340.物語 ⑥『もう少し』の願い
本日もこんばんは。
『毒も薬も名医もヤブも紙一重』の最後、第六話です。
最後までお楽しみくださいませ。
「ただいま~。今日の夕飯は何にしようか、魔王サマぁ……って、どうしたんだい?」
宿に帰ってきたヤブさんは訝しげに袖を振りました。
「病気?」
「違いますぅ……。いろいろあったんですよう」
勇者さんの前で土下座するぼくを見て試験管を取り出すヤブさん。
ちょい、なんで試験管なんですか。
「気にしていないと言っているのにやめないんですよ」
「だってぇ……。雰囲気に呑まれて調子に乗った感じがしたので……」
「迷子になってさっき着いたばかりなのは大変でしたけど」
「うぐっ……。ほんとごめんなさい。すぐご飯にしますね……」
本日のお宿はキッチンとリビングが一続きになっている間取りです。
お腹に優しくもしっかり栄養になる料理を……とお鍋の材料を準備するぼくは、うしろで話し始めたふたりの会話に耳を傾けます。
「……あの、ヤブさん」
「なんだい?」
「彼らはあのあと、どうなったんですか。あの子……とか」
「お別れの儀式というものがあってね、それの準備に取りかかると言って帰って行ったよ。あの子はアタシがきれいにしてあげたから心配いらないさぁ。傷口も縫って、血を拭いてね。ゆっくり眠れるようにちょっとした手伝いをしただけだけどねぇ」
「……そうですか。ごめんなさい、私、途中で逃げて……」
消えそうな声で、けれど彼女はしっかりと謝罪しました。
謝ることなどなにもないのに……。そう言おうとして振り返りましたが、ヤブさんが軽く袖をあげたのを見てやめました。
「キミは逃げなかったと思うよ。あの子の最期を見届けじゃないか」
「でも、何もしていません。手伝うことも……しなかった。あの人の言う通りです。何のためにいたのかわからない。あれなら、いない方がよかった」
「……。勇者クン、アタシのいた意味はあったと思うかい?」
唐突に、ヤブさんは問いました。
「もちろんです。治療しようとしてくれましたし、苦しまないように薬を使ったでしょう。あなたがいなければあの子は苦痛の中で死んでいった……はずですから」
「でも、命は救えなかったよ?」
「それは……。で、でも、あなたがいた意味はありました。絶対に」
少し焦るような声色。反対に、勇者さんに話すヤブさんの声はずっと穏やかです。
「そう言ってもらえると、アタシは医者を続けることができるよ」
「……どういうことですか?」
「魔なるものと違い、人間は脆い生き物だからねぇ。驚くほど簡単に死んでしまう。だから、どんなに手を尽くしても救えない命がたくさんあるんだよ。助けた命よりもこの手からこぼれ落ちた命の方が圧倒的に多いのさぁ……」
悲しそうに、けれど力強い声で彼女は続けます。
「でも、それは医者を辞める理由にはならなかったよ。むしろ逆かなぁ?」
「医者であり続ける理由になった……と?」
「うんうん。知識や経験はいつか役に立つ……と信じているからねぇ。救えなかった時の知識で次の患者を救えたら、それは無駄じゃないと思えるだろう? どうかな?」
「そう、かもしれませんね……」
ヤブさんは鞄からがさごそと注射器を取り出し、勇者さんに見せました。
袋に入っていて危険はありません。
横目で窺いますが、勇者さんはそれをじっと見るだけでパニックになる様子はありませんでした。
「キミに使ったこれだけどね、実は同じ病気で死んでしまった子を研究して作った特効薬なんだよぉ」
「えっ……」
声をあげる勇者さんに共感します。ぼくも驚きました。そんな過去があったんですね。
「もちろん、生前に許可を取っての研究だけどねぇ。自分と同じ病で死ぬ人をひとりでも減らしたいからと、検体になることを承諾してくれたのさぁ。そして、巡り巡って勇者クンを救った。キミが助かったことで、あの子の願いは叶ったのさ」
そんなことを言われれば、勇者さんはまた「自分よりもその人が助かればよかった」と思うのでしょうね。
「医療は少なからず犠牲の上に成り立っている。でも、巡る命の中にいるキミたちにとっては当然のことさぁ。それでも悲しい、申し訳ないと思うのなら……」
「思うのなら?」
「ばっちり元気になってもらうために、しっかり薬を飲んでもらうよぉ~。はい、これ今日の分さぁ」
「……じょ、錠剤タイプ……」
「キミ、錠剤嫌いだよねぇ。でも飲んでねぇ。ほーらほーらほーら」
「わ、わかりました飲みますから。押し付けないでちょっと……ヤブさん!」
「うははは~。元気になってきた証拠だねぇ。うははは~」
ヤブさんのこわい勢いに押され、本日のお薬タイムに強制突入させられた勇者さん。
勇者さんの様子を思うに、錠剤も過去になにかあったはずなのであまり強く言わないでほしいのですが……。
