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507.物語 ⑤苦節ホットケーキ

本日もこんばんは。

ただホットケーキ作るだけなんですけどね。その『ただ』が難しいんですよね。そんなお話。

 キッチンに倒れ込む人間と魔族。はい、私とテリアスさんです。どうして倒れているかというと、

「やっとできましたの……」

「がんばりましたね……」

「人間にしては根気強いじゃないですの……。少しは認めてあげてもよろしくてよ……」

「それは……」

 途中、抜け出して処置をした手を天井に伸ばしました。見慣れた包帯ですが、いつもより輝いているように見えました。

「がんばったのはテリアスさんですよ。諦めずに取り組むところは魔王さんそっくりです」

「ふん、お前に魔王様の何がわかるというんですの」

「不器用なくせに、一所懸命にがんばる姿は何度も見てきましたから」

 よいしょと起き上がり、ぐちゃぐちゃの床に寝転がる彼女に手を差し出しました。ところが、

「勇者の手など借りませんわ。もうホットケーキは完成しましたもの」

 ひとりで立ち上がった彼女は、「それに」と続けながら髪を結い直します。

「お前、手が苦手なのでしょう」

「…………なんで」

「わたくしが手を掴んだ時、ひどく怯えましたわよね」

「…………」

「気づかないと思って? わたくしは魔王様専属メイドですわよ。機微な変化に気づくこともメイドに求められる能力ですわ」

 だから、と向き直り、小さくもはっきりと言いました。

「悪かったですわ」

「あなたが謝ることはありません。助けようとしてくれたのですから」

 その返答に、テリアスさんはまた意地悪そうな笑顔を浮かべました。けれど、以前のものより柔らかな表情でした。

「そう。では、この話はこれで終わりですわ」

「はい。せっかく作ったのです。冷めないうちに魔王さ――」

 私の声はとてつもない音で遮られました。何の音かって?

「勇者さんっ‼」

 魔王さんが扉を開ける音です。壊れていませんよね?

「魔王さん、起きたんで――」

「魔王様っ! おはようございます。すてきな夢はみられましたでしょうか?」

「現実で悪夢をみている気分ですよ。なんで結界の中にいないんですか、勇者さん!」

「それは、えっと」

「テリアスはきみを殺そうとしたのですよ。危険性はすでに承知のはずです。はやくこちらに!」

「魔王さん、お腹すいていませんか?」

「いまそんな話をしている場合では――」

 言葉を止めた魔王さんは、我に返ってキッチンの有様をまじまじと観察しました。

「いま、どんな話をすればいいんですか?」

「とりあえず、リビングに行きましょうか。テリアスさん、それはあなたが」

「言われなくても、わたくしがお渡ししますわ」

 魔王さんは困惑しながらリビングに連れられ、頭の上にいくつものはてなを浮かべつつ、ソファーに座らせられました。

「きみたち、なんでそんなにめちゃくちゃな姿なんですか……?」

「いろいろありまして。そんなことより」

「これよりも優先すべきことがあるんですか」

「あります。テリアスさん」

 彼女を呼び、私は一歩下がりました。優美な動作でテーブルまでやってきたテリアスさんは、メイドと呼ぶに相応しい滑らかな手つきで銀色の蓋をゆっくりと開けます。現実ではあまり見たことのないあれ、クローシュというのだそうです。さすが、メイドさんですね。

「どうぞ、お召し上がりくださいませ」

 丁寧なお辞儀をし、すっと下がるテリアスさん。魔王さんの前には、たくさんのフルーツが盛られ、きめ細かな生クリームを雲のごとく出現させ、チョコレートソースをふんだんに使って装飾されたホットケーキがありました。

