130.物語 あなたがあなたであるために
本日もこんばんは。
物語パートになります。例のごとくSSより長いので、お時間ある時にでもぜひ。
新キャラが出ます。ぜひお楽しみください。
(注意:軽度の残酷描写があります。苦手な方はお気をつけください)
長さ目安:SS 24本分
青天の霹靂。
それは、予想だにしていないことが突然起こることを表す言葉。
この言葉を、今日、この瞬間ほど強く頭に浮かべたことはないでしょう。そう断言できるほど、私は唖然と、呆然と、目の前で起こった出来事を見つめていました。
それは一体どんな出来事なのか。気になる方にお教えいたしましょう。
「空から女の子が降ってきた……」
青い服のおさげちゃんではありません。
薄緑色の髪を低い位置でサイドテールに結び、胸の前に垂らしています。
私を見つめる瞳は美しい金色に輝き、非常に強い圧を感じました。
頭には、どこかで見たことのある鍔の広い三角帽子。いわゆる、魔女帽子というものです。黒いローブの下には華奢な体がのぞき、白い肌も見えました。
彼女は、私をじい……っと見つめると、ただでさえキラキラきれいな瞳をさらにきらめかせ、それはそれは嬉しそうに微笑みました。
そして、私に抱きついてきました。
は、はいぃぃぃぃぃぃ…………?
〇
それは、少し前にさかのぼります。
いつものように、いつもと違う道を歩いていた時のことです。
青い空は遠くまで晴れ渡り、程よく散らばる雲が不規則に太陽を隠す、そんな日。
いつものように、記憶に残らないようなくだらない会話をしていた私たちの上に、さっと影が落ちました。太陽が隠れたと思いましたが、その影はどう見ても人の形をしていました。魔族が飛んできた、と思った瞬間。
「ゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅしゃぁぁぁぁぁぁさあああああああああああああああああん‼」
遠くから聴こえてくる声は次第に大きくなり、私の真上から降ってきました。
ハッと首を持ち上げると、物凄い勢いで落下してきた声の主が私に両手を伸ばしているのが見えました。
その勢いで落ちてきたらさすがに死ぬ。私も巻き込まれて死ぬ。そう思いました。
しかし、手が私に触れる瞬間、声の主はふわりと空中でスピードを緩め、通常の勢い(それでも強い)で私を抱きしめたのです。うれしいうれしいと言いながら、ふと力を緩めると私の顔をじっと見つめ、また抱きついた彼女。
そして、今に至る。
状況が呑み込めない私はされるがまま体を預け、私を抱きしめたまま嬉々として発せられる少女の言葉の意味を考えていました。
「やっと見つけた、わたしの勇者さん!」
……だめだ、わからない。意味がわからない。わからなさすぎて隣にいるはずの魔王さんに助けを求めようと視線を送りました。
「おうっ……やばそう」
そこには、抱き合う(誤解)二人をわなわな震えて見る魔王さんがいました。
この世の終わりのような目。凍えているのかと思うくらいの震え。
真っ青に変わっていく白い肌。謎の言葉をこぼす口元。
死ぬのか、このひと。
「ゆう、勇者さんに見知らぬ人間が、勇者さんに抱きつくなど、毎日一緒にいるぼくだって簡単にできない所業なのに、絶対殺される行動なのに、いとも簡単にやってみせるなんてなんて羨ましい……‼ ぼくだって、ぼくだってぇぇぇぇぇ‼」
少女はまるで怒りの涙を流す魔王さんなどいないかのように私だけを見ていました。
ずっと会いたかった、何年も探していた、うれしい、感激などなどを矢継ぎ早に言う彼女を、通常運転の魔王さんを見て冷静になれた私は力いっぱいに押し返しました。
「ちょっ、ちょっと離してください」
「え? なんで?」
なんで、とは。こっちが訊きたい質問なのですが。
きょとんとした少女は、本当に不思議そうに私を見ます。
「なんで離れなきゃいけないの? やっと会えたのにぃぃ!」
にこにこしていたと思ったら、今度は金色のしずくをぽろぽろ流して泣き始めました。
情緒不安定か。
あれ、これ私が悪いんですかね? ちょっと?
「な、泣かないでください。この状態では話もなにもないと言っているんですよ」
「わたしの話? 勇者さんの話?」
「あなたの話です」
「わたしの話とかどうでもいいよ~。勇者さんのお話して?」
は、話が通じない……。これは強敵ですね。はやく消え去りたいです。
全然離そうとしない少女にどうしようかと思っていたその時でした。
震えが最骨頂に達した魔王さんが謎の言葉とともに例の馬鹿力で私と少女を引き離しました。こういう時だけは頼りになりますね。
「勇者さんが離れるよう言っているんです! 誰ですかきみはどきなさい離れなさいその場所をぼくに譲りなさい‼」
よこしまな想いが駄々洩れの魔王さんに首元を掴まれ、少女はやっともうひとりいることに気づいたようでした。遅くないですか?
「あなた誰?」
あからさまに不機嫌そうで、興味のなさそうな声で問う少女。
「ぼくのことはどうでもいいんです! きみこそ誰ですか!」
お互いに自分のこと、どうでもよすぎでは?
「わたし、勇者さん以外の人と会話する気ないから」
「ぼくだって人間は好きですけどそんな態度する人とはお話したくありません!」
「じゃあほっといてよ。わたしは勇者さんとお話するから」
「いや、ぼく無視ですか⁉ ぼくの方が先にいたのに⁉ 非常識ですよ!」
「魔族がはびこるこの世界で常識とか」
「はびこっているから常識が必要なんですよ!」
「三人しかいないんだから今はいいじゃん」
「そういう問題じゃなぁぁぁぁぁぁい‼」
おや、意外とノリが合うのでしょうか。仲がよさそうですね。え? ちゃんと心の底から思っていますよ、えぇ。
とはいえ、にらみ合ったふたりに挟まれているのは居心地が悪いです。それに、魔王さんの馬鹿力が危険な方向に働いてぽっくり死なれてしまっても困ります。
仕方なく仲裁役となった私は、ふたりの額にデコピンを食らわせました。
「いたっ」
「うぎゃっ」
「まずは落ち着いて。ケンカするなら私の知らないところでやってください」
「ケンカは許容するんですね」
「あなたが本気でケンカしたのを見たことがないので、だいじょうぶかなと」
「それは信頼と捉えていいのでしょうか……」
涙を浮かべながら額を抑える魔王さん。私は彼女を背にすると、「勇者さんからの愛のムチ……」と感激しているちょっとアブナイ気配の少女に向き直りました。
「さて、まずは自己紹介をします。自己紹介は人間関係の基本です」
「よく言う……」小声で言う魔王さん。
そこ、黙らっしゃい。
「すでにご存知のようですが、私は勇者をやっている者です。人間は嫌いなのでよろしくしたくありません。なにか御用がある様子ですが、なるべくはやくお立ち去りください」
慈悲などない。
私の中の知識をぶち破って登場した少女です。こちらも型にはまった対応をする必要はないと判断しました。
より本心を言えば、出会って数分の彼女の行動でかなり疲弊しました。ぎりぎりの優しさを向けられる体力がすでに尽きたようです。私の精神力を舐めるな。
どうやら私に会いたくて何年も探していたようですが、私は求めていません。傷つけてしまう可能性も考えましたが、私の精神力を舐めるな。
ところが、私の想像とは裏腹に、少女は依然として瞳を輝かせたままでした。
「わたし、アナスタシアっていいます! ぜひ呼び捨てで呼んでください! 歳は十八。好きな動物はハリネズミ。勇者さんのお名前をお伺いしても?」
一度にいろいろと言ってきますね。まずは、魔女の姿をした少女――アナスタシアさんというのですか。長い名前ですね。呼ぶのがめんどうなので魔女さんでいいかな。そもそも、彼女はほんとうに魔女なんでしょうか。コスプレの線もありますからね。
「こう見えても魔女なんですよ、わたし」
魔女でした。いえ、自称の線もありますからね。
「魔法属性は風です。こんな感じに、えいっ」
腰に挿していた杖を取り出し、私の前で振りました。すると、小さな竜巻が現れ、消えました。ガチの魔女でした。
「魔女なんて珍しいですね。人間で魔法が使える人は多くありませんし」
口元を尖らせて言う魔王さんは、不満そうな目を魔女さんに向けました。
「さっきも言いましたが、わたしはずっと勇者さんを探していたんです! そう、あなたのこと!」
魔女さんは魔王さんをスーパースルーして会話を続けます。
「勇者さんって呼ぶのもいいですが、ぜひお名前を教えてください! 勇者さんのお名前呼びたいです!」
「勇者さんの名前はありませんよ。勇者さんは勇者さんです」
「もしかして、恥ずかしいですか? だいじょうぶですよ! どんな名前でもわたしは大切に呼びますから!」
「だから、勇者さんの名前はないって言ってるじゃないですか!」
「それとも、ヒミツですか? あっ、名前を使った魔法があるって聞いたことがあります。ごめんなさい、わたしったら軽率な質問を……!」
「聞いてますー⁉ ちょっとー⁉」
「もう、なに⁉ さっきからうるさいよ、あなた!」
「それはこっちのセリフです! 勇者さんが迷惑しているでしょう!」
「うそっ⁉ ご、ご迷惑でしたか?」
慌てて私をうかがう魔女さん。ははあ……なるほど。魔王さんと魔女さんの会話(?)を聞いていてわかったことがあります。
魔女さん、私に話しかけている時は敬語を使っていますね。感情が昂った時は素の彼女も出ていたようですが、一応、線引きをしているようです。つまり、タメ口をきいている時は魔王さんをあしらっている時ということです。型破りな感じがしましたが、意外と律儀な人なのでしょうか?
「いえ、迷惑は……、ていうか、人間とかかわるのが苦手というか、好きじゃないというか、そんな感じなので……」
「そうなんですか……。じゃあ、この白い人はいいんですか?」
「よくないですよ」
「よくないのに横に置いているんですか? なんてお優しい勇者さん……」
「いえ、勝手についてくるだけです」
「なんて身勝手な人間……!」
多少、勘違いをしているようですが、それ以外は話がはやくて助かります。
「ところで、私を探していた理由というのは?」
「あっ、それはですね、えっと、勇者さんにお願いがありまして」
「お願いというのは」
私の問いに、魔女さんは待ってましたとばかりに笑顔を咲かせて言いました。
「わたしを魔王討伐パーティーの一員に入れてください!」
…………はい?
困惑する私。困惑する魔王さん。嬉しそうな魔女さん。なんだこの図は。
「わたしを勇者さんの仲間にしてほしいんです! 魔王を倒すお手伝いをさせてください! いえ、その他のこともなんでもしますから!」
聞こえていないと思ったのか、魔女さんは丁寧に言い直しました。
やっぱり律儀な人ですね。しかし、そうじゃない。
「あの、私、パーティーとか作っていないので」
「あれ? じゃあ、お一人で魔王討伐しようとしているんですか?」
「そうなりますね」
「そ、そんなことあるんですか⁉ 相手は魔王ですよ⁉」
これが自然な反応なのでしょう。むしろありがたく思えてきます。
リアクション百点満点ですね。
「いろいろ理由がありましてね。最初から仲間を集めることはしていないんです」
「そうなんですか……。あれ? じゃあ、この白い人はいよいよ何なんですか?」
魔女さんはスラっと細い指で魔王さんを指しました。
人様を指で指しては――人じゃないからいいか。
「指で指すとは何事ですか! とことん非常識な魔女ですねきみは!」
「勝手についてきている人に言われたくないもん。非常識には非常識を、だよ。知らないの?」
「目には目を歯には歯を、みたいに言わないでください!」
「なんだ、知ってるじゃん」
「違う言葉ですよ!」
このふたりは言葉を交わすとケンカにしかならないのでしょうか。いえ、ケンカというよりは魔女さんに振り回されているだけみたいですが。
怒っている様子ではありますが、ちょっとムカッとしているだけのようです。馬が合わない仲なのでしょう。
次から次へと言葉が投げられる様子を目線のみで観察していた私ですが、終わりの見えないキャッチボールに疲れてきました。元気ですね、このひとたち。
「わたしは自分の魔法を勇者さんのために使うって決めてるの。わたしが使える人材かどうか手っ取り早くわかってもらうには、魔王の討伐に協力するのが一番はやいんだよ。だから、邪魔しないで。あなたもパーティーに入れて欲しいなら相応の役割を持ってきたらいいよ。その時はわたしも邪魔しないから」
「ぼくはもう相応の役割を持っています!」
「勝手についてきているのに? どんな役割なの?」
「ぼくは魔王ですよ! 勇者さんに一番必要な存在でしょう!」
…………あ。
「…………魔王?」
低い声で反復した途端、魔女さんは弾かれたように魔王さんから距離を取り、片手で私を後ろにやり、片手で杖を構えました。
無駄のない動きでした。
さきほどまでの穏やかな彼女は消え、ピンと張った警戒心と敵対心を携えて静止しました。杖先には緑色の光。いつでも魔法を使えると言っているようでした。
肌を刺すような緊張感が走る空間ですが、私はというと……。
「…………」
ちょっと楽しくなっていました。
なにせ、いつもは“逆”ですから。最初から私が勇者として扱われ、魔王さんが魔王として危険視される状況は初めてではないでしょうか。
珍しいこともあるんですね。いや、本来はコレが正解なのですが。
「……魔王っぽくない見た目をしていたから油断した。魔力もかなり隠しているみたいだね。正体を隠して勇者さんに近づき、スキができた時に殺す予定だったのかどうか知らないけど、そんなことさせないよ。勇者さんはわたしが守る」
確かな覚悟と強い意思を感じる声でした。
なんだか、王子様に守られるお姫様の気分です。しかし、その役は私に似合わなさすぎます。似合わない役は降りなくては。
今にも魔法を発動しそうな魔女さんの背中にそっと触れ、一触即発のふたりの間に入りました。
「――っ! あ、危ないですよ⁉」
「だいじょうぶですよ」
そう、だいじょうぶなのです。だって。
「魔王さん、だいじょうぶですか?」
「だ、だいじょばな……こわ……こわすぎですこの魔女……ぐすん」
私と旅をするなかで、滅多に出会わないタイプに魔王さんはふつうにビビっていました。
私も事あるごとに殺気を出しますが、魔女さんのそれは少し違いました。
ガチ度が違いました。
「もうやだこの魔女ぉぉぉぉぉぉー……。その杖しまってくださいよう……」
「そういうわけで、だいじょうぶなので杖を下ろしてください」
「え? で、でも……このひと魔王なんですよね? さすがに安心できませんよ」
「気持ちはわかりますよ。でも、まじでだいじょうぶなので」
「勇者さんがそこまで言うなら……」
納得のいっていない顔をしながらも、魔女さんは杖をしまいました。杖先に魔力を残したまま。
「はいはい、ここはギャグの世界ですよ」
「シリアスもたまにはありますよう……」
「状況がよくわからないんですけど……」
「簡単なことですよ。このひとは魔王ですが、魔王っぽくない魔王なんです」
「中身も?」
「中身も」
私が知っている限りは、ですが。
「でも勇者さん、魔王は魔王ですよ。どうあがいても変えられない宿命です」
「そうですね。生きている間は私も勇者を辞められないように」
「……わたしも魔女をやめることができませんし」
少しうつむいてつぶやく魔女さん。
妙な空気が流れるさんにんの間。口を開こうとした時、魔王さんが手を挙げて言いました。
「なにはともあれ、きみがパーティーに加わることには反対です。断固拒否です!」
「あなたが拒否して何になるのよ。それを決めるのは勇者さんでしょ」
「勇者さんと一緒にいるぼくがイヤだって言ってるんです! 先にいるぼくの意見が尊重されるのは当然のこと!」
「あなた、まるでパーティーの一員みたいに言うけど、魔王なんだよね? 勇者さんの敵でしょ? なんで一緒にいるの」
正論アタック。
「一緒にいたいから一緒にいるんです! 文句ありますか!」
「ありすぎて困ってるんだよ。敵なら敵らしくしたらどう?」
「おとこわりしますー‼」
「お断りじゃない?」
いやはや、仲がよさそうですね。これが一般的で王道な勇者物語なら即決で仲間入りしていそうな人だと思います。でもまあ、これは邪道ですので。
「魔女さん」
「はい、勇者さん! アナスタシアって呼んでください!」
まずはちょっと気になったことを。
「無理して敬語を使わなくてもいいですよ」
「尊敬と憧憬の表れです」と、曇りなきまなこ。
「タメ口の方がありのままっぽいように思いまして」
「ふだんはどんな人にもタメですね。あと感情が高ぶったりするとタメが出ちゃう……って、それはどうでもよくて。わたしが憧憬しているのは勇者さんだけなので」
魔王さんとは違うベクトルの過激派ですね。やめてほしいです。
「私に気を遣う必要はありません。それだけ言っておきますね」
「わかりました」
そして、一番大切なことを。
「さっきのお願いのことですが」
「はい!」元気なお返事です。
残念ながら――と言葉を続けようと息を吸った時、口をもごもごとしていた魔王さんの限界がきたのでしょう、彼女はまたもや謎の言葉とともに私の袖を引っ張りました。
「勝負しましょう‼」
私と?
