599.物語 ➁宵の花が咲く時
本日もこんばんは。
引き続きお楽しみください。
魔族は気まぐれに生きてきました。行動に理由をつけることすらやめ、己の中にありながら己と乖離した性質に任せて日々を過ごしてきたのです。
人間を殺すことも、魔族と争うことも、雲を眺めることも、芽吹く葉を風から守ることも、すべては自分であり自分ではないものによる決定でした。
強い力を持ちながら、それを活かす場所などなく、持て余すように命を狩った日々。と思えば、何もせず世界を漂うこともありました。魔族にとって、生きている理由はひとつもありませんでした。だからといって、死にたくなるわけではありません。魔なるものとしての役割は理解していましたし、己の存在が恐怖になることもわかっていました。
とはいえ、やりたいことなどありません。空気のように、けれど自然よりも悪に、魔族は気まぐれに流れてきました。
つまらない。ただひたすらにつまらない。人間が楽しそうにしている様子を眺めても、何が楽しいのかわかりませんでした。ただ、自分がとてもつまらないことだけはわかりました。
人間の顔には『笑顔』というものがありました。どうやら、楽しいとそういう顔になるらしいのです。殺そうとすると見られないので、よく観察するために殺すのをやめました。遠くから見たり、つついたりして、それが何なのか理解しようした魔族。
何度見てもよくわからないので、魔族は真似てみることにしました。形から入るタイプです。鏡を見ながら『笑顔』を作り、その表情でいることに努めました。
そうしているうちに、魔族は微笑んだままになりました。
長い時を生きる魔族にとって、人間の命など奪うまでもなく、あっけなく散るものでした。彼女からみれば、わずかな間だけ花を咲かせる植物と同じ。小さな芽から大木になることすら同等に思えました。
瞬きの間に変わっていく時の中、停滞する彼女はその日を迎えます。
「おや、悲鳴だ」
聞き慣れた声が聴覚を揺らし、魔族は暇つぶしになるだろうと近寄ります。魔の気配からして、自分よりも弱いことはわかっていました。
顔を覗かせると、血まみれの馬や人間が見えました。逃げ惑う人間が魔族に襲われているのも確認できます。
「ふむ」
魔族は考えるフリをし、軽やかに飛びました。
「気まぐれだ」
魔族を散らし、怯える人間に「だいじょうぶ?」と声をかけてみます。すると、馬車の中から「ありがとう!」と元気よく答える者がいました。まだ幼い少女でした。
「ま、魔族……!」
「きゃああああ! 殺さないで!」
当然、怯える人間の方が多いのです。感謝したこどもが異常に見えました。
「怖がらなくていいよ。おまえたちを殺すつもりはないから」
「ほんと? じゃあ、やっぱり助けてくれたんだ。ありがとう!」
大人たちとは反対に、少女はうれしそうに笑っていました。
「ねえ、このひとが助けてくれるって!」
「いや、そんなことは一言も――」
「もう安心だよ、お母さん!」
「ねえちょっと、聞いてる?」
「これで旅を続けられるね、お父さん!」
「耳をケガしているの?」
「みんなでテイジュウチを見つけに行こー! おー!」
「わたし、魔族なんだけど」
少女は笑顔でした「だからなに?」
「なにって、怖くないの?」
「守ってくれたから」
「守ったつもりはないよ。ただの気まぐれで来ただけ」
「それでも、私は助かった。あなたのおかげ」
光のような淡い黄色の瞳。きらきらと輝くそれに見つめられ、魔族はため息をつきました。
「好きにすればいいよ」
「ありがとう、好きにする! ねえ、このあとも私たちのことを守って!」
「図々しいね」
「ありがとう!」
「褒めてないよ」
それが、魔族と人間の出会いでした。
魔族は少女に押し切られ、彼らがその後、定住地とする場所までついていくことになりました。決して短くはない時間の中で、生き残った人々は、次第に魔族に心を開いていくようになりました。難しい時もありましたが、いつだって中心には少女の笑顔があったのです。
人間や馬、荷物の多い馬車は度々魔なるものに襲われました。その度に、魔族は少女に「お願い! ありがとう!」と言われ、倒す羽目になりました。
「まだやるとは言ってないよ」
「でも、やってくれる」
「やらないとおまえがうるさいからね」
「いつもありがとう、メイディ」
