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339.物語 ⑤痛み

本日もこんばんは。

サブタイのサブタイが痛そうです。

「医者を呼んだかい? つまりアタシを呼んだかい? いま行くよぉ~」

「あ、ちょっと勝手に……んもー!」

「行きましょう」

「えっ、勇者さん? きみも行くんですか?」

「声がしたのは宿がある方ですし、帰り道ですよ」

 フードを確認し、勇者さんも小走りでヤブさんのあとを追います。

 ま、まだあんまり走らないでほしいのですが……。

 声のした方に進んでいくと、なにやら道の真ん中に人だかりができているのが見えました。そこに飛び込んでいく人たちの手には、タオルやら水やら救急箱やら……。

 野次馬から当人を隠すためにかけられたシートの中にヤブさんが滑り込みます。野次馬に遮られたぼくと勇者さんは、分け入る前に集まっている彼らの声に耳を傾けました。

「山の中で魔物に襲われたらしいぞ……」

「わ、私、見ちゃったんだけど、血まみれでさ……。あれ、助かるのかな?」

「この町までもっただけすごいと思うがなぁ」

「まだ小さいのにねぇ。かわいそうに……」

「襲われた時、親は何してたんだ?」

「相手が魔物なんだ。そういうこと言うんじゃないよ」

 などなど。なるほどです。

 この世界ではよくある話。いえ、よくありすぎる話です。

 日常茶飯事。いつもの光景。世の常。

 命が消えていくのが当たり前だなんてあまりにひどい。

 けれどこれは、ぼくが誘った世界です。いまさら遅い。

「…………。……わっ」

 俯き加減で立ち止まっていた勇者さんは、野次馬に押されてブルーシートの中に突き飛ばされました。彼女が転ばないよう、咄嗟に手首を掴んでぼくも入ります。

 ブルーシートの中には世界の悪意が凝縮されたような地獄がありました。

 何枚にも敷かれたタオルの上には真っ赤に染まった小さな体。

 すぐそばに泣き崩れる母親らしき女性。その隣には青ざめながらこぶしを握る父親らしき男性。

 白衣に赤い装飾を施しながら血を止めようと必死なヤブさんが口元をきっと結んで厳しい雰囲気を漂わせています。

「あ。ちょうどよかった。ちょっと手伝っておくれ。魔王――じゃなくて、勇者サマ」

 その言葉に両親がハッと顔を上げ、ぼくを見ました。

「ゆ、勇者様……! どうか、どうかお助けください……!」

「…………はい」

 頷き、隣で小さく震える勇者さんに外に出ているよう言いました。けれど、彼女はわずかに首を横に振り、それを拒否。

 できれば見ないでほしいのですが、時間がありません。

 ぼくはガーゼを何枚も手に取って少女の命が流れていく場所に押し当てました。

 首をざっくりやられたのですね。傷口が……大きくて深い。

 もうほとんど息ができていない。出血が多すぎる。

 そんな中でも、少女はかすかに「いたい……くるしい……」と泣いていました。

 ぼくは険しい顔を崩せずに彼女を見つめます。

「……がんばれがんばれ。負けるな」

 聞こえていないであろう少女を励まし続けるヤブさん。その手はあっという間に真っ赤です。

 祈るように手を合わせる両親と必死に処置をするぼくたち。

 激しくも静かな時間がゆっくりと過ぎていきます。

 ここまできたら治癒魔法も意味がない。効かないくらい命が流れ過ぎた。

 命を与えることは許されていません。ぼくに許可されたのは奪うことだけ。

 それに抗って魔なるものを殺し、人間のケガを治し、一時の平和を取り繕ってきた。

 誰かの命が生き永らえる一歩横で誰かの命が消えていく。

 手からこぼれていくひとつひとつの命。この少女もそのひとつ。

 傷口を塞ごうと処置を続けていたヤブさんが、ふいに手を止めて両親を呼びました。

「ごめんね。アタシでも助けられない。だから提案がある。こんなにがんばったこの子が苦しみながら消えていくのはあまりにかわいそうだ。穏やかに眠らせてあげたいのだけど、どうだろう」