「ぼくと勝負しなさい、魔女! どちらが勇者さんにふさわしいか、真剣勝負です!」
頬を紅潮させて魔女さんを指さす魔王さん。人様を指で指してはいけない。
「しょうぶぅ? あなたと? わたしが? やだよ」
あっさり断られる魔王さん。
「魔王討伐パーティーに魔女はいらないんですよ!」
「魔王がいるのが一番おかしいと思う」
「魔王は魔王でもぼくなのでおっけーなんです!」
「意味わかんない」
「同意です」思わず口をはさんでしまいました。
「いくら勇者さんが許可してもぼくはいやです! 勇者さんが許可したらガマンしますけど! いやだってことは言っておきますふたり旅がいいんですこれ以上増えたらぼくの処理能力が追いつきません宿代も食費もかさみます!」
とりあえず思ったことをしゃべっているようです。元気そうでなによりです。
魔女さんは「うーん」と唸ったのち、私の横を位置取って「つまり、あなたに勝てばいいってこと?」と言いました。近いですね。
「よくないですが少しはいいでしょう」
「わかった。いいよ、やろう」
私はよくない。なんで勝手に話が進んでいるんでしょうね。どうしましょうね。
ふたりともぶっ飛ばしたら解決するでしょうか。
この過激派ども、自分のことしか考えていないのでしょうか。私の人権いずどこ。
「まずは魔王に勝って、そのあと改めてお願いしますから。勇者さんは勝負を見守っていてくださいね!」
……ううむ、しっかり考えていてくれていた。
そして、ちゃっかり呼び捨てにされる魔王さん。ちょっとおもしろい。
「せめて“さん”をつけてくださいよう。“ちゃん”でもいいですよ。呼び捨てだと冷たい感じがしていやです……」
「わかった。魔王ちゃんにする」
「即答……」
魔王相手でも完全に蔑ろにするわけではないのですね。根が丁寧なのでしょう。
「非常識なんだか礼儀正しいんだかわからない魔女ですね」
「魔王ちゃんもわたしのこと“魔女”って呼ぶのやめてよ。魔女はわたし以外にもいるけど、アナスタシアはわたしだから」
「ええと、では、アナスタシアさん」
「…………うーん」
少し不満げな魔女さん。嬉しくなさそうな顔を向けられ、魔王さんは「名前呼んだのになにゆえ……」と口をへの字に曲げました。
「わたしの名前は勇者さんにだけ呼ばれたい……」
「過激派ですね⁉」あなたが言うな。
「想いが強いって言って。悪い?」
「いえ、むしろシンパシーを感じました」
「え、ごめん。わたし、同担拒否」
「んなーー‼ ぼくがせっかく妥協してあげてもいいかなって思おうとした矢先に! やっぱりこの魔女いやだーー‼」
いろんなものが爆発しそうな魔王さんは、必死に自制しようとなにかを堪えてまた震えていました。バイブレーション魔王。
「それで、なにで勝負するの?」
「なにで……?」
魔女さんが肩を回しながら訊けば、魔王さんはきょとんと首を傾げました。
何も考えていなかったようですね。
私は関係ないですが、魔王さんと魔女さんの勝負となると少しばかり考えないわけにはいきません。下手したら魔女さんが一瞬で死にます。
魔王さんは腐っても魔王です。公平な勝負でなくてはそもそも勝負にならないでしょう。
世界で最も強い存在である魔王さんと、魔法が使えるとはいえ人間の魔女さん。
単純な力勝負となれば、その差は歴然です。魔王さんも本気で戦うことはしないでしょうが、手を抜いても勝負になるかどうか……。
「ぜっっっったい勝ちます……‼」
本気で戦うつもりですね、これ。抑えきれていない魔王オーラが出ています。しまえ。
「わたしだって負けてやらないから」
「たかが魔女ごときにぼくが負けるわけないでしょう!」
「たかが魔女なんて言えないくらいコテンパンにしてやるもんね」
「ぺちゃんこにしてやりますっ‼」
「ふんだ!」
「ふんだ!」
これが噂のケンカするほど仲がいいってやつですね。
「魔王さんと魔女さんの能力が結果に影響しない方法で勝負するのが最も公平だと思うのですが、どうでしょう」
「同意です!」
「ぼくもそう思います」
「というわけで、ケガしないような安全なものがいいですよね。いわゆる遊びで勝負したいのですが、なにで遊びたいですか?」
「遊び……ですか」
あまり乗り気ではなさそうな魔女さん。これは遊びではなく本気の勝負だと怒られてしまうでしょうか。
「ごめんなさい、遊びってよくわからなくて。どういうものがあるんですか?」
そう言われると困りました。私もそこまで人間の遊びとやらを知りません。
魔王さんと遊んだもの、なにがありましたっけ。絵、釣り、枕投げ、折り紙……。
ううん……。魔女さんの美的センスがいかほどのものかわかりませんが、このラインナップでは魔王さんぼろ負けの予感です。あ、歌とか。いや、だめすぎる選択肢です。歌を思いついた私の頭がおかしいです。
「たぶん、魔王さんが一番人間の遊びに詳しいです」
「魔族なのに……?」不審な目で魔王さんをチラ見する魔女さん。
「伊達に云万年生きていませんよね」
「もしかしてぼく、年長枠ですか」
「もしかしなくても最年長枠ですよ。ロリババアでしょう」
「ロリババアて」
「そこ! 笑わない!」
おかしそうに笑う魔女さんは、わーわー喚く魔王さんのことなどどこ吹く風。
じゃんけんとかいう簡単な勝負を思い出しましたが、さすがに軽すぎるように思えて言い出せませんでした。疲弊の限界がきたらじゃんけんにします。
「魔王さんはいろいろと強いので、魔女さんにはハンデを付けた方がいいと思うんです」
「勇者さん、なんだかアナスタシアさんに甘くないですかぁ……?」
「人間と魔王ですよ。一切のハンデなしだなんて、私はそこまで冷たくありません」
「わたしはハンデなしでもいいですよ」
ちゃっかり言ってくる魔女さん。まじで言ってます? 相手は一応魔王ですよ?
「わたし、たぶんですけど、人間にしては強い方なので」
「それはどういう意味の……」
魔女だから魔法が、でしょうか。まさか、その細腕で強力なパンチを繰り出すなんて言いませんよね。
「いろんな人から言われてきましたし、実際良くも悪くもこの力がわたしの人生を変えてきましたから。ちょっと見ててください――カマイタチ」
魔女さんは杖をくるりと回して魔法を発動しました。杖先から放出された魔力は魔法陣を生成し、輝いた陣から無数の鎌風を作り出しました。瞬く間に飛んで行った淡い緑色の風は空気を切り裂いて空に消えていきます。
「これ、ふつうの人間には無理でしょう?」
たしかに、人間業ではありません。通常、人間は魔法を使いません。正確には、使えないのです。魔法に必要な魔力を持っていないからです。
魔法が使える人間。それは、使えない人間からはどう見えるのでしょう。
きっと、おそろしいと思う人もいるのでしょう。
さきほどの鎌風――彼女がカマイタチと呼ぶ魔法――は、人間に当たれば致命傷になりうるものです。道具を使わずとも木々は倒れ、研ぎ澄ませば厚く硬い岩も真っ二つにできるくらいの威力。低級の魔物なら、かすっただけで消え去るはずです。
「すごいですね。魔女という存在は知っていましたが、会ったのはあなたが初めてです。こんな魔法が使える人間がいるとは、驚きです」
「えへへ~。ね、けっこう強いでしょ? でも、こんなもんじゃないですよ、わたし」
その言葉が正しいと言わんばかりに、始終むすっとしていた魔王さんが口を開きます。鎌風が消えていった空に目をやり、
「そうみたいですね」
なにを思ったか、突然、体を後ろに弾きました。魔女さんがおや? と眉を上げた瞬間、一秒前まで魔王さんがいた場所に強風が突き抜けていきました。
それは、見えない鎌風でした。魔力が具現化したオーラの痕跡すら消した強力な魔法。
あれだけの威力を持ちながら、音すら発しないカマイタチ。それを平然とした顔で操る彼女は、まだその正体が見えない気がしました。
「よく気づいたね、魔王ちゃん。あれに気づいたの、魔王ちゃんが初めてだよ」
「ヒントを与えたのはきみの方ですよ。まあ、ヒントなどなくてもぼくなら気づけますけど」
「あは、強気だなぁ~。わたしも負けないけどね」
お互いに認め合った様子のところ申し訳ないのですが、私はどうすればいいのでしょう。
ちょっとだけ、置いてけぼり感があります。むう。
「アナスタシアさん、今ぼくを狙いましたよね」
「うん。でも、勝負前だから本気じゃないよ。これくらい気づかないと勇者さんの隣にふさわしくないよって意味のあいさつみたいなもの」
「魔王を舐めてもらっては困ります。あんなそよ風、当たっても気づかないくらいです」
「うわ、言うね~。そうこなくっちゃ」
楽しそうですね。私はどうすればいいか教えなさい。
「強い魔法を使えるのはすばらしいですが、それで勇者さんを傷つけたら意味がありませんよ」
「そんなことしないよ。そのために鍛えてきた。生きてきたんだから」
「さきほどの魔法を見るに、コントロール力はあるようですが……どうでしょうねぇ」
「少なくとも、何の魔法も使えない人間よりは勇者さんのこと守れる。守りたいって気持ちは誰にも負けないよ」
真っ直ぐ魔王さんを見つめる魔女さん。魔王さんはため息をつくと「えぇ、そのようですね」とつぶやきました。
「ぼくが魔王だと知ってからのアナスタシアさんは、いつでも魔法を使えるように準備しています。加えて、勇者さんの盾になれる位置から決して離れていません。勇者さんにくっついている時も、必ずぼくの行動や目線を捉えています」
魔王さんは少しだけ私から距離を取りました。
「そう気を張っていては疲れるでしょう。ぼくは魔王ですが、勇者さんを傷つけるつもりは毛頭ありません。信じなくてもいいですが、ピリピリした空気は体に悪いですからね」
戦う意思がないことを表すように、両手を挙げる魔王さん。
「きみの想いは伝わりました。もう頭ごなしに否定しませんよ」
「じゃあ、わたしが勇者さんもらってもいい?」
「解釈おかしくないですか⁉」
「わたしの脳ではそう理解できたよ」
「病院行った方がいいんじゃないですかね」
「病院きらーい」
「こどもですか!」
「魔王ちゃんに比べたら赤ちゃんだもん」
「赤ちゃんなら大人の言うこと聞きなさい! 勇者さんを取るなー‼」
「赤ちゃんだから言葉わかんないや」
「もう、もうーー‼ この魔女ほんといやだぁぁぁぁぁぁ‼」
相変わらず言い合うふたりにはさまれて、私は魔女さんを盗み見ていました。私と同じくらいの年齢の少女で、高度で強力な魔法の使い手。一体、どのような人生を歩いてきたのでしょう。人間のことなど興味はありませんが、この短時間で少しだけ知りたいと思っている自分がいました。私も、彼女も、『ふつう』とは違う。人間だけど、人間じゃない。
私を魔族と間違え、石を投げたり罵声を浴びせたり、魔物を退治してもお礼の一言もない彼らとは違う。私の見た目だけを見る彼らとは違う。それだけで、すぐ触れられる距離にいられても悪い感情が生まれてこない。これは、魔王さんと同じもので――。
「…………あぁ」
そう、彼女は魔王さんと同じなのです。私への態度も視線も、上辺だけを見る人間とは違う。赤い目、黒い髪だからといって、魔族だと決めつけず私を見てくれるひとたち。
今も私をはさんであーだこーだと大戦争ですが、お互いに黒いものを持っていないから言葉も痛みを伴わない。聞いている私も「まあいいか」と呆れて笑えるケンカでいられる。
このケンカなら昼寝できますね。とはいえ、ちょっと長いです。
私は手をひらひらさせて仲介に入ると、「そういえば」と続けます。
「魔女さんはどうして私が勇者だとわかったんですか?」
地味に気になっていたことでした。
魔女さんは、空から降ってきた時から私のことを『勇者』だと言っていました。すぐ隣に私より勇者っぽい見た目の魔王さんがいたにもかかわらず。
それに、彼女自身が言っていた事です。
――魔王っぽくない見た目をしていたから油断した。
と。ならば、なぜ彼女は、私を勇者だと認識していたのでしょうか。
「そんなの簡単ですよ。言ったでしょう? ずっと探してたって」
やっと見つけた、とも言っていましたね。
「勇者さんを探している手前、いろいろと話を聞いたんです。過去にも勇者はたくさんいたから、いくつもの勇者像を知ることになりましたけど、その中にあったんです。まるで魔族のような見た目の勇者がいたという話が」
「魔族のような見た目ですか」
やはり彼女も“そう”思っていたということでしょうか。勝手に考えて勝手に仲間意識を抱き、勝手に落胆しそうになっている自分が愚かに思えました。
「魔族のようなって言っても、旅をしてきたわたしには多種多様な特徴を知っているから聞いたんです。どんな見た目ですか? って」
「魔族が多種多様?」訊いたのは魔王さんです。
「うん。赤い目をしているのは共通だったけど、それ以外はみんな特徴があったよ。羽が生えているって言っても形とか大きさとか色とか全然違うんだもん。特徴しかないよね」
「人間でもそんなこと思うんですねぇ」
「だからね、魔族のようなって言われてもピンとこないの。わたしからしたら人間の方がみんなおんなじに見えるもん」
「おもしろいこと言いますね~」
「で、勇者さんのことを知っている人が言うには、赤い目で長い黒髪、黒い服を着ている女の子だって。わたし、なぁんだって思っちゃった」
魔女さんは私の赤い目を覗き込んで微笑みました。
「ただのかわいい女の子のことじゃんって」
