……。
勇者が魔王を気にするなんておかしいですかね。でも、あのひとはいつも私を私として真っ直ぐ見てくれています。その目を直視できないのは、奥底に燻るよくない感情があるから……だと思います。
少しくらいは役に立たないといけませんよね。
私は青色のキャンディーを手に、噂の人肉レストランについて改めて考えることにしました。
名前だけ聞けば恐ろしいレストランのようですが、何も知らずに入店し、何も知らずに食べたら意外と気づかないようにも思います。
そもそも、人間には同族を食べる文化は(ほぼ)ありません。たぶん。
食べたことのない肉の味を、食べてすぐに判別できるでしょうか?
思い込みの力というのは強力なものです。
「鶏肉です」と出された料理なら、脳は鶏の味を想像するでしょう。その時点で麻痺しているとも言えます。濃い味付けがされていたらなおさらです。
思い込みによる噂の流布ならば、「人肉と称した一般的な肉料理」の可能性の方がありそうですね。人肉料理なんて、人間からしたら罪深き料理です。
そう頻繁に提供されているのなら、それに応じて人間の行方不明情報も広まるはず。
路地裏からそっと見るに、人間たちが行方不明の件について話している様子はありません。とはいえ、ここは魔なるものが跋扈する世界。人間の行方不明事件なんで日常茶飯事です。
罪深き料理と言えば、人間は話を広めるのがお上手なようですね。魔王や勇者のイメージしかり、魔なるものへの恐怖しかり。
怖いもの見たさ、好奇心、背徳感……。噂や都市伝説とは、恐ろしければ恐ろしいほど広まり、伝えられていくものでしょう。その情報は時に命を守るために使われ、時に娯楽として尾ひれをつけるに至る。人肉を提供する店の情報は、人間からすれば危険を示すものです。では、後者だった場合は?
集客を目論む店からしたら、たとえ恐ろしい噂でも客が来れば勝ちです。探求心をくすぐる情報を流し、人間をおびき寄せる。もしそんなめんどうなことをしているとすれば、そうする理由があるはずです。飲食店ならば、今しがた言ったように『集客』でしょう。
人の往来がある場所ならば、噂などなくても客は来ます。逆に、人の行かないような場所にあるならば、迷うか、わざわざ目的地として訪れなければ知ることもないでしょう。
とすると。
「人気のない町外れが怪しいですね」
知る人ぞ知る名店とやらを狙っているのでしょうか。
もしそんなめんどうな店を目指しているのなら、様々な戦略をとっている可能性も考えられます。おかしな噂で常連を勝ち取ればあとは……。
それに、噂の最初とは、だいたい意図したものです。
「……例の食事をしたとか言う人、サクラかもしれませんね」
人が飛びつくようなエサをまき、かかったら見守ればいいのです。広がるようなら一緒になって盛り上げ、飽きるようなら新たなエサをまく。
たとえば――。
「絶品スイーツ……とかね」
私は、はあ……とため息を吐きました。
すべては憶測に過ぎません。真実を知るには件のレストランに行くしかないかもしれません。魔王さんの聞き込みが成功していれば、別のアプローチも可能でしょうが……。
はてさて、魔王さんはいつ帰ってくるのでしょうか。
青色のキャンディーはもうなくなってしまいました。
それにしても。
「着色料とかすごそうでしたね」
食べ終わった後ですけど。
路地裏の壁に寄りかかり、甘みのなくなった棒をくわえてゆらゆらと動かしていると、土埃をあげて魔王さんが走ってきました。
「ただいまです、勇者さん!」
「おかえりなさい、魔王さん。成果はありましたか?」
「ふふふ……。聞いて驚いてください」
魔王さんは自信満々に髪をかきあげ、絵に描いたようなどや顔で言いました。
「何の成果も得られませんでした!」
「よろしい、うなじを出しなさい。斬ります」
「いやですう!」
ぴゃあと喚く魔王さん。私は赤色のキャンディーを彼女の前にぶら下げ、
「成果がないならこれは没収です」
「ぼくのキャンディー~~!」
上げたり下げたりして魔王さんをからかっている私ですが、当の自分はただキャンディーをなめて待っていただけです。何もしていません。思考を働かせたとはいえ、確定的ではないのです。
むしろ魔王さんに配慮していただいた側です。役に立たないどころか足手まといです。
成果があろうとなかろうと、私は「人肉レストランに行きたい」と言う魔王さんについていくしかありません。こうして魔王さんが明確に意思を示すのも珍しいですからね。
「成果がないとは、新しい情報がないということですか? それとも、誰からも何も訊けなかったんです?」
キャンディーを追いかける魔王さんは、ぴょんぴょん跳ねながら「前者です」と答えます。
「訊いた人たちは噂以上のことを知らないようでした。どこにあるか知っている人は誰一人出会いませんでしたよ。ほんとうに存在するのか疑っている人もいらっしゃいましたね」
なるほど。私は腕を動かしながら考えます。これはなかなか手強いかもしれませんね……。
それはそうと。
「……猫みたいですね」
「なに笑ってるんですか! ぼくは真面目に――もごっ」
「ちょっと考えたことがあるので、聞いていただけますか。あ、キャンディーはそのままで」
「もご、もごごごご……」
キャンディーを口に突っ込まれた魔王さんは不満そうな目で私を見ましたが、そのままぺろぺろとなめはじめました。
話を聞く体勢と捉えましょう。
私はさきほど考えたことを魔王さんに伝えました。
スイーツのところは省いて。
「もごもご、もごごもごもごごご?」
「その棒、引っこ抜かれたいですか?」
「つまり、町外れを重点的に探せばいいということですか?」
「あくまでひとつの提案です」
「ともあれ、ぼくには何の案もありません。勇者さんの言う通りにしてみましょう」
半分なくなったキャンディーを片手に、魔王さんは楽しそうな笑みを浮かべました。
人を避けるように町はずれにやってきた私たちは、あえて誰も行かなそうな道を選んで進んでいきます。獣道や一歩外れた道など、普段なら絶対行かない場所ばかり歩くことが目的です。
目的ですが……。
「歩きにくいし歩きたくないですね」
本心は隠すことができません。
草は生い茂っているし、枝は凶器のように先端を私に向けているし、歩ける場所がさっぱりわからないしで不満しかありません。
一体誰ですか? こんな道を選んだのは。
「勇者さんですよね?」
「魔王さんに変えることはできますか? 魔法で」
「どんな魔法ですか、それ」
「責任転嫁魔法です」
「地味に使いどころがありそうな魔法ですね。却下です」
「……けち」
けち魔王のことなど放っておきましょう。魔王さんのせいだと考えないとすべての気力を失って立ち往生してしまいそうです。……魔王さんのせいじゃないけど。
人が入ってこないような道を歩き始めて二十分。終わる気配のない獣道具合に辟易していると、踏んだ枝が私に一矢報いようと足に刺さりました。
「――っ!」
……ったい。痛いです。なんですかこの枝。私に何の怨みがあるというのでしょう。
踏んだからですか? うるせえんですよ。私が足を出したところにいるのが悪いのです。
「はあ……」
私は何を言っているのやら。
意味のわからない不満を胸に抱き、じわじわと後悔の念が広がるのを感じていました。
柄にもないことをするべきではありませんね。
たいして根拠もない案で突っ走り、挙句このざまです。
人間と関わりたくないからと情報収集を魔王さんに任せてしまい、当の私は待っていただけ。せめて見つけるくらいはしたいと思いますが、あるかどうかもわからない店を目指して歩けるほど私はがんばり屋さんではありません。不真面目ですし。
いつものように意味のない会話をしながら旅をするべきでした。
「勇者さん、足だいじょうぶですか? ケガ、していませんか?」
俯いていた私を覗きこむ魔王さんは、足を指差して心配そうな顔をしていました。
枝攻撃により負傷したと思ったのでしょう。
ごそごそと消毒液やら包帯やらを取り出して慌てる魔王さんに、無性に申し訳ない気持ちが溢れてきました。
……落ち着くのです、私。不満も負傷も原因は私です。他者にあたることも吐露することも許されません。
