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693.物語 安らぎは時を超えて ①彼女の日常

本日もこんばんは。

今回の物語はいつもよりシリアスが強いかもしれませんが、優しいものになったと思いますので、ぜひ楽しんでいただけたら。


4万字超なので、二日間に分けて投稿します。

まとめて読みたい方は、明日の23時にお会いしましょう。

 宿の一室、机に置いた救急箱を広げながら、私は手首に包帯を巻いていました。もう慣れたものです。消毒の痛みも日常に溶け込み、忘れてしまっているほど。なくなることのない包帯や治療の数々は、なるべく隠そうと服の下に仕舞いこみます。あまり表立っていると、人間と向かい合った時に怪訝な顔をされるのです。……いえ、正直に言って、他人の目など、どうでもいいのです。私が気にしているのは、小さな傷ひとつにも心配そうな顔をするあのひとのこと。

 勇者として、魔なるものと戦う中で怪我をするのは当然です。避けようがないものだって多い。その度に、魔王さんは死にそうな顔で心配してきます。不老不死なのに、おかしな話です。

 この傷もそう。見つかれば問い詰められるでしょう。いつものことです。私も上手に説明できるようになってきました。

「勇者さん、準備できましたか?」

 部屋を出ると、旅支度を終えた魔王さんが待っていました。宿を出て、次の場所へと行く時間です。大剣と鞄を持ち、頷く私。

「では、行きましょう」

 人気のない場所では魔なるものが出やすいです。通る人間がいないわけではないため、見つけ次第、倒すのが勇者の務めでした。低級を蹴散らし、掃除をしている気分で歩いていると。

「……いま、人の声がしましたか?」

 魔王さんが鋭い目で周囲を見渡します。私の中で勇者の力が警告を出すのを感じました。魔物の気配です。同時に、木々の向こうで砂塵が吹きあがったのを見つめます。

「勇者さん」

「はい」

 真剣な魔王さんに『嫌です』とも言えず、私は大剣を手に走り出しました。やれやれ、のんびりできませんね。

 到着した現場では、二人組の旅人が魔物に襲われていました。数は三。二匹に襲われている方に魔王さんが走って行くので、私は一匹の対応をします。

 あまり強くはないようです。大剣を振り上げ、旅人に襲いかかろうとしている魔物を斬ろうとした時でした。

「……すごい風」

 魔物から放たれた強風で砂塵が起こりました。幹が軋む音が聞こえ、葉が渦を巻いて吹き飛びます。フードが脱げてしまったので、魔物から目を離さぬように慌てて被り直しました。強風の中での出来事です。旅人には見えていないはず。黒髪はともかく、赤目を隠した私は再度剣を握り直し、風が弱まった瞬間を逃がさずに倒しました。

 塵になっていくのを確認し、旅人を窺います。固まっているようですが、魔物に襲われた直後ですから無理もないでしょう。「だいじょうぶですか」と声をかけますが、無反応でした。

 混乱状態の人を対応するのであれば、私より魔王さんの方が適任です。聖なる雰囲気と微笑みに、ほっと胸を撫でおろす人は多かったのでした。

 彼女を見ると、問題なく魔物を塵にした後でした。呼びに行こうと旅人に背を向け、歩き出します。

「魔王さん」と呼ぶわけにもいかないので、なるべく近寄って伝えるのがよいでしょう。もう一人の無事も確認しておきたいですからね。

 大剣を鞘に戻し、フードの先をつまんで深さを足しながら歩みを進めていた時のことでした。背後から、息が詰まるような殺気を感じたのは。

 氷を全身に詰め込まれたような冷たさが痛みを伴い、指先まで伝っていく感覚。抵抗することを諦めるしかないような恐怖は、私にとって日常のはずですが、だからといってすぐに動けるわけではなく……。

