570.短編 アナスタシアの愛読書
本日もこんばんは。
魔法学院で過ごすアナスタシアの日々を少しだけ覗いてみましょう。
ノスタルジア魔法学院。それは、世界から魔法使いや魔女が集まる魔法の国。魔法によって移動しながら彷徨うその国には、シンボルとされる巨大な施設があった。
ノスタルジア魔法図書館。学院に併設されたそこは、ノスタルジアに生きる人々にとって憩いの場であり、知識を与えてくれる場所であった。
二階から四階は図書館として数多の書物を所蔵、貸出を行っている。図書館のエリアは学生証の提示で利用できるが、一般の魔法使いも利用証を作ることができる。
五階は本の読み聞かせなどを行うプレイルームが多数。読んだ本の感想を言い合う生徒や魔法使いが集う憩いの場となっている。六階は学習室。学院の生徒が使用する場所であるが、それ以外の人も利用可能である。建物は七階以上あるが、一般的に使われるのは六階まで。
一階は、というと。図書館で読んだ書物を実際に購入したい場合や、純粋に国外から仕入れた本を販売する書店となっている。
図書館から少し離れた場所には小さな建物がある。こちらは図書館の地下に繋がっており、閉架へと入ることができる。こちらも、許可を取れば一般の魔法使いも利用可能。
入り組んだ階段によって行き来する図書館。魔法によって書物が飛び交うが、驚くこともなく魔法使いたちは階段を歩いて行く。
世界では珍しいとされる魔法使いの中を迷わず進む人がいた。鳥のように目の前を飛んでいく書物も一切気にせず、その人は二階へと階段を上がっていく。学生証をかざし、バーが上がる。ペースを緩めたのはその一瞬のみで、彼女はまた淀みない足取りで『今月の新刊』コーナーへと歩く。
見やすいように並べられた書物たちをひとつずつ確認し、彼女は深いため息をついた。
「ないなぁ……」
しかし、諦めきれない。すっと背筋を伸ばし、次はカウンターへ。受付の女性が気づき、顔を上げる。彼女を一目見た女性は、すぐに申し訳なさそうな顔をした。
「こんにちは、アナスタシアさん。それと、ごめんなさいね」
その言葉に、風の魔女アナスタシアは内心で二度目のため息をついた。
「やっぱりだめですか」
「えぇ。発売の情報はないわ」
「そっか……」
受付の女性が悪いわけではないことはわかっている。そのため、あからさまに態度を落とすことはしないが、落胆せずにはいられない。
「続編の情報がきたら、真っ先にアナスタシアさんに知らせてあげるから、そんなに落ち込まないで?」
「うん……」
頷きつつも、しょんもり具合が激しいアナスタシア。受付の女性は困ったように微笑みながら「他の作品の続編なら出ているから、見て行ってね」とフォローした。
「うん、わかりました。それと、いつもごめんなさい」
「いいのよ。好きな本の続きが読みたい気持ち、私もよくわかるから」
「それじゃあ、また」
「えぇ。いつでもいらっしゃいね」
アナスタシアはその足で図書館を巡り、六階にやってきた。少女の視界を隠すほどの書物の山に、通りすがりの人々は転ばないかと不安そうな視線を送る。そんなに持ってこなくても、と思う人ももちろんいた。
テーブルの上にどさりと置かれた魔導書たち。ページをめくり、思考を覆い尽くすように魔法の知識を脳に放り込んでいく。
大好きな作品の続編が出ない。その悲しみに囚われないようにするには、魔法の知識と技術を高める道に溺れるしかなかった。
強くなればなるほど、わたしは彼女の力になれる。
それは紛れもなく、アナスタシアを支えるものであった。ゆえに、アナスタシアは魔導書を紐解き続ける。尋常ではない数の魔法世界を旅し、役に立たないような情報でも逃さず引き出しに詰め込んでいく。
何が力になるかわからない。無益な情報は『無益である』ことが既に有益なのだとアナスタシアは思う。
「…………」
ふるふると力なく頭を揺らす。今日はだめだ。集中力が足りない。勇者さんが足りない。
アナスタシアは別の書物を手に取った。勇者について書かれた民間研究である。もちろん、アナスタシアが大好きな彼女のことではないが、勇者であることに違いはない。少しだけではあるが、心を落ち着かせ、癒してくれる存在となる。
ただ自分を慰めるために読むのではない。アナスタシアにとって勇者に関する情報や知識はすべて有益。長い長い歴史の中で、勇者自身が『勇者』について知らないことも多かった。実際、彼女が知らないこともあったのだから、わたしのやっていることは無駄じゃない。
しばらく書物を読み漁り、周囲の魔法使いたちから奇異の目で見られ始めたアナスタシア。彼女にとって、積み上げられた魔導書を読むことは何も不思議なことではないが、彼女以外にとってはどうか。