無用な心配をさせてしまうのもいけません。
「だいじょうぶですよ」
「ですが、あまり良いお顔をしていませんよ」
「絶世の美少女の顔が見えていないんですか? 眼科行きます?」
冗談です。
「そういう意味じゃないですよう。なんだか元気がないようでしたので……。痛みをガマンしているのかと思ったんです」
というより、声を出さなかったのによく気がつきましたね、このひと。
心を読まれたみたいです。
「平気ですよ。この程度ならケガのうちに入りません」
「今はもうガマンする必要はないのです。痛かったらいつでも言ってくださいね。この魔王、全身全霊で治療する所存です」
勇者を治療する魔王……。いいのか、それで。
相変わらず魔王っぽくない魔王さんです。それなのに通常運転だと思ってしまうのは、ずいぶん毒されてしまったようですね。
「ぽくないなぁ……」
「あれっ? 元気になりました? えっ、どうしてです何かいいことありました?」
「いえ、なにも」
「うそだぁ」
嘘ではありません。特になかったから元気になったのです。
魔王さんには言ってあげませんけれど。
足の痛みも軽いものでした。もう問題ありません。隣で「どうして」だの「勇者さんがわからないです」だのわーわー言っている魔王さん以上に問題になることなどありません。
さて、気を取り直して。はやくこの道を抜けましょう。そろそろお腹もすいてきました。
歩きにくさゆえ、いつもよりはやくエネルギーを消費するようです。
一応レストランに向かってはいあるものの、ほんとうにあるかどうかはわからないのです。それは承知していますが、空腹になってきた手前、体力を使って探した結果『やっぱり噂でしたごめんね』だと腹が立ちます。
食の怨みは深いのです。
いっそレストランはなくていいので噂を広めた人間から食べ物を奪い取ろうかと思ってしまいました。
「息をするように犯罪を計画しないでくださいね」
「失礼ですね。想像ですよ」
「危険思考じゃないですか」
「まだ誰にも迷惑かけてないでしょう」
「まだって言いました?」
魔王さんの探るような視線から逃れるように、私は道の先に顔を向けました。
「む……?」
鬱蒼とした木々の向こうにひらけた場所が見えました。もしや、道の終わりでしょうか。
そう思った時には歩き出していました。
こんな獣道とはおさらばです。広い道に出たらまずは休憩がしたいです。切実に。
「はあー……。やっと終わった」
「森の先にこんな広い場所があるとは思いませんでしたねぇ。人っ子ひとりいませんけど、むしろぼくたちにとっては良い場所ですね」
若草色が一面に広がり、緩やかな傾斜がある大地。ぽつぽつと立つ木は豊かな葉をつけ、大きな日陰を作って旅人を待っているようでした。頭上には照り輝く太陽が昇り、ふたりしかいない大地に光を送っています。
疲れた体に染みわたり……、暑いな。
「ちょっと休憩にしませんか。疲れまして……」
「そうですね。一旦休憩に――おややっ⁉」
間抜けな声を出して固まる魔王さんは、「勇者さん勇者さん!」と私の肩を掴んでゆっさゆっさ揺らしました。
「なんです……。静まれ、ちょっと静まれ」
「建物がありますよ!」
なんですと。こんな場所に建物?
私の脳内に例の噂が浮かび上がります。まさか、ほんとうに?
……ていうか、魔王さんに飛んで見てきてもらえばよかった。あー、だめですね今日。頭がだめ。帰りたいです。帰る家なんてありませんけど。
「もしかするともしかするかもしれません! 行ってみましょう!」
「うー……。ここまで来たら行くしかないですね」
その建物は傾斜の上に鎮座し、自然と注目を集める場所に建てられていました。三角屋根が特徴的なかわいらしい建物です。わりかし大きく、立派でした。
塗装が剝がれている様子もなく、窓も光を反射して輝いています。
建物の中央にある扉と、手前に置かれた木製看板にはなにやら文字が書かれています。
「『オープン』と書いてありますよ!」
魔王さんはうれしそうに指さしました。
看板には他に、絵も描かれています。文字は読めませんが、絵ならわかります。どう見ても食べ物の絵でした。
これは骨付き肉でしょうか? ずいぶんワイルドな食べ物ですね。
これはパスタでしょうね。ミートソースがかかっているようです。
これは……?
「……人間?」
悲鳴をあげる人間にフォークが刺さっている絵でした。楽しげなメニューと一緒に、物騒な絵を載せる趣味があるのでしょうか。
もしくは。
「人肉レストランの噂、確かめてみてもいいかもしれませんね」
「入りますか?」
「もちろんです」
そのために獣道を進んできたのです。目前にして踵を返すなど言語道断。
噂が真実で人間が料理にされているのなら……。
私は背中に大剣に一瞬触れ、店のドアを開けました。
いざ、入店です。
〇
「らっしゃいっ‼」
入るやいなや、私たちを迎えたのは元気のよいばかでかい声でした。
魔王さんも大きな声を出すことはありますが、声質が繊細透明なのでそこまで大きく感じません。それゆえ、私の耳は今の声を言葉として認識しませんでした。
魔王さんも突然のことにびっくりしたのでしょう。隣で固まっていました。
ふたりとも反応しなかったので、どうやら聞こえなかったと思われてしまったようでした。声の主は姿を現して再度挨拶しました。
「いらっしゃいっっっ‼ 二名様ですかっっっ‼」
うっ……、耳が……。大変元気な声が耳を通り過ぎ、視界がくらくらしてきます。
拡声器でも使ってんですか、おい。
「はい、ふたりです~」
代わりに答えた魔王さん。声の主は魔王さんを見ると、「おや?」と面白そうなものを見つけた顔をしました。
「もしかしてもしかして、魔王様ですかっ! いやー、ようこそいらっしゃいましたっっっ‼ 歓迎しますよ!」
「あらあら、うれしいです。噂を聞いて来てみたんですよ」
「ほう、噂ですか。それは――」
ふたりで話し始めたのをいいことに、私はキンキン鳴る頭を労わります。
ふう……。やっと落ち着いてきました。やれやれ、大声に慣れていないものです。接客ゆえ仕方のないことかもしれませんが、声が枯れないか心配になる声量です。私には無理ですね。
ところで、今の口ぶりからすると魔王さんのことを魔王と認識できているということですよね。つまりそれは、声の主が……。
と思った時、私は強い視線を感じて頭を上げました。声の主が私を凝視して黙っていました。
ごく普通のウエイトレス服と、動きやすそうな靴。おぼんを片手に持ち、もう片手には注文用紙。私と同じくらいの身長の少女は、はつらつとした顔立ちと雰囲気をまとっています。私をじっと見つめる目には大きな瞳。人懐っこそうなまんまるとした瞳は、真っ赤な色に染まっていました。頭には作り物のような角が生え、生え際にはリボンが結ばれています。
どこからどう見ても、魔族でした。
目の前に魔族がいる。噂を知っていたとはいえ、一瞬身が強張りました。
彼女は私を――私の目をじいっと見て、不思議そうに首を傾げました。
「魔族……じゃない? あれ? 人間だよね、君?」
「……そうですよ」
「うわー、焦ったぁ! 赤い目だったから魔族かと思ったよ。魔王様と一緒にいるし、そりゃ魔族に決まってるか。あっはっは!」
いやだから、人間だって。
「あれ、ちがうな。魔王様と一緒にいるのに人間か! あれえ! どういうことです?」
一応持っていた警戒心が薄れていくのを感じつつ、私は頭の中で『あほ』の二文字を思い浮かべていました。魔王さんは説明しようと手で指し、
「この方は――」
「あっ‼ 魔王様のおやつですね! 失礼しましたー‼ それではお席へどうぞっっ‼」
押し負けました。どうたら話を聞かないひとのようです。魔王さんも圧に負けて素直に案内されてんじゃないですよ。魔王でしょう、あなた。
というより、誰がおやつだ。誰が。
案内されたのは店内で一番広い席だそうです。あからさまな忖度です。
「改めまして、あたしはこの店の店長をしておりますっ! 以後、お見知りおきを!」
店長かい。てっきりアルバイトかと思いました。
魔族は見た目で判断してはいけませんね。年齢だって、きっととんでもない数字のはずですし。
