280.会話 歌の話その➁・子守唄
本日もこんばんは。
勇者さんが知っている歌についてのお話です。
「~~~~♪ ~~~~♪ ……あ、魔王さん」
「ご、ごめんなさい。盗み聞きをするつもりはなかったのですが……」
「構いませんよ。聞かれて困るものでもありませんし」
「勇者さん、たまに歌を歌っていますよね」
「忘れないように……と思って」
「飛び入りコンサートの時も同じ歌を歌っていましたけど、お好きなんですか?」
「前も言いましたが、唯一知っている歌なんです。カラオケに行った時に何曲か新しい歌を歌いましたけど、もう忘れてしまいました。やっぱり定期的に口ずさまないと記憶から抜けていくものですね」
「勇者さんが歌っている歌、どこかで聴いたことがあるような、ないような……と思うのですが、どこで知ったんですか?」
「夢の中です」
「なんと」
「小さい頃から、たまに誰かが歌っている夢をみたんです。たぶん、女の人が」
「ほお~。彼女が歌っているのが、例の曲だと」
「はい。何回も歌ってくれるので覚えました」
「すてきな夢ですねぇ。ぼく、勇者さんの歌を聴いてからずっと思っていたんですけど、その歌、まるで子守唄のようですね」
「子守唄って、こどもを寝かしつけたり、あやしたりするための?」
「そうです。ゆったりとしたメロディーと優しい曲調。勇者さんがバラードを好むのは、この子守唄のような歌の影響もあるかもしれませんね」
「……たしかに、そうかもです。昔の私は魔王さんも知っていると思います。ああいう環境で生きていた私には、夢の中で聴くこの歌が安らぎになっていたのかもしれません」
「安らぎを与える歌、ですか。とてもすてきですね」
「私みたいな人が歌うべきではないのでしょうけど」
「なぁに言ってるんですか! ぼくは勇者さんの歌、大好きですよ!」
「あなたはなんでもそう言うじゃないですか」
「そうですね!」
「はあ……。たまにならいいですよ」
「へぁ?」
「私は忘れたくないから歌っています。一緒にいれば、聴こえてしまうのは仕方ないでしょう。部屋を移動するのもめんどうですし、聴かれていやなものでもありませんから」
「お許しがでたということですね。わぁい!」
「この歌しか歌いませんけど」
「なんにも問題ありません。ぼくは勇者さんが歌っているお姿や歌声や様子や雰囲気や印象やなんやらがすべて好きなのですから」
「過激派のファンみたいなこと言いますね」
「激推しします」
「私は歌手じゃないんですよ」
「ぼくの推しです! それに、歌の上手さは抜きん出ていると思いますよ」
「……ありがとうございます」
「おや、照れてます? かわいいですね~。かわいいですよ~」
「うるせえんですよ。それに、歌の上手さは夢の中のあの人の方が上です」
「そんなにお上手なんですか?」
「それはもう。あの時代の私が穏やかに眠れたくらいです。ありがとうと言いたいですが、夢の中ですからね。きっと幻なのでしょう」
「どんな人なのですか?」
「それが、よく見えないんですよ。歌声だけ鮮明で、あとはぼやけているんです。目を凝らそうとしてもだめで、歌を聴いていると眠ってしまって……」
「不思議な夢ですねぇ」
「こわいって感じはしませんし、心のどこかであの人を望んで眠ることも多かったです。きっと、そういう気持ちがあの夢になったんでしょうね」
「子守唄を歌う女性の夢、ですか」
「ぼやけていましたが、大人というより少女という言葉の方が似合うかと」
「勇者さんの中の深層勇者さんかもしれませんね!」
「じゃあ、なんで私の知らない歌を歌っているんですか」
「きっと、知らないうちにどこかで聴いたんですよ。夢は記憶からつくられるといいますし、思い出せないだけで脳内に刻まれている可能性は高いです。……たぶん」
「そうかなぁ……。魔王さんは子守唄――いえ、なんでもないです」
「なんですか? お気になさらず訊いてくださいな」
「子守唄を歌った経験はあるのかと訊こうと思いましたが、永遠に眠らせられるので却下でお願いします。赤子ぎゃん泣き待ったなし」
「き、聴くのは好きですよ。いろんな子守唄やバラードを聴いてきましたが、勇者さんが歌っている歌が一番好きです。なんだか懐かしい気がして……」
「魔王さんも覚えがあるなら、古い時代の歌なのかもしれませんね」
「そうですねぇ。ぼくもいつ何を聴いたのかまで覚えていませんから」
「真似しようにも歌唱力が破壊神すぎて同じ歌になりませんもんね」
「勇者さんが歌っている歌を口ずさもうとして、舌を噛んだことは言いましたっけ?」
「おかわいそうな魔王さんに私が子守唄を歌って差し上げます」
「子守唄を聴くと痛みが軽減する効果がある……らしいですからね」
お読みいただきありがとうございました。
夢の中で歌っている人は一体誰なのでしょう。
魔王「今も夢に出てくるんですか?」
勇者「最近はパタッとなくなりましたね。なんでだろう……」
魔王「それはきっと、ぼくがいるからですね!」
勇者「相変わらず、すごい自信なんですから」