338.物語 ④医者の役割
本日もこんばんは。
ヤブさんのテンションは雰囲気を破壊します。
それから二日間、ヤブさんは治療の合間に健康診断やらなんやらと理由をつけて勇者さんの健康チェックを行いました。彼女の意識がない時に行った検査についても説明し、謝罪もしていました。
「勝手に服脱がしたし、肌に触れたし、薬飲ませたし、点滴打ったし、なんか全部ひっくるめてごめんね。一発殴っとく?」
「なぐ……? 構いません。お医者さんなんでしょう」
「おお、助かるよ~。じゃあ、お医者さんなので診察するよ。服脱いで~」
「どのくらいですか」
ボタンを外そうとする勇者さんに、ヤブさんは慌てて「めくるだけ! 聴診器当てるだけだから脱がなくていいよ~」と止めました。
勇者さんはなんとも言えない顔で「めくると脱ぐは違う……」と抗議の意を示します。
ぼくは診察時の勇者さんの状態を確認し、パニックを起こさないことを確かめると、隣の部屋に移動して荷造りを始めました。
ヤブさんの薬の効果もあってか、勇者さんは食事が摂れるまで回復しました。酸素マスクは必要なくなり、呼吸状態も安定しています。あれから熱が出ることもなく、着実に全快に向かっていることを感じました。
ゆえに、そろそろ移動しようということになったのです。
宿の人に聞いたところ、数キロ先にここよりも大きな町があるのだそうです。
ヤブさんも薬や資材の調達をしたいと言っていますし、軽く運動することで体にも心にも良い効果があるのでは、と思ったぼく。
ヤブさんに確認したところ、ゆっくり歩くのであれば構わないということで、宿を変えることになったのでした。
ぼくたちの事情的にも、一か所に長く留まるのはよくありませんからね。
荷造りといっても、旅人であるぼくたちの荷物はそう多くありません。ポシェットに入れてしまえば簡単ですし。
ちゃっちゃと終わらせたぼくは、勇者さんに飲んでもらう白湯を準備しようとやかんと水を――。
「はちみつも入れるといいよ~」
「わぁっ! い、いつの間にいたんですか、きみ」
「今さぁ。勇者クンの診察が終わったから、一息つこうと思ってねぇ。ちょうどいいや、魔王サマ。アタシにも作っておくれ~」
「はあ……。仕方ありませんね。少し待っていてください」
「やったぁ~」
魔族はどうでもいいですし、これは勇者さんのためのものですが、お湯を沸かすだけですしいいでしょう。
「魔王サマに作ってもらえるとはなんと光栄~」と笑う魔族は、ぱたりと扉を閉めて座りました。
「あ、だめですよ。開けといてください。あの子の様子がわからな――」
「ちょっと大事なお話があってね」
飄々とした雰囲気をしまい、ヤブさんはいつも上がっていた口角をまっすぐにして言いました。その態度の変わりように、ぼくも手を止めてそちらを見ます。
「大事な話?」
「そうさ。魔王サマにとっても勇者クンにとっても大事な話」
「勇者さんにとっても大事なら、なおさら向こうの部屋で話したらどうですか」
「勇者クンに話すべきかどうかは、魔王サマが決めておくれ。話を聞いた後でね」
そして、ヤブさんはカルテを手に持ったまま話し始めました。
その話を聞き、ぼくは――。
〇
「だいじょうぶかい? しんどかったらすぐ言うんだよ。次の町まではまだ距離があるから、休憩は多めにねぇ」
「平気です。……お気になさらず」
「なるさぁ。だってアタシはキミの担当医なんだから。元気になってもらわないとねぇ」
「……はい」
木漏れ日が差し込むゆったりとした林の中。
ぼくたちは町に向かって旅を再開していました。
勇者さんの体調を考え、自然を味わいながらのんびりと足を進めていきます。
頻繁に休憩し、彼女の様子を窺います。
「天気が良くてよかったねぇ。人もいないからフードを取って空気を吸うといい。人間は太陽に当たらないと具合が悪くなるってものさぁ」
と、ヤブさん。彼女はぼくたちふたりに話しかけていますが、特段返答を求めているわけではなさそうでした。
勇者さんの隣に立ち、見えているのか怪しい顔で彼女に微笑んでいる。