吸い込まれそうな金色は、私の感情を溶かすように輝いていました。
「勇者である以前に、あなたはどこにでもいる人間の女の子だよ。珍しい色を持っているだけ。でも、勇者であるから私はあなたと出逢うことができた。だから『勇者』としてのあなたもヒトとしてのあなたもぜんぶ好き!」
真っ直ぐに注がれる確かな想いに、勝手に生まれては勝手に根付いた悪いものが浄化されていくように思えたのです。私は思わず、魔女さんと同じように微笑んでいました。
「口説くのがお上手なようで」
「本心だよ?」
「だからこそ、ですよ」
ふわっと砕けた顔で再び抱き着こうとした魔女さんは、なぜか息を切らした魔王さんによって阻まれました。
「な、なんですかこの空気は⁉ いけませんよ勇者さん、ぼくというひとがいながら!」
「意味がわからないのですが」
「まだ勝負は始まってすらいないのに、なんだかぼくが負けたみたいじゃないですか!」
「たまには負けるのも悪くないですよ」
「その“たまに”が今日だとまずいんですよ!」
そうそう、勝負でしたね。それで、なにでやるんでしたっけ。
「わたし、ひとつ案があるんですけど、言ってもいいですか?」
私を見て訊く魔女さん。魔王さんも少しは見ておやりなさい。
「どうぞ」
「魔法対決なんてどうでしょうか」
おや、そうきますか。たしかに、魔女さんの魔法が強いことはわかりますが、相手は魔王さんです。誰かがふざけて考えた存在が具現化したようなひとです。しかし、そんなことは百も承知のはず。となると、なにか勝算があるのでしょうか。
「ぼく相手に魔法で勝負する気ですか。勇者さんしか見えていないだけあって思考力がないんですかねぇ?」
煽るな。そしてブーメランを放つな。
「魔法は魔女の得意分野。魔王ちゃん相手だっていい勝負できるはずだよ」
「そう言っていられるのも今のうちです。あとで泣いたって少ししか慰めてやりませんから!」
慰めてはくれるんですね。そういうところですよね、このひと。
まあ、魔女さんがいうなら魔法対決でいいのでしょう。私が参戦するわけではありませんし。そうと決まればさっそく取り掛かりましょう。
このふたりが本気(?)で戦うならば、地形が変わりかねません。
場所の用意くらいはしてさしあげましょう。
〇
「それでは、準備はよろしいですか」
魔女さんが降ってきた場所から少し移動したところにある拓けた平野。近くに居住区はなく、数十メートル離れたところに森があります。多少、派手に魔法を使っても問題ないと判断しました。環境は破壊されるかもしれませんけど。
「ぼくの雄姿を見守っていてくださいね!」
「わたしだけ応援してください、勇者さん!」
「公平な審判をします」
では――と、私は片手をあげ、「始め」下ろしました。
先に動いたのは魔女さんでした。出現させたほうきにまたがり、一瞬のうちに空高く飛び立ちます。彼女の様子を窺う魔王さんはその場に留まり、目線のみで動きを追います。
魔王さんの頭上五十メートルで静止した魔女さんは、杖を空に向け魔法を発動しました。杖先から放たれた魔力が巨大な魔法陣を生成し、光り輝きました。
「最初から飛ばしてきますねぇ……」
呆れたように言う魔王さんですが、その中には驚きが見えました。
防御態勢に入った魔王さんに、魔法陣から無数の鎌風が降り注ぎました。
ひとつ避けても、避けた場所に別の風。安置を作ることすら許さぬ鋭利な風が絶え間なく降ってきます。「うげぇ……」と目を細めながらひょいひょい避ける魔王さん。
「当たらなきゃいいんですよ」
軽やかに跳ねた瞬間、地に着こうとした足が風にすくわれて転びそうになりました。
「うわぁっああっぶな――」
待ってましたとばかりに、体勢を崩した魔王さんの頭めがけて鎌風が飛んでいきます。
横目で捉えた魔王さんは自ら膝を折って地面に伏せました。間一髪で避けた――と思ったのもつかの間、次の瞬間には地面スレスレに添って迫る風がありました。
片足に力を込め、宙返りで回避する魔王さん。丸くなった体を分断すべく新たな風の追撃が繰り返されます。
「もらった」
「次から次へと……!」
空中で無防備になった魔王さんに、魔女さんはさらに隙間なく鎌風を贈りました。
「…………っ!」
腕で顔を隠した魔王さんは、そのまま風とともに地面に叩きつけられました。鋭い風が地面をえぐり、粉塵を巻き起こして魔王さんごと隠します。
どうなったのでしょう……?
「……魔王さん」不老不死なので心配はしていません。していませんが、さて……。
魔女さんは上空から地に降り立ち、少し離れたところから砂煙を見守ります。やがて、自然の風により露になったその場所に、切り刻まれた魔王さんの姿が――。
「――っいない⁉ どこに――」
すぐさま杖を構える魔女さん。魔力を籠めようとした時、背後から杖を弾き飛ばすひとがいました。
「遅いですよ」
くるくると回って落ちてきた杖を華麗に掴み、魔女さんの首元に突きつける魔王さん。
「油断しましたね」
聖女のような微笑みを浮かべる魔王さんは、「両手をあげてください」とその姿に似合わぬセリフを言いました。ゆっくりと手を挙げる魔女さん。
「すごいね。絶対やったと思ったのに」
「ぼく、魔王ですから」
「ねえ、杖、返してよ」
「いやです。魔法使いは物体を通して魔力を安定させるってことくらい知っていますからね。所詮は魔力を持って生まれただけの人間。むやみやたらに魔法を使えるわけじゃありません。つまり、“これ”がなければきみは魔女ですらないのです」
杖を突きつけながら、魔王さんは魔女さんの正面に回りました。
「ぼくの勝ちです」
余裕の表情を浮かべる魔王さん。彼女の言葉が本当だとすれば、勝負はつきました。それなのに、魔女さんは焦るどころか表情ひとつ変えていません。
まだなにか策が?
「杖がなきゃ魔女ですらない、か。それなら、どれだけよかったかって思うよ」
「どういう意味です?」
「ねえ、魔王ちゃん。わたし、まだ『降参』なんて言ってないよ」
小さく笑う魔女さん。魔王さんは何かを察知したように距離を取り、杖を握りしめました。魔女さんを取り囲むように出てきた緑色の光が彼女の姿を隠します。
「魔法……? 杖はないのに、なぜです」
「わたしにとって杖はお飾り。そして、カモフラージュなんだよ」
光が風となって魔王さんに襲い掛かります。強風にもまれる髪で視界が遮られぬよう手で対応する魔王さんは、目も開けられない中、必死に魔女さんの行方を追いました。
いつの間にかほうきに乗って上空から見下ろしていた魔女さん。
「魔女とほうき。絵に描いたような魔女像ですね」
魔王さんは手をかざし、魔法陣から光線を撃ちました。
「墜ちなさい」
しかし、魔女さんは平気な顔ですいすいと避けていきます。一本だった光線は、二本、三本と増えていき、彼女の行く先を阻みます。穏やかなほうきの旅をするように、腰掛けてふわりふわりと飛び避ける魔女さん。次第に不規則な弾道を辿る魔法ですが、魔女さんはいとも容易くすべてを避けました。
「当てる気ある?」少し不満そうな声で魔女さんは問いました。
「いいえ。人間は脆いですからね」
「気持ちがフェアじゃない気がするんだけど」
「そこは安心してください。負けてあげる気はさらさらありませんから」
その時、不規則に飛んでいた光線が網目状に組み合わさり魔女さんに向かいました。大きく旋回し避ける魔女さん。しかし、別方向から飛んできた一筋の光が真っ直ぐ魔女さんを撃ち抜きます。彼女はするりとほうきにまたがり、すんでのところでかわしました。
次の攻撃を警戒し、魔王さんの様子を窺う魔女さんは、にこっと微笑む魔王さんを見てハッとしました。
光線を放っていた魔法陣を消し、『うしろ』と合図する魔王さん。振り向こうとした魔女さんでしたが、網目から解けた不規則な光線がほうきを直撃し、バランスを崩すとそのまま落下していきました。
「うぅっ……!」
魔女さんを保護すべく、魔法の用意をする魔王さんは、「真っ直ぐ貫く光も広範囲の網もカモフラージュです。ヒントはあげましたけどね」と杖を回しました。
頭から地面に向かう魔女さんは、悔しいと言うこともなく、焦りを見せることもなく、ただ静かでした。すべての力を抜いたような体から、小さな声が聴こえました。
「……勇者さん、見てくれていますか」
「はい。ずっと見ていますよ」
私の声に、魔女さんは安心したように口元をほころばせました。
「――なら、わたしはまだ負けてない」
魔王さんの保護用魔法に当たる直前、魔女さんは緑色の光を体にまとわせて飛びました。
淡く光る細い光が魔女さんを囲み、彼女は空中に浮いていました。
光線をまともに受けて折れたほうきは地に落ちたまま、彼女はその身ひとつで浮遊していました。
「杖もほうきもない魔女ですか。世の中おかしなことばかりですね」
「勇者さんに味方する魔王ちゃんにだけは言われたくないよ」
魔女さんは滑らかに宙を飛び、私のそばに降り立ちました。そして、被っていた魔女帽子を私にそっと手渡しました。
「杖もほうきも、この帽子も、ぜんぶ『わたしは魔女ですよ』って教えてあげているだけ。でも実際、魔女を魔女たらしめるものはいつだって魔法なんだよ」
魔女さんは、少し悲しそうな目で私を見ました。
「ねえ、勇者さんもそうでしょ?」
その言葉の意味を理解するのは簡単でした。だから、かける言葉に迷うこともありませんでした。
「魔女であろうとなかろうと、あなたはあなたですよ」
私は、彼女の頭に丁寧に魔女帽子をかぶせました。
「がんばってくださいね」
帽子をぎゅっと握り、魔女さんはうんうんとうなずきました。とてもとても、うれしそうでした。
「ぼくには激励のお言葉、ないんですかぁー……」
頬を膨らませて抗議する魔王さん。雰囲気というものをですね、考えて欲しいですね。
「ガンバッテクダサイ」
「これほど気持ちがこもっていないのも初めてですね⁉ 悲しい!」
私は審判の立場です。中立でいなくてはなりません。気持ちは同じものを同じようにこめたはずです。でもまあ、人間なので。多少の違いはあるかもしれませんね。はい。
「次で決める。魔王ちゃん、手加減なしでぶつけ合おう」
「塵になりたいようですね」
「勝つのはわたし」
「その気持ちだけは認めてあげましょう」
そして、ふたりは私からかなり距離を取りました。ぎりぎり表情が見えるくらいです。
魔女さんはふわりと空に浮き、魔王さんに向けて手をかざしました。体を纏うように現れた緑色の光が手のひらに集まり、魔法陣を形作ります。多くの魔力が一点に集まり、彼女の周囲が歪んでいるように見えました。自身の魔力から吹き荒れる風で、髪も服も暴れています。
「さっき広範囲魔法を使っておいて、まーだそんなに魔力があるんですか。いやぁ、とんでもない魔女ですね、アナスタシアさんは」
「言ったでしょ。わたしは強いって」
「口先だけではないことはもうわかりましたが、ぼくだって口先も鼻先も目先も魔王です。きみの本気度に敬意を称し、少し本気でいきましょう」
「殺しちゃだめですよ」小さくつぶやいた私に、魔王さんはウインクで返事しました。
魔王さんは両手の指を組み、まるで祈るような姿になりました。金色の魔力が体を包み、目の前に魔法陣を形作ります。魔力が注がれていくにしたがい、煌々と光を放つ陣は見る者を圧倒させる力がありました。
「久しぶりに高揚していますよ。勇者さんのこと以外で!」
「古参アピールするひととは仲良くなれない! 私が勝つ!」
「帰って魔法の練習でもしていなさい! ぼくが勝つ!」
大声で言わないでほしいです。他に人はいなくても恥ずかしいです。
と、そんなことを思っている私ですが、意識はふたりに釘付けでした。
私自身も魔法を使えますが、後天的な能力であることや性格的なことからほとんど剣に頼った戦い方をしています。ゆえに、一切のスキを許さない魔力のぶつかり合いを見るのはこれが初めてでした。魔王さんがここまで強い魔法を使おうとしているのも初めてのことではないでしょうか。なんだかんだ言いながら、魔王さんは魔女さんとの勝負を楽しんでいるように見えました。
両者は魔法陣にこれでもかと魔力を籠め、倒すべき相手に向けました。
緑と金の魔力を纏うふたりは、とても美しく見えました。ふたつの魔法がぶつかり合う瞬間を心待ちにしている自分に気がつきましたが、目を背けることはできませんでした。こんなにもひとつのことに集中する私はあまりいないでしょう。
周囲に森以外なにもないところを選んでよかったと思いました。この一撃でどれほどの影響が出るかわかったものではありません。人のいない平野。何かが来てもすぐわかる拓けた場所。
――だから、気を抜いてしまったのです。何も来ない、来てもすぐわかると思ってしまった。目の前の想いと魔法の行く末を見届けたいと思ってしまった。
「吹き荒れろ、アカシマ‼」
「魔王の力、見せてあげます!」
ふたりが魔法を発動しようと声を張り上げた時でした。魔王さんがハッと私を見ました。釣られて魔女さんも私を見ます。
ふたりは同時に叫びました。
「勇者さん、うしろ‼」
ぼうっと見惚れていた私は、その言葉の意味すら一瞬理解できませんでした。
呼吸が止まるような、おぞましく冷たい感覚。魂を直接触られるような気持ちの悪さ。
直感的に解りました。そして、自分のミスを突きつけられました。
すぐ後ろに魔物がいる。それも、おそらく超級以上の。
距離を取る時間は? 剣を抜いて構える隙は? 魔物の強さは?
