694.物語 ➁旅人の聖女
本日もこんばんは。
サブタイの聖女様は魔王さんのことではないです。
翌日、私たちは旅に出ました。いつも通りのことです。
「今日はこちらの道を進みましょう」
魔王さんは、昨日、旅人に示した道とは反対を指さしました。頷き、歩いて行きます。
私たちは相変わらずくだらない会話をしていますが、魔王さんはどこか遠くを見ているようでした。昨日のことを考えているのでしょうか。理解はしても納得はしたくないという顔です。
構いません。私たちは勇者と魔王なのです。特異な存在同士の旅なのですから、こういう事態も当然かと。
「勇者さん、少し休憩しましょうか」
まだそんなに進んでいないのに、魔王さんは木の幹に腰を下ろしました。
「今日ははやいですね」
「眠かったらブランケットをお渡ししますので、言ってくださいね」
「…………」
もしや、私がろくに眠れていないことに気がついているのでしょうか。いえ、昨日は別室で休んだのです。夜に何度も目を覚ましたことを知りようがありません。
「今日はいいお天気ですから」
なるほど。私のお昼寝タイムを言っているのですね。たしかに、日差しが心地よいです。穏やかに眠れそうですね。
しかし、私は首を横に振って飲み物を手に取りました。悪夢をみた後は、あまり意識を手放したくないのです。壊された心の壁を作り直すまで、少しばかり時間が必要でした。
ミソラを抱きかかえ、ほっと息をはきます。魔の気配もない。鳥の声は遠くから聞こえる。太陽は程よく光を放ち、流れる雲が時折、隠していく。今は安全。そう思うと、息の詰まるどろどろしたものが浄化されるようでした。
ゆっくり休憩して、次の場所ではのんびりしよう。そう思っていた時でした。
「…………」
魔王さんが道の奥に顔を向けました。無言で見つめ、様子を窺っているようです。
「どうしました?」
「……誰か来ますね」
脱いでいたフードを被り、ミソラに顔をうずめるように体勢を変えます。旅人ならば、魔王さんが軽く挨拶をしてやり過ごしてくれます。私はコミュニケーションが苦手な旅人を装い、じっとしていましょう。
足音が聞こえました。誰かが歩いてきています。ひとりのようでした。
フードとミソラの僅かな隙間から、私は道を見ていました。脳内で旅装を想像していた私は、視界に入った装束に目を開きます。
「ごきげんよう」
可憐な声で挨拶する少女は、じっと魔王さんを見ていました。しかし、なぜか魔王さんは答えません。人間に向ける慈愛のまなざしはなく、黙って少女を見つめています。
気分を害した様子もなく、少女はこちらに歩いてくると、私の前で止まりました。胸に手を当て、恭しく礼をします。
「お会いできて光栄です、勇者様」
「…………」
彼女は紛れもなく私に向かって言っていました。どうして。フードを被り、姿を隠しているのに。どう見ても、魔王さんの方がそれっぽいのに。
驚いて答えられずにいると、彼女は魔王さんに敵意をまとって言います。
「なぜ魔族がここに?」
「……やはり、聖職者はわかるのですね」
「当然です。たとえ見た目を繕っても、わたしたちの目は騙せません。魔なるものよ、勇者様に何の用です」
芯の通ったうつくしい声で、彼女はまっすぐ魔王さんを捉えていました。私を守るように間に入り、手を広げます。
「何の用もなにも、ぼくは彼女と旅をしているのです」
「ご冗談を」
「冗談ではありません。疑うのなら、そこにいる勇者様に訊いてみたらいかがです」
魔王さんは焦ることなく、平然と言いました。青い目がきらりと輝いたような気がしました。
「勇者様、ほんとうですか?」
「…………えっと」
どう答えるべきか迷いつつも、事実なので「ほんとうです」とつぶやきました。
「あなたの言葉を疑うわたしをお許しください。どうか、目を見てもう一度言ってくださいませ」
「目を見て……」
そんなことをすれば、彼女に赤目を見られてしまう。……嫌です。もしまた、昨日のようなことがあったらと思うと、簡単にフードを脱ぐことはできませんでした。
「勇者様」
「…………」
「……さては魔なるものよ、術で勇者様を操っているのではないでしょうね」
「そんなことしていませんよ」
「しかし、勇者様のご様子は少しおかしい。もし何もしていなくても、魔なるものは倒すべきです。覚悟してください」
「聖女にそこまでの力はないはずですが」
少女の服が風でひらりと舞いました。魔王さんが着ている服によく似た、うつくしい白。純真無垢で穢れなき聖性を示す聖女の服です。