私は小さくため息をつき、店内をちらりと見ました。客は私たち以外にいないようです。けれども閑散とした雰囲気はなく、温かい照明が店内を照らしています。
フロアにいる店員は店長さんひとり。
「…………」
いえ、いますね。こちらの様子を窺っているようです。厨房にいち、に、さん、よん。
うん、四にんですね。全員魔族です。
なぜわかるか、ですか? これでも勇者ですからね。一応わかるものですよ。
それに、実はちょっと見えていたりします。黒い羽とか。おーい、見えてんぞ。
やれやれ、参りましたね。このレストラン、店員が魔族しかいません。勇者である私はどう対応すべきでしょうか。そして、どういるべきでしょうか。
私が魔王さんのおやつではなく勇者だとわかったら、店長さんはどう動くでしょうか……。
いまは少し様子を見るのがよさそうですね。
「こちら、メニュー表でございます! メニューは全部で八十種類以上ありますんで、たくさん食べて行ってくださいね!」
「絶品スイーツがあると聞いたのですが、それは?」
「当店目玉商品のパンケーキタワーですねっ! あたしも超おすすめしてます!」
「パンケーキタワー……⁉ 楽しみですう~!」
得意げに話す店長さん。目を輝かせる魔王さん。
パンケーキタワーは喜ばしいことですが、噂として聞いたスイーツがあったということはつまり、どういうことか。
人肉レストランの噂もほんとうかもしれないということです。
事実、店員も魔族でした。魔王さんが言ったように、人間がやるにはアウトなことでも魔族なら可能です。
ここが魔界ではなく人間界でも、彼らに法は関係ありません。ていうか、人間の世界でも法が機能していないところなんてザラにあります。……箱庭とか。
この店長さんは私のことを「おやつ」と言った魔族です。人間を食べ物だと考えていても不思議はありません。
ここはまず、メニュー表を見てみましょうか。
魔王さんもメニュー表を手に、私に聞こえるように声に出します。
〈当店人気ナンバーワン! 人肉ステーキ〉
「…………」
いや、表紙。文字もでかいな、おい。めちゃくちゃ推すじゃないですか。
隠す気ないですね。いや、噂が広まっているから隠す気はないんでしょうけど。
人肉料理。まさかほんとうに?
私はページをめくりました。
〈人肉を使ったホロホロシチュー〉
〈人肉ミートソースパスタ〉
〈人肉ミートボールの赤ワイン煮込み〉
〈人肉ハンバーグ〉
めちゃくちゃ……、めちゃくちゃ推す……!
人肉使わないと死ぬのかってくらい推す……!
そして掲載されている写真がとんでもなくおいしいそう……!
い、いえいえ、だめですよ、私。
ほんとうに人肉を使っているのなら食べてはいけません。というより、個人的に食べたくありません。なんか気持ち悪いので。知らずに食べたら吐く気がします。私は背徳感と好奇心よりも生理的に無理な方が勝ったようでした。
決まったら呼んでくださいと店長さんは下がり、私は魔王さんと小声で相談することにしました。普通に話しても人間ならば聞こえない距離ですが、彼女たちは魔族です。保険はかけるべきですよね。
「どうします、魔王さん。人肉としか書いてないですが、注文してみますか?」
「ほんとうに人肉を使用していたら、勇者さんはどうするのです」
「めんどうですけど私の仕事になりますね。このレストランには廃業していただくことになりますけど」
「どどどどどうしましょう……。ぼくとしても人間を使う料理には関心しません。みんな仲良くしたいですし、人間は好きですし……」
「たしか、魔族滅亡を望んでいらっしゃいましたよね」
魔王にあるまじき願いだと思った記憶があります。
「そうですけど、パンケーキタワーは保護しなくては……」
「…………」
私に言えたことではありませんが、食べ物への執着とプライドを天秤にかけるのはどうかと。
「人間を使っているなら気配で感じ取れませんか?」
「うーん……? いえ、何も感じませんね」
「魔王なのに……」
「ここは勇者さんの方だと思うのですが⁉」
どうしようかと頭を捻る魔王さんを前に、私はひとつしかない選択肢に眉をひそめていました。
ここまで舞台が整ってしまっている手前、パンケーキタワーだけ食べて帰ることはできません。いささか不満ですが、勇者として見なかったことにはできないのです。
たぶん、神様も見ているので。怒られるんですよね。めんどくさいな。
とりあえず注文し、必要とあらば厨房に乗り込みましょう。
私は店長さんを呼び、何品か注文しました。パンケーキタワーを注文しようとした魔王さんを制し、『判断』要因として確保しました。
パンケーキの甘みで味覚が混乱する前に、魔族の味覚を利用しなくては。
「直接訊いた方がはやいのでは?」
小声で提案する魔王さん。それはそうですが、そう簡単にいくものでしょうか。
「答えてくれるのならいいですけどね」
魔王さんは「ぼくが訊いてみましょう」と単刀直入に訊きました。ほんとうに人肉を使っているのですか、と。さて、どう出る。
「人肉? あっはっは! 残念ながら使ってないですよ!」
んん? ずいぶんあっさり答えますね。ていうか『残念ながら』ってなんだ。
「昔は使ってましたけどね。もう三百年くらい前のことですよ。今は人間のお客さんも増えましたし、使う肉は鶏、牛、豚などなど」
「では、この人肉というのは?」私はメニュー表を指さして訊きました。
使用していないのに表記してよいものでしょうか。
「最初は昔の名残だったんだけど、そうやって書いている方がウケがよくってね」
ウケ、ですか。ああ……、なるほど。わかってきました。
「むしろ人間のお客さんには『人肉』って書く方が売れるからね。もちろん、ネタだから実際の材料もしっかり記載してあるよ。ほら、ここ」
店長さんが指さしたのは、メニュー表の下のさらに隅。注視しなくては気がつかない大きさでなにやら書いてありました。
〈使用している肉は店舗契約牧場の鶏、牛、豚に限ります。その他の野菜、米、小麦も契約農場のみ〉
魔王さんが声に出して教えてくれます。
拍子抜けした私は注文を終え、店長さんを見送ります。彼女が厨房へ消えるのを確認し、私は魔王さんと顔を見合わせました。
「めちゃくちゃしっかりしてるじゃないですか」
「どうやら心配なさそうですね。勇者さんが出る幕はないかと」
「三百年前って時効でいいですかね?」
「ど、どうでしょうか……」
「魔族によって時間感覚って違うんですか?」
「それはありますね。一般的な魔族の三百年は、それなりに昔かと思いますよ」
魔王さんにとっては『この間』でしょうけど。
人間にとって、三百年ははるか昔です。行っていた事実はあれども、『今』はもう違うのならば、わざわざ制裁をしなくてもいいのでは、とも思います。
さて、どうしたものか。
「…………」
私はそれとなく厨房を監視しつつ、思考を巡らせます。
ここはスルーし、神様の動きを待つのがよいかもしれません。何かあれば言ってくるでしょう。……いや、やる気のない神様ですからね。期待はできませ――ていうか見るな。
こほん。それに、私個人の考えとしては、彼女たちを倒す選択は優先的ではありません。
単純にめんどくさいのと、さきほど店長さんが言った言葉。
「今は人間のお客さんも増えたし――でしたっけね」
それがほんとうなら、このレストランでは魔族と人間の共存ができていることになります。お互いわかって容認しているのなら、勇者が介入する必要はないのではないでしょうか。むしろ、私が出ることで貴重な共存の場が失われるかもしれません。
世界と人々の平和と安寧を守る勇者ならば、ここで取る行動は――。
「ぼくは勇者さんの行動に従いますよ」
メニュー表をパラパラとめくりながら魔王さんはつぶやきました。
「ぼくにとって大切なのは勇者の使命ではなく『きみ』ですから」
澄んだ青が真っ直ぐ私を見つめます。
「魔王であるぼくは魔族を守るべきか。否、そんな使命はありません。ですが、勇者であるきみには神様から託された使命があります。ぼくたちはルールから大きく外れることを赦されていません。裏を返せば、勇者としてのきみが取る行動は神様によって赦されているとも言えます。それでも、もし神様が赦さないのなら、ぼくが赦します」
