262.会話 ベイカーベイカーパラドックスの話
本日もこんばんは。
「ベイカーベイカーパラドックスってなんぞや?」と思ったそこのあなた。見た目や特徴等は頭に浮かぶのに肝心の名前だけ出てこないアレです。
「うーん……。思い出せない。どうしても思い出せない……」
「どうしました? ぼくでよければお手伝いしますよ」
「ひとの名前が思い出せないんです」
「勇者さんのお知り合いなど数えるほどしかいないような気がしますが、ぼくも知っているひとでしょうか?」
「名前以外はわかるんですよ」
「あ~、そういうのありますよね。では、特徴を教えてくださいませ」
「見た目は私と同じくらいの少女で」
「ふむふむ。かなり絞られますね」
「髪の色は白かったと思います」
「魔女さんではないんですね」
「瞳の色は青で」
「ふむふむ。……ふむ?」
「料理が得意です」
「ふ……む……?」
「お仕事は魔族とか魔物とかを統べることや悪さをすることらしいですが、今はさぼっていると聞きました」
「…………あの」
「ううーん……思い出せない……。魔王さんの名前が思い出せない……」
「魔王って言ってる……魔王って……」
「思い出せない~……」
「自分で言うのもなんですが、たぶんそれ魔王です。ぼくです」
「魔……王……?」
「初めて聞いたみたいな反応やめてください!」
「そんな感じだった気がします」
「それしかないんですよ」
「もうひとつ思い出せない名前があって」
「この流れは勇者さんだと思います。答え、勇者です」
「なかなかやりますね」
「なんの遊びですか……。びっくりしましたよ」
「たまに、ひとの名前や物の名前が出てこなくなることってあるじゃないですか」
「指示語でしか話せなくなりますねぇ」
「姿形は思い出せるのに、名前だけ出てこないなんて不思議ですよね」
「名前というものは他のものに比べて記憶されにくい、とされているみたいですよ」
「じゃあ、ただでさえ名前は忘れられがちなのに、その名前すら持たない私たちは存在感薄っぺらってことですか。なるほど、消えていくさだめなのですね」
「もしかして、遠回しに個人名がほしいと言っていましたか? さっそく決め――」
「違います」
「違った……」
「でも、たしかに思い出そうとした時には姿が便利です。魔王さんの魔王っぽくない姿にも少しずつ慣れてきました。不覚です」
「覚えていただけて光栄です」
「最後の一言が聞こえなかったようですね」
「ぼくは意図的に勇者さん以外の生きとし生けるものを忘れようかと思います」
「過激派にもほどがありますね」
「この世界にぼくと勇者さん以外必要ですかねぇ……?」
「ため息つきながら言われましても。パン屋はほしいです」
「食べ物は大事ですけど」
「ラーメン屋も焼肉屋もスーパーもケーキ屋もお菓子――」
「ぜんぶ食べ物じゃないですか」
「あとあれ、なんでしたっけ。泊まったり食事したりするところ」
「お宿ですね。今いる場所です」
「十二階建ての」
「お宿……じゃないんですか?」
「趣味の悪い見た目の」
「……んん? もしや」
「一階に玉座があって魔王さんが座っていたところです」
「魔王城ですねぇ。めちゃくちゃ魔王城です。というか、また魔王って言ってる……」
「いやぁ、名前って記憶からなくなるものなんですね。困った困った」
「がっつり魔王って言ってるんですけどねぇ。おかしいですねぇ」
「もっと特徴的な名前にした方がいいんですよ」
「夢と希望あふれる幸せ王国とか?」
「よくそれが出てきましたね。魔王城を見たことないんでしょうか」
「とある国のとある町にあるとある建物をモデルにしてつくり替えようと思います」
「ひとつも情報がない」
「どこの国でしたっけ~……。名前が思い出せません。きれいな街並みが頭に浮かぶんですけど、名前がぁぁぁぁ……」
「旅をしていれば、いつか訪れるかもしれませんね」
「その時は、モデルにしようと思ったことを忘れていると思います」
「それはまた、記憶に関する別の問題だと思いますよ」
お読みいただきありがとうございました。
「勇者」と「魔王」という言葉を忘れたら、ぜひこの作品を思い出してくださいませ。
魔王「勇者さんは勇者なんですから、人の名前を覚えるのは得意とかないんですか?」
勇者「そんな便利な能力はありませんよ」
魔王「勇者さんは意図的に覚えないタイプですもんね」
勇者「それは言えてる……けど、やかましいわ」