666.短編 魔王さんのいたずら
本日もこんばんは。
せっかくの666話なので、悪そうな魔王さんをどうぞ。
ぼくは魔王です。魔王とは悪いひとです。つまり、ぼくは悪いことをしても何も問題ないということですね。
とっても悪いひとであるぼくは、ある日、いたずらをしようと思い至りました。その内容は、バレてしまえば勇者さんに嫌われるおそれのあるものです。大剣を振り回されるくらいなら甘いレベル。枕の下にこんにゃくを置かれる可能性もあります。しかし、気づいてしまった以上、なかったことにはできないのです。そう、己の欲に。
「特に魔の気配はありませんね」
旅すがら、魔なるものを倒しながら進んでいるぼくたち。勇者さんは廃墟になった建物を見ながらつぶやきました。
人が去ってから何年経ったのでしょうか。外壁の色はくすみ、花壇は荒れ果て、窓は割れています。野生動物や植物の生きる場所になってしまった廃墟は、魔なるものが溜まりやすい場所でもあります。そして、こういうところは他にも。
「…………」
フードの下のかわいらしいお顔を少しだけ歪める勇者さん。まだ太陽が出ている時間でありながら、廃墟というものは雰囲気があるものです。
「…………っ」
風で揺れた枝の影に驚き、物凄い速さで顔を向けます。猫ちゃんかな?
「…………ほっ」
正体が判明すると、小柄なからだで安堵の息をはきました。ふと、ぼくの視線に気がついたのか、「なんですか?」と不満そうな目をしました。
「いえいえ、今日もかわいいなぁって」
「……行きますよ」
「はーい」
ぼくのすぺしゃるういんくを完全に無視し、勇者さんは廃墟の横を通り過ぎていきます。あとに続くぼくは、周囲に散見される類似の建物に目をやりました。どうやら、かつて集落があったようですね。今ではもう、自然に還ってしまっていますが。
ひとつひとつに物語があり、命があり、絆があった。どんな人が住んでいたのでしょう。どんな人生を生きたのでしょう。過去を想像するだけで、人間への愛おしさが増していくようでした。
いま、その愛情は、主に一人の人間に向けていますけれど。
「……ふふっ」
同年齢と比べると小さな勇者さん。背丈ほどの大剣を背負い、旅行鞄を持っている姿が愛らしい。今日ものんびり休憩しながら旅を続け、次の町まで歩いている途中なのですが……。
ぼくは自分の欲を抑えきれそうもありません。開いては閉じ、開いては閉じた口を、最後は開いてしまいました。
「勇者さん、ここは廃墟が多いですね」
「そうですね。昔はたくさん人がいたのでしょう」
「人の念が集まる場所が廃墟になると、大変なことになるらしいですよ」
「大変なことって?」
真横まで近づいたぼくをちらりと見ます。
どうしようかな。言っちゃおうかな。怒るでしょうか。う~ん、でも、言っちゃいましょう!
「実は、この廃墟群にはこんな噂があるのですよ」
声をひそめ、あの子の耳元で囁きます。日の光が木々に遮られ、ふっと暗くなりました。
「なが~い髪の女性の霊が出る……って」
「…………っ!」
びくりとからだを震わせたと思ったら、彼女はフードの端を勢いよく引っ張りました。完全にお顔が見えないのですが。
「……だ、だから何だというのですか」
「滅多に人のこない忘れ去られた廃墟ゆえ、訪れた人についてくるそうですよ」
「んなっ…………」
「ご飯の時、お風呂の時、眠る時、どこからか、トントンと窓を叩く音が――」
「もっ、もういいです。結構です。そういうの興味ないので、はやく行きますよ」
「まだ話の途中ですよう」
「日が暮れる前に宿に行かないと」
「いま、お昼ですけど」
「太陽の気が変わって爆速日没になったらどうするんですか」
「爆速日没ってなんですか」
小走りになってしまった勇者さんを追い、ぼくも走り出しました。
「……~~!」
いつの間にか、ミソラさんを抱きしめながら難しそうなお顔をしていました。
「転ぶと危ないので、歩きましょう、勇者さん」
「…………うぅ~……」
ぬいぐるみに隠れながら、声にならない声を出す彼女。ぼくは罪悪感と戦いながら、一方で満足感も得ていました。こわがっている勇者さん、かわいい~。