「休憩はしようか?」とか「お水飲む? エネルギー摂取のためにジュースでもいいよ~」とか「お菓子食べる? チョコレートは好きかい?」とか。
それはもう世話焼きなヤブさん。
勇者さんは少し困ったように笑いながら対応していました。
「もう数日のんびりすれば、すっかり良くなると思うよ。がんばったねぇ、勇者クン」
「私はベッドで安静にしていただけですよ」
「いやいや、何回も注射したし、苦い薬も飲んだし、検査のための採血とか問診とかあれやそれやもしたし、キミはがんばったのさぁ」
「そう、ですかね……」
「そうさぁ。偉い偉い」
「……ありがとう、ございます」
そう、とっても偉いです。勇者さんは冷静になると迷惑をかけまいとひとりで抱え込もうとします。ゆえに、あれ以降の注射でぼくを呼ぶことはありませんでした。
ミソラさんすら持たずに耐えようとしましたが、こちらはまだ無理なようでした。震える手で寄せ、強く抱きしめる彼女の様子は痛ましいものでした。
つい「ぼくを使ってください!」と高らかに言おうとしましたが、言うことはなく。
勇者さんは、パニックになった時にぼくにケガをさせたことを気にしているようで、いつも以上に、あからさまに、ぼくを避けていました。
もちろん、ぼくにとってはケガと言えるものではありません。あの程度は瞬間で治りますからね。
けれど、傷ついたように手を胸にあてて握る彼女に「だいじょうぶですよ」と言ってもあまり効果はありませんでした。ゆえに、これ以上心に負担をかけさせないために、ぼくは一歩下がっていることにしたのです。
とはいえ、自惚れてもいいかも⁉ と思ってすぐのことです。
気のせいだったか……と若干落ち込んでいたぼくに、ヤブさんは愉快そうに笑って言いました。
「魔王サマのことが大事だからああなっているんじゃないのかい?」
「勇者さんがいい子すぎるだけですよ。他者との関わり方をよく知らないから、得なくていい傷も自分につけていってしまう。どうでもいい、関係ないと言いながらも、まっすぐに受け取って押し込む。……困った子です。悪い子になりきれないせいで苦しんでばかりいるのですから」
「生きづらいねぇ。そしてめんどくさい!」
「それは、本人が一番わかっていることですよ」
矛盾を抱えているのを理解していながら、それを捨てることができない勇者さん。
あの子は優しい。そして、優しさは愚かさを生む。
世界の悪意に晒されながらも優しくある勇者さんが、もっと簡単に手を伸ばせる日はくるのでしょうか。
彼女が手を伸ばす先にぼくがいなくてもいい。……できれば、ぼくがいいですけれどね。
あの子が幸せならばいいのです。
未だに付き合い方がよくわからないヤブさんを相手に、勇者さんは「また変な魔族と出会っちゃったなぁ」という表情をしていました。
なるべく勇者さんの負担を軽くするべく旅行鞄と大剣を運ぶぼくは、ふたりを見ながらヤブさんから聞いた話をぐるぐると反芻していました。
剣の重さも気にならないくらい、彼女からの話は……。
ぶんぶんと頭を振ります。今は考えていても仕方ありません。
わかっていた……ことでもありますから。
「魔王さん?」
「は、はいっ!」
「どうしました? なんだかぼーっとして……あっ、もしかして、私の病気がうつって……」
赤い目に不安の色が落ちました。
「そ、そういうわけではありません! というかぼく、病気しませんから! ね? 安心してくださいなっ」
「……そう、ですか」
あの一件以降、勇者さんは本調子ではないようです。……いや、ぼくを心配してくれていることに対して本調子じゃないというのは失礼ですけど、軽口を叩いたり感情を隠したりといった対応を取れていません。素直ないい子が全面に出ていることと……自分の行ったことを気に病み続けていること。まだ飲み込めていないのでしょう。
「やっぱり剣は私が持ちます。魔王さんには重いし痛いでしょう、それ」
「だめです。全快していないきみに持たせるわけにはいきません。それに、この剣はきみにとっても重いはずです」