 お好みでメイプルシロップ、はちみつ、抹茶ソース、ビターチョコレートも用意してあります。

「な、なんですか、これ……」

「甘いものが食べたいとおっしゃっていたので、お作りいたしましたの」

「作ったって、テリアスが⁉」

「はいっ!」

 とてもうれしそうに彼女は答えました。完成させてすぐ力尽きたので、私たちの姿はめちゃくちゃですが、そんなこと関係ないとテリアスさんは輝きを放っていました。

 理由はきっと、魔王さんに食べてもらえると思っているから。初めて、やっと、待ち焦がれた時が訪れたと。

「自信作ですの!」

「見た目はきれいですが……」

「味も心配ありませんわ。ちゃんと毒味済みでございます」

「せめて味見と言ってください」

 疑心暗鬼魔王さんは、ナイフとフォークを取らずに迷っているようでした。仕方ありません。ここはひとつ、私が背中を押してあげましょう。

「魔王さん、あなたのいいところをお伝えします」

「唐突なファンサですか?」

「ずばり、不老不死です」

「ただの事実でした」

「不老不死である魔王さんは、どんなゲテモノでも毒でも暗黒でもダークマターでも、食べても平気ですよね」

「好んで不味いものを食べる趣味はありませんけども」

「だいじょうぶです。テリアスさんの頑張りは保証しますよ」

「味も保証してほしいのですが」

「私は毒味をしていませんので」

「ですから、せめて味見と言ってください」

 しっかりと背を押し、私は親指を立てました。グッドラック、魔王さん。

 彼女は嫌々ながら、一口切り分けました。食材がもったいないですし、せっかく作ってもらったし、勇者さんも見ているし、などと言い訳をつぶやき、切り分けたホットケーキを口へと運びます。恐怖の味を想像しているのでしょう。しかめっ面の魔王さんは、ゆっくりと咀嚼し、こくりと飲み込みました。

「…………」

「ど、どうでしょうか、魔王様」

「…………」

「……魔王様?」

 答えない魔王さんに、テリアスさんは不安そうに小さくなります。固まったままの魔王さんをじっと見ていると、やがて顔を上げ、ぱちくりと目を開いてこう言いました。

「……おいしいです」

「ほ、ほんとでございますか⁉」

「驚きました。おいしいですよ、テリアス」

「…………~~~~っやりましたわぁぁぁぁぁぁぁ‼ 聞きましたの、勇者⁉ 魔王様がわたくしの作ったホットケーキを『おいしい』とおっしゃられましたわよ! 勇者! 勇者! 聞きました⁉」

 勢いがすごいですね。ですが、それだけうれしかったのでしょう。憎き相手である私に輝く笑顔を向けてしまっています。

「はい、聞きましたよ」

「正真正銘、魔王様に認められた一瞬でございますわっ! これで、わたくしこそ魔王様に相応しい相手として世界に称賛されることでしょう。うふふ、うふふふふ……。ご覧あれ、勇者をぽいした新世界を!」

「ふわふわに焼けていますねぇ。焼き加減も抜群です」

「魔王様専属メイドの時代がくるのですわ! 人間たちはひれ伏し、魔王様に向けて旗を掲げることでしょう。そう、敗北の白旗を!」

「抹茶ソースを間に挟むことで、甘みの強いメイプルシロップもはちみつもどんどん食べられますね」

「わたくしの掛け声に続き、人間たちは唱和するのですわ。『魔王様バンザイ』と!」

「生クリームの泡立て具合もいいですね。口の中で滑らかで、ホットケーキによく合いますよ」

「びっくりするほど会話が噛み合っていませんが、いいのでしょうか」

 私は離れたところからふたりを見守っていました。巻き込まれたくない。

「新時代の幕開けには勇者の処刑から始めますの。とくと見るといいですわ!」

「勇者さんも食べますか? これならお腹を壊すこともないでしょう」

 やめろ、巻き込むな。

 私はクッションで顔を隠し、己の存在を抹消しました。この空間、おそろしい。

 幸せそうなテリアスさん。恐怖体験を回避した魔王さん。おかしな魔族がそれぞれの世界に入っているのを眺めながら、不思議な一日が過ぎていくのを感じていました。

 そういえば、わけのわからない今日の始まりもお菓子でしたね。食べ損ねてしまいましたけど、気持ち的にはお腹いっぱいです。疲れました。

 とはいえ、身体的には空腹です。ご飯食べてない……。

 おいしそうなホットケーキを食べている魔王さんを見ていると、余計にお腹がすいてきますね。あ、もちろん、少しもらおうなんて思っていませんよ。あれは、テリアスさんが一所懸命に魔王さんのために作ったものです。私が介入する権利はありません。魔王さんが全部食べてこそ、意味があるのですから。

