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695.物語 ③勇者の赦し

本日もこんばんは。

いろんなトラウマがこんにちはしている勇者さんなので、いつもより静かで怯えていますね。

 私たちが向かう予定だった方向に歩きながら、ドロシーさんは話を始めました。一歩後ろに下がっている魔王さんが気になるようですが、『ぼくは無害です』という笑顔が胡散臭いらしく、顔を背けました。

 話を聞くと言った手前、私がそっぽを向くわけにもいかず、けれど目を見ることはできず、フードを被る許可を得て安全圏から声に耳を傾けます。

「わたしは聖女として幼い頃より教会で働いてきました。もちろん、幼い時はお手伝いなどですが、早いうちから教会に入った者はそこで基本的な教育を受けます。わたしは勉強の傍ら、聖女に関する書物を読むのが好きでした」

 彼女は首から下げているネックレスを見せてくれました。以前、神様が自分のマークだと言っていた形が付属しています。

「これは聖職者の証です。わたしは神に仕える聖女として、これまで自分にできることは何か考え続けてきました。そんな時、かつて存在したとされる大聖女のことを知ったのです」

「大聖女……?」

 魔王さんから何度か聞いたことのある言葉です。ちらりと彼女を見ますが、黙ったままでした。

「いま、聖女たちに伝わる教えの多くは大聖女が神から聴き、伝えたものとされています。教会で歌われる歌もそのひとつ」

 あ、たしか、オルゴールの歌ですよね。私が知っている歌によく似ているので、不思議です。

「偉大な方であることはわかるのに、大聖女の記録はほぼ残っていません。どんな人で、どんな人生を生きたのか、後世には何も伝わっていないのです」

「……そうなんですね」

「ゆえに、わたしは探す決意をしました。大聖女のことを知り、彼女の行った功績を広めることで、より世のため人のために生きることができると考えたのです」

 ドロシーさんの声はどこまでもまっすぐ、天高く舞い上がっていくようでした。自分の生き方や考え方を疑うことなく、できることを全うしようとする姿は、とても眩しいものです。私とは正反対のすてきな人ですね。

 白を基調とした繊細で滑らかな聖女服もよく似合います。彼女が手を差し伸べることで、救われる人がたくさんいるのでしょう。聖女として、人としてお手本のようなドロシーさんに、私は俯くことしかできませんでした。

 勇者だからといって、私に何かできるのでしょうか。魔物退治ならできますが、彼女も剣を持っています。私の出る幕などないように思えますが……。

「勇者様、大聖女についてご存知のことはありますか?」

 私は首を横に振りました。

「いいえ。ステンドグラスが大聖女を模していることくらいしか、私は……」

 しかも、実際に見たことはありません。大聖女にまつわる話は、魔王さんから聞いた話ばかりなのです。

 魔王さんが話せばいいのにと思いましたが、どうやら何も言うつもりはないようです。私たちの様子を窺いながら、ただじっと黙ってついてきています。

「そうですか。いえ、不躾に訊いて申し訳ございません」

「……いえ、何か手伝えることがあればよかったのですが」

 そう言うと、ドロシーさんは目をぱちくりと開けて黙りました。えっ、なんですか、その顔は。

「わたし、言ってませんでしたっけ?」

「な、なにをですか?」

「勇者様のお力をお借りしたいって……」

「えっ……?」

「ハッ! わたしったらなんてこと! 勇者様とお会いできたことに安心して一番重要なことを言っていないじゃないですか!」

 己の失態を嘆き、地面に倒れ込むドロシーさん。服が汚れますよ……?