 生存本能が無意識的に体をひねり、振り返ります。微動だにしなかった旅人が立ち上がり、私に向かって走ってきていました。手にはナイフを握って。

「勇者さん!」

 異変を察知した魔王さんが叫びますが、飛び出した旅人はもうすぐそこまで迫ってきていました。ナイフの先端が私を捉えて離しません。きらりと輝いたそれは鈍い色をしていて、輝くなら星の方がいいなぁとのんきに考えてしまいました。脳が危険から逃げようとしているのがわかります。それではいけないと心臓が大きく脈打ちました。

「……っ!」

 寸でのところで躱した私は、足がもつれて転びました。まずい、相手は体勢を変えてこちらに刃を向けている。立ち上がり、逃げようとしましたが、旅人は捕まえようと手を伸ばしました。

 魔王さんが間に入るのと、旅人がフードを掴んだのが同時でした。

「何をするのですか!」

 反動で数歩後ろに下がった旅人に、魔王さんは強い声を放ちます。しかし、旅人は怯むことなく叫びました。「そいつは魔族だ!」と。

「違います。この子は人間です」

「見たんだ。赤い目をしているのを! 赤目は魔族だろう!」

「違います。ただ赤い目で生まれてきただけの人間です」

「嘘だ。そんなの信じない。助けたふりをして、気を抜いたところで殺すつもりだろう!」

 旅人の目には恐怖と憤怒の色しかありませんでした。怒鳴りながら私を指さす様子は、何を言っても通じないと思わせるものです。

 様々な感情で震えるナイフは私に向けられたまま、殺すまで絶対に離さないと言っているように見えました。

 魔王さんに助けられたもう一人が旅人に駆け寄ります。その人も、怯えながら私を睨みつけました。見えないように動く手が、装備している刃物に伸びているのに気づきました。

「お前は聖職者のようだが、そいつはだめだ。魔族が人間に紛れているんだぞ。現実を見ろ!」

「現実を見ていないのはきみたちの方です。この子はきみを救ったでしょう。もう忘れたのですか」

「だから、それが罠なんだ。そうか、さっきの魔物もお前の仕業だな。姑息な手で人間を殺して楽しんでいるんだろう!」

「……いい加減にしてください」

 低い声がしました。透き通るようなうつくしい声を持ち、神々しい見た目をしている彼女です。まとう空気を変えるだけで、彼らは得も言われぬ後ろめたさを感じたでしょう。

 しかし、強い光を目に携え、負けじと大声を出します。

「も、もしそいつが魔族じゃなかったとしても、殺すべきだ!」

「……何を言っているのです?」

「そもそも、黒髪に赤目なんて不吉でしかない。不幸を撒き散らす危険な存在だ。もはや魔族みたいなものだろう。自分の身を守って何が悪い!」

「…………」

 静かに聞いていた魔王さんの手が強く握られていくのを見ました。それでも、彼女は声を荒げることなく息をはきます。

 握っていた手を開き、道の先を指さします。

「この先に行けば大きな町に出ます。教会もあるでしょうから、魔物と出会った時の心得でも聞いておくことをおすすめします。わかりましたか?」

「……なんだよ、突然。はやくそいつを殺せって――」

「答えは『はい』しか受け付けていません」

 私を守るように立つ彼女の顔は見えません。けれど、ひどく冷たい表情をしているのだろうと思いました。

「行きなさい」

 有無を言わせぬ圧は紛れもなく魔王のものです。しかし、それを知らぬ旅人たちは、魔物よりも大きな底知れぬ恐怖を抱くのみ。

 彼らは、魔物に襲われた時よりも激しく悲鳴をあげながら、逃げるように走り去りました。

 足音が完全に聞こえなくなるまで、魔王さんは動きませんでした。風に揺れる柔らかな服が息を整えているように見え、つい私も口を閉ざします。

 ふと、風がやみました。すべての音が消え去り、ここがどこなのか一瞬わからなくなります。

 風が吹く。魔王さんが振り返り、跪いたことで小さな風が起こったのです。端整な顔立ちに微笑みはなく、冷たい印象を受けました。思わず震えてしまったことが申し訳なく、何も言えずにいると、彼女はそっと手を差し出します。

