508.物語 ⑥ミステリアスな一日の終わり
本日もこんばんは。
大惨事のあとはまた大惨事です。
甘いものを食べた後は、甘くない現実と向き合うお時間です。そう、大掃除ですね。
「誰ですの、水を入ったバケツをひっくり返したのは!」
「どうせばらまくのなら、ひっくり返した方がはやいかと思いまして」
「意図的でしたの⁉ 嘘でも転んだと言っておくものですわよ」
「ちなみに、このえげつない量の洗剤はどなたですか?」
「わたくしですわ。転びましたの」
「ほんとですか?」
「夢ならばよかったと思いましたわ」
「まじだった」
というわけで、掃除も大惨事。魔王さんが頭を抱えているのが見えましたが、幻覚だと思って掃除を進めます。私も加担した手前、素知らぬ顔でくつろぐのも悪いと思いまして。せっかくですし、魔族であるテリアスさんに勇者の力を見せようと思ったのでした。
「あ、モップがバラバラになっちゃいました」
「どういうことですの?」
「掃除機が動きません」
「電源が入っていませんわよ」
「洗剤だと思ったら墨汁でした」
「暗黒キッチンですの!」
ゴミ袋に不要なものを放り込んでいく私の隣で、床に手をついて項垂れるテリアスさん。
「おそるべし勇者……ですの……」
「元気出してください」
「誰のせいだと思ってますの?」
言い合う私たちに、魔王さんは頬を膨らませながら片づけをしていました。
「いつの間にか打ち解けている……。なんでですかぁ……」
「魔王さん、床の掃除が終わりそうだったのに終わらなくなりました」
「変な報告ですね」
「またバケツをひっくり返しまして」
「もう手に負えませんわ、この勇者」
「テリアスにそこまで言わせるとは、さすが勇者さん」
「えっへん」
「褒めてませんよ」
「褒めてませんの」
褒められた私は、普段は欠片もないやる気を出して部屋をきれいにしていきます。何度も止められましたが、勇者である私を止められるひとなどいません。ふふん、どうですか。これが勇者の力です。参ったか。
「もう勘弁してほしいですの~~~~~!」
テリアスさんが黄色い歓声をあげています。
「悲痛な叫びの間違いではないでしょうか」
やだ魔王さんったら真実。
さて、掃除すること何時間ですか? ごめんなさい、夢中になっていたので忘れてしまいました。
「飛び散った重層のせいで時計が見えないだけですよね」
「真っ白な時計もアートというものです」
「夕飯の時間がわかりませんよ」
「すぐにきれいにしましょう」
時刻を知らせる時計が顔を出し、ふうと息をはきました。腕を伸ばし、掃除の疲れを外に飛ばします。大変な一日でしたね。
「部屋はあらかたきれいになりました。あとはきみですね」
「私ですか?」
「はちゃめちゃなお姿をしていますよ」
それを言うならテリアスさんも――と視線を移すと、
「ひどい姿ですわね」
汚れひとつない服を身にまとい、清らかに佇む彼女がいました。どゆこと?
「着替えましたの」
「いつの間に」
「勇者が世界を破壊している隙に」
「聞き捨てなりませんね。勇者は世界を守る方でしょう」
「わたくしもそう思っていましたけれど、違うと思い知らされましたの」
テリアスさんは遠い目をしていました。
「さすがは勇者。なんておそろしいんですの……」
「参ったか」
「やかましいですわね、この勇者」
睨まれました。
「それでは、わたくしはこの辺で帰りますわ」
「やっとか……」
「引き留めてくださってもよろしいのですよ、魔王様っ」
「ハウスハウス」
相変わらず塩対応の魔王さんに手でハートを作るテリアスさんは、私を見て、少し考え、顎を上げました。上から見下ろしている風にしたかったんですかね。
「今日は疲れたので帰りますけれど、わたくしの殺意は消えていませんわ」
「そうみたいですね」
「お前の寿命を待つと言いましたけれど、殺意が抑えきれなくなったら殺しに参りますわ。だから、日頃から覚悟しておくことですわね」
「勇者の敵ということですね」
「当然ですわ。お前は勇者。わたくしは魔族。まごうことなき敵同士ですの」
「では、それでお願いします」
「ふん! ですの」
腕を組んだテリアスさんは、「でもまあ」と視線を動かします。
「たまーに、ごく稀に、もしかしたら、数パーセントの確率で、協力関係を申し出たりしなかったりするかもしれないかもしれなくもないかもしれませんわ」
ややこしいな。
「コツ、教えてくださってありがとうですの、勇者」
「どういたしまして、テリアスさん」
私たちは視線を交わしました。それ以上は不要でしょう。なにせ、勇者と魔族ですからね。一瞬の後に戦闘が始まってもおかしくありません。
「コツってなんですか?」
不服そうな目で間に入ってきた魔王さん。
「何のコツですか? ねえちょっと?」