「魔王サマ、お水持ってきておくれ~。勇者クンが慌てて飲もうとして喉につっかかったみたい」
「はやく言ってください⁉ もー!」
「あと、アタシお腹すいたよ~」
「いま言ってる場合ですか!」
そんな感じでまた数日間、ぼくたちは一緒にいました。
そして。
「うんうん。食事量もいい感じ、呼吸状態良好、その他の検査もあらかたやったから……おっけーだよ~。完治さぁ!」
ヤブさんから旅を再開する許可が出ました。
「よくがんばったねぇ、勇者クン。まだ錠剤飲むのはめっちゃ下手だけど、よくがんばったねぇ。シールをあげようね」
「あ、いや、だいじょうぶです」
「一度断られたから新作を加入させたんだよぉ。ほら、うさぎさんのシール」
「なんでうさぎ……」
「魔王サマから勇者クンはうさぎが好きだって聞いてねぇ」
「…………魔王さん」
ジト目勇者さん。ぼくはなんにも悪いことしていません! えへん。
「ミソラクンだっけ? あの子もうさぎだし」
「うっ……。そうでしたね。ええと、あ、ありがとうございます……」
恐る恐るシールをもらう勇者さん。絶妙な顔でてのひらに乗せて眺めますが、どことなくうれしそうでした。かわいいですね。写真撮ってもいいかな。撮りたいな。
「それじゃあ、アタシはそろそろ行くよぉ。アタシを求める次の患者を探さないとねぇ」
「あ、ヤブさん――」
「勇者クン」
ヤブさんはぶかぶかの袖を伸ばし、
「撫でてもいいかい?」
「……そんなにこどもじゃありませんよ」
「こどもさぁ。アタシたちからしたらかわいいこどもだよ」
「……どう、ぞ」
「ありがとねぇ」
優しく、優しく頭を撫でました。
どうしてよいかわからず、少し困ったような顔をしていた勇者さんは、ふと、
「…………」
その手の優しさに口元を緩めました。体から力を抜き、身を任せているようです。
「キミとは二度と会いたくないねぇ」
突き放すような言葉に顔を上げた勇者さんは、穏やかに微笑むヤブさんを見て気づいたようです。
「アタシは医者だからね」
「……そういうことですか。はい、わかりました。お別れですね」
「元気でねぇ、勇者クン。長生きするんだよ」
「…………」
彼女はその願いに答えることができません。だからでしょうか。
「……ヤブさんもお元気で」
自分の未来を願ってくれたひとの未来を願う。
「ありがとうございました、ヤブさん。さようなら」
「うんうん。さようなら、勇者クン、魔王サマ」
「えぇ、さようなら、ヤブさん」
彼女はぼくたちに手を振り、去っていきました。
またふたりに戻った部屋。示し合わせたわけではなく、ぼくたちは立ち上がりました。
「さて、行きましょうか、勇者さん」
「はい、魔王さん」
「治ったからといって油断は禁物ですよ。なにかあったらすぐ言ってくださいね」
「……はい」
「その間はなんですか」
「チェックアウトしに行きましょうか」
「勇者さん~?」
軽やかに階段を下りていく勇者さん。ぼくはつまづきそうになりながらあとを追いました。
宿を出たぼくたちは、救えた少女と救えなかった少女と出会った町を離れていきます。
勇者さんは時折振り返り、小さくなっていく町を無言で眺めました。
やがて見えなくなった時、彼女は「魔王さん」とつぶやきました。
「はい?」
「今日も魔王さんは魔王さんですね」
「そうですね?」
「私は?」
「きみは勇者さんですよ」
「そうですか」
「はい」
「……そうですね。えぇ、わかっています」
自分に言い聞かせるように言うと歩き出しました。
もう町は振り返りませんでした。
フードを被った下ではずっと考え続けているのでしょう。今回の出来事も彼女の中に残るのでしょう。
ぼくの言葉やヤブさんの言葉で完璧に納得したとか、受け入れたとか、そんな風には思っていません。けれど、彼女の思考の中にひとつの選択肢を与えたのは確かだと信じます。
痛みを痛みで覆い隠そうとする時に、今までになかった痛みを。
「仕方がないので、私は今日も勇者でいようと思います」
「では、ぼくは魔王でいますよ~」
「じゃあ、やめようかな」
「じゃあってなんですか、じゃあって」
「魔王さん、なんか距離が近いです。離れてください。あっちいけ」
「いいじゃないですかぁ。あ、あれです。脈拍を測っているんです」
「エアーで? 嘘言わないでください。近い」
「あえ~……」
少しずつ距離を(物理的に)縮めてくっつこう作戦がバレ、勇者さんが離れていきました。かなしい……。
大剣を背負い、旅行鞄を肩からかける彼女の体は小さい。
あの中に淡く脆い火が灯っているのですね。
もう少し。そう思うぼくの願いが叶わなくても、あの子が幸せであることを祈ります。
もう少し。……と、いつかその日が来ても思ってしまうかもしれない。でも。
もう少し。そう願うことは罪ではありませんよね?
