335.物語 毒も薬も名医もヤブも紙一重 ①かくしごと
本日もこんばんは。
物語パートになります。例のごとく普段のSSと温度差があるかもしれませんのでお気をつけくださいませ。サブタイからわかる通り、今回は夢と希望とロマンが詰まったお話です。
ちょっと勇者さんがしんどい感じになっていますが、元気よくお読みください!
(残酷描写があります。苦手な方はお気をつけください)
【今回からの変更点】(読まなくてもいいです)
今回から物語パートをいくつかに分割して投稿することにしました。確認や訂正の時に短い方が便利だからという理由です。
分割していますが一話分という扱いには変わりませんので一気に投稿します。あんまり長い時は考えますが、今のところは終わりまですぐ読めるようになっています。
少しずつ読むもよし、一気読みするもよし。お好きな読み方をしてくださいませ。
分割量は一話、約五千字から一万字程度です。長さの目安としてお考えください。
『毒も薬も名医もヤブも紙一重』は6分割構成です。
それではどうぞ。
あの子は隠しごとがあまり上手ではありません。おばけが苦手なのに平気なふりをして、小さな物音にびっくりしていたり。
ほんとうはこどもを見守るのが好きなのに人間が嫌いだからと目を逸らし、ふとした時に幼子たちが遊ぶ様子を眺めていたり。
言っていることとやっていることが矛盾しまくる彼女はとても愛おしい。
自分でも気づいているはずなのに違う違うと言い続け、優しさのない悪い子を演じている。それでも隠しきれないのは、きっと彼女の優しさゆえでしょう。
あの子は隠しごとがとても上手です。自分の体を襲う痛みや苦しみを押し込んで気づかないふりをするのが上手です。隠せないと思ったケガ以外はなるべくひとりで処理しようとするし、それすらしない時もあります。
痛み、苦しみ、悲しみを持つのが当然だと考えている。彼女は自分の苦しみから目を逸らして耐えようとするのです。もはや、無意識的な行動でした。ゆえにぼくも気づけない。ぐっと目を凝らしてやっとわずかにわかる程度。彼女自身すら騙すその癖は、いつだってあの子の痛みを増やすだけでした。だからなるべく口うるさく、うざがられてもいいからとぼくは言葉を発し続けるのです。
ふたり旅を始めてから今まで、彼女はよく体調を崩しました。本人が気づいていない時もありました。それが体調不良であると理解していないこともありました。少しずつ、少しずつ、ぼくが説明して処置をして、やっと彼女の中に知識が増えていく。
ああ、これが病気で、こういう処置をして、こうして治っていくのだと。
初めて見るかのように不思議そうな顔をしてぼくの行動を眺めるのでした。
病院や医者を嫌がる勇者さんです。なるべくふたりだけで完結するように努めてきました。おかげで、ちょっとずつ薬も飲んでくれるようになりました。気にしなくていいと言う彼女に口をへの字に曲げて不満を表し、快復するまで旅を再開することはしませんでした。ぼくたちの旅はそうやって続いてきたのです。
体調を崩さないことが一番です。気温や食事、精神状態に気をつけていますが、それでも彼女は苦しみを抱く。
なんて脆い生き物なのでしょう。
ぼくは、小さな命がいつ消えるかと怯えていることに気づかれないよう、彼女に微笑みを浮かべて接しました。
いつものくだらない会話が奇跡であることを実感しながら、ぼくは勇者さんが元気であることを祈ります。
そのおかげか、神様のいたずらか、ただの偶然か、勇者さんは体調を崩しては回復し、また旅に出ることができました。
生命力の強い子なのかもしれません。そんなことを彼女に言ったら不満がることは明々白々。口が裂けてもいえませんね。
元気ならいいのです。それだけでじゅうぶんです。ぼくの隣にいて、おしゃべりをしてくれれば。
――けれど、世界はいつもあの子を苦しめる。
ぼくは、水を入れたコップと薬、濡らしたタオルをお盆に乗せ、ため息をつきました。
鏡を見なくても浮かない顔をしていることはわかっています。
ここ数日、ぼくはずっと同じ顔をしているでしょう。その理由ですか? もちろん、お話しましょう。
ある日のことでした。いつものように宿でのんびりしていた時、勇者さんの顔色が悪いように思ったのです。
