210.物語 星の消えた夜に
本日もこんばんは。
勇者さんと魔王さんが訪れた、とある国の物語です。
楽しんでいただけたらうれしいです。
(注意:軽度の残酷描写があります。苦手な方はお気をつけください)
長さ目安:SS 25本分
――その国には、星の消えた永遠の夜がありました。
始まりは数日前のことです。
いつものように旅をして、いつものようにくだらない会話をしていた時のことでした。
「そういえば、この近くに有名な国があるんですよ」
思い出したように言った魔王さんは、続けて「行ってみませんか?」と提案してきました。
有名な国というだけで他に情報のない話でしたが、特に目的地もない旅です。お好きなように、と返事したことで、私たちはとりあえずの目的地を手に入れました。
魔王さんの案内で歩くこと一日、二日、三日……。
「近くにって言ったのに……」
「す、すみません。当時のぼくは浮遊する方が多かったので……」
魔王さんに剣先を向けつつ、歩みを進めていると、やがてそれは姿を現したのです。
私たちが訪れようとしている国は、圧巻の大きさを誇っていました。
遠くにそびえる城壁は広大で、連なる山々をも己の中に閉じ込めているのが見えます。
城壁の外には果ての見えない森林と大地がありますが、そこに目を向けることを許さないと言わんばかりの大国が存在していました。
良い眺めだからと連れてこられた高台で、私は景色とは違うものに目を奪われました。
「……なんですか、あれ」
「結界ですね」
あっさり答える魔王さんの隣で、私はじっとそれを見つめます。
城壁から上へ伸びる不思議な壁は、高く高く続き空を覆っていました。壁の向こうに街がある様子が見えるものの、視線を空に向けた途端、なにもなくなるのです。ただ、真っ暗な空間があるだけで、昼間の時間にあるはずの太陽は影も形もありません。
「今からあの国へ行くんですよね」
「はい。かの国の名はエトワテール。永遠に夜が続く不思議な国で、世界で最も美しい星空を見ることができるといわれています」
「永遠に夜が続く……」
あの空間は夜の空ということでしょうか。
ていうか、夜って……。
私は眉をひそめました。
めちゃくちゃ魔なるものがはびこっていそう。勘弁してほしい。
私の言いたいことを感知した魔王さんは「だいじょうぶですよ~」と緊張感のない声で言いました。
「国が崩壊せずに存続しているってことは、なにか対策がされているということ。もしくは弱い魔物しかいないということ。もしくは人間と魔なるものの生活圏が明確であるということ。もしくは――」
「わかりましたよ行けばいいんでしょう行けば」
「もし強いやつが出てきてもだいじょうぶです! 勇者さんは強いので!」
「めんどい……」
「ほら、行きますよ~」
「やめろ自分で歩きますおいやめろ」
ぼやく私をばか強い力で引っ張り、魔王さんは楽しそうに城壁へと歩き出しました。
城壁はかなり年季が入っており、国が長く続いていることを思わせました。
古めかしくはあるものの、古ぼけているようには見えないそれは、貫禄があると表現するのがよさそうでした。
城壁の上空は、やはり暗闇が広がっていてなにも見えません。
……と、それはさておき。
「……この人間の数はなんです」
「行列ですねぇ。これでは国に入るのはしばらく後になりそうですね」
「行くのやめようかな」
「そんなこと言わないでくださいよう」
城門へと続く長蛇の列。ざっと数えるだけでも百人は軽いでしょう。
私はフードを深くかぶり、うつむくように顔を下げました。
周囲に人間の気配がして落ち着きません。思わず剣に伸ばしそうになる手を抑えながら、私はのほほんと国を見る魔王さんに意識を向けていました。
「有名な国とは聞いていましたが、ここまでとは~」
「有名な理由は、世界で最も美しい星空とやらですか」
「そのはずですよ。ぼくは勇者さんと星空観察をしようと思ってこの国に来たんです」
「ふうん……」
「興味なさそうな声ですねぇ。世界で最も美しいんですよ。きっと気に入ります」
「ですかねぇ……」
星空よりも人間の数が気になってそわそわします。はやく離れたいですが、歩き続けて疲れていることもあり、今日はふかふかのお布団に埋もれたい気持ちがあります。人間を避けて入国を諦めれば、野宿確定です。
ぐぬぅ……お布団……。
「はあ…………」
私はため息をつき、なるべく心を無にするべく空へ目を向けました。
お布団には勝てない。どうか羽毛布団であれ。
そう、強い願いを放ちながら。
「どこ見てるんですか?」
「いま話しかけないでください」
「ええん……」
そんなこんなで待ち続け、私たちの番がやってきました。
門番たちは魔王さんを見るなり「勇者様ですか?」と訊きました。
いつものパターンです。
「えっ、いやぼくは魔――痛いっ」
肘で突っついて言葉を遮ります。魔王だとバレたら入国できません。
「この感覚は勇者様に違いありません」
「……ま、まあ、ここに勇者がいるのは確かですけども~」
「いやぁ、勇者様がお越しくださるとは、光栄です」
「え、あ、あはは~」
にこやかな門番たちに、魔王さんも営業スマイルを浮かべて対応します。
門番の人間が荷物検査やらなんやらをするために説明をし、魔王さんが相槌をうちます。
その間、数人の人間から鋭い視線を向けられていることに気づいていました。
誰に? もちろん私に、です。
隠す気のない刺々しい視線です。気分が悪いことこの上ありません。
なんでしょうか。戦うなら先手必勝でぶん殴り――。
「勇者さん」
魔王さんの優しげな声が聴こえました。もちろん、私にだけ聴こえるような小声です。
魔王さんの顔には『だめですよ?』と書いてあります。
仕方ないですね……。
荷物検査の結果だけ言うと、手渡した大剣は魔物退治用の武器と説明し、許可が下りました。それはもう怪訝な顔をされましたけど。なぜかって。
「こんなこどもに扱えるわけないだろう。冷やかしか防犯ブザー的な役割で持っているんだろうよ」
とかなんとか。
やかましいわ。
いまこの場で振り回して差し上げてもいいんですよ?
「勇者さん?」
また魔王さんの声が聴こえました。顔に『だめですからね!』と書いてあります。
ちっ……。
ちなみに、魔王さん用の毒薬とか毒薬とか毒薬とかは、事前に魔王さんのポシェットにしまわれました。その他、魔王さんが「これはだめですねぇ」と判断したものもポシェットに収監されました。ああ、哀れ。
私が毒薬たちに思いを馳せていると、門番は私に向かってフードを取るよう指示しました。
「…………」
無言で姿をさらした瞬間、門番たちは一斉に武器を私に向けました。
物騒ですね。
「ちょっ、ちょっとなんですか! 危ないことしないでください!」
魔王さんが止めに入りますが、門番たちは私から目を離しません。
「黒髪に赤目、魔族だ」
「ここで排除するべき存在です」
「違います! この人は魔族ではありません! 人間の少女です!」
「馬鹿を言わないでください、勇者様。この見た目で人間なわけないでしょう」
「ぼくは事実を言っています!」
「ですが……」
警戒を解かない門番たちは、私を凝視し、魔王さんを見つめ、やがて武器を下ろしました。
「勇者様が人間だと言うのなら、認めましょう。ですが、国内ではくれぐれもこの少女をひとりにしないようにお願いします。民や観光客の混乱を招きます」
「はい、もちろんです」
言われなくても、と魔王さんは頷きました。
「それでは勇者様、ようこそエトワテールへ」
そうして、私たちは晴れて入国を許可されたのでした。開かれた門の先へ歩き出した時、背後から門番たちの会話が聴こえました。
「黒髪で赤目なんて、よく生きてられるよな」
「勇者様は人間っていうけど、ホントかどうか怪しいぜ」
「おい、勇者様に対して不敬だぞ」
「勇者様の守りがないと殺されるから一緒にいるんだろう。もうほっとけ」
とかなんとか。
……やかましいですね。
私は被り直したフードをさらに深くしました。
と、魔王さんは私の手を引っ張って足を速めます。
「やっと入国できましたね! さあ、星空観察ですよ~!」
「ちょっと、引っ張らないでくだあああぁぁ」
門を抜け、私たちはエトワテールの地に足を踏み入れたのでした。
永遠に夜が続く国。世界で最も美しい星空を見ることができる国。そこまで言われるとちょっと気になります。
さて、その星空は一体どんな――。
「あれ」
「へぁ?」
同時に声をあげた私たちは、顔を見合わせて首を傾げました。
「星、見えますか?」
「見えません……。ぼくの老眼のせいでしょうか」
「老眼って遠くは見えるんじゃないんですか?」
「そうでしたっけ……って、そうじゃなくて! 星はどこに行ったんですか⁉」
エトワテールの空は暗黒が広がり、一切の輝きがありませんでした。
空に底なし沼があるようで、見ていると吸い込まれるような感覚に陥ります。
「月もないんですね」
「エトワテールの空には星しかないんですよ」
星しかない空。その空から星が消えている。なぜ……?
けれど、空から降り注ぐ明かりがないにもかかわらず、エトワテール国内はとても明るく輝いていました。
「まぶしいですねぇ。星型のライトかわいいです!」
町中に散りばめられた星のような明かりたち。それらはすべて、人工的に造られた明かりでした。山脈のごとく連なる星型のライト、丸い電球、こぼれる店の明かり。
光る置物もあちこちにあり、空に広がる闇を隠すように光が満ちていました。
きらびやかな風景に目立つのは、星型の物の数です。
ライトを始め、町の飾りや人々の装飾品、お土産物など、いたるところに星モチーフが目に留まります。空から消えた星は地上にやってきたのではないかと思ったほどです。
よほどの星好きがいるのでしょうか。
さらに気になったのが、地面に散らばる星型の紙。
拾ってみましたが、何も書かれていませんでした。
どうやら、店先に置かれていたり、星飾りをつけた女性が道行く人に配っていたりしているようで、簡単に手に入るもののようです。
道に捨てるのはどうかと思いますけどね。
私は勇者なのでちゃんとゴミ箱に入れました。誰か褒めろ。
「えらいですね!」
「……はい」
「褒めたのに……」
そして、数え切れない明かりと同じくらい、人間も町中に溢れていました。
「す、すごい数ですね。星を見に来たと思っていましたが、違ったのでしょうか」
「うーん……」
とんでもない数の人間たちに突撃する気も起きず、私たちがその場に突っ立っていた時です。
「あなたが勇者様ですか?」
男がひとり、馬車から降りてきて魔王さんに問いかけました。
「えっと、あなたは?」
「申し遅れました。わたしはシオンと申します。星の守り人でございます」
丁寧な所作で挨拶したシオンさんは、折り入って頼みがあると言葉を続けます。
……ていうか、星の守り人ってなんでしょうか。
「不躾なお願いで恐縮ですが、どうか……」
魔王さんは私を見ます。
「どうしますか?」
「好きなようにすればいいですよ、『勇者様』」
「もう……。いじわるなこと言わないでください。勇者は世界でただひとり、君だけですよ」
「……。人混みは嫌なので、静かなところに行くなら」
「あの様子で町中に突撃することはないかと」
「では、行きましょうか」
私たちは馬車に乗り込み、眩しくて賑やかな町から離れ、誰もいない道を運ばれて行きました。星型の明かりを見つめ、どこか暗い色を落とすシオンさんは「詳細はのちほどお話します」と言うと、改まった様子で感謝を述べました。
「ありがとうございます。突然の申し出にもかかわらず、承諾していただけるとは。さすがは勇者様です」
「それなんですけど、どうして勇者だとわかったんですか?」
「門番から連絡があったのです。白い髪に青い目、神に仕える者にふさわしいお姿をしているからすぐにわかると。それと……」
シオンさんはちらりと私を見ました。
「フードを被った少女を連れているとも言っていたので」
「……そんなに警戒しなくても、ここには『勇者様』がいるのでだいじょうぶですよ」
実際、勇者はいますしね。
シオンさんは少し目を逸らし、また私を見ました。
「……人間、なんですよね?」
「そう見えますか?」
いじわるな質問ですよね。
シオンさんは何を言っていいのかわからない表情で言葉に詰まりました。
「残念ながら人間ですよ」
「……そ、そうですか。ですが、珍しい色ですよね」
同感です。
「今しがたあなたのことを疑ったわたしが言うのもなんですが、外から来た観光客の方々はともかく、エトワテール国民の前ではお気をつけて」
「どういう意味でしょう?」と魔王さん。
「この国の者たちは、魔族に対していい感情を持っていませんので……」
むしろ、それが当たり前だと思います。改めて言われることではありません。
「あなたの見た目で魔族と判断し、祭りを邪魔されるのではないかと退治――いえ、失礼な言い方でした。勘違いから襲われる可能性もあります。数日前ならともかく、明日は最終日ですから……」
「祭り?」
「はい。わたしの頼みは、その祭りに関係しているのです」
その時、馬車が止まりました。
シオンさんの案内で馬車から降りると、ドーム状のなにかが付随した大きな建物がありました。見たことのない形です。
家というより、施設と呼ぶのが適した建物でした。
「あの形はたしか……いえ、でもこの空では意味が……ううーん?」
首を傾げる魔王さんの隣で、私は地面になにかが落ちているのを見つけました。
それは、さきほど拾った星型の紙でした。
けれど、拾った紙とは違い、そこには文字が書かれていました。
細く薄い文字でした。
文字は勉強中のため、まだ読めません。私は魔王さんにそっと見せます。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
「えーっとですねぇ……『星が見たい』ですね」
「それだけ?」
「それだけです」
私は空を見上げました。
――星が見たい
この真っ暗な空となにか関係があるのでしょうか。
「では、こちらへ」
私の手にある星型の紙をじっと見ていたシオンさんは、思い出したように施設の奥へと進んでいきます。紙をポケットにしまい、私たちもあとに続きました。
〇
「ここまでご足労いただきありがとうございます」
「いえいえ、馬車に揺られていただけですから」
「わたしの頼みは、言葉で説明する前に見ていただくのが手っ取り早いと思いまして」
「見る、ですか」
「さらに言えば、『会う』でしょうか」
シオンさんは含みのある言い方をし、さらに施設の奥へ奥へと進んでいきます。
フード越しに見ると、この建物には星型のものがないことがわかりました。
簡素な装飾のみ。華やかさは感じられません。
そして気になったことがありました。
「…………」
室内に漂う消毒液の匂い。それは、馬車の中で嗅いだものと同じ。シオンさんからするものと同じ。
ツンとする匂いを感じながら、私たちは廊下を進み階段を下り、下り、下り、やがて大きな扉の前にやってきました。
シオンさんはノックをし、入室する旨を告げます。
許可した声は、まだ幼いものでした。
頑丈であることしかわからない鍵を外し、重そうな扉を開いたシオンさんは部屋の中へと姿を消しました。魔王さんが先に入ります。続いて入った私は、部屋にあるものを見て動きを止めました。