「あの、重要なことというのは?」

「大変申し訳ございませんでした。わたしは勇者様のお力を求めてやってきたのです。つまり、大聖女の跡形を探すために、あなたに協力していただきたいのです」

「協力……。私にできることがあるのですか」

 ドロシーさんは力強く頷きました。

「はい。あなたにしかできないことです」

「私にしか……」

 そんなことを言われてしまうと、私はさっぱり困ってしまいます。彼女の旅へ介入するのは避けたいのですが、『勇者』が必要だと言われると、そうせざるを得えません。

 とりあえず、聞くだけ聞くというのは悪手でしょうか。

「……ちなみに、それってどういう?」

「詳しくお話するべきですね。では、せっかくですし、ここからはより適した場所でお伝えします」

「適した場所?」

 ドロシーさんの視線の先には、大きな町がありました。遠くからでも見える高い建物には、彼女の胸元にある形と同じものが輝いています。

「あちらの教会で旅の物資を調達しつつ、休憩しましょう。お話はそこで」

「教会…………」

 歩き出す彼女と、立ち止まる私。けれど、重い足に鞭打って進み始めます。

 この状況でやっぱり嫌だと逃げ出せるでしょうか。町に近づくにつれ、鉛のようになっていく体を引きずり、狭くなった歩幅を眺めました。

 ……行きたくない。そんなことを言えば、「勇者なのに?」と不審がられるでしょう。

 せめて他の場所なら、と思いますが、聖女と勇者が揃えば、最も安全で適切なのは教会です。私が「カフェで」と言うこと自体、おかしな話になります。

 ああ……、今まで魔王さんの厚意で避けてきたツケが回ってきたのでしょうね。

 教会には勇者に助けを求める人々が訪ねてきます。魔なるものの被害を受けた者、救いを求める者、神に祈りを捧げる者……。聖域である教会は人間にとって安全圏です。立ち寄る村や町で一瞬でも顔を出せば、それだけで希望をもたらす。

 魔なるものである魔王さんは教会に入ることはできません。ゆえに、一度も訪れることはありませんでした。私は彼らに与えられたかもしれない希望から逃げ続けたのです。勇者に課せられた使命から目を背けたのです。……もう、逃げることは許されないでしょう。

 町に到着し、ドロシーさんはまっすぐに教会に向かって行きます。立ち止まらぬように背中を追い、それは姿を現しました。とても大きな教会です。町のシンボルであり、希望の場所なのでしょう。

「ここにはわたしの知り合いの聖女がおります。事情も知っていますので、すぐに部屋を用意――」

 彼女の言葉が途切れました。不安そうな表情で私を覗きこみます。

「勇者様、だいじょうぶですか? 顔色が優れないようですが、どこか具合でも……?」

「…………いえ」

 否定する声は震えていました。それを聞いて頷く人はいないでしょう。ドロシーさんはすぐさま教会の扉を開けようとします。聖域であること、私が勇者であることを踏まえれば、当然の行動でした。しかし、魔王さんがその手を止めました。

「何をするのですか」

「…………」

 魔王さんは何も言わず、首を横に振ります。眉をひそめて訝るドロシーさんは、魔王さんの視線の先を見て扉から手を離しました。

「勇者様」

「……はい」

「教会の裏手に物置小屋があります。そこは聖域外ですから、こちらの魔族とともに行っていてください。わたしは教会で物資をもらってきます」

「…………わかりました」

 ドロシーさんが中へ消え、私はふらふらと教会から離れました。魔王さんがそれとなく案内役を務め、物置小屋に着きました。人気のない空間です。木陰になった場所に座り、彼女が戻るのを待ちます。

 妙な汗が流れていく。心臓の鼓動が気持ち悪く、落ち着きません。疲労を感じていることすらおこがましい。私は何もしていないというのに。

「だいじょうぶですか?」

 久しぶりにも感じる魔王さんの声。いつも賑やかな彼女が静かなのも、調子が狂う原因だと言い聞かせました。

「今日は静かですね」

「あはは、ぼくですか。そうですねぇ、魔王が教会に来るのもおかしな話ですし」

「ドロシーさんが聖女だからですか」

「まさか。ぼくは聖女も愛していますよ。人間は等しくね」

「それにしては、今日はいつもと違いますね」

「……まあ、そういう日もあるってことですよ」

 魔王さんは詳しく言おうとはしませんでした。それならば、私が根掘り葉掘り訊くことはできません。

 黙った私たちの世界は静かで、木々が風に揺れる音が届く程度。ふと、どこからか歌声が聴こえ、顔を上げました。教会の中からのようです。どこかで聴いたような、懐かしさを覚える歌でした。心臓の音が落ち着いていく。私は目を閉じ、歌だけを聴こうと感覚を閉じました。

 しばらくして、荷物を抱えたドロシーさんが走ってきました。

「お待たせしました。勇者様、こちらをどうぞ」

 ぎりぎりの体勢で持っていた飲み物を受け取り、有難くのどを潤します。

「魔族にはありません」

「教会で引いている水を飲もうとは思いませんよ」

 魔王さんは楽しそうに「聖なる力で内側からめきゃめきゃされちゃいますからね!」と小声で言いました。めきゃめきゃ……?