考えている暇はない。動かなければ。
全身が動くよりも先に、剣に手が伸びました。背中から引き抜いて構える時間があろうとなかろうと、反撃の機会は訪れるでしょう。一撃で殺されさえしない限り。
大剣を握る手に力を込めようとした時、魔王さんと魔女さんが私に魔法陣を向けるのが見えました。
「避けてください!」魔女さんの叫ぶ声とともに、まばゆい光を放った魔法陣から強力な魔法が放たれました。それは、魔王さんも同時でした。
高濃度の魔力が一点で衝突し、空気が割れました。
ふたりとも、私の背後の魔物を狙って撃ちました。それはわかっています。しかし、せめぎ合う魔法が弾道を歪ませ、衝動で威力をまき散らしながら迫ってきていました。
「……これはまずい」
魔物を気にしている暇などとうにありませんでした。あの魔法に当たったら間違いなく死にます。私は剣を放り出して横に転がりました。なるべく横へ、弾道とは異なる方向へ行かなくては。近くで魔物の雄たけびが聴こえ、この状況でも私を狙って行動していることがわかりました。
到着する前から巻き起こる粉塵にもまれながら、私は途切れ途切れに聞こえるふたりの声を気にしていました。
「勇者さんっ‼」
焦りを露にした魔王さんの声と、悲しみをはらみ、絶叫する魔女さん。
それは、ものの数秒の出来事でした。
ふたりの渾身の一撃をその身に受けた魔物は、塵芥も残さずに消えました。
私は攻撃を避けたものの、魔力の衝突により発生した爆風に吹き飛ばされ、地面を石ころのように転がりました。
「うっ……ぐっ……ぅ」
受け身は取りましたよ。意味ありませんでしたけど。
手からすっぽ抜けた剣もどこかに飛んでいきましたが、転がるうちに刺さるなんてことにならなかっただけマシとしましょう。
最初に吹き飛ばされた時、地面に強く叩きつけられたのでしょう。呼吸もできないまま、ころころ、ころころ。私はおむすびじゃない。
やっと体が止まったあたりで、止まっていた呼吸も動き出しました。
軋む胸に意識をやりながら、少しずつ鮮明になっていく痛みに顔を歪めてしまいます。
あらら……。どうやら、魔法が魔物を消し飛ばした時、魔女さんの魔法にちょっとだけ当たってしまっていたようですね。彼女の魔法がどういうものかわかりませんが、強力な風であることは確かです。
鋭利な刃物で切り刻まれたような痛みと傷。服もあちこち裁断されていますね。
目の前に力なく置いた手首から、嫌いな色が流れていくのが見えました。
いけません、止血しなくては。……いや、まだ息が苦しくて動けませんね。
「…………はぁ」
まったく、私は一体なにをやっているのでしょう。魔物の気配に気づかないどころか、この醜態です。ふたりの真剣勝負を邪魔した挙句、助けようとしてくれた気持ちにも裏切ってしまいました。いやはや、恥ずかしいです。
それに……。
どういう理由があるかわかりませんが、魔女さんは私をいたく慕ってくれています。この出来事は、きっと彼女を傷つけてしまったでしょう。私が気を抜いたばかりに……。
ああ、いやですね。ふたりに心配されるのは。
だって、ふたりは何も悪いことをしていないのに。していないのに、謝るのはおかしいのだから。
「勇者さん‼ 勇者さん‼」聞いているこちらが悲しくなるような声。苦しくて痛くて切ない声。魔女さんは、私を見た途端に泣き出してしまいました。
「ケガっ……わたしのせいで、勇者さんがケガを……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
涙を流し、ごめんなさいと繰り返す魔女さんを見て、魔王さんはむしろ冷静になれたようでした。様々な感情が混ざった顔のまま、「まずは止血を」とポシェットに手を伸ばします。
「消毒液、包帯、あれっ? どこだっけ、あっ、包帯見つけ――これ違うぅ!」
落ち着け落ち着け。冷静じゃないですね。撤回します。
ポシェットを盛大にひっくり返し、不必要な処置道具まで抱えて私のそばに座りました。
「だいじょうぶですか……?」
「すみません、情けなくて」本音です。
「いえ、ぼくもごめんなさい……。ちょっと魔力をこめすぎました。こういった状況は久々で、防御魔法を使うことすら頭から抜けていましたし……」
治癒魔法を併用しながら治療する魔王さん。ずっと転がっているのも恥ずかしいので、私は痛む体を無視して起き上がりました。
うぐっ……。見た目以上に痛いですね。かなり強く打ちつけたのかもしれません。
砂ぼこりと血が混じり、みすぼらしい姿です。フード被りたい。
いえ、そんなことより……。
「……ごめんなさい、わたし、なんてことを……」
もはや何も見えなくなった様子の魔女さんが心配でした。
私のケガは命にかかわるものではありません。見た目はひどいですが、よく見ればそこまで深い傷ではないとわかります。血はダラッダラですけど。軽傷です。誰がどう言おうと軽傷です。
魔王さんが黙ってハンカチを渡してくれました。小さく会釈すると、流れ出た血を急いで拭きました。あらかた拭き終わると、魔女さんの肩を優しく叩きました。
「魔女さん、だいじょうぶですか?」
彼女は泣くだけで反応しません。私は少し考え、彼女を抱きしめました。
ぎこちない動作で頭を撫でてみます。こんな感じ……?
「魔女さん、魔女さん。聞いてください。私は平気です。助けてくれてありがとう」
「だい……じょうぶ……?」
「ええ。ほら、見てください」
私は微笑んでみせました。血は拭きましたからね。傷口は包帯やらなんやらでもう見えません。ケガなんてないのです。えへん。
「……そんなわけないでしょう」小声でつぶやく魔王さん。そこ、静かに。
「それより、超級らしき魔物を一発で倒すなんて、すごいですね」
「それより勇者さんが心配……」
褒め作戦、失敗。
「もう治りました。魔王さんの治癒魔法効果です」
「魔王の魔法は勇者には効きづらいって本で読んだもん……」
え、まじですか? それはすみません、初知り情報です。ちょっと詳し――。
「わたし、勇者さんの力になりたかったのに、これじゃあ……」
私の腕の中でぽろぽろ泣き続ける魔女さん。ど、どうしましょう……。
こういう時、私もどうしてよいかわかりません。最適な行動も言葉も浮かばないので、そのまま抱きしめていました。
そんな私たちに、なぜかとーっても不満で不機嫌そうな魔王さんが、
「水を差すようで悪いですが、誰か来ますよ」
と、遠くの方を指さしました。なにゆえそんなに不満そうなんですか。
「勇者さんからハグするなんて……。こんなに長く……。しかも、なでなでまでされている……。むう……」
通常運転ですね。安心です。
下がった眉もそのままに、魔王さんは遠くの方を指差しました。示す先には、必死で走ってくるひとりの人間の姿がありました。遠くからでもわかる鬼気迫る様子に、私はいやな予感を覚えていました。
私たちを捉えながら、若い男性は声を張り上げます。
「すみませーーんっ‼ そこの勇者様‼」
やはり。仕事の時間だと思った瞬間、小さくなっていた魔女さんが突然立ち上がり、私の前に塞がりました。
「人間……。勇者さんに一体なんの用……」
ぶら下げた手のひらに魔力を籠める魔女さんを、魔王さんはため息をつきながら杖で叩きました。
「こら。きみはちょっと静かにしていてください」
緑色に光る手に杖を握らせると、鋭い視線を送る魔女さんに代わり、魔王さんが問いかけます。
「だいじょうぶですか? ぼくたちになにか御用でしょうか」
「あのっ、ここに勇者様がいらっしゃるって、聞い、聞いたんですけどっ……」
息を切らした男性は魔王さんを見ると、安心したように顔をほころばせました。
「あなたですよね、勇者様は!」
違いますけどね。
「どうか、魔物に襲われている僕の村を助けていただけないでしょうか!」
そう言って頭を下げる男性。魔王さんは私に視線をやり、『どうしますか?』と問うてきます。どうするもなにも……。私はやれやれと首を振り、うなずきました。
「承知いたしました。案内してください」
「ありがとうございます! こちらです」
男性が案内しようと向きを変えた時、魔女さんの体がふわりと浮き上がりました。
「……ケガをしている勇者さんにそんなことさせられません。わたしが責任を持って魔物を倒してみせます」
身体を纏う魔力により、辺りにつむじ風が生まれました。
「場所も知らないのにどうするというのですか」
問う魔王さんに、魔女さんは一言「ここに来るときに見えた」と答えて飛び立ちました。
さすが風属性の魔女。風を操り、纏って飛ぶ速さは一流です。
「待ちなさい! 今のきみでは無理ですよ!」
魔王さんの言葉は風にかき消され、魔女さんに届くことはありませんでした。
困った様子の魔王さんは、「急ぎましょう。このままではさらに悪いことが起きてしまいます」と告げました。
「魔法と魔力、そして使い手の関係性は知っているでしょう?」
「…………」
「勇者さん?」
「……すみません」
「勇者さん……」
そんな目で見ないでください。神様は説明不足なんです。
「ゆっくり説明している時間はありません。村に向かいながら簡単にお伝えします」
〇
魔法。それは、魔力を持つものによって引き起こされる自然の摂理に反した力。
魔力。それは、魔法を生み出すために必要な根源的な力。
使い手。自身に流れる魔力を魔法に変換し、使役するものたち。人間の場合、魔法使い、魔女と称される者たちのこと。
「ここまではいいですか?」
「さすがに知っていました」
「では次に、魔法と使い手についてです」
魔王さんは「ここが一番重要です」と前置きして話し始めました。
「魔法を使うものたち――いわゆる魔法使いや魔女――にとって、最も重要なものはなにかわかりますか?」
「魔力量や魔法の質でしょうか」
ふつうに考えたらそうなります。しかし、魔王さんは首を横に振りました。
「いいえ。それらもたしかに重要ですが、最たるものは精神です」
「精神?」思ってもみなかった言葉でした。
「心、と言い換えてもいいかもしれません」
「どういうことですか」
魔王さんはかいつまんで説明してくれました。
魔法とは、でたらめで無茶苦茶、道理に合わない不条理なもの。けれど、その実、魔法という枠組みの中では非常に理路整然、細やかに構築された式のもとで展開されるルールと法則の結晶。煩雑に飛び交う魔力を安定させ、魔法陣と成すために使われるのが使い手の精神である。使役するもの、つまりマスターの確固たる意思により、魔法陣は整然たる魔法の構築式を保つことができる。結論として、精神のゆらぎは魔法の崩壊を示す。
「……むずかしい」
「つまり、精神や心が揺れている時に魔法を使うと、本来の力が出ないばかりか、暴走する危険性があるということです」
「最初からそう言ってください」
まどろっこしいんですよ。……って、あれ。そうなると、魔女さんは――。
「アナスタシアさんは、強い魔女です。広域でありながら威力が衰えない広範囲魔法、回復せずとも高火力魔法を撃てるだけの圧倒的な魔力量。そんな彼女の心が揺れたまま魔物と対峙したら、どうなるか予想はつくでしょう」
求めていない想像が頭に浮かび、それらから目を逸らすように魔王さんを見ました。
魔王さんは、変わらない青色で私を見ていました。
「きみが鍵です」
「……そう、ですね」
ケガを負った私を魔王さんが魔法でサポートしながら進んでいるため、先に行ってもらうこともできません。歯がゆい思いを抱えたまま、私たちは男性から事情を聞きました。
男性の話によると、ここから数キロ先にある村が魔物に襲われているとのことでした。これまで低級には存外簡単に対応していた男たちが、あっさりと殺されていく惨状を目の当たりにした男性は、勇者が近くにいるという話を聞いて助けを求めにきたそうです。ついさきほどまで派手にドンパチしていたので、場所はすぐわかったでしょう。
戦えない者たちは身をひそめ、魔物に襲われる恐怖を抱えたまま勇者の到着を待っていると。
「魔物と戦う経験は豊富な村なんですが、今回はいつもと違って……。後ろにいた戦闘員がいつの間にか消えたと思ったら、死体で見つかったり、肉片になっていたり……。それなのに、魔物の姿はなくて、みんなパニックになっています」
話す男性の表情には、恐怖や焦燥はもちろん、困惑の色が濃く出ていました。
魔物の姿がないのに人間が殺されている。まるで透明人間……いえ、透明魔物です。
そんな魔物、いるのでしょうか。
男性を慰めたり話を聞いたりしている魔王さんの陰で、私はぐるぐると考えていました。
……魔女さん。だいじょうぶでしょうか。
〇
勇者さんにケガをさせてしまった。魔物に気づかなかった。魔王ちゃんにも勝てていない。なにかの役に立つどころか、迷惑をかけている。
何のために……。何のためにこれまで……。