聖女のような微笑みで魔王さんは言いました。内容と相まって一瞬目の前にいるひとが何者か忘れてしまいそうな錯覚に陥りました。
「意外と言っていることは横暴ですけどね」
「一応魔王なので」
「もう少し魔王っぽくしていただきたいですね」
「ぼくはぼくですから」
えへっと笑う魔王さんに後押しされるように、私の考えは静かに決定していきました。
『今は様子を見守る。共存できているのなら、それを守るのが勇者である』と。
なにより私はめんどくさがり屋なので。
そんな言い訳を隣に添えて。
私は魔王さんにも伝えました。彼女はうれしそうに微笑み、頷きます。
「すてきですね」
「めんどうなだけですよ」
そうしていると、料理が出来上がったようでした。元気な声で運ばれてきた人肉料理たちがテーブルいっぱいに広げられます。
立ち込める湯気と食欲をそそる肉の焼ける音。圧倒的な茶色率に若干笑いつつ、「召し上がれ!」と促されるとさっそくナイフとフォークを持ちました。
「わあっ! おいしいです~!」
魔王さんが一口食べ、顔を輝かせました。
「……どうですか?」
「らいひょふれふ!」
人肉ではない、と彼女は丸を作ります。
では、私もいただきます。
「……おいしい。最高ですね」
本心です。焼き加減も味付けも完璧と言えます。人肉の皮を被った牛肉は肉汁を溢れさせて自らの美味しさを主張しているようでした。
客ふたりの笑顔と感想を満面の笑みで受け取った店長さんは「魔王様がいるのでサービスです!」と注文していない料理を追加していきます。
「ぼ、ぼくこんなに食べられませんよ?」
「だいじょうぶですよ。おやつさんが食べる目をしているので」
誰が『おやつさん』だ。やはり排除すべきか?
私の不満そうな目を感じ取った魔王さんは、慌てて手を振ると、
「違いますよう。この方は勇者さんで、ぼくの大切な人です!」
としっかり紹介してくれました。しでかしましたね、この魔王。
私のさらなる不満そうな目を感じ取った魔王さんは、はっと口を隠しました。
あからさますぎるんですよね、このひと。
「勇者……? えっ、この人間、勇者なんですかぁ⁉」
驚きで体ごと吹き飛んだ店長さん。素晴らしい身体能力ですね。カエルですか。
ていうか、もう知っていると思っていました。魔なるものたちには勇者を感知する力が備わっていたと思うのですが、気のせいでしたっけ?
「あっ、すすすすみませんぼくってば思わず……! 勇者さんをぼくのおやつ扱いされてつい……! どどどうします? 今からでも弁明をっ……!」
無理でしょうね。厨房の方でも大きな困惑が生まれているのを感じます。
勇者なのでわかる――と言いたいところですが、店長さんが吹き飛んだ瞬間に厨房から飛び立って天井にぶつかった魔族がいたのでわかりました。あ、もうひとり飛んだ。刺さった。あからさますぎますね、この店。サーカスか?
「あの、でもこの方はとてもめんどくさがり屋で、勇者のお仕事をあまりなさらない人ですので心配いらないかと……! 優しいですし、怖くもないですし、あっ、でもぼくを起こす時は鬼でも出てきたのかと思いますけど、優しいですし!」
フォローのつもりでしょうか。へたくそですね。
床に転がったままの店長さんに視線を送り、私は切り分けたステーキを口に運びました。
うん、美味。
「安心してください。私は魔王さんの言う通りめんどくさがり屋ですし、今はステーキの方が重要です。あなた方に構っているとせっかくの料理が冷めてしまいます。それに、一食の恩は忘れませんよ」
犬じゃないので。あれ、猫でしたっけ?
「そ、そう? ほぁぁ~、びっくりしたぁ……。人間なのはわかってたけど、まさかまさかの勇者とは。レストランやってて初めて出会ったよ! 光栄かも! 握手して!」
「…………は?」
「握手! ねっ!」
了承する前に店長さんは私の手を掴み、うれしそうにぶんぶん振りました。
勢いが……勢いがすごい。ちょっ、痛い痛い。腕が取れるでしょうこのやろめ。
「あっはっは! 勇者と握手しちゃったよー! やばぁい!」
テンション爆上げの店長さんは「ありがとー! ごゆっくりー!」と手を振ると天井に突き刺さったままの店員の処理に向かいました。
私はフォークをくわえたまま、唖然呆然として行き場を失った手を見つめていました。
え、なに……? どういう……え?
固まった私を見て、魔王さんも困惑した表情で右往左往し、何を思ったか宙に浮いたままの私の手と握手しました。
「いや、なんですか」
「て、手があったので……?」
「魔族に理解が及ばない……。だって人間だもの……」
「勇者さん、冷めちゃいますよ? あと、断りなく触れてごめんなさい」
「……いえ」
追加されたオムライスを差し出し、困ったように笑う魔王さん。受け取ったオムライスにはケチャップで文字が書いてありました。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
「『お菓子の魔女』ですね」
「太らせて食べろってことですか。やっぱりあの魔族許さんっ!」
そう言って私はオムライスにスプーンを突きたてました。おいしい。
パラダイスのようなテーブルから次々と料理が消えていき、最後の一口をしっかりと味わって飲み込んだ私。すでに食べ終え、にこにこと見守っていた魔王さんはそれを確認すると「デザートのお時間です!」と目を輝かせました。
無論、甘いものは別腹なので私も食べます。
空になったお皿が回収され、デザート用に整ったテーブル。
魔王さんがわくわくしながらメニュー表を眺めているのをちらりと見つつ、私は視線を動かします。
水を手に一息つきながら店内を一瞥しましたが、しばらく滞在しているにもかかわらず新規の客の姿は見えません。もうじきお昼時ですが、この様子では誰も来ないように思えてきます。店長さんは「人間の客も増えてきた」と言っていましたが、それが果たしていつの頃の話か訊いていませんでした。彼女は魔族です。増えてきたのが最近のことだとしても、その『最近』が五十年前でもおかしくありません。
この店、ちゃんと儲かってるんでしょうか。
私に関係のない心配が湧いてきます。けれど、心配になるくらい誰もいないのです。
とりあえずデザートを注文する時に訊いてみましょう。
潰れませんか? と。……間違えた、人間の客はいつ頃から増えたんですか、と。
魔王さんが店長さんを呼ぼうと手を挙げた時、ふと窓の外に目をやり静止しました。
「どうしました?」
「来ます」
「何がです?」
「魔なるものたちです。それも、たくさん」
私も釣られて視線を向けると、今しがた誰も何もなかった大地に無数の影が降り立つのが見えました。人の姿をしている者の背中には羽やらなんやらが付き、魔法のように収納すると楽しげにおしゃべりしながらこちらに歩いてきます。よくわからない形をしたものもよくわからない動きをしてレストランに向かってきます。
一気に濃くなった魔の気配。顔をしかめてしまうような感覚が体を襲います。
魔族も魔物も数えきれないほど。正直初めて見る数です。圧巻です。
私はハッとすると慌ててフードを被りました。
ちょっと数が多すぎます。ひとまず様子見……というより隠れていましょう。
フードの隅から魔族を捉え対応を考える私とは裏腹に、魔王さんはのほほんと「すごい数ですねぇ」とメニュー表に視線を戻していました。
……おい、魔王。もうちょっとなんか、そのなんだ、ないのか。
私の不服そうな目に、魔王さんはなんてことないような表情で応えます。
「だいじょうぶですよ。ぼくがいるんですから」
「魔王っぽくないので安心できません」
「そ、そんなぁ……。ですが安心してください。ぼくの目が黒いうちはきみに指一本触れさせません」
「青目ですよね」
「言葉の綾ですよう!」
「さっき握手を許してたし」
「あ、悪意を感じなかったので!」
「ふうん……」
魔王さんが他の言い訳を必死に考えていると、店長さんが物凄い勢いで走ってきました。
「走ってすみませんあのちょっとお願いがあるのですがっ!」
「ど、どうしました?」
「店員、やっていただけませんかっ⁉」
「はっ、はい?」
店長さんは魔王さんに頭を下げると、続けて私にも頭を下げました。
「……ん?」
どゆこと。まさか。いやまさか。え?