世界のため、人のため、平和と安寧を祈るための手には、剣が握られていました。
「聖女とて、人の守り方は様々です」
「やれやれ。その姿で剣を握らないでほしいのですが」
穏やかに言葉を紡ぐ魔王さんは動く気配がありません。対して、少女は剣を持って攻撃するタイミングを計っているようでした。
だめです。こんなところで戦闘は。止めるためには、もうこれしか――。
「そのひとと旅をしているのはほんとうです」
フードを脱ぎ捨てた私を、少女はしっかりと目撃しました。髪と同じ色をした茶色の目は、ゆっくりと大きく見開かれていきます。
「その色は…………」
後に続く言葉を想像しながら、私は躊躇いがちに目を逸らします。フードを脱いだことで風に煽られた黒髪が乱雑に散らばりました。
しばらくして、少女は剣をしまいました。
「失礼しました。勇者様が魔族と知っていて旅をしているとなれば、何か理由があるのでしょう」
再び、胸に手を当てて頭を下げる少女。彼女から悪意や敵意は感じられませんでした。
「改めて、ごきげんよう、勇者様。わたしはドロシー。とある理由で旅に出た聖女です」
「…………よろしくお願いします」
差し出された手を握ることはできませんでした。昨日のことが脳裏によぎり、手を伸ばすことができなかったのです。
視線を逸らしているため、見えなかったと思ったのでしょう。少女――ドロシーさんは気を悪くすることもなく手を戻しました。
一連の様子を見ていた魔王さんは、「彼女を魔族だと言わないのですね」と試すような言い方をします。ドロシーさんは少々怒りを孕んだ声で「当然です」と向き直りました。
「どんな姿をしていようと、勇者様を感じられるのが聖職者というもの。また、どんな姿をしていても魔なるものだとわかるのが聖職者です。たとえ、あなたのような見た目でも」
「まさしくその通りです。正しく教えられているようで安心しました」
「勇者様、この魔なるものはどうするおつもりですか」
「……えっと」
どうするも何も、魔王さんなので殺しても死なないのですが。しかし、相手は聖女。姿形に囚われず、神に仕える聖なる存在として魔を感知するのであれば、下手な誤魔化しはできません。
ぐるぐると考えながら、とある案を閃きました。それは、以前も使った誤魔化し方です。
「そ、その魔族は自分を魔王だと思っているやばいひとでして、傍若無人に魔なるものも殺してしまうので、聖なる見た目にして魔物を釣ろうと考えたのです」
「自分を魔王だと……? なんということでしょう」
「強い魔族ですので、私の管理下に置いて、いいように使っているというわけです」
ど、どうでしょうか。割とそれっぽいものをでっち上げられたように思います。
「なるほど。魔なるもの同士を潰し合わせているのですね。勇者様は自称魔王を牽制し、危険を回避すると。非常に合理的な戦い方だと思います」
よかった。納得していただけたようです。普段のめちゃくちゃな会話をもたらす思考が今回も役に立ちましたね。
「こんにちは、自称魔王です。どうぞよろしくお願いします」
にこやかに挨拶する魔王さん。あまり刺激しないでください。
「勇者様、こんなところで失礼ですが、わたしの話を聞いてくださいませんか」
「話ですか……?」
魔王さんに怪訝な視線を送りながら、ドロシーさんは地面に膝をつきました。ああ、せっかくきれいな白い服なのに汚れてしまいますよ。
慌てる私も気にせず、彼女は「お願いします」と頭を下げました。
……どうしよう。私は胸の奥で渦巻く感情を整理できないでいました。彼女は私の色を見ても態度を変えずにいてくれた。それだけで感謝するべきなのに、聖女だからという理由で決めかねている。
とっくの昔に忘れたはずの光景が浮かび上がり、鮮明に突きつけてくるのです。
困って魔王さんを見ると、彼女は黙って待っていました。きれいな青い目でまっすぐ見つめ、小さく頷きます。『きみの好きなようにすればいいのです』。そう言っているように見えました。
何度も小さく息をはき、ミソラの毛並みを感じます。……よし。
「わかりました。私でよければお話を伺います」
「ほんとうですか⁉ ありがとうございます、勇者様」
勢いよく頭を上げたドロシーさんの顔には、喜びと安堵の色が浮かんでいました。
お読みいただきありがとうございました。
ドロシーさんは詐欺聖女ではなく、正真正銘の聖女様です。