たとえ、『もう少し』がほんとうに『少し』だとしても。
「…………」
彼女の姿を見つめながら、ぼくはヤブさんから聞いた話を思い出していました。
大事な話がある、と真剣な表情をした彼女。
カルテを手に口を開いたヤブさんは、すうっと息を吸うと一言。
「勇者クン、もう長くないよ」
「……なんです、突然」
「治療のついでにいろいろ検査させてもらったけどねぇ、ほらこれ」
ヤブさんはカルテを掲げました。
「この数値とかやばい……って、ひとつひとつ説明した方がいいか。わからないよね」
けれど、ぼくは「必要ありません」と断りました。
「勇者クンが大事じゃないのかい?」
「大事です。この世界の何よりも」
「……魔王サマ、知ってたのかい?」
「知りませんでしたよ。ただ、あの子の過去を思えば『そうだろう……』と」
「過去、ねぇ。まあ、詳しくは訊かないけどさ、まともな暮らしはしてこなかったのはわかったよ。見える傷も見えない傷もなにもかも、過去が原因だよね」
「……そうですね」
「……。今はよくても少しずつ表に現れてくると思うよ。旅をやめて高度な医療技術があるところで安静にすれば数年は伸びるかもしれないけれど」
「あの子の終わりは旅の終わりです」
断言したぼくに、ヤブさんは「勇者クンには伝えるかい?」と訊きました。
ぼくは首を横に振ります。
「言わないでください」
「……魔王サマがそう言うなら、アタシは従うけど。ほんとうにいいんだね?」
「えぇ。ですが、心配しないでください。あの子を蔑ろにしているわけではありません」
「それはわかってるけどさ……。まあ、うん。いいさ。アタシの出番はここまでってことだねぇ」
「勇者さんの病気を治してくれたことには多大なる感謝を」
「いーよいーよ。アタシがやりたくてやったことだから。それじゃ、飲み物よろしくねぇ、魔王サマ~」
「切り替えの早いことですね……」
彼女から聞いた話。
それは、わかっていたことです。気づきたくないと耳を塞ぎ、気づかないふりをしていただけです。
ヤブさんが明言したことで現実を見せられた。
えぇ、わかっていますよ。むしろ、今こうして旅をしていられることが奇跡なのです。
それでも願ってしまうのです。旅の最後まで元気でいられるように、と。
勇者さんも薄々わかっているのではないかと思います。
彼女が望めばそうしましょう。けれど、そうでないのなら。
「魔王さーん、早くしないと置いていきますよ」
「す、すぐ行きます!」
「大剣を」
「そっち⁉ ちゃんと持ってくださいよう~」
大剣に体重をかけ、右に左にふらふらしている勇者さん。持つ気がさらさらないですね。
「重いー」
「もう捨てちゃえ!」
「私の武器がなくなるじゃないですか」
「だからってぼくに乗っけないでくだあぁぁぁああぁおっっっも!」
「魔王さんがぺしゃんこだ」
「助けてください? ちょっと?」
「どうしようかなぁ」
「きみは勇者でしょう……」
「勇者なら魔王を倒して当然です」
「ハッ」
「何回目でしょうね、このやりとり」
呆れつつもいたずらっ子のような笑みを浮かべる勇者さん。
口元に手を当てる小さな仕草も、フードの下から覗く表情も、ぼくを呼ぶ声も、彼女がぼくの隣で生きているからこそ。
きみが旅を望むのなら、さいごのさいごまで続けましょう。
残された時間が少なくても構いません。
いつの日か、ぼくが彼女の命を奪うことに変わりはないのだから。
『毒も薬も名医もヤブも紙一重』お読みいただきありがとうございました。
新キャラ、ヤブさん。いかがだったでしょうか?
物語パートになるといつもこんなんですみません。そのうち楽しいのもきっとたぶん書きます。
勇者「ヤブさんの魔族を倒す薬を使ったら世界が平和に……?」
魔王「サボれる気配を察知したようですね」
勇者「やっぱり勇者なんていらないんです」
魔王「ぼくに必要ですよ」