アナスタシアは血が滲むくらいに唇を噛んだ。脳裏に染みついた血の味が不快感をより一層強め、過去を忘れさせまいと顔を覗かせる。捨てたはずの言葉や情景が鮮明に呼び起こされ、アナスタシアはぐっと顔を歪ませた。
今は、自分が役に立つ存在だと証明しなくては。ケガをさせてしまったことは巻き戻せない。それならば、せめてあの人の代わりにわたしが戦わなくては。
自身に纏わせた風は粗く、アナスタシアに傷を作っていた。小さな傷から血のしずくが飛び、それが無性に腹立たしかった。
「邪魔しないでっ……!」
人間が助けを求めた村が見えてきた頃、アナスタシアはさらに風を強めて怒りを露わにしていた。
ちゃんとできる。わたしの魔法は強い。ちゃんとやれる。さっきのような過ちは繰り返さない。
どこかで悲鳴が聞こえた。アナスタシアは風よりも速く飛び、声の元へ駆けつけた。
幼いこどもを抱えた母親らしき人間が、数体の魔物に襲われていた。
「させないっ!」
魔王に返してもらった記憶のない杖を構え、アナスタシアは魔法を発動した。
細くねじった竜巻が魔物を食い散らかし、塵へと変えた。
竜巻は周囲の家を巻き込み、木片を巻き取りながら空へと消えていく。
すぐさま親子の元へ駆け寄ったアナスタシア。しかし、親子は悲鳴をあげてうずくまった。
「だ、だいじょうぶですよ。魔物は倒しました。もう危険はありません!」
襲われた恐怖で混乱しているのだろう。アナスタシアは安心させようと笑顔を浮かべた。
そんな彼女に向けられたのは、深く刻まれた恐れの色。
そして、幼子から発せられた「ばけもの」という言葉。
「ちがっ……。ちがう、わたしはあなたたちを助けに来ただけ――」
アナスタシアの言葉も聞かず、母親は彼女を背に走り去った。
「なんで……。わたしは正しいことをしてるんじゃないの……?」
心臓が痛い。ナイフで刺され続けているような鋭く深い痛みが止まらない。
杖を持つ手が震え、心が嵐のように波打っているのを感じた。
「魔法で人を助けて、勇者さんのお役に立って……。それなのに、なんで……」
アナスタシアの脳裏に真っ黒な瞳が浮かび上がった。
彼女に向けられる怒りや恐れの感情。人間から除外せんとする鋭い言葉。
やめてよ。そんな目で見ないでよ。ばけものって言わないで。
わたしはばけものじゃないっ……!
「……っはあ、はあ……。だめ、だめだよアナスタシア」
……いけない。いけない。だめだ落ち着け。いまさらあんな言葉で心を揺らがせる必要はない。初めて言われたわけじゃないのだから、慣れっこなのだから。
「落ち着いて、わたしは強い。わたしはやれる。だいじょうぶ」
杖を目一杯握りしめ、倒すべき魔物のもとへと飛び立った。
村は魔物で占領されていたが、男性陣の奮闘もあってその数は着実に減らされていった。しかし、低級の魔物が減る一方で、道端に転がる赤い屍が増えていった。
見つけ次第、風で吹き飛ばし、切り裂いていっているにもかかわらず、なぜか死者の数が増え続ける。
「どうして……? 強い魔物がほかにいるの?」
新たな死者を見つけるたびに、アナスタシアの焦りは積もっていった。
情報がほしい。村を襲った魔物について、詳しいことが知りたかった。
しかし、村人を助け、話を聞こうにも、彼らはアナスタシアを恐れて逃げるばかり。
ただ逃げるだけならまだしも、まるでアナスタシアを魔物のように扱う者たちもいた。
そのたびに、彼女の心は血を流した。
この村はきらい。痛くて痛くてたまらない。過去を思い出して耐えられない。
それでもアナスタシアは魔物を倒し続けた。
魔物。魔物はどこ。わたしの力を証明する魔物はどこにいるの。わたしの存在が必要になるためには魔物を倒さなくては。使える人材だと、必要な力だと認めてもらうために、もっと倒さなくては。もっと、もっと――。
悲痛な声が聞こえた。数メートル先で男性が斧を振り回している。アナスタシアはカマイタチで魔物を切り裂くと、間髪を入れずに男性に詰め寄った。
「ケガは?」
「な、ないが……。君は……」
「教えて。この村、さっきの低級より強い魔物はいる?」
「え、あの……」
「はやくっ! こうしている間にも仲間が殺されてるかもしれないんだよ⁉」
「あ、ああ……。あ、いや、教えたくても教えられないんだ……」
男性は自身も困惑した様子でつぶやいた。
「わからないんだよ……。気づいたらみんなやられているんだ」
「どういうこと……?」
「すぐうしろにいたやつが次の瞬間には消えてるんだ。探して見つけた時にはもう……」
惨たらしい遺体を思い出したのか、男性は震えて顔を覆った。そのまま、小さな声で「君のしわざじゃないだろうな……?」と問うた。
「え?」
「君は……魔女だろう。さっきのあれは、魔法なんだろう。魔物の襲撃に隠れて、この村で暴れているんじゃないだろうな……?」
「なに、言ってるの……?」
指の隙間から覗いた目からは疑心の色が見てとれた。恐る恐る伸ばした手が斧に向かうのを見て、アナスタシアは何かが弾けるのを感じた。
「ふざけないでっ‼ わたしが村を襲う⁉ なんのために⁉ 勝手な憶測で人を犯人扱いしないで! わたしは魔物を倒してあなたを助けた。その事実から目を背けないでよ!」
「……っ! だ、だが……魔女は危険な存在だ」
斧に触れた指先はそれ以上動かなかったが、男性は「……すまない。はやく立ち去ってくれ」とうなだれた。
「……~~っ‼」
アナスタシアはこぶしを強く握り、何も言わずに飛び去った。
ぐちゃぐちゃになった心が気持ち悪い。汚い手で直接かき乱されるような不快感が全身に広がっていく。アナスタシアは手当たり次第に魔物を切り裂いていった。地面がえぐれようと、民家が倒壊しようと、杖を振る手を止めなかった。
何人助けようと、怒気を含んだアナスタシアを味方だと思う人は増えなかった。
風の魔法は魔物以外も切り裂き、辺りに飛び散ってはアナスタシアを苛立たせた。
うまくコントロールできていない。粗く雑な魔法で傷だらけになった自分が醜くて仕方がなかった。
いつもはもっとうまくできる。もっと上手なはずなのに。
どこまでも広く果てしなく続く風に乗り、滑らかな魔法を使えるはずなのに。
悪を切り裂き、守るべきものを優しく包むのがわたしの風魔法のはずなのに。
あの時からずっと鍛え、洗練し続けてきたはずなのに。
「…………」
杖を持つ手からは血が滴り、荒れ狂う風により髪は乱れ、自身に纏わせた魔力は雷のように刺々しい。あまりに乱雑で醜い魔法。これでは守れない。あの人の力になれない。
勇者さんの役に立ちたかっただけなのに。
ただ、それだけなのに。
「どうして、うまくいかないの……」
涙が溢れて止まらなかった。今日まで生きてきた理由が失われようとしていた。
魔物を倒して倒しても、被害者は減らない。わたしがしていることってなに?
魔力の感知も働かない。もうなにもわからなかった。
「う、うぅぅ……あああああああああああ…………」
すり切れた足から力が抜け、アナスタシアは泣き崩れた。
あたりはしんと静まり、アナスタシアの震える肩を抱くものはいない。
アナスタシアの泣き声が響くごとに魔力が飛び散り、緑の光は消えていった。
残されたのはなんの力もない少女だった。
厳しい世界を生きてきたつもりだった。そのぶん、幼いあの時よりも心は鍛えられてきたと思っていた。
――ほんとうに?
いま、『ばけもの』と呼ばれ、危険な存在だからと排除されそうになり、真っ黒な目を向けられる度に傷ついている人は誰?
「わたしは……強い……。絶対できるんだから…………」
いつものように言い聞かせてみても、心は吹き荒れる嵐のようになんの秩序もない。
涙が落ちる手のひらには魔力はなく、集中させるための思考も風に吹かれて飛んでいく。
魔法……。わたしが役に立つための力……。
わたしはそれすら、失ってしまったの。
じきに勇者さんたちが来る。責任を持って倒すと豪語しておきながら、なんの役にも立っていないわたしを見たら、あの人はどう思うだろうか。
失望するだろうか。彼女も、彼らと同じ目でわたしを見るだろうか。
「あ、ああ…………あああ…………いやだぁ……やだよぉ、勇者さん……」
たったひとりの、わたしのみちしるべ。
あと少しで失われるわたしの生きる意味。
痛みが溢れて息ができない。視界が霞み、声にならない泣き声が口からこぼれていく。
体を食い破って出てきそうな苦しみ、悲しみ、痛み。そのすべてが混ざり、アナスタシアを絶望に染めていった。
虚ろな目で涙を流すことしかできなくなったアナスタシアは、自分の背後に突如現れた強い気配に反応できなかった。
一秒前まで一切の気配はなかった。なるほど、いまわたしのうしろにいる魔物が、この村で命を奪い、暴れたものということだろう。
強く濃い魔力を感じる。超級の魔物だろうか。
あと一粒、涙が落ちる前にわたしは殺されるだろう。
いまから防御態勢を取るのも、攻撃態勢に入るのも間に合わない。役に立たずに死んでしまう。鋭い爪で体をえぐられ、腹を割かれ、中身を引き出されたみっともないわたしをあの人に見せてしまう。魔物を野放しにしたままわたしの結末を迎えてしまう。
わたしの魔法で傷つけてしまったあの人を戦わせることになるのだろうか。
ケガをしたままのあの人に剣を振らせるのだろうか。
それだけは絶対にいやだ。
ここまで迷惑をかけておいて、あの人の手を煩わせるのはいやだ。
ならば、せめて、最後にひとつだけでも。
涙で濡れた頬を力なくほころばせ、アナスタシアは決めた。
心に吹き荒れていた灰色の風はやんでいた。
――ああ、あなたはいつだってわたしを……
さあ、この魔物を葬り去って終わろう。万が一の時のために開発した魔法。わたしだけの魔法。
魔の手が降りかかる気配がした。アナスタシアは“たった一度きりの魔法”を使うため、残るすべての魔力を集めた。
祈るように握った手に涙が落ちる。
「――ごめんね、勇者さん。バイバイ」
大切なあの人に向けたお別れの言葉。それが決して届かないとわかっていても、言わずにはいられなかった。もう一度だけ会いたかった。そんな資格はないとわかっているけれど、会いたかった。
だからつぶやく。最後の魔法の名前を。
――シナトノカゼ
せめて風になって、あなたの元へ。
わたしを苦しめ続けた魔法の結末。それが訪れる。
――はずだった。
「私の友人になにをしているのです」
どこからか聴こえた声。大切なあの人の声。二度と聴けないと思っていた優しい声。
「勇者の剣をもってあなたを倒す」
アナスタシアの横を通り過ぎる一陣の風。ハッと振り向くと、大剣で魔物を対峙する勇者の姿があった。
魔物は、勇者を襲おうとしたものと同じだった。振り下ろされた剣から逃れ、雄叫びをあげるとその姿を消した。
「やっぱり存在消去ですか」
いつの間にかアナスタシアのそばにいた魔王は、やれやれと首を振った。
「めんどうな能力ですが、タネがわかれば怖くはありません」
「タネ……?」
血と涙でぐしゃぐしゃになったアナスタシアを見て、魔王はハンカチを手渡した。
「はい。あの魔物が使っている存在消去は、魔力ごと存在を隠す一見とても強力な魔法ですが、ひとつだけ穴があります」
ずばり、と人差し指を立てると、そのまま剣を構える勇者の背後を指し示す。
「攻撃する時は姿を隠すことができない」
大剣を遠心力でぐるりと回し、勢いをつけた勇者は魔物めがけて振り回した。防御態勢に入った魔物だが、その身は茨によって固定され動くことが許されない。刺が食い込み毒に侵食されゆく魔物は雄叫びをあげ、迫りくる剣を凝視した。
勇者の鋭い目は魔物を捉え、一切の抵抗を認めなかった。
魔物は真っ直ぐ注がれる己と同じ色の目を睨みつけ、再びその喉を震わせた。
雄叫びは断末魔へと変わり、上下がさよならした魔物は何も残すことなく消えていった。
「これがほんとの存在消去。……なーんちゃって。お疲れ様です、勇者さん」
魔王は拍手をすると、アナスタシアからそっと離れた。
目配せで合図された勇者は、うなずくとアナスタシアに駆け寄った。体中にある傷を見て、心配そうに目を細める勇者は、まだ止まっていない血をハンカチで拭った。
「遅れてしまってすみません。こんなにケガをさせてしまって――」
「ちがいますっ! これは、ぜんぶわたしが弱かったから……。わたしが倒すって言ったのに、結局勇者さんの手を煩わせてしまった。勇者さんもケガしてるのに……。わたしのことはどうでもいいから、はやく安静にしてください。ケガが悪化しちゃう……」
アナスタシアの目からまた金色のしずくが零れ落ちた。
「ごめんなさい……。わたし、何の役にも立てなかった……。魔法があるのに、戦えるのに、いる意味なかった……」
「何の役にも? いいえ、決してそんなことはありません。ほら」
勇者はアナスタシアの後方を見た。涙を浮かべたまま、彼女の目線の先を見たアナスタシアは、金色の瞳を大きく見開いた。
そこには、彼女のことを恐れ、『ばけもの』と呼んだ親子がいた。
どうしてここに……?