「お嬢様、お客様をお連れしました」
「ありがとう、先生」
先生と呼ばれたシオンさんは『お嬢様』に一礼します。
「こちらの方が勇者様、お隣の方は旅のお連れの方です」
シオンさんの簡単な説明に、少女はふと、不思議そうな顔をしましたが、すぐに戻りました。
シオンさんは「それでは、お願いいたします」と魔王さんに言うと、少し後ろに下がりました。
私も魔王さんも、『お嬢様』から目が離せずにいました。
淡くきらめく金髪に、魔王さんとは違う青の目の少女。
彼女の周りにある物も、彼女自身も、なにもかもが驚くのにじゅうぶんなものだったのです。
消毒液の匂いが充満する部屋にはベッドがひとつ、名前も機能も知らぬ機械が数えきれないほどありました。
上半身を起こした状態でベッドに収まる少女は幼く、重苦しい機械にあまりに似合っていない存在でした。
周囲の機械から伸びる無数の管は、すべて少女の体に集まっているようでした。
それだけではありません。
少女の細い体には、おびただしい数の白く輝く線が這っていたのです。
町で見た光る装飾に似たそれは、人の身にあるだけで途端に衝撃を与えるものに変わるようでした。
私たちに見つめられた少女は、意気込んだ様子で頬を赤く染めました。
「……は、初めまして! 私、えっと、ステラと言います。勇者様がいらっしゃったって聞いて、会えるのを楽しみにしていたんです。あっ、でも、勇者様はお祭りにいらしたんですよね⁉ ごめんなさい、私のわがままのせいでこんなところまで……って、私ばっかり話しちゃってる!」
少し慣れない様子で敬語を使う少女は、あふれる言葉を抑えきれないようでした。
くるくると変わる表情を微笑ましそうに見ていた魔王さんは、「お気になさらず~」と手を振りました。
「初めましてです、ステラさん。ぼくたちは祭りに来たわけではないのですよ」
「そうなんですか?」
「星空を見に来たら星がなくて、どうしようかなぁと思っていたところに、シオンさんに会ったんです。そんなこんなで、ステラさんに出会ったんですよ」
「ほあ~……、そうなんですね。お祭り……目的じゃない人がいるんだ……」
驚いたように口を開ける少女――ステラさんは、魔王さんの隣に視線を動かしました。
あの目は自己紹介を求めている目だ……うぅ……。
「……は、初めまして」
「……! 初めまして! 私、ステラと言います!」
知ってます。いま聞いたばかりです。
丁寧な人ですね。純粋無垢な瞳がつらい。
「あの、フード……」
おずおずといった様子でありながら、取ってほしいという気持ちがひしひしと伝わってきました。どこからかって? ステラさんの表情です。
ものすんごい楽しそうにしていらっしゃる。なにゆえ。
「……あんまり、見ておもしろいものでもありませんけど、だいじょうぶですか」
「それなら心配ありませんっ。私のこれ、先生くらいしか見る人はいないけど、たぶん普通の人からしたら気味が悪いものだと思いますから!」
これ、と言うステラさんは、腕を目一杯広げて白く輝く皮膚を見せてくれました。
正直、きれいだと思いました。美しい、とも。
それと同じくらい、こわい、とも。
きらびやかで賑やかな町から外れた施設の奥で、少女がひとり。
誰にも気づかれないように光る星のようだと思いました。
「ふふっ、お客様、とってもうれしい」
可愛らしく頬を赤らめるステラさんは、私を見て無邪気な笑顔を浮かべました。
「ねえ勇者様、私に旅のお話をしてくださいな」
――その日、私は出会ったのでした。
星の消えた夜、星のような少女に。
〇
旅の話をしてほしいと言った少女は、わくわくを隠せない様子で私がフードを取るのを待っています。
汚れのない魂を閉じ込めたような少女にほだされ、私は躊躇いがちにフードを脱いだのです。
露わになった黒髪と赤目を真っ直ぐ見つめる青い瞳。
開かれた口から飛び出したのは「魔族⁉」という言葉でした。
ああ、やっぱり。
想像していた通りすぎておもしろみのない展開です。……と、思っていたのですが。
「う……」
「う?」
「うれしいっ……!」
「……はい?」
続けて飛び出た言葉は、まったく予想していないものでした。
うれしい? なにが? どゆこと? んん?
「わ、私、魔族に会うの夢だったんです! あっ、これナイショにしないとだめなんだった。しー……でお願いしますね! あの、握手とか、もうちょっと近くでお話……!」
溢れる思いを伝えようと必死に話すステラさんから、私を突き放す悪いものは感じ取れませんでした。というより、むしろ逆でした。
なんか歓迎されているのですが……?
近くに来てほしいと言われ、私たちはそっと近づきます。
機械のコードなどに気をつけ、シオンさんが出してくれた椅子に腰かけました。
ですが、言っておかなければならないことが。
「ごめんなさい。残念ながら私は魔族ではなく、人間なんです」
ほんとに残念な意味でこのセリフを言う日がくるとは。
「そ、そうなんですか……。おかしいなぁ、本にはそう書いてあったんだけど……」
「本?」
「はい! 私、こんなだから外に出られなくて、いつも本を読むか先生のお話を聞いて過ごしているんです。えっと、ここに……これ! この本には魔族のことが書いてあるんですよ。私のお気に入り!」
魔族の本がお気に入りとは……。珍しいタイプの子ですね。
「でもそっかぁ……。本に書いてあることが正しいわけじゃないんですね」
「がっかりさせてしまってごめんなさい」
「ううん! むしろうれしいです。新しいことを知れたから。あっ、そうだ、ちゃんと書いておかなくちゃ……。黒い髪で赤い目をしている人間のお姉さんがいる……よし!」
ステラさんは書きこんだページを見せてくれました。
ここ! と指差してくれた場所以外にも、黒や赤、青や黄色などのペンでたくさんの文字が見えます。なかには、下線を引いた文章にハートマークをつけている場所もありました。
お気に入りの文章ということでしょうか。
「ほんとは書いちゃうのはよくないんですけど、これは私しか読まないし、私だけの本だから……。お姉さん、これもナイショ、ね?」
そう言ってステラさんは楽しそうに本のうしろに隠れました。
ちらりとはみ出る頬は、ずっと淡い桃色に染まっています。
喜んでくれている……のなら、もう少しいてもいいでしょう。
「ええと……旅の話でしたっけ。それなら、私よりまお――じゃなくて、隣の勇者様の方が詳しいと思いますので、どうぞ」
「どうぞって、勇者さんはきみ――ぐはっ」みぞおちに一発。
「き、きみも一緒に旅をしているんですから、どっこいどっこいですよ」
「私と出会う前の話とか、いくらでもストックがあるでしょう」
「ストックて」
小声で話し合う私たちを交互に見るステラさんは、「お、お話……まだかな、たのしみ」とわくわくを抑えきれない様子でした。
うぐ……。その輝くまなざしを私に向けないでくださいまぶしいぃぃ……。
光に負けた魔族のような私を察し、魔王さんが「それではいくつか」と話し始めました。
魔王さんが語ったのは、私と出会ってから訪れた場所、国、景色、人、ひと……。
ステラさんの様子を見ながら、彼女が気に入ったであろう話をさらに詳しく話していきます。
楽しそうに歓声をあげたり、時には目をまんまるくして驚いたり、声を出して笑ったり。
ステラさんは「もっと聞かせて!」と興奮した様子で話をせがみました。
いつの間にか敬語はとれ、年相応に無邪気な少女になっていました。
私は隣で座って黙っていましたが、物語に登場させられるせいで強制的に話を振られることも多く、そのたびに魔王さんを恨めしく見たのでした。
こんな場所に行ったとか、こんなものを食べたとか、ステラさんにとって知らないことがあるたびに「お姉さん!」と感想を求められるので無視するわけにもいかず……。
きれいでしたとか、おいしいかったですとか、語彙力の面影もないような感想を言ってしまいましたが、ステラさんは私が話すたび、うれしそうにうなずきました。
語彙力……磨こう……。
彼女は話を聴きながら、ときおり別の本に書きこんでいました。
その本は真っ白で、彼女が書く文字によって命が吹き込まれているようでした。
印刷された文字のない本。そんなものもあるんですね、と見ていると、私の視線に気がついたステラさんはまたもやページを広げて見せてくれました。
「これ、先生からもらった真っ白な本なの。私が思ったこととか、聴いたこととか、思い出とか、そういうのを書きこんでいつか一冊の本になるんだって! この本は私の人生そのものなんだよ。だからね、見て」
本を閉じ、表紙を指差すステラさん。
タイトルが書かれる欄を見て、「これ、私の名前!」と自慢げに言いました。
――《Stella》
私はその名前を見つめ、記憶に留めました。
きれいな名前だと思ったからです。
「『星』って意味なんだよ」
「いい名前ですね」
「えへへ、ありがとう、お姉さん」
星という名の少女ですか。まるで彼女のための名前のようだと思いました。
そうして話すことしばらく。
「お嬢様、お薬の時間です」と、今まで一言も発さず、たまに機械を操作していたシオンさんがお盆を持ってきました。
「わあ……もうそんな時間? ごめんなさい、お薬飲まなきゃ」
「いえいえ、ぼくたちのことはお気になさらず」
コップを手に取り、慣れた様子で薬をのむステラさん。飲み終わると、「勇者様とお姉さんになにかお礼をしなくちゃ!」と意気込みました。
「な、なにかほしいものある? あ、願い事とか!」
よくわからない提案ですが、ただおしゃべりしていただけなのでお礼をいただくまでもないように思いました。
「いえ、だいじょうぶですよ」
「勇――っとと、こちらの方がお礼はいらないと言うのなら、ぼくも従うまでです」
「そう……? えと、じゃあ、今度は私がお話するね!」
元気よく宣言したステラさんでしたが、「旅人さんに話せることなんてないや……」とさみしそうに言いました。
その姿があまりにしおしおしていたので、つい「この国について知っていることがあれば」と訊いてしまいました。
いや、なにを訊いているのでしょう。彼女は外に出られないと言ったのです。そんな子に、国について教えろだなんて――。
「まかせて!」
ありゃ? また、思っていた反応と違いました。
「私、この国については詳しいの! 成り立ちとか永遠の夜のこととか星空が消えた理由とか、あとはえっと、そう! 星影祭のこととか! お祭り、ちょうどいまやっているんだけど……。お姉さん、なにが聞きたい?」
ステラさんは本を置くと、また違う本を何冊も引っ張り出してベッドに並べました。
これが国の成り立ち、こっちが大厄災の伝説、そしてこれが星影祭、こっちが――と教えてくれます。
なんでも聞いて、なんでも聞いて、と言わんばかりのきらきらした顔に、私は真ん中の本を指差しました。
……正直、冊数が多くて覚えきれませんでした。そして、まだ字は読めないので、テキトーに選んだというわけです。あまり話しにくい話題でないことを祈ります。
「これ? エトワテールに伝わる大厄災伝説の本!」
あっ、なんか間違えたかもしれない。
「お姉さんは、かつてエトワテールが星空で有名な国だったって知っている?」
「え……っと、ごめんなさい、知りません」
魔王さんがそんなようなことを言っていましたが、他に情報がないので私は無知です。
「私も本でしか知らないからへいき! えっと……ここ見て。『かつて、エトワテールの星空は世界で最も美しいとされ、絶えず人々が訪れる観光大国であった』って書いてあるの」
読んでくれるのが大変ありがたいです。
「エトワテールには永遠の夜があり、満天の星空があったんだって。でも、ある時、この国に大厄災が降り注いだ」
「大厄災、ですか」
「魔王によってエトワテールの星々が地に墜とされたそうなの」
「まおっ……」
思わず隣を見ました。
「……あは、えへへ…………」
冷や汗をかきながらそっぽを向く魔王さん。
そういえばこのひと、ステラさんが話し始めてから静かでしたね。
私はめちゃくちゃ小声で「あとで詳しく聞かせてください」とくぎを刺しました。
「……は、はいです」震える魔王さん。
「地に墜ちた星は粉々に砕け、エトワテールのどこかに眠ってしまったと。眠った星のかけらは『星屑の花』になって、この国の奥深くに咲いているって言われているの。でも、誰もその花を見たことがないって……。私はあるって信じてるよ! だって、その方がたのしいもんねぇ」
ステラさんは想像で描かれた『星屑の花』の絵を眺め、目を細めました。
「大厄災以降、エトワテールは『星の消えた国』として語られるようになったって。それから、星を愛していたこの国は魔王や魔族が大嫌いになっちゃったって、本には書いてあるけど……。私は外に出たことがないし、星はおろか、空すら見たことがないから、よくわからないの。むしろ、本に書いてある魔王や魔族はこわいけどおもしろくて、生まれた時からこの部屋にいる私にとっては魅力的なんだ。あっ、これも、ナイショでお願い! 国の人たちが聞いたらきっと怒っちゃうもんね?」
「……そうですね。ええ、ナイショにしておきましょう」
「次はどれ? なんでもいいよ!」
楽しそうな彼女を止めるのも……と思い、私はまた一冊の本を選びました。
今度こそ当たり障りのない内容であれ。
「星影祭についてだね。まかせて!」
おお、よさそうな話題です。よかった。
「星影祭っていうのは、星がなくなっちゃったエトワテールがつくったお祭りのことなの。星空がなくて観光客がすごーく減ったから、なんとかお客様を呼ぶためにできたんだって。十年に一度行われる、国のビッグイベント! お祭りの期間は七日間あって、今日は六日目。お客様、いっぱいいた?」
「それはもう、たくさん」
「わあ! 本に書いてある通り! 花丸をつけておかなきゃ……。えっとね、それで、星影祭にはメインイベントがあって、それが明日、最終日の夜に……って、いつも夜だね。ええっと、七日目が終わる時って言えばわかる……?」
つまり、日付が変わる瞬間ということでしょう。私はうなずきました。
「よかった。その時に、真っ暗な夜空に星が浮かぶんだよ。たったひとつ、輝く星が」
そう言うステラさんは、うれしそうな雰囲気の中に、どこかさみしそうな空気を漂わせていました。
ああ、そうでした。彼女はここから出られない。だからせっかくの星も見ることができないのでしょう。
「そうだ、勇者様、お姉さん、星型の紙ってもらった?」
ふと思い出したようにステラさんは言いました。
星型の紙……。たしか、この施設に入る前に拾いましたね。
私は拾った紙を取り出し、「これですか?」と差し出しました。
「そうそう! これね、願い紙って言って、自分のお願いを書いて――あれ?」
私の手にある紙を見て、ステラさんは驚いたように目を丸くしました。
「これ……私の願い紙……」
えっ……。ま、まじですか。
「なくしたと思ってたのに、まさかお姉さんが持っているなんてびっくり!」
「ここに来る時に拾ったんです。施設の入り口あたりで、地面に落ちていて……」
断じて盗んでいません。誤解です。ほんとに拾いました。たしかに持ってきちゃいましたけど、いや、持ってきちゃいましたね?
