699.物語 ⑦彼女の願い
本日もこんばんは。
今回は魔王さんも心が落ち着いていられないお話ですね。
勇者さんが結界に入ってからしばらく、ぼくは黙って教会を見つめていました。結界の力でしょうか、風化することなくかつての姿を保つ教会は、記録の中と同じでした。
初代勇者の少女。聖女として人々に安寧をもたらし、神様に目をつけられた哀れな人間。人の子には重すぎる使命を背負い、今も世界に縛られている天使。……ぼくが『今のぼく』になる呼び水となった贄。
こうして、勇者さんが訪れることになったのは運命でしょうか。彼女との記憶を踏まえ、勇者さんに危害を加えることはないだろうと判断しました。彼女が、ぼく以上に人間を愛していたからです。
ただ、ひとつだけ懸念がありました。大切に想う気持ちが強い場合、すべてがよい方向に向かうとは限らないのです。彼女の愛がどちらに傾くか、ぼくには測りかねました。
ずっと祈り続けるドロシーさんとの間に会話はありません。ぼくも話すことはありませんし、勇者さんの状況を想像する方が重要でした。
やがて、変化が訪れました。結界の状態が変わったのです。何があったのかとぼくを見るドロシーさんが、躊躇いがちに結界に触れます。しかし、やはり弾かれました。「では、ぼくも」とてのひらをかざすと、
「……おやおや」
結界が入口を作ったではありませんか。なるほど、『来い』ということですね。
「それでは、行ってきますね」
「あ、ちょっと! 勇者様が戻るまで動かないでください!」
「だって開いたんですもん。きみはここで、自分に結界を張って待機していてください」
「ちょっ、わたしも行――あうっ!」
結界にぶつかるドロシーさん。背後で「こらー!」と怒っている声がしますが、ひらひらと手を振って進んでいきます。さて、とりあえず大聖堂でいいでしょうか。
かつて、多くの人間で賑わった平和の場。ぼくは扉を開き、ドロシーさんの叫び声から逃げるように体を滑り込ませました。
「…………」
入ってすぐ、結界が変化した理由がわかりました。ぼくはゆっくりと身廊を歩いて行きます。靴の音がアーチ状の側廊に響き渡ります。身廊の終着点、一段高くなった半円形の場所に、彼女たちはいました。聖檀の前、段差に腰かける少女は人ならざる姿をしています。ステンドグラスから差し込む七色の光に照らされる真っ白な天使。彼女が抱きかかえるのは目を閉じた勇者さん。二人を囲むのは、白い光を放つ結晶から広がる輪でした。
我が子を慈しむ母のような目をしていると思えば、ぼくを見る目は表情が読めないものでした。勇者さんを隠すように幾重の羽を動かします。
「久しぶりですね、魔王」
「はい。お久しぶりです、クレイドさん」
それ以上、近づくなと言わんばかりに片翼がぼくの前に立ちはだかりました。結晶の光の輪に触れぬよう、足を止めます。
「勇者さんに何をしているのですか」
「この子はわたくしの世界で守ります」
「……きみの世界?」
「わたくしが神より賜った魔法で創ったものです。痛みも苦しみも悲しみもない、優しい場所。もう誰にも傷つけさせません」
鋭い目で言い放ちました。怒っているのがわかります。彼女の人生は記録で見ました。勇者さんのことを他人事とは思えないのでしょう。だとしても。
「それを勇者さんが望んだのですか?」
「……いいえ。ですが、恨まれようと構いません。この子が苦しむ未来を今のうちに摘めるのなら、わたくしは罪を犯します」
「天使が罪を? おかしなことを言いますね」
結晶が光を強めます。思わず笑ったぼくは反感を買ったようですね。
「彼女の意思に反して閉じ込める……。言っていることは大罪ですが、本心は違うはずです。守りたいのは事実でも、きみはあの子を尊重するでしょう」
「……あなたに何がわかるというのです」
「わかりますよ。だって、ぼくは大切なものを得たのですから。かつて、きみが人間に愛を抱いた時と同じように」
「…………」
「あの時、言ったでしょう。ぼくはこの世界に負けないと。勇者さんも同じです。傷つきながら、負けそうになりながら、懸命に生きています。見守ってきたきみは知っているはずですよ」