「内緒です」
秘密にするまでもないのですが、不満に覆われて思考が正常に働いていない魔王さんが少しだけ愉快なもので。
「なんで隠すんですか! まさか、ぼくに言えないことをふたりでやったのではないでしょうね⁉」
「例えばなんですか?」
「魔王城を改造して過激派の集会所にするとか!」
「誰が得をするんですか、それ」
「ダークマター生成大会を開催するとか!」
「だいじょうぶですよ。そんなおかしなことを考えるのは世界にひとりかふたりくらいですから」
「そのうちのひとりが勇者さんだから心配しているんですよ」
心配性な魔王さんをよそに、テリアスさんは帰る支度を済ませたようでした。
「魔王様、たまには魔王城に帰ってきてくださいませ。いつでもお待ちしておりますわ」
「……まあ、考えておきます」
熱い視線を送るテリアスさんは、声色をさっと変えました。
「勇者に言うことなどありませんわ」
「清々しくていいですね」
つい褒めてしまいました。この態度の差、ここまではっきりしているとむしろ落ち着きますね。
私を勇者として見ている。ちゃんと敵として認識している。おかしな話ですが、これまで出会った魔族の中では珍しいひとなのです。
「魔王様、びっぐらぶですわ~~~~!」
散々愛を叫び、最後にそう言うと、彼女は空へと飛び去って行きました。やれやれと首を振る魔王さんは、疲れたように伸びをします。流れるように私に抱きつこうとするので、当然のように避けました。うるうるした目で私を見る魔王さん。こっち見ないでください。
「はあ~……、やっと勇者さんをふたりになれましたぁ……」
「魔王さん」
「はい?」
「ホットケーキ、どうでしたか?」
「おいしかったです。びっくりしましたよ。あのテリアスが完成させたどころか、おいしいものを作ったのですから」
「とてもがんばっていました。何度も何度も作り直して、失敗しても諦めずに」
「そうなのですね」
「だから、無理にとは言いませんが、ホットケーキを食べに帰るのもいいんじゃないかと思うのです。私は飛べませんから、時間ができた時に魔王さんがちょっとだけ……とか、私がぐーたらしている間にとか」
「……そうですね。はい、気が向いたら、そうするのもいいかもしれませんね」
頷いた魔王さんは、「それにしても」と不思議そうな顔をします。
「悲しいほど家事ができないテリアスが、奇跡のようなホットケーキを作れたのが驚きで仕方ありません」
首を傾げる魔王さんの隣、私の脳裏にはキッチンで悪戦苦闘するテリアスさんの姿が映し出されていました。
諦めたくなるような状況の中でも、必死に作り続けたホットケーキ。魔王さんが『食べたい』と言ったから。『おいしい』と言ってもらえるものを作りたかったから。
だから、彼女は自分にできることをした。持ちうるすべてを使った。
彼女が作ったホットケーキは、奇跡なんかじゃない。あれは、必然の先で完成したものだと思うのです。なぜかって?
私は魔王さんが言ったことを思い出していました。何気ない一言だったのでしょうけれど、あなたを表すにはぴったりだと思ったのです。
魔王さんに使えて、テリアスさんに使えて、私は……、たぶん使えない『すてきなもの』。
依然として謎に直面している魔王さんに、私は小さくつぶやきます。
「きっと、特別な隠し味を使ったのですよ」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
誤魔化すように腕を伸ばし、「魔法の練習でもしようかな」と言ってみました。
ぎょっとした魔王さんが大げさな動作で驚きを表しました。
「明日は空からカピバラが降るんですか?」
なんでカピバラ。
「風邪ですか?」
元気ですよ。
「テリアスさんに私の魔法が一切効かなかったことが地味に悔しいのです」
「あれは特殊な魔族ですから、気にすることはありませんよ」
「『無効』という文字が見えたような」
「幻覚です」
「これがゲームだったら詰んでいました」
「現実なのでどうにかなりましたね」
「現実が一番おかしくて謎だらけなのです」
「ミステリアスですね」
そう、例えばこんな感じの何気ない一言が、やっぱりおかしくてたまらないのです。
「あなたがそれを言いますか、魔王さん」
「そっくりそのままお返ししますよ、勇者さん」
『Missテリアスのミステリアスな一日』、お読みいただきありがとうございました。
勇者の敵である魔族が登場するという、当たり前なのにちょっと珍しい感じの物語。また読みに来てくださいませ。
魔王「ところで勇者さん、その包帯なんですか?」
勇者「いつもありますよ」
魔王「いえ、新しい包帯ですよね。なんですか? なんですか、ねえ?」
勇者「よく見てるなぁ。あと、圧がすごい」




