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391.物語 ➁潜入

本日もこんばんは。

アナスタシアがいると魔王さんがバチバチしますね。

 魔王さんの言葉に、黙って待っていたラパンさんは待っていましたとばかりに耳を伸ばしました。

「彼女が、僕が敵ではないという証拠だよ」

「あ、師匠。ほっぽってごめんなさい」

「構わないよ。『サヨ』という人間のことになればいつものことだから」

「あはは、いつもすみません~」

 魔王さんの手をすり抜け、私の隣を陣取ったアナスタシアに「師匠?」と訊きます。

「うん。わたしの魔法の師匠。名前はラパン。一見すると魔物みたいだけど、魔物じゃなくてうさぎと鳥の合成獣なんだよ」

「合成獣?」

「まあ、過去にいろいろあってね。その辺は追々。まずは僕が味方であることを理解していただければじゅうぶんさ」

 耳を伸ばし、くるりん。伸ばし、くるりん。不思議な動作ですが、ちょっとかわいいんですよね。敵じゃないなら少し触りたい……。きっとふわふわなんだろうなぁ。

「アナスタシアさんは勇者さんのことになると視野があほみたいに狭くなりますからね。それを利用して騙している可能性は捨てきれませんよ」

「魔王ちゃんに言われたくない」

「きみは黙っていてください。それに、先ほど自分のことを魔法使いと言いました。魔法によっては記憶や精神を操ることだって可能です」

「それには同意するよ。そうだね、まずは話を聞いて、そこから判断してほしい」

「話を聞くことで術中に連れて行く魔法もありま――」

「師匠はだいじょうぶだよ。身元もはっきりしているし、仕事もしてるし。わたしがついているから安心して、サヨちゃん」

 隣のテーブルから引っ張ってきた椅子に座り、笑顔を浮かべるアナスタシア。

ちゃっかりしっかり私の隣です。

「はあ……。まあ、こんなに人間がいる場所でむやみに魔法は使わないでしょうからね」

 やれやれと席につく魔王さん。私と距離の近いアナスタシアをひと睨みしますが、当の本人はどこ吹く風。さすが風の魔女ですね。

「ご協力感謝するよ、勇者、魔王。これだと少し呼びにくいね。なにか名前でもあれば教えておくれ」

「というか、ぼくのこと魔王だって知っているんですね。勇者さんのことも」

「アナスタシアから聞いたのさ」

「きみ、口が軽いんですか?」

 じとっと睨まれ、冷や汗を流すアナスタシアは「サヨちゃんの話をしている時に思わず……」と人差し指をちょんちょん合わせました。

「彼女は『サヨ』のことになると話が止まらないからね。普段は堅実だが、リミッターが外れると大変だよ」

「ごめんなさい~……」

「僕は人間側の存在だけど、魔王や勇者のことにはあまり関心がない。感情や意思はあるが、人間ではないからね。だから、君が悪さをしなければ敵対する必要はないということさ」

「なるほど。言い分はわかりました。宣言しておきますが、ぼくは勇者さんの味方です。勇者さんに害を成そうとするものは魔なるものも人間も合成獣も関係なしに敵とみなしますから、よろしくお願いしますね」

 真顔で言う魔王さんに、アナスタシアは「相変わらず変なひとでもはや安心感」とつぶやきました。

「名前でしたっけ。ぼくたちに名前はありませんので、お好きに呼んでください」

「師匠、サヨちゃん呼びはわたしの――」

「わかっているよ。耳にたこができるほど聞いたからね」

 伸ばした耳が地に垂れました。これは……やれやれって感じでしょうか?

「では、ひとまずユウとマオにしよう」

 あ、超簡易的ネーミング。

「それでは改めて、僕はラパン・グラディウス。ノスタルジア魔法学院に勤める教師だよ。今は主の命で学院を出ているがね」

「ノスタルジア魔法学院って、あの?」

 少し驚いた様子の魔王さん。有名なところなのでしょうか。

「魔王……マオもご存知なのか。それは光栄だね。そう、魔法使いの聖地とも呼ばれる移動型独立都市ノスタルジアに設立された学院のことさ。その学院長をしているのが僕の主でね。ノスタルジアは世界で差別・偏見による迫害を受ける魔法使いや魔女たちの生きる場所になることを存在意義としている。ゆえに、魔法の知識や技術向上のための教育だけでなく、魔法使いを理由にいわれなき運命を強いられた者たちを救うことにも力を入れているんだよ」