そのまま置いておけばよかったのに私のおばか。
なんで持ってきちゃうかなー……。なんにも考えずに行動するからですね。ああー……。
「探しても見つからなかったから、てっきり空にでも飛んでいったのかなぁって思っていたの。そしたらお願いも叶うかなーって。でも、ふふ、お姉さんのことに飛んでいっていたんだね」
「どうぞ、あなたのものならお返しを」
けれど、ステラさんは首を横に振りました。
「ううん、いいの。いちおう書いてみたけど、私のお願いは叶わないから」
彼女の願い。たしか、『星が見たい』でした。
叶わないと言いますが、ほんの少しでも外に出ることはできないのでしょうか。
小さな体の自由をがんじがらめに束縛するように伸びる管。
触れるなと言わんばかりの無機質な機械たち。
清潔な白いシーツや布団だけがわずかな優しさを感じさせますが、この部屋はまるで牢獄のようでした。
広いのに息が詰まりそう。
窓のない地下部屋には、永遠の夜すらなく、時間が止まっているような感覚を抱きました。
「勇者様とお姉さんもどうぞ。ここにお願いを書いて、最終日に星が昇ったら、空に掲げるの。そうすると、なんとびっくり! 願い紙の中からひとつだけ、星が願いを叶えてくれるんだよ!」
「へえ……。なんだかすてきですね」
「お願いはなんでもいいって書いてあったから、旅行に行きたいとか、おいしいものを食べたいとか、好きな人と結ばれたいとか、なんでも!」
「きみはおいしいもの一択ですねぇ――ひぎゃぁ」
今まで黙っていた魔王さんがいらんことを言ってきたので、さきほどと同じところにダメージを入れておきました。
「先生も」
私たちを見守っていたシオンさんに、ステラさんが願い紙を差し出します。
「わたしは……」
「先生のお願い、書いてほしいから」
「…………」
「お願い、先生」
願い紙を引っ込める気のないステラさんに負け、シオンさんは躊躇いがちに受け取りました。
「ちゃんと書いてね?」
「……お約束はできかねます」
「だめ。書かなかったら許さないんだから」
ぷくっと頬を膨らませ、ステラさんは追加でペンも渡しました。
どうやら、絶対書かせる気のようです。
「誰のお願いが叶うかわからないけど、だからこそ勇者様もお姉さんも先生も、可能性はあるってこと。だからちゃんと書いてね」
何度もそう言うので、書くだけは書いておこうと思いました。
なにを書くかはまだ、自分でも決まっていませんけれど。
お願いどうしようかなぁと考えていた時、ふと気になったことがありました。
「星影祭の最後に星が空に昇るんでしたよね」
「うん!」
「でも、私たちが見た空にはひとつも星がありませんでした。それはどういうことなんでしょう」
「それはね!」
ステラさんはまた別の本を勢いよく開き、該当箇所を指差しました。
「星影祭で空に昇った星は、たった一年間しか輝くことができないの。一年経つと輝きは失われ、空にはまた暗黒が戻るんだって」
「つまり、九年間は星のない世界になるってことですか」
「うん、そうだよ。星の輝く一年間はお客様もたくさん来るけど、それ以外は全然こないって先生も言ってた」
「そうなんですね……」
話を聴くたびに、不思議な国だと思いました。
「お嬢様、そろそろ」シオンさんが声をかけ、時計を見たステラさんは「あんまりお姉さんたちを長く引き留められないもんね……」とさみしそうに言いました。
「だから……」と、ベッドを埋め尽くす、いえ、彼女自身も埋もれるくらいの本を広げ、「最後に一冊、どうぞ!」と私に詰め寄りました。
「え、ええと……」
隣の魔王さんを見ますが、にこにこしているだけで何も言いません。
このやろ……、私が人間と仲良くしているのがうれしいんだな……。
たしかに、かなり長く一緒に過ごしていますが、別に仲良しとかそんなんじゃ……。
「お姉さん!」
うっ……、待って、その目で見ないで……、ええい、これです!
「なになに……『一等星』?」
おっ、星の本でしょうか。かなりいいものを引き当てたようです。
「この数の中から『一等星』を見つけるなんて、お姉さんすごいね。もしかして運命かも!」
唐突にスケールの大きなことをおっしゃいますね。どうした。
「この本は、私のことなんだよ」
その意味がわからずにいると、おもむろにシオンさんがやってきて言いました。
「『一等星』については、わたしもご説明いたします」
「先ほどの薬といい、先生と呼ばれていることといい、シオンさんはもしかして……」と、魔王さん。
「ええ、わたしは医師です。特に、お嬢様が患っている病を専門にしている者です」
「先生は私の担当医なの。生まれる前からずっと一緒にいるんだよね」
「ええ、そうですよ」
うなずくシオンさんの声は、とても優しいものでした。
慈愛に満ちた声色に、どこか引っかかるものがありましたが、それがなにかはわかりませんでした。
「エトワテールにおける『一等星』は、病の名前。私は、生まれつき『一等星』だったんだよ」
そして、ステラさんは話し始めました。
幼い彼女に待ち受ける現実と、星影祭の真実を。
〇
「私は、明日、星になります」
そう告げる彼女の声は凛としていました。
ステラさんは白く光る腕を伸ばし、てのひらを差し出しました。
小さなてのひらも同様に光っています。よく見てみると、光を発しているのは血管のようでした。
「これが『一等星』の証。こんなにわかりやすいのもおもしろいよねぇ」
「……痛くはないんですか」
的外れな質問ですが、無邪気な笑顔を前にすると思考が定まらないのです。
こういう態度が正しいとか、こう言えば傷つけないとか、私にはわかりませんでした。
「だいじょうぶ! お薬のんでるし、この……なんて言うのかな? むずかしい名前の機械でいろいろ……うーん、わかんないや! とりあえずへいき!」
「それなら……よかったです」
「星になる日が近づくと、光が強くなるんだよ。私がもっと小さい頃は、ただ白く見えるくらいだったって先生が」
シオンさんが肯定するように視線をくれました。
ステラさんが生まれた時のことを知っているということは、いま何歳くらいなんでしょうか。けっこう若く見えるんですけど、見ている人が私ですからね。
人間とかどうでもよすぎて、判断の経験値が少ないのです。
「この病気ね、特になにってわけでもないんだけど、足が動かないの。なんていうんだっけ、かはず? ずい……? あれれ?」
「下半身不随、ですね」
「それ!」
「ゆえに、お嬢様はベッドの上から動くことができないのです。不随だからというのもありますが、こうした機械と離れることができないため、車椅子なども使えません」
だから、彼女の世界はシオンさんの話と本によってつくられているのでしょう。
無機質な部屋にあふれる書物は、彼女にとって光なのかもしれないと思いました。
「エトワテールから星が消えてからしばらくして、謎の病気が報告されたんだって。お医者様たちがたくさん調べて、やがて『一等星』という病名がついた。いつか星になる病……。星空で有名になり、星空を失ったことで悲しみの国となってしまったエトワテールに
とって、この病気は光そのものだったって。まるで、消えた星を補うように、十年に一度、誰かが星になって空に昇る……。そして、一年の間だけ輝くことができる。この国に、人々に、光を届けることができる。それが私。明日の私……」
ステラさんは少しだけ躊躇うように言葉を切り、すうっと息を吸うと私の目を見つめました。きれいな青い目でした。曇りのない、覚悟を決めた澄んだ色。
「ねえ、お姉さん、勇者様。お祭りが終わるまでこの国にいてくれませんか?」
「え?」
「私が星になって空に昇るのを見ていてほしいの。あっ、なにかしてほしいとかじゃなくて! えっとね、星を見て『きれいだなぁ』って……。だめ、かな……?」
わっと本のうしろに隠れたステラさん。
魔王さんが私を見て微笑んでいます。……なんですか、その顔は。
「もとより、私たちは星を見にこの国に来たのです。だから……」
魔王さんの顔がやけにうざったいです。なんだってんですか、その顔。やめろ。
「明日ですね。はい、もちろん。必ず見ますよ」
「ほ、ほんとに……⁉ うれしいっ! 私、すっごくきれいに輝いてみせるから、きっと見てね! 約束! あ、お姉さんこれ知ってる? ゆびきりげんまん」
ステラさんは小指を立てて見せました。
ゆびきりげんまん……。どうしましょう、知りません。
「こうやって、小指と小指をからませて」
彼女を真似るように差し出した指に、小さくて細い小指が絡みました。
先まで白く輝いている指が私まで白く光らせているように見えました。
「ゆーびきーりげーんまーん」
かわいらしい声で歌い始めました。
「うーそつーいたら泣ーいちゃうぞ、ゆーびきった! はい! 約束!」
「今の歌は?」
「ゆびきりげんまんのお歌だって、先生がいつもこうやって歌ってくれたの」
「そんな歌があるんですね」
へえ~と思っている横で、魔王さんは「針千本だった気が……あれ、記憶違いでしょうか。認知症かな……」などとつぶやいていました。認知症がなんだって?
「はあ~……たのしかった! お姉さん、勇者様、今日はほんとうにありがとう。お話、とってもたのしかったよ!」
「いえいえ、楽しんでいただけたのならよかったですよ」
「……私は特になにもしていませんけど、いい時間だったと思います。えっと……お大事になさってくださいね」
うーん……、ちょっと違うかもしれない。でも病気を患っているから、合っている?