アナスタシアの心がまたざわついた。
困惑するアナスタシアの隣で、勇者は少し前のことを思い出していた。
それは、村中を風のように駆け抜けるアナスタシアを追い、勇者と魔王が居場所を探していた時のこと。逃げ惑う村人の中に、誰かを探している様子の親子がいた。
見て見ぬふりはできずふたりは話を聞きに行き、親子がアナスタシアを探していると知ったのだった。事情を聞き、勇者は一緒に行くことを選んだ。それが必要なことだと疑わなかった。
親子を見たアナスタシアは思わず俯き、唇を噛んだ。勇者は彼女の手を握ると、『だいじょうぶ』と背中に触れた。
親子は震えるアナスタシアを見ると、深く深く頭を下げた。
「さっきはごめんなさい。あなたは私たちを助けてくれたのに、お礼も言わず、失礼な態度を……。避難してきた村人たちから聞きました。魔物を倒して、私たちを助けてくれたって。いまさらって思うかもしれないけれど、どうか言わせてください。助けてくれて、ありがとう。ほんとうに、ありがとう……!」
母親は涙とともに言い、こどもはアナスタシアに駆け寄った。
顔を見てくれないアナスタシアに言葉をうまく紡げない少女をみかねて、魔王が「言いたいことがあるんですよね」と助け船を出す。少女はうなずくと、
「ま、魔女さん……。あのね、あのとき言った言葉なんだけど……」
アナスタシアの脳裏に「ばけもの」と言われた時の光景が浮かび上がった。
知らずのうちに勇者に握られた手に力が入る。
「あ、あれね、魔女さんに言ったんじゃないの……」
「え……?」
「魔女さんが魔法で倒してくれたこわいものに言ったの。でも、まるで魔女さんに言ったみたいになっちゃって……。ちがうの、ごめんなさいって言いたかったけど、言えなくて……。魔女さん、助けてくれたのに、ありがとうって言ってなくて、ばけものなんておもってないよ。ほんとはありがとうって、でもあのとき、こわくて、えと、だからね」
たどたどしく、懸命に言う少女は真っ直ぐアナスタシアの目を見ると、
「助けてくれて、ありがとう!」
と、微笑んだ。
「かっこよかったよ! それを言いたかったの。よかったぁ、言えて」
「……ええと、あの、どう……いたしまして。ケガはない?」
「うん!」
「そっか。うん、よかった。無事で……。お礼、言ってくれてありがとう。えっと、お母さん? も、わざわざ言いに来てくれてありがとう……ございます」
アナスタシアに小さな笑顔が咲いた。
親子は繰り返しお礼を言うと、手を振って避難所に帰っていった。
「何の役にも立たなかった、と?」
「あ、いえ……。そんなこともなかった、ですね……」
「あなたの戦ったあとを見てきました。人を助け、魔なるものを退治する。私のように定められた使命があるわけでもないのに、この功績。誇るべきことですよ」
「そんなんじゃ……」
「いいえ」
勇者はアナスタシアの頬を包み、優しく顔を上げた。
「私の代わりに人命を救った。お礼を言わせてください。そして、あの時、私を助けてくれてありがとう。あなたがなんと言おうと、私がこうして生きているのはあなたのおかげです」
「……うぅ……、勇者さんんん~……」
また泣きだしたアナスタシアは、勢いのまま勇者に抱きついた。勇者は何かを思い出したように小さく笑うと、彼女の背中に手をまわした。「意外と泣き虫なんですかね?」
「……泣いて抱きつけばいいということでしょうか。今度試してみましょう」
「聞こえてますよ、魔王さん」
「今回、ぼくの影が薄かったように思いますぅ~。ぐすん……。羨ましい~悔しい~ぼくだって勇者さんとハグぅぅぅ~……」
恨めしそうに言いつつも、魔王は勇者とアナスタシアを引きはがそうとはしなかった。
こどものように泣きじゃくるアナスタシアを横目に、魔王は呆れたように、けれど優しい笑みを浮かべた。
〇
その後、村にはびこっていた魔物は勇者、魔王、アナスタシアの謎の組み合わせによって一掃された。存在消去を使う魔物は例の二匹以外見当たらず、残りは村人でも対応可能な低級が主だった。
本調子ではなさそうな様子のアナスタシアの横で、勇者と魔王は村を観察する目で顔を見合わせる。
勇者はやれやれと肩をすくめると、荒れた村を一瞥すると避難所へ足を向けた。
勇者と勘違いされている魔王には村長からあれこれ話があると言われており、勇者も多少思うところがあり自ら行くことを決めていた。
勇者とは一言も言っていない魔王がいつものように勇者として扱われているのをいいことに、勇者はフードの中から被害状況を窺う。
少ない男性。ケガを負った村人たち。怒り、悲しみ、諦め……様々な感情が移ろう人々の顔。
起こってしまったことは変えられない。
だからといって、できることも限られている。
勇者はフードを深くして村人たちの横をすり抜けていった。
出番の少なかった魔王が村人たちのケガの処置やがれきの撤去などを手伝っているかたわら、勇者とアナスタシアは動ける村人からケガの治療を受けていた。
勇者の姿を見て、例のごとく「魔族」と畏怖の念を抱くものがいたが、勇者と思われている魔王の計らいで事なきを得た。
アナスタシアに関しては、なぜか勇者以上に拒否する者が多く苦戦を強いられた。そこで前に出たのはアナスタシアが助けた親子。ふたりの懸命な言葉のおかげで、アナスタシアは勇者とともに治療されることになったのだった。
加えて、いつもなら真っ先に逃げ出す勇者が、今回ばかりはアナスタシアを掴んで離さず、外へと足を向けようとする彼女の動きを封じていたことも大きな要因である。
そんな勇者を見て、一番驚いていた魔王は「明日は雨ですかね」と残してその場を後にした。
鋭い目や不信な目を感じつつ、無事だった建物の一角で手当てされる勇者たち。治療チームが拒否したため、ふたりは例の母親によって処置されることになった。
アナスタシアの切り傷にひとつひとつ丁寧に薬を塗り、ひどいものにはガーゼを、包帯を、と手際よく処置していく母親の女性。まだ幼い少女は、行儀よく座っているがその実そわそわして落ち着かない。魔女帽子や杖に強い目線を送り、頬を紅潮させていた。アナスタシアにそーっと近づくと、母親に聞こえないよう小声で「ねえ、魔法つかってみて!」とお願いした。聞こえないわけもなく、母親は「こら、いけません」と諭したが、アナスタシアは「構いませんよ」と杖を持った。勇者はちらりと彼女を見て、アナスタシアがうなずいたのを確認するとただ黙っていた。
杖が振られ、小さな魔法陣が作られる。少女の楽しそうな声に呼応するように、陣からいくつもの風が生まれた。風は鳥の姿になると、少女の周りをくるくる飛んでは消えていく。勇者にほおずりしにきた鳥は、ぬくもりを感じる風によってできていた。触れても切り裂かれることのない優しい風。安心した様子の勇者に撫でられ、鳥は手の中で消えていった。
「ありがとう、魔女さん」娘が喜ぶ姿を見て、母親はお礼を言った。
「とっても優しいのですね。……ごめんなさいね、この村の人たちは、魔女はおそろしい存在だって思っていて。私たち以外からもひどいこと言われませんでしたか」
「あ、えっと……。慣れていますので、だいじょうぶですよ」
アナスタシアは慌てて手を振った。慣れているのは本当のこと。だからといって、傷つかないわけではないが。
「言い訳にしかなりませんが、この村は昔、魔女によって滅ぼされかけたんです」
女性は静かに話し始めました。
「私はまだ幼かったですが、その時に両親を殺され、それからずっと……魔女を恨んで生きてきました。この村は、魔女への怨みによってできている……。それが、巡り巡ってあなたを苦しめ、傷つけた。ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい……」
「いえ……。わたしはだいじょうぶです。気にしないでください」
しんと静まった空間を破ったのは勇者だった。
「ひとつ質問をしても?」
「え、ええ。どうぞ」
「その魔女の目的は何だったのでしょうか」
「目的、ですか……。すみません、こどもだったもので……。あ、でも」
「でも?」
「聞いた話ですが、突然攻撃をやめて出て行ったとか……。そのおかげで村は今も残っているわけですけど、間違えたか、飽きたか、はたまた別の動機があったんじゃないかって言われていますね」
「へえ……。なんだかよくわからない魔女ですね」
「本当に……。あぁ、あともうひとつ」
記憶が手繰り寄せられ、女性は新たに思い出したことを口にした。
「大人たちが話していたのを偶然聞いたことがあるのですが……、なんだったかしら? 星がどうとか……。ええと、ごぼう?」
ごぼう? きんぴらですか? とでも言いたげな顔をする勇者。
知っているかとアナスタシアを見るが、彼女も首を傾げた。
「ごめんなさい、あんまり役に立ちそうもない話で」
「とんでもないです。こちらこそすみません、思い出したくない話を」
「いえ、これくらい」
女性は「できました」とアナスタシアに微笑んだ。
「傷跡が残らないよう慎重にやったつもりですが、残ってしまったらごめんなさい」
「とんでもないです。ありがとうございました」
作業がおおかた終了した魔王が二人の元を訪れ、勇者たちは村をあとにすることになった。
別れ際、女性はアナスタシアを呼び止めた。
「今回の件で、あなたに命を救われた人がたくさんうまれました。きっと、少しずつですが、魔女への考え方も変わっていくと思います。……いえ、私とこの子で働きかけていきます。だからいつか、気が向いたらここを訪れてほしい。改めてお礼をしたいですし、生まれ変わった村を見ていただきたいんです」
都合のいい願いだとはわかっていますが、と女性は言った。
「返事はいりません。訪れなくても構いません。けれど、あなたが救った命がここにあること、どうか忘れないで」
「ありがとう、魔女さん!」
アナスタシアは何も言わなかった。言えなかった。言えば、涙が落ちてしまうとわかっていた。だから、魔法で答えた。優しい風の鳥は、親子の周りを飛んで空へと消えていった。晴れ渡った青空と同じように、アナスタシアの心も穏やかだった。
〇
村から少し離れたところで、魔王さんはポシェットからほうきを取り出しました。
「アナスタシアさん、これを」
きょとんとした顔の魔女さんは「どしたの、それ?」と訊きました。
「きみのほうき、ぼくが壊しちゃったので。かわりの物です」
「え~。覚えててくれたんだ」
「と、当然です! 人様のものを壊しておいて、謝罪もしていませんでしたから」
「律儀だなぁ」
同感です。
「壊してしまってすみません」
「いいよ。それだけ本気で戦ってくれたってことだから」
ほうきを受け取った魔女さんの言葉で思い出しましたけど……。
「勝負、どうします?」
「どうしよっか」
「どうしますかね」
みんな、顔を見合わせるとやれやれと笑いました。
「ぼくは勇者さんにお任せしますよ」
一足先に丸投げした魔王さん。珍しいですね。
私は魔女さんを見て、「どうしたいですか?」と問いました。彼女は少し悩み、もらったばかりのほうきを私に向けました。
「ねえ、勇者さん。わたしとデートしよ」
「で、でででででででーと⁉ だめに決まってるじゃないで――」
「いいですよ」
「いいんですか⁉ えっ、いいんですか⁉ いいん――」
「それじゃ、ほうきに乗って」
「えっ、あの、ちょっと⁉ あのー⁉」
「ちょっとだけ行ってきますね、魔王さん」
「あ、はい。えっと、行ってらっしゃい?」
「勇者さんもらっていくね、魔王ちゃん」
「もらっ⁉ ま、待ちなさいそこまでは許してませ――」
魔王さんの言葉を最後まで聞かず、魔女さんはほうきを飛ばせました。
「はやく帰ってきてくださいねぇぇぇぇ⁉」と叫ぶ魔王さんの声を置いてけぼりにし、魔女さんは「あははっ」と吹き出しました。
「ほんと、魔王っぽくないなぁ」
楽しそうに言う魔女さんからは、もう魔王さんへの警戒心は感じませんでした。
ほうきに腰かけた私たちは、爽やかな風を受けながら何もない平野を進んでいきます。舵を取る魔女さんの隣に私。二人の少女が座るのには、ほうきは少しだけ短い。魔女さんは地面から一メートルほど高いところでほうきを飛ばしていますが、落ちた時のことを考えるとちょっとだけ怖いですね。なにせほうきで飛ぶなんて初めての経験です。
私は丸い木の部分をぐっと握りながら魔女さんの方へ体を寄せました。
あ、これでは重心がズレてしまうでしょうか。
そう思った時、魔女さんも中心の方へ――つまり私の方へ――体を寄せました。
力を込めすぎている私の手に重ねるように、自身の手を覆わせて。
滑らかに風に乗るほうきが、一瞬、わずかに、揺らぎました。
自然に流れる風は穏やかそのもの。ほうきがバランスを崩した理由は、すぐそばにありました。うれしそうに、恥ずかしそうに、そっぽを向く魔女さん。その頬は、ほんのりと赤く染まっていました。
私は一旦、遠い地平に目を向けると、息を吸って話しかけました。
「魔女さん」
「なあに、勇者さん」
「あなたが私を……勇者を慕ってくれる理由を教えていただけませんか」
「いいですよ。……でも、そのためにはわたしの過去を話さなきゃいけない。あんまり楽しくない話だけど、それでもいい?」
