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580.短編 雪の降る街

本日もこんばんは。

寒い時は偉大なるあの方の力を借りましょう。こたつのことです。

 とても寒いある日のこと、私たちは降り始めた雪から逃げるように街にやってきました。急いで取った宿の部屋で、私は暖炉の火に手をかざします。かじかんだ指をさすり、震えを溶かしていきます。

 魔王さんはいません。暖炉で火を起こしたあと、すぐに食材を買いに出かけてしまいました。身体を内側からあたためたいと言っていたので、今日はお鍋かもしれませんね。

 少しずつぬくもりを持ち始めた部屋。やっと腰を下ろし、息をはきます。固まってしまった身体をほぐすように手を伸ばしたり、背伸びをしたり。縮こまっているのは得意ですが、寒さで石像になるのは勘弁してほしいところ。

 窓ががたがたと揺れ、見るからに寒そうな四角い景色が見えました。宿の主人によると、今日は寒波が到来して普段より寒さが厳しいそうです。おかげで、人々は外に出ず、家の中でぬくぬく。旅人も訪れず、閑古鳥が鳴いていたのだとか。私たちの来訪はありがたいとのことでしたが、それはこちらのセリフですね。

 雪の花が舞い、風が吹き飛ばしていく。外は誰もいません。魔王さんは魔王なので平気だと思いますが、あのひとは人間に合わせて生きているのですよね。つまり、普通に寒いわけです。飛び出して行く時に、見たこともない厚着をしていったのを覚えています。魔王ぱぅわぁーとやらを使えばいいと思うのですが、色々あるのでしょう。

 凍死しないとはいえ、どこかで氷像になっている可能性はあります。買い物に出かけてから時間が経ちましたし、固まっているのであればお湯をかけなくてはなりません。……というのは冗談で、温かいお茶でも淹れましょうか。

 動くようになった身体でやかんに水を入れ、スイッチを押します。とりあえず、お湯を沸かしておきましょう。いざという時に必要になるでしょうから。

 料理ではないので私でもできます。火がついたのを確認し、やかんを乗せました。ふむ、お茶漬けなら作れそうですね。

 そんなことを考えていると、扉が開いて魔王さんが帰ってきました。

「おかえりなさい、魔王さん」

「…………」

 珍しく、彼女は何も返事をしませんでした。着ていたはずの上着はなく、薄手の服を限界まで伸ばして口元を覆っています。

 たくさんの野菜などが入った籠を抱えながら、無言で近づいてきた彼女は、持っていた箱を突き出しました。

「えっと……?」

「…………」

 何も言わないので、どうしていいのかわかりません。とりあえず受け取ると、魔王さんは籠を机に置いて部屋を出て行きます。向かった方向にあるのは洗面所と浴室、物置と裏口です。

「ま、魔王さん」

 様子のおかしい彼女を呼び止めようとしましたが、声は閉まる扉に遮断されました。

「……どうしたのでしょうか」

 部屋はあたたかいはずなのに、なぜか寒さを感じます。魔王さんが返事もせずにどこかに行くなんてこと、今まであったでしょうか? 記憶を辿っても、思い当たるものはありません。

 てのひらに伝わるひやりとした感触が私を現実に戻します。見ると、ホールケーキのようでした。

「なんでケーキ……?」

 疑問に思いつつ、冷蔵庫に入れました。籠の中の野菜なども必要なものは冷蔵庫へ。にんじん、じゃがいも、きのこ、魚、りんご、大根、どれを入れたらいいんでしたっけ。

 考えながら冷蔵庫に収めている私ですが、脳内はおかしな魔王さんでいっぱいでした。整った顔をしているだけに、表情を動かさないとわずかに冷たい印象があります。見透かされているような感覚に陥るので、聖女にはもってこいですね。……ではなく、寒さも相まって青い目が冷淡な色に見えてしまうのです。きれいですが、同時に少しだけこわい。