だいじょうぶですかと問えば、あの子はだいじょうぶですと答えました。
けれど、ぼくの目線を感じて「今日ははやめに寝ます」と寝室に消えた勇者さん。
体調を崩す前兆を感じ、ぼくは薬の確認をしました。
隣のベッドで眠る勇者さんを起こさないよう、夜間に顔色や呼吸の確認をするのにも慣れてきたぼく。
「……だいじょうぶそうですね」
翌日。
「勇者さん、朝ごはんにしましょうか」
「……はい」
「だいじょうぶですか? 具合は――」
「あの、私、朝ごはんいらないです。もったいないので魔王さんだけ食べてください」
「体調が悪いのですか?」
「…………。動けはします。なにかあったら呼んでください。もう少し寝る、ので」
「あっ、お薬とか! せめて水分だけでも……」
ぱたりと閉じた扉が不安で仕方ないぼく。
体調が悪い。具合が悪い。どこどこが痛い。彼女はそういうことをほとんど伝えてきません。
ただ、旅をするなかで気づいたことがありました。言葉にしない代わりに態度に出るのです。
なにかしらに不調があると、あの子は食事を摂らなくなります。水分すら。
なにが彼女をそうさせるのかわかりませんが、その点は非常に頑固でした。
おかげといってはなんですが、ぼくは体調が悪いのだとすぐにわかります。
食べることが好きな彼女が何も食べなくなる。意外にも、こういったことは頻繁にありました。
眠るあの子を起こすのは胸が痛みますが、水分は重要です。風邪ならそれ用の薬もありますし、悪化する前に飲むことが大切です。
ぼくはこの時もコップと薬を持って行きましたが、すでに眠りについていた彼女を起こしてよいものかと悩みました。
顔色や呼吸は……ふつう、でしょうか。熱は……。
「……ごめんなさい。少し触れますね」
断りを入れ、額に手を当てました。うん、熱はなさそうですね。
眠れば治るでしょうか。さっぱりしたご飯を作って待っていましょう。
近くにいられるのは嫌でしょうから、あまりここにいるのもよくないですね。
そう思い、部屋をあとにしたぼく。定期的に観察しつつ、昼頃になりました。昼食を食べられそうか訊くために部屋を訪れた時に異変は露わになりました。
「勇者さん、お昼になりましたけど、具合はどうですか?」
扉の隙間から訊きますが、返事がないのでそばに近寄りました。
「勇者さん――」
そこで気づきました。ベッドで眠っていたあの子が苦しそうに顔を歪めていることに。
「勇者さん⁉ だいじょうぶですか。どうしました⁉」
いやな汗を流し、うなされている様子の勇者さん。呼吸が浅い。
どうして。さっきまでこんなじゃなかったのに。いつから? いや、そんなことどうでもいい。
「勇者さん、勇者さん、聞こえますか? お医者さんに行きましょう」
「…………」
ぼくの声に反応し、彼女は薄く目を開けました。
「ごめんなさい、触りますよ」
ルームウェア姿の勇者さんに上着をかけ、フードを被せて背負いました。
「…………医者は、いや、です……」
背中から聞こえた小さな声。明確な拒否でしたが、それに応えるわけにはいきません。
「だいじょうぶです。ぼくがついていますから」
「…………」
ぼくは宿の主人に医者の場所を尋ね、転がるように駆け込みました。
ところが。
「……っ黒髪か。悪いが他をあたってくれ。患者さんが不安がる」
「どういうことですか。ただの色ではありませんか」
「場所を考えてくれ。ここは病院だ。不幸で不吉の黒を見たら死を連想させるだろう」
「病気かもしれないのです。どうか診てください」
「なおさらだめだ。黒髪の病人なんて不吉でしかない」
「なんてひどいことを……!」
こんなこと、勇者さんに聞かせたくない。ぼくは不満を叫びそうな心を抑えて病院を飛び出しました。
幸い、ここは少し大きな町です。医者は他にもいる。
ぼくは別の診療所にやってきました。
「苦しそうなのです。診療を……治療をしてください」
「黒髪……。ああ、いや、すまない。ちょっとその子は……」
「だから、ただの色でしょう! この子がなにをしたというのです!」
「あっ、いや……。わ、わかった。ベッドに寝かせてくれ」
彼の態度に苛立ったぼくの剣幕に負け、医者は診察を承諾しました。