 淡々と簡潔に述べたヤブさん。言われた意味がわからず、ぽかんと口を開けた女性の隣で、男性がぐっと目をつむり、開けました。

「……お願いします」

「了解したよ」

 ヤブさんは鞄の中から注射器を取り出し、少女の腕に刺しました。

 途端、泣きじゃくりながら女性が駆け寄り、娘を抱きしめました。

 ぼくはさっと離れ、勇者さんの元に戻ります。

 自分の手首をぎゅっと握り、少女から流れる血を見る彼女。加減などわかっていないのでしょう。

 爪が皮膚を突き破り、一筋の赤が垂れていきます。

 ぼくが服の袖でそれを隠すと、ハッと我に返ったような勇者さんが口を開こうとし、やめました。

 息が止まっていく娘を抱きしめ、愛を囁き、想いの丈を伝え続ける両親。

 ヤブさんの薬で苦しみは静まり、ただ優しい夢を見ながら少女はその人生を閉じていきます。やがて、小さな命が消えました。

「がんばったねぇ。助けてあげられなくてごめんよ」

 少女に言い、両親に頭を下げるヤブさん。

「……いえ、ありがとうございました。あなただけなんです。魔物に襲われて死にかけていたこの子を診てくれた医者は」

 男性は涙を流しながら小さく笑いました。

「もう手遅れだから諦めろと来てくれなかった。でも、あなたは最後までこの子の苦しみをなくそうとしてくれた。ほんとうにありがとうございました」

「……そうかい。安心しておくれ。アタシの薬で苦しまずに眠れたはずだから」

「えぇ。よかったです。ほんとうに……」

 女性は深い悲しみに囚われているようで、娘を抱きしめながら叫びました。

「勇者様がいるなら助けてほしかった」と。

「なんの為の勇者なの……? 魔物を倒す為にいるんじゃないの……?」

 あ、これはまずい。

 ぼくは勇者さんの手を掴んで出ようとしましたが、彼女はまた拒みました。

 逸らしたくて仕方がないはずなのに、逸らすことを許さないと体に力をこめて見つめ続けている。握る強さと立てる爪で別の痛みに耐えている。

 彼女は震える息で小さな呼吸を繰り返し、彼らに深く頭を下げました。

 ふらりとブルーシートを出て行くあの子を放っておくことはできない。

 ぼくは両親をまっすぐ見て、「申し訳ありませんでした」と謝罪しました。

「いえ、山の中まで気づけませんから。駆けつけてくださってありがとうございました」

「……ほんとうにごめんなさい」

 この謝罪には含まれる意味が多すぎる。ひとつひとつを伝えることはできません。

 ぼくは魔王ですが、彼らの今後の人生がどうか安らかであることを祈りました。

「先に帰ってておくれ」

「わかりました。それでは、失礼します」

 散り始めた野次馬を縫い、ぼくは勇者さんを追いました。まだ近くにいるはずです。

 ……あっ。いました。走りながら路地裏に入っていく彼女の姿を捉えた。

 知らない町の路地裏は危険です。慌てて飛び込むと、彼女は入ってすぐのところでうずくまっていました。

「勇者さん、帰りましょう。ここは体が冷えますよ」

 ケガの処置もしたいですし。

 ぽたりぽたりと血のしずくが路地裏に浸み込んでいく。彼女はいまこの時も握る強さを変えることはできないようでした。

「勇者さん」

 なるべく穏やかに、静かに、丁寧に、彼女に呼びかけます。

「……私が」

 ぽつりとつぶやく勇者さん。

「私がもっと早くこの町に来ていれば、あの子は助かったかもしれない」

「それは違います。もし来ていたとしても、山の中まで感知することはできません」

「可能性はあったはずです」

 あったとしても、もう手遅れ。

 ……と、そんなことが言えるはずもなく。

 けれど、彼女の言葉をすべて肯定すれば、この子の中に罪がうまれる。

 勇者は神様ではない。できることなんてたかが知れています。

 神様の勝手な都合で選ばれただけのただの人間。人知れず消えていく世界の贄。

 魔物に殺された者には安らかな死があるのに、彼らにはない。

 魔法使いや魔女の方がよっぽど強いような勇者たち。

 勇者に助けを求める彼らと同じふたつの手を時に差し伸べ、時に武器を取る。

 荷が重いのです。

 世界も人々も勇者さんをなんだと思っているのでしょう。

 彼らだってひとりの人間なのに。小さな命のひとつなのに。

 いつか魔王に殺される運命にあるのに、生きている間もずっと『勇者』という重圧に苦しみ続けるなんてあんまりじゃないですか。

 傷つかないでほしいと願っても、この子は勇者だから逃げることができない。

 わかっています。だからぼくは、せめてぼくだけは、正しくなくても味方でいたい。

 だってぼくは魔王なのだから。

「……勇者さん」

「…………」

 なにを言っても傷になる。抱きしめることも彼女にとっては傷になる。

 じゃあ、何をしてあげればいいのでしょう。

 強すぎる痛みを別の痛みで紛らわせる勇者さんの姿が痛ましく、見ているのが辛い――。

 あっ……。……痛みを痛みで?

