88.拒否権どころか退路もなかった
本日2話目です。
遠い目になっちゃってた私は、本当にもうどこからどう突っ込めばいいのか、さっぱりわかんなくなってた。
だけどお母さまは、ごくふつうに、当たり前に、さくっと突っ込んでくれちゃった。
「けれど公爵さま、タウンハウスのお代金までゲルトルードにお渡しくださいますのは、過分にございますわ」
おお、お母さま! さすがです、もっと言ってください!
お母さまの援護射撃的発言に、私は遠い目から戻ってきた。
それでも案の定、公爵さまは渋い顔をしちゃってる。
「しかしコーデリアどの、このタウンハウスも本来ゲルトルード嬢が相続するべきものであるのだから」
「公爵さまにはすでに『クルゼライヒの真珠』についてご援助をいただいてしまっておりますし、過分なご援助は娘のためにならないのではと思いますの」
お母さま、もっと言っちゃってください!
これはもしかしたら、領地の受け取り拒否、げふんげふん、受け取り辞退まで話をもっていけちゃう可能性が……と、私もがぜん身を乗り出した。
なのにお母さまは、またさっくりにっこり言ってくれちゃったんだ。
「もちろん、領地をゲルトルードにお返しいただけますことには、心から感謝いたします」
お、お母さまあぁぁぁ!
私の脳内絶叫をよそに、お母さまはにこやかに話を続けちゃう。
「ご存じの通り、ゲルトルードは本当に聡明で、しかも誰よりも心優しい娘です。必ずよい領主になると、わたくし心から思っておりますので。もちろん、ゲルトルードにお返しくださるクルゼライヒ領を、わたくしが再婚することによって他所の殿方にお渡ししてしまうような愚かなふるまいは決していたしませんと、お約束申し上げますわ」
「うむ。私もゲルトルード嬢なら間違いないだろうと考えている」
って、公爵さまもうなずいちゃってるし、なんならゲンダッツさんズまでうんうんとうなずいてくれちゃってるんですけど!
さすがにこのまま流されちゃうのはマズイと、私もようやく声をあげた。
「あ、あの、公爵さま」
公爵さまの顔が私に向く。
私はぎゅっと両手を握りしめてしまった。
「あの、ご期待いただけるのは光栄でございます。けれどわたくし、これまで領主教育などまったく受けておりませんし、そもそもクルゼライヒ領に足を踏み入れたことすらもないのですから……」
「ならばまず、クルゼライヒ領に足を運ばねばならぬな」
さっくりと公爵さまが応えてくれちゃう。「春先にでも一度、訪問の機会を用意しよう。学院の新学年が始まる前であれば、きみも訪問しやすいだろう」
ちっがーう! そうじゃなーい!
頭を抱えそうになった私の目の前で、公爵さまがさらにうなずいてる。
「ゲルトルード嬢は、学院2年目の選択はすでにすませたのだろうか? もしそうであっても、いまの時期であればまだクラス変更はできるのだから、領主クラスを選択すればよい。領主として必要なことを学べるだけでなく、他領の次期領主と知己を得ておくためにも必要なことだ」
ますます加速されるソウジャナイ感に、私はナニをどう説明すればいいのかと必死に頭を巡らせる。なのに、私がそうやって必死に考えてる間に、またもやお母さまがさっくりと言ってくれちゃった。
「確かに不安はあるでしょうけれど、知らないことはこれから学んでいけばいいじゃないの、ルーディ」
お母さまは、なんの邪気もない笑顔を私に向けてくれた。「先日、貴女がヨーゼフに言った通りよ。いま知識があるかどうかよりも、わたくしは貴女の誰よりも優しい心のほうがずっと大切だと思うわ」
お、お母さま、いまソレをおっしゃいますか?
違うの、そうじゃないの、そういう問題じゃないのおぉぉぉ!