 考えないように飲んでいると、ほど良く冷たい水が体全体に行き渡るようでした。ほっと落ち着く味がします。

 ふうと息をはくと、ドロシーさんが荷物を置きながらこちらを見ているのに気がつきました。

「勇者様は、教会に行きたくないのですね」

 ぎくり。

「……そういうわけでは」

 ありますけれど。

「一介の聖女であるわたしが詳しく訊くことは憚られますが、今回のことであなたに不快な思いをさせたのであれば謝罪させてください」

 姿勢を正したドロシーさんを慌てて止めようとし、水が変なところに入りました。くるしい。

「や、やめてください。あなたは何も悪くありません。すべて私のわがままというか……、勝手な事情によるものですから」

「差し支えなければ教えてください。教会に問題があるのなら、改善しなくてはいけません」

「いえ……、ほんとうに、あなた方は悪くないのです」

 これ以上、ドロシーさんを悩ませてはいけません。それこそ、勇者として恥ずべきことです。私は、かつて聖女から言われたことを伝えました。

「そんなことが……。ああ、なんていうことなのです。勇者様に対してそのような……」

 ドロシーさんはゆるゆると首を振りながら言葉をこぼしたと思うと、深く深く頭を下げました。

「どうか無礼をお許しください」

「えっ、あの、やめてください。あの時の聖女も、あなたも、謝ることはしていません。教会は人々にとって安らぎの場所です。一瞬でも恐怖を与える可能性があるのなら、私はいるべきではありません。彼女のとった行動は正しいです」

「正しくても、あなたが傷ついたことに変わりはありません」

 ……ドロシーさんは私のことを想ってくれたのですね。なんて優しく、器の広い人なのでしょう。一時でも大切にされたこと。それだけでじゅうぶんです。

「私はいいのです。どのみち、魔族を連れていれば教会に入ることはできませんから」

「……わかりました。しかしながら勇者様、最後にひとつだけよろしいでしょうか」

「なんでしょうか」

 ドロシーさんの目はどこまでも清く、穢れなき色で私を見つめます。

「黙許は赦免とは異なります。それに、あなたの赦しからは諦念が強く感じられます。どうか、ご自分の心の敵にはならないように」

 彼女の言葉は少しだけ難しく、私の頭は曖昧な理解しかしてくれませんでした。けれど、大事に想われたことは伝わりました。小さく頷き、応えます。

「諫言をお許しください」

「いえ、ありがとうございます」

「つきましては、例の聖女はいずれわたしが数発殴りますので」

「……へっ?」

 突然のセリフに、厳粛な雰囲気が破壊されました。聞き間違いかな?

「聖女として正しくても、個人的に許せません。というか、よく面と向かってずけずけと言ったものです。腹が立ってきました」

「えっと、あの、聖女が暴力はあまりよくないような……?」

「ご安心ください。相手も聖女ならセーフです」

 そういうものなの?

 表情はあまり変わっていないものの、握ったこぶしが風をきって準備運動をしているご様子。困惑の極みに陥った私は、話題を変えようと彼女が持って来た荷物を手に取りました。分厚い本のようです。

「こ、これはどういった内容が書かれているのですか?」

「ああ、それは」

 ドロシーさんはパンチを止め、断りを入れてから私の隣に座りました。

「わたしがこれまでにまとめた大聖女の記録です。といっても、ほとんど残っていないので、伝説や憶測が主です」

「読んでも?」

「もちろんです」

 ページをめくると、国や地域、時代の異なる大聖女の記録が記載されていました。現在にも伝わる聖女の在り方やイメージと似通る部分もあり、これが大聖女その人を示すかと言われると首を捻るでしょう。しかも、語られた物語はフィクション的な要素が多く、現実的ではありません。一割が事実だとしても、あとは尾ひれがついて広まったと考えるのが適当に思われました。