だめです、さっぱりわかりません。
お辞儀をし、その場をあとにしようと扉の前で待つシオンさんの方へ向かいました。
魔王さんが笑顔で手を振り扉の先に消え、私も続こうとした時。
「お姉さん!」
ステラさんの声が聞こえて振り向くと、そこには小指を見せて頬を桃色に染めた彼女がいました。言葉はなく、代わりにすてきな笑顔を浮かべていました。
……わかりました。ここでやるべきこと。
私は何も言わず、そっと小指を見せました。手を振るように小指を揺らすと、彼女も同じように返してくれました。
思わず緩んだ頬を感じながら、私は部屋をあとにしました。
シオンさんは無言で歩みを進め、施設を出たところで頭を下げました。
「勇者様、お連れの方、本日はほんとうにありがとうございました。突然の申し出にもかかわらず、お嬢様とお話していただき感謝申し上げます」
「とんでもないです。ぼくたちにとっても楽しい時間でしたから。お招きいただきありがとうございました」
「ありがとうございました」
お辞儀は得意です。
「……それでは、わたしはここで。どうか、よい夜を」
「はい。…………」
私は再び被ったフードの中からシオンさんを窺いました。開こうとして何度も閉じる唇。
やがてそれは、むりやり結ばれた様に横一文字に落ち着きました。
「では、ぼくたちはお祭りにでも――」
「待ってください」
気がついた時には声が出ていました。魔王さんのひらひらを掴んで引き留めます。
「私たちはまだ、あなたの頼みが何かを聞いていませんよ、シオンさん」
「……っ!」
顔を逸らしたシオンさんに近寄り、私はポケットから一枚の紙を突き出しました。
そう、ステラさんの願い紙です。
「これ、あなたのしわざですよね」
「……なんのことでしょう」
「ステラさんのもとから持ち出し、施設の前に置いた。私たちに見つけてもらうために」
「なぜ、わたしがやったと思ったのです」
「あなた以外にできる人が思い当たりません」
勇者がエトワテールに来た情報を入手していたこと、地下治療室の厳重な鍵を所持していること、彼女の担当医であること……。理由はいくつもありました。
そしてなにより。
「あなたがステラさんのことを大切に想っていることには気づいていました。外に出られない彼女に外の話をしてほしい。それも本心でしょう。けれど、ほんとうに望んでいることはこっちなんじゃないんですか」
願い紙を揺らしました。
「『星が見たい』。彼女の願いです。つまり、あなたの頼みは『彼女に星を見せてあげたい』。違いますか?」
「…………」
人間の目をじっと見つめることは苦手ですが、私は力を込めて視線を固定し続けました。
やがて、シオンさんは諦めたように、安心したように、息を吐きました。
「その、通りです……。あなたの言ったことはすべて合っています。わたしは、お嬢様に……、あの子に星を見せてやりたかった。どうにか見せてあげたかった。けれど……」
悔しそうに顔を歪ませる彼からは、私たちの知らない苦悩が見て取れました。
「あの機械ごと国外に出るというのはどうでしょう?」
魔王さんがむちゃくちゃな提案をしました。
でも、それが一番手っ取り早いとも思いました。認めたくないですが、同じ意見です。
「さすが勇者様ですね。驚くような案を思いつく。しかし、だめなのです。あの子は地下治療室から出られないだけでなく、この国エトワテールからも出られないのです」
「決まり……とかがあるんですか」
私の問いにシオンさんは首を横に振りました。
「国が決めた規則やルールであれば、わたしは躊躇いなく破ったでしょう。でもそうじゃない。あの子を縛り付けているのはこの国そのもの。この国に残る呪いですよ」
「呪い……?」
「魔王によって星を失ったエトワテールは、いずれ星となる存在を決して逃がさない。血液に呪いをこめ、歩けないようにし、いつか内側から放出される。エトワテールを照らす希望の光なんて国が騙る大義名分でしかない。あの子は大厄災の被害者ですよ」
その声からは憎しみや悲しみが滲み出ていました。
「どうしようもないんでしょうか」
「……ひとつだけあります」
「それは?」
「……『星屑の花』です」
それは、ステラさんが話していた大厄災伝説に出てきた花でした。
地に墜ちた星のかけらを閉じ込めた伝説の花。誰も見たことのない幻の花。
「ほんとうに存在するんですか?」
「わかりません。国は総力をあげて星屑の花を探し続けましたが、こんにちまで発見には至っていませんから」
それはつまり、ないってことでは……。
「この国には、人間が踏み入ることができない地がありますよね?」
突然、魔王さんがそんなことを言いました。
人間が踏み入ることができない地? なんでしょう、それは。
「勇者様にはわかるのですね。はい、存在します。エトワテールの都市郊外に位置するここから東に進むと、大厄災以降、立ち入りが禁止された完全凍結区域『星の眠る地』があるのです」
「星の眠る地……」まさに、という名前ですね。
「隅々まで探し尽くした結果、残るはその地だけだと。ですが、星の眠る地にわたしたちは行くことができないのです」
なぜでしょう。毒ガスでも出ているのでしょうか?
「非常に濃い魔力で満たされているため、人間は入ることすらできないのです」
「強すぎる魔力はふつうの人にとっては毒ですからね」
補足する魔王さん。ええ、知らなかった……。
「勇者様なら平気かもしれないと思いまして……」
「そうですねぇ。だいじょうぶですよ」
おいこら。勝手に進めるな。私はだいじょうぶじゃない。
「どうしますか?」
私を見つめる青い目。どうするって、そんなこと言われても……。
「ぼくはきみの決定に従います」
ふっと耳元でこぼされた声。
そうですね。あなたはいつも私に強制はしない。ただ私の答えを待ち続ける。
聖女のような微笑みをたたえて、柔らかなまなざしを向けて、私の言葉を待っている。
誰から見ても勇者のような魔王さん。
けれど、このひとは魔王だから。私の答えを欲しがってばかりで自分の気持ちなんて言ってはくれないのです。だから私も、仕方なく自分の答えを出すしかないのです。
「星屑の花、いただきに行くとしましょうか」
「はい、そうしましょう」
私たちの答えが出たのを見て、シオンさんは息をもらしました。
「ほんとうに……」
「はい。だから、少しでも情報をください」
「はい……はい、もちろん……わたしにできることなら、なんでも……!」
彼の強く握りしめた手が震えていました。
魔王さんの青い目がうれしそうに私を見ていましたが、気づかないフリをしました。
まったく、またそんな目で見るんですから。
永遠に夜が続くエトワテールでは、時間は時計が頼りでした。
いたるところに時計が設置され、現在時刻を確認することができます。
時計がないと日々の生活がままならないらしく、国民は必ず時計を持参しているのだそうです。観光客などで持っていない人は入国時にもらえるようですが、おかしいですね。私はもらっていない。
魔王さんは「ぼくはもらいましたよ~」と見せてくれました。おいこら、いつもらった。
また、星影祭の期間中のみ、特別な時計が使用されるそうで、魔王さんはシオンさんから不思議な文字盤の懐中時計を預かっていました。
差し上げますと言われたのをいいことに、魔王さんはそそくさと時計を持っていない私に渡してしまいましたけど。
「勇者さんの持っていた懐中時計、ねじが一本足りなくて動かないんですよ。まったく、勇者さんの頭じゃないんだから……」
などとほざいていたので一発みぞおちに入れておきました。
深い青色の文字盤には星型を七つに分けた模様がありました。
一日経つごとに埋まっていき、最後は輝く星となるそうです。
光が灯っていないのは、残り二つ。それももうじき一つになる。
星影祭六日目。私たちがエトワテールにやってきた日。
星になる少女、ステラさんと出会ってからはや数時間。シオンさんから星の眠る地や星屑の花についての情報を入手し、私たちは目的地の手前にいました。
懐中時計は止まることなく時を刻んでいきます。
午後十一時。六日目が終わるまで、あと一時間。
腰(のよくわからない部分)に懐中時計のチェーンをつけると、私は息を吸い込みました。
一歩進んだ先が『星の眠る地』です。
人間が生きていられないほどの魔力が立ち込める地。居住可能区域と完全凍結区域は、結界によって区切られていました。
ほんの一歩の差によって生死が分かれる境。靄がかかる見えない向こう側へ行かなければいけません。
「私はだいじょうぶなんでしたっけ」
「はい。勇者ですから」
「魔王さんが言うならそうなんでしょうね」
私の命の危険があれば、魔王さんはあの時の答えを否定したはずです。
「行きましょうか」
「れっつごーですね」
私たちは進みました。結界をこえた瞬間、空気が変わったのを感じました。
肌がひりつき、音がくぐもったかのような感覚。見えないなにかが上からのしかかっている気がするくらい、重い圧。まとわりつく魔力の濃さが首を絞めてくるようでした。
「きもちわる……」
「だいじょうぶですか?」
「だいじょばないですけど、行きますよ」
気味の悪い感覚を追い払うように頭を振り、辺りを見回します。
そこには、荒れ果てた土地が広がっていました。
かつて誰かの生活を支えていた家々は面影もなく、地面はわけのわからない隆起や沈降を起こしています。深く残る爪痕はそのままに、時の経過とともに廃れていっているようでした。
美しく整備され、きらびやかな輝きを誇る都市部の向こうに、まるで別世界が捨てられているのです。
命の気配など一切なく、真っ暗な闇がどこまでも続く空がここまで似合う場所もないでしょう。
国の大部分が死んでいる。そんな感想を抱きました。
エトワテールを襲った大厄災。引き起こした犯人は、いま隣にいるんでしたっけ。
私たちは足元に注意しながら進んでいきます。
いつもおしゃべりな魔王さんは、珍しく口をつぐんで微妙な顔をしていました。
……これはこれで、調子狂いますね。
私はシオンさんからもらった資料を広げ、
「ねえ、魔王さん」
「は、はい! なんでしょ……」
「例の大厄災、ほんとに魔王さんがやったんですか」
「えーっと……あの……その~……」
魔王さんは、それはもう言いづらそうに口ごもりました。
「別に責めているわけじゃありませんよ。魔王さんは魔王ですし、やんちゃだった頃もあるとかなんとか、言っていましたしね」
「ええと、あはは……」
冷や汗を流しながら何とも言えない声を出す魔王さん。私の方をちらりちらりと窺うと、躊躇いがちに「きらいになりましたか……?」と訊いてきました。
「は?」威圧じゃないです。予想だにしていない質問だったので呆けて出てきた声です。
「えうっ……だ、だって、大厄災はひどいことですし、ステラさんはぼくの行動の被害者ってことですし、星空を見に来たのに星空はないし……」
「ていうか、ご自分で星を落としておきながら、忘れていたんですか」
「あ、あの時はちょっとばたばたしていて……後始末とか……」
「まさか、ぶっ壊した国がエトワテールだと知らなかったと?」
「す、すみません~~!」
びええ! と泣く魔王さんに、私は驚きを通り越したため息がもれました。
このひとはほんとに……はあ……。
やれやれと首を振り、
「もう一度言いますけど、責めているわけじゃありません。魔王としての役割もあるでしょうし、遠い過去のことをどうこう言っても過去が変わるわけでもない。私が知りたいのは、この国と関係がある魔王さんなら、星屑の花について詳しいことを知っているのではないかってことです」
嫌いとか好きとか、そういう感情は関係ありません。
そもそも、勇者と魔王が友好的なのがおかし――って、これはいまどうでもいいんです。
出発前、シオンさんがこれまで調べてきた星の眠る地、星屑の花に関する情報を一通り聞きました。それらを記したものや関連がありそうな資料もいただきましたが、すべて憶測や想像の域を出ない曖昧なものばかりでした。
当然です。人間は星の眠る地に入ることができないのですから。
信用性の高い情報は、大厄災以前の領土地図と現在のエトワテール国の地図。それらを合わせ、星の眠る地の範囲や地形を把握できれば……とのことでした。
範囲はともかく、地形は無理そうですけどね。
それにしても……。
「広いですね」
「大国ですからねぇ」
「パパっと移動できるなにか、ないんですか」
「あったとしてもこの地面では無理ですよ。危険です」
「魔法があるじゃないですか。今こそ魔王としての真価を発揮する時です」
「あー……、それなんですけど、この国、どうやら対魔の結界――」
「なんですか、あれ」
「どれですか?」
「地面から湧き出たり空気がまとまって形になったりしているあれです。この私が食べたいとは思えない雰囲気があります」
「どっからどう見ても敵ですよ。勇者さん、剣の用意を!」
「もう持ってます」
じわりと立ち塞がった無数の魔物たち。地面を這って襲ってくるものから空中攻撃をしかけてくるものまで様々です。
大きさも多種多様ですが、大きいだけで強いとは限りません。
「いらない歓迎ですね」
私は大剣を振り、高濃度の魔力ごと切り裂きました。
あるものは体が真っ二つになり、あるものはかすった時に毒をくらい、あるものは斬撃の衝撃に吹き飛ばされ、霧散しました。
低級相手なら苦戦はしません。剣を振り回せば勝手に消えています。
ていうか、やっぱり魔物出るんですね。
お祭りで賑わう都市でも施設がある郊外でも、魔物が~という話を聞かなかったので忘れていました。
もしかして、さっき通った結界が関係しているのでしょうか。
それはそうと。
「なんでなにもしないんですか」
「雑魚だったので必要ないかなぁと」
まあ、そうなんですけど。そうなんですけども。
「…………」
「勇者さん? なんで不満そうなんですか?」
「いえ別に……」
大剣を鞘にしまおうとした時、
「えっ、まじか」
今しがた殲滅したはずの魔物たちが目の前にいました。
もしかして、子だくさんか?
「魔力が濃すぎて次から次へと魔物が生まれているようです。いちいち倒していたらきりがありません。駆け抜けましょう、勇者さん!」
「言われずともそのつもりです……よっ!」
道を開けるために振った剣により、あっという間に十の魔物が塵となりました。
それでも、うじゃうじゃうぞうぞ湧いてくるので意味がありません。
やってられませんね、こりゃ。
でこぼこの地面に不満を抱きつつ、私たちは走り出しました。
どこへ向かっていいのかわかりません。走る先にも魔物が湧いて腹が立ってきました。
めんどうでも戦わないと、あっという間に行く手が塞がれます。
地面からも空からも、横からも前からも、あーもうめんどくさいですね!
時間制限があるために悠長なことをしていられません。
ただでさえ星屑の花がどこにあるか、存在するかもわからない状態で、こんな雑魚どもに構っているヒマはないのです。
せっかく観光国に来たのにのんびりもできていない、ふかふかベッドもない、おいしいご飯も食べていない。
ステラさんとの時間は、それはまあ、よい時間だったと思います。
彼女の願いも叶えられるなら叶えてあげたいと思っています。
……約束もしちゃったので。
だから、ここでちんたらしている場合ではないのですよ、私は!