「……えぇ、知っています。小さな灯を必死に燃やす彼女のこと。救われる権利はないと首を振ろうとも、わたくしは手を差し伸べます」
「それなら、信じてください。彼女が望まないのであれば、優しくない世界でこの子を支えてください」
「…………」
クレイドさんは息をはき、小さく首を振りました。何かを認め、降参といっているようです。
「……強く優しくなりましたね」
一転し、穏やかな表情を浮かべたクレイドさん。どちらに言っているのか不明ですが、ぼくは頷いて応えました。
「わたくしはもう、役目を終えたのですね」
「まさか」
驚いて口に手を当てました。なーに言ってるんですか、この人は。
「ぼくより先に勇者さんを癒したのは悔しいですけど、仕方ないので譲ってあげましょう」
「何をです?」
「神々しい聖なる美少女ポジションですよ」
「……何を言って」
「勇者さんはふわふわもふもふが好きなので、きみの羽は気に入られると思いますよ」
「そ、それはよいことですね。我が羽であの子を癒せるのなら、天使になった甲斐があるというものです」
意気込んで羽がぱたぱたと動きました。少しずつ素が出てきているようです。と思えば、ぼくが持つレイピアを見つめ、「それはまだ剣ですか」と問います。
「はい。杖となる日はまだまだ先になりそうです」
「そのようですね」
「クレイドさん、ひとつ訊きたいことがあるのです」
「なんでしょう?」
それとなく近づこうとしましたが、羽ガードされました。思ったより防御が厚い。
「なぜ、死の間際に歌を歌ったのですか?」
「その答えは、いまのあなたが持っていますよ」
「どういう意味――」
問いかけは結晶の光に遮られました。淡い白がぱちりぱちりと瞬き、リズミカルに発光します。まるで歌っているようですね。
「……起きるようです」
クレイドさんが勇者さんの髪を撫でました。先ほどと同様、我が子の安眠を守るような仕草です。
光は彼女たちの周りを飛び、勇者さんの鞄の中に吸い込まれていきました。小さな声が聞こえ、まぶたが動きます。クレイドさんは『だいじょうぶ』と言いたげに撫で続けています。
勇者さんが起きる前に、ぼくは言っておきたいことがありました。
「クレイドさん」
「はい」
「勇者さんをお願いします」
「…………」
「おしまいの後の安らぎを、どうか」
「えぇ、言われずとも」
よかった。これで不安がひとつなくなりました。勇者になった人間の魂は、死後、天使となる。終わりを願う彼女にとって、それが希望になるか絶望になるか、ぼくにはわかりません。ですが、避けようのない運命であることはたしか。終わった先は神様の管轄。ぼくには手の出しようがありません。勇者さんがうずくまっていても隣に行けないのです。
ぼくじゃなくてもいい。彼女の味方がそばにいるのなら、安らかであることを祈ることができる。クレイドさんならだいじょうぶでしょう。きっと守ってくれると思います。
「……ん」
天使に守られ、少女は目を覚ましました。ゆっくりと開かれた赤い瞳は、己を見つめる赤を見つけると、ぱちくりと動きを止めました。クレイドさんは気にせず微笑みを浮かべます。
「おはようございます、ララ」
「……お、はよう、ございます……、クレイドさん……」
「あら、先ほどのようには呼んでくれないのですか?」
少々からかうような言い方に、勇者さんは頬を赤らめてそっぽを向きました。
「あらあら、こっちを見てくださいな」
「……む、無理です」
「恥ずかしがらなくてもよいのですよ」
「……む、無理っ、です!」
なぜか妙にうれしそうなクレイドさん。なぜか妙に照れている勇者さん。
「…………?」
なんか、空気変わりましたね。ぼく、置いてけぼりです。
「……あの~?」
「なんでしょう、魔王」
「仲がよろしいみたいで」
「わたくしはララの母ですから」
誇らしげなクレイドさん。勇者さんは完熟りんごのように真っ赤っかです。……って、なんですって? 母? マザー? マミー? ママン? 聞き間違いですかね?