 魔王さんは、ごくたまにあのような目をすることがあります。それは決まって、怒っている時でした。

「……私、何か悪いことをしてしまったのでしょうか」

 買い物に出かける前の魔王さんはいつもと同じでした。それならば、その後に何かあったと考えられます。

 一緒に買い物に行かなかったこと? いえ、魔王さんは宿で待っているように言いました。人の多い場所では、私を連れて行くことはあまりありません。

 待っている間に何もしていなかったこと? いえ、特に片づけるものもありませんし、食事の用意をしようにも食材がないから買い物に出かけたのです。

「…………」

 理由がわからず悶々としていると、突然、高い音がして心臓が跳ね上がりました。驚いて足に大根を落とします。い、痛い……。

 高い音の正体はやかんです。いつの間にか沸騰していたのでしょう。湯気が激しく、はやく火を止めろと叫んでいるように聞こえました。

 吹き出したお湯がキッチンを濡らし、やかんが風に揺れる窓のごとくがたがたと音を立てていました。

 慌ててスイッチを押し、暑さとは別の汗を拭います。思考に溺れるあまり、やかんのことを忘れていました。火を使っている時に考え事とは、ずいぶん危険な真似したものです。魔王さんがいたら血相を変えて止めにきたでしょう。

「……あ、勝手に火を使ったから?」

 怪我をする危険性が高いものです。魔王さんがいたら止められたでしょう。実際、目を離して吹きこぼれたわけですし、あとで怒られると思いましたが……。

 心配させる前に片づけてしまいましょう。温かいお茶を用意しようと思いましたが、不慣れなことはやるべきではありません。

 証拠隠滅のためにお湯を捨てようとしましたが、水を入れすぎたようで重く、傾きます。中身はお湯なので気をつけないと……。

「わわっ……」

 想像以上の重量にバランスを崩し、やかんが私に向かって倒れようとしました。熱々のお湯が全身にかかる直前、隣から伸びた腕が持ち手を握ります。

「気をつけてください、勇者さん」

「……魔王さん」

 ふわりとシャンプーの香りがしました。湿ったままの髪を束ね、首にタオルをかけた魔王さんが頬を膨らませてこちらを見ています。

「火傷をしたら大変です。お茶が飲みたいなら言ってくれればいいのに」

「えっ……と、そういうわけでは」

「では、なぜお湯を?」

 不思議そうな魔王さんはいつもと変わりません。先ほどの冷たさは消え、ほんのりと紅色に染まる頬からは温かみを感じます。……お風呂上りですか? なんで?

 答えない私に、魔王さんはやかんを回収すると床に落ちた大根を拾い上げます。あっ、落としたままだった……。色々と中途半端で、私ってほんとうに……。

「買ってきたもの、冷蔵庫に入れてくれたのですね。ありがとうございます、勇者さん」

「いえ……。ごめんなさい、まだ途中で。それに、落としちゃって……」

「いいのですよ。洗えば問題ありません。すぐにご飯にしますね」

 慣れた動作で食事の支度をする魔王さん。私はどうしていいかわからず、数歩下がって様子を窺います。

「どうしました?」

「……あの」

 帰ってきてすぐの時の魔王さんが気になって仕方がありません。勝手に火を使ったのもよくないですし、いつも通りに見えてほんとうは怒っているのかもしれません。もしそうなら、謝らないと……。

「魔王さん、ごめんなさい」

「へっ? な、なにゆえ謝罪を?」

「私、悪いことをしたんですよね」

 それが何か、まだわかっていませんが、理解していないこともきっと、悪いことなのでしょう。

「悪いことなんてしていませんよ。あ、もしかして、火を使ったからですか?」

「それもありますが、それ以外も……、たぶん」

「んんん……? ぼくがいない間に、いたずらでもしたのですか?」

「していません」

「およよ……? すみません、ちょっと話が見えなくて。もしよろしければ。最初から説明していただいても?」

 そう言われてしまえば、私は断るわけにはいきません。魔王さんが買い物から帰宅した時のことを伝え、再度謝罪をしました。しかし、魔王さんはぽかんとするだけ。言い方が悪かったのかと、もう一度、口を開きかけた時。

「ま、待った! 待ってください、勇者さん。きみは勘違いをしています」

「勘違いですか」

「それと、今回のことはぼくが悪いです」

「魔王さんは何もしていないと思いますが……」

「えーっと、誤解を解くためにゆっくり説明しますので、まずはご飯にしましょうか。先に言っておきますが、ぼくはなんにも怒っていませんよ」

「ほんとに……?」

「火を使って火傷しかけたのは心配しましたが、怒ってはいません。お茶の用意がはやくできたのはきみのおかげです。ありがとうございます」

「ど、どういたしまして……」

 そうして、いつものように笑顔の魔王さんと、温かい鍋を囲みました。食事が終わると、「デザートもありますよ」とあのホールケーキがテーブルに置かれます。切り分けてもらったケーキを受け取り、ふたりで食べ始めます。

 私が一口食べたところで、魔王さんは「今回の勘違い事件の原因はこれです」と言いました。

「ケーキですか?」

「はい。食材を買い、急ぎ足で宿に戻っている時のことでした。非常に強い視線を感じたのは。辺りを見回すと、ミニスカの少女がぼくを見つめていました。それはもう、強く強く見つめていました」

 ……どういう状況?