「あなたには効かないと思いますけど、いちおう言っておきます。気をつけてくださいね」
「え、なにがですか? って、ちょっと! 立ち止まったら危険――」
私は大剣を地面に突き刺し、立膝をつくと剣身を両手で握りしめました。
ぐっと力を込めると、てのひらが切れて血が流れるのを感じます。
「勇者さん、なにしてるんですか⁉」
「離れていた方がいいと思いますよ」
私の目と同じ色をした血が、剣身を伝って地に落ちました。すると、私を中心に魔法陣が浮かび上がり、暗い世界を照らすように光輝きました。
陣がひときわ強い光を放つと、私が想像する範囲まで『対象』を広げます。
……このくらいでいいでしょう。
魔法はあんまり得意じゃないんですけど、そうも言っていられないのでね。
広範囲に輝く陣が波打ち、魔物たちの足を捉えます。
空の闇に負けないくらいの深い黒がじわりじわりと魔物たちを飲み込んでいきました。
一度触れたら毒に侵されるので、抵抗はできないと思います。
雑魚なら触れた瞬間に死んでいると思いますし、辛うじて生きていても茨が巻き付いて拘束され、身動きは取れないでしょう。
空から攻撃していた魔物たちは地に張った魔法陣から距離を取ろうと上空へ逃げました。
でも、残念。
この魔法はちょっとすごいので、空だろうが地下だろうが関係ありません。
魔法陣から飛び出した茨が殺意高めに魔物に襲い掛かり、地面に引きずりおろしていきます。地に叩きつけられて死ぬもの、抵抗しながら飲み込まれるもの、茨を引きちぎろうとしてさらに多くの茨に取り込まれるもの。
魔法陣は、これから魔物として形を成そうとする魔力ごと飲み込んでいきました。
慈悲などない魔法で捉えられる限りの魔力を底なし闇に墜とすことしばらく。
辺りの魔力があらかた消えたのを感じ、私は魔法を閉じました。
剣を抜き、鞘に納めます。
ふうと息をはいたところに、魔王さんがハンカチを差し出してきました。
「こ、こわかったです……」
本音が隠れていませんでした。
「周囲の命ごと飲み込むので、あんまり使えないんですよ」
「魔王が使うべき技ですね……」
「同感です」
魔王さんに包帯を巻かれ、私たちは改めて星屑の花を探しに歩き出しました。
「勇者さんの魔法で一時的に魔力が薄くなったので、今がチャンスかと」
「魔王さんのなんちゃってぱわーで見つけられないんですか?」
「そうしたいのはやまやまなんですけど、この国には結界が……いえ、勇者さん」
改まった様子の魔王さんに、私はなんとなく気が引き締まる思いを抱きました。
「なんですか?」
「勇者さんは勇者です。魔王であるぼくや、普通の方々にはない何かがあるはずです。きみなら星屑の花を見つけられる。必ず」
「突然なにを言っているんですか」
「ステラさんに残された時間はわずかです」
「…………そんなことわかっています」
「時間がないので詳細は省きますが、エトワテールに残る魔力は普通の魔力と異なります。魔王のようであり、魔なるものではない魔力。その違いを感じ取ってください。そうすれば、最も強く魔力が残る場所がわかるはずです」
「その最も強く魔力が残る場所に、星屑の花があるんですか」
「それはわかりません」
真剣な表情で言っていた魔王さんは、ここで「ですが」と笑みを浮かべました。
「とーっても大切なものなら、とーっても強い番人に守ってもらいたいと思いませんか?」
「……たしかに。理屈はわかりました。勇者ではあるものの、勇者っぽくない私にできるかわかりませんが、やるだけやってみます」
私は目を閉じ、意識を集中させました。
何も見えない世界。真っ暗な闇。
魔王さんが邪魔にならないよう、自身の魔力を抑えているのを感じました。
このひとの魔力は覚えています。
だから、別の魔力を探すのです。
広い広い荒れ果てた地のどこか。星のかけらを閉じ込めた花。あるかどうかわからなくたって、探すと決めたのです。
飲み込んで薄くなったはずの魔力がもう戻り始めているのを感じました。
一体どれだけの魔力がこの地に残されているでしょう。
魔力を深く深く覗こうとすればするほど、全身にまとわりついてくるようで気持ちが悪い。正体を暴こうとするたび、それを拒むかのように首を絞めてくる。
なんだか、脳に藁でも詰まっているような魔物たちとは明らかに違いますね。
明確な意思というか、感情というか、私がなるべく避けているものを直接見ているような……。
ぐちゃぐちゃと入り混じった形のないものが、むりやり一つになって暴れているような。
……入り混じった?
「……あれ?」
「どうしました?」
「ひとつじゃないような……どういうことでしょうか」
「ひとつじゃないということは、複数?」
「たぶん……」
「ここには、複数の違う魔力があると?」
魔王さんは私の言葉を整理し、問いかけてくれました。
「そんな……感じ……です、たぶん。あ、待ってください、あと少しでもっと――」
混沌と交錯する魔力をかき分け、その形が見えそうだと思った時でした。
あまりに強い力で首を掴まれ、骨を砕かれそうな感覚を抱きました。
「――っ‼」
まずい、と思った時、別の強い力に引っ張られ、気がつくと魔王さんが厳しい顔で私を見ていました。その手は私の腕を掴み、ぎりぎりと力を込めています。
「……あの、痛いです」
「……ごめんなさい」
魔王さんはまったく安心していない様子で手を離しました。
「ちょっと危ないようでしたので、手荒な真似をしてしまいました。骨は折れていないと思いますけど……、すみません。痛い思いをさせて」
「いえ、私の方こそごめんなさい。もっと警戒すべきでした」
腕に残る痛みを感じつつ、私は首を掴まれた感覚を思い出していました。
あの感覚を私は知っている。前にもされたことがあるから。
あれは――。
「だいたいわかりました。強い魔力がある方も今なら感じます。行きましょう」
「……だいじょうぶですか」
「はい。なにも問題ありませんよ」
「そう、ですか……。それなら、先に進みましょう」
私たちは明確になった目的地に向け歩みを進めました。
そっと首に手を当て、あの感覚を消すように爪で痛みを加えます。
抵抗すら許さないと言わんばかりの深く冷たい苦しみ。
ええ、よく知っています。あれは。
「…………人間の……手」
とても嫌な、悪意の手でした。
〇
かち、かち、と秒針が刻まれていくのを見つめ、やがて針が一番上を指した時。
星型にぽう……っと光が灯りました。これで六つ目。
日付が変わり、今日は星影祭最終日。彼女が星になる日。
時間は刻一刻と迫っています。
迫っていますが……。
「……お腹すいた」
「あれ? 最後にご飯食べたのって」
「シオンさんからあれこれ話を聞いている時にちょっとつまんだだけです……」
「ああ……、それは大変……」
よろしければ、と出されたお菓子と飲み物をお腹に入れただけで、がっつり食べたのはなんとびっくり、入国前です。死んでしまう、死んでしまいます……。
人の力では到底できないようなえぐれ方をしている岩の陰で、私たちは休息を取っていました。強い魔力のもとに近づいてはいるものの、なにぶん広すぎて困ります。加えて、絶え間なく魔物が湧き出て襲ってくるので疲労がすごい。とはいえ、こうして状況を整理する時間があると、空腹が脳を支配してどうしようもなくなります。一度空腹だと認識するともうだめです。お腹すいた。
「腹が減ってはなんとやらです。今のうちに食べておきましょう」
魔王さんはポシェットから食べ物と水を取り出すと、自分はよいしょと立ち上がりました。
「どこへ?」
「勇者さんが休憩している間、魔物はぼくが倒しておきます。ゆっくり休んでいてくださいね」
「魔王さんは休憩しないんですか」
「魔王ですから~」
答えになっていない答えを告げ、魔王さんはひょいひょいと岩の向こうに消えていきました。エトワテールに来てから、魔王さんは魔法を使っていません。だからといって、戦えないわけではなく、めちゃくちゃ普通にグーパンや蹴りで魔物を蹴散らしています。
移動中に聞いた話によれば、エトワテールに張られた結界が原因なんだとか。
入国前に見た結界は夜を閉じ込めるためのもので関係ないそうですが、問題は居住可能区域と完全凍結区域を分ける結界。
魔王さん曰く、非常に強力な対魔の結界であり、それによって魔力が漏れ出るのを防いでいるようでした。当然、魔物も居住区域に出ることはできないので、あの結界のおかげでエトワテールは安全な観光国として存続できているのだろうと。
魔力に反応する対魔の結界。
それは例外なく魔王さんの魔力にも反応するそうで、結界の作用で安定しない中で魔法を使用すれば、結界自体を破壊するおそれがあるのだそうです。
もし結界が壊れたら、エトワテールは崩壊するでしょう。
しかも、今は十年に一度の大祭中。多くの観光客が集まっています。
猛毒に等しい高濃度の魔力が国中に蔓延したら、一体どれだけの命が失われるでしょうか。
魔王さんは「再び厄災を引き起こすことになってしまいますから……」と魔法を使うことを封印しました。
私もその判断に賛同しました。
人間とかどうでもいいんですけど、せっかくお祭りを楽しんでいるのなら勝手に楽しんでいればいいと思いますし。
知らなくていいことを知る必要もないでしょう。
なにより、星影祭が壊れることを私が望んでいません。
理由はそれだけでじゅうぶんでした。
「代わりと言ってはなんですが、めちゃくちゃパンチしますから!」と言って拳を作る魔王さんに、不安はありませんでした。
あ、戦力としての不安って意味です。このひとには常に不安がありますから。主に性格の方で。こんにゃくを投げたらあっという間に結界を破壊しそうですし。
……と、携帯食料を咀嚼しながら、私はふと思うことがありました。
「……魔力に反応っていうけど、私、めちゃくちゃ魔法使っていますよね」
雑魚たちを一掃した魔法以降も、茨で拘束したり毒で撃墜したり、かなり魔法を酷使しています。こんなに魔法を使ったのは初めてくらいです。
魔王さんの話を聞くに、これってだいじょうぶなんでしょうか。いや、今さらかもしれませんけど……。
まあ、だめなら魔王さんが何か言ってくるでしょう。
いま大切なのは星屑の花です。休息を取ったらまた進みましょう。
星の眠る地に入ってから、まだたったの二時間ほどなのに、かなり疲労が溜まっていました。まだ低級レベルが主ですが、数が多いです。加えて、少しずつ上の級が出現しているのを感じていました。すべてを倒すわけではありませんが、それでも進むためにかなりの数を消し去ってきました。
命に反応しているのか、彼らなりの歓迎なのかわかりませんが、どうにも私に寄ってきているような気がするんですよねぇ……。
最初は魔王さんの魔力に引き寄せられているのかとも思いましたが、観察してみると違うように思いました。
勇者だから? その可能性は高いですが、それにしてもなぁ……。
「おいしそうな匂いでもしてたりして」
なんちゃって。
「…………」
いや、なくはないな。相手は魔物ですもんね。
「……はあ」
いま考えることじゃないですね。水飲もう。
空腹が満たされたのを感じていると、魔王さんが戻って来て私は再開の準備をしました。
広大な荒地を魔物を滅しながら進み続け、気がついたら時刻は午前七時。
朝日が昇らないので時間感覚がわかりません。ときおり懐中時計を確認しますが、見るたびに短針が別の数字を指していて焦燥感を抱かせます。
時間が経過するにつれ、私たちは星の眠る地の奥へとやって来ているのはたしかです。
地図と照らし合わせて進む余裕はないので、いまどこにいるのかは正直わかりません。目印になるようなものも、すでに崩壊して残っていないはず――。
「……ん?」
なにかありました。
割れた金属片のようなものや、板や、お椀のようななにかなど、総じてよくわからないものが散らばっています。
これまで瓦礫はたくさん見てきましたが、それらとは少し違うような。
既視感を覚える残骸を、じいっと見つめて気づきました。
ステラさんがいる施設に付随していたものに似ていますね。
名前は知りませんが、不思議な形だったので覚えています。
「望遠鏡の残骸のようですね」
「望遠鏡?」
「天体観測をする道具です。もちろん、星空観察もできますから、星空で有名だったエトワテールにあっても不思議ではありません」
「へえ……」
となると、ステラさんがいた施設も観測施設なのでしょうか。治療室と言っていたので病院かと思いましたけど。
空を見る施設にしては、ずいぶん低い……というか、陥没した場所にあるのですね。
いや、あの場所だけ他よりも大きな沈降を引き起こしています。
加えて、上から衝撃を受けたようなクレーター。
そこにあるのはぽっかりと口を開けた岩の洞窟。
真っ暗闇の先は目視できず、ただ濃い魔力が漏れているのを感じました。
星の眠る地を覆う高濃度の魔力。その発生源を発見したのでした。
「星屑の花があるとすれば、あの先かと」
「勇者さんがそう言うのなら、ぼくはついていきますよ」
「来るなって言ったってついてくるくせに」
「えへへ~、その通りです」
削れた地面を慎重に進み、巨大な望遠鏡の残骸をくぐり抜け、洞窟の入口へ。
途中に湧き出る魔物はもう上級レベル。油断のないよう倒しつつ、境界の一歩手前までやってきました。
先の見えない闇に、魔王さんは超強力なランタンを点けました。
入り口は人間が五人並んで歩けるくらいの幅があり、照らされた壁は手掘りとは思えない削れ方をしています。どこから吹いているのか、洞窟の奥へと背中を押す風が冷たい。
旅行鞄に小さめのランタンをくくりつけ、大剣を持ち直すと歩き出します。
洞窟だからでしょうか。コウモリに似た姿の魔物が大量に出てきました。
鋭い風を放ち体を引き裂こうとしてきます。
避けた風はそのまま壁に当たり、私たちを倒せなかった腹いせのように土をえぐって消えました。
土といっても、岩のように硬いものです。砂遊びでスコップを突き立てるのとはわけが違います。つまり、一発でも当たったら致命傷。
そんな威力の攻撃を当然のように放ってくるコウモリたちは、こちらも当然のように数匹なんてことはなく。
「どんどん湧いてくる……気持ち悪いなもう……!」
倒しても倒しても出てきます。コウモリには悪いですが、オブラートに表現する余裕はありません。気持ち悪いです。
戦い続けてもうじき八時間。不眠不休の労働には慣れっこですが、剣を振り回しまくるとなれば話が違います。ちょっときつい。
でこぼこの足元が地味に体力を削ってくるのもめんどうです。
風を避けた先も見ておかないと、引っかかって転ぶ――。
「……っつ!」
言ったそばからやらかしました。まずいまずい。このままの体勢だと回避できません。
風のルートは心臓一直線。まずい……!