「勇者さん」

「……はい」

「手を」

「……手?」

「怪我をしたでしょう。手当てをしますので、手を出してください」

「怪我……?」

 見ると、今朝包帯を巻いたところが切れ、解けかけていました。血が流れているのに、まったく気がつきませんでした。ありゃあ、いつの間に。ちゃんと避けたつもりだったのですが。

「これくらい平気です」

「だめです。手を出して」

「私がやりますから……」

「だめです」

 短く言い放つ魔王さんが、なんだか少し……。

 隠していた傷に気づかれるおそれがありますが、幸い、場所が同じなので誤魔化せるでしょう。強情で拒むのも限度があると感じ、ゆっくりと手を差し出しました。救急箱を用意していた魔王さんは、それを見て青い目をわずかに大きくしました。

「勇者さん」

「なんですか?」

「ごめんなさい」

「えっ、なにがです?」

 突然の謝罪に、私は素で困惑しました。

「こわかったでしょう」

 ああ、先ほどのことですか。またそんなことを気にしているのですね。平気です。あのようなことは、私にとっての日常です。何も問題ありません。

「だいじょうぶですよ」

 しかし、魔王さんに笑顔はありません。流れる血にガーゼを当て、無言のままです。

「魔王さん?」

「彼らのことではありません。ぼくのことです」

「……魔王さんのこと?」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~…………」

 大層深いため息に、びくりと体が震えます。なんですか突然。

「すみません。声を荒げないように気をつけたのですが、結局、勇者さんをこわがらせてしまいましたね……」

「えっと、なんのことですか……?」

 魔王さんの懺悔の意味がわからず、首を傾げます。

「以前、ひどく体調を崩した時があったでしょう。ヤブさんと出会った時の」

「ありましたね」

「人間に医者に診せても邪険に扱われたことで、ぼくは声を荒げました。あろうことか、危害を加えてもいいのではないかと思ってしまいました」

「…………」

「そんなこと、きみは望んでいません。だから、もし似たような状況になっても冷静に対応しようと決意したのです。それなのに、結果はこれ。呆れちゃいますね」

 ゆるゆると首を振りながら魔王さんは手当てに取り掛かります。なるべく手が触れることがないよう、とてもとても気を払っているのを感じました。

 わかっています。すべては私を想ってのこと。魔王さんが気を病むことはないのです。

「あなたは優しいひとですね」

「えっ、あれでそう見えました?」

「さっきのはどうでしょう」

 少しだけ意地悪な微笑みをして言いました。

「ゆ、勇者さん~……」

 泣きそうな魔王さんに、くすくすと笑みをこぼします。あなたはそうでなくては。私のせいで人間と敵対し、傷つけるようなことがあってはいけません。人間を愛する魔王さんに、悲しいことはしてほしくない。

 私はだいじょうぶ。慣れていることです。日常です。あの人たちが怪我もなく無事だったのなら、もういいのです。私がどれだけ傷を得ようが、この世界に何の影響もない。ただ、魔王さんだけが隣で悲しい顔をするだけ。それも嫌だから、私はひとりで何とかしたいのですが。