魔族は眉をひそめました。
「メイディ?」
「あなたの名前。いつまで経っても教えてくれないから、仮名だよ」
「教えるというか、わたしに名前はないから」
「そうなの? じゃあ、本格メイディでいい?」
「本格メイディってなんだい?」
そうして、魔族はひょんなことから名前を得ました。名を使った魔法があるので、魔なるものは本来、自己の名を持ちません。しかし、魔族は強かったので、魔法のことを気にする必要はありませんでした。
「これからたくさん呼ぶね。だから、メイディも私の名前、たくさん呼んでね」
「気が向いたらね」
「でた、いつもの気まぐれ」
やがて、彼らは定住地となる場所に到着しました。いくつもの地を経て、やっと根を張れる場所を見つけたのです。
「まあ、暇つぶしにはなったかな」
「メイディ、どこ行くの?」
「もうわたしがここにいる理由はないだろう」
「ある!」
「自信満々だね。聞いてあげる」
「私!」
「なんのつもり?」
「私たちと一緒にいれば、きっと楽しい人生になるよ。たぶん!」
「きっとなのか、たぶんなのか、どっちなんだい」
「メイディは長生きなんだよね。じゃあ、少しだけあなたの時間をちょうだい。私の全部を使って『楽しかった』と思える日々をあげるから」
少女はあの日と変わらぬ瞳で魔族を見つめていました。魔族はため息をつき、「好きにすればいいよ」と答えました。
「やった! これでお友達だね」
「ばかを言う。わたしは魔族で、おまえは人間なんだよ」
「関係ないよ。よろしくねメイディ」
魔族は改めて考え、気まぐれに任せました。どうせ瞬く間の出来事なのです。もしかしたら、つまらないこれまでから変わることがあるかもしれません。
「わかった。よろしく、カラン」
「あーーー! 名前ーー! 初めて呼んでくれた! わぁいわぁい!」
「それくらいで喜ばないでくれるかな」
「うれしーい! うれしーい!」
「ちょっと、やかましいよ」
「もっと呼んでね、私の名前!」
「気が向いたらね」
「でた、いつもの気まぐれ」
それからの日々は、星の瞬きのようにはやく過ぎ去っていきました。これまでとは違う、けれど、今でも鮮明に思い出せる不可思議な日常でした。
「メイディ、一緒にあそぼ」
「あのね、わたしは魔族だと何回も――」
「花冠って作れる? 私、全然うまくできなくて」
「わたしだってやったことないよ」
「えー、長生きなのに?」
「悪かったね」
「作り方を教えてあげる。私に作ってね」
「自分で作ればいい」
「だから、私はへたっぴなの!」
そう言って手順を伝える少女は、ぐちゃぐちゃになった物体を魔族の頭に乗せました。
「なんだい、これ」
「花冠だよ」
「おどろおどろしい」
「き、気持ちはこもってるから!」
「気持ちってなんの」
「そりゃあ、メイディを大切に想う気持ちだよ」
「…………」
魔族は花冠を取り、自然に帰しました。
「あー!」
「もっと上手に作れるようになってから言うんだね」
「いじわるだー」
「今更だね。わたしは魔族だよ」
「むぅー。じゃあ、次はかくれんぼであそぼ」
「懲りないね、おまえは」
カランは毎日魔族のもとへやってきました。最初の頃は、危険なのではと止める大人もいましたが、次第にいなくなりました。誰もかれもが魔族を信頼してしまったので、魔族はどうしようかと悩んだほどです。
日々は過ぎ、少女は成長していきました。定住地となった場所はより住みやすく変化し、人間たちの生命力に驚いた魔族。いつしか、ふたりが会う場所は少女が見つけた秘密の花畑に変わっていました。
「メイディ、花冠を作るの、全然上達しないね」
「やかましいよ。そもそも、わたしが作る理由がない」
「私に乗せて。お姫様みたいに」
「おまえがお姫様? 似合わないね」
「ひどーい。いいよ、いつか絶対、お花が似合うすてきな女性になってみせるから。それまでに、花冠を上手に作れるようになっていてね」
「気が向いたらね」
「もう、またそれ?」
頬を膨らませながらも、カランはうれしそうに笑っていました。『気まぐれ』は彼女にとって、とてもすてきな言葉だったからです。
そして、また時が流れ、カランはひとりの男性を連れてきました。
「メイディ、聞いて。私、結婚するの!」
「結婚? たしか、人間がやる文化だったかな」
