372.物語 ③正体
本日もこんばんは。
ついに正体が明かされます。果たして――。
この町に来てから四回目の朝を迎えました。
ねぼすけ魔王さんは二度寝することなく起床し、いつもよりも早い時間から動き出していました。布団から顔を出した私に、「手の込んだ朝食を作りたくて」と笑った彼女。
早起きの理由なんて明白でしたが、私は「そうですか」と頷くだけ。
「必要な物があれば……、一緒に行きましょうか。そんなに大きい町ではありませんし、彼らの対応はぼくが承りますから」
「特にありませんよ」
「では、夜を待って町を出ましょう」
ふむ、夜に何かあるのですね。というか。
「夜までいるのなら、町を出るのは六日目じゃないですか」
「……たしかに」
思ったより長くいることになりそうですね。急ぐ用事はないので構いませんが、旅生活が長くなってきたせいか、見知らぬ場所が少し恋しくなるものです。ファンタジー小説を読んでいるのも原因ですね。
朝から豪華なご飯を食べ、満足げな私。どこか警戒心が消えない魔王さんとは裏腹に、私は今日もぐーたらのんびり。
人としての尊厳など微塵も感じさせない姿に、魔王さんはくすりと微笑みます。
「勇者さん、とてもかわいいですが、もう少しだけ姿勢を――」
コンコン。
魔王さんの声に被って聞こえたのは扉を叩く音。これは、例の……。そう思った瞬間、魔王さんは勢いよく扉を開きました。そんなに急がなくても。
「きみが犯人ですか」
鋭い声で放った言葉。私は、いつの間にか張られた光の結界の内側から様子を窺います。扉の向こうには、一体誰が……。
「……あ、かわいい」
魔王さんに睨まれて両手を上げている犯人は、プルプル震えながら長い耳を天高く伸ばしていました。足元に置かれた竹の籠には新鮮そうな魚が何匹も入っています。
……あれ? なんだか、どこかで見たことがあるような、ないような。
「きみは魔物ですね。ここに何の用です」
「ぴ、ぴぇえ……」
「答えなさい」
魔王オーラを隠さない彼女に怯える魔物さん。細長い体が小刻みに動いて哀れです。
「魔王さん、あまり圧をかけるとかわいそうですよ」
「魔物に慈悲などいりません」
「一応、話を聞いてみてはいかがでしょう」
「話……」
嫌そうな顔をしました。事実、嫌なのでしょうね。手元に魔法陣が輝いているのが丸見えです。滅する気満々ですね。
「これはかなり雑魚です。会話ができるとは思えません」
「物は試しですよ。こんにちは、魔物さん」
「こんにちはっす、勇者どの!」
魔物さんは目をキラキラさせて答えてくれました。いいお返事ですこと。
「え、低級なのにしゃべるんですか」
「たけのこをたくさん食べたら話せるようになったっす」
「なんですかそれ……」
呆れた様子の魔王さん。ため息をつきながら、再度要件を訊きます。
「勇者どのに贈り物をしにきたっす」
「勇者さんに? 罠としか思えません。勇者さんに害をなすものは消すだけです」
魔法陣が魔物さんに向けられますが、私が袖を引っ張って止めます。
また魔物さんが「ぴぇえ……」と伸びてしまったからです。
「こら、待ってください」
「低級とはいえ魔物は魔物。危険です」
「よく見てください」
「よく見なくても魔物です」
「魚がめちゃくちゃ新鮮です」
「さか……?」
太陽の光を受けて艶やかな色味がさらに鮮明です。見ているだけで食欲をそそりますね。塩焼き、煮魚、お鍋……。新鮮ならお刺身もいいですねぇ。
「食べたいです」
「だめです。魔物が持って来たものなど!」
「たけのこや木の実を置いていたのはあなたですね」
「そうっす。先日、勇者どのに助けていただいたお礼にと思ったっす。喜んでもらえたっすか?」
無邪気な笑顔で言われ、私は無の心になりました。
嘘を言うべきか、真実を話すべきか。
まあ、魔物相手に勇者である私が誠実に対応する必要は――。
「っす!」
だめだぁ。むりだぁ。
「………………その節はありがとうございました」
「おいしかったっすか?」
「…………え、えへへ」
是とも非ともとれる笑顔で応えます。
「よかったっす!」
ああああ……。黙秘権を行使してしまいました……。
「あ、あの……、ごめんなさい勇者さん」
小声で言ってくる魔王さんも、少し申し訳なさそうに目を逸らします。けれど。
「ちょっと待ってください。先日助けていただいた? どういうことです?」
「獣用の罠にかかってぴぇえとなっていたところ、勇者どのに助けてもらったっす。おかげで元気ぴんぴんっすよ」
「……勇者さん?」
おっとぉ。
「いつの間に魔物なんか助けているんですか」
「動物かと思ったんです」
「どう見ても魔物ですよね?」
「新種のうさぎかなぁと」
「魔なるものを前にすれば感知能力は働くはずです」
「眠かったんですかねぇ……?」
「勇者さん~……」
がっくりとうなだれる魔王さんの隣で、私は先日の出来事を思い出していました。