「ところで勇者さん」

「なんですか?」

「この怪我、さっきできたものじゃないですよね」

「……なんのことです」

「同じところにありますが、傷口を見るに時間が異なるかと」

「すごい。お医者さんみたいですね」

 あ、素直に感心してしまった。

「勇者さん」

「平気です。たいして深くはありません」

「……。宿に行きましょう」

 真顔になった魔王さんに手を引かれ、離してもらえません。

「あの」

「お説教です」

「平気なので」

「教えてくれるまで部屋で逆立ちしますよ」

「できるんですか?」

「できません」

「なんだかなぁ……」

 そうして、私は結局、秘密を話すことになりました。内容はこれといって珍しいものではありません。道すがら、黒髪を見られたことで、私は人間に殺されかけました。

 その時の魔王さんといったら。私はブランケットを頭からすっぽりと被り、宿の部屋の隅で小さく笑いました。

 彼女には似合わないこわい顔。「人間が嫌いになりそうです」と両手で表情を隠す魔王さんは、平然としている私に何か言いかけ、やめました。

 その日の夜、とっても甘いケーキを作ってくれました。ずっと口を開きかけては閉じる彼女に、私は「おいしいです」とだけ伝えます。

 言葉を出そうとして飲み込む魔王さんに対し、私は笑顔で応えました。魔王さんは何も言うことはありませんでした。

 思い出すと申し訳ない気持ちですが、それでいいのです。どうせ私は、誰にも知られずに消えていくのがお似合いなのだから、ひと時の介入をどうこう思う必要はないのです。

 こうして、隅で膝を抱えていると安心します。息を潜め、存在をなるべく薄くしていると、私は世界から切り離されたように感じる。

 これでいい。これが正しいはず。そう思っていると、指先にふわふわしたものが当たりました。

「せめてミソラさんをそばに置いてください」

 ブランケットの向こうから魔王さんの声がしました。隙間から顔を出したミソラを受け取り、胸の前で抱きしめます。

「おやすみなさい、勇者さん」

 そう言って立ち去る魔王さんに、私は同じ挨拶をするだけ。

 その夜、部屋の隅で眠った私は悪夢をみました。ミソラでも振り払うことのできない深い夢。

 私はどこまでも続く暗い館を逃げていました。足は重く、呼吸も苦しい。鼻をかすめるのは真っ赤な匂いと、何かの腐敗臭。それと。

 逃げても逃げても終わることのない悪夢は、様々な年齢の私を捕まえては闇へと放り込みます。降り注ぐ刃が体に刺さり、底なしの悪意へと沈んでいく感覚。這い出そうとしても、どろどろと溶ける人間の手がまとわりつき、私から全てを奪っていく。

 光などどこにもなく、抵抗する気力もなくなっていく。いいえ、元からそんなものなかったのです。この世界が続く限り、私は逃げることができない。

 落ちる刃は檻へと変わり、大きな錠が目の前で揺れる。鍵なんてない。うずくまり、突き刺す痛みと苦しみから身を守るように丸まった私。

 何も見ないように、何も聞かないように、私は私をどこかへと押し込んでいく。ここまでして、やっと微かに息ができるのです。

 鼓動を極限まで緩め、ここにいるのは死者だと思わせて、自分すら騙して生き永らえる。呆れるような愚策に溺れていく私は、朦朧とする意識の中で歌を聴きました。

 これまで何度も聴いた懐かしい歌。私の世界にはない何かを感じる歌。

 私は知っていました。これは、私が暗い世界に落ちてしまった時に聴こえる歌なのだと。

 死に目に聴くからゆったりしているのだろうと思っていましたが、私は死にませんでした。歌が暗闇に光を差し、幼子ながらに安堵して目を覚ますと、また地獄が始まる。何度、絶望したことでしょう。

 項垂れて太陽を見る私は、眠ることを拒みました。それでも意識を失えば、曖昧な世界から歌が聴こえるのです。

 絶望をもたらしながら、私はあの歌に手を伸ばしました。魔王さんと旅をするようになってから気づきました。私は、一時でも安らぎを求めていたのでしょう。

 目が覚めても地獄。目を閉じても地獄。そんな世界で生きていれば、無意識に救いを必要とするのも仕方がないかもしれません。

 安らぎと絶望をもたらした優しき歌は、旅に出てからも時折、私の夢に出てきました。それは決まって、悪夢にひどく魘されている時でした。

お読みいただきありがとうございました。

勇者さんが唯一知っていると言った歌がキーとなる物語です。

ぜひ過去のSSも読み返してみてくださいませ。

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