「あなたが話してくれるなら」
魔女さんはうなずくと、風に消されないよう、けれど、小さな声でぽつりぽつりと話し始めました。
「わたしが生まれたのはどこにでもあるようなふつうの村でした。そんなに大きくないけど、平和な村。ちょうど、さっきまでいたような。なんてことない日常を繰り返して、村のこどもたちと遊んで、両親にもそれなりに愛されていたと思う……。あ、思うっていうのは、記憶が鮮明じゃないからって意味で、別に変な意味じゃないですから!」
私は彼女の言葉を遮らないよう、うなずくことで応えました。
「けど、平和な日々は簡単に終わっちゃった。……八歳の時でした。わたしに魔法を使う力があるのがわかったのは。あんまり詳しくは覚えていないんですけど、村のこどもたちと遊んでいた時だったかなぁ……? 気がついたら一緒にいた子たちがケガをして泣いていて、駆けつけた大人たちが慌てていて……。何が何だかわからなくて、立ち尽くしていたわたしをケガした子が指さして言ったんです。『ばけもの』って」
彼女は淡々と話しました。けれど、私の手に重なる手が震えているのがわかりました。私はほうきを握る手を離し、彼女がしてくれたように上から重ねました。
「こわい顔した大人たちにいろいろ言われて、でもわかんなくて、こわくて、その場で泣いちゃったんです。そこに、両親がやってきて……。助けてって言おうとした時でした。泣いているわたしを見て、ケガした子を見て、混乱した現場を見て、呼ばれて来た村の偉い人を見て、両親はこう言ったんです」
彼女は声を低くし、堪えるようにつぶやきました。
「――魔女を処刑しましょうって」
彼女の声は震えていました。けれど、話すことをやめませんでした。
「意味わかんなかった。なに言ってるのって思った。でも、さっきまでわたしと遊んでいた子は離れていって、大人たちは何か言いながらわたしを捕まえようとした。先頭にいたのは両親だった。周りには包丁とかナイフとか斧とか、松明持っている人もいた。危ないものぜんぶ、わたしに向けられてた。みんな、口々にわたしのこと『ばけもの』って呼ぶの。わたしはアナスタシアなのに。ばけものなんかじゃないのに。でも、村の人たちからの言葉や目は、まるで本当の怪物に向けられているようだった。……見たことない目でした。あの人たちが見ているわたしは、『わたし』じゃなかった。そこにはもう、『わたし』はいなかった。こわくてどうしようもなくて、わたしに手を伸ばす両親にもう一度『助けて』って言った。そしたら、なんて言ったと思う?」
彼女は笑みを含んだ声で「許せ、だよ。笑っちゃうよね」と言いました。
「お前は魔女だから、生きてちゃいけない存在だから、どうかわかってくれって。わかるわけないじゃない。許せるわけないじゃない。こどもだからってバカにしないで。そう思ったら、何かが切れる音がしたんだ。自分の中で、得体の知れない力が渦巻いているのがわかった。ただ死にたくなくて、あの人たちの目から逃げたくて、わたしは抑えきれない心にすべてを任せちゃった。その後のことはよく覚えていないんだけど……、おぼろげな夢のような中で村が壊れていくのを見てた。わたしを否定するすべてから逃げようとして、無茶苦茶に振り回される魔法によってあたりは傷ついて。誰かを傷つけたかったわけないじゃない。なにかを壊したかったわけないじゃない。わたしは死にたくなっただけなのに、暴走する魔法を制御できなくて……。なにもかもわからなくなって、どうしようもなくなって、わたしは村を飛び出したんだ」
そこで、彼女は大きく息を吐きだしました。少し間をおいて、
「そこからは、あてもなく彷徨った。八歳のこどもが生きていくには厳しくて、死にそうになったことなんて数えきれない。他の場所でも、魔女であることを理由に殺されそうになったこともある。……許せなかった。どこに行っても故郷の村の人たちがついてくる。言葉がまとわりついて離れない。魔女だから。魔女だから。魔女だからって……! ずっとよどんだ風みたいに彷徨って、生きる意味も目的もなかったけど、死にたくないって気持ちだけは残っててね……。そうやって流れていたら、次第に悲しみや苦しみがどんどん怒りに変わっていったんだ。わたしは魔女だからって理由で殺されかけた。たしかに故郷では人を傷つけちゃったり、物も壊しちゃったけど、処刑の理由はそこじゃなかった。魔女だから、ただそれだけ。魔女だから殺されなきゃいけないの? 魔女だから存在しちゃいけないの? そんなの認めない。わたしはわたしなんだって。わたしのすべてを否定される原因になった魔法ごと、わたしという存在を認めさせてやるって、そう決めたの。魔法がなければ、今頃も村で平和に暮らしていたかもしれない。でも、魔力を持って生まれたわたしは、魔法も含めてわたしだから。魔法のないわたしだけを認められても、それはわたしのすべてじゃない。だからわたしは、自分が魔女であることを一目でわかってもらえるように、ローブを着て魔女帽子を被り、ほうきに乗って杖を持つんだ。誰が見ても魔女だってわかるように。ひねくれた考えかもしれないけど、わたしはそうやって生きてきたんだ」
少しだけ晴れやかに、彼女は言いました。
ひねくれた考え。そうでしょうか。私には、とてもとても強い気持ちだと思えました。
自分に与えられたもの、降りかかったもの、すべてを受け入れ、含めて『自分』だと言える強さ。誰にでもできることではないでしょう。
彼女は、自分のすべてを否定された時も、生きる意味がなかった時も、強い意志によって道を切り開いてきた。……私には、とてもできないことです。
「そんなある日、わたしは知ったんです」彼女はふふっと微笑んで話し続けます。
「この力ごと、わたしが認められる方法を」
彼女は美しい金色の瞳で私を見ました。
「あなただよ、勇者さん」
「私ですか?」
「そうっ! 世界に存在する絶対的な悪、魔王を倒す絶対的な正義、勇者。いくら勇者さんが神様によって選ばれた人だとしても、相手は魔王。そう簡単に倒せる存在ではない。……たぶん。そこで、人間にはない力を持ったわたしが魔王討伐に協力して、勇者さんの役に立って、魔王を倒せば、きっと世界に認められるって思ったんです。旅をする中で、その昔、勇者のパーティーに魔法使いがいた伝説も知りました。これならわたしもって思えた。魔法の力は必要なんだって」
理屈はよくわかりました。彼女の思考もおかしなものではありません。しかし、それだけでは足りないくらい、彼女は『勇者』を重要視しているように思いました。
「わたしが勇者さんのお役に立つには、まず勇者さんに使えるやつだって認められなきゃいけない。わたしが認められる未来にいくには、勇者さんのお墨付きが必要だったんだ。どこの誰に認められたって、勇者さんが『必要だ』って言ってくれないとなんの意味もないって思った。だから、わたしは勝手に目標を決めて、生きる意味を勇者さんに見出して、魔法を鍛え続けてきた。心を安定させるために、勇者さんの存在すべてを力にしてきた。ただ、勇者さんに認めてもらう。それだけを糧にして」
だからね、と彼女は続けました。
「わたしはすごく身勝手で、わがままでどうしようもない人間なんだ」
それはまるで、謝罪のように聞こえました。わたしから目を逸らし、何もない前だけを見る彼女。かける言葉を探しても、適したものがわかりませんでした。
「わがままなくせに、勇者さんの役にも立てなかった。迷惑かけただけで、困らせちゃった。わたしはもう、新しい意味なんてほしくない。見つけるためにがんばるのもいや。がんばってきたつもりだけど、もう疲れちゃった。……でもよかった。勇者さんに会えて。もう充分。これ以上はなんにもいらない。さっきはみっともない姿を見せちゃったけど、デートもできたし、満足だよ。付き合ってくれてありがとう、勇者さん」
むりやり声色を変えて話す彼女。
私はどんな言葉をかければいいのでしょう? なにをしてあげればいいのでしょう?
正解はいったい何? 正しい選択はどれ?
考えても考えてもわかりませんでした。だって、私も同じだから。
だから、答えなんてわからなくても、こんな時、私だったらなにをしてほしいか、どんな言葉をかけてほしいか。それだけはわかる。
「そろそろ帰ろっか。魔王ちゃんが待ってる――」
「まだ私は、何も言っていませんよ」
私は彼女を抱きしめ、優しく頭をなでました。
「ゆ、勇者さん⁉」
ぐらりと傾いたほうきを必死に戻す彼女を、私はただ抱きしめました。
「今日までよくがんばりましたね。もう、だいじょうぶですよ」
「え……、わ、わたし……わたしは、そんなふうに言ってもらえる権利なんて……」
「いいえ。あなたはがんばった。とてもとてもがんばりました」
「わたし、がんばった……の? そんなに褒められること、してこなかったよ……?」
「いいえ」私は今日の出来事を思い返しました。巻き戻し、巻き戻し、再生されるのは出会った時のこと。
「あなたは、私を認めてくれた。『勇者』としての私ではなく、『私』としての私を」
生まれ持った色というだけで、私は私のすべてを否定されてきました。
ただ、他の人と違うというだけ。特別な力があるわけでもなく、疎まれる立場にいるわけでもなく。ただ、不吉な色を持っていた。それだけでした。
だからこそ、赤い目も、黒い髪も、勇者であることも、全部ひっくるめて『私』を見てくれたアナスタシアのことを大切にしたいと思いました。
魔族のような見た目をしているというだけで後ろ指を指されてきた私を、彼女は決めつけずに認めてくれた。私が私であることを肯定してくれた。
それだけでうれしかったのです。
だから私は。
「私は、アナスタシアという存在を肯定します」
私の役に立つとか立たないとか、正直どうでもいいのです。私は不真面目勇者ですから、強い力を持った人など求めていないのです。
どこで誰がどのように死のうが、私には関係ないし興味もない。……けれど、目の前で死なれるのは困ります。加えて、生死をご自分で決めるのに口出しするつもりはありませんが、『私』を判断材料にするのは御免です。つまり、私もわがままだってことですね。
私は、誰かの生きる意味になれるような人間でもありません。けれど、彼女がそれを求めるのなら応えましょう。なぜなら、私は思ってしまったから。
彼女に生きていてほしい、と。
「――っ‼ わたし……わたしはっ……!」
抱きしめた体が小刻みに震え、私の背に触れた手に力がこもるのがわかりました。
「まだ……っ、生きてていいのかなぁ…………?」
「ええ。明日もあさっても、その次も、アナスタシアとして生きていてください。誰かがそれを否定しても、私があなたを肯定します。だから、これまでのあなたを否定しないでください。あなたの生きてきた道は決して間違えではありません」
彼女からの言葉はなく、ただ嗚咽となって私の中で響きました。
泣きじゃくる彼女は、しばらく私の腕の中で泣き続けました。
……やれやれ、困りました。こんなところで生きなければいけない理由ができてしまうなんて。けれど、だいじょうぶ。彼女は強い。私なんかよりもずっと。
いつの日か、私の存在がなくても生きていけるようになるでしょう。それまでは、勇者として、私として、優しい風の行く先を守ろうと思います。
……こんな私でも、役に立つこともあるのですね。
小さな子をあやすように抱きしめる私と、堰を切ったように泣く彼女。
私たちを通り抜けていく風はあたたかく、ほうきに乗ったままの体を冷やしまいとしているようでした。
やがて涙が止まるころ、彼女は「ありがとう」と言って離れました。
散々泣いてしまったことで恥ずかしくなったのか、若干上ずった声で「しょ、勝負のことなんだけど」と話し始めました。
「保留にしておいてくれないかな?」
「保留?」
「今回のことで決めたんだ。わたし、もっともっと強くならなきゃだめだって。これまでは勇者さんのことしか考えてなくて、視界も狭かったと思う。だから、世界を見てこようと思うの。いろんなところを旅して、いろんな人に会って、いつか、『アナスタシア』として勇者さんの力になれるように修行をしてくるよ。ま、また勝手に決めちゃったけど……」
「あなたが決めたのなら、私は応援しますよ」
「……えへへ、ありがとう、勇者さん。あ、それと、いまさらかもしれないけれど、勇者さんの名前」
「名前?」
「うん。勇者さんはわたしを魔女としてだけじゃなく、アナスタシアとして見てくれたから、わたしも勇者さんを勇者としてだけ見てるんじゃないよって表現したい」
言いたいことはわかりましたが、あいにく本当に名前がないんですよね。こうなったら魔王さんと名前の話になったときに決めておくんでした。
「呼んでいただきたくてもないものはどうにも……」
「あっ、うん。わかってる。だからね、ひとつ提案なんだけど……」
彼女は恥ずかしそうに口ごもりました。なぜ恥ずかしがる。
「わたしだけの勇者さんの名前、決めてもいいかな……?」
「あなただけの……? ええ、ぜひお願いします」
「やった!」
彼女はガッツポーズすると、「き、気に入らなかったら言ってね」と前置きし、私の耳にそおっとつぶやきました。
