94.キャパオーバーしちまったわよ
今日も2話更新予定です。
「ゲルトルードお嬢さまのことは、商業ギルド内でも話題になっておりましたので」
エグムンドさんはイイ笑顔で言ってくれちゃう。「すばらしく聡明で、特にその発想力が並外れておられると。しかも使用人にたいへん手厚くていらっしゃる。ここにいるクラウスから、意匠登録の件でクルゼライヒ伯爵家へ同行してほしいと言われたときは、これは好機が舞い込んできたと大いに喜びました」
そう言われたクラウスは、視線を落としたままだ。
やっぱりどこか顔色の悪いクラウスにちらりと視線を送り、エグムンドさんはさらに言った。
「実際にゲルトルードお嬢さまとお会いし、お話しさせていただき、これは噂以上のご令嬢だとつくづく感服いたしました。そして、エクシュタイン公爵さまからの後見を受けられるとうかがい、これはもう商会を設立していただくべきだと思いまして、昨日公爵さまに間接的ながら打診させていただきました」
エグムンドさん、アナタ、黒幕っぽいんじゃなくて、本当に黒幕だったんですね?
なんかもう、どう反応していいのか、どこから突っ込んでいいのか、さっぱりわからない。
私はもうすっかり、エグムンドさんのイイ笑顔に毒気を抜かれちゃったような状態で、またもや遠い目になっちゃってた。
「私は当初、適当な商会を買い取って、そこをゲルトルード嬢の窓口として使おうかと考えていたのだが」
公爵さまは長い足を優雅に組み替えながら言う。「ベゼルバッハ氏からの打診を受け、確かにゲルトルード嬢自身の商会を設立するほうがよいと考えを改めた。設立の時期についても、早いうちにとは考えていたが、本日の話し合いによってただちに設立すべきだと判断したのだ」
エグムンドさんもまた、公爵さまの言葉を受け、やっぱりイイ笑顔で言ってくれた。
「ツェルニック商会さんはゲルトルードお嬢さまの専属となられることを希望しておられましたし、ゲンダッツ弁護士事務所さんからも、もしゲルトルードお嬢さまの商会が設立されるなら尽力したいとの返答をいただいておりましたので、公爵さまのご決断さえあればいつでも商会の設立ができるよう、準備をしてまいりました」
そしてエグムンドさんは、すっと立ち上がると私の前で膝を突いた。
「それではゲルトルードお嬢さま、どうか私めエグムンド・ベゼルバッハに、ゲルトルード商会の商会員第1号となります栄誉をお与えくださいませ」
は、い?
なんかあまりのことに、また頭ん中が白くなっちゃってた私は、とっさに反応できなかった。
だって、公爵さまのご決断さえあれば、って……私の決断は必要ないの? それって、ひどくない?
いや、私はただのお飾りで、実際は公爵さまの商会だっていうなら、むしろそのほうがいいんだけど……でもそれだったら、なんで私の前に膝を突くの?
固まっちゃってた私より先に、お母さまが声をあげた。
「つまり、ベゼルバッハさんがゲルトルードの専属のような形で、ずっとお手伝いしてくださるのね?」
「はい。私はそれを望んでおります」
うなずくエグムンドさんに、お母さまはやっぱり安心したように言うんだ。
「貴方のように頼りになるかたが娘を助けてくれるのなら、とても心強いですわ」
公爵さまも言ってくれちゃう。
「ゲルトルード嬢、商会の運営など実務に関しては、ベゼルバッハ氏にまかせればよい。きみには学業もあるのだし、きみはきみが考案したものを伝えるだけで、彼はすぐに形にしてくれるだろう。ベゼルバッハ氏は、それほどに優秀な男だ」
いや、まあ、優秀なのはわかりますよ。
それに、頼りになるっていうのもね。
だって、昨日1日で関係各位に根回しをしてすっかり包囲網を敷いてくれちゃったような人ですからね。味方にするなら、そりゃあ頼りになるでしょうよ。
「でも、商業ギルドはどうするんです?」
私は脱力しちゃったまま、とりあえず頭に浮かんだ素朴な疑問を口にしてみた。
だって、エグムンドさんは意匠登録部門の部門長だもんね? つまり管理職なわけでしょ? それを棒に振っちゃうってことでしょ?