急所だけでも外そうとむりやり体をねじろうとした時、私の前に魔王さんが飛び出しました。腕を広げて風を受け、もろに攻撃をくらった魔王さんの腕が跳ね飛びます。
彼女は表情ひとつ変えずに、宙を舞う腕をもう片方の手でキャッチすると「ご無事ですか?」と訊いてきました。
「その質問は私よりも魔王さんにふさわしいかと……」
「ぼくは元気です」
切断された肘から先の腕をぶんぶん振る魔王さん。やめろ。
「ありがとうございます、助かりました」
「魔法が使えないので、この体を盾にするくらいしかできなくて……」
盾にするくらいしかって……。
「じゅうぶんです。腕、だいじょうぶですか」
「えいってやればくっつくので」
そう言ってほんとにくっつけました。便利だな……。
「魔力が濃くなればなるほど、魔物も強くなっていきますね」
「低級から始まって今は上級レベル。となると、次は超級で、ラスボスが絶級?」
そういうのいいです。結構です。いらないって意味の結構です。
冗談じゃない。こちとら疲れているんですよ。雑魚相手にするのも飽きてきました――って、強いやつを求めているってわけじゃありません。
もう何も出てくるなってことです。
星屑の花を探す目的も残っていますし、見つけたらステラさんのところに戻らなきゃいけません。見つからなくても祭りの終わりまでには帰らなくてはいけないのに……。
洞窟の先へ走る私から、思わず深いためいきがこぼれました。
「お疲れのようですね。ですが、彼らは休息を取らせてくれるほど優しくないようです。ぼくと違って!」
いらん一言が聞こえた時、洞窟の先がひらけているのが見えました。広さがあれば攻撃の自由もきく。そう思って飛び込んだ瞬間、息が詰まりそうな魔力がまとわりついてきました。
「うっ……、なんですか、ここ」
「洞窟最奥部、他の言い方をすれば、ラスボスエリアです!」
その言葉通り、目の前には五体の魔物、そのうしろには全貌が掴めないほど大きな魔物がいました。いえ、魔物というより魔力の塊そのものという感じです。
まさしく絶級ですね。相対で戦闘したくない。
その前に立ち塞がるは、おそらく超級の魔物。五体それぞれ基本属性の魔力を感じました。なんだなんだ、魔法の最終試験ですか? 私、後天的に魔法が使えるだけで魔女ってわけじゃないんですけどね。
高く深く広がる空間は、当然暗い場所でした。
けれど、明るい。一か所だけほのかな明かりをこぼすところがあるのです。
それは、絶級魔物の中。
半透明の霧のような体をしている魔物の中は透けて見え、ぼう……っと光るなにかが確認できます。
ぐっと目をこらすと、それは花のように見えました。つぼみが閉じ、開花前の姿。
これみよがしに強い魔物たちのオンパレード、たった一輪だけある花、役者は揃っている。
「絶対あれですよね、絶対」
「確証を得るためにゲットしましょう!」
「そのためには――」
私は剣を構えます。魔王さんは真剣な顔で両手の拳を突きあげました。
……なんですか、そのポーズ。やめてください、ちょっとおもしろいから。
「くれぐれもお気をつけて。行きますよ、勇者さん!」
「はい、魔王さん」
午前八時。タイムリミットまであと十六時間。私たちは暗い地面を力強く蹴って走り出しました。
魔王さんが私の盾になりながら、五体の魔物の攻撃をかわしていきます。
こいつら、なんとなく人型っぽくて気味が悪いのです。
しかも、連帯感があるような。おかげで攻撃を避けた先に別の攻撃が飛んでくるといったように油断ならない状況が続きます。
幸いなのは、花を守る(?)魔物が動かないこと。
なぜかはわかりませんが、動かないに越したことはありません。今のうちに倒し、さっさと花をいただくとしましょう。
魔物たちは動きも速く、攻撃の威力も強いためになかなか近づけません。
連携の取れた魔法の連続でこちらの体力が一方的に消耗していきます。
そもそも連戦中なのです。長期戦になったら勝機が逃がすことになる。
それならば、ちまちま避けるのをやめて一気に畳み掛けるのが最適解。たぶん。
私は魔法を発動するべく魔力を身体にこめます。
茨で拘束するには彼らの動きは速すぎる。茨を飛ばした先から逃げ、逃げた先に飛ばしてもまた逃げられるのは明白。それなら、逃げ場所をなくしてしまえばいいのです。
体にまとった魔力がおびただしい量の茨を形作り、危険を察知して距離を取ろうとする魔物たちに向かって伸びていきました。
空間を覆い尽くすほどの茨たち。行くあてのなくなった魔物たちは一体、また一体と茨に捕まり、ぎりぎりと締め上げられていきました。
食い込んだ刺から毒がまわり、抵抗する魔物たちは次第に動きを停止していきます。
「…………きついな」
気持ちの悪い汗が流れていくのを感じます。魔力を派手に使いすぎたようでした。
魔法使いや魔女のように魔力を持って生まれた人間ではないので、魔法は得意じゃないんですよ。体に馴染んでいるわけでもありません。
ここまで来るのにかなり魔法を使ってきたことと、今の技でほとんど魔力が尽きたようです。でもまあ、ラスボスだと思った魔物は動かないので、問題はないはず――。
「勇者さん、危ない!」
魔王さんが私に飛びつき、そのまま壁に突撃しました。
今しがた私がいた場所は陥没し、深い穴を形成していました。
五体の魔物は行動不能のはず。それならもう、犯人は決まっている。
「……読みが外れたってことですか。参りましたね」
「動けますか?」
「動くしかないでしょう」
魔法の酷使と戦いっぱなしのせいで足が震えていますが、文句は言っていられません。
剣は握れるようなので、まだ戦えってことですね。
靄の魔物――番人とでも呼びましょうか――は私が締め上げた魔物たちを掴むと己の中に吸収してしまいました。
「んなっ……! それは私が捕まえたんですよ! 横取りですか!」
「勇者さん、怒るとこ違います!」
どんな攻撃をしてくるかわかりませんが、もう私の魔力はほぼありません。回復を待っている時間もないときたら、番人が準備している間に花をかすめとってとんずらするが勝ちです。
「その言い方だと悪いことをしているみたいですよう……」
「なんか大事そうなので言葉を選んだ次第です」
「いつもはそんな配慮しないじゃないですかぁ!」
大変失礼な発言を寛大な心で無視し、私は剣で防御しながら番人の懐に向かって全速力で走りました。取ってしまえばこちらのもの。あと数メートルで花に手が届く――。
「――いったぁ⁉」
見えない壁に激突しました。
「な、なんですか……! 結界?」
「勇者さん!」
洞窟が震えるくらいの声量で番人が叫びました。じんじんと痛む頭を労わっている暇はなさそうですね。
仕方なく番人から距離を取り、剣を構えます。さっと手を出して前に出る魔王さん。
悲鳴のような響きの声はしばらく続きました。あまりの大きさに耳も脳も痛くなってくるようです。思わず顔をしかめ、薄く目を閉じた時、狙ったかのようなタイミングで攻撃が飛んできました。
五つの魔法属性を取り込んだだけあり、火の玉やら氷の柱やら風の衝撃波やらが絶え間なく襲ってきます。番人はというと、ご自分の体らしき靄を空間全体に広げています。
なにしているのでしょうか。
「あれは強い強い魔力の塊です。言い換えれば、猛毒の塊ってことですよ」
「あー……。毒で倒そうって魂胆ですか。でも、私には効かないんでしたよね?」
「はい。あれは効きません」
あれは、ね。まあ、いま効かないのなら問題ありません。
「目には目を、毒には毒を、と思うのですが」
ほんの少しなら魔法を使えそうです。
ところが、魔王さんはうなずきませんでした。
「いざという時のために魔力は残しておくべきです。それに、彼らにはきみの毒は効かないかと」
「……そうですか」
さっき効いていたと思ったのですが、見間違いだったのでしょうか?
ひとまず、大剣を振ることにします。
飛んでくる攻撃をざっくざっく切り裂いていますが、どうにも処理しきれません。
避けずに処理しているのにも理由はあります。
番人のやろう、火力が洒落にならないので攻撃を避けると洞窟がやばいのです。
やばいとは、崩落のやばさです。
生き埋めなんてごめんですよ。
とはいえ、思うように足は動きませんし、剣を振りかざす腕も重い。
魔法を使いすぎたということもありますが、単純に疲労がすごい。
呼吸を整えようにも暇がなく、ずっと肩で息をしている状態です。
そりゃそうですよね。食事もまともに摂っていませんし、昼寝すらしていません。
がんばってますね、私。えらい。とってもえらいです。
「…………」
自分で褒めないとやってられません。でも、褒めても敵は消えないしお腹も満たされないので、戦うしかないのです。
「…………勇者さん」
魔王さんは心配そうな顔で小さく私を呼びました。なんですか、らしくないですね。
「いろんな意味で時間がありません。ってことで、ちょっと魔王みたいな作戦を考えたんですけど、聞いてくれますか?」
「きみは勇者なんですけどねぇ。はい、ぜひお聞かせください」
魔王さんが盾になって攻撃をさばきながら、私は作戦を話しました。
「無茶なことを言いますねぇ」
そう言う魔王さんは笑っていました。「はい、お任せください」
「お願いしますね」
「勇者さんもお気をつけて。ほんとうに、気をつけてくださいね」
「わかっています。では、これを」
私は剣身を握り、再度血のしずくを吸わせます。
不満そうな魔王さんが言葉をかみ殺している顔が実に愉快。
魔力がしみ込んだ大剣を魔王さんに手渡します。
一瞬、「おもっ⁉」という顔をした魔王さんに気づかないフリをし、私は走り出しました。それに合わせ、魔王さんも走り出します。私と逆方向へ。
大剣がないぶん身軽になった私は、魔王さんに攻撃が集中したのを確認すると星屑の花の元へ駆け寄ります。
腰にさした短剣を取り出し、結界に向けて振り下ろしました。
ぱきん、と音がしてヒビが入るのがわかります。
よし、壊せそうですね。
白い光が滲んでいるつぼみが美しい……ですが、咲いていませんね。
いえいえ、今は気にしていられません。
何度も短剣を突き立て、私はついに結界を壊しました。
脆くてよかったです。
花の摘み方なんてわかりません。ええい、このまま取ってしまえ!
私は緑の葉をつける茎を掴み、そっと引き抜きました。つぼみの中の光はそのままで、一瞬で枯れるようなことはありませんでした。
よ、よかった……。
「魔王さん!」
旅行鞄に花をしまい、私は囮になってくれた魔王さんを呼んで作戦成功の合図を送りました。
「ほ、星屑の花、ゲットできましたかぁぁぁぁぁぁ‼」
「できました! 逃げますよ!」
「はいぃぃぃぃぃぃぃ‼」
悲痛な色の声が洞窟に響き、少しずつ私の元へ近づいてきます。
大剣を頭の上で掲げながら走り回っていた魔王さんは、なんだかとってもひどい姿をしていました。
ぼろっぼろでした。
「……ちょっと罪悪感」
私が魔王さんに頼んだこと、それは。
魔法が使えない状態の魔王さんに勇者の力がこめられている剣を持ってもらい、番人からの攻撃をなるべくすべて受けること。
前者は囮の意味、後者は洞窟の崩落を避ける意味。
一発が致命傷になる攻撃を受けてもらっていたので、魔王さんの姿はそれはもう哀れな……。涙をぽろぽろ流していて、さすがの私も申し訳ないと思ってきました。
「この剣、痛いんですよう!」
あ、そっち?