「わたしはノスタルジア魔法学院で自分の力をもっと高めようと思って、入学を仲介、斡旋してくれるハイドアウトっていう場所に行ったんだ。そこで師匠と出会ったんだよ」

「ハイドアウト……?」

「学院から派遣された魔法使いによって構成される、世界の魔法使いたちを保護している支部のこと。他にも、助けるべき魔法使いの捜索とか、怪しい噂とかを収集して動くかどうかの判断をしているんだって」

 助けるべき魔法使いの捜索……。怪しい噂の調査……。

ラパンさんもそういった活動をしているということでしょうか。

「ハイドアウト構成員から調査報告を受け、僕たちはある魔法使いの保護計画を立てているんだ。ユウとマオにはその計画を手助けしていただきたい。特に、ユウ」

「私、ですか」

 耳で指され、思わず背筋を伸ばしました。

「君は勇者だ。理不尽に決められた運命によって殺されようとしている魔法使いを助けることは、勇者の使命だと思うんだよ。どうかな?」

「……その通りだと思います」

「やりたくないことはやらなくていいのですよ」

 一切の配慮なく割り込ませる言葉は私を守ろうとするものです。

「あ、ずるい。わたしだってサヨちゃんの味方だよ」

 慌てて私を見つめるアナスタシア。

正しくない感情だとわかっていながらも、少しほっとする。

抗えない力で選択肢をひとつにされているのではない。勇者としてはひとつだけれど、それでも……。

 だから私は、すう、はあと呼吸を繰り返し、答えることができる。

「詳しく聞かせてください」

「ありがとう。感謝するよ」

 ラパンさんはアナスタシアが投げ捨てた資料をテーブルの上に広げました。

「説明はするが、簡単に資料に目を通してくれるとうれしい」

「あ、サヨちゃん、字はだいじょうぶ?」

 心配ありがとうございます。けれど、ふふん。もう平気なのです。

「読み書きの勉強をしたのでだいじょうぶですよ」

「ほんと? じゃあ、お手紙書くね」

 うれしそうなアナスタシア。無邪気に微笑む彼女を見ていると、なんだか心の奥があたたかくなる気がします。つい頬が緩んでしまうような……。悪いものではありません。

こびりついた嫌なものが溶けていくのを感じ、咄嗟に手に取った紙には『光の国リュミエンセル』の文字。


《任務:国民が信仰する光の神に仕立て上げられた魔法使いもしくは魔女の救出と保護》


魔法使いもしくは魔女ということは、保護対象の情報が少ないのでしょうか。

これだけではどのくらい情報収集できているのかわかりませんね。

「かの国は非常に閉鎖的で侵入が難しいんだ。調査にあたったハイドアウト構成員が潜り込んで情報収集するのに時間がかかってしまった」

「侵入が難しいのにぼくたちは入れるんですか? まさか、魔王と勇者だから平気だろうんなんて言いませんよね?」

「そこは問題ない。すでに経路は確保してあるからね」

 そこまでできているなら私たちの協力がなくても救出できそうですけど……。

となると、他の問題があるのでしょうか。

「リュミエンセルは魔法使いに対する差別意識や偏見が非常に強くてね。魔法を使うのなら細心の注意を払ってほしい。見つかったら大変なことになるからね」

「大変なこと、とは」

 素朴な疑問を抱いた私に告げられたのは紛れもない世界の残酷さでした。

「殺されるってことだよ、サヨちゃん」

「…………」

「怖がらなくてだいじょうぶ。サヨちゃんのことは何があっても守ってみせるから」

 俯いた私に、アナスタシアはぐっと腕に力をこめました。

違うんです。怖がったんじゃない。……あなたが当然のように、平然と、そう言ってのけたから……。

私の知らない世界はまだまだある。それも、目を背けたい世界が。

「どんな子か知らないけど、助けられるなら助けたいよね。わたしもがんばるよ」

 ……あれ? がんばるって……。

「アナスタシアも来るんですか?」