「もちろん辞めます」
やっぱりイイ笑顔でエグムンドさんは言ってくれちゃう。
「本当に辞めていいのですか?」
「はい。辞めて清々いたします」
もうこれ以上ないくらいイイ笑顔で、エグムンドさんってば言い切ってくれちゃったよ……。
いやもう、何もかもどうでもよくなってきちゃった、というのが、いまの私の正直な心境だった。
さっきまでの怒りとか納得いかなさ感とか、そういうのがもう全部どっかへ行っちゃって、ただひたすらずっしりとした疲労感しかない。
だって、もうどれだけ思い悩んで考え込んでいても、全然違う方向へどんどん勝手に進まされちゃうんだもん。気がついたら領主になることになっちゃってたし、お婿さんBをゲットするために婚活しなきゃならなくなっちゃったし、おまけに商会の頭取よ?
昨日、一昨日と準備して、私が根回ししてきたことっていったい何だったの?
もう、私にナニをどうしろと?
たぶん、ここで私のキャパがオーバーしちゃったんだと思う。本当に、さっきまで自分の中でギチギチに張り詰めてた何かが、ぷつんと切れちゃった感じがしてる。
だから、思った。
もう、いいよね?
本人がやりたいって言って、そのためのお膳立てまで完璧にしてくれちゃったんだし、もう、思いっきり丸投げしちゃっていいよね?
「わかりました。よろしくお願いしますね、ベゼルバッハさん」
私がそう答えたとたん、エグムンドさんは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ゲルトルードお嬢さま。誠心誠意、務めさせていただきます」
そしてすっと私の前から下がったエグムンドさんに代わり、クラウスが膝を突いた。
「ゲルトルードお嬢さま、そしてエクシュタイン公爵閣下」
やはりどこか青ざめた顔でクラウスは言った。「私、クラウス・ハーツェルにもどうか、ゲルトルード商会の末席に加わることをお許しくださいませ」
「えっ、でもクラウス、それじゃ貴方も商業ギルドを?」
さすがによく知ってるクラウスのことには、私もほぼ反射的に応えてしまった。
クラウスに問いかけながら、思わずナリッサの顔も見ちゃったんだけど、ナリッサはいつも通りまったく表情を変えていない。
「もちろん、商業ギルドは辞めます」
きっぱりとした声で、クラウスは言った。「私も、辞めて清々いたします」
って、クラウスも?
えっと、商業ギルドってもしかしてブラック職場だったの?
クラウスもエグムンドさんも、実は商業ギルドを辞めるきっかけが欲しかった、とか?
膝を突き、頭を垂れたまま、クラウスは動かない。
「それはもちろん、クラウスが手伝ってくれるのであれば、わたくしは嬉しいです」
率直な気持ちでそう言うと、クラウスの体がぴくりと動いた。
そんな私たちを見ていた公爵さまも、何気ないようすで答えてくれた。
「ゲルトルード嬢がよいと言うのであれば、私も異論はない」
「ありがとうございます」
一気にクラウスの緊張が緩んだのがわかった。
クラウスは深々と頭を下げて言った。
「今後、ゲルトルードお嬢さまにもエクシュタイン公爵閣下にも、ご恩に報いますよう身を粉にして努めますことをお約束申し上げます」
なんか、なんかでも、クラウスまでいいの?
もしかしたら私が知らなかっただけで、商業ギルドって実はブラック職場で、クラウスも、それにエグムンドさんも、辞めたくてしょうがなかったのかもしれないけど……でも私が頭取を務める商会なんて、ホンットにまだ海のものとも山のものとも、まったくわかんないよ? それに、私はもう丸投げする気満々になっちゃってるし。
あれ? でも、もしかして私、クラウスとエグムンドさんも養えるだけ稼がなきゃいけないってことで……?
ダメだ、考えちゃだめだー!
本当に、冗談抜きで、もうこれ以上何か考えちゃったら私、脳みそから煙が出てばったり倒れそうな気がする。
私がもうそんな状態なのに、エグムンドさんは追い打ちをかけるようなことを言い出した。
「ゲルトルードお嬢さま、実はゲルトルード商会の設立が決まりましたら、ぜひ自分も商会員に加えてほしいと申し出ている人物がおりまして」
は、い?
なんですか、ソレ? 商会の設立が決まりましたら、って……?
回らない頭で、なんかソレおかしくない? と私が思ってるっていうのに、エグムンドさんはさらにとんでもないことを言った。
「よろしければ、その人物にご面会いただけないでしょうか? 間もなくこちらに到着する予定となっております」
本当に恐ろしいことに、エグムンドさんがそう言ったとたん、玄関のノッカーがカンカンとその音を響かせた。