660.短編 アンナチュラル勇者さん
本日もこんばんは。
不自然で不可解で不思議な勇者さん。
……太ったかもしれません。そう思う理由は二つありました。
まず、最近、魔王さんが『よく食べるようになりましたねぇ』と言うようになったことです。個人的な感覚ですが、自分でもよく食べる方だと思っていました。それなのに、さらに『よく食べる』としたら、食べ過ぎではありませんか?
二つ目は、いつも着ている服が少しきつくなったような気がするのです。いえ、気のせいではありません。どう考えても、留め具がはまりにくくなっています。これを気のせいで済ませられましょうか。無理です。
私は、食べる量を減らすことを決意しました。あ、先に言っておきますが、太ることを悪だとは思っていません。では、なぜ、ダイエットしようと思ったのかというと。
「ぼく、勇者さんのこの抱き心地が至福なんですよ~。うへへへへへ」
「くっつくな」
隙あらば抱きつこうとする魔王さんを成敗し、やれやれと首を振ります。……別に、これが理由だとは言いません。ただ、『この抱き心地』というのであれば、横に大きくなった私は当てはまりません。ハグを回避できるチャンスに思えますが、ぐるぐると思考の沼に落ちた私がいることに気がついていました。
もう一度言いますが、別に、ほんとに、心の底から、魔王さんのためとか、魔王さんが離れてしまうとか、そんなことは別に、ほんとに、心の底から、思っていません。
「お昼ごはんの時間ですよ、勇者さん」
「いただきます」
「デザートもありますから、たくさん食べてくださいね」
「……デザート」
これまで、カロリーなど気にしたことはありませんでしたが、甘いものはカロリーが多いのですよね。つまり、太りやすくなる。ううむ……。
「どうしました、難しいお顔をして」
「いえ……」
「もしかして、どこか具合でも?」
「いいえ、だいじょうぶです」
「そうですか……?」
心配そうな魔王さんをかき消すように、私はお昼ごはんを咀嚼しました。そんな顔しなくても、ちゃんとご飯は食べていますよ。
とはいえ、痩せようなどと思った矢先、箸が進むわけもなく。
「ごちそうさまでした」
「もういいのですか?」
「はい、お腹いっぱいです」
これは事実です。元より、大食いというわけでもないのです。箱庭時代の反動で食べまくっていたら、いつの間にか、世界にはおいしいものがたくさんあることを知っただけで。
そうですよ。魔王さんの料理がおいしいのが悪いのです。いや、悪くはないのですけど。ついつい食べ過ぎてしまうのです。……おいしいんだもの。
「では、デザートにしましょうか」
「……ええと、今は結構です」
「えっ、食べないのですか?」
「ゆ、夕飯の時にいただきますので」
「そうですか? おや、どこへ?」
「ちょっと運動に……?」
走ってこようかと思いまして。
「えっ⁉ のんびりぐーたらまったりゆったり変な映画観ないんですか⁉」
驚愕の魔王さん。
「今日は気分じゃないというか、そんな感じで、はい」
曖昧すぎる返事をし、慌てている魔王さんに質問攻めにされる前に宿を飛び出しました。大剣も鞄も持たずに出てきてしまいました。
お昼ごはんのカロリーを消費するには、どれくらい走ればよいのでしょう? 運動量について考えたこともなく、私はとりあえずテキトーに体を動かすことにしました。
善意の魔王さんをないがしろにしたような気になり、宿に帰りにくいような気分です。でも、あまり遠くに行っても心配かけてしまいます。
知らずのうちに出てしまったため息を吸い込み、嫌なものから逃げるように走り続けました。