「――」
その名前を、私は深く深く心に刻みました。決して忘れないよう、大事に、大切に。
「ど、どうかな?」
「とてもいい名前です。ありがとうございます」
「わぁっ……! よかったぁ! あ、意味はね――……」
しっかり考えてくれているようで、私の名前の意味も丁寧に教えてくれました。
とてもすてきな意味でした。
「では、私からもプレゼントを」
実はこっそり準備していたんです。本当はこのタイミングの予定ではありませんでしたが、未来が変わったいま、渡すのはここしかありません。
「ちょっとだけ、前を向いていてください」
「……? うん」
私は丁寧に、壊さないように、彼女にプレゼントを贈りました。
「できました」
「できたって何が――あっ。かわいい……。これ、リボン?」
「はい。きれいな色だと思って」
「ほんとに! すっごくきれい……。ありがとう、勇者さん! あっ、それにこれ、勇者さんとおそろいみたい! うれしい!」
私が贈ったものは、なにものも寄せ付けない圧倒的なうつくしさを宿す金色のリボン。
彼女のサイドテールの結び目に大きなリボンを施したのです。
たしかに、私の頭にあるリボンとそっくりですが、それは言われて気がつきました。
うそじゃないですよ? 金色のリボンを見つけたとき、彼女に似合いそうだと思って持っていたのです。いつ? と思ったでしょう。治療をしてもらいに建物に行った時です。
魔王さんが村人たちとバトっている間に物色して見つけました。
盗んだわけでもありません。そばにいた村人に許可をとり、しっかりお金も払いました。
だって、私は勇者ですからね。
――と、そんなことはどうでもよくて。
私が想像した通り、そのリボンは彼女のためにあるように思えたほど、とても似合っていました。
「餞別です。あなたがあなたであることを迷わないように」
「うん! うんっ! 大切にする!」
彼女はサイドテールを大事そうに握ってうなずきました。目一杯うなずく度に、きらきら輝くリボンによく似たしずくが、彼女の瞳から流れていきました。
そして、もうひとつ。こういうのは得意じゃないんですけど、今は心の底から言えそうです。
いつか訪れる未来を望む挨拶を。笑顔で紡ぐ約束の言葉を。
私とアナスタシアは小指を結び、交わしました。
「また逢いましょう、アナスタシア」
「うん、サヨちゃん!」
〇
「やぁぁぁぁっと帰ってきたぁぁぁぁぁ……。待ちくたびれましたよう……」
私たちが出発した地点で待っていた魔王さんは、これ見よがしに脱力しました。
「ごめーん。熱く語り合っちゃって。てへ」
「なにを⁉ なにを語り合ったんですか⁉ 教えてください!」
「やだ。わたしとサヨちゃんの秘密だもん」
「サヨちゃん……?」
魔王さんの訝しな目。なんですか、その目は。
「アナスタシアだけが呼んでいい私の名前です」
「魔王ちゃんは呼んじゃだめ~」
「はいぃぃぃぃ⁉ なんですかそれぇ‼」
魔女さん――改め、アナスタシアに詰め寄る魔王さんを眺めながら、私はさきほどのことを思い出していました。
――サヨ
きれいな響きの言葉だと思いました。
「意味はね、『夜』。勇者さんの髪、夜の闇みたいでとってもきれいだから。黒は不吉って言われているけど、わたしにとって夜の闇は優しく隠してくれるあたたかいもの。ぜんぜん不吉なんかじゃないよ。それにね、うしろに嵐が付けば夜の嵐を表して、風が付けば夜風になる。サヨは夜を駆け抜ける風に必要な存在なんだよ」
だから勇者さんにぴったり。そう言ってアナスタシアは微笑みました。
「――さん! 勇者さんってば!」
「あ、はい。なんですか?」
私を呼ぶ魔王さんの声で現在に引き戻されると、そこには髪がボンバーした魔王さんがいました。
「イメチェンですか?」
「この魔女にやられたんですよ! なんでかめちゃくちゃ魔力が安定していてスキがありません! もうやんなっちゃいます!」
「ふっふ~ん。わたしの風を止められるのはサヨちゃんだけなんだよ~」
くるりくるりと杖を回し、魔王さんの周りを風に纏わせて遊ぶアナスタシア。
見覚えのある風の鳥に、私も釣られて笑いました。
「この魔法は?」
「トキツカゼっていうの。お気に入りなんだ~」
「もういいですからぁ~……。それで、勝負はどうすることになったんですか?」
まだ言ってませんでしたっけ。
「勝負は保留! 修行して、次に会った時に続きやろう。その時はわたしが勝つけどね」
「な、なにをぉぉ~? ぼくだって勝ちます! 風を吹かせるだけの魔女に負けるいわれはありません!」
「わかってないなぁ、魔王ちゃんは。わたしは風でサヨちゃんの背を押すサポート役。追い風を吹かせて勝利を導き、悪意ある攻撃を逸らして吹き飛ばす。攻防備えた魔女がわたし! 文句あっても受け付けないから!」
「な、なんか圧がすごいですね……。もとから強かったですけど、さらに磨きがかかったような……。勘弁してほしいです~……」
「修行したわたしはもっと強いから。覚悟しといてね」
「やれやれ……。強気な魔女はおそろしいですねぇ……」
推し負けた魔王さんは風に飛ばされたように私の隣にやってきました。
私と魔王さん。向かいにアナスタシア。
朗らかな風が吹き、門出を祝っているようでした。
「それじゃあ、サヨちゃん、魔王ちゃん。またね」
「ぼくはもう会いたくないですけどねー。……ですが、はい。お元気で。強くなるにしてもほどほどでお願いします」
「あははっ。それは聞けないお願いかなぁ」
魔王さんはべーと舌を出すと、一歩後ろに下がりました。
「サヨちゃん。わたし、魔女として生まれてきてよかった。そう思えるくらい、あなたに出逢えたことがうれしいの。アナスタシアというわたしも、魔女というわたしも、あなたはぜんぶ受け入れて肯定してくれた。だからがんばる。わたし、がんばるから! しばらく離ればなれになるけど、忘れないでいてくれるとうれしいな」
「ええ、忘れません。あなたが私をサヨと呼ぶ限り、私はあなたの勇者ですよ」
「ありがとう。……うん、だいじょうぶ。わたしは風の魔女、アナスタシア。いつか勇者さんの力になる強い魔女だから」
自分に言い聞かせるようにつぶやいたアナスタシアは、澄んだ目で私を見つめました。
「行ってきます、サヨちゃん」
「行ってらっしゃい、アナスタシア」
彼女は元気よく笑顔を浮かべると、ほうきに乗って天高く飛び立ちました。健やかな緑の光が一筋の軌道を描き、やがて消えていきました。
私たちは、彼女の姿が見えなくなるまで空を眺めていました。
とてもきれいな青空の日のこと。
私はひとりの少女と出逢い、別れ、再会の約束を結んだのでした。
アナスタシアが飛び去ってからのことです。
魔王さんからのハグ攻撃をかわし続けてはや一時間が経ちました。
「なんでですかぁ~……。今回、ぼくの出番少ないんですよう。重要度も低かったですし、あとはもうハグするしかないじゃないですかぁ~」
「どういう理屈ですか。離れてください」
「あの娘……。数時間しか勇者さんといなかったにもかかわらず、名前呼びを獲得するだなんて……。勇者さんはいつの間にかアナスタシアさんのことを呼び捨てにしているし! なんだかとっても仲が良さそうだし! ハグだって……。あまりに強敵。ぼくの敵!」
「時間より内容ですよ」
「無限の時を生きるぼくに大ダメージッ!」
心臓を抑えるポーズをとる魔王さん。大げさですね。
「敬語も外れていましたし、ぼくが知らないデートの時間で、デートの時間で! ずいぶん仲を深めたようですねぇ……」
強調するな。なんですかその目。そんな目で見ても何も出ませんよ。
「尊敬と憧憬のタメ口でしょうね」
そして、よりありのままの彼女なのでしょう。
「人間同士の間には魔族であるぼくが入るスキはないってことでしょうか……」
「なくても入るのが魔王さんでは?」
「そ、そんなことしませんよ! ゆ、勇者さんはああいう娘が好みなんですか……?」
「そういうんじゃありません。ほら、行きますよ」
「あうぅ~……」
彼女が飛んでいった方とは逆に歩き出す私たち。
ハグを諦めた魔王さんはあうあう言いながら歩みを進めます。
「ねえ、魔王さん」
「なんですか?」
「勝とうと思えばアナスタシアに魔法を使わせる暇もなく勝てましたよね」
「そうですね~」
「どうしてそうしなかったんです」
「どうして、ですか。簡単なことですよ」
今も空を飛んでいるであろう少女のことを思い出すように、魔王さんは穏やかに流れていく雲を眺めました。
「……何かにすがりたくなる気持ちはよくわかりますからねぇ」
ふいに、強風が吹いて魔王さんの言葉をかき消しました。
「はい?」
「あぁ、いえ。あの人の子も、勇者さんのことが大好きだったようでしたので、魔が差したんでしょう」
「魔王だけに?」
「魔王だけに」
冷たい風が吹きました。
「あともうひとつ。私の背後にいた魔物を倒そうとふたりが魔法を発動した時のことです」
「それがなにか?」
「魔王さん、わざとアナスタシアの魔法とご自分の魔法を衝突させましたよね」
「なんのことだか~」
とぼける魔王さんですが、私がじっと見つめると「だってぇ……」と口を尖らせました。
「ああしなかったら、勇者さんはアナスタシアさんの魔法で死んでいましたよ」
「ええ、そうですね」
私の命の危機に心が大きく揺れたのでしょう。助けなくては、と強く思ったのでしょう。
「彼女が知っているかどうかは知りませんが、風魔法って五つの属性の中で一番コントロールが難しいですよねぇ。発動者本人が自分の魔法で死ぬことも多くて、優秀な使い手が少ないんです。その分、応用も威力も優れているんですけど」
だからこそ、と魔王さんは言います。
「彼女は心を安定させ、自分も誰かも守れるようにならなきゃいけないんです」
魔王さんは大きくため息をつきました。「大変だなぁ、風属性」
「魔王さんが言うならそうなんでしょうね。でも、彼女ならきっとだいじょうぶです。いつ逢えるかはわかりませんけど」
「約束を結んでしまった以上、いずれまた出逢うのでしょう」
「その時は魔王さんの年貢の納め時ですね」
「あ~、二度と会わなくていいです~結構です~遠慮します~」
目を閉じ、耳を塞ぐ魔王さん。拒否の表現が大げさですね。
「……今回の件で、私の知らないことがたくさんあるとわかりました。魔法のことも、魔女のことも、知る必要があるのでしょうね」
「勇者さんの考えを変えるほどの出来事だったのなら、必要だったのでしょうね」
「なんだかんだ、魔女に会ったのも初めてでしたし。村を襲ったのも魔女らしいですが、割といるんですかね?」
「どうでしょうねぇ」
あまり興味のなさそうな魔王さん。
「あとなんだっけな、ごぼうの星?」
「ごぼうの星?」
一転し、私の顔を見た魔王さんに、私は女性から聞いた話を伝えました。
「曖昧な記憶ですし、特に関係ないと思いますけどね」
「ごぼうの星……。ごぼう……。星……」
魔王さんはうわごとのようにつぶやき、風にかき消されそうな声で「……五芒星」とこぼしました。
「魔王さん?」
「あ、いえいえ。それで、なんでしたっけ。次にアナスタシアさんに会った時がぼくの命日?」
「似合わない単語ですね。でも、こんなあてのない旅です。再会できるかどうかわかりません」
「そうでしょうか?」
不思議そうに言う魔王さんの声色はどことなく楽しそうなものでした。
「約束は呪いみたいなものですよ。それこそ、風のように流れて世界を覆い、果たされるまで彷徨うでしょう。アナスタシアさんが風の魔女なのも、なにかの縁かもしれませんね」
「魔王さんはたまによくわからないことを言いますよね」
「摩訶不思議な王で魔王ですから」
「漢字ちがいますよ」
「ありゃ。あはは~。細かいことはいいんですよ。あの、ところでひとつお願いがあるんですけど……」
「なんですか、改まって」
「ぼくも勇者さんのお名前呼びたいです! ぼくだけの勇者さんの名前を考えてもいいでしょうか!」
「却下」
「なんで⁉」
「今はお腹いっぱいなので」
「夕飯これからですけど……。体調悪いんですか?」
私をなんだと思っている。本気で心配の目をする魔王さんに首を振り、私は青い空を眺めました。
隣で「名前~。ぼくも~」と嘆く魔王さんの声が遠くなってく感覚がしました。
私は風が吹くたびに彼女を思い出すでしょう。
そして、リボンと同じ色をした瞳が、今日もあしたもその次も、いつか再び出逢う日まで、輝きを忘れないでいることを祈るでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
アナスタシアさんのお話、いかがだったでしょうか。楽しんでいただけたらうれしいです。
再会の約束という名のフラグを立てましたが、しばらくは勇者さんと魔王さんのふたり旅です。どうぞお付き合いくださいませ。
魔王「あえて触れなかったんですけど、アナスタシアさんのリボン、元からつけていましたっけ?」
勇者「触れなかったなら最後まで触れないのがルールですよ」
魔王「ぼくは魔王なのでルールに縛られません!」
勇者「いい風が吹いていますね。気持ちいです」
魔王「ぼくのことなど、どこ吹く風……」