魔導書は書くにも読むにも魔力を要する。ゆえに、普通ならば一度に読む冊数は多くて十冊。魔力が少ないものはさらに減る。魔力を空に近い状態にすることは、武器を何も持たない戦士と同義。魔法使いが特に忌避することである。
とはいえ、魔力が多くても机を隠すほどの冊数を読む魔法使いはいない。アナスタシアの様子はまさしく異常だった。
対してアナスタシア。ひそひそと囁かれる声も、自分に向けられる視線もどこ吹く風。全く気にしている様子はない。実際、全く気にしていなかった。
わたしは勇者パーティーの魔女。……になる予定。彼女以外の誰かなど、どうでもいい。
大量の書物に注いだ魔力がなかったかのように、アナスタシアは魔法で書物をまとめていく。周囲の人々が冗談じゃないと息を呑んだ。
固まってしまった人々の前を通り過ぎ、アナスタシアはさっさと図書館を後にする。外に出た彼女はほうきに腰かけ、心地よい風を感じながら誰もいない場所へと飛んでいった。どこかに足をつけることもなく、浮遊したまま鞄から一冊の本を取り出す。少女の頬がほんのりと紅に染まっていた。
大切にぺらりとページをめくる。何度も読んだ本だ。もう内容はすべて覚えてしまっている。けれど、それが読まない理由にはならない。むしろ、読む理由が覚えた内容にあるのだった。
脳内で文章を追うが、続きを勝手に読んでいる自分がいた。待って待って、ゆっくり進もう。
ノスタルジア魔法学院が遠くにそびえている。いま、わたしが生きている場所。わたしがわたしであるために成長しなくてはいけない。誰よりも強く、誰にもわたしを語らせない。ただひとりを除いて。
「…………」
アナスタシアは本を閉じる。風に乗り、かちりと爪の音が聞こえたからである。
「師匠」
「やあ、アナスタシア」
あえて足音を立てて近寄るラパン。長い耳を伸ばし、挨拶をする。
「どうしました? 仕事はいいんですか?」
「一段落したからね。ところで、また学習室を使ったようだけど」
「学院の生徒ですから」
当然の権利である。
「少し目立つから、僕の部屋を使うように言っただろう」
「だって、師匠の部屋は八階じゃないですか。行くのが面倒なんですよ」
「気持ちはわかるけども」
ラパンの言いたいことは理解していた。それでも、アナスタシアは行動を変える気はない。変える理由が見当たらないからである。
「サヨちゃんに迷惑がかかるならそうしますけど」
「相変わらず、君の思考には勇者がいるんだね」
「いない瞬間はありませんよ」
微笑んで本を空に掲げた。もうじき日が沈む。夜がくる。世界からわたしを隠してくれた優しい闇が訪れる。彼女の髪と同じ色をした闇が。
「また読んでいたのかい?」
「はい。わたしの一番好きな本ですから」
淡く色を変えていく空がタイトルをさらっていく。アナスタシアが愛してやまない本が世界に見られているようだった。
「『勇者っぽくない勇者様が紡ぐかつてない勇者の物語』」
「長いタイトルだよ」
「ファンの間では省略して『ぽくない勇者様』と呼ばれています」
「そういうのは、大体四文字になるんじゃないのかい」
「じゃあ、『ぽくない』にします」
「勇者はどこにいったんだい」
「勇者さんはいつでもわたしたちの心にいますから」
「ああ……、うん、そうだね」
ラパンは少しだけ遠い目をした。くりくりおめめなので気がついた人はいない。
「続編はまだ出ないみたいです」
「そ……、そうかい。気長に待つしかないね」
ラパンは耳をぎゅっと伸ばすと、慌てて丸めた。そそくさと帰ろうとする。もふもふの手を握って止める者がいた。もちろんアナスタシアである。
「師匠ーー?」
「うっ。いつの間に」
うさぎとしての性質も持ち合わせるラパンに気取られず移動するアナスタシアの才能に感心している場合ではない。はやく逃げなくてはいけないという、野生の勘が警告を出していた。
「続編の発売を願って、今日も付き合ってくださいね」
「え、ええと、僕は学院の仕事が残っているから……」
「さっき、仕事は一段落したって言っていました」
「よく聞いているね。上出来だ」
褒めている場合ではない。
「それじゃあ、『ぽくない』の暗唱を始めますよー」
「せめて、第一章だけにしておくれ」
「もう、師匠ったら」
アナスタシアはすてきな笑顔で魔法の師を見た。
「全部に決まっているじゃないですか」
お読みいただきありがとうございました。
一字一句覚えているアナスタシアさん。こわい。
ラパン「もう何回聞いたことやら。僕も暗唱できそうだよ」
アナスタシア「やってみます? では、第二章からどうぞ」
ラパン「いや、今のは言葉の綾というか」
アナスタシア「じゃあ、師匠が覚えるまで何度でも暗唱しますね」
ラパン「いや、それはあの、ちょっと、勘弁してくれ」