「……それは」
「いーからいーから、一旦休憩にしますよ。ほら、お水飲んでくださいな」
「……わかりました」
いま、勇者さんの荷物はミソラさんだけです。いやぁ、両手で抱きしめながら身軽に旅をする勇者さん、かわいいですねぇ。彼女に大剣は大きすぎるので、ない方がお姿がよく見えるんですよね。うんうん、いい感じです。
短剣と懐中時計は身につけている物ですし、心配はいらないでしょう。
いやはや、まじでミソラさんをプレゼントして正解でした。ナイスぼく。
ちょっとばかし高い買い物でしたがまったく気になりません。金貨も喜んでいることでしょう。
休憩の際、勇者さんはミソラさんが汚れないように膝の上に置きます。ビップ待遇ですよ。羨ましいです。ぼくも座りたい。
「…………」
ぬいぐるみなのでしゃべるわけないんですけど、どうにも青い目が勝ち誇っているように見えます。本気で眼科行こうかなぁ。あ、ここに医者がいましたね。ぼくにとってはヤブ医者になりますが。
「勇者クン、腕を出しておくれ」
ヤブさんは定期的に勇者さんの脈を測ります。手首で測る方法なので、少しずつ触れられることに慣れればよいのですが……。
いえ、急かしてはいけませんね。
ミソラさんを胸に、勇者さんはそっと手首を差し出します。
おっと、リラックスさせなくては。
ぼくはカメラを取り出すと、しっかり構えました。
「ミソラさんとのツーショットを撮ってもいいですか?」
「魔王サマ、アタシも入れてスリーショットにしておくれ~」
ファインダーの向こうで割り込んでくるヤブさん。ちゃっかりダブルピースしています。
「邪魔です」
「いいじゃないかぁ。思い出だよ、思い出。うははは~」
「邪魔です」
「つれないなぁ。ねえ、勇者クン?」
ぼくとヤブさんは大体こんな感じです。いつもの勇者さんの立ち位置にぼくがいる感じがしてむずがゆいですが、こうして言い争って(?)いると、彼女が小さく笑ってくれるのです。
それが心の安定を招く。手の震えも止まるのでした。
安堵した顔の勇者さんを見ていたぼくは、シャッターボタンに置いていた指につい力が入ってしまいました。新規データが記録されます。
おわっ……ど、どうしましょう。今のはほんとうにわざとではないのですが……!
勇者さんに怒られる前に消そうと液晶モニターを見たぼくは、映し出された彼女の微笑みがあまりに愛おしく、消去を選ぶことが心惜しくてたまりません。
残しておきたい。永久に。優しい顔なのに、胸が苦しくなってきました。
泣きたくなるくらい儚いものです。壊すには簡単すぎて、守るには脆すぎる。
ぼくの前で消えようとした命がまた輝いている。いまこの瞬間も奇跡だと思える。
……ああ、なんて愛おしいのでしょう。
ぼくのわがままだとわかっていても、まだ命の灯が消えないでほしいと願ってしまう。
何も気にせず心の底から本音をさらけ出せるような日が来なくてもいい。
弱くても小さくてもいい。この笑みが不条理に飲み込まれ、痛みに埋もれることがなければそれでいい。
この写真を消したくない。いつまでも持っていたい。
けれど、彼女に断りなく保持することは許されません。
「勇者さん、今ですね、シャッターボタンに手が当たってしまいまして、一枚撮ってしまったのですが……ええと、とってもすてきな写真が撮れたので保存してもいいでしょうか……!」
カメラを抱きしめて懇願するぼく。「だめです」という言葉を脳裏に浮かべていると、彼女の声で聞こえたのは「いいですよ」という言葉でした。
「へっ⁉ い、いいんですか⁉」
「変な写真を保存されるよしマシです」
「勇者さんが写っていれば変な写真でもすてきになりますよ」
「……。おかしなこと言っていると消しますよ」
「うぎゃっ! す、すみませんありがとうございますこれを保存します」
超珍しく、勇者さんからお許しが出ました。
ど、どうしたのでしょう。明日は雨ですかね……?
って、いいのです。やったぁ~、やりましたよ。現像して持っていようっと!