旅の途中、山道で休憩することになった私たち。人の気配も魔の気配もないということで、魔王さんが昼食の準備をしている間、少しだけ散歩に出かけたのです。もちろん、過保護の圧があったので遠くには行っていませんよ。
そよそよと流れる風を感じ、ぐーっと伸びをしていた時でした。
「ぴぇえ……」
情けない鳴き声が聞こえたのです。動物かと思い、木の影から様子を窺うと。
「……うさぎ?」
少々不思議な見た目をした動物が獣用の罠にかかっているのを見つけました。細長うさぎは私に気づくと垂れ下がった耳を高く上げ、「ぴぇえ!」と助けを求めます。
さすがに無視はできませんよね……。そう思い、獲物を捕えて満足そうな罠に制裁を与えます。解放された細長うさぎはぴえぴえ言いながら脱兎のごとく逃げていきました。
「あ、ケガは……」
あまりの速さにケガの有無すら確認できませんでした。まあ、あれだけ走れるのならだいじょうぶでしょう。私は動物が消えていった先を眺め、冗談で「お礼くらいしたらどうですかー」と言い残し、魔王さんの元に戻ったのでした。
……ふむ、この魔物さんはあの時の細長うさぎということですか。どうりで見たことがあったわけです。助けた時はすぐ逃げられましたし、罠を外すのに苦労して姿をじっくり確認できなかったのです。改めて見ると、細長うさぎ魔物の見た目はかなりきゅーと……。地面につくくらい長い耳、滑らかな線を描く細長い胴体、ちまっと見える短い手足。魔王さんに遮られながらでもわかる柔らかい毛質は、知らずのうちに自分の手をそわそわさせるものです。どんな触り心地なんだろう……。
「勇者どの、勇者どの」
「な、なんですか」
「改めて、助けていただいたお礼をしたいっす」
「贈り物ならたくさんいただきましたよ?」
「いえ、これはほんの気持ちっす」
魔物さんは短い脚でちょんと立ち、誇らしげに胸を張ります。
「わたすたちの村にお越しくださいっす!」
「村?」
「そこでとっておきの恩返しをするっすよ!」
〇
コテージを出て、町の隅を歩き、隣接する山へと足を踏み入れました。意気揚々と先頭を進む魔物さんのうしろを歩きながら、隣で眉をへにょんへにょんにする魔王さんを横目で見ます。なんつー顔してんですか。
「……ぼくは反対です」
「まだ言ってるんですか」
「魔物の恩返しなど、受けるべきではありません」
「おもてなしには裏がある、でしたっけ? だいじょうぶですよ」
「なにゆえ自信満々なのですか」
「だって、魔物さんを見てください。魔物さーん」
呼ぶと、細長うさぎさんは振り向いてちまっとした手をぶんぶん。
「へへっす!」
「ほら」
「なにが『ほら』ですか」
「悪事など考える脳があると思いますか?」
「…………」
魔王さんはじっと魔物さんを見つめます。
「勇者どのと魔王さまに見つめられてうれしいっす。へへへっす!」
「ないですね」
「でしょう」
それに、と私は付け加えます。
「あの魔物、超雑魚ですよ。魔力をほぼ感じません」
「びっくりするくらいですよね……」
「あまりの弱さに心配になります」
「よくもまあ、あの弱さと純粋さで生きてこられましたよ」
やれやれと首を振る魔王さん。うんうんと頷く私。と、魔王さんがじっとこちらを見ているのに気づきます。
「雑魚魔物は理由の一つでしかありませんよね」
「……なんのことやら」
「じい……」
「…………」
魔王さんの視線から逃げつつ、魔物さんの姿を追います。耳をぴくりと動かし、私の気配に気づいた魔物さんがぺかーっと笑って「たけのこご飯、楽しみにしていてくださいっす!」とちまっとした手をぺいぺい動かしました。私も小さく手を振って応えます。
「食べ物に釣られるとは……」
「ぎくっ」
振っていた手がぴたりと止まります。
「だって……、せっかくもらったたけのこ、魔王さんが棄てちゃった……」
「うぐっ」
「私、たけのこという食べ物はまだ食べたことないんです」
「ぐぬっ」
「町にも売っていなかったそうですし、魔物さんについていくしか食べる方法がありません」
「んむぅ……、うぬぬぬ……」
何か言いたげに震えた魔王さんですが、空気が抜けたようにため息をつきました。
「今度、たけのこ栽培しよう……」
おそらく違う決意を固めたところで、魔物さんが「もうすぐっす」と耳を上げました。山道を進むことしばらく、人気のない山奥のその先にあったのは。
「勇者どの、魔王さま、わたすたちの村にようこそっす!」
細長うさぎさんと同じ見た目をした彼らは、「ぴぇえ! 勇者どの!」、「魔王さまー」、「いらっしゃいらっしゃい」、「きたわー!」、「ぴぇえ」と賑やかな声をあげ、歓迎してくれます。山頂のひらけた場所、太陽の光が降り注ぐそこには、もふもふ魔物の村がありました。
お読みいただきありがとうございました。
魔物さんの雑魚レベルは愛すべきものです。