「恥ずかしいのなら、他の呼び方でもよいのですよ。母上、かか様、お母様、おふくろ。そうだ、ママはいかがですか?」
「あの……、私、あの、恥ず……かしい、です、むり、ほんとに……!」
「ララは照れ屋さんなのですねぇ」
「あぁぅ~~…………」
とうに限界に達していた様子の勇者さんは、くすくす笑うクレイドさんに支えられ、ふわりと浮き上がりました。羽が体を囲み、ゆっくりと立たせます。
「名残惜しいですが、そろそろ時間のようです」
「あっ…………」
何か言いたげな勇者さんですが、羽が示す方に歩いてきます。ぼくの隣です。
「じきに結界は消えるでしょう。わたくしの魔法が解ける時です」
「…………」
「ですが、だいじょうぶです。わたくしはずっと見守っています。もし、会いたくなったら祈ってください。夢の中であの唄を歌います」
クレイドさんが人間に歌い、死の間際にぼくに歌った唄。勇者さんの夢の中で安らぎを与えた唄。そして、勇者さんに継承された愛の唄。
「かつて『安らぎの唄』と呼ばれ、今は『大聖女の安らぎの唄』と呼ばれているものです。ですが、あなたに歌う時は違う名前をしているのですよ」
「違う名前?」
「覚えておいてください。あの唄の名は、『ララの子守唄』」
名もなき少女から名もなき少女に贈られる安らぎの名前でした。
「……はい。忘れません、決して」
クレイドさんは頷くと、扉を示します。その胸には、きれいなネックレスが輝いていました。
「さようなら、魔王」
「はい、クレイドさん」
「いってらっしゃい、ララ」
「いってきます。……『――』」
声を出さずに発せられた言葉。ぼくはすでに扉の方を見ていたので、勇者さんが何を言ったのかはわかりません。しかし、よい報せであることを緩んだ頬が教えてくれました。
ぼくたちは振り返らずに進みました。見なくてもわかるのです。愛する者を送り出す微笑みが見守っていること。
勇者さんはゆっくりと扉を開け、教会の外へ。結界を出ると、ドロシーさんがすべての空気を放出するようなため息をつきました。
「よ、よかったです~……!」
「お待たせしました、ドロシーさん」
「ご無事ですか、勇者様」
「はい。大聖女のことなのですが――」
みしっ。何かが軋む音がしました。ぼくたちは『おや?』と顔を見合わせます。気のせいかと思った瞬間、みしみしみしみしっと音がしました。気のせいなわけがない。
「魔王さん、教会が……」
結界が消えたそれは、今の時代に相応しい廃墟となっていました。彼女の魔法の効果がきれたのでしょう。老朽化の極みとなった建物は、けたたましい音を立てて警告します。『逃げろ』と。
「退避! 退避ーーー‼」
「雰囲気ってものがあると思うのですが!」
「ふんわりしたものはキャパオーバーです! ここからはいつもの感じですよ!」
「せっかくいい感じだったのに!」
「諦めて逃げますよ、勇者さん!」
呆然とするドロシーさんを引きずり、ぼくたちは崩れ落ちる廃教会から逃げ出しました。背後から急接近する粉塵に揉まれながら、町まで戻って来ました。
地面にへたり込み、全力疾走の後遺症に苦しむ少女二人。混乱の中、ドロシーさんは己の使命を果たすべく、勇者さんに問いかけます。
「だ、大聖女の痕跡は見つかりましたか……?」
「痕跡……。こん……、こんっ、せき……」
めちゃくちゃ咳き込んでいます。まともにしゃべれそうもありません。慌てたドロシーさんを引きずり、ぼくたちは隅っこで休憩することにしました。
しばらくして、落ち着いた勇者さんが話し始めます。どれを語るべきか選びながら、散らばった言葉を集めるように。
「大聖女の痕跡は……、ありました」
「ほんとうですか⁉ 書物ですか、それとも別の何かでしょうか!」
「物は残っていません」
「なんと……。では、痕跡というのは?」
「唄です」
「唄……。もしかして、『大聖女の安らぎの唄』?」
「はい。その原曲とでもいいましょうか。大聖女が歌ったものを私は聴きました」
「……まさか、そんなことが。いえ、勇者様が言うのなら間違いないのでしょう。……あの」
遠慮がちに、しかし、凛とした声で、ドロシーさんは続けます。
「どうか、その唄を歌っていただけないでしょうか」
「えっ、い、今ですか?」
「いいえ。人々の前で」
「…………」
黙ってしまった勇者さん。ドロシーさんは聖女です。おそらく、教会で歌うことを前提としています。誰もいない廃教会とは違うのです。
ぼくがやんわりと止めようとした時でした。
「わかりました」
勇者さんはそう言いました。驚いて凝視してしまいましたよ。固まったぼくを見て、彼女は「いろいろあったんです」と小さく笑いました。
「だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶです」
「ほんとうに……?」
心配そうなぼくに、また笑みをこぼすのです。
「ほんとうに」
お読みいただきありがとうございました。
そこそこ真面目な回なので、あまりふざけた話は控えようと思ったのですが、ひとつだけ。
レイピアもめちゃくちゃ驚いただろうなと思いました。