ほっとしたのもつかの間、瞳孔の確認のためにライトを持った医者が勇者さんの目を開けた時。
「うわぁぁぁぁ! ま、魔族だ!」
赤い目を見た医者が叫び声をあげ、椅子を倒しながら後ずさりました。
しまった。この診察のことを忘れていた。
「魔族ではありません。たまたま赤い目を持っているだけの人間の少女です」
「ばかをいうな! 黒髪で赤目だぞ! 魔族じゃないか!」
「ほんとに偶然なんです。お願いします。診てください」
「冗談じゃない。ここには他にも患者がいるんだ。帰ってくれ」
ぼくは万が一の時用に準備していた金貨を荒々しくテーブルに乗せました。
「これでどうですか」
人間はお金が好きですよね。お金のためなら悪事にも手を染める。でもこれは悪事ではない。医者としての仕事を頼んでいるだけです。なにも問題はありません。
「金を積まれてもやらんぞ。黒髪は許せても赤目はだめだ。お前は赤目がどういう意味かわかっているのか」
「魔族と同じ色でもこの子は魔族ではありません」
「同じ色ってだけでだめなんだよ。帰ってくれ。頼む。これ以上同じ空間にいたくないんだ。おそろしい……不吉な色のせいで誰かが死ぬかもしれないんだ」
「なにをばかなことを」
「赤目の人間なんて存在自体が悪だって言ってるんだ」
「なっ……!」
ぼくは信じられないという目で医者を見ました。彼は罪悪感などない表情でぼくを見つめ返します。
「病気なのはかわいそうだが、はやめに死ぬのがその子のためだ。そんな色を持ったままじゃ、まともな人生なんて歩めやしない」
「きみは医者じゃないのですか」
「医者さ。人間のな」
「……もういいです。お邪魔しました」
奪うように勇者さんを背負い、金貨を握りしめてその場をあとにしました。
他に医者は? もうひとりくらいいるでしょう。
病院。診療所。ええと、ええと……。
彼女の浅い呼吸を感じながら、町を駆け回ります。
目を見られないようにすればいいのです。ぼくが隣にいて圧でもかけながら診察させましょう。信じられない金額の金貨を積むのもよいですね。
走り回って見つけた三件目。ところが、ここも同じでした。
人間だと主張しても、金貨を見せても、懇願しても、態度は変わりません。
それどころか、医者は勇者さんに向かってナイフを見せたのです。
「信じられません……。この子は人間なのですよ?」
「不幸を招く存在だ。排除して何が悪い」
「医者なのに命を奪おうとするなどおかしいです」
「他の患者たちを守る行動だ。まさしく医者の行動だと思うが」
「苦しそうなこの子を見てもなにも思わないのですか」
「思うとも。死んでくれってな」
「……っ!」
ガマンの限界がきていたぼくは、力の制御ができそうもありませんでした。
なんでそんなことを言うのです。不幸を招く? ただの色が?
いい加減にしてください。この子が一体なにをしたというのです。
人間は大好きです。大切です。ぼくの守りたいものです。
けれど、こんなやつは守りたくない。殺していいかな。いいですよね。だってぼく、魔王ですから。ちょっとガマンできそうもありません。この医者、殺した方がよくないですか? 勇者さんには見えないようにしてさくっとやって――。
「……だ、めです」
震える声。苦しそうな声。だけど、ぼくを諫める確かな声。
「勇者さん……」
「……あなたに、人間を傷つけてほしく、ない。構い、ません。こんなの、いつものこと、です……」
「でもっ! あまりにひどいですよ!」
首を横に振る気配。
「……もう、いいです。魔王さん、私、帰り、たい……です」
「…………っ。わかりました。ごめんなさい。帰りましょうか」
ぼくの肩を掴む手に力がこもっていました。
ああ、ぼくとしたことが。苛立って気づかなかった。眠っているからと油断しました。
彼女はすべて聞いていた。自分に向けられた悪意を弱った体で受け止めていたのです。
助けたいがために傷を増やしてしまった。ぼくのわがままで苦しめてしまった。
帰りましょう、ふたりだけの場所へ。
宿に戻り、ベッドに寝かせた勇者さんの隣で考えました。
眠ったら良くなる? 薬はなにを飲ませたらいい? これはなんの病気? そもそも、病気なのでしょうか?