この写真、とてもすてきですが、泣きたくなってしまうので見る時と場所は選ばないといけませんね。勇者さんの前で突然泣いたら、それこそ病気を心配されます。
勇者さんに心配されるのもうれしいですが、心配させたくはないので……っと、堂々巡りになりますね。
休憩を終えたぼくたちはまた歩き出し、やがて町に辿り着きました。
「いい感じだねぇ。もう数日休んで、最後に検査をしたら晴れて自由の身さぁ」
「私、囚われの身だったんですか」
「病のねぇ」
「なるほど……?」
「あと、注射と飲み薬からの」
「なるほど」
深く頷く勇者さん。嫌なんですねぇ、注射とお薬。特に錠剤はうまく飲めなくて苦戦しているのを何度も見ています。飲もうとしても吐きそうになるので、なかなか難しいようです。
実際に、何度か吐いて咳き込んでいました。「ごめんなさい」と謝る勇者さんは「薬を飲むのがへたっぴみたいです」と笑おうとしましたが、その目にはあの時と同じ色が滲んでいました。
薬を口の中に放り込み、手で塞いでなんとか飲もうとする姿は痛々しく、これまた見ているのがしんどいものでした。
きっと、苦手の中に言いたくない理由があるのでしょう。
ぼくは記録を探ることはしませんでした。過去は変えられません。事情があると察したのなら、彼女のプライバシーを侵す必要はないと思ったのです。
注射の時は驚いてしまって……言い訳ですね。
あれ以来、必要を感じた時以外は彼女の記録を見ない。そう決めたのです。
助けたくて手を伸ばしても、記録の中の彼女には届かない。その虚しさが辛い。
あの子が泣かないから、とぼくの目からは簡単に涙がこぼれてくる。
それを勇者さんに見せたくはないのです。
きっと、困ったように笑いながら「泣かないでください」と言ってくるでしょうから。
宿を取り、勇者さんの運動も兼ねて町を散策することにしたぼくたち。
ひしひしと感じる大剣の痛みと重みを必死の笑みで誤魔化しながら、ぼくは勇者さんとヤブさんの一歩後ろをついていきます。
ヤブさんは医者としての役割から、非常によく勇者さんを見てくれています。
いろいろと考えまくって思考が定まらないぼくよりも適任だと思いました。
今は彼女にお任せしましょう。敵意の欠片も感じませんし、なんかもう味方でいいやえーいって感じです。
「食べたいものはあるかい? なんでも言うといいよ~。魔王サマが奢ってくれるからねぇ」
「それはもう……ええ、お任せくださいなんでもいいですよお食べぇ……ヴッ……」
「だいじょうぶですか?」
勇者さんは大剣とぼくを交互に見て身を案じてくれました。おずおずと剣を取ろうとする手にぶんぶんと首を振って応えます。
「ぜーんぜん平気でっす!」
「空元気……」
「元気がほしいのかい、魔王サマ? アタシのスペシャルでやばーいお薬でも……」
横から割り込んでくるのはいつの間にか謎の器具を持つヤブさん。帰りなさい。
「いいいいいいいい結構です! あっ、ゆ、勇者さん。おいしそうなパフェがありますよ! どうですかカロリー爆弾ですよ最近お腹に優しいものばかりで甘いものを食べていませんよねそろそろお口がさみしがっている頃ではありませんか!」
「まだいい……です。ごめんなさ――」
「謝ることではありませんっ! 食べたいものを食べたい時に! そう、臨機応変!」
「合っているような違うような~って感じだね、魔王サマ」
「医者は黙っていてください!」
「いま医者関係あったかい?」
ぶかぶか袖をやれやれと振るヤブさんは、あっと声をあげると走り出し、とある店の前で「勇者クン~」と手を振りました。
「おだんご売ってるよ~。おだんご! どうだい? みたらし団子~」
「おだんごも甘いですけどぉ~?」
「パフェより優しい甘さだろう。お腹にもたまるし、一本食べようじゃないか~。魔王サマ、お財布お財布」
「ぼくはきみの財布じゃありません!」
ぎゃーぎゃー言いながらみたらし団子を三本買ったぼくたちは、店先に置かれた椅子に座って食べ始めました。
みたらし団子をすすめたヤブさんは「餅は危険だった……よく噛んで食べるんだよ、勇者クン!」と青ざめていました。なんだこのひと。
「食べないんですか?」
「勇者クンが餅を詰まらせてもすぐ対応できるようにしておかないとね!」
「そんなに気にしなくていいのに……」