なんて、もし言葉にしてしまえば、お怒りの大剣が振り下ろされるでしょう。
隠していたようですが、旅をしている中で、勇者さんがこわがりさんであることを示すエピソードはたくさんありました。平気なふりを装いますが、『おばけ』の文字を見ただけでも硬直してしまうのです。
そのくせ、テレビでやっている心霊番組やミステリー情報はついつい観てしまうのです。お風呂の前に観てしまったら、さあ大変。ぼくをお風呂の門番にして、勝手に背後や天井のあるはずもない視線に怯えるのです。超かわいいですよね。
ホラー映画もそうです。フィクションだとわかっているのに、正直に、ご丁寧に、逐一こわがっていらっしゃいます。ミソラさんがぬいぐるみでなければ、何度内臓が飛び出たかわかりません。勇者さんの抱きしめる強さで、ぼくは『現在の恐怖度』を測るようになりました。本音を言うと、ぼくも勇者さんに抱きしめられたいです。内臓なんかどうでもいいので。
言葉にせずとも、カーテン側のベッドを嫌がっているのもわかっています。お布団の中から足を出さないようにしているのも、おばけに掴まれないようにしているのでしょう。んもう、ぼくが掴んじゃいたい。
野宿の時も同様。暗闇から物音がすれば、動きを止めて正体を探ります。魔なるものの気配がした方が、彼女は安堵するのです。おかしな子ですよね。
さて、彼女のきゅーとなエピソードを語ればキリがありません。何時間でもしゃべっていられますが、今はやるべきことがありました。
「勇者さん、ぼくがいるので安心してくださいねっ」
己の有用性を示すことです。さあ、頼ってください。抱きしめてもいいですよ。
「魔王さん、エクソシストにもなれるんですか」
おっと、想定外。
「がんばればできなくもないかもしれないですよ」
というか、エクソシストは聖職者の役割ですよね。ぼく、魔王ですよ。
「あ、間違えた。また見た目に騙されました」
騙したつもりはないのですが。
「これだから魔王っぽくない魔王は……」
怒られちゃいました。
ぼやく元気があるようなので、もうだいじょうぶですね。ぼくのいたずらはここまでです。
満足なぼくと、ちょっとだけむすっとした勇者さんは、本日のお宿にやってきました。今日は、他に宿泊客はなく、ぼくたちだけのようです。
従業員から隠れるように、勇者さんは部屋へとそそくさ。
「今日のお宿は窓が大きいですねぇ。夕日がきれいに見られそうですよ、勇者さん」
「……そうですね」
あまりうれしそうではありません。そして、窓側ではないベッドに近寄り、
「私、こっちでもいいですか?」
「お好きな方をどうぞ」
しっかりと内側を陣取って旅行鞄を置きました。ミソラさんは一番ふかふかの椅子に座っていらっしゃいます。いつの間に。
夕飯は各自で、というスタイルだったので、部屋に備え付けられたキッチンでご飯の支度をしていると。
「……うわっ、びっくりしました。ど、どうしました?」
柱の影からこちらを見る勇者さんがいました。
「いえ、お気になさらず」
「かなり気になるのですが」
「今日の夕飯を見ていただけです」
「お腹すきました? すぐ作りますからね」
小さく頷くと、彼女はリビングで映画を観始めました。いつもより音量が大きいような気がしますが、勘違いでしょうか。
ブランケットを頭の上からすっぽり被り、相変わらず謎展開謎テンションの映画を眺めている勇者さん。椅子に座っていたミソラさんがいないので、おそらく勇者さんの腕の中でしょう。羨ましいです。
夕飯が完成し、ぼくたちはのんびりとお話をしながら食べました。ぼくのおしゃべりに付き合う彼女はいつも通りです。体調も問題なさそうですね。
日が沈み、世界は夜になりました。お腹を落ち着かせたら、次はお風呂に入りましょう。お宿の人からいただいた入浴剤を使い、旅の疲れを癒していただきましょうか。
湯船でほっと息をつく勇者さんを想像しながら、うきうきで準備をしていると。
「……うわっ、びっくりしました。どうしました、勇者さん」