 そうだ。たとえそれが痛みだとしても、苦しみが違う。

 耐えられない苦しみを別の痛みで和らげる。取り除けないのなら、これしかない。

 ぼくはぐっと手を握り、勇者さんに伸ばしました。

「ごめんなさい、勇者さん」

「…………なにが――」

 立膝をついて彼女を抱きしめたぼく。許可は取っていません。訊けば、彼女は拒んだはずですから。案の定、勇者さんはぼくの体を押し返して離そうとします。

「……やめてください。私にはそんな権利はないんです……!」

「いいえ。これはぼくのわがままです」

「離してください……」

「嫌です。世界にはどうにもならないことがあるのです。ぼくもそのひとつ」

「どうにも、ならないこと……」

 こうしている間もこの子には傷が増え続ける。痛みや苦しみが積み重なっていく。

 けれど、別の痛みが和らいでいく……はずです。

「ぼくたちは神様ではありません。けれど、やれることはあります。忘れないでください、きみが助けた命のことを。思い出してください、生きる意味を与えたことを」

 自分に傷を作って離さない彼女のてのひらに、ぼくの手を絡ませました。

 血で濡れている手と血に汚れた手。

 同じ血でも、きみの血はうつくしい命の輝きを秘めているんですよ?

「苦しむことも責めることも、生きているからできることです。この痛みはきみが生きている証拠です。目を逸らしてもいい。歩みを止めてもいい。それできみが生きられるのなら」

「私は、勇者なのに……」

 否定するその使命も傷。

 ええ、そうですね。嫌だと叫んでもやめることはできないのだから。

「ぼくも持ちますよ」

「だめです。これは私の……。あなたがそんなことをする必要なんかない」

「きみが少しでも楽になるのなら構いません」

「だめです。……だめ、なんです」

 彼女は首を振ります。押し込んで押し込んで耐えようとします。

 わかりました。わかっています。きみはそういう子だから。

 ぼくは勇者さんから離れ、隣に座りました。

 肩が触れそうで触れない距離。けれど、今は痛みが強すぎるから……。

 繋いだままの手は決して離しませんでした。

 これが彼女の傷になることを知っていて、握る力を強めます。

 苦痛を以て苦痛を制す。重苦を抱えるあの子がわずかに安らぐ方法です。

 果てのない苦衷を思って隣にいるだけ。

「ぼくは魔王で、きみは勇者です」

「…………はい」

「魔王は命を奪うことを決められていますが、勇者は救うことが許されています」

「だからといって、『私』に力はありませんよ」

「きみがそこにいるだけで救われるひとたちがいるんですよ」

「……たち?」

「まず、ぼく! めっちゃぼく! 誰になんと言われようとぼくが天高く存在を主張しますよ。えへん!」

「……あなたはなんというか、ううん……あはは」

 勇者さんは困ったように乾いた笑い声をこぼしました。

「アナスタシアさんなんかいい例ですね。はあ、不覚ですが、彼女と再会することはきみにとって良い影響を与えると思いますよ」

「そう、でしょうか……。私は、アナスタシアが元気でいるならそれで……」

「想像してみてください。アナスタシアさんが勇者さんに再会した時の様子を」

「……………………」

 目を閉じ、しばしの間。

「…………ふふっ」

 今度は楽しそうな笑い声でした。口元に手を当て、くすくすと微笑みます。

 どんな想像をしたのでしょうか。でもきっと、すてきな再会なのでしょう。

「手を伸ばしても届かないものはあります。けれど、届くものはちゃんとある。失ったものを忘れないことは大切ですが、そればかり見て、きみの大切なものを失わないようにしてくださいね」

「……はい」

 痛みを抱えることは悪ではありません。時にそれが生きるための力になると知っているから。

 でも、痛くて痛くてたまらないことを抑え込まないでほしいのです。

 いまはひとりではないのです。

 助けてと手を伸ばせばぼくが取る。だから、どうか……と願わずにはいられない。

「帰りましょう、勇者さん」

「……はい、魔王さん」

 生きづらいこの子に安らぎを。優しい痛みを。

 繋いだ血まみれの手を引き、ぼくは路地裏の奥へと歩いて行きます。

 いまはふたりだけがいいと思ったのです。ぼくのわがままですね。

 たった一歩。それだけで向こう側は明るい。

 この子が路地裏のそのまた向こうの冷たい場所で消えていく存在だとしても構わない。ぼくもその隣を選んでともにいるのだから。

 入り組んだ日の射さない薄暗い道。ぼくたちはふたつの足音を響かせて町を進んでいきます。右に曲がり、左に曲がり、知らない町の奥へ。

 勇者さんは手を離そうとはしませんでした。ただ、ぽつりとこぼした声。

「……迷いました?」

「ぎくっ」

『⑤痛み』お読みいただきありがとうございました。

全体的に痛そうな回でした。

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