「おふたり、今日だけここで働いてくださいっっ‼」
……はいいいいいい?
店長さんは切羽詰まった表情で説明を始めました。
「いつもはあたし含めて五にんで店を回しているんですけど、さっきふたりが行動不能になっちゃいまして‼」
思い当たる節しかない。
「この店、お昼時から毎日予約でいっぱいで! あ、予約なしでも入れますけど。って、そうじゃなくて、今日もご覧の通りたくさんいらっしゃってまして、厨房はなんとかなりそうなんですけど、ホール担当がいなくなっちゃうんですっ‼」
店長さんはひーんと涙を飛ばしながら訴えました。
原因は私でしょうが、私に非はないような……。
「この後人間のお客さんもいらっしゃるのに、これじゃ店が回りませんよ~~!」
ん? いま、なんと?
「人間も来るんですか?」
「そりゃあもちろん。常連さんもいるし、新規の方も毎日来るよ! 大繫盛!」
「それは今の話です?」
「そうだよ。今日もじきにやってくると思うよ。予約入ってるし」
なんとそれは。共存は現在の話でしたか。
そうなると私は……。
「困っているひとを助ける。勇者さんのお仕事のひとつですね」
魔王さんの笑顔に、私は頬を引きつらせて応えます。
「そうですね……」
そういうわけで。
とてもやりたくないですし、めんどくさいですし、デザート食べたいですし、勇者が魔族の手伝いとかどうなのって思いますし……とぐるぐる考えながら、流されるようにお店を手伝うことになりました。
どうして……。
来客の対応に追われる店長さんに代わり、生き残った魔族が私たちの準備をすることになりました。
「かわいいです!」
「かわいいです!」
と、同じ語彙しか持っておられない魔族のウエイトレスふたり。
それよりも。
「店長さんの服と違いすぎると思うのですが」
このフリル必要ですか。勝手に髪も結われたし。
これでスカートの丈が短かったらいまここでフライパンにぶち込んでいました。
背負った剣は「動きにくいから」と回収されました。なにをする。
「女の子ですし、かわいい服を着た方がテンション上がるでしょう?」
「いえ、別に」
「まあまあ、かわいいのは確かなんですから! 接客は教えた通りにやっていただければだいじょうぶですので!」
両隣からおだてられ、私は魔王さんに助けを求める視線を送りました。
「かわいいですよ、勇者さん!」
あ、味方がいない。
「正義です、勇者さん!」
そう言う魔王さんはめちゃくちゃノリノリで準備していました。
流れでウエイトレスをやることになりましたが、魔王が魔族の店で働くのはいいのでしょうか。その、立場とか、上下関係とか。
「ぼく、ウエイトレス初めてです! 楽しみでーす!」
だいじょうぶそうですね。
「では、がんばってください! がんばりましょー!」
厨房担当のふたりに背を押されますが、ひとつ大切なことを忘れています。
「私、魔族じゃありませんし、勇者ですけどいいんですか?」
「おいしいものをおいしく食べてくれる人なら信じられますから」
今までになく心に響く言葉でした。この魔族となら握手したいです。
「あ、それと人間も来るそうですが……」
「何か問題が?」
「こういう色なので魔族だと思われるんですよね」
私は自分のきらいな目を指差して言いました。魔族はきょとんと首を傾げ、にこっと微笑みました。
「それなら心配いりませんよ。なにせここは魔族が経営する店。ウエイトレス姿で駆け回る間は、人間だと思われませんから」
〇
「四番席、オーダー行きます」
「人肉ステーキ三人前、一番席にお願いします!」
「八番席に取り分け用のお皿持って行ってください。あ、これもついでに」
「人肉ハンバーグセットが一、季節のサラダが三、人肉ミートボールが単品で一です」
「脳髄雑炊が一つ、髪の毛パスタが二つです」
などなど。次から次へと呼ばれて運んでまた呼ばれて。
目まぐるしくホールを行ったり来たりしているうちに、正直仕事に慣れてきた私がいました。特段難しい要求もないので、ある程度数をこなせばこちらのものです。
無駄な動きを削りつつ、最短で料理を運ぶルートを瞬時にはじき出す。
相手にとっても自分にとっても有益な仕事ぶりでした。
「オーダー入ります。人肉と野菜の熱々なべが一、鮮血シロップのホットケーキが一、眼球あんみつが三です」
「はーい。もう立派なウエイトレスさんですね、勇者さん。ここで働いてほしいくらいですよ」
厨房魔族がうれしそうに言いました。
「労働には慣れっこなので。これ、持っていきますね」
「お願いします~」
お盆にスペシャル臓物パフェを載せ、片手で持つと絶妙なバランスを保ちながら目的の席へ。
それにしてもこのパフェ、名前は物騒ですがめちゃくちゃおいしそうですね。
私も食べたい。
こんなに体を動かして働いているのはいつぶりでしょうか。
仕事はきらいですが、楽しさを感じているのはほんとうです。なにより、魔族にも人間にも気を遣わなくていいことがとても心地よいことでした。
なんだか自分の姿で自分をやめているみたいです。
フードを被らずに大勢の前にいることは初めてじゃないですか?
「お待たせしました。スペシャル臓物パフェです。お冷の追加もお持ちしました」
「うとがりあ」
「失礼します」
……たまに何を言っているのかわからない魔族もいますが。そこは雰囲気で乗りきります。
注文が一通り終わったようで、少し息をつけました。さて、次の料理を運ばなければ。
「ひょあああうああうあうあうあ~⁉」
「……魔王さん?」
私の目の前を不思議なステップで通り過ぎていく魔王さん。両手で持ったお盆がなぞに震えて落ち着きがありません。
両手で持っているのになぜ……。
運ばれているクリームスープが今にも量を減らしそうです。
ゴミ一つない滑らかな床には、魔王さんの靴にだけ反応する段差があるようでした。
「あひゃうぁ⁉」
かわいらしい靴の丸い先端が見えない段差の餌食になり、魔王さんはお盆を吹き飛ばして転びそうになりました。
「はあ……」
片手でお盆、もう片手で魔王さんの輪っかを掴みます。
「うぎゃぁぅっ‼」
べちん! と大きな音を立てて魔王さんが盛大に床とキスしました。
「あれ、輪っかだけ」
「頭にくっついているわけではありませんから……」
「すみません。首根っこを掴むべきでしたね」
「ぼくは猫じゃないですう……」
半泣きで立ち上がった魔王さんはえぐえぐしながらお盆を受け取りました。ひどい顔ですねぇ。
「ドジっ子ウエイトレスはキャラですか?」
「ぼくは真面目にやってますよう⁉」
「魔王さんにそれ以上面白設定いりませんよ」
「だから真面目ですってば! 見ててください、ぼくの仕事ぶりを!」
意気込んで踏み出していった魔王さん。私はその様子を眺め、厨房に必要なものを取りに行きました。何を持ってきたかって? それは――。
「お待たせしました、クリームスーぱぁあぁぉあああおあ⁉」
案の定ない段差につまづいた魔王さんはお盆ごとクリームスープのお皿を吹き飛ばしました。私はたっと駆け出すと、客に降りかかりそうな皿を空中で蹴り軌道を逸らしました。
そのまま床に散らばったスープにダイブした魔王さん。
私は素知らぬ顔で新しいスープをテーブルにのせました。
「お待たせしました、クリームスープでございます。ごゆっくりどうぞ」
お辞儀をし、微動だにしない魔王さんの元へ。
雑巾で掃除し、さっさと皿を回収します。
魔王さんも回収した方がいいでしょうか?