「番人の攻撃はどうでもいいですけど! ぼくにとって勇者の力は弱点なんですからぁ! めちゃくちゃ重いですし! うわぁぁぁぁぁん!」
「なんかごめんなさい」
「勇者さんが無事ならいいですぅ‼ 無事ですかおケガはありませんかだいじょうぶですかお元気ですか⁉」
「平気です」
「ならいいですぅぅ‼」
勢いがすごい魔王さんから剣を受け取り、私たちは洞窟の外へと足を向けました。
逃げる私たちに怒ったのか、星屑の花を奪われたことに気がついたのか、番人が今日イチの怒号を放ちました。
「うあぁっ……!」
「勇者さん⁉」
頭が割れそうな声に、思わず膝をつきました。脳に刃物が突き立てられたような痛みです。耳を塞いでも効果はなく、感覚をぐちゃぐちゃにかき乱されている気分です。
おかげで立てない。視界が揺らぐ。
……いったい。うるさいですね。もうあなたに構っている時間は終わりです。
広い空間から狭い道に入ったところで足止めをくらった私は、薄く開けた目で周囲を確認しました。
背後で、番人が属性をめちゃくちゃに混ぜ合わせたばかみたいな魔法を放とうとしている気配を察知しました。
……迷っているひまはなさそうですね。
「勇者さん! だいじょうぶですか! 立てますか、ぼくがおぶって――」
「魔王さん」
私は魔王さんの手を引いて顔を近づけました。
番人の声がうるさくて、こうしないと声が届かないので。
私はちらっと視線をやって言います。「壊してください」と。
ハッとした魔王さんは、しかと頷くと私の剣を持って構えました。
番人が強力な魔法を放ちました。でも、そんなことはどうでもいい。
「魔王さん!」
私は残していた魔力をありったけ使って魔法を発動しました。
剣にまとわせた魔力が光を放ち、鋭い茨となりました。
「きみたちはここで眠っていなさい!」
魔王さんの声とともに風を切って振り下ろされた剣が、無数の攻撃によってひび割れていた壁に大打撃を与えました。途端、重く壊れる音が洞窟全体に広がっていきます。それに呼応するように茨がひびに沿って這っていきます。
最も大きなひびが下から上へ、いかづちのように伝わると番人の頭上が爆発しました。
巨大な岩や土が番人を魔法ごと飲み込み、土煙とともに消えていきます。
残念ですが、その様子をのんびり見ている余裕はありません。
「勇者さん急いでください!」
番人の悲鳴が消えた私は、魔王さんに手を引かれて立ち上がりました。
洞窟が崩壊していく爆音が私たちを包み、土煙や砂が四方から襲い掛かってきます。
番人の方だけ壊れてくれればいいですが、そんなことが叶うわけもなく。
私たちが逃げる先にもひびは伝わり、無慈悲に行く先を塞ごうとします。
魔王さんが瞬時にルートを見極め、ルートがなければ回し蹴りなどで作ってくれました。
そんな中でも命を奪いにくる魔物たちですが、崩落は平等にすべてを埋め尽くそうとしていきます。
魔物の断末魔が土煙の中に巻き取られていくのを横目に、私たちはひたすら出口に向かって足を動かし続けました。
粉塵に喉をやられ、声も出せなければ満足に息もできません。目を閉じたくても不安定な足元のせいで開けざるをえない。まあ、舞い上がる土煙でほとんど見えないんですけど。
そんな中でも、魔王さんの手を引く強さは変わりませんでした。
引っ張られる方へ足を出せばだいじょうぶ。そう思った時には、私は視界を閉じて引かれる手に意識を集中させることに尽力していました。
ただひとつ、繋いだ手のぬくもりだけを感じるために、他のすべてをシャットダウンして走り続けることしばらく。
「出口ですよ出ましたよわぁい! 勇者さんだいじょうぶですかおケガ――って、寝てる⁉」
「んなわけ。土煙が目に入って痛いだけですよ」
「そ、そうですか。びっくりしましたぁ」
洞窟から出た直後、入り口は崩落によって塞がれ、逃げ出ようとした魔物ごと姿を消していきました。
少し離れたところから洞窟の最後を見届けると、懐中時計を確認します。
午前九時半。じゅうぶん時間はあります。これなら間に合いそうですね。
「悠長に構えている余裕はないかもしれません。星の眠る地の境界から洞窟まで来るのに八時間かかっています。体力満タン、魔力満タンで、です」
対して、今の私は体力ピンチ、魔力からっからです。しかも……。
「なんでまだ魔物が湧いてくるんですか」
「番人が消えたわけではありませんし、土地に残る魔力は尽きることを知りませんから」
「めんどくさぁ……」
行きましょう、と魔王さんに先導され、私は疲労困憊の体を動かしました。
やれやれ、しつこい魔物たちですね。しつこいのはひとりでじゅうぶんなのに。
めちゃくちゃ疲れているとはいえ、まだ動けます。可能性が残っているのなら、動かなくてはいけませんよね。
震える足に鞭打って、私はひたすら魔物をかいくぐります。正直、戦えるだけの余力はないのですが、魔物たちは「そんなこと知るか」と言わんばかりに大群です。
毒沼にこんにちはする魔法は使えません。ああもう、ほんとにめんどくさい!
体の重い私に代わり、魔王さんがえいやそいやと魔物を蹴散らしていきます。
「体が小さくて一気に倒せません……! こんなことなら、入国前にドラゴンにでも変化しておくべきでしたよう! 大きいし、空も飛べるし、火も吐けるし!」
たしかに、ドラゴンがいたら大変便利だったでしょうけど。
「そもそも入国できないと思いますよ」
「うわぁぁぁぁぁん‼」
まるでふざけているような会話しながら魔物を倒していきます。実際、ふざけています。
こんなふざけた状況、軽口でも叩かないとやっていられません。
低級も超級も入り混じった混沌の世界で、魔王さんが盾になってくれなければ死んでいたでしょう。それでもカバーしきれずに攻撃をくらい、私もひとつ、ふたつと傷が増えていきます。攻撃を避けるだけなら辛うじてできたでしょうが、鞄に当たることを懸念して庇う動きをしているので、私ももうぼろぼろです。
痛いし、疲れたし、しんどい。でも、これだけはどうか――。
他になにも考えず、懐中時計を見る余裕もないまま戦い続け、どれだけの距離と時間を走ったのでしょう。
やがてそれは見えてきました。
「結界! 勇者さん、あと少しですよ!」
「……は……い……」
さすがにきつい。さすがに。息も絶え絶えに鞄を握りしめ、私は結界の向こうを見据えます。あとちょっと。あとちょっと。
結界が見えてほんのわずか気が抜けたのか、限界だったのか、靴が凹凸に引っかかりました。
「……こんな、時にっ……!」
鞄を気にしていたせいで受身も取らずに盛大に転びました。
すぐさま立とうにも、悲鳴をあげる足がいうことを聞いてくれません。
すぐそこなのに……!
魔物たちがここぞとばかりに攻撃を向けてくるのがわかりました。このままじゃもろにくらう。ここまで来たのに、あと少しなのに……。
攻撃に備えて鞄に覆いかぶさった時、私は体が浮くのを感じました。
「ごめんなさい勇者さんっ‼」
「……えっ」
広がる景色は暗闇の空。あれ、どうなって……。
「てりゃあああああああっ‼」
魔王さんの声とともに、私は風を切り、魔物を通り過ぎ、宙を舞いながら結界の外に放り出されました。
「いっ……つぅ……」
地面に転がり体のあちこちが傷みましたが、辛うじて立ち上がりました。
「魔王さん!」
私をぶん投げた魔王さんは、「行ってください! ステラさんはきみを待っています!」と叫び魔物の大群に飲み込まれました。
「あっ……魔王さ――」
結界の方へ足を出そうとし、私は抑え込みました。
ちがう。いまやるべきことは。
私は結界に背を向けて走り出しました。
番人戦であのひとに囮になってくれと言ったのは誰ですか。
私がいない方が派手に暴れられるでしょうし、なにより、あのひとは死なないから。
「先に行け」だなんて、まるで勇者のような行動をしていましたが、忘れちゃいけません。あのひとは魔王です。だから、心配はいらないでしょう。
星の眠る地を抜けたおかげか、少しだけ息がしやすくなった気がします。
そう自分に言い聞かせて施設へ走り、足が己のものではなくなった時。
「つい……た……」
施設の前に辿り着きました。掲げられた時計は十二の数字に短針を置いています。
「……‼」
いえ、まだです。限りなく十二に近いだけ。長針は、十の位置。
まだ間に合う。私はステラさんのいる地下治療室に駆けていきました。
施設の人らしき方たちが驚いて私を止めようとしますが、露わになっている黒髪と赤目を見てたじろぎ距離を取りました。
たまには役に立つときもあるんですね、この色。
転がり落ちるように階段を駆け下り、半ばぶつかりながら扉を開けました。
鍵はかかっていませんでした。
驚いた様子のシオンさんが慌てて立ち上がり、私を見て声を詰まらせます。
花を取り出して鞄を放り投げると、私はベッドに駆け寄りました。
ステラさんはベッドの中で目を閉じ、浅い息をしています。小さな体は煌々と白く輝き、いまにも弾けて消えてしまいそうな儚さがありました。
胸の上で一冊の本を抱きしめている彼女の名前を呼びかけます。
「ステラさん! 聞こえますか、私です。勇――ええっと、お姉さんですよ!」
優しく肩を揺さぶり、彼女の反応を待ちました。
わずかに震えたまぶたが薄く開き、かすかに「おねえ、さん……?」と声が聴こえました。
「……うれしい、また、会えた……私、もう会えない、かと思って……」
「ステラさん、これをどうぞ。見えますか?」
私は本を抱く手に花を挿し、彼女の体をそっと抱き起しました。
あまりに細く小さな体。たった一日なのに、ここまで悪化するのですか……。
「ひかってる……。もしかして、星屑の、花……? 取ってきて、くれたの……?」
これが星屑の花かどうか。強い肯定はできませんが、きっとそうだと信じています。
なぜイエスと言えないのか。
それは、まだつぼみが開いていないから。淡い光を閉じ込めているだけで、星のかけらがわからない。これでは彼女の願いを叶えられない。
「お願い咲いて……はやくしないともう時間が……」
私は花を握る彼女の手を包み、どうか、と願いました。
どうか、彼女のさいごがすてきなものであってほしい。
どうか、彼女の小さな願いが叶ってほしい。
どうか……。
私は人々の平和と安寧を守る勇者なのでしょう。普通の人にはできない何かができるのでしょう。そんな力があるのなら、どうか今、星屑の花を咲かせてください。
ステラさんの命が星になる前に、彼女だけに輝く星を。
約束を果たす前に、彼女の願いを――。
「…………」
約束……。
私は自分の小指を彼女の小指にからめました。
すると、弱々しい力ですが彼女も結び返してくれました。
昨日、かわいらしい歌とともに結ばれた約束。うれしそうに私の指と結んだ小さな約束。
私は小指に願いを込め、ステラさんの体を抱きしめました。
「――咲いて」
その瞬間、つぼみの中からまばゆい光が飛び出しました。
「……まさか」
ハッとして花を見ると、ゆっくりとつぼみが開き、宝石のように輝く花弁が姿を現しました。同時に、つぼみが閉じこめていた星のかけらが部屋にはじけ飛んでいきます。
長い時を経て解放された星のかけらは、楽しそうに部屋中を駆け巡り、光を放っています。
星明りも届かぬ地下の部屋に、満天の星空が出現したのでした。
私もステラさんもシオンさんも、声を失って星々を眺めました。
私の腕の中で、ステラさんが星のかけらに手を伸ばします。
指の先でそっと触れたかけらは、呼応するように光って揺れ動きました。
声にならない声とともに、ステラさんの目から青いしずくがこぼれ落ちました。
「きれい……とっても、きれい……。うれしい……っ……ずっと、ずっとね、見たかった……満天の、星空を……」
ステラさんは泣きながら微笑みを浮かべて私を見ました。
「ありがとう、お姉さん……、私の願い、叶えてくれて。お姉さんは、私にとってのお星様だったんだね……ああ、うれしい、さいごにこんな、すてきなおもいで、かかなきゃ……、ほんに、ステラのほんに、おもいで、を……」
ゆっくりと閉じられた瞳から涙が頬を伝い、かけらのひとつに当たりました。
ステラさんを包む白い光が部屋中を覆い、思わず目を閉じました。
光の中で、抱きしめていた彼女の感覚がなくなるのを感じました。
……ああ、時間が……。
光が弱まると、そこには見たこともない輝きをした星がありました。星は、部屋中に散らばるかけらたちと一緒に空中を駆け巡ります。その様子は、まるでどこまでも続く草原を裸足で走っているようでした。なににも、誰にも遮られることなく、ただ自由に飛び回る星。
白い星はシオンさんや私に頬ずりするように近寄り、すっと天井に消えていきました。
ベッドの上には、まだぬくもりが残っています。落ちたはずみで開かれたページは真っ白で、そこにはきれいな花がありました。
ずっとステラさんの手を握っていたシオンさんは、涙を止めることができずにうつむいています。
……行かなくては。次は、約束を果たす時間です。
「シオンさん、星がよく見える場所を教えていただけませんか」
「え……?」
「見に行きましょう、彼女の輝きを」
「この先です」
シオンさんが案内してくれたのは、施設の屋上でした。
扉が開いた時、風が吹いて一瞬、目を閉じました。
ゆっくり目を開けると、そこには――。
「なんて、きれいな…………」
持ちうる言葉をすべて使っても表現できないくらいの、あまりに美しい星空が空に広がっていました。
エトワテールの地上は暗く、限りなく星空の光を受け止めようとすべてのあかりを消しているようでした。
真っ暗だった世界にやさしい光が満ちています。
すべての星を失ったエトワテールにいま、幾千、幾万、幾億もの星々が照り輝いていました。その中にある、数多の星を率いるようにひときわ強くきらめくひとつの星。
「……ステラさん」
とても、とても、美しい輝きでした。
いつまでも見ていたいと思う星空でした。
ふと、シオンさんが私に頭を下げているのに気がつきました。
「ありがとうございました……。ほんとうに、ありがとうございましたっ……!」
とめどなく流れる涙が屋上を濡らすのを見て、私は、
「気にしないでください。私がやりたくてやったことですから。それに……」
空へと指を指しました。
「下を向いていたら、きれいな星空が見えませんよ?」
ハッとしたように顔を上げたシオンさんは、私の目をしっかり見つめて微笑みを浮かべました。私も頬を緩めて応えます。
そんなことをしていた時。どこからか「わぁぁぁぁぁぁぁん‼」と叫ぶ声が聞こえました。
…………あ。
「ぼくのこと、忘れていませんかぁぁぁ⁉」
「忘れてませんよ」ほんとですってば。
「ご無事ですか?」
「へっちゃらです。えへん」
屋上の向こうから出てきた魔王さん。まさか、よじ登ってきたんですか?