昼食後すぐに運動を始めた私ですが、気がつくと空が茜色に染まっていました。休憩しつつ走っていた私ですが、思ったより時間が経っていたようですね。
日が傾いています。あっという間に沈むでしょう。私はいま、大剣を持っていません。武器のない状況で魔なるものと対峙するのは避けたいことでした。
走ったからではない足の重さ。引きずるように宿に戻ると、
「あっ、勇者さん。おかえりなさい。あと十分遅ければ、迎えに行こうと思っていたのですよ」
「ごめんなさい」
「いえいえ。迷子になっているのかと思っただけです。夜の前に帰ってきて、偉いですね」
「偉くはないですけど……、あの、それは?」
私は机の上に視線をやりました。目を逸らしたい気分です。
「これですか? 夕飯ですよ」
それはわかりますけど。
「運動してくるとおっしゃったので、夕飯はがっつりしたものがいいあと思いまして。それと、勇者さんにはカロリーが足りないので、トッピングも色々と」
魔王さんは自信満々に料理を紹介してくれます。
「熱々のハンバーグ、チーズ乗せです! お野菜もたっぷりありますよっ」
「…………すごいですね」
チーズの量が。
「ご飯もパンもご用意してあります。一応、夕食用のデザートも作ったのですが、それだけ運動したのならペロッと食べられると思いますよ」
とてもすてきな笑みでした。たしかに、お腹は空いていますが……。
「ちなみに、デザートってなんですか?」
「チョコケーキです」
「おおう……」
カロリーがすごそう。すごいですよね? わかんないや。
「ささ、手を洗ったら食べましょうか」
「はい……」
私のために作ってくれたのに、『いらない』なんて言えません。蛇口から出てくる水を意味もなく手の皿に溜め、不要な時間稼ぎをしてしまいました。
席につき、向かい合って「いただきます」を言います。
ハンバーグを一口。熱々で、噛む度に肉汁が口いっぱいに溢れました。とてもおいしい。
「どうですか? 近くのお肉屋さんで、特売をやっていたのですよ。お店の人のおすすめなのだそうです」
「おいしいです」
「ほんとですか? よかったぁ」
魔王さんはうれしそうに微笑みました。私が一言『おいしい』と言えば、このひとはそれで充分なのだと、そう思ってしまうような笑みでした。
彼女が笑顔を浮かべるごとに、私は箸が遅くなっていきます。おいしいけど、食べていいのかな。そんなことを考えているうちに、せっかくとろけていたチーズが固まっていきます。
「勇者さん、お疲れですか?」
「そういうわけでは……」
いつもより減らないお皿を前に、魔王さんは不安そうな顔をしました。咄嗟に「あの」と声が出ます。
「明日から、食べる量を減らそうかと思いまして」
「えっ、なんでですか?」
「だ、ダイエット……?」
「勇者さん、ダイエットするんですか⁉」
「まあ……」
「な、なぜです。きみにダイエットの必要はまったくありませんよ?」
「気まぐれ……です」
「え、えええ……?」
困惑極まれり。魔王さんは口を開けたまま動かなくなってしまいました。
「勇者さん、ダイエットとはほんとうに必要な人だけが行えばよいものです。不要なダイエットは、健康になるどころか、逆に健康を害するおそれがあるのですよ」
「それはわかっている……と思います」
実は、あまりわかっていません。
「きみの場合は、その『逆』に該当します。一見するとカロリーが多そうですが、ぼくは栄養素や必要カロリー量を見ながら食事を用意していますので、心配いりません」
管理栄養士?
「さらに、ぼくはヤブさんからもらった『勇者さん健康管理チェック表』をもとに料理を考えています」
勇者さん健康管理チェック表?