「もちろん。サヨちゃんが行くならわたしも行くよ。だってサヨちゃんの仲間だもの。……まだ仮だけど」

「でも、危険なんじゃないですか。アナスタシアは特に魔法が得意ですし……」

「バレなきゃいいんだもん。それに、来るなって言われてもわたしは行くよ。あなたのこと守るために」

「……私はだいじょうぶですよ。ケガには慣れていますから」

「やだ。ついてく。絶対にケガなんてさせないんだから」

 頬を膨らませるアナスタシア。「絶対守る」とか「わたしは強い」とか、小声で繰り返しています。

彼女が強いことは知っているつもりです。私のことを守ろうとしていることも。

だからこそ、来ないでほしい。魔法使いを迫害する国で彼女がひどい目に遭ったらと思うと……。

嫌だ。涙は見たくない。あの時のように苦しそうなアナスタシアは見たくないのです。

 私はいくらケガをしてもひどい言葉を吐かれても構わない。誰かの代わりに痛みを感じていると思えば、いつもよりも耐える力が湧いてくる。

私が傷つくことで彼女の傷を減らせるのなら、それは幸せなことだと思うのです。

けれど……。強い意思を秘めた金色の瞳。その色を見ると言葉が出ない。

……ちゃんと言わないといけないのに。

 ふと、ラパンさんが私を見ているのに気がつきました。

うさぎ……のような顔をしているから、感情を読み取ることが難しい。

いま、何を思っているのでしょうか。

「……あの?」

「失礼。話を続けようか。救出のタイムリミットは三日後。それまでにさらなる情報収集と計画を練ることが必要だ。なるべく穏便に事を済ませたいからね」

「三日後に何かあるんですか?」と、魔王さん。

「うん。囚われた魔法使いもしくは魔女……ここでは一旦、魔法使いと呼ぶことにするよ、その魔法使いが儀式と称して殺されることがわかった」

「…………っ」

 思わずこぶしを握り締めました。ふいにあの子を思い出す。

いえ……、違う。あの時とは違います。状況も相手も異なるのです。だいじょうぶです。だいじょうぶ。

「旅人の間では祭りが開催されると噂になっているようだけどね」

「そんな話を聞きましたね。リュミエンセルのことだったのですか。行こうかなぁと思いましたけど、さっきの話を聞く限り旅人は入れなさそうですね」

「そう。だからこちらで手筈を整えておいた」

 ロリポップ耳がぐんっと伸びました。

遠くから歩いてくる人物がひとり。その人はテーブルまでやってくると、

「初めまして。私はコレット・クロノス。ハイドアウト構成員のひとりで現在はリュミエンセルを担当しています」

 被っていたフードを脱いで挨拶しました。

まだ若い女性のようです。少しあどけなさの残る顔には穏やかな笑みが浮かんでいます。

「お疲れ様、コレット。今回の任務には彼女たちが追加で加わってくれるよ。協力して遂行しておくれ」

「了解しました。あなたはアナスタシアさんですね。あなたの情報は事前にラパン先生より聞いております。こちらのお二方は……」

「白いひとがマオ、黒髪で赤目の人がユウだよ」

「マオさんとユウ……さん。はい、わかりました」

 私を見て一瞬目を開いたコレットさん。大方、色にびっくりしたのでしょうね。

まあ、いつものことです。任務の達成さえできればどうでもいいことなので。

ところが、コレットさんは私に手を差し出しました。

「いろいろと大変だったでしょう。でも、だいじょうぶよ。私たちノスタルジアに所属する者は魔法使いだけを保護しているわけではないのだから。あなたのように色を理由に虐げられる人たちのことも対象としているの」

「……そうなんですか?」

「えぇ。だから、他の人よりは理解もあるし対応もいいはず。もちろん、全員がそうってわけじゃないけど、ええと、私は理解がある人です! ……あれ? 失敗?」

 握られない手に小首を傾げるコレットさん。

えっと、つまり、この人は私の色を気にしませんよと言ってくれたのでしょう。

そしたら、どうするんだ? 手を握る……?