肩で息をする彼女は顔を歪ませ、時折ぐっと布団を握りしめていました。
苦しそう……。でもぼくは、何もできない。
せめて治癒魔法で苦痛を軽減させたい。けれど、この子には効かない。
ぼくが魔王で、彼女が勇者だから。
不安が募るなか、ぼくは一晩中彼女の隣でこぶしを握り続けました。
翌日、ぼくは勇者さんを背負って別の町に移動しました。
諦められないのです。医者はいくらでもいるはず。その中に、金のためならなんでもする人は必ずいる。
勇者さんにごめんなさいと繰り返しながら医者を巡り、断られ、巡り、断られ……。
食事を摂れない彼女はどんどん弱まっていきました。なんとか水を飲ませますが、それもほんのわずかな量です。途中から熱も上がり、さらに体力を消耗させていきました。
必死なぼくを見て「魔王さんの方が体調悪そうですね」と笑みをこぼしたのを最後に、彼女は目を覚ますこともなくなりました。
ぼくの中に心配と焦燥が渦巻き、それが少しずつ変化していくのを感じていました。
「……まだ、いやですっ!」
それから目を逸らし、何か所もの町と医者を巡ったある日。
勇者さんが体調を崩してから一週間が経った頃。
「……誰もいない。どうしてこんなに世界は優しくないのでしょう」
何軒目かの宿の一室でぼくは目覚めない勇者さんを見ていました。
衰弱し、呼吸がどんどん浅くなっていく彼女。体力が限界に近づいたせいか、布団を握る手は開かれてなにも掴んでいません。わずかに震える指先がぼくの胸をしめつける悲しみを連れてくる。
「勇者さん」
呼んでも応えはありません。もうずっとです。
「……まだ、きみからあの言葉を聞いていませんよ」
「…………」
「ここが終わりなのですか。こんなおしまいなのですか」
もちろん応えはない。けれど、ぼくにとってはそれが答えでした。
「…………」
すぐそばの机の上。ぽつんと置かれた短剣。手に取り、鞘から抜き取る。
彼女がいつも丁寧に手入れをしているそれは、きらりと反射してぼくを映しました。
くすんだ青色。とてもきれいな色には見えませんね。
ベッドに腰かけ、疲労の色が濃い勇者さんを見つめました。
じっとりと汗に濡れた髪が乱れているのを直そうとして手を伸ばし、肌に触れないようにそっと動かします。
医療行為として肌に触れざるを得ないものはすべて謝ってから行いました。それ以外のことは……たとえば頭を撫でるとか頬に触れるとか抱きしめるとか。一切していません。
熱の苦しさからうめき声をあげた時も、思わず触れようとして自分を抑え込みました。
ぼくの軽率な行動が彼女にどんな苦痛を与えるかわからないのです。
ほんのわずかな距離を空け、ぼくは絶対に触れることをしませんでした。
触れるとしたら、それはさいごの時。
そう思い、歪む顔もそのままに耐え続けました。
彼女にとって、ぼくの手は安心できるものではない。……まだ。おそらく。
心臓を抑えながら短剣を握り、かすかに上下する勇者さんの胸に持っていきます。
「……いやです、勇者さん。ぼくたち、まだお別れの言葉も言ってないんですよ?」
「…………」
「勇者さん……」
病気で死ぬことすら許されない彼女。突然やってきた終わりだとしても、終わりであることに違いはない。
その呼吸を止めるというのなら、ぼくの手でやらなければ。
それが勇者さんとの約束であり、彼女のためになるのだから。
せめて、一度だけでいいから抱きしめたい。
けれど、彼女の承諾なしに抱きしめたくはない。
短剣を握る手が震えて仕方ありません。堪えている涙がこぼれ落ちそうで困ります。
「……ぼくのわがままで長い間苦しい思いをさせてごめんなさい。いま、楽にしてあげますからね」
ぼくは決して手元が狂わぬよう、力をこめました。
「……おやすみなさい、勇者さ――」
「ちょっと待ったァ‼」
背後の扉がとんでもない音とともに開き、とんでもない声量で飛び込んできた者がいました。驚いて短剣を落としそうになり、そのことに慌てたぼくは思わず短剣をぶっ飛ばしました。どこに、ですか。ええと、乱入者の方にです。
「あぶなぁ⁉ ちょっと~、なにするんだい」