「だから、心配せずに食べていいのですよ」
「…………でも、太ったような気がするのです」
つい、言ってしまいました。
「はあ~~~~~~~~? どこがですか~~~~~~~~~~~~~?」
うわ、とてもやかましい。
「どこが太ったのですか。どっこも変わっていませんよ」
「見た目にはまだ出ていませんけど……」
たしかに、留め具がはまらないのです。
「いいですか、勇者さん。もし太ったとしても、きみはそもそも痩せているので問題ありません。人間は、少しふくよかなくらいがちょうどいいんです!」
「ふくよかって……」
「勇者さんが横に大きくなろうと、ぼくは愛し続けますよ!」
へたっぴなウインクをする魔王さん。
「でも、前に抱き心地がどうのって」
「抱き心地?」
「あ」
口を滑らしました。
「ははあ、勇者さん、もしかして……」
「ち、違います。なんでもありません」
「……んもう、かわいいんですから~~~!」
溶けて威厳の欠片もない顔の魔王さんは、椅子から立ち上がって私に抱きつこうと手を広げます。慌てて逃げる私。
「心配になっちゃいました? そうですよねぇ、女の子ですもんねぇ。ちょっとした変化にドキッとしちゃうこと、ありますよねぇ」
「気味の悪いしゃべり方やめてください」
「まあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあまあ」
「長い」
魔王さんはそっと息をはくと、聖女のような佇まいで私を見つめました。
「勇者さんまじきゅーと」
「いいこと言うのかと思って期待した私が間違ってました」
「ま、待ってください。もう一度チャンスを」
「どうぞ」
魔王さんは、再びそっと息をはきました。手を添え直し、穏やかな笑みを浮かべます。
「勇者さんがかわいすぎて頭がおかしくなりそう」
「なりゃいいんですよ」
チャンスを与えた私が間違っていました。
「まあまあ、勘違いで太ったと焦り、ダイエットしようとする勇者さんを『かわいい』と言わずになんというのですか?」
「知りませんよ、そんなこと――って、勘違い?」
「はい。だって、留め具がはまらなくて太ったと思ったのでしょう?」
「そうです。でも、なんでそれ知って……」
魔王さんは、にっこり笑って言いました。「その留め具をつけたの、ぼくですから」
「え、どういうことです?」
「お洗濯した時に引っかけてしまいまして、留め具が外れてしまったのです。それで、付け直したのですが、前の位置がよくわからなくなってしまいまして」
彼女は服で隠れている留め具を指さしました。
「勇者さん細いですし、この辺でいいかなーって」
「…………」
「やっぱり、位置が違ったみたいですね。あははは、すみません」
「…………」
「勇者さん?」
「……ことは……」
「ことは?」
「そういうことは、ちゃんと言ってください!」
びっくりしました。焦りました。一日一食にしようかと思ってました!
「す、すみません! まさかダイエットしようとするとは思わなくて」
「うむむむ~……」
「と、ということで、勇者さんは太っていませんよ。お腹まわりも、体重も、特に変化はりませんし!」
「なんでそんなことわかるんですか」
魔王さんは『あっ』という顔で手を動かしました。気味の悪い動きです。
「抱きついた時にちょっと……、えへ……」
「気持ち悪いです」
「すみませんでした」
魔王さんは手を止めました。背後に隠したようですが、そこではまだ若干、動いていました。いや、気味が悪いってば。
「それでは、夕飯の続きといきましょうか」
「……はい」
「勇者さん」
「なんですか?」
「たくさんおいしいものを食べてくださいね。太ったっていいじゃないですか。人生は一度しかないのですから」
「……そうですね」
「それに! ふくよかな勇者さんもぎゅってした――すみません」
睨んだら静かになりました。
「あとで直してください」
「承知しました」
夕飯の時間はいつも通り、よりも少し静かに進みました。魔王さんが反省して言葉を慎んだからです。私は彼女が用意した食事を残さず食べました。箸は一定のペースで緩むことはありませんでした。
そして、デザートの時間。お昼に食べ損ねたデザートと、チョコケーキを手に、私はソファーに座っていました。飲み物を持って来た魔王さんが隣に座ったのを確認し、再生ボタンを押します。
「今日は何を観るのですか?」
「豆大福将軍にいちごを奪われたショートケーキプリンセスが仲間を集めながらアイデンティティを取り戻すファンタジー映画です」
「うん、そっか……」
魔王さんは穏やかな顔をしていました。
「今日は重い過去を抱えた訳ありバウムクー兵を仲間にする話です。シリーズの中でも屈指の人気を誇る物語ですよ」
「え、これシリーズものなんですか?」
「私のお気に入りは、和菓子帝国と洋菓子王国の全面戦争のお話ですね。帝国を生クリームの波で覆い尽くし、兵力を削ぐ場面はテンションが上がりました」
「ちょっと気になるのが悔しいのですが」
「ふふっ、B級映画もいいものですよ」
画面に大きく映し出されたタイトルを眺めながら、私はチョコケーキを一口食べました。甘くておいしい。
お読みいただきありがとうございました。
深夜にラーメン食べたい。
魔王「ぼくは勇者さんがおいしそうに食べている姿を見ると健康になる体質でして」
勇者「一度お医者さんに診てもらった方がいいと思いますよ」
魔王「ごはんをあげる喜び」
勇者「たまにペット感が出るんですよね」