「厨房担当にすればよかったのでは?」
「勇者さんとウエイトレスになれるなんて、そうそうない機会ですので……」
「客にスープかけたらまずいですよ」
「ぼく、魔王だから許されます。ぼくが許すもん……」
もんて。なんですか、その口調。気味が悪いですよ。
「目線だけで言いたいことがわかります……。ひどい……」
「運ぶのが苦手ならその胡散臭い笑顔を振りまいていればいいじゃないですか」
「言い方が優しくないですね。ぼくは勇者さんと働きたいんです。ですが、迷惑になるならお冷を運ぶだけの魔王になります……」
しゅんとし、小さな足取りで厨房に向かう魔王さん。私は少し考え、後を追いました。
順番待ちの料理たちを見つめ、逡巡。
ステーキはプレートが熱くて危険ですし、触れたら放り投げる可能性があります。却下。
ドリアも同じ理由で却下。
パフェはバランスが悪いので躓いて落とすかもしれません。却下。
パスタは重量があり疲弊して落とすかもしれません。却下。
スープは経験を踏まえて却下。
となると。
「魔王さん、この料理を運んでいただけますか」
「サラダですか?」
「これならこぼれる心配もありませんし、重くもないです。魔王さんでも安心して運べますよ」
「が、がんばります! 魔王、いきます!」
ぱあっと顔を輝かせホールに走っていく彼女を見送り、私は両手に人肉ステーキ四人前を載せました。なんのこれしき。
さてさて、運ぶ席は……。
私は目指すテーブルに座る人々を見て、ぴたりと足を止めました。
大人二人とこども三人。親子連れ。……人間の。
後ずさろうと一瞬力を入れた足は、ひとりの視線によってその場に留まりました。
サラダを提供し空になったお盆を抱えた魔王さんが私を見ていました。
言葉を発することはなく、近寄ることもしません。けれど、彼女の表情はしっかりと語り掛けてきます。だいじょうぶですか、と。
今まで料理を運んでいった客はすべて魔なるものたちでした。いざとなったら倒しちゃえばいいや、なんて物騒な思考をすることで平静でいられたのです。
でも、人間にはそんなことできない。許されていない。
なにより、私にとっては魔なるものたちよりも人間の方が――。
「…………すぅ、はぁ」
私はお盆を支える指に神経を巡らし、ふうと息を吐きました。
魔王さんの澄んだ青い目を見返し、小さくうなずきます。彼女は微笑みで応えると視線で見送ってくれました。
ウエイトレス魔族によると、私はいま、魔族なのだそうです。魔族にも人間にも料理を提供する仕事をしているだけのウエイトレスです。私を苦しめてきた『魔族』という概念が、いまは私を守るベールになってくれていました。
彼らがおいしいものを食べにやって来ているのなら、私はその場を守るだけです。おいしいものを食べる権利は誰にでもあるはずです。不思議な共存レストランですが、それを尊重しようとするのなら、私はこの手で料理を運ぶ必要があります。
残念ながら私は人間で勇者なので。
改めて息を吸うと、私は家族連れの元へ向かいました。
「お待たせしました。人肉ステーキ四人前でございます」
「おお、ありがとう。ひとつはこっちに、あとはここでお願いするよ」
「失礼します」
魔族といるより強張っているような体に気づかないふりをしつつ、まるで魔族であるかのような顔をします。
手が震える。だいじょうぶ。だいじょうぶです。
ステーキを前にうれしそうな顔をしていたこどもは、ふと私をじっと見つめて黙りました。……なんですか、このガキ。
魔王さんがいたら口が悪いと怒られそうなことを心に秘め、私は料理を配膳していきます。無事に四皿置き終わり、お辞儀をして立ち去ろうとした時でした。
「お姉さんも魔族なの?」
声変わり前の少し高い声。少年はフォークを握りしめて私に問うていました。
お盆を抱く手に知らず力がこもりました。
なんて答えるのが正解でしょうか。
魔族です、と? 嘘をつくことになります。
人間です、と? いつものように赤目を不気味がられ怖がられ、この共存の場に良からぬ影響を与えるかもしれません。
どうすれば……。
迷い、言葉が出ないでいた私の肩を叩くものがいました。店長さんでした。
「この店で働くひとはみんなあたしたちの仲間ですよ、お客さん。人肉ステーキの美味しさがたくさんのひとに伝わるようになりますようにってね! どう? おいしいですか?」
肩を抱き寄せ腕を回し、私の頬の横でピースする店長さん。
……いま私、変な顔をしている気がします。
店長さんに訊かれた少年は、一口ステーキを食べるとにっこり笑って「おいしい!」と言いました。
「それはよかった! ごゆっくり、お客さんたち!」
私も丁寧に頭を下げ、「ごゆっくりどうぞ」とその場を後にしました。
「ありがとうございました」
厨房に戻り感謝の言葉を述べた私に、店長さんはどうってことない顔で手を振りました。
「あたしが勝手にやったことだよ。たとえ敵同士だとしても、おいしいものはおいしいだろう? 共有できることがあるならしたいし、仲良くできるなら仲良くありたいと思うだけさ。それに、こうして同じ考えで働いている間は仲間だと思っているしね」
「……もし、私があなた方に剣を向けても、あなたはまだ私を仲間だと言ってくれるのですか」
「短い時間だけど一緒に働いて、あたしたちの料理をおいしいって言ってくれたひとと戦いたくはないかなぁ。できれば仲間でいたいと思うよ」
でもまあ、と店長さんは新しいお盆を手渡します。
「あたしたちが魔族としての宿命があるように、勇者としての使命があることも理解しているつもり。だから、恨みはしないよ。抵抗はさせてもらうけどね」
熱々のプレートを指差し、「それ、お願いね」と言って厨房の奥へ消えていく店長さん。
私はふわりとのぼる湯気を眺め、ふっと踵を返しました。
ホールでは魔族も人間も関係なく食事をし、楽しげな雰囲気を漂わせています。
魔族が人間を襲う気配は微塵もなく、人間も魔族を怖がる様子はありません。
こんな光景、夢で見ても信じられないでしょう。一方は人間に恐怖を与える存在で、一方は命を蹂躙される存在なのですよ。
勇者ならば剣を構えなければいけないけれど……。
見るからにおかしな光景なのに、やけに自然に見える気がしました。
つまりこれが、『共存』なのでしょう。
「おっと、冷めてしまいます」
私は元気よくサラダを運ぶ魔王さんに続き、おいしさを閉じ込めたプレートを両手に席へ向かいました。
しばらくして、あらかた捌き終えた私は厨房からホールの様子を窺っていました。
魔なるものも人間も混ざり合っているおかしな光景。平穏な雰囲気ですが、ほんとうにだいじょうぶなのでしょうか。
まあ別に、平和なら平和で私の仕事がなくなって万歳ですし、そのままおとなしく食事をしていろと思いますが。
人間も人間ですよ。こわいとか思わないのでしょうか。だって魔なるものたちがこんなに……。あれですかね。なにか特別な結界でも張られているのでしょうか。人間に手を出したら木っ端微塵になるような。そんな結界があるなら私もほしいです。
なんて、そんなことを考えていた時でした。
ひとつのテーブルから飛び立った魔物が奇声を発しながら人間のテーブルに近づきました。
「……まずい」
魔物から発せられているのは明らかな殺意。ガマンできなくなったのでしょうか?