「いえ、お気になさらず」
「いやいや、気になりますって。さっきの料理中もそうですよ」
「……お風呂まだかなって」
「もうできますよ。いいお湯になりました」
「そうですか」
そう言い残して去ったと思ったら、「私がお風呂に入っている間、魔王さんはどこにいますか?」と謎の質問をしてきました。
「リビングでのんびりしようかと」
「そうですか」
「あ、もしかして、ぼくがお風呂を覗くと思っているのですか? そんなことしませんよう」
「……」
「信用していませんね?」
「……いえ、そういうわけではないです」
歯切れの悪い勇者さんは、はてなマークを浮かべるぼくを残して去りました。
ちなみに、勇者さんが入浴中、ぼくはほんとうにリビングにいました。神に誓って――いや、あれは勘弁なので、勇者さんに誓って真実です。
行動に謎が残る勇者さんですが、それはさらに顕著になっていきました。
交代でぼくがお風呂に入り、ほかほかで出た時のことです。
「うわぁっ⁉ びっくりしました!」
お風呂場のドアの横に、勇者さんが体育座りでいるではありませんか。驚きのあまり、心臓が止まるかと思いましたよ。心臓なんてまがい物なんですけど。
「どっ、どどどど、どうしたんですか?」
「いえ、お気になさらず」
「気にならない方がおかしいですって」
「なんでもないです」
「ええええ……?」
勇者さんはぽかんと口を開けるぼくをそのままに、当然のようにリビングに戻りました。ソファーに座って謎映画の続きを観ています。
お風呂のすぐ外で何をしていたのでしょう……? まさか、覗きじゃないですよね。ぼくじゃあるまいし。
不可思議勇者さんは、いつも通りの距離感でぼくの隣にいました。ところが。
「……っ!」
どこかで、トンと音がしました。表情は動きませんが、確実に反応した勇者さん。
「風の音ですかね」
「……」
「ですが、なんとなく叩いた音に似ていて、びっくりしちゃいました」
「…………」
「ぼくたち以外にお客さんはいないので、そんなはずないんですけど」
「………………」
笑って言ったぼくを、勇者さんは『なんてこと言うんだ』という顔で見つめました。
そして、眠る時間になりました。ふかふかのベッドにダイブし、少々間抜けな声で心地よさを味わっていると、
「……魔王さんって寝ますか?」
と、また謎の質問が。
「寝ますよー」
「そうですか」
「まだ眠くないですか?」
「いえ」
そう言って、彼女はミソラさんとともにベッドに潜り込みました。しっかりお布団をかけているのを確認し、ぼくは電気を消します。
「おやすみなさい、勇者さん」
「おやすみなさい、魔王さん」
こうして、ぼくたちのいつもの一日が終わりました。
――と思ったのですが。ベッドに入って数分後のことです。
トントン。音がしました。人が窓を叩くような音です。
まあ、また風によるものでしょうけれど。魔なるものの気配がしないので、ぼくは目を開けることもなく放っておきました。しかし、放っておけないことがあったのです。
ぼくは、心の中で『ん?』と首を傾げました。布団が動き、何かがベッドに入ってきたのです。平静を保つため、順番に元素の名前をつぶやきます。もちろん、心の中で、です。
シーツがすれる音。ぼくの足首に冷たいものが当たりましたが、すぐに離れました。顔の横辺りに置いておいた手に、ふわふわしたものが触れます。平静を保つため、トレミーの四十八星座をひとつずつ挙げていきます。もちろん、略。
しばらく動く音がしましたが、やがて静かになりました。反対に、ぼくの心臓は爆発しそうな音をしています。まがい物だろうと関係ありません。何この音。
どれくらい経ったでしょう。睡魔が吹き飛び、しかし目を開けることもできず、ぼくは寝たふりをしていました。なぜなら、隣から寝息が聞こえてこないからです。
いま、目を開けてはいけない。これは魔王に課せられた使命です。絶対に果たしてみせる……!
人間に歩み寄ることを決めた時のように、ぼくは強い気持ちに溢れていました。
ぼくはできる。ぼくならできる。ぼくだからできる……!