「そう。おめでとうって言ってくれる?」
「気が向いたらね」
「じゃあ、花嫁にぴったりの花冠を作ってくれる?」
「……それも、気が向いたらね」
「もしかして、うまく作れないのを気にしているの?」
「…………」
「へたっぴでもいいの。メイディが作った花冠がほしい」
魔族は作りかけの花冠を背中に隠していました。花が潰れ、ほつれてしまっているものを、どうしてもカランに渡す気にはなれませんでした。だから、またこう言うのです。「気が向いたらね」
そして、また。
「メイディ、聞いて。私、赤ちゃんが生まれたの!」
「赤ちゃん? そう、しばらく見ないと思ったら、母親になっていたとはね」
「私に会えなくてさみしかった?」
「まさか。静かでよかったよ」
「またまた~」
いつもと同じように笑顔を浮かべるカランに、魔族は「もうここには来るな」と突き放しました。
「どうして?」
「人間の一生は短い。わたしと過ごすより、家族と過ごす方がおまえのためになる」
「私のために言ってくれているの?」
「さあ。でも、たぶんそうかな」
「ありがとう。でも私、またメイディに会いにくるから。毎日は無理だけど、なるべくたくさん」
「ばかだね。時間は少ないと忠告しているだろう」
「でも、あなたの時間は長いよ」
カランの言葉の意図がわからず、魔族は眉をひそめました。
「心配しないで。私があなたと友達だってこと、家族も知ってる。私は限られた時間を精一杯使って楽しむから」
その言葉通り、カランはこどもを連れて魔族に会いにきました。最初のうちは大泣きされましたが、次第に慣れていったようです。
「おまえのせいで人間の生存本能が敗北したようだ」
「村に住む人はみんな敗北者ってことね」
「先が思いやられる」
「だいじょうぶだよ。メイディがいるから」
「やれやれだね」
カランはこどもを三人授かりました。家族で魔族に会いに来る日々を過ごし、季節が流れ、幼い少女だった彼女はしわが目立つようになりました。
「この花畑って高いところにあるでしょう? 足腰が痛くて来るのが大変なのよ」
「そう言いながら、おまえは来るんだね」
「だって、メイディがいる場所だもの」
歳をとったカランは、咲き誇る黄色い花たちにそっと触れました。
「何度も咲いて、何度も枯れて、また咲く。まるで、私たち人間のようね」
「そうかな。まあ、この色はおまえの髪や瞳によく似ていると思うけど」
カランは舞う花びらを手に取り、自身の顔に近づけました。
「似合う?」
「まあまあかな」
「花冠の調子はどう?」
「……まあまあかな」
「私、待っているから。へたっぴでも、あなたが作った花冠を」
「気長に待っていてよ。気が向いたら作るから」
カランはうれしそうに笑いました。魔族が背中に隠した作りかけの花冠に気づかないフリをして、うれしそうに笑っていました。
そして、終わりが訪れました。大きくなったカランのこどもが花畑を訪れ、彼女が眠る時になったことを告げたのです。
「そう。最近見なかったから、どうしたのかと思ったよ」
こどもは、最期に会って欲しいと頼みました。母の親友にも彼女を看取ってほしいと。
「気が向いたら――」
魔族は言いかけ、立ち上がりました。
「わかった。行くよ」
彼女が家族とともに過ごしてきた家で、魔族は年老いたカランと会いました。すでに目を閉じ、呼吸が止まるのを待っている状態でした。
魔族は部屋の隅に立ち、家族に見守られる彼女を見つめました。
魔族は思います。あまりにあっけない命だと。ともに過ごした時間の短さに、今さらながらに驚きました。そして、短い間に紡がれた思い出たちに、魔族は。
カランの亡骸は、彼女の願いによって花畑に埋められました。
「ほんとうにここでよかったのかい? 村に住む人たちの眠る場所があるだろう」
「あなたがいいとさえ言ってくれれば。これが母の願いでしたから」
「そう。好きにすればいいよ」
祈りが終わり、家族は家へと帰りました。花畑には、彼女の色によく似た黄色い花と、墓の前で動かない魔族がひとり、残っていました。
魔族の手には、きれいに編まれた花冠がありました。
「やっと上手に作れたんだけどね」
応えるものなど何もない世界で、魔族は石の上に花冠を乗せました。
「やっぱり、似合わないよ」
お読みいただきありがとうございました。
第三話もお楽しみに。