やはり魔物は魔物。人間を殺すのが性。
気を緩めなくて正解だったようです。
私は厨房に立てかけてあった大剣を取り、駆けつけようとしました。けれど、その行動を止める者がいました。
「だいじょーぶ! あたしたちに任せて」
ウインクした店長さんは、軽快なステップでホールを駆け抜け、人間を威嚇する魔物に向かって、
「店長スペシャルフランベ!」
持っていた巨大フライパンで魔物を炙りました。熱さから逃げるため、奇声ごと壁に激突した魔物は力なく落下していきます。それを待ち構えていたのは厨房担当の魔族。
「研ぎ澄ました包丁の力を見よ。くらえ、三枚おろし!」
燃える魔物が一瞬のうちに三つに分かれました。え、包丁で切ったの? うそぉ。
三つになった魔物を待っていたのは……いや、誰も待っていませんよ。これで終わりですか?
そう思った時、もうひとりの厨房担当さんが肩を叩き、
「出番だよ~」
と手渡してきた物。
「これ……」
「さあ、よろしくね!」
私はどうにでもなれと心の中で言いながら、受け取った物を手に魔物のもとに走りました。
大きなお皿で受け止めた三枚魔物。ケチャップ、マヨネーズ、塩、コショウ、オリーブオイル、上から三つ葉を乗せて味付けカオス料理の出来上がり。
……いや、なにこれ。
「お皿、掲げて!」
近寄ってきた店長さんに言われ、慌ててお皿を頭の上にあげました。
もうひとりの魔族も隣に来ています。
「はい、完成! 当店オリジナル魔物の料理ショー、いかがでしたか?」
店長さんの声に、あちこちのテーブルから歓声があがりました。
人間たちは楽しそうですし、魔なるものたちも愉快に笑っているものがいます。
え、え、どういうこと?
「ありがとうございましたー! それでは、引き続きお食事をお楽しみくださいね」
拍手と歓声を背に厨房に戻ってきた私たち。
三枚魔物を回収した店長さんに『説明求』という顔をしていると、魔王さんが「うまいことを考えましたね」と微笑みました。
「いくらレストランといえど、魔なるものと人間を同じ場所に置いては性質に引っ張られるものがいて当然。受け入れる客をどちらか片方のみにすることもできますが、きみたちは別の方法を取ったわけですね」
「そのとーりです。人間に危害を加えようとする魔なるものには食事を楽しくさせるショーになってもらう。我がレストランの中で食事を楽しもうとするひとを邪魔するやつは許さないよ」
「店長が人間を襲おうとした魔物を吹っ飛ばしたのが始まりなんです。それが人間たちにウケて、『あ、これはいいぞ』と思った店長が料理ショーとしてイベント化したんですよ」
三枚おろし魔族が包丁片手に笑いました。それ持ったまま笑うでないよ。
「魔物料理ショーが人気になり、そのおかげで店は繁盛! いやぁ、ラッキーですよ。勇者さんもナイスアシスト! いい動きだったよ。ショーを見に来たのに参加させちゃってごめんね」
「いえ、私はショーが目的ではありませんでしたから」
「はぇ? そなの? うっそー! じゃあ何が目的で?」
「絶品スイーツですよ」
会った時に言いましたが。
「あっ、そうだった。あはは~。うんうん、スイーツね。楽しみにしていてよ。お客さんが帰ったらゆっくり作るから」
「えぇ、お願いします」
「それじゃあ、あともう少しがんばるよー! おー!」
追加で入ってくる注文を取りながら、私はふと思いました。
この店の店員、実はちょっと強い?
〇
「お疲れ様でしたー! ありがとうございましたー! 助かりましたぁー‼」
相変わらず大きな声で感謝の意を述べる店長さん。
繫忙期が過ぎたレストランは客の姿もまばらになり、勇者ショックで行動不能だった魔族が復活したことで私たちの仕事は終了となりました。
客として座っていた席に戻り、飲み物を飲んでいた私たちはさっそく(魔王さんの)当初の目的を果たすことにしました。
ところが、店長さんは再び深く頭を下げ謝りました。
「大変ごめんなさいなんですけど、材料がもうひとりぶんしかなくて……!」
私は魔王さんと顔を見合わせ、小さく笑いました。
「だいじょうぶですよ」
「ぼくたち、はんぶんこして食べますから」
「ほんとーにすみませんっ! その代わりと言ってはなんですが――」
そうして運ばれてきたのは、名前に恥じないタワーと化したパンケーキの山。
そして、店長さんの謝罪と感謝を表したフルーツの山。
アイスクリームで周りを固め、大量のシロップをかけたタワーは、フルーツによってさらに色鮮やかになっていました。
あまりの賑やかさに思わず笑ってしまったほどです。
「当店自信作アレンジバージョン! 召し上がれっ!」
魔王さんと向かい合い、お互いにナイフとフォークを持ちながらどう食べていいかと困惑し、笑いました。
「ひとりぶんでよかったですね」
「さすがに多いですねぇ。どのみち勇者さんに泣きつくことになってたかもしれません」
「私なら食べられます」
「ほ、ほんとですかぁ……?」
いつものようになんてことない会話をしながら頭より高いパンケーキを一枚ずつ取っていき、少しずつ、けれど着実にタワーは低くなっていきました。
パンケーキ自体はほのかな甘みでくどくなく、何枚でも食べられるおいしさです。ほかほかしたパンケーキに冷たいアイスクリームを乗せるとアクセントになり、口の中で新たなおいしさが広がります。少々甘くなり過ぎたところにフルーツの酸味と甘味が絶妙なバランスで口を直し、再びシロップをつけたパンケーキにフォークを刺す。
それを繰り返していると、あんなに高かったタワーはあっという間に一枚のお皿に戻りました。
「おいしかったです~! はっぴーはっぴーです」
「満足です……」
幸せの味が残る口に微笑んでいると、魔王さんは「よかったのですか?」と訊きました。
「なにがです?」
「魔族ですよ。帰る時も見ているだけで何もしませんでした。そうすると決めたということですか?」
「ああ、そのことですか」
私はティースプーンをくるくると回し、ミルクと紅茶が混ざっていく様を眺めました。
茶色と白色が滑らかな模様を描き、次第に溶け込んでいく。
やがてふたつの色はひとつの色へ。
混ざりあった色を見分けることはできず、見分ける必要もありません。
そこにあるのは優しい甘みを携えたミルクティーです。
一口飲めば、紅茶の奥深い苦みとまろやかな甘みのミルクが溶けあった味。
ふたつの良いところが消えることなく共存していました。
おいしいのなら、いいのでしょう。たとえそれが正しくなくても。
「いいんですよ」
私は満腹感も使命も納得も、すべてミルクティーと一緒に飲み干しました。
魔なるものたちは店を出た後も人間を襲う気配がありませんでした。というより、店長さんのオーラがね。にこにこしていましたが『襲ったら……わかるな?』という目をしていました。彼らは食事の幸福だけを抱え、どこかへと消えていきました。人間たちも同様に、店長さんの見送りで家へと帰っていく。魔物に気をつけるんだよ、という彼女の言葉に頷きつつも微笑んで。
彼らは食事を楽しんだ。ただそれだけのことです。
「それに」
私はにこにこと嬉しそうに佇んでいる店長さんと、厨房から覗いているウエイトレス魔族四にんに視線をやり口元に笑みを浮かべました。
「いま、私は魔族のようですし?」
神様には悪いですが、悪くない気分なのです。きっとパンケーキのおいしさのせいでしょう。そう、思っておくことにします。
「さあ、行きましょうか」
「はい、そうしましょう」
私たちは会計を済まし(魔王割引と働いた給料で無料になりました)、店長さんを筆頭に魔族たちの見送りを受けました。
「また来てくださいね、魔王様。勇者さん」
「また来ていいんですか?」
我ながらひねくれた質問です。店長さんは気を悪くするでもなく豪快に笑い、「もちろん!」と頷きました。
「旅を続けるなら、きっとどこかでまた会うと思うよ。実は計画していることがあってね」
「計画?」
「会った時に話してあげる!」
楽しそうな店長さんの横から顔を出す魔族がいました。
「また一緒に働きましょうね~」
「待ってますよー」
勇者ショックを受けなかった鋼のハートウエイトレスふたり。
「び、びっくりしてごめんよ。今度は一緒に……よ、よろしくね」
「ゆゆゆゆ勇者……。あっ、でももう平気……。また食べに来て下さっ……い」
勇者ショックを受けた弱々ハートのウエイトレスふたり。
「はい。約束はできませんけど、いつかまた会いましょう」
「みなさん、それでは~」
私たちは手を振って歩き出しました。背中にかけられる「またね」という声が、どうにも温かくてむずがゆい。
私、敵ですよ? 勇者なんですよ? たった数時間一緒に働いただけで「またね」と手を振るなんて警戒心がなさすぎだと思いませんか?
