642.物語 幽霊館にご用心 ①怖がりな少女たち
本日もこんばんは。
幽霊館でどきどきわくわく、あれやそれやの大冒険です。
「ここが噂のベニトア邸ですか」
魔王さんは興味深そうに、少し眉をひそめながら、顎下に手を添えて言いました。霧が漂う森の奥、人気のない場所に鎮座する大きな館を前に、彼女は凛と立っています。
「調査して回るには骨の折れそうな広さがありそうですね」
とはいえ、人間からの依頼を承った手前、「やっぱりやめましょう」と帰るひとではありません。
「がんばりましょうね、勇者さん」
やる気満々のご様子。添えていた手をびしっと館に向け、気力と元気を表します。
私はというと。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」
全力で首を振り、全力で後ずさろうとし、全力で拒否していました。
魔王さんの片手に掴まれた両手はびくともしません。この馬鹿力。
「だめですよ、勇者さん。この依頼はしっかり解決しなくては」
「魔王さんがやればいいじゃないですか」
「勇者さんは勇者です。対して、ぼくは魔王ですよ」
「村人に勇者だと思われていたのは、例のごとくあなたじゃないですか」
「ですが、受けてしまった以上はやらなくては。そうですよね?」
「勝手に受けたくせに……」
「勇者さんなら引き受けるだろうと思ってのことです」
「私なら引き受けず、そそくさと立ち去る自信がありました」
「だめな自信じゃないですか」
「やりたくない。がんばりたくない。帰りたい。だらだらしたいよう」
「めちゃくちゃいやそうですねぇ」
「そりゃそうですよ。だって……」
目の前の館に目をやり、慌てて背けました。雰囲気がありすぎる。廃墟化してなお、かつてのうつくしさを感じさせる意匠の数々。荘厳な窓、扉、屋根、壁、どれをとっても重厚な圧がありました。
自然に還りつつある建物には蔦が絡まり、今にも生者を捕まえようと伸びてくる気がして体が震えます。
今回の依頼は、この館に住まう魔物の退治。ただ倒すだけならいいのですが、場所が場所だけにやる気はだだ下がりです。
全力で嫌がる私をよそに、魔王さんは館を見上げて感嘆の声をあげていました。
「なんだか、出そうですね」
「…………」
「あれが」
「…………」
私は無言で首を振り、魔王さんを睨みました。彼女は何も気にせずそれを口にします。
「おばけ」
「黙ってください」
大剣を首に添え、斬首の意を示しました。
「すみません、つい」
「思っても言わないのが優しさです」
「ぼく、優しいひとになりたいです」
「であれば、わかっていますね?」
「はい、今のでばっちりと」
唇を結んだ魔王さんは、穏やかな笑みだけ浮かべて隣に立ちました。顔に『おばけ出そう』と書いてあります。全然優しくない。
人が去ってから何年経ったのか、老朽化の激しい館は今にも崩れそうな様子でした。正面にあるのは紺碧の扉。目線を移せば、瑠璃色に彩られた窓や装飾。くすんでしまった白色が現役だった頃は、どれだけのうつくしさだったのでしょう。
金色のドアノブを引き、館の中へ。霧によって光は薄く、室内は暗い状態でした。豪華だった照明は割れ、役割を果たすことはできません。
差し出された懐中電灯を手に、一歩踏み出した時でした。開けた扉がぎぃぃ……と音を立てて閉まったのです。
ばたん。重い音が館に響くのを聞きながら、私は硬直していました。なんで閉まるの……?
