659.会話 世界一周旅行の話
本日もこんばんは。
世界一周旅行は大変なので、どこにでも行ける旅物語を手の中で。
「お店の貼り紙に『世界一周旅行の旅!』と書いてあったのを見たのですが」
「ツアー旅行は人気ですよねぇ」
「とても正気とは思えません」
「そこまで言わなくても」
「世界一周ですよ? どれだけ広いと思っているのでしょう」
「いいですか、勇者さん。あれは世界一周と謳っているだけで、実際は違うのです」
「詐欺じゃないですか」
「参加者も承知済みのはずですよ。世界を一周するには人生が三回くらい必要ですから」
「魔王さんは世界一周したことあります?」
「ないです」
「時間だけはあるのに」
「ひ、ひとりで巡ったってさみしいじゃないですか」
「魔王ですら行ったことのない世界旅行。誰もほんとうの世界を知らないのですね」
「世界一周と書いて『いつもよりちょっと遠いところ』と読むのですよ」
「ルビ多」
「お金と引き換えに、比較的安全な旅が保証されるのです」
「旅は危険ですからね」
「国から国であれば、往来も多いでしょうけれど」
「わざわざ見知らぬ土地に出ていくなんて、物好きですね」
「刺激がほしいのでしょうか」
「そのへんの唐辛子でもかじっていればいいです」
「命の危機を感じることで、生きていることを実感するひともいるそうですよ」
「早死にしそう」
「ぐーたらのし過ぎもよくないと思いますが」
「命に安寧を教えているのです」
「勇者さんの命、いざという時に危機感を抱かなそうですもんね」
「普段から魔王が隣にいるのに命の危機とか言われても」
「ぼく、信頼されていますか? いますよね? やったぁ!」
「危険の塊みたいなひとがそばにいるので、命も戸惑っているのです」
「感覚が麻痺していると?」
「おかげさまで」
「ですが勇者さん、きみは魔物を見てもぼけっとしていますよね」
「めんどくさくて」
「それはもう、危機意識がどうとかの問題ではありませんよ」
「ほんとうの旅を思い知らせてやりましょう」
「ツアー会社側が血相変えて護衛をつけそうな人」
「ひとりで平気です」
「いっそ、ツアー客に混じって旅をしますか?」
「一気にバラエティ番組っぽい絵面になりますね」
「ぼく、ナレーションやりますよ。えー、こほん。本日、勇者さんが旅をするのは、かわいらしい街並みが広がるとある国。さあ、一緒に世界に飛び出しましょう……」
「地上波じゃなくて衛星放送で流れているタイプの旅番組だ」
「加えて、テキトーにテレビをつけるとやっているタイプの旅番組です」
「誰が観ているのか、いつも不思議なんですよね」
「勇者さんの旅番組ならぼくが血眼になって観ますよ」
「せめて普通に観ろ」
「どこを切り取ってもお宿でぐーたらしている勇者さんの映像」
「誰が喜ぶんですか」
「ぼくですけど?」
「あ、そうだった。このひと特殊なんだった」
「勇者さんのかわいさについて、ぼくがひたすら語るナレーションつき」
「スポンサーがいなくなりそう」
「ところがどっこい、視聴率はうなぎ登りですよ」
「なんでですか」
「ご存知ですか、勇者さん。世の中には癒しを求めるひとがたくさんいるのです」
「そうですか」
「どこか遠い地の映像をのんびり観るだけでも、彼らは浄化されるのです」
「闇に汚染されているんですか?」
「きれいな映像、かわいい動物、波の少ない起承転結……」
「魔王さんが遠い目をしている」
「巧妙な伏線とか衝撃の真実とか心を揺さぶる展開に追い付かないひとがいるのです」
「へえ」
「荒波に揉まれて生きている人々には、ただただ穏やかなものが必要なのですよ」
「それが旅番組?」
「そうです。彼らにはもう、旅行する気力も体力もないのです」
「さみしいな」
「うつくしい山脈の麓に流れる川。ゆっくり動く遊覧船。旅に出ずとも見られるのです」
「実際に旅に出ないとわからないこともありますけどね」
「たとえば?」
「不老不死のくせに世界一周もしたことない魔王がいること」
お読みいただきありがとうございました。
旅物語だと思っていますが、ほぼしゃべっているだけでした。
勇者「これを旅といっていいのでしょうか」
魔王「いろんな場所を訪れていますよ」
勇者「壮大な散歩だったりしません?」
魔王「似たようなものですよ」