「餅は危険なのさぁ! よく噛んでおくれ!」
「……勢いがこわいな、このひと」
それには同感です。ぼくは串をくわえながらふうと息をはきました。
おだんごを食べる勇者さんは……うん。無理して食べている様子はありませんね。
ヤブさんの視線の対処方法に悩んでいるようですが、もぐもぐと口を動かしておいしそうに食べています。
おだんご一本。それだけと言えばそれまでですが、体調を崩した彼女を思えばじゅうぶんです。
もう少しですね。きみが元気になるのは。のんびり待ちましょう。
まだ青ざめているヤブさんを横目に見ていた時でした。
ぼくたちに近づいてくる人間に気づきました。
勇者さんの両隣を固める魔族ふたりがぴくりと注意を向けます。
彼女はぼくたちに隠されたまま、フードの先を指で掴みました。
「お食事中、申し訳ありません。先ほど、『勇者』という言葉が聞こえたのですが……。ああ、そうだ。やはりあなたは勇者様です。感じます」
男性は、なぜか安心したように笑みを浮かべました。
んん? なんでしょうか。
「どうなさいましたか?」問うたのはぼくです。
「実は、わたしの娘が重い病を患っていまして、医者からはもう助からないと言われたのです」
「おや、それは……」
「勇者様のお力でどうか助けてはいただけないでしょうか」
男性はぼくを見つめて頭を下げました。例のごとく、彼女ではなくぼくを勇者だと思っているようですね。それはもういいとして、問題はお願いの方です。
勇者に病を治す力はありません。治癒魔法を持っていれば対応できるかもしれませんが、魔法にも限度があります。
勇者は神の使者。世界でただ一人の平和と正義の象徴です。それゆえ、畏敬の念を抱くあまり神格化する人もいます。本来勇者が持ちえない力を信じている者も多い。
推測するに、彼もそのひとりでしょう。
旅をするなかでこういったことは珍しくありません。
ぼくは冷静に慎重に対応します。
「勇者にあるのは魔なるものを倒す力です。病を治すことはできないのですよ」
「……承知しています。助けてほしいというのは、娘を安心させていただきたいのです。治療で苦しい思いをしている娘を……お願いします」
こういった頼みもよくあります。勇者という存在に祈りを抱き、安らぎを求める。
人間にとって信仰の対象。これは、聖女にも行われることですが、勇者に対する尊敬と畏敬は比べ物になりません。
ただそこにいるだけ、手を握るだけ、それだけでも意味が生まれるのです。
……どうしましょう。まだ勇者さんは回復していません。あまり精神を揺さぶるような場面に合わせたくはないのですが……。
迷っていると、ひょこっと顔を出したヤブさんが「アタシが診ようか?」と提案しました。
「あなたは勇者様のお仲間ですか?」
「そんな感じさぁ。アタシは医者をやっている者でね、よければちょっと娘さんを診せてはくれないかい? もしかしたら、まだできることがあるかもしれないよ」
「で、ですが、医者からはもう打つ手がないと……」
「希望を持ちたまえ~。この世に医者が何人いると思っているんだい。そいつにはできなくてもアタシにできる。その可能性を信じるのも悪くないと思うよぉ?」
ぶかぶか袖で指され、男性から次第に戸惑いの色が消えていきました。
「ぜひ、お願いします」
「よしきた~。それじゃあ、行ってくるよ~」
先に宿に戻っているようにと手を振ったヤブさんの袖を、勇者さんがパシッと掴みました。
「どうしたんだい? 心配しなくてもアタシはキミの担当医。診たらすぐに戻るよぉ」
小声で話すヤブさんに、彼女は「私も一緒に行ってもいいですか」と訊きました。
「そりゃ、勇者という存在がいれば話が早くなるから助かるけど、いいのかい? キミ、あまり人が得意じゃない――」
「あなたの仕事をそばで見たいんです」
「おお?」
「病気を治す医者。初めて見ました。もっと知りたいと思ったんです。そうすれば、少しはなにか……変わるのかなと思って」
「……。いいよ~。行こうか、勇者クン」
許可したヤブさんは、ぼくに視線をやって『この子は魔王サマが見ていてねぇ』と伝えてきます。
それは構いませんが、だいじょうぶでしょうか。勇者さんの申し出にはぼくも驚きました。てっきりすぐに宿に戻ると思ったのですが……。
それに、「なにかが変わる」というのも……。
不安が渦巻く胸を抱え、ぼくは男性の案内で家にやってきました。
通されたのは二階の一室。
「勇者様とその仲間のお医者様をお連れしたよ」
「勇者様⁉ ほ、ほんとうに来てくださるなんて……!」
すでに涙目になっていた女性――母親でしょうか――は、しずくをぽろぽろ流して感謝の意を表したのち、ベッドへと誘います。
「どうぞこちらへ……。私たちの娘です。この町のお医者様によると、悪化してもう治る見込みがないと……。どうか、お力を、どうか……!」
「ちょっとごめんねぇ。勇者様の力を借りる前に、アタシが診てもいいかい?」
切ない空気をぶち壊し、いつもの声色で乱入するヤブさん。
虚を突かれたような女性は、ぼくとヤブさんを交互に見ながら恐る恐る「どうぞ」と場所を開けました。
勇者さんの存在にいま気づいたと言わんばかりに目をやる両親に、ぼくは勇者の仲間だと説明してさっと隠します。
「はい、失礼するよ~。聴診器じゃーんっと。心臓の音をもしもし~」
ベッドの中でぽかんとしている少女に、ヤブさんは流麗な動きで診察をしていきます。少女や両親に質問をしながら片手でカルテを記入し、片手でぬいぐるみを操るヤブさん。器用ですね、このひと。
聞いた病名から薬を調合し、注射器を用意していきます。
「さて、お注射の時間だよ~。はい、これお願いねぇ」
勇者さんにぬいぐるみを渡し、ヤブさんはきらりと輝く注射器を少女に見せました。
一瞬で泣きそうになる少女に、慌てて近寄る勇者さん。
ぬいぐるみで顔を隠し、もふもふの手を操ります。
「が、がんばれっ」
「…………」
「えい、えい、おー……ですよ!」
「……うん、がんばる」
「……いい子ですね。わた――僕の手を握って?」
差し出したふわふわな手。少女はぎゅっと掴み、こくりと頷きました。
ヤブさんが滑らかな動作で注射し、それを見届けた勇者さんがもう片方の手で少女の頭を撫でました。
「よくがんばったね。ええと……シールどうぞ」
おずおずとお花のシールを取り出した勇者さん。少女はうれしそうに微笑むと、それを受け取りました。
ほっと息をついてベッドから離れる勇者さん。ぬいぐるみを返し、ぼくの隣で胸に手を当てる彼女。「お疲れさまです」と労い、両親に説明するヤブさんに意識を向けます。
「びっくりして聞いてほしいんだけどねぇ、これで治るよ~」
「……ほ、ほんとですか⁉」
「いい驚きだねぇ。嘘は言わないさぁ。しばらく安静にして終了だよ。あとは主治医とか……いるだろう? その人に聞いておくれ」
「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます!」
「なんとお礼を言ってよいか……! ……あの、治療費はどれくらいでしょうか?」
あ、そういえば。お金の話を全然していませんでしたね。
勇者さんの治療費はいくらでも払えますが、彼らはどうなのでしょうか。
「え? お金? うははは~。いらないいらない」
「えっ。そ、そういうわけには……」
「いーのいーの。治ってくれればいいのさぁ。キミ、元気になるんだぞ~」
ぶかぶかの袖を振って少女に別れを告げ、ヤブさんはそそくさと階段を下りて帰っていきます。
「あの、勇者様っ」
「ぼくは何もしていませんが、彼女のことは信じてもらってだいじょうぶだと思います。安心してください。きっと良くなりますよ」
「あ、ありがとうございます……。きっと、娘を諦めないで治療してくれたお医者様と出会えたのも勇者様のおかげです」
おや、そうきますか。まあ、お好きなように考えていただければと思います。
「あなたも、娘をリラックスさせてくれてありがとう」
「……いえ、ぬいぐるみの力ですよ」
勇者さんはお辞儀をし、ヤブさんのあとを追います。ぼくもあれこれ笑顔で応えると、彼らの家を出ました。
「ちょっといいですか?」
袖を掴んで言うぼく。
「なんだい?」
「あれでほんとに治るんですか? 医者が諦めた病なのでしょう?」
「アタシは諦めなかった医者だよ~」
「注射一本で治るんですか」
「びっくりだよねぇ」
彼女の態度はずっとこんな感じです。ゆえに掴みきれない。安心するような不安なような、絶妙な感情になります。
「人間にとっては天才医師……でしたっけ」
「さっきの病気だけどね、人間たちの間では確立されていない薬を使ったんだよ~」
「はい? それ、だいじょうぶなんですかぁ?」
不審を露わに訊くぼく。
「アタシは魔族だから、人間を治療するって決めてから独学でいろいろ学んでねぇ。人間界の医学知識は入れつつも、アタシの知識を放出する少なくてさぁ。噂だけで広まる程度だから、それで治療しようと考える医者はいないんだよ。もしいたら短絡的思考の医者ってことでヤブ確定さぁ」
ヤブさんが言うとおもしろいですね。
「魔なるものたちの中には噂を聞きつけてやってくる者もいたね。アタシの一番弟子だけど、元々の目的のためにひとり旅中さぁ」
こんなひとにも弟子がいるんですねぇ。変人でも腕は確かということでしょうか。
「アタシしか知らない治療法がたくさんあるのさ。だから、医者が諦めてもそれはアタシが諦める理由にはならないのだよ~」
「すてき……ですね」勇者さんがほっと息を吐きながらいいました。
「いやぁ、うははは~」
「では、これまでも助からないと言われた人たちを救ってきたんですか」
「そのとーりさぁ。魔なるものは殺しまくるけど、人間は助けまくる。それがヤブの力なのだよぉ」
「……ふふっ、おかしなひとですね」
ヤブさんの隣を歩いていた勇者さんは、ほんの少し歩みを緩めました。
わずかに位置がずれるふたり。
「おや、疲れちゃったかい?」
「……いえ、だいじょうぶです」
笑顔を繕っている勇者さん。自身の手首を掴んで力を込めているのが見えました。
ヤブさんの行動、信念、功績。そのどれもが称賛に値します。
人間の命を救っていることにはぼくからも感謝の意を表したと思うくらいに。
ヤブさんは、一言で表現すれば『立派なひと』です。
そんなひとを目の前で見て、彼女はどう思ったでしょう。
勇者としての使命を放棄……しているつもり、不真面目を主張、誰とも関わりたくないと目を閉じ耳を塞ぐ彼女は、一体なにを感じたのでしょう。
ひとには向き不向きがあります。仕方のないことです。勇者さんにヤブさんと同じことをやれと言うひとはいないでしょう。けれど、勇者ならば勇者としての役目を果たせと言うひとはいるでしょう。
物語に介入しないように目を背ける彼女は知っています。
見れば手を伸ばしたくなることを。助けたいと思ってしまうことを。
中途半端に関わって物語を壊したくない。その想いをぼくは尊重します。それが勇者として、人として正しくないとしても、です。
それで彼女が傷つくのなら、ぼくの隣にいるだけでいい。
それでも、こうして誰かと出逢うことは避けられない。出逢いはいつも思い出を連れ、時に苦しみを置いていく。
まったく生きづらい子ですね。なるべく目を背けようとして俯き、見たら見たで自分の愚かさを咎める。役に立て、意味を残せともうひとりのあの子が責め立てているのでしょう。
なんて愚かな子。どんなに世界から孤立したとしても、彼女は自分で自分を苦しめ続けるのでしょう。
ぼくは足を速め、勇者さんの隣に立ちました。
「ヤブさんは言わずもがな、勇者さんもよい働きでしたね」
「私はなにもしていませんよ」
「いーえ! ぬいぐるみ勇者さんをお忘れですか?」
「あれは……ぬいぐるみの力だと言いました」
彼女の俯き具合は変わりません。ぼくは気にせず語ります。
「ぬいぐるみが勝手に話すことはありません。きみのおかげで、ヤブさんは難なく注射することができたのですよ。そうですよね?」
「おお、そうだとも~。こどもの注射嫌いってすごいんだよぉ。あれほどすんなりいったのは久しぶりさぁ。勇者クンのおかげだね」
「ぬいぐるみパワー……」
眉を寄せて頑固な勇者さん。
「キミの存在は、あの時の魔王サマと同じなんだよ。キミなら、この意味がわかるだろう?」
「…………」
無言ではあるものの、ハッとした表情をした勇者さん。「魔王さんと同じ……」とこぼし、くすりと笑いました。
「それなら、私も少しは役に立ったんですね」
「いーや、大いに、さぁ。来てくれてありがとうね、勇者クン」
「いえ、私が望んだことですから」
穏やかな空気が流れたことに安堵した時、どこからか「医者はいないか!」という声が聞こえました。
『④医者の役割』お読みいただきありがとうございました。
ちょっと元気になってきた勇者さんです。よかったです。