服も髪もぼろぼろでしたが、ケガらしきケガは見当たりませんでした。ここに来るまでに治ってしまったのでしょう。
めくれたひらひらを直しながら、魔王さんは星空とシオンさん、私を見て、
「どうやら、間に合ったようですね」
と笑顔を咲かせました。
「ほんとうにきれいですねぇ……。ぼく、こんなにきれいな星空は初めて見ました」
超長寿のひとが言うと重みが違いますね。
シオンさんは改めて私たちに礼を言いました。いえいえ~と答える魔王さんは、あごに指を当てて不思議そうな顔をしました。
「掲げなくいいんですか、願い紙?」
…………あっ。
慌てて紙を取り出そうとしましたが、
「……鞄、部屋に置きっぱなしだ」
放り投げたのを忘れていました。
いまから取りに行くよりも、一秒でも長く星を眺めたいと思ったのでやめました。
魔王さんはというと、紙を出す気がないのかそのまま突っ立っています。
となると残るは。
「…………」
シオンさんが少し躊躇いがちにポケットから出した願い紙は、くしゃくしゃに丸まっていました。赤くなった目がさみしそうに紙を見つめます。
「……星に願い紙を掲げると、ひとつだけ願いが叶う。合っていますか?」
「え? えぇ、そうです……」
「なら、星は掲げられた願いを見ているってことですよね」
「そうなりますね……」
「あなたの願い、ステラさんに見せてあげてください。きっと喜ぶ……と思うので」
あくまで個人の意見ですよ。私がそう思っただけですけど、でも……。
ステラさんも、シオンさんも、お互いがとても大切そうだったので。
叶える願いごとがどのように選ばれるのかはわかりませんが、彼の願いは掲げるべきだと思ったのです。
私の言葉に、シオンさんはうなずくと紙を広げ、そっと一等星に向けて掲げました。
「……ほんとうは、ずっと一緒にいられるのが一番の願いでした。けれど、あの子が『誰よりも強くうつくしく輝くから、どうか見守っていて』と言うものだから、わたしもそう願うことにしたのです」
シオンさんは目に光るものを溜めながら、私たちに言いました。
「――『ステラ。どうか君が、世界で一番うつくしく輝く星でありますように』」
「……すてきな願いですね」
「きっと叶いますよ。だってほら!」
魔王さんが空を指差します。
「あんなにきれいなんですから!」
「えぇ……ほんとうに、きれいです……」
安心したように微笑んだシオンさん。
私はその様子を見届けると、ふと思い出して懐中時計の蓋を開けました。
七つすべてに光がともり、完璧な星型がそこにはありました。
星影祭は終わったということですね。
思い出とともに懐中時計を閉じようとした時でした。
「流れ星です!」
魔王さんの弾んだ声に誘われて、私は空を見上げました。
きらめく星空からひとつ、煌々たる光が流れていくのが見えました。
「きれいですね」
流れ星の行く先を眺めていると、
「……ん?」
どうにも、こちらに向かって落ちてきているように見えるのですが。
「えっ⁉」
いや、流れ星が落ちてくるってなんですか⁉ どうすればいいんですか!
唖然としてそれを見ていると、星は真っ直ぐに私の元へ流れてきて――。
「……懐中時計に落ちた」
時計の中に入ってしまいました。
なに? どゆこと? こわ、壊れてない?
慌てて見ると、文字盤の星型が白く輝いていました。この光は……。
「ステラさんの輝き……?」
流れ星の突然の落下に驚いた様子だったシオンさんが「あの子なりのお礼かもしれませんね」と笑みをこぼしました。
「お、お礼が星って……」
「なんだかすごいものをいただいちゃいましたねぇ」
い、いいのかな……。まあ、うん、いっか。お礼をいただくようなことはしていないと思いますが、降ってきちゃったものは仕方ありません。お返しするわけにも……っていうか、お返しの仕方もわかりませんから。
私は、優しくあたたかな光を閉じ込めた懐中時計を星空に向かって振りました。
ありがとう、と感謝をこめて。
〇
少しだけ、その後の話をするとしましょう。
屋上で星空を眺めたあと、私はというと。
「どうしました――って、わぁぁぁぁ⁉ だだだだだいじょうぶですかぁぁ⁉」
ぶっ倒れました。魔王さんのパニクる声が遠くの方で聞こえるなぁと思いながら意識が飛び、次に目が覚めた時は知らない場所でベッドに寝かされていました。
「ゆ、勇者さんんんん‼ よがっだぁぁっぁあ‼」
泣きながらものすごいばか力で抱きつかれ、危うく二度目の気絶をするところだったのは言わずもがな。
どうやら、施設内の治療室のようでした。
シオンさんの厚意で一室があてがわれ、他の人が入らないよう配慮もしていただいたとのことです。
ぎゃん泣きする魔王さん曰く、私は丸二日眠っていたそうです。よく寝たなぁ。
あと、なんだろう、これ。腕に針が刺さっている。やめてほしい。
「点滴ですよう……。勇者さん、食事も水分補給もしていないから……」
「そういえば、お腹すきましたね」
ケガの手当もされています。ですが、お風呂でさっぱりしたいところですね。
「動けるようでしたら、シオンさんが守り人権限で取ってくださったお宿に行きましょうか。国中ほぼ満室だったそうですが、すぺしゃるなお部屋をゲットできたそうですよ」
魔王さんは荷物を準備すると言って持っていた本を私に渡しました。
「これは……」
見覚えのある本でした。表紙に書かれている文字は記憶に刻んだものです。
――《Stella》
「シオンさんから頼まれたんです。彼女の物語を記録してほしいって。星の眠る地のことを知っているのはぼくたち……というか、勇者だけですからね。かの地で一体なにがあったのか、なにを見たのか、誰も知りえない物語をステラさんのために書いていただけないかとお願いされたんですよ」
ページをめくると、あどけなさが残る文字のうしろに別の文字で文章が綴られていました。魔王さんの文字、ですね。
「あともうひとつ、勇者さんにも伝言がありますよ」
「私に?」
「もしよろしければ、彼女との最後の時間を物語に留めていただけませんか、と。ぼくは知らない物語なので、書こうにも書けなくて」
それはもちろん、ステラさんが望んでいたことでもありますから、書き記してあげたいと思いますが……。
「私、まだ文字は……」
魔王さんは荷造りの手を止めてそばに来ました。
「ぼくでよいと言うのであれば、代筆いたしますよ」
「……お願いします」
そうして、私はゆっくりと語りました。あの夢のような刹那の時間を、大切に大切に語りました。
「――はい、こんな感じでしょうか」
書き終わると、魔王さんは私に本を開いて見せてくれました。
ちょうど、最後のページでした。
「ありがとうございます」
「いえいえ、これくらい」
魔王さんは「そうそう」と、何かを取り出し、本に挟みました。
「なんですか、それ」
「星屑の花を押し花にして栞にしてみたんです! きれいでしょ~」
不思議な輝きをもつ花弁が細長い紙に広がり、瞬間を切り取ったようにきれいでした。
きれいですけど……。
「許可、取ったんですか?」
「やだなぁ、勇者さん。ぼくを誰だと思っているんですかぁ!」
魔王さんは自信満々意気揚々にどや顔して言いました。
「めちゃくちゃ取り忘れました!」
……だーめだ、このひと。
その後、全力で頭を下げる魔王さんに「むしろ思い出をありがとうございます」と感謝したシオンさんに本を渡し、彼が権利をフル活用して取ったという宿にやってきました。
七階建ての最上階でした。
広くてきれいなお部屋です。そしてそして、羽毛布団でした。わぁい。
エトワテールで一番の高さを誇る宿らしく、バルコニーからは国が見渡せるそうです。
私たちはそこで三泊し、ケガや疲れを癒しました。
その間、祭りが終わってもどんちゃん騒ぎをしている人々の声が下の方から聞こえました。町の明かりと、星空のあかり。ふたつの異なる輝きを感じながら、私は宿をあとにするその時まで一等星を眺めました。
バルコニーに置かれた椅子に腰かけ、懐中時計を開きながら、ただずっと見ていました。
両蓋になっているという懐中時計の反対側には、星型を小さく折りたたんだ一枚の紙が入っています。
思い出とともに時計にしまった少女の小さな願い。
たまにはこんな日もいいでしょう。
私は一等星に向け、小指を掲げました。
「きれいですよ、ステラさん」
その言葉に応えるように、一等星はきらりと白く輝きました。
出国する日の朝、私たちは星の眠る地の結界前にいました。少し気になることがあり、私が魔王さんを誘ったのです。結界の向こうは、人間が立ち入れない死の地です。姿は確認できませんが、魔物は今も跋扈しているでしょう。そして、あの番人。
「崩落によって消滅したとは思えないんですよね」
あの時、魔王さんも倒したわけではないと言っていましたし。
それに……なんとなくですが、あれは異質だと思ったのです。
「勇者さんの予想は当たっていると思いますよ」
「となると、倒しに行った方がいいんでしょうか……」
二度目のご対面はちょっといやですね。しかし、魔王さんは首を横に振り否定の意を表しました。
「あれは倒せませんから」
「どういう意味です?」
「なんと説明していいのやら……。そうですねぇ、あれは魔王みたいなものだと思ってください」
「魔王? あの魔物が?」
「役割というか、存在意義というか、あれがこの世界に残ることに意味があるというか」
曖昧な言い方でしたが、魔王さんが私の勇者としての使命を求めていないことはわかりました。いつもなら「勇者さんは勇者なんですから、しっかり魔物を倒さなきゃだめですよ」とか言ってきそうなのに、今はその気配がありません。
倒しに行かなくていいならうれしいですが、これはこれで……うーん……。
「どのみち、星の眠る地は死地です。人間と魔なるものたちを分ける結界があれば安心ですよ」
「でも、人間は入ろうと思えば入れるんですよね」
「魔なるものをこちら側に出てこさせないための結界ですからね。不安でしたら、ぼくがもうひとつ結界を張りましょうか? ぼくと勇者である人間以外入れない結界を」
倒せない魔物というのは気になりますが、あいにく不真面目勇者なので魔王さんの提案を承諾しました。いよいよ国は小さくなりますが、仕方ないでしょう。星の輝く国が魔物で埋め尽くされるよりはマシなはずです。
「お願いします」
「お任せください。とりゃあ~」
間抜けな声とともに光が広がり、星の眠る地を覆っていきました。これで、もう誰も入れません。魔王さんも私も、二度と入ることはないでしょう。
完全に閉じられた地を背に、いまだ興奮冷めやらぬ町を通りすぎて城門にやってきました。
最後にもう一度、星空を眺め、一等星に手を振ると、夜の世界をあとにします。
門をくぐると、失明するかと思うくらいの光に襲われました。
数日ぶりの太陽です。
「……吸血鬼の気持ちがわかった気がします」
「予期せぬ収穫ですねぇ」
うしろを振り向くと、閉じられた門の向こうはもう見えません。
「…………」
私はほんの少し、何かを求めるように腰につけた懐中時計に触れました。
星のぬくもりを感じた気がしました。
「あれ? ちゃんとつけることにしたんですね。前の時計は鞄の奥にしまっちゃっていたのに」
「あれは動かなかったからですよ」
「ねじが足りませんでしたもんね」
「動かないので魔王さんに差し上げます」
「動かないなら意味ないですよね?」
「時間が知りたいなら私の時計を使えばいいですよ」
「はぐれた時に困るじゃないですかぁ……」
魔王さんはうなだれ、しょも……とした顔でいたと思ったらすぐに元に戻りました。
回復のはやいことで。
「エトワテール、いかがでしたか? 来てよかったと思いますか?」
「そうですね……」
私はこの数日間を思い出します。正確には、慌ただしくも儚い二日間を。
「よかったと思います。……思いたいです」
魔王さんは微笑んで続きを待っています。
「世界で最も美しい星空……でしたっけ」
「はい」
「その通りだったと思います。あんなにきれいな星は初めてでしたから。すてきな国だと思いますよ」
そしてなにより、すてきな人がいましたから。
「必死に生きる誰かのために、必死になにかをしようとするきみも、とてもすてきですよ」
「……な、なんですか急に」
「なにって、本心を言っただけですよ?」
「そうですか……。ええと、どうも、ありがとうございます……」
戦いまくっていたからでしょうか。いつもの魔王さんに脳が困惑しています。
でも、今日からまたいつも通りです。
手始めにぐーたらしてぐーたらしようと思います。
「そろそろ行きましょうか、魔王さん」
「はい、行きましょう、勇者さん」
私たちはエトワテールに別れを告げ、歩き出しました。
星の消えた夜に出会った星の少女。
私は、星の輝く夜に、その光がいつまでも美しくあるように願ったのでした。
お読みいただきありがとうございました。
今回の勇者さんはとてもがんばりました。
星空が見たくなったら、またいつでもエトワテールにお越しください。
勇者「しばらく魔物はお腹いっぱいです」
魔王「ぼくもですよ~」
勇者「今日もはやめに宿に――あ、一番星」
魔王「ほんとですね。きれいです」
勇者「一等星には負けますけどね」
魔王「あらあら。ですが、ぼくも同感です」