 そうっと伸ばした手。握手というものを交わします。

パッと顔を明るくさせるコレットさん。……いい人、ですね。

「よろしくね、ユウさん」

「こちらこそよろしくお願いします、コレットさん」

「ちなみに、彼女は勇者だよ」

 ちなみにで言う情報なんですね、それ。いいんですけども。

ラパンさんがさらっと言うものだから、コレットさんも「そうなんですねぇ」と当然のように頷き、「勇者⁉」と時間差で驚きました。

「ユウさん、勇者様なの⁉」

「一応……はい」

「そう言われるとそんな気配がするわね……。ほあぁ~……、まさか勇者様と一緒に任務に就けるなんて思わなかったわ。うんっ、なんだかやる気が湧いてきた」

「それはよかったです……?」

「さらっと資料を読んでいただけたら移動しましょう。はやめに国内に入っておいた方がよさそうですから」

「では、十五分とろう。簡単でいいから各自読んでおくれ」

 というわけで、私たちはコレットさんの調査報告書に目を通し、ビアガーデンをあとにしました。

彼女の案内で森の中を歩き、木々をかき分けて進んでいきます。

「リュミエンセルは現在、入国も出国も禁止している状態です。そのため、私たちは地下水路を通って不法入国します」

「おお~……、なんだかスパイみたいだね」

「外に通じていることを知っている人がいれば、地下水路に警備網を敷くはずですが」

 少しわくわくしている様子のアナスタシアとは裏腹に、魔王さんは冷静に問いかけました。

「それはもちろん承知済みだ。だが、城壁を飛び越えて侵入すれば一瞬で見つかる。常に見張りがいるからね。だから道は水路しかないんだよ。それに、警備は心配ない。そのためのコレットだからね」

「がんばります」

 再度フードを被ったコレットさん。黒色は闇に紛れて見つかりにくいでしょう。

「彼女の固有魔法が頼りだよ」

 あ、そうでした。この人も魔女なんですよね。ハイドアウトとやらの構成員なのだから当然でしょうけど、つい忘れていました。なんでだろう……。

「アナスタシア、帽子をしまっておくように」

「えっ、なんで……って、そりゃそうか。はい、わかりました」

 素直に答えつつも若干不満そうなアナスタシア。魔法で魔女帽子をしまうと「魔女のアイデンティティが……」とこぼしました。

 なるほど、これですね。コレットさんは魔女なのに魔女帽子を被っていない。

魔法使いに対する偏見が強いリュミエンセルに潜入しているのですから当然のことでした。魔法使いであるラパンさんはそういう格好していな……いや、うん、うさぎでした。

「仕方ないけどさ、わたしから帽子を取ったら何が残るんだろうなぁ……」

「アナスタシアが残りますよ」

 どんなものを捨てても彼女であることに変わりはないと思いますから。

「そ、そう? えへへ、そうかな」

「魔女帽子がなくてもアナスタシアはアナスタシアです」

「うん、うん。そうだね。ありがとう、サヨちゃん」

 彼女は頬を赤く染めると金色のリボンを大事そうに握りしめました。

「それ、つけてくれているんですね」

「もちろん! さみしい時もうれしい時もこのリボンをぎゅってしているんだよ。どうしても眠れない時は手に巻いてるんだ。サヨちゃんのことを想って明日もがんばろうって」

 そんな大層な物になっているとは……。

でも、彼女の支えになっているのならうれしいと思いました。

 咄嗟に渡したリボンに意味が生まれていると知り、喜びと不安が混ざり合う感覚を抱いていると、アナスタシアが少し照れくさそうに「あのね」と口を開きました。

「前に会った時、わたしはもらってばかりだったでしょ? だからね、次に会えた時にプレゼントしようと思って持っている物があるんだ。落ち着いた時間ができた時に渡すから楽しみにしていてくれるとうれしいな」

「プレゼント、ですか。気にしなくていいんですよ。……でも、はい。待っていますね」

「うんっ!」

「君がお金を貯めて買っていたあれのことだね」

「師匠、しっ!」

「おっと、すまない。サプライズもプレゼントの一環だからね」

 もふもふの手でもふもふの口を抑えるラパンさん。

…………ぐっ、か、かわ……うぐっ……。だ、だめです。このひとはただのうさぎさんではないのです。私たちと会話できる知能を持ち、魔法も使えるすごいうさぎさんです。

軽率に触りたいなどとお願いしてはいけない……のです……。

……耳、優しく引っ張ったらどのくらい伸びるんだろう。巻きつく力はあるのかな。たとえば、腕にくっついて移動するとか……いや、だめですよ私。落ち着け、深呼吸だ。

すうー……はあー……、すうー……はあー……、すうー……あれ?