さあ、落ち着くのです。元素も言った。星座も言った。完璧です。というか、ぼくも寝てしまえばいいのです。そうしましょう。それがいい。
トントン。音がしました。
ふいに、ぼくの手が動きました。誰かが袖を引っ張ったのです。誰かって? そんなのは決まっています。
「…………」
ぼくのベッドに潜り込んできた勇者さんですよ‼ なに⁉ 今すぐ抱きしめたいんですけど! どういうこと⁉ 頭がおかしくなっちゃうよう‼
手を握ることはなく、ガウンタイプのパジャマの袖だけを掴んでいる勇者さん。ちょっとずつ腕が伸びる感覚がしているので、彼女が自分の方に寄せているのでしょう。
ふわふわの感触はミソラさんのものです。驚きと緊張で手汗がすごいことになりそうですが、渾身の魔王ぱぅわぁーでどうにかしました。
頭がぐるぐるし、弾け飛びそうなぼく。限りなく息をひそめ、その時を待ちます。
「すう……すう……」
やっと、彼女の寝息が聞こえました。そこからまた、しばらく待ち、満を持して目を開けます。
「…………」
案の定、ぼくの隣で勇者さんが眠っていました。夢かと思いました。頬をつねろうと思いましたが、動くと起こしてしまう可能性があるのでやめました。
少しだけ眉をひそめ、規則正しい寝息で眠る勇者さん。彼女がこのような行動に出た理由は明白でした。
「……明日、謝ろう」
ぼくのついた嘘。いたずらでこわがりな勇者さんをからかってしまったから。どこまでも追い、窓を叩く女性の幽霊の話。テキトーに作ったものですが、彼女にはおそろしいものになったようです。
とはいえ。
「………………めちゃくちゃ幸せ」
自分の気持ちには素直になりましょう。それが長生きの秘訣です。
眠った勇者さんを起こして嘘だと伝えるのは明日でいいでしょう。やっと眠ったのに、起こしたらかわいそうですものね。
ぼくは、勇者さんの寝顔とこの空間を精一杯楽しみながら、長い夜を過ごしました。まじでずっと寝顔を見ていました。バレたら殺されると思います。
翌日。夜明け前、ぼくが寝ているふりをしている間に、彼女は静かに自分のベッドに戻りました。そして。
「魔王さん、朝ですよ」
すてきなモーニングコールをいただき、ぼくは目を開きました。
「あれ、今日は一度で起きるのですね」
「えへへ~、褒めてくださってもよいのですよ」
「遠慮します」
起きるというより、一度も眠っていないので、ぼくはさっさと朝の支度を済ませます。勇者さんが『珍しい……』とぼくを見ているのに気がついたので、すぺしゃるういんくをしておきました。無視されました。
さて、そろそろネタバラシのお時間ですね。チェックアウトを終え、ぼくたちが泊っていた部屋の窓までやってきました。
「言っておきたいことがありまして」
「なんですか?」
「昨日、廃墟群で話した幽霊の話ですが」
「……」
「ぼくのうそです」
「……」
「すみません、勇者さんにいたずらしちゃいたくなりまして」
「……」
彼女はフードを被ったまま、ずっと黙っています。
「というわけで、幽霊の女性はいません。ついでに、昨日の音の正体もお伝えしておこうかと」
ぼくは窓のすぐそばにはえている木を示しました。木には無数の枝が伸び、一本が窓に当たる寸前です。
「この距離でしたら、風が吹けば窓に当たります。音はこれでしょうね」
「……そうですか」
思いのほか、勇者さんは静かに答えました。おや、もっと怒ると思ったのですが。
「魔王さん、昨日はよく眠れましたか?」
唐突な質問でした。ぎくりとしましたが、笑って誤魔化しましょう。
「ま、まあ、えへへって感じですかね。それがどうかしましたか?」
「いえ、眠っていたならいいのです」
それだけ言うと、勇者さんは道へと戻っていきます。歩き出した弾みで揺れたフードの下を、ぼくは胸のうちに仕舞っていきましょう。
甘いいちごに負けないくらい、可憐な色に染まった頬は、誰にも内緒です。
お読みいただきありがとうございました。
悪そうというか、いつも通りというか。
魔王「ぼくの寿命が延びちゃうかも」
勇者「何の話ですか?」
魔王「あまりに健康によい」
勇者「だから、何の話ですか?」