「老朽化により、建付けが悪くなっていたのでしょう」
魔王さんが開けようと力をこめますが、眉間にしわを寄せて下がります。
「へたに開けようとすると、派手に壊れる感じがします」
「じゃあ、触らない方がいいですか」
「はい。出口なら他にもあるでしょうし、なければ作りますので」
こぶしを握る魔王さん。結局、壊すのですね。
心臓が早く鳴っているのを感じ、気づかれないように小さな息を何度もはきました。魔の気配が濃いわけではありませんが、この雰囲気は……。
霧によって館の正体が見えない気がしてなりません。あまり長居はしたくない。ここまで来てしまったのなら仕方ありません。さっさと魔物を倒して出るとしましょう。
懐中電灯を握る手に力が入ります。変な汗で滑る……。
「広いですねぇ。これは探すのが一苦労ですよ」
いつもの調子で、いつもの声で、彼女は館を見回します。
「廃墟になってしまっていますが、かつてはとてもきれいだったのでしょうね」
過去に想いを馳せる青い瞳に、ほこりを被った青い調度品が映りました。濃淡の異なる様々な青が使われた館。寂れてもなお、秘めたる輝きはそこにありました。
「『青の館』と呼ばれるだけのことはあります」
「住んでいたひとは、よほどの青好きだったのでしょうか」
「勇者さんも青色お好きですよね」
「まあ……」
世界中から青色のものを集めたような光景に、私は少し、さみしい気持ちになりました。きっと、とてもきれいだったのに、いつかはこうして消えていくのかと。
「さて、お仕事しましょうか、勇者さん」
「あ、はい……」
「かなり広いようですが、二手に分かれますか?」
全力で首を横に振りました。千切れるかと思いました。
「では、時間はかかるかと思いますが、一緒に行きましょう」
「あまり早く歩かないでくださいね」
魔王さんはきょとんとし、くすりと笑いました。
「もちろんです」
〇
私たちがここ、ベニトア邸に来ることになったのは、少し離れた場所にある村からの依頼でした。例のごとく勇者だと勘違いされた魔王さんに、村人は魔物退治を頼んだのです。
彼女が聞いた話によると、ベニトア邸は廃墟になる前から異質な存在だったそうです。村人との交流はなく、どのような人が住んでいたのかすら、定かではないのだとか。ただ、みんなが口を揃えて『青の館』と呼んでいたそうです。その理由は、先ほど見た通り。どこもかしこも青色に染まり、淑やかなうつくしさを携えた館。誰も詳細を知らないからこそ、謎めいた魅力も感じられたのかもしれません。
しかし、気がついた時には廃墟化し、いつしか魔物が住み着いてしまっていた。村人が近寄ることもなく、青の館に用事もないので放っておいたものの、いつ魔物が村を襲うかわかりません。終わらぬ恐怖を抱き続けるのも大変でしょう。そういった経緯で、勇者に依頼をしてきたのです。
詳しい情報が一切ないため、館の中に関する有益なものは何もありません。老朽化に気をつけて欲しいと、当然すぎる忠告をいただきました。
「勇者さん、足元気をつけてください。タイルが剥がれています」
「わかりました」
「勇者さん、木の枝が窓を突き破って侵入しています。姿勢を低くしてください」
「わかりました」
「勇者さん、この辺りの床は腐って危険です。迂回しましょう」
「わかりました」
こんな感じで、魔王さんを先頭に館を捜索する私たち。壊れたり、崩れたりしていることに加え、薄暗くて見えにくいため、いつケガをしてもおかしくありません。魔王さんが歩いたところを的確に進んでいきます。
「ところで、勇者さん」
「なんですか?」
「このような状況で、両手が塞がっているのは危険だと思いますが……」
遠慮がちに振り向いた魔王さんは、私の腕の中にすっぽり収まったミソラを見て小さく笑いました。
「魔王さんがいるからだいじょうぶだと思いまして」
「いざという時、ミソラさんを放り投げてご自分の身を守るというのなら構いませんけれど」
「鞄にしまってから身を守ります」
「それだと遅いような」
と言いつつ、無理強いはしない魔王さん。思った以上に『そういう雰囲気』のある館に、妥協してくれたようです。
ミソラが懐中電灯を持つように見える抱きしめ方で、平常心を保ちます。頼みましたよ、ミソラ隊長。
「魔物の気配はありませんねぇ……」
等間隔で言葉を発する魔王さんは、安全そうな廊下の途中で足を止めました。
「広い館です。このままでは青の館で一泊することになりかねません」
「えっ……そ、それは嫌です」
「ぼくとしても、老朽化によって危険度が上がった館で過ごすことには賛同できません。二手に分かれて探すのも躊躇われますし、いっそのこと館を破壊するのはどうでしょうか」
「振り切りましたね」
「どうせ朽ち果てる運命です。何らかの理由で村人が入り、危険な目に遭うのは避けたいのですよ」
「そうですね……」
「これ以上、被害を増やさないためにも、どかんと派手にやってしまいませんか?」
その提案に対し、私はひとつの答えしか持っていません。
「そうしましょう。魔物退治ができれば依頼は完了ですから」
この館から一秒でもはやく外に出たい。振り返らずに立ち去りたい。さっきから怖すぎます。もう無理です。何が怖いって? 全部ですよもう!