なんだか、空気が変わったような気がしました。吸い込むものが冷たくなった。

「もうすぐ地下水路入口です。みなさん静かに、音を立てないようにお願いします」

 頷きで応える私たち。ラパンさんだけ耳で応えます。うーん、きゅーと。

 そこから五分ほど歩き、コレットさんが手で合図した先。

ぽっかり空いた空洞。奥は暗くてよく見えませんね。

森に流れる川の水が水路に流れ込んでいきます。ぽっかりと口を開ける入口に門などはなく、簡単に入れそうですね。

警備員はいるのでしょうか。

「ラパン先生」

「…………。うん、いないようだ。今のうちに行こう」

 長い耳をぴんと立て、音を聴いていたラパンさんがそのまま入口に向けて耳を伸ばします。

「僕のあとに続いて来るように」

 軽やかに走り出すうさぎ……じゃなくてラパンさん。

いやだって、めちゃくちゃ四足で地面を駆けていくから本気でうさぎだと思ったんですよ。事実、八割うさぎですし。

うつくしい毛並みが揺れる背中についた小さな羽。走るたびに「ぴょこぴょこ」という効果音が聞こえてきそうな動きをしています。

はぁ~……、もう~……。

 ラパンさん、コレットさん、アナスタシア、私、魔王さんの順で一列になり、薄暗い地下水路に飛び込んでいきます。

所々に設置されたライトだけが光源。水面は静かで私たちの影を映す程度。

なるべく無音で……と思いつつも湾曲した湾曲した地下水路ではよく響く。

と思えば、音がすぐ近くで消滅したような響きも耳に届く。

その理由はすぐにわかりました。

「入ってすぐだけど、分かれ道が多いね」

 振り返りながら小声で言うアナスタシア。

頷きで返す私も同じことを思っていました。

この地下水路、分岐が異様に多い。分かれ道だと思い、それを記憶しておこうと脳を働かせたのもつかの間。次々に現れる分岐に数えているヒマもなくなりました。

これでは迷わない方が難しい。何か目印がないと帰れなくなります。

そんな話、さっきありましたっけ?

「もしもの時はカマイタチで地下水路ぶっ壊すから安心して」

 すてきな笑顔。言っていることはアレですけど。すてきな笑顔。

「国内に出るまでくれぐれもはぐれないように。巡回する警備員もいるからね」

「サヨちゃんはわたしが絶っっっ対守ります」

「うん。……そうだね」

 何か言いかけてやめたラパンさん。たぶん、もういろいろ諦めていることがあるのでしょう。どのくらいアナスタシアと一緒にいるかわかりませんが、ふたりが過ごしてきた日々に興味が湧きました。

 大剣に何かが当たる感触がし、軽く後ろを振り返ります。

「……ぼくもいますからね」

 とっても不満そうな魔王さんでした。前にアナスタシア、後ろに魔王さん。逃げ場がなくて落ち着かないはずなのに、このふたりだからかむしろ安心している私がいました。

「おしゃべり魔王さんが静かなのでいないのかと思いました」

「ひどい⁉」

減らず口は安心ゆえ……ですよ。なんて、言いませんけれど。

 あまりに多い分岐をすいすい進んでいくラパンさん。もしや、ルートを覚えているのでしょうか? すごいうさぎさんですね。

時折ピタッと止まり、私たち以外の気配を探っているようでした。

彼……彼女? たぶん、おそらく彼だと思います。彼のおかげで警備員に遭遇することもなく順調に地下水路を進んでいるようです。

ついていくだけなので気を張らなくて良さそうですね。

 ちらりと周囲を見渡すと、壁はコンクリート、水路を流れる水はそこそこきれい。

それなりに歩いてきましたが、もう国内には入っているのでしょうか?

出口はいつになったら現れるのやら。

資料の中にあったいくつかの計画も覚えましたが、すぐ実行するのでしょうか。

ていうか、あの資料にあった情報あんまりタメになりそうなことが書いていなかったような。

あと、関係ないんですけど、ちょっとお腹すいてきたかもしれない……。

 そんなことを考えていた時でした。

ラパンさんの耳が高く鋭く伸びました。『止まれ』です。

コレットさんがすかさず懐中時計を持ち、ラパンさんの隣に移動します。

あの時計が彼女の魔法を補佐する道具なのだそうです。以前、魔王さんから聞いた魔法道具というものらしく、彼女の固有魔法が刻まれているのだとか。

懐中時計なのにも理由があるそうで、それは――。

 コレットさんが手で合図し、私たちを誘う。近寄ると、彼女は「魔法を発動したら彼の横を走り抜け、前方にある分岐に隠れてください。いいですか、一瞬ですからね」と告げます。