「ほんとうに実在したのかどうか、それすら怪しいとされているのです」

「存在自体が、ですか」

「あまりに遠い過去のことゆえ、記録が残っていません。唯一、彼女が残したと明確に考えられているのが『大聖女の安らぎの唄』です。『Frieden(フィールン) Lullaby(ララバイ)』という名前をご存知ですか?」

「……『Frieden Lullaby』ですか。どこかで……、あっ。オルゴール」

 鞄の中から取り出したのは、以前魔王さんからもらったオルゴールです。たしか、蓋の裏にそれが刻まれていたはず。

「あら、それは一部の教会で販売された聖歌のオルゴールですね。凝った造りにした結果、大量生産ができずにあっという間に販売中止になったとか」

「そんな過去が……。あ、ここです。この蓋の裏――っとっと! 危ない!」

「ど、どうしました⁉」

 私の声に驚いたドロシーさんが荷物に当たって雪崩が起きました。申し訳ない。

「えへへ……、なんでもないです。この裏にあるってだけで、はい」

 そう言って、そそくさと仕舞いました。不思議そうなドロシーさん。見せるつもりでしたが、開くと入れている物を見られるので……。

 ふと、魔王さんが私に微笑んでいるのを見つけました。なに笑ってんですか。

「とまあ、オルゴールはさておき、『Frieden Lullaby』でしたっけ」

「はい。先ほども教会で聖歌隊が歌っていたものです。この歌が、最も大聖女に繋がる痕跡だとされています」

「この歌の出所を探っていけば、いつか大聖女の詳細がわかるかもしれないのですね」

「はい……」

 肯定しつつも、ドロシーさんの顔は浮かないものでした。

「聖女の使命や力は口伝で受け継がれます。聖歌も同様。ゆえに、大聖女が実際に歌ったものと同じかどうか、もはやわからないのです」

「とても昔のことですものね……」

 では、どうするのでしょう。これでは、記録がないからわからなかった。その結末しかないように思えますが。

「そこで勇者様なのです!」

 残念そうに俯いていたドロシーさんは、勢いよく地図を広げて指をさします。

「古い教会に保管されていた地図です。ここに、果てしなく遠い時代の教会の情報が載っていました。その古さから、大聖女の痕跡が残っている可能性が高いとされています。しかし、誰もその教会の詳細を知らないのです」

「なぜですか」

「わかっているのは教会の名前だけ。調べようとしてもできないのです」

「どうして……?」

 ドロシーさんが厳しい目で地図を見つめます。視線は次第に上がり、私の目で止まりました。

「教会にはいつの時代からか結界が張られ、入ることができないのです」

「結界……」

 それでは、手掛かりがあってもお手上げということでしょうか。しかし、ドロシーさんの目に迷いはありませんでした。

「誰も入ることができない結界。……勇者以外は、誰も」

「えっ……?」

「これも遥か昔の時代から伝わる伝説のようなものですが、『教会の結界は勇者だけが通れる』と言われてきました」

 そ、そうきましたか……。だから勇者にしかできないと。

「どうか、一緒に来て試してほしいのです。ほんとうに入れるのかどうかを」

「…………」

 いにしえの時代にあった教会。もう誰もいないのでしょう。結界の種類にもよりますが、この場合は魔なるものもいないと考えられます。あまり危険を感じられませんね。せいぜい、老朽化が心配なくらいでしょう。

 魔王さんを見ますが、相変わらず無言で地図を見ていました。どうしたのかな。

「大聖女の痕跡を見つけたいのです。どうか、勇者様」

「……はい。わかりました。行きましょう」

「……ありがとうございます!」

 ではさっそく、と彼女は荷物の中から大きな鞄を引っ張り出しました。読んでいた本は小屋に立てかけたままです。地図を手に、元気よく先導してくれるようです。

「それでは参りましょう。目的地はここから三日進んだ森の中、いにしえの時代に存在した聖アイビアナ教会です」

お読みいただきありがとうございました。

今回の物語に必要な過去話が多すぎて紹介は断念しました。

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