 それにしてもお腹がすきました。そうだ、お水飲もう。お腹を壊さないすてきなお水が蛇口から出るのです。はっぴーはっぴー。

 そう思った時でした。私のお腹が鳴りました。タイミングっていうものがね、あると思うのですがね、どうでしょうかね?

「あら、愉快な音ですわね」

「すみません、ぼくばっかり食べていて。勇者さんもどうぞ――」

 途端に私を見る魔族ふたりに、慌てて手を振ります。

「いいいいいいいです、気にしないでください。私は水でも飲みますので、お構いなく」

「水だなんて……。食べかけでよければ、どうぞお好きなだけ」

「だだだだだだだめです。それはあなたのです」

「そうですわ、魔王様。勇者に食べさせるなんてもってのほか。おやめくださいませ」

「人間は食事をしないと死んでしまうんです。作ってくれたことには感謝しますが、分けることも許してください」

「いやですわ」

「テリアス、きみは――」

 テリアスさんは冷ややかな視線を私に向け、「冷蔵庫の隣」と吐き捨てました。

「冷蔵庫の隣がどうかしましたか?」

「魔王様が気になさることではありませんわ。どうぞ、心ゆくまでホットケーキを食べていてくださいませ。勇者、聞こえませんでしたの? はやく行ったらどうかしら」

 魔王さんには甘く優しい声で。私には冷たく鋭い声で。

 使い分けが見事です。冷凍食品が作れそう。

「冷蔵庫の隣ですか」

「そうですわよ。はやく行けってんですの。しっ、しっ」

 めんどくさそうに追い払われ、私は大惨事キッチンに戻って来ました。ええと、冷蔵庫の隣はカウンターに繋がっていましたね。たしか、材料やお皿が散乱し、目も当てられないのでなるべく見ないようにしていましたが。

「……あ」

 重なるように置かれた残骸たちの向こうに、明らかに不自然なクローシュがありました。他のものとはわずかにスペースを開け、汚れないように隅に置かれたそれは、開けられる時を待っているように見えました。

「…………」

 中に爆弾が入っている想像をしながら蓋を取ると、そこには。

「ホットケーキですね」

 予想外の予想通りのものが入っていました。

「ホットケーキは焦げているところがありますし、フルーツも形の悪いものばかりですし、盛り付けはへたっぴですし、生クリームも少ないですけれど、どうしても食べたいというのなら、許可してあげても構いませんわ」

 扉の端から聞こえた声。彼女のポニーテールがちらりと覗きました。

「ぜひ食べたいです」

「……ふん。魔王様のホットケーキをご用意するのに夢中で、毒を仕込むのを忘れてしまいましたけど、仕方ありませんわ」

 テリアスさんはとても残念そうに言いました。残念、残念と手を振ります。

「それでは、ただのおいしいホットケーキですね」

「そうですわね。まったく、ほんとうに残念ですわ」

 彼女に見えないことをいいことに、私はくすりと笑っていました。おかしなひとだなぁ。

「まあ、食事をしないだけで死ぬ人間にエサを与える慈悲深き魔族というイメージを魔王様に持っていただけるチャンスですし、今日は見逃してあげますわ」

「ありがとうございます」

「……これで、ホットケーキを完成させたところまでのお礼はチャラですわよ」

「テリアスさんは律儀なひとなのですね」

 つい、言ってしまいました。彼女は髪をなびかせて振り向きます。その顔は、自信と喜びに満ち溢れていました。

「当然ですわ。わたくしはMissテリアス。世界でただひとりの魔王様専属メイド。清く正しく傲慢に、わたくしの思うままに生きるんですの」

お読みいただきありがとうございました。

テリアスさん、律儀なひと。

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