息を潜め、いつでも動ける状態で待つこと一分。

誰かの足音が聞こえました。ランタンを持った警備員が歩いて来る。分岐はいくらでもありますが、彼をやり過ごさないと出口に行けないのでしょう。

曲がり角の向こう。もうすぐ鉢合わせる。

コレットさんの魔法のことはここに来るまでに簡単に聞きました。

そんな魔法があるのかと驚きましたが、たしかに便利です。とても強いと思います。

そして、こういう状況においてはうってつけです。

 懐中時計を開き、魔力を込めると薄暗い地下水路に魔法陣が浮かび上がりました。

コツコツ、コツコツ。音が近い。

コレットさんは一秒に集中力を注ぎ込み、曲がり角から服の裾が見えた瞬間。

「クロックワイズ発動。――ストップ」

 それが合図です。私たちは警備員を一切気にせず走り出しました。

彼のすぐ横を通り抜け、複数の穴を空ける分岐点を目指して一直線。

ラパンさん、コレットさん、アナスタシアが分岐に消えていくのを確認し、私は誰もいない分かれ道に走って行きます。

一緒のところに入ろうとしなかったのは、分かれ道の中にはすぐ行き止まりになっているものがいくつもあったからです。

飛び込んではみ出したらバレてしまいますからね。狭くてもひとりであれば隠れられます。

魔王さんも同じことを考えたのでしょう。私のところには来ませんでした。

その決断は正しかったといえました。私が隠れた場所は分かれ道というには先のない壁。

わずかに削られただけの窪みでした。いけない。これでは大剣が外に出る。

鞘を立てかけ、うまく収納するように位置を変えます。

旅行鞄も地面に置き、その上に私が乗る形です。よし、これで見えないはず。

 心の中で数えていたカウントが『五』になった時、私は見つからないように体を奥へと傾けました。

警備員は私たちに気づいていないはずですが、念には念を。

服の裾も押し込み、なるべく小さくなるように縮こまります。

うしろは窪みです。目一杯力をこめて張り付くようにしていた時。

 がこん、と何かが動いた音が聞こえました。

背後に感じていた壁がなくなる感覚。

「えっ――」

 視界がぐるりと回ったかと思うと、一瞬で真っ暗な世界に移動していました。

「うそ、ちょっと待って、うそ」

 私の身に起こったことを理解しようとする脳と、そんなばかなと反発しようとする思考。

両者のケンカも空しく、私は微かな光が漏れる『入口』に手を伸ばしながら落下していきました。

「待って待って待ってっ……!」

 落下……というよりは滑っているのですが、傾斜がとんでもないのです。勢いがすさまじく、何かに掴まろうにもできない。ていうか、掴まるものもない。

真っ暗で何も見えない状況で下へ下へ落ちている感覚だけが確かでした。

大剣があったら止まったはずなのですが……言っても遅い。

体の中身が浮くような気持ち悪さと感覚をかき混ぜる暗闇のせいで意識が曖昧になってきます。

……いつまで滑るんですか、これ。

何かがせり上がる痛みに慌てて口を塞ぎます。目を凝らせば凝らすほどぐちゃぐちゃになるので視界も閉ざしました。

いざという時のために魔法を準備し、ただ一点に意識を注ぎます。

 やがて、なんとなくですが、落下の速さが緩やかになったような気がしました。

とはいえ止まれるものではなく、されるがまま転がされる私。

 どうにでもなれと思いながら小さくなっていると、突然空気が変わったのを感じました。

慌てて目を開けたのと同時に体を包んだのは水。……水⁉

ま、まずいです。私は泳げない……って、あれ?

あんまり深くないですね。へたり込んだ私の腹部辺りまでしかありません。

ケガもない。どうやら、水場に放り込まれたおかげで衝撃が吸収されたようです。

最後の方の傾斜が緩やかになっていたことも理由の一つのようですね。

はあ……、とりあえず生きています。

さて、ここはどこでしょうか。

お読みいただきありがとうございました。

おむすびころりん勇者さん。三半規管大ピンチ。

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