618.会話 美術館の話
本日もこんばんは。
相変わらず美術館まで行くのがめんどうでして。
「ようこそ、美しくも怪しい絵画の世界へ。ということで、美術館ですよ、勇者さん!」
「私、何も知らないのに来てもいいのでしょうか。場違いのような気がします」
「画家の名前を知らなくても、何を描いたのかわからなくても、美術館の雰囲気を味わったり、『これ好きだなー』と思ったりするだけでいいのですよ」
「芸術はよくわからないのです」
「構いません。ぼくだって今日の展覧会の画家のこと、ちっとも知りませんから」
「なぜ来た」
「決まっていますよ。そこに美術館があったからです」
「このチケットは?」
「八百屋の店主さんに譲っていただいたものです」
「もう一度訊きますね。なぜ来た」
「無料でチケットをもらって勇者さんと美術館デートできると思ったからです!」
「きっかけなんてそれくらいがちょうどいいですね」
「あんまり人気なくて来館者が少ないから行ってやってくれと頼まれました」
「正直なのもいいですね」
「さてさて、どんな絵が飾られているのでしょう? おしゃべりしながら観ましょうね」
「美術館では静かにしないといけないのでは?」
「受付の人から言われたのです。人がいないので小声ならオッケーと」
「いいんだか悪いんだか」
「あ、これどうですか? なんだかよくわからない線がいっぱいですよ」
「ほんとだ。よくわからないですね」
「こっちもよくわかりませんが、丸や四角が空に浮かんでいるようです」
「ほんとだ。何をしたいのでしょうか」
「線のタイトルは『君』、丸や四角のタイトルは『夜のまにまに』だそうです」
「へえー……。よくわからないけど、ふわふわしていて夢みたいな感じがしますね」
「どういう意味だろうと考えるのもひとつの楽しみでしょう」
「描いた人には明確な考えがあるんですよね。ちょっと不思議な感覚です」
「ぼくは勇者さんの意見を聞くことが楽しみですので、ぜひぜひ」
「えっ、難しいことを言いますね……」
「絵を観ながらお話しましょうか」
「……例えばの話ですが、同じ物語を読んでも、抱く感想や感情は人それぞれですよね」
「そうですねぇ」
「『おもしろかった』とか『悲しかった』とか、同じ言葉で表現できたとしても、実際はまったく同じなんてことはないと思うのです」
「ふむふむ」
「言葉には限度があるから、それ以上を伝えたいなら他の手段が必要でしょう」
「ぼくたちがいま観ているものとかですね」
「相手の心を知るなんて高尚なことをするつもりはありませんが、触れるくらいならいいかと思うのです。とはいえ、触れ方もよく知らないのですけれど」
「ぼく、勇者さんががんばって言語化する様子が大層好きです」
「あなたは言葉だけでじゅうぶんそうですね」
「美術館を楽しんでいただけているようで何よりです」
「今ので伝わりました?」
「そりゃもう、ぐわーっとバッとうりゃーって感じのそいやーのえいやーくらいに」
「言葉だけでは足らないようですね」
「ですので、ぼくはぼくのすべてを使って表現するのです」
「下の方に『注:絵以外』と書いておいてください」
「かしこまりました」
「それにしても、ほんとうに人がいませんね。なぜなのでしょう」
「山奥にあるので、来るのに時間がかかることも原因かもしれませんね」
「観てくれる人が少ないと思うと、ちょっとだけさみしいです」
「では、ぼくたちがたくさん観るとしましょうか」
「そうですね。のんびりと歩いてきましたが、結構、館内は広いのですね」
「地下一階、地上三階もあるそうですよ」
「満足感を得られました。言葉のない本をゆっくりと読んだような感覚です」
「おや、すてきですね。あと回るのは、カフェと売店、順路に沿った一階の奥です」
「まだ絵が残っているのですか」
「はい。展覧会の目玉である、とびっきりの絵があるとパンフレットに書いてあります」
「そう言われると、ちょっとどきどきします。……この部屋ですね。お邪魔します」
「わあー、すごいですね! 部屋いっぱいの大きな絵!」
「……ちょっとこわい、けど、観られてよかったです。相変わらず人はいませんね」
「さすがに静かすぎるような? 確認してきますね。すぐ戻ります」
「え、この部屋にひとりは……、行っちゃった」
「ただいまです。おかしいですね。受付にも売店にも人がいません」
「それはつまり、どういうことですか?」
「この絵ってことかもしれませんね」
「絵?」
「タイトルを見てみてください」
「『ようこそ、夢の世界へ』……。そういえば、この展覧会の名前って……」
「はい。『迷える子羊たちの夢』です」
お読みいただきありがとうございました。
行くまではめんどうですが、行ったら行ったで楽しいと思います。
勇者「この大きな絵を観ていると、吸い込まれるような気分になります」
魔王「どこか違う世界に繋がっていたりして?」
勇者「そんまさか、あははー」
魔王「ですよねぇ、うふふー」