絆されそうになる心に呼びかけますが、苦味で染まった心に甘いミルクが注がれていくような気がしました。
勇者としては失格かもしれませんが、私は元々勇者の使命を全うしようと思って生きてはいません。
それでも一応勇者なので……ああ、もう。
調子狂いますね。魔族のくせに魔族っぽくないひとたちのせいです。特に隣にいるひと。
「……はあ。まあ、いいか」
めんどうな心情を抱えながら、私はフードを被りました。
店を出たいま、私は勇者に戻りました。だから、こんな顔をさらけ出してはいけないのです。
「勇者さん、なんだか嬉しそうですね。お顔が笑って――」
「とりゃあっ!」
「ひょええおっ⁉ な、なにするんですか!」
「私は勇者なので魔王に対し攻撃するのは当然です。何か問題が?」
「ないけど大ありですう⁉」
隣で喚く魔王さんをそれとなく逸らし、ふと湧いた疑問に思考を寄せていました。
そういえば、あの人肉レストランの名前はなんと言うのでしょう。見るのを忘れていました。まだ見えるでしょうか。
振り返ると、三角屋根に書かれた大きな文字を見つけました。
「魔王さん、魔王さん、あの文字なんて読むんですか?」
「え? ええと、あれはですね」
――〈レストラン ハンニバル〉
ふたりの間に風が吹いて行きました。きょとん顔の魔王さんは、固まった私を不審に思い「勇者さん? 勇者さーん?」と顔の前で手を振ります。
「ハッ⁉ 危ない、私としたことが……」
「だいじょうぶですか? レストランの名前がどうかしました?」
「いえ、なんでもないです……!」
私は魔王さんのひらひらした服を掴み、人間の客用に整備したという道に走っていきました。
私たちが来た町とは違う町に続く道。今後は人間がより訪れやすいように改善していくと言っていました。近いうち、あの町で流れていた噂は中身を持った評判に変わるでしょう。潰れる心配はしなくてよさそうですね。
めちゃくちゃきれいに整備された道に自身の苦労を吐きつつ「勇者さん~⁉」と目を回す魔王さんを振り回して進みます。
ある程度走り、町までやって来たところで止まりました。
「な、なんで急に走るんですかぁ……」
「いやあ、沈黙できないレストランだなと思いまして……」
「意味がよくわかりません……。と、突然走ったのでパンケーキが……」
そう言って口を押さえる魔王さん。私は息を整え、レストランがあった方向を見つめました。
魔族と人間の奇妙な共存の場。これから旅を続けるなかで、同じような状況に出会うことがあるでしょうか。
もしくは、また『彼女たち』と出会うのでしょうか。
彼女たちが望む場所は理想と言えるものだと思います。人間と魔なるものたちの共存。夢物語のような世界です。けれど、限りなく現実に近い理想がそこにあったのも事実です。
彼女たちが持つ理想は、人間にとっても有益でしょう。ならば、勇者が手助けしても問題ありません。
いつか、また会えた時にまだ同じ理想を持っているのなら、今度は私から力になると言おう。……言えるかな。がんばろう。
「さて、これからどこに行きましょうか。なにをしましょうか」
やっと落ち着いた魔王さんが訊きました。
「そうですねぇ。サクラになるのはどうでしょう」
「サクラ? 春はまだ先ですよ?」
「いつかきれいな花が咲くように、私たちで種を蒔くんですよ」
笑ってしまうような共存という花を。
こないとわかっていても想像してしまう。いつか、勇者が必要なくなる世界がくることを。
私の代ではないとしても、平和に染まった穏やかな世界が、いつの日か……。
いえ、やめましょう。私らしくない。この世界は優しくないのだから、そんなことを願ってもどうせ叶えてはくれません。
けれど、そうですね。パンケーキの甘さは優しいものでした。
「サクラ? 咲く……ら?」
いまいち理解していない魔王さんに、パンケーキは美味しかったかと問いました。
「はいっ! とってもおいしかったですよ! たくさんのひとに食べてほしい味でした」
「それが種ですよ」
「……っ!」
ぱっと笑顔を咲かせた魔王さん。今度は私の手を引っ張って進んでいきます。
「なるほど。そうとわかれば、いっぱい蒔きましょう!」
「そうですね。そしてあわよくば、貢献者として料理タダ券をいただきましょう」
「……それが本音ですか?」
魔王さんの疑いの目から顔を逸らし、私は青い空を見上げました。
「平和のためなら安いものでしょう。ステーキ一枚なんて」
「食い意地が世界を救う物語、ぼくは読みたくありませんよ」
「では、パンケーキタワーは私ひとりでいただきますね」
「んなっ⁉ ずるいですぼくも食べます!」
勢いよく手を挙げる魔王さんをすり抜け、私は助演女優賞もののため息を吐きました。
「食べ物は争いを生むんですねぇ……」
「勇者さんにだけは言われたくないです」
じとっと見つめられ、私は気づかないふりをしながらぼうっと出来事を思い返しました。
料理ショー、おもしろいと思います。レストランならではの方法ですね。
ところで、料理ショーを見た時から思っていることがあるのですが。
「フランベってなんですか?」
「素材に香りをつけるために行う調理方法ですよ。アルコール度数の高いお酒を使って一気にアルコール分を飛ばすのですが、あれは名前を使っただけの魔法ですね」
「……」
「勇者さん?」
「私もやってみたいです、あれ」
すごくおもしろそうです。わくわくします。フライパンが火を吹くんですよ!
「なるほど。興味を持つことはすばらしいです」
魔王さんは優しげな笑みを浮かべて言いました。
「だめです」
お読みいただきありがとうございました。
ついSSが多くなりますが、たまには物語パートも投稿しますのでお付き合いくださいませ。
店長さんはあほですが人望と料理の腕があります。あほですが。
レストラン『ハンニバル』。またのご来店お待ちしております。
勇者「メニュー全制覇するまで滞在してもよかったですね」
魔王「勇者さんなら三日くらいで終わりそうです」
勇者「なに言ってんですか。厳選した料理で二周目ですよ」
魔王「どれだけ食べるおつもりですか」