「では、その辺の窓から外に出ましょう。一階ですし、だいじょうぶなはずです」
出られそうな窓を求め、廊下を進む私たち。
「ま、魔王さん、いま何か音がしませんでしたか?」
「風の音だと思いますよ」
「……っ! 魔王さん、いま影が動いたような」
「カーテンが揺れたのだと思います」
「……魔王さんっ、人の声がしました……!」
「気のせいだと思いますが……」
「魔王さ――痛っ」
「だいじょうぶですか? 足元気をつけてくださいね。おケガは?」
「な、ない、です……」
すぐに出られると思ったのも束の間、想定より荒れた館内は脱出するものを阻むように崩れていました。窓ではない部分を壊すことも考えましたが、全体が崩壊するおそれがあるということで断念。
聞きたくもないのに耳を澄ませてしまうため、小さな物音でも怖くてたまりません。自分の靴がガラスを踏んだ音ですら、心臓が跳ね上がりました。寿命が縮んでいるかもしれない。
「ふう…………」
そこまで歩いたわけではないのに、妙な疲労でいっぱいです。ヒビのない床に座り、周囲を観察する魔王さんを眺めました。
「困りましたね。窓が全滅です」
「扉を探しましょうか」
「その方が早いかもしれませんね」
壁を叩き、状態を確かめる魔王さん。私はミソラのふわふわだけを感じて意識を逸らそうと、目を閉じました。
安心する……。さすが、頼れるミソラ隊長。ぎゅっと抱きしめて息をはいた時。
「……風?」
廃墟に漂うこもった匂いではありません。これは、外から流れ込む鮮明な空気です。
「魔王さん、外に出られるかもしれません!」
咄嗟に立ち上がり、風を感じた方へと駆けていきます。
「待ってください、勇者さん! 走っては危険ですよ!」
「おばけは足がないので生前より速く走れると本に書いてありました。ゆっくりしていると捕まってしまうのです」
「本に書いてあることが真実とは限りませんから! 走らずに行ってください」
忠告を背に、歩こうと思いながらも体はスピードを緩めません。見えた、あの角の先です。ここを曲がれば、きっと外に繋がる道があるのです。
「魔王さん、はやく!」
「わかったので足元に気をつけてください!」
軽くなった体で角を曲がった私。そこには、古びた館から外に出られる道が――。
人間の! 顔が! 人間の⁉ 顔⁉
「わああああああああああっ⁉」
「きゃあああああああああっ⁉」
「な、なになになになに誰! だれ⁉」
「わっ、わわわわわわわわ私⁉ 私に訊いてる⁉」
「そそそそそそそうですそうです誰ですか何ですか!」
「わ、私、迷子!」
「そっ、それはお気の毒に!」
「ありがとう! たすけて!」
「あの、だいじょうぶですか?」
冷静な魔王さんが間に入り、パニックになった私たちを落ち着かせます。
「はい、深呼吸してください」
「シンコキュウ……?」
「勇者さん、落ち着いて」
盾にしてしまったミソラ隊長を押し当てられ、私はやっと自らの意思で呼吸し始めました。
「きみも、だいじょうぶですか?」
「心臓止まるかと思った!」
「その割には元気そうで安心しました」
ダイナミックな体勢で驚愕の表情を浮かべるその人は、「ひゃー、死んじゃったかと思った!」と目を見開いていました。
「ごめんなさい、こんなところに人がいるなんて思わなくて」
「それはぼくたちもです」
「君たち、もしかして肝試し? やめたほうがいいわよ。この館、入り組んでて迷子になるから」
「そうみたいですね」
深く頷く魔王さん。
「驚かせちゃってごめんね。私はユカリ。この近くにある村に住んでいるの」
そう言って、彼女はわずかに漏れ出た光に照らされ、微笑みました。青い髪は先端にいくほど紫色が濃く、きれいなグラデーションになっています。村娘らしい可憐な服を身にまとい、場違いな明るさがありました。
「ご紹介します。フードから黒髪がはみ出ている小柄でかわいくてとても愛らしくて腰を抜かしたままの少女が勇者さんです」
「ふむふむ。……ほえ?」