なんかもう、私は脳内絶叫状態になっちゃってるのに、公爵さまがいかにも満足そうに言い出しちゃった。
「クルゼライヒ領は、我が国の建国以来ずっと変わらず、オルデベルグ一族が領主を務めてきたという稀有な領地だ。此度のことで領主が代わるのは望ましいことではないと、実は陛下も気にかけておられた。無事ゲルトルード嬢が相続できるのであれば、陛下もお喜びになるだろう」
へ、陛下って……国王陛下案件なんですか、我が家の相続は!
本当に、マジで、私の意識が飛びかけた。
だって、この状況で、国王陛下案件だとまで言われて、私に領地の受け取り辞退なんてできると思う? 爵位の返上や領地の返納なんてこと、できると思うーーー?
もはや退路は完全に断たれたとしか……。
そんな私に、公爵さまは真面目な顔で追い打ちをかけてくる。
「ゲルトルード嬢、たとえきみがいままで領主教育をまったく受けてこなかったのだとしても、これは領地を持つ貴族に生まれた者の責任であり義務だ。富は、ただ漫然と一方的に与えられるだけのものではないのだから」
富、いらないです。
いや、ゼロでは困るけど、そこそこでいいんです。
なんて、言えるわけがない。
ええ、ええ、公爵さまのおっしゃることは正論です。私だって、一度は一文無しになったと思ってたのに、それでもなんとかやってこれたのは、貴族という特権階級にいたからだって、心底実感しております。
そうですよね、自分はなんにもせずに、一方的に、ただ与えてもらうだけなんて、そんなの誰にも許されないですよね。
本人が望もうが望んでいなかろうが、最初からたっぷり与えられてしまってた者は、それだけ多くの何かもまた、最初から背負わされちゃってるんですよね。
これはもう、本当に私には拒否権もなければ退路もないってことなのね……。
そうやってずっしり考えこんじゃった私は、結構悲壮な雰囲気になっちゃってたらしい。
お母さまが心配そうに声をかけてきた。
「ルーディ、貴女が不安になるのは当然のことよ。でも、貴女には助けてくれる人が、もう何人もいるでしょう? もちろん、わたくしもできる限り、貴女を助けていくわ」
「そうだとも。私もそのために、きみの後見人になるのだから」
公爵さまも言ってくれる。「私はきみへの援助を惜しむつもりはない。確かに領地経営は大変な仕事だが、ゲルトルード嬢、きみなら大丈夫だ」
なんですか、その安請け合いは?
てか、やっぱり公爵さまも私が経営するの一択なんですね?
この場合、私は領地経営を学ぶと同時に、お婿さんBをゲットするための婚活をしなきゃいけないんでしょうか?
なんかもう、声に出して問いかける気力もなくて、うつろな気分でそう思ってたら、公爵さまがさらに言い出した。
「確かに、領地経営は貴族男性の仕事だと考えている者も多いが、実質的に領地経営を行っている貴族女性もいないわけではない。私の姉のレオポルディーネも、かれこれ10年近くガルシュタット領の経営を担っているのだし」
え? そうなんですか? と、私は思わず顔をあげちゃった。
だって、ガルシュタット領って公爵領だよね? それに、レオポルディーネさまは爵位持ち娘ではなく、他家へ嫁がれた身だよね? ガルシュタット公爵さまは、もちろんご健在だよね? それでなんで、夫人であるレオポルディーネさまが領地経営をしてるの?
思わず私は、公爵さまとお母さまの顔を見比べちゃったんだけど、公爵さまは平然と言ってくれた。
「夫であるガルシュタット公は宰相を務めておられるので、王都を離れるわけにはいかぬのだ。そのため、夫人である私の姉のレオポルディーネが領地経営を担っている」
いや、ソレ、お婿さんAでもお婿さんBでもないですやん。そもそも、レオポルディーネさまがお婿さんをもらわれたワケじゃないんだし。
それにだいたい、宰相閣下とか、私にはハードルが雲の上ってくらい高すぎて想像もできません。我が家の領地や財産の維持管理に関わっているヒマなんかないってほど立派な役職を持ってるお婿さんC、なんて新しい選択肢は、私には到底あり得ないでしょう。はぁ……。