「す、すみません。びっくりして……って、誰ですかきみは」
「アタシかい? 見りゃわかるだろう」
ぶかぶかの白衣。首には聴診器。長い前髪が目を隠し、紫色の髪を揺らしています。
勇者さんのことばかり考えてまったく気がつきませんでしたけど、このひと魔族ですね。
「どう?」
「医者のコスプレをした魔族ですか」
「医者の魔族で正解だよ、魔王サマ」
「なんの用ですか。いま立て込んでいるので後にしてください」
「なんの用って、決まっているじゃないか」
その魔族は手の隠れた袖を高らかに掲げ、ピシッと勇者さんを示しました。
「病人いるところに我はあり! さあ診せてごらん、魅せてごらん、キミの病とやらを!」
あ、めんどいですね。これはだめです。医者というのも信用なりません。
楽しげな雰囲気で軽やかに袖を動かす魔族。胡散くさ……。
なにより、魔族と勇者さんを一緒の部屋に入れるのがもうだめです。知っている間柄ならともかく、胡散臭くてどこの馬の骨かもわからない魔族に診せる? 絶対お断りです。
そもそもこの子は勇者。魔王と一緒にいるから魔族だと思っているはずの相手に見せられません。バレれば殺されてしまいます。
「その子、勇者だよね?」
知ってるんかい。なおさらだめですよ。絶対!
「勇者と知りながら診せてほしいなんて怪し過ぎます。この子はぼくのものです。殺すのも、です」
「たしかに今、殺そうとしていたけどさ、医者を探してるって聞いたよ。つまり、元気になってほしいんだろう?」
「……そうですけど」
「じゃあ、アタシの出番さ。黒髪で赤目だろうとアタシは診るよ。だってただの色だからね。アタシ、魔族だし」
魔族の医者に診せる。考えもしなかったことです。魔なるものは勇者の敵。けれど、黒色にも赤色にも何も思わない魔なるものであれば、ちゃんと診てくれる。
信用していいのでしょうか。いや、相手は得体の知れない魔族。大切な勇者さんを渡すわけには……。
「魔王サマの懸念は最もだけど、こればかりは信用してもらうしかないよ。それに、あんまり迷っているヒマはないと思うけど」
魔族は飄々とした態度をすっと引き、袖で勇者さんをさしました。
微かな呼吸。薄く開いた唇。疲労が刻まれた顔です。なにかを求めるように動いた指に触れようとして、また止めました。
「……きみに任せれば、この子は助かるのですか」
「全力を尽くすよ」
「…………」
理不尽な終わりではなく、彼女が望んだ旅の終わりを願うことができる。
彼女にまとわりつく苦しみを消し去ることができる。
また、「魔王さん」と呼んでほしい。くだらない会話をしたい。もう少しだけ、もう少しだけで構わないから……。
ごめんなさい、勇者さん。ぼくのわがままできみを生かす。あの時と同じように。
ぼくは魔族をまっすぐ見て言いました。
「お願いします」
「よしきた! アタシにお任せあれ~」
魔族は勇者さんの目を確認したり呼吸を確認したり、あれやこれやと診察した後、
「薬はこれとこれと……あとこれも混ぜて」とか、「結構やばいけどいけるぞ。がんばれがんばれ」とか、「この症状には……これだねぇ」とかぶつぶつ言いながら治療していきました。警戒を解けないでいるぼくは、短剣を鞘にしまうとベッドのそばで様子を見守ります。
巨大な鞄から次々と医療道具を放り出して床に広げ、ぶかぶかの袖で摘み取ってはベッドに駆け寄る魔族。
「呼吸状態が悪いねぇ。アタシ特製の酸素マスクをつけよう。これなんと、小型でありながら性能は巨大でハイテクな病院と同じものかそれ以上の超優れモノなんだよ~。いつでもどこでもどんな格好でも使えるアタシのスペシャル医療器具のひとつでお値段びっくり――」
「いいからはやくしてください」
「つれないなぁ。さて、注射といこうか。勇者クン、失礼するよ~……っと、これはこれは」
服をまくった魔族は声色を変えませんでしたが、驚いたことはたしかだったようです。
一瞬動きを止め、すぐに消毒をして注射針を勇者さんの腕に刺しました。
「これでひとまず安心さ。熱が下がるのを待ってから、次の治療に移るよ。はい、場所交代、魔王サマ」