ユカリさんは魔王さんを見つめ、『君じゃなくて?』と首を傾げました。
「ぼくはまあ、彼女の連れといいますか、親代わりといいますか、友人といいますか。まとめると大事なひとです」
私が黙っているのをいいことに、魔王さんは好きなように紹介しました。テキトーすぎる。
「そうなのね。私、勇者さんに会うの初めて。こんにちは、お顔見せて?」
興味津々な彼女は、フードを深く被った私に近寄ってきました。咄嗟にミソラを抱きしめ、自分の姿を隠しました。
「あら? 恥ずかしがり屋さん?」
「え、ええと……」
「腰抜けちゃったんだっけ。だいじょうぶ?」
答えようとしますが、うまく声が出ません。とはいえ、無視するのは態度が悪いですよね。迷った末、ミソラの手を振りました。
「ふふっ、かわいい」
楽しそうなユカリさんは、『立って』とジェスチャーします。よろよろと立ち上がった私ですが、瓦礫に引っかけてフードが脱げました。
「へあっ! 嘘! ま、魔族なの⁉ びっくりしたぁ!」
赤い目を見た彼女は、驚きを口にしながら後ろにステップを踏み、
「あふあえぁ!」
足をもつれさせて転びました。
「ご、ごめんなさい。だいじょうぶですか?」
驚かせたお詫びに、私は手を差し出しました。
「あ、に、人間よね。ごめんなさい、びっくりしちゃって」
「いえ、いいのです」
「場所が場所だけに、驚きも倍増だわ」
「でしょうね」
ユカリさんは私の手を見つめ、取らずに立ち上がりました。よ、汚れてましたかね?
「君、とても小柄だから、私の体重に負けちゃうと思って」
「そんなことはないと思いますが……」
彼女は私を安心させるようににこっと笑います。
「勇者さんも迷子?」
「そんな感じです」
「じゃあ、一緒に行かない?」
その提案を受けるべきか、迷うことはありませんでした。魔王さんなら、魔物が住まう館に人間を置いていくことはないでしょう。勇者としての行動なら知っています。
「いいですよ」
「やった、ありがとう」
ユカリさんはうれしそうに手を挙げ、
「ほんとうに、よかった……」
疲れたように項垂れました。
「この館、めちゃくちゃ怖くて……」
きれいな悲鳴をあげていらっしゃいましたもんね。
「では、出口を探しましょう。あ、ぼくのことはテキトーに呼んでください」
「勇者さんの仲間なのよね。いつもはなんて呼んでいるの?」
「えっ、ええと、いつもは……」
素直に言ってしまってよいのでしょうか。誤魔化しを考える暇もないせいで、私は口から出てくる言葉に身を任せることにしました。
「魔王さんと呼んでいます」
「魔王? それはまた、びっくりだわ」
「じ、自分のことを魔王だと思っているやばいひとなんです」
嘘ではないです。実際に魔王ですし、やばいひとですから。
「ふふっ、またひとつ驚きね。でも、楽しくていいと思うわ。勇者さんがいるんだもの。相方が魔王だって不思議じゃないわよね」
……なんとか納得いただけたようです。
「では、ぼくは魔王ということで」
あ、ちょっとおもしろがっていますね?
「行きましょう。足元に気をつけてくださいね」
「探検隊ね!」
先頭を行く魔王さんに続きながら、ユカリさんは私を見ます。
「だいじょうぶ?」
「は、はい」
気にかけてくれるのはありがたいですが、怖くはないのでしょうか。いくら人間だと伝えても、魔族ではないかと疑う気持ちを捨てられない人はたくさんいました。
彼女は『場所が場所だけに』と言ったのです。なおさら、魔族が人間を騙っている可能性もあるはずでしょう。どうして、あっさりと背中を預けられるのでしょうか。
「あの、ユカリさん」
「なあに?」
「私のこと、怖くないのですか?」
「ん? あぁ、その色のことかしら」
彼女は振り返り、口元に手を当てて笑みをこぼしました。
「私ね、魔族より魔物より、おばけの方が怖いの」
この人、絶対に青の館に向いていませんよね。
お読みいただきありがとうございました。
約一年前に書いた物語をようやく投稿できました。遅くなった理由は特にないです。
二話もお楽しみに。