598.物語 望まぬ宵の花は咲き ①墓守の魔族
本日もこんばんは。
一万字程度の短い物語です。のんびりとお読みください。
私は歩いていました。整備された道をゆっくりと、静かな眠りを妨げることがないように。土を踏みしめる足音はかすか。
いつも賑やかな魔王さんは、今は黙って私の隣を歩いていました。じっと観察してやっとわかるくらいの鋭い眼差しは、この先にいる相手に向けられているものです。ただ、慈悲なく攻撃する様子はありません。それは、私たちが歩いている理由にありました。
やがて、陽の当たる場所に出ました。人の気配はなく、ここも静かです。私は迷うことなく歩みを進め、ある場所で止まりました。
「こんにちは」
挨拶された相手は、やっと私の存在に気がついたように顔を向けました。
「こんにちは、勇者」
その答えに、驚く私はいません。なぜなら、私がここに来た理由は、始終穏やかに微笑むこの魔族に会うためだからです。
魔族は、何かうれしいことでもあったのか、ずっと笑みを湛えています。
「わたしを倒しに来たのかな?」
勇者を前にしても、彼女は慌てる素振りもなく問いかけてきます。薄い朱色の髪を風になびかせ、赤色の目はどこか遠いところを見ているようでした。盛り上がった地面の傍に座り、黄色の花が咲く花畑にひとりいる彼女。身にまとう服は、まるで聖女の正装のようにうつくしい白色をしていました。
魔族を前にし、勇者の力が警告しています。はい、わかっています。このひとは強い。平和そうな光景に場違いなほど、彼女は強い魔族でした。
それでも、私は臆することなく答えます。
「いいえ。ただ、花を添えに」
「そう。好きにすればいいよ」
魔族の許しを得て、持って来た花のブーケを置きました。土には石が埋め込まれ、何か刻まれているようでした。
私は知識として知っているだけの姿勢を取りながらも、そっと目を閉じます。これが必要なことだと信じているからです。間違いだったとしても、私はそうしたいと思いました。
祈りが終わり、魔族から距離を取りました。魔王さんが警戒を表す表情で魔族を見ます。
「魔王様も祈りを?」
「いいえ。ぼくはこの子の護衛です」
「魔王様が勇者の護衛? 世の中、おかしなことがあるんだね」
魔族は楽しそうに笑い声をこぼしました。けれど、顔に浮かぶ笑顔はずっと同じものです。まるで、そういう仮面を貼り付けているように見えました。
「それで、おまえはほんとうに花を添えに来ただけ?」
「花と一緒に、伝言を預かってきました」
「そう。一族の墓に居座る魔族を倒してくれって?」
「いいえ」
私はしっかりと首を振り、フードの奥から赤い目を見つめました。
「今まで守ってくれてありがとう、と」
「…………」
「訳あって、この地を離れることが決まったそうです。だから、もう自由にしてほしいのだと」
「……ばかだね。わたしは別に、頼まれてここにいるんじゃないよ。ただの気まぐれさ。これまでの全部、ただの気まぐれ」
魔族は表情を変えないまま、けれど、どこかさみしそうに見えました。私の気のせいか、黄色い花に惑わされたか、わかりませんが。
「……そう。あの子たちはまだ生きていくんだね。人間って結構、しぶといところがある。そう思わない、魔王様?」
魔王さんは魔族の様子に気を配りながら、木の下に腰を下ろしました。
「そうですね。彼らは短い命で生き、死に、また生まれる。目まぐるしい流れの中で、いつだって必死に命を瞬かせていると思いますよ」
「滑稽だよ。わたしたちからしたら一瞬の出来事なのに」
魔族は、風にかき消されそうな小さな声で「愚かだ」とつぶやきました。
「勇者」
「はい」
「おまえの要件はそれだけ?」
「はい」
「ほんとうに、わたしを倒さなくていいのかな?」
「…………」
「わたしは人間を殺してきた。おまえからすれば、倒すべき存在のはずだけど」
「……そうですね」
私は、花を踏まないように座りました。ブーケの前、お墓の傍。ここに眠る人は、どんな人だったのでしょう。どんな人生を生きたのでしょう。でも、きっと、すてきな人だったのだろうと思います。だって、こんなにも花に囲まれて眠っているのだから。
「私は、勇者ですが正しい人間ではありません。あなたが残虐な魔族だったとしても、私が知っているのはとある一族の墓を守るひとだということ。六百年もの間、です」
「長い時間じゃないよ」
「人間からすれば、ひとつの国が生まれ、滅びるくらいの長さです。その間、あなたはここを守り続けた。すごいことだと思います」
「それがなに?」
「倒す理由がありません」
「あるよ。わたしは魔族なんだから」
「それでも、あなたがお墓を守ろうとした理由が消えない限り、私は剣を持ちません」
「その理由が、今しがたなくなったんだろう」
「いいえ」
違うはずです。私も詳しくは言えないけれど、わからないけれど、墓守として生きてきた理由は――。
「よければ聞かせてください。あなたが出会った人間のことを」
「それは勇者として?」
「いいえ」
私は何度目かの否定を繰り返しました。
「魔族とともに生きることを選んだ人間として、です」
「…………」
魔族は黙ったままの魔王さんを眺め、また微笑みました。
「いいだろう。どうせいつかは消えていくものだ。気まぐれに話してあげよう」
魔族は黄色い花に手を添え、語り始めました。
「まだ名乗っていなかったね。わたしはメイディ。これから話すのは、わたしに『メイディ』という名を与えたひとりの人間とのお話だよ」
〇
魔族――メイディさんは、幼子におとぎ話を聞かせるように口を開きます。声は穏やかで、誰も彼女を強い魔族だとは思わないほどです。
「わたしは気まぐれで生きてきた。何をするにも、どこへ行くにも、すべて気まぐれ。その日、わたしがやったことも気まぐれにすぎない」
日差しは優しく、からだを包み込むぬくもりと風に運ばれる花の香りは、まるで過去に連れて行くかのように私たちを彩りました。
黄色い花が揺れています。小さな花弁が舞い、メイディさんの前を通り抜けていきました。
「悲鳴が聞こえてね。なんだろうと思って近寄ったら、魔族に襲われている馬車を見つけたんだよ。まあ、この世界では日常茶飯事。なにも珍しいことじゃない」
メイディさんは花を取り、丁寧に編んでいるようでした。滑らかな動作です。手慣れているのがわかりました。
「襲っているのは上級の魔族だったかな。忘れたけど、わたしはなんとなくそいつを殺して馬車に近寄った」
「なぜですか?」
「理由なんてないよ。言っただろう。全部気まぐれだと」
それ以上、言えることがないとでも言いたげに、メイディさんは首を傾げます。
「何人か死んでいたようだけど、生きている人間もいた。『だいじょうぶ?』と訊いてみたら、『助けてくれてありがとう』と言うおばかな人間がいてね。ありがとうだよ? わたしだって魔族なのに、感謝するなんてお門違いにもほどがある」
くすくす、くすくす。彼女は楽しそうに笑いました。
「あんまりおかしかったから、目的地までついていったのさ。わたしがいれば、他の魔族も寄ってこなかったから、結果として護衛したみたいになったけれど」
黄色い花の冠は、少しずつ大きくなっていました。
「人間たちは定住地を求めているみたいだった。やっと見つけたらしくて、大層喜んでいたよ。『ここまで守ってくれてありがとう』と、またお礼を言われた。ほんと、おかしな話」
どこかで鳥の鳴き声がしました。
「でも、おかしな話はこれで終わりじゃない。ここからが本番だよ。人間の中に幼い少女がいた。その子がおかしくておかしくて」
「そんなにおかしいのですか?」
「それはもうね。あの一件以来、あの子はわたしのところに毎日のように会いに来たのさ。何度も魔族だと言っているのに、『でも、あなたは優しい魔族だからだいじょうぶ』って」
勇者として生きてきた私は、その考えが危険であることはじゅうぶんに理解できます。けれど、別の私が同感しているのも感じていました。
「毎日、毎日、懲りずに私のところに来て、おいしい木の実を採っただとか、少し背が伸びただとか、いい天気だから遊ぼうだとか、今日は誕生日だから『おめでとう』を言って欲しいだとか。危機感というものがまるでない人間だったよ」
花の冠は、もうすぐ完成でした。
「うざったいから殺してもよかったんだけど、やめた。気まぐれさ。どうせ、放っておいてもすぐ死ぬんだから、わたしが手を出す必要もないかと思ってね」
そんなことをしているうちに、日々が過ぎて行ったのでしょう。その過ぎ去る日々は、『彼女』にとって大きな意味があったのだと思います。
「人間の命というのは、あっけないね。あの子はどんどん成長して、好きな人ができて、子を産み、おばあさんになって死んだ。こどもたちに見守られて、あっさり死んだのさ」
「…………」
「あの子――カランはいま、ここに眠っている。もう、わたしを困らせることもないし、性懲りもなく構ってくることもない」
メイディさんは、きれいに作られた花冠を見つめ、「ただ」と続けます。
「静かすぎる」
そして、花冠を石の上に置きました。ブーケの隣、名前の傍。
黄色い花が、ひらりと風に乗って空へと飛んでいきました。
お読みいただきありがとうございました。
続きもお楽しみに。