「彼女はケーキの売り子さんでした。勇者さんも、店の外で販売する様子を見たことがあると思います」

「店内に入らなくていいので、つい足を止めてしまうのですよね」

「しかし、今日はご存知の通り極寒。誰も街にいません。ですが、売り切らないと帰れないのでしょう。少女は『助けて』という顔でぼくを見ていました」

「ていうか、この寒いのに、なぜミニスカ……」

 魔王さんは小さく笑い、深く頷きます。

「ミニスカ少女を嫌いなひとがこの世にいますか?」

 知りませんよ、そんなこと。

「彼女はさぞかしがんばったのでしょう。ケーキは残りひとつでした」

「もしかして、それが」

「はい、このケーキです。最後のひとつが売れたことで、彼女は家に帰れることになりました。しかし、この寒さの中、ミニスカで帰るのは厳しいと思い、ぼくの上着を渡しました」

「それで薄着だったんですね」

「他にも理由はあります」

 ひょいと取り出したのは四角い水色の物体。

「保冷剤です」

「食べ物を冷やすためのものでしたっけ」

「はい。仕事熱心な彼女は、極寒の日でも変わりなく、マニュアル通りに保冷剤を入れてくれました」

「要らないですよね……?」

「これだけ寒ければ要らないです。しかし、張り付いた保冷剤を取る余裕もなく、ぼくは籠を抱えながら帰路につきました。たくさん買ったので、ケーキの箱を抱える形になったのがだめでした。寒波と保冷剤に襲われ、ぼくは凍ってしまったのです」

 魔王なのに……。

「宿についた時、ぼくは固まってしまい、しゃべることもできませんでした。お湯で溶かそうと思い、一番痛みそうなケーキを勇者さんに任せてお風呂場に直行したというわけです。『ただいま』と言えなくてすみませんでした」

「いえ、事情がわかってよかったです。もう寒くないですか?」

「はいっ。勇者さんが湧かしておいてくれたお湯で飲む紅茶は格別です」

「すぐそういうこと言う」

「だって、事実ですから」

 そうして、寒い寒い日が過ぎていきました。冷たい風は部屋の外。温かい場所にはケーキと紅茶が並んでいました。

 数日後、寒波が過ぎ、旅を再開することになりました。雪の降る街には、思い思いに厚着をした人々の姿があります。大通りを歩きながら、しんしんと舞う雪に手を伸ばしました。

「勇者さん」

 呼ばれ、視線をやると、

「あ…………」

 私たちに向け、全力で手を振る少女がいました。寒さをものともせず、輝く笑顔で両手をぶんぶん振っています。大きくジャンプするたびに、短いスカートがひらりと揺れました。

「おやおや、元気そうで何よりです」

「彼女が?」

「はい。仕事熱心なミニスカ少女です」

 魔王さんも大きく手を振り、応えます。少女は最後に深く頭を下げると、ケーキを買いに来たお客様の対応に戻りました。

 すてきな笑顔とおいしそうなケーキ。二つが揃えば、ショーケースの中は飛ぶように売れていきます。その様子を、魔王さんはうれしそうに眺めていました。

「ぼくの出番はなさそうですね」

「あれなら、売れ残ることはないかと」

「では、ぼくたちは旅を続けましょうか」

「はい、魔王さん」

 甘くておいしいケーキの味を思い出します。せっかくですから、たくさんの人に食べてほしいですよね。

 雪が降る。まだまだ寒さは続きそうですが、だいじょうぶでしょう。私はミニスカ少女を脳裏に浮かべ、小さく息をはきました。

 とっても寒そうな彼女。しかし、その身体には見覚えのあるもこもこの上着があったのでした。

お読みいただきありがとうございました。

着ぐるみで販売したら暖かい気がします。


勇者「こう言ってはなんですが、見ているこちらが寒くなる服装でした」

魔王「スカートを履いている人が何かを言っています」

勇者「私はほら、裾が長いですし。ミニスカじゃないので」

魔王「スカートはスカートですよね」

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