あっさりとベッドから離れ、自分は危険人物ではないとアピールする魔族。
勇者さんが回復するまで信用はできません。……が、とりあえず。
「ありがとうございます」
「いえいえ、魔王サマに恩を売るのも悪くないし、勇者を治療できるなんて滅多にない機会だからねぇ。三時間くらいで熱が下がるから、お水を飲ませてあげておくれ」
「わかりました」
ぼくは濡れタオルで汗を拭き、熱がこもらないように髪を広げました。
短剣を使う時が今でなくてよかった。この子から苦しみがなくなるのならそれで……。
ぼくは何度目かわからない謝罪を口にしながら、彼女の体を起こしました。頭を支え、口元にコップを寄せます。
ほんのわずかな量を傾けますが、うまく飲めずにせき込んでしまう勇者さん。
体力がぎりぎりなので咳はよくないです。でも、水分は大切……。
もう一口だけ、とコップを傾けようとした時、横からにゅっと顔を出した魔族が「口移しすればいいよ」と笑みを浮かべました。
「くっ⁉ 口移しってきみ、なにを言っているのですか!」
「医療行為だよ、魔王サマ。その方が飲みやすいから」
「ばっ、ばばばばか言わないでくださいそんなことできるわけないでしょういやできなくはないですけどむしろちょっとやってみた――ってそうじゃなくて相手に断りもなくそんなことをするなど礼儀に欠けた行動ですぼくは勇者さんにめっためたに殺されますよ」
「いやぁ、愉快な魔王サマだなぁ~」
「……ぜえ、はあ、ぜえ。ス、スポイトとかありますか」
「あるけど、スポイトでいいのかい?」
「いっ……、いいです。ください」
「アッハハ、はいはい。どぞ」
もらったスポイトで一滴ずつ水を飲ませていくぼく。めちゃくちゃ無表情をしていると思いますが、こうしないとぼくのよからぬ――いや、そんな変なことではありませんけどそのああああもうこの魔族が変なことを言うからぁ!
「……魔王サマ、めっちゃ無表情なのに手元ぶるっぶるで笑える」
やかましい、そこ。
時間をかけて水を飲ませ、ぼくはとんでもない疲労に襲われていました。あ、水を飲ませる方ではなく。自分自身の心情と戦っておりましたゆえ。
ベッドの隅で謎の声をあげながら耐えるぼくを横目に、魔族は医療器具をあれこれいじっていました。
「あ、点滴にすればよかったんだ」
「はぁ?」
「ごめんごめん。魔王サマがおもしろくて忘れてた。うはははは」
「…………」
信用度急落。「失礼~」と点滴の準備をする魔族を睨みながら過ごすこと三時間。
「……熱が下がった」
少し穏やかになった勇者さんの表情を見て、ぼくはほっと息をつきました。
「言った通りだろう~。よかったよかった。そんじゃ、次のお薬だよ」
魔族は点滴を変え、また注射器を手に取りました。
「これで、ぐっとよくなると思うよ。明日には目を覚ますはず。完全回復には時間がかかりそうだけどねぇ」
「でも、治るんですね」
「うむ。アタシの手にかかればちょちょいのちょいさ~」
ずっと胡散臭いんですけど、腕はたしかなようです。胡散臭いんですけど。
それからぼくは、一晩中勇者さんのそばにいて見守りました。
少しずつ彼女の顔が和らいでいくような気がします。相変わらず息は苦しそうですが、魔族の特製なんとかスペシャルなんとか酸素マスクのおかげで眠れているようです。
頭を撫でようと腕を動かし、
「…………」
彼女の鞄から取り出したミソラさんをそばに置きました。
ミソラさんのふわふわした手で頭を撫でます。
「もう少しですよ、勇者さん。がんばれ、がんばれ……」
ミソラさんの力を借り、きっとこの子なら優しい夢を誘ってくれるだろうと小さな手を動かし続けます。決してぼくが触れることがないように気をつけ、がんばれ、がんばれと声をかける。
ゆっくりと傾いていく月明かりを感じながら、ぼくは勇者さんのそばを離れませんでした。
『①かくしごと』お読みいただきありがとうございました。
天目は医療知識が皆無なので例のごとくノリと勢いで書いています。
おまけ会話は最後につけますので、引き続き『毒も薬と名